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■星空の魔法2

急に雨が降ってきて、足元が不安定だったのだ。
みな、小走りに目的地へと急いでいた。
幾の前を歩いていたお爺さんが、コロンと転倒した。
危ない、と声をかけようとしたが、間に合わなかった。
「大丈夫ですかっ」
「あ、いてて・・・」
老人はガードレールに手を伸ばし、ヨロヨロと起き上がったが、腰に手をやって顔を顰めた。
「こ、腰がっ」
「お手伝いします」
小柄な老人で良かったと思いつつ、幾は老人を背負って駅に向かっていた。
「傘でもありゃさしてあげられるんだけどねぇ。わしゃ傘キライでね」
「俺もですよ。多少の雨ならば、走りますよね」
「そうそう。ところで、ホントにすまんのう」
「いいんですよ。あ、新幹線はもう着いているようですけど」
幾が視線をずらすと、駅には新幹線が停まっていたのが見えた。
「ばあさんだからね。そんなにスタスタ歩けないだろうから、大丈夫さ」
老人は、友達と温泉に行き、新幹線で帰宅する妻を迎えに行くところだったのだ。
「どうせあのばあさんは、持てねえくせにたくさん土産買ってきちゃ近所にばらまくのよ」
「うちの母もそうでしたよ。いつも旅行に行くと、楽しそうに土産選んでましたね」
「女っつーのは」
ぼやきながら、老人は、幾の頭の雨粒をそっと手で払った。
「すまんのう。風邪ひかんといいけどなぁ」
「まだとりあえず若いから平気です」
クスッと幾は笑い、されるがままに任せた。
横断歩道の信号は赤だった。
昔、海ちゃんに、こうしてよく背負ってもらったなぁと思いだした。
友達に苛められて泣いていると、海ちゃんが走ってきて、俺を助けてくれた。
怪我している時は、こうやって背負って家まで連れて帰ってくれた。
「青だよ」
老人の声に、幾はハッとした。横断歩道の信号が変わっていた。
「さあ、もう駅ですからね」
ささっと横断歩道を渡り、幾はエレベーターに乗ろうとして、「点検中」の張り紙を見てクルリと踵を返した。
「だめかい」
「点検中でしたよ」
「ここの階段長いのに」
「平気ですよ。上に行ったら、おばあさんの荷物も引き受けますよ。ついで、ですからね」
ニコッと幾が笑うと、
「おまえさん。うちの孫よりいい男だね」
と老人も嬉しそうに笑った。
幾が老人を背負ったまま、階段を昇っている途中に、背中の老人が、「菊」と叫んだ。
幾が顔を上げると「あら、あんた。どうしたの」と階段途中で、これまた小柄な老婆が立っていた。
「奥さまなんですね。会えてよかった」
そう言いながら幾は老婆の後ろに視線を走らせ、ハッとした。
「海ちゃん!?」
海が、老婆の背後で、スーツケースやら紙袋やらをどっさり持って複雑な顔をして、立っていたのだ。


つまり。
階段途中で、おばあさん+海とおじいさん+幾がバッタリ出会っていた。
海は、北口から南口へとぬけようと駅を通過中に、前を歩く小柄なおばあさんがスーツケースと紙袋を抱えて
ワタワタしているのを見かねて手伝ったという。
「エレベータ点検中なんだもん」
海はハアアと溜息をついた。
「うん、そうだったね」
幾はコキッと肩を鳴らし、同じく軽い息をつく。


老夫婦は、二人に礼を言うと、タクシーで帰って行った。

海は、幾を見上げた。幾は、びしょ濡れだった。
「おまえ。傘は?」
「持って出なかった。小雨だったけど、おじいさん背負ってたから走れなくてさ」
「どこらで、じいさん拾ったの?」
「えっと。水島さんちの酒屋の前辺りで」
「あそこから歩いてきたら、濡れるだろ、そりゃ」
「ま、仕方ないよね」
ぐいっとTシャツをひっぱり、幾は顔を拭いた。
ヒョイッと捲れたTシャツからは、幾の腹が見えた。割れた腹筋が、セクシーだった。
海は、ドキッとして、慌てて目を逸らす。
「海ちゃんこそ、どうしたの。仕事中だよね」
「お、俺はタバコ買いに、コンビニ。北口売り切れてて」
そう言いながら、海は幾の濡れた前髪に手を伸ばした。
「バカ。おまえ。マジで、濡れすぎ。風邪ひくぞ」
ふっ、と顔が近づき、幾がギクッと後ずさった。
「って、俺!スーパーに卵買いに来たんだっ」
幾は、ジーンズの尻ポケットから、ヒラッと千円札を取り出した。
もうそれも、いい加減濡れていた。
「はああ?」
「お客さん、待たせてたんだよ!じゃっ、じゃあね、海ちゃん」
ヒラッと踵を返し、幾はダダダッとまた走り出した。
「幾、おまえ、傘貸してやるから。幾っ」
叫んだが、聞こえなかったようで、幾は走り去った。
「ばっかじゃねえの。びしょ濡れで・・・」
海は呟き、諦めて、コンビニに向かって歩き出す。
アイツっていつも、そう。
今どき、じいさん背負うかよ。マンガかっつーの。
卵切らして、スーパー?なのに、なんで駅前にいやがるよ。
一体どんだけ客待たせてンの?
クレームくんだろ。てか、店開ける、フツー??
レジの金平気なの?
でも、幾らしい。全部、幾らしい。
歩きながら、海はふふふ、と笑っていた。


一方。幾は、商店街を猛烈な勢いで走りぬけていた。
海ちゃーーーーん。
反則だよ。反則。いきなり、顔近付けないでくれー。
絶対に顔赤くなった。気付かれたかな。気付かないでいてほしい。
ああ、やばい。やばいよ。
勢いのまま、幾は店のドアを叩き壊さんばかりに開けた。
バンッ!
「すみませんっ。お待たせしました」
客は数人、女の子の観光客だった。いなくなってるかもしれないと思っていたが、居た。
だが・・・。
「柏井先輩・・・」
柏井も居た。厨房に・・・。
「あ、ごめん。来たら、なんかおまえいなくて、俺勝手に作っちゃった」
彼女達のテーブルには、ホカホカのチキンライスが4つ乗っかっていた。
「あ、ありがとうございます・・・」
「おまえ。傘持っていかなかったの?」
柏井は、そこらにあったタオルを幾に投げた。幾は慌てて、タオルで顔や頭を拭った。
「彼女達から、リクエストもらっちゃって。なんでもいいから作ってくださいって。ごめんな」
使ったフライパンを流しに移しながら、柏井が説明した。
「いえ。こちらこそ・・・すみません。先輩の手を煩わせてしまって」
女の子達も、田舎町の寂れたオムライス屋さんが作るより、テレビでよく見るイケメンシェフに作ってもらった方が幸せだろう。
「すみません。うっかり材料切らしちゃって、お客様残して店空けるなんて、大変失礼なことしまして」
幾が客に謝ると
「いいんですよぉ。おひとりでやってて、大変ですもんね」
「びっくりしちゃった。柏井シェフがいるんだもんー」
「イケメンのオムライス屋さんって雑誌に載ってたから来たんだけど、イケメンが二人もいてラッキーだよね」
と、女の子達は、怒っていなかった。
幾はぺこぺこと謝り、そして柏井にも謝った。
柏井は、厨房からカウンター席に移動して、腰掛けていた。
「すみません。俺、相変わらずこんなんで・・・。みっともないとこ見せました」
幾は対面式カウンターの向こう側から、小声で柏井に言った。
「プロ失格だな。材料不備なんてさ。ま、今回の礼は、体で返してくれれば」
ニッコリと微笑む柏井に、幾は困った顔をして見せた。
「この前の話ですか?新しい店を手伝ってくれっていう・・・。俺、お断りしましたよね」
「俺、諦めないって言ったよね」
ブンブンと幾は首を振った。
「むいてないです。俺、こーゆーポカやるし、先輩の名前を汚しちまうし、無理ですから」
ふむっと柏井は顎を撫でた。
「まあな。他に口説く相手もいるにゃいるけど。俺、おまえがいいんだよなぁ」
「いえいえ。ほんと、勘弁してください」
「ついでに言うと、私生活込みでおまえを口説いているんだよ。わかってるよね」
へ?と、幾は目を見開いた。柏井は、チッと舌打ちした。
「だって、そんなバカな・・・。あの、俺。めっちゃぼろくそに捨てられた記憶ありますが」
「あの頃は、色恋してる場合じゃなかったからね。東京進出控えていたしサ」
「悪びれない人ですよねえ。まあ、キライじゃないですけど、そーゆーとこ」
海ちゃんみたいな部分があったら、つきあった人だった・・・と幾は心の中で思った。
「そゆことで。諦めないからね。じゃあ、また」
「おとなしく東京でお仕事しててください」
「俺の今の仕事は、おまえを落とすことだから」
「それ、無駄ですよ。俺、この街動きませんから。つきあってる人もいますし」
すると、柏井は弾かれたように幾を見た。
「へえ、そうなんだ」
短く言うと、またね、と柏井は出て行った。
窓際の女の子達の視線をチクチク感じて、幾は誤魔化すようにニッコリとサービスの笑みを浮かべては、いそいそと厨房へと引っ込んだ。


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地元を離れ、いくつか先の駅のデパートに幾は買い物に行った。
店の備品をいっぱい買った日だった。
両腕にたくさんの荷物を抱えて電車に乗った。
夕方の帰宅時。電車は想像以上に混んでいた。もちろん座れる筈もなく・・・。
平日のこの時間に電車に乗ることは滅多にない。幾は、失敗した、と思っていた。
網棚にその荷物を置くことすらできないぐらい人に押されて身動き出来なくなっていた。
前に座ってる人は、腕に抱えた荷物のせいで見えないが、きっとグイグイ押されて困っているだろう。
謝りたいのだが、もうどうにもこうにも動けない。
「大丈夫ですか?荷物、持ちますよ」
とんとん、と腕を軽く叩かれて、幾は、その言葉が自分に向けられたことを知った。
しかし紙袋が邪魔で、相手の顔は見えない。
「あ、大丈夫です、すみません」
そう答えて、しばらく時間が経つ。乗ったのは急行列車だから、しばらくこのままの状態だ。
ようやく最初の駅に停まり、プシューッとドアの音がし、ドドドと人が降りて行く。
幾はやっと身動きが取れるぐらいになり、荷物を網棚にヒョイと押しこんだ。
「あ、さきほどはありがとうございました」
座っている人にお礼を言おうとして、その顔を見下ろして。
「海ちゃん」
「え・・・。あ、幾」
座っていたのは海だった。二人は、あまりの偶然に、しばし見つめあってしまった。
「俺だって気付いてたの?」
「知らねーよ。おまえだったら、声かけてなんかいねえって」
「びっくりした・・・」
「こっちだって」
そう言って、海はプイッと幾から視線を逸らし、ごそごそとカバンから本を取り出し読み始めた。
幾は、そんな海をジッと見下ろしていた。
海ちゃんの髪、白髪発見・・・。
「ジロジロ見るなって」
視線を感じたのか、俯いたままで海は言った。
「だって。退屈なんだもん。混んでるし」
「窓の外でも見てろ」
「もう真っ暗だよ」
そんなことを言ってるうちに、二番目の駅についた。
ラッキーなことに、海の横が空いた。前に立っていた人も降りるらしく、幾はそそくさと隣に腰掛けた。
「隣ゲット」
「なに買ってきたんだよ」
「え。店の備品。皿とか色々」
「ふうん。すごい荷物だったな」
ハハハと海は笑う。
「海ちゃんってさ・・・。優しいね」
「へ」
「荷物、持ってあげようとしたんでしょ。大変そうだからって」
「ま、まあな」
「女の子だと思ったから声かけたんじゃないの?」
幾の言い方に、海はカチンときた。
「デカいから、最初から男だと思ってたよ!」
「男にも優しいんだ。へえ。知らなかったよ」
「あのなっ。女だから優しくするって主義でもねえの、俺。基本平等。老若男女。困ってる時は」
「そういうところ、父さんと母さんにそっくりだよね」
クククと幾は笑う。海は、その言葉に反応し、ピクッと肩を揺らす。
「海ちゃんは、だから、女の子にモテるんだよね。そーゆーことをサラッとやっちゃうからね」
「ざけてんじゃねえよ。おまえなんか、なんもしねえでもそのツラと背だけでモテるだろ。羨ましいこったよ」
「そんなことないよ。女の子はちゃんと海ちゃんのそーゆーとこ見てるって。俺が女なら、惚れちゃうし」
天然でこういうことが出来る海。
この前、おばあさんの荷物だって持ってあげてたし。
海がモテるのは仕方ない。
「は。身内で褒めあいっこしててもつまんねえ。なあ、聞いてくれよ、今日の東京での打ち合わせなんだけど」
耳に心地よく海の声。幾は、うんうんとうなづき、海の愚痴を聞く。

このまま肩を並べ。このまま、この列車で。海ちゃんと、ずっとずっと遠くまで。ずっと一緒に。
遠くへ。だけど一緒で。ずっと、ずっと・・・。

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ホテルのロビーで待ち合わせ。
三咲は、夕日に照らされたロビーで、自分を待っている幾を眺めるのが好きだった。
柔らかそうな茶色の髪が西日に照らされている。長い手足を持て余し、ソファからはみ出しているところも。
飲んでいるのはコーヒー。読んでいるのは料理雑誌。
「お待たせ」
そう言うと、幾の顔がこちらを向き、幾の顔の部分で一番好きな、薄茶色の瞳が、自分を見つめる。
それが、例えようもなく快感で。つくづく自分は、この顔が好みなんだと思う三咲だった。
「昨日はごめんなさい、三咲さん」
プライベートの時間が合わない二人は、デートのやりくりも大変だった。
昨日は、ようやく作った時間だったにも関わらず、幾が約束をすっぽかした。
なんでも、店に来てくれた客の女の子の人生相談にのってやってるうちに時間が経ってしまったらしい。
「泣いてしまって・・・。予定があるとは言い出しにくい状況になってしまって」
言い訳はそれだけで、あとはひたすら謝る幾を、三咲はすぐに許した。
惚れた弱みもあるけれど、それでも、幾がそういった場面でオロオロしながらも相談に乗っている姿が想像出来たからだ。
可愛いなぁ、幾ちゃん・・・。ひたすらメロメロな三咲だった。
すぐに許した三咲なのに、幾は「明日、店臨時休業にするから」と代案を出してきた。
どこまでも義理がたい幾であった。
「どこ行く?」
「少し遠いけど、隣町行こっか。車出すし」
「それじゃ飲めないよ」
「代行頼めばいいじゃん」
そんな相談をロビーのソファに腰掛けながらしていると、近づいてくる人影に三咲が先に気付いた。
「幾」
呼ばれて、幾は顔をあげて、ちょっと困った顔になった。
「柏井さん。まだいらしたんですか」
「悪いかよ、なんだその顔。ここのホテル泊っているんだよ。知ってて来てくれたんだと思ったけど」
「知りませんよ。てか、あなたの定宿は北口ですよね」
「いや。最近はこっち。南よ」
ふふっと笑って、柏井が三咲をチラリと見た。三咲も柏井のことは知っていた。
幾の専学時代の先輩で、今をときめくイケメンシェフだということも。そして、同好の士だということも。
小さなこの街のその世界では、柏井はそれなりに有名だ。
二人は同時に軽く会釈した。
「こちら、カノジョ?この前言ってた・・・」
「あ、え、ええ」
幾はしどろもどろだった。
「ふうん。てっきり、お兄さんかと思っていたけど、君の相手は」
そう言う柏井に、幾はギョッとした。
「か、柏井さん。なに言って」
「なに言って、て。おまえが、この街を離れたくない理由になるほど好きな相手って、海さんかと思ってたってことさ」
「え?」
三咲は、幾を振り返る。幾の顔色は青くなっていた。じっと三咲は幾を見つめていた。
「ちょっと待ってください。柏井さん、こっち来て」
グイッと幾が柏井の腕をつかんだが、その手を柏井はやんわりと拒んだ。
「いやいや。ごめんね。俺、これから取材があるから東京へバック。おまえのこと、まだあきらめないからね。じゃ、またね」
ヒラヒラと手を振って、柏井は言うだけ言ってさっさと行ってしまった。
「え。なに?どーゆーこと」
三咲は、キョトと、幾を見た。
「・・・あ・・・」
幾は唇を噛みしめた。
なんだろ。歯車が狂いだしている。
なんか、うまくいかない、と心の中で幾は嘆く。
このままで、いなければならないのに。


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海は、取引先との打ち合わせを終えて事務所に帰る途中だった。
車を降りたところで、声をかけられた。
「お時間いただけますか?」
小雨降る中、地味な傘の下に派手な顔。
「もしかしたら、来るかも・・・って思ってたよ」
海は、ニッと笑う。
「初めまして。柏井と申します」
柏井も、ニッコリと笑った。


二人は、観光ガイドには載っていないような小さなBARに来ていた。
「この前、テレビ観たよ。ファミリー向けの店を考えているって」
海が切り出すと、柏井は頷いた。
「観てくれていたとは光栄です。俺、男には不評でして」
ハハハと笑う柏井は、見かけより気取っていなくて、海はなんとなくこの男が気にいった。
「で。新しいそのお店にうちの幾ちゃんが必要って訳だ」
「あれだけで、よく幾のことだってわかりましたね」
「だって、うちの弟、イケメンだもん」
ぬけぬけと言う海を、柏井はチラリと横目で見た。
「実は、君と、この前幾の店の前ですれちがって。幾に聞いたら店に来たって言ってたから。そのあと、君のインタビューを見たから、あれ?って思って」
「幾は俺の後輩でもかなり優秀なんで。ドジなのが玉に傷ですがそこは愛嬌でOKなのもアイツの実力です」
うん、よくわかってるね、と海は内心思った。
柏井は、ウィスキーを飲んでいた。
「君が幾のことを東京へ連れていきたいと思うのは、幾の料理が基本なんだよね」
「勿論です」
「顔でも体でもなく、幾の料理の腕がスカウトの原因だよな」
海のツッコミに、柏井はやや困った顔をして、ゆっくりと首を振った。
「いえ・・・。基本はそこですが、出来れば顔も体も欲しいです」
正直なのも好感もてるな、と海は思った。
「アイツ、恋人いるよ」
「ええ。知ってます」
コイツは手強そうだぞ・・・と海は心の中で、三咲に同情した。
「もう一度聞いていい?柏井くんは、幾のなにが一番欲しいんだろうか」
柏井は一旦黙ってから、
「幾本人と言いたいところですが、一番欲しいのは料理人として腕です。恋人になれなくても、一緒に仕事はしたいですね」
きっぱり言い切った。
海は軽く自分がショックを受けていたことに気付いた。チクリと胸が痛む。
自分は、柏井がもっと違う言葉を言うことを期待していたのかもしれない。
柏井が、もっと違う言葉を言ってくれたら、堂々と拒否が出来たのに。
ふっと息を吐き、それから海は頷いた。
「そっか。じゃあ、幾は君のとこに行くべきだね。君は、幾の才能を伸ばせるから・・・。任せました。お願いします」
僅かな沈黙の後。柏井は苦笑した。
「・・・管理しているんですね、幾のこと」
「俺は、お兄ちゃんだから、さ」
「血が繋がっていないですよね?」
ピクッとグラスを持つ海の手が震えたのを柏井は見逃さなかった。
「だからこそ、余計に。俺は幾を良い方向に導かなきゃいけないんだ。アイツ、流されやすいタイプでしょ」
海は柏井にタバコをことわってから、火を点けた。
「幾はもう未成年じゃないんですよ?自分で自分のことは決めてもいいはずです」
「じゃあなぜ、君は俺のとこに来たの?」
海に聞かれて、今度は柏井がピクリとグラスを持つ指を震わす番だった。
「説得していただきたいからです。幾のこと」
「うん。協力するよ」
「ありがとうございます。なんとなく反対されるかもと思ってましたので・・・」
「なんで?反対なんかしねえよ。必要とされるとこに行くんだから、幸せだろアイツ。こんな田舎町でダラダラ生きているより、絶対イイに決まっている」
「それはそう思いますが、幾の、お兄さん大好き、は度を越してますからね」
ふふふ、と笑いながら柏井はグラスの中の氷をからから鳴らしていた。
「東京進出を考えている頃、なにげなく幾に聞いたんですよ。一緒に東京行って店やろって。したら、アイツなんて言ったと思います?」
聞かれて、海は、戸惑った。幾がなんて言ったか、想像できて困るのだ。
「言わなくても想像出来るみたいですね・・・。俺、幾とつきあってる頃、二回貴方と間違われているんです」
そう言って柏井はあとわずかしか残っていなかった酒を一気に飲みほした。
「セックスの最中に、海ちゃんって呼ばれて。完全に無意識だから、アイツ自分が間違えたことにも気付いてなかったんですけど」
ヒラリと柏井は伝票をつまんで、
「誰のことか、わからなかった。兄貴だと知って、びっくりしました。中々サイテーな男ですよね、幾って。だから、一度はフッてやったんですが」
と言いながら立ちあがった。
「でも、遠く離れたら、やっぱりまた欲しくなって。あなたの弟、魅力的です。俺は今度こそ貴方に勝ちたいですよ。では失礼します」
ペコッと頭を下げ、柏井は店を出て行った。
柏井の後ろ姿を見送りながら、海はタバコをふかしていた。
思っていた以上に、柏井はいいヤツだと海は思った。
「俺が・・・」
美しい顔と体。秀でた才能。輝かしい未来。柏井はすべてを持っている。
「勝てるわきゃねえだろ」
この街から離れて生きて行くことが出来ない自分とは大違いだった。
自分は、幾には、なんにも与えてあげることが出来ないが、柏井は幾つものの可能性を幾に与えられる。
「勝てる気が、しねえんだよ」
自分に出来ることは、唯一。幾を自由にしてあげること。
幾の未来を守ってやること・・・。

続く

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