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「梶本さん」
追いかけてきた清美の声に、梶本は立ち止まった。もう、駅はすぐそこだ。
結局、梶本となつきが互いの気持ちを制御できぬまま沈黙のおりてしまったテーブルには、もはや「皆で楽しくデート」などという提案が続行されようはずもない。
「やっぱやめよ。それぞれ楽しくやろーや」のなつきの声で、その場で解散となる。
勿論、あとから来た梶本達が先にその場を去った。
梶本は、清美を振り返った。
「・・・ごめんな」
「え」
急に謝られて、清美は目をパチクリとさせた。
「カノジョ、なんて言っちゃって」
「・・・びっくりしたけど。さっきの返事だと思っていいんでしょ」
清美の言葉に、梶本は首を振った。
「違うんだ。俺、おまえとはつきあえないよ」
「梶本さん」
「あの場でああ言わないと・・・。桜井さんもきっと納得しないと思って。いや、言っても納得したかどうか。うん、わかんね。もうどうでもいいかと思ってるかもしんねえし」
自分でも混乱してるのか、梶本はくしゃっと自分の髪を、指でかき混ぜた。
「事情話したよな。さっきおまえを睨んだヤツから桜井さん守る為に、別れたって」
「それは聞いたよ」
「それを成功させる為には、まずあの人自身から欺かねえと・・・。あの人、嘘つくのが下手なんだ。だからね・・・とか思ってたけど。けど、もう女作っちゃって。
まあ、モテる人だからしゃーねーけど。自分から言い出したことなんだけど、ショックデカイ」
「・・・よく、わかんないよ。一体、梶本さんはどうしたいんだよ」
清美は、自分より遥かに背の高い梶本を見上げた。
梶本は、ゆっくり首を振った。
「おまえとはつきあえない。だって、おまえとつきあったら、俺幸せになっちゃうから」
「いいんじゃない?それで」
「ダメなんだよ。桜井さんが幸せになってからじゃないと、幸せになれないんだ、俺」
「梶本さん」
「だから、ゴメン」
梶本がヒョイッと頭を下げた。清美は、溜め息をついた。
「ふられたか・・・。しょーがないか。まあ覚悟してたし」
清美は腕を伸ばし、梶本の前髪に触れた。
「あのさ。ちゃんと、気持ちの整理つけなきゃ。ね。らしくないよ、梶本さん。俺は、もう。頑張って・・・としか言えないけど。別れを決めた時点で、
桜井さんが別の道に行くのは当然なんだし。梶本さんだっていつかは、行かなきゃいけないんだよ。もし、その時。まだ相手いなかったら、俺のこと思いだしてね」
「ありがとう」
「うん。さ、行こっか。桜井さん達に追いつかれちゃうかもしれないし」
トンッと清美が梶本の背を押した。
体が自然に前に進む。ノロリと梶本は歩き出す。
別れを選択した時から。別々の道。当たり前なんだ。当然なんだ。なのに。なのに・・・。
俺は、まだ期待していた。なんとか、あの人と一緒に。いつか戻れる。俺達は、抱き合えるって。
桜井さんの幸せが先。そんなの偽善だ。あの人を幸せに出来るのは、俺だけ。
俺だけだった筈なのに・・・。
なぜこんなことになったのか・・・。
今更ながらに、目の前にばっくり口を開いた暗い道に歩き出すのが、梶本は怖かった。
自分が選択した道だというのに。もう。引き返せないというのに・・・。


事務棟から出て、一号館に続く中央のエントランスを横切ろうとしたなつきは、突然腕を掴まれて、ギョッとした。
「ちょい、顔貸して」
「吉川。てめえ、離せよ」
「時間は取らせない」
肩でガラスのドアを開けて、吉川は外に出た。なつきも引っ張られていく。すぐ脇にある、小さな人工池の縁に、吉川は腰かけた。
「桜井さ。梶本とマジで別れたの?」
「なんでてめえにいちいちそんなこと説明しなきゃなんねえんだよ」
ダンッと、吉川の腰掛けたスペースの横の空間を、なつきは脚で踏みつけた。
「梶本に惚れてるもんでね。気になるんだよ」
吉川の、その堂々とした言い方に、なつきは一瞬絶句した。だが、舌打ちして、吉川を睨む。
「見りゃわかんだろ。アイツ、別の男といつも一緒じゃねえか」
「松木慶の弟。松木清美。でも、梶本はつきあっている・・・とは言わないんだ」
松木慶の弟。やはり、松木の関係者だったんだ・・・となつきは僅かに唇を噛んだが、すぐに口を開く。
「俺にはカノジョだって説明したぜ」
「ほんとに・・・?」
吉川はなつきを見上げた。
「俺達は、綺麗さっぱり別れた。これでいいだろ。てめえとツラつきあわせてる時間は一秒だって苦痛だからな」
踵を返そうとしたなつきの腕を、吉川はまたグッと掴んだ。
「待ちなよ。この前の講義のノート貸してやるから。おまえ、さぼったじゃん」
パンッと腕を振り払い、なつきは、フンッと鼻で笑った。
「んなのいらねえけどさ。これ以上、なに聞きてーの。梶本の攻略方法?」
「そんなのおまえに聞いたところで、しょーがねーだろ。結局別れてるんだから。同じ過ちは繰り返したくねえから」
「可愛くねえな、てめえはよ。で、なんだよ!?おまえの目的は」
なつきは、ギロリと吉川を見下ろした。吉川は、その小さな顔をなつきに向けて、ジッと見つめてくる。
「別れた原因。教えてよ」
「原因?」
「おまえはどうして梶本と別れたんだよ。突然すぎるじゃん」
あっさり言う吉川に、なつきはカッと怒りで顔を赤くした。
「・・・るせえ。そんなの。俺だってアイツに訊きてーよ。いきなり、別れようって言われたんだ。理由も説明せずに、いきなり、だ。もっともよ。
どーせてめえがいらんこと言ったからだろ。なに言ったかしんねーけど」
「知らないならば、言うなよ。俺は別に、一般的なことしか言ったつもりはない」
ケロリと吉川は言ってのける。そのあまりのふてぶてしさになつきは思わず笑ってしまう。
「まあよ。別に、おめーがなに言っても、な。いずれはこーなる運命だったってことだ。遅いか早いかってだけだったのかもしんねー。俺達は、最初から無理だったんだ。そーゆーこと」
「わかんねえよ。原因があったからこそ、だろ。その原因教えなよ。俺は、それだけは参考にさせてもらうつもりだよ。同じ過ち繰り返さない」
「なんでそこまでてめーに教えてやんなきゃなんねーの」
「セックスの不一致?」
笑いながら、吉川が言った。ビクッとなつきの顔が強張った。
「当たりでしょ。おまえら・・・。合わなかったんだろ」
なつきの顔色が変わっていくのを、吉川は楽しそうに眺めている。
「梶本に、そう言われたんじゃないの?」
震える拳を握り締めて、なつきは吉川を見た。
「だからどーだって言うんだよ。そんな話、参考になんのか?」
「多いになるね」
「これ以上訊きたければ、愛しの梶本くんご本人に訊けよ。それが一番だろ。なんたって、俺は別れてくれって頼まれた方なんだからな」
「別れたくなかった・・・っておまえは言うんだね」
「言われなきゃ、別れたりなんかしてねーよ」
素直に答えてしまって、なつきはハッとした。吉川は笑いながら、立ち上がった。
「ありがとう。実に参考になったよ。これ、ノート」
吉川は、持っていたカバンから、ノートを出した。
「よく字が綺麗だって褒められるし、見やすいと思うよ」
なつきは、押し付けられたノートを受け取り、そのままノートを引き千切って、地面に叩き付けた。
「いらねえよ、こんなもん。くだんねー時間取らせやがって!」
「短気な男」
パラパラとノートの紙片が、吉川の足元に落ちていった。バッとなつきは踵を返すと、そのまま走って去っていく。
「あの様子だと、共謀しているんじゃなさそうだな・・・」
フムと吉川は顎を撫でながら、足元の紙片を拾い上げた。
力強く引き裂かれたノートが、そのままなつきの悔しさを物語っているようだ。
真面目に、桜井に別れ告げたか、梶本・・・。
吉川は、満足気に、去っていくなつきの背を眺めていた。


「なっちゃん。梶本くん最近どーした?」
大野が、なつきに訊いてきた。
「なんだよ。アイツが、どうしたって」
「見かける度に、連れてる男が違う」
呆れたように大野は、頬杖をついたまま窓の外に視線をやりながら、言った。
ファーストフードの大きなガラス窓からは、外を歩いている人々がよく見えた。
「おまえ達が別れたって聞いた時は、ホントに吃驚したけど。まあ、なっちゃんはみちるちゃんと楽しそうだし、それはいいけどさ。梶本くんがなー。
ああいうタイプだったとは知らなかった。チャラチャラしやがってさ。おまえ、早めに別れて正解だったかもしれねえよ」
確かに。大野の口から出る梶本を語る言葉は、かつての梶本の行動からは想像もつかない。
「溜まってたんだろ、長年・・・」
「あ?」
「俺達。セックスレスだったから」
なつきは、ガブッとハンバーガーを齧った。
「あ、ああ。そういうことか」
大野は視線を戻し、頬杖をついていた手を解き、ヒョイッとポテトを摘んだ。
「ブレイクしちゃったって訳か〜」
大野の呟きに、なつきはうなづいた。別れてから、半年。もう、大分心も痛まなくなってきた。
梶本が連れている相手毎回違うのは、とっくに知っていた。気づいていた。
いつも、いつも、その姿を目で追っていたから。いまだに構内で梶本を探すのは癖になっていたからだ。
たまに、吉川が一緒の時もあった。俺は、あんな感じで梶本にくっついていたんだろうな・・・と、過去を思い出しては、懐かしく笑ってしまう余裕さえ出来た。
松木清美という男とはどうなったんだろう。別れたのだろうか。梶本のあんな姿を見ているのは、切ないだろうに。
ふとそんなことを考えて、なつきは心の中で溜め息をついた。
なんで俺が心配してやんきゃなんねえんだよ!と、むかついて、なつきは再びバクバクとハンバーガーに食いついた。
「あ、おい。なっちゃん。みちるちゃんとの待ち合わせ、そろそろだろ」
腕時計を見て、大野が言う。
「んあ。そーか。わりいな、大野。つきあわせちまって」
「いいってことさ。親友じゃねえの、俺達」
ニカッと大野が笑う。その笑顔を見て、ヘヘッとなつきは照れた。
失ったものもあるけど、得たものもある。
人生ってそんなことの繰り返しなんだろうなァ・・・とらしくもないことを考えて、なつきは、頭の中に浮かんでいた梶本の姿を振り払った。


「梶本。毎回連れてる男が違うって、幸彦が呆れてるよ」
吉川が、今日も校門前で、梶本を待ち伏せだ。
「そういう吉川さんも、毎回俺を待ち伏せしているって、噂ですよ」
「事実だもん」
「俺も事実ですけどね」
梶本は、肩からずり落ちたリュックを直しながら、横顔で笑った。
「今日は珍しく一人なんだな」
「さすがにストック切れですよ」
「ハハハハ」
吉川が愉快そうに笑った。
「結構けなげですよね、吉川さん」
歩き出す梶本の背を、吉川が追いかけてくる。
「グラついた!?」
「一途な子って、好きですよ」
梶本の答えに、吉川は顔を輝かせた。
「そうだよな。おまえは、桜井のその攻めにおちたんだもんな」
「へえ。真似してるんだ」
「過去のね、うまくいった部分は取り入れる価値はあるでしょ」
「うまくいってねーじゃん。俺達、結局別れたし」
「同じことしたって、俺と桜井は決定的に違うよ」
「どう違うの?俺からしてみりゃよく似てるよ。プチストーカー」
梶本はチラリと吉川に視線を送る。
「セックス出来るもん。俺は、おまえと」
梶本は、途端に口の端をつりあげた。
「俺と、ヤりたいの?吉川さん」
「ああ。おまえが好きだから」
「そう。じゃあ、ヤろっか」
あっさり言った梶本に、さすがの吉川も、歩みを止めた。
「マジ!?」
梶本も立ち止まる。
「アンタ、思っていたより、頭イイね。ちゃんと過去問やるタイプだ。俺さあ。押しに弱いんだよね。桜井さんのこと、すっごく好きだった。あー見えて、一途だしね。
弱いんだよね。けど。見ててわかるよーに、俺、基本淫乱だからさ。やっぱりデキねえのは辛かった。イイ男ぶるのは結構辛かった。吉川さんは、そーゆー俺を
見抜いていたってことかな」
「・・・どうかな。それはわかんないけど・・・」
吉川は慎重に言葉を選んでくる。
梶本は、心の中で笑った。
「誤解しねえでくれよ。一度寝たからって、すぐにカノジョじゃないんだから」
「んなの、わかってるよ」
むきになって吉川は言い返してくる。
こういうところは、桜井さんと良く似ている・・・と梶本は苦笑する。
「だったら、良かった。お互い、後腐れなく、いきてーじゃん」
「優位な立場を引っ繰り返す駆け引きは嫌いじゃないよ。幸彦とはこんなことは出来ない。だから、おまえは楽しいよ」
「引っ繰り返したら、オシマイなの?吉川さんの恋愛って」
吉川は、黙り込んでしまった。
突っ込みすぎたか?と梶本はすぐに反省して、前言を掻き消す。
「自信があるのは結構だけど、俺もそういう駆け引き嫌いじゃないよ」
梶本は歩き出す。吉川が追いかける。
「どこですんの。梶本の家とか!?」
「俺の知ってるホテルで」
吉川はうなづいた。おとなしく後をついてくる。
そんな吉川を背に感じながら、梶本は心の中で苦笑していた。
俺は。
アンタを誘い込んだんだ。
清美をカノジョとほのめかし、違う相手といるとこ見せつけて。
簡単におちちゃ、手の内バレるでしょ。桜井さんと別れたよ。だからアンタとつきあう。それじゃ、マズイでしょ。
別れが作為的なの、バレバレじゃんか。未練タラタラバレちまう。
アンタは桜井さんと違って、頭がイイから。時間は、とっととけれど有効に使わなきゃ、ね。
桜井さんからアンタを徹底的に引き離すにはただ別れただけじゃ、足りないのはわかっていたんだよ。
それだけ、じゃね。だからと言って、簡単にすぐにつきあう訳にもいかなかった。
さあ。網に引っかかれよ。
そんでもって、攻撃は、俺だけにしてよ。頼むから・・・・!!!


「スポーツやってたんだよね、バスケ」
服を脱ぎ捨てた全裸の梶本の傍にやってきて、吉川はうっとりと呟いた。吉川の裸の腕が、梶本の胸に触れてくる。
「腹割れてる。すげえ綺麗な体」
「ありがとう。吉川さんもね。綺麗な体してるよ」
梶本は、吉川の体を腕を伸ばして、抱きしめた。ふと気づく。
今頃、気づいた。桜井さんとおなじぐらいの背格好だ。
あの人と同じぐらいの背。同じぐらいの体型。
こんなふうにゆっくりと抱きしめたことはないから・・・わからないけれど・・・。
やっぱり、あの人の体もこんなふうな感触なんだろうか?
何度か触れたことのある唇。吉川の唇も、あの人みたいに熱いのだろうか。
桜井の唇の熱さを思い出し、衝動的に、梶本は吉川の唇に自分の唇を重ねた。
「ん」
吉川の小さな呻き声が、耳に響いた。
「梶本・・・」
唇が離れると、吉川は目元を染めて、梶本を見上げてきた。
「・・・」
一途に見上げてくる目。惚れられた状況。愛されているという感覚。
同じ。桜井さんと同じ。違うのに。確かに二人は、違うのに。与えられるものは、同じだと錯覚する。
再び衝動的に、梶本は吉川の唇に噛み付くようにキスをした。
あの人が与えてくれる筈だった感覚を・・・。
コイツから奪ってやる!そう思った。
唐突に胸を貫いたやるせなさを振り切り、梶本は、吉川の体を抱きしめながら、シーツに沈んだ。
正直言えば、夢にまで見た。
あの人とキスして、セックスする夢。何度も、何度も夢に見た。泣かれてもいい。殴られても蹴られてもいいから、無理矢理抱いてしまう夢だって見ていた。
罪深いとわかっていながら、そんな夢を何度も見続けてきていた。
「・・・っ!」
体が熱い。理性で、押さえ込めない。抱きしめるこの体は、違うのだとわかっていても。
あの人を抱くように、吉川を抱いてしまうだろう。何度も、何度も。夢の中で重ねた体の熱さを、確かめたい。そして。
吉川を抱きしめながら、梶本は自分が安堵していることに気づいて愕然とした。
一瞬呆けて、吉川が伸ばして来た腕に髪を掴まれてハッとなり、再び口付けながら。
やはり、自分の心が安堵していることに気づいた。
そうだ、俺は。いつか。自分は桜井さんを犯してしまうかもしれないと・・・と。不安だった。
体では、ない。それだけじゃないんだよ、と言いながら。獣のように、あの体を求めている自分に気づくことがあった。
「!」
心の奥底に密やかに澱んでいた凶暴な欲望が、スーッと退いていった。
桜井とは違う、だが、ところどころよく似た、吉川という男を抱いたこの瞬間に。
まずい。網に引っかかったのは、俺、かもしれない・・・。
梶本は、冷静に自分を分析していた。

続く
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