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翌日。なつきは、梶本に呼び出されていた。昨夜は眠れなかったせいか、寝不足だった。
梶本は昨日別れた時と同じように、難しい顔をしていた。
繁華街を並んで歩いて、チラリチラリと梶本の横顔を見上げても、なつきには梶本の心の中などわかる筈もない。
「おまえ。吉川になんか言われたのか?」
沈黙にたえかね、なつきは訊いた。やっと、言葉が口から出た。なつきは喉が異常に渇いていることに気づいた。
「言われましたよ」
あっさりと梶本は振り向かずに答えた。
「なんて?」
「好きだってね。改めて言われました。望むままに抱かれてあげるとも言われました。けどさ。俺、欲しいのは貴方であって、アイツじゃねえし」
想像通りだったとはいえ、それを梶本の言葉で聞くと、思った以上にショックは、でかい。
「・・・」
言葉が出ずに、なつきは沈黙してしまった。
「そう言うこと言われて、もう我慢の限界でしょ。気持ちがとっちらかっちまう前に、ちゃんと桜井さんのこと抱いておきたい」
えっ?となつきは、耳を疑った。
「いきなり、なんだよ。そんなの無理に決まってんじゃねえか」
手を握られただけでも、あんなに体が反応してしまう。
梶本だから、梶本なんだぞと幾ら自分に言い聞かせたところで、どうしようもない。
震えと、言い知れぬ気持ちの悪さが込み上げてくるのだ。
「試してみなきゃわかんないじゃないか」
「わかるんだよ。これは、俺の体なんだから」
梶本は振り返った。グイッと、なつきの腕を引っ張った。
「やめろって!」
バッと、なつきはその手を振り払う。
梶本は振り払われた腕に、表情を崩して、なつきを見た。
その、怒ったようなそれでいて絶望的な表情に、なつきは凍りついた。
「入っていい?」
だが、梶本はすぐ元に戻り、目の前のホテルを指差して、なつきに聞いてきた。
「無駄だ」
「ここね。黒崎先輩とよく来たんだ。あの人、ラブホはキライだったんだ。だから、こういう普通の安ホテルで、俺達いつもヤッてたんだ」
「!」
梶本の言葉に、なつきはビクッと反応した。
なつきは、キッと梶本を睨むと、梶本を押しのけてホテルに入っていった。
そんななつきを見て、梶本は苦笑した。
そして、その顔は苦笑から悲しそうな顔に変わっていったのだが、背を向けていたなつきは気づかなかった。
どこといって変わらぬ平凡なホテルの一室だった。
あんなことがなければ、もうとっくに梶本とはそういう仲になっていただろう。
セックスに抵抗を示すような歳じゃないし、互いに慣れている。
互いに・・・好きあっているから。
そんなふうに思いながら、部屋を眺めていたなつきを、梶本が背中から抱きしめた。
梶本の体温を背中に感じ、なつきは目を瞑った。
冷たい汗が、見えないところのあちこちで伝い落ちていく気がした。
途端に、ガクガクと脚が震えた。梶本の唇を首筋に感じて、頭が一瞬白くなった。
女は大丈夫なのに。あれ以来、なつきは何度か女とセックスした。
ちゃんと勃ったし最後まで出来た。それなのに・・・。
相手が男となると、とにかくもう体のどこかに触れられるだけで、イヤな眩暈を感じるくらいだった。
唇を噛んで、なつきは堪えた。
梶本だぞ。梶本なんだ。そう思った瞬間、野田の言葉が頭を過った。
『なに綺麗ごと言ってんだい。カジくんが好きならば、いつかはセックスするんだろうが』
そうだよ。いつかはしただろう。てめえさえ、あんなことしなければ、本当はすぐにだって。俺は、梶本が好きで、好きでたまらなくて・・・。
梶本が他のヤツを追いかけていることが辛くて、悲しくて。なんとか、振り向かせたかった。その為に、プライド捨てて梶本を追いかけた。
んなことぐらい、どうってことなかった。それぐらい梶本が欲しかった。
あんなことさえ、なければ。あんなこと、さえ、なければ。
たかが、強姦じゃねえか。何度もそう思った。
孕んだ訳でもない。
痛かったが、傷は癒えた。
あの時野田が噛んだ体中のあちこちの印さえ、綺麗さっぱり消えたのに。
ましてや処女性なんて、とっくに失っていた。なんでもねえヤツと寝ることぐらい簡単だった。
そして、今、あれほど欲しかった梶本と寝ようとしている。
嬉しい筈なのに。なのに。幾らそう思っても、体はダメだ。どうしても、どうしても。震えを止めない。冷や汗が止まらない。
梶本の指が、Tシャツの上からなつきの乳首を探りあてて、止まる。
そして、その指先が、ゆっくりと動いた瞬間、『おとなしく。本性出して、僕をもっと奥まで誘いなよ』なつきは野田の台詞を思い出して、そして、その時の記憶が鮮明に甦った。
無理矢理開かされて、含まされて・・・。
「ぐっ」
なつきは、たまらずに口を押さえた。
あの時、誰よりも側に居て欲しくて。助けてもらいたかった男の指なのに。
その指を、自分の体は、嫌悪してしまうのだ。
どうすることも、出来ない・・・。
「ううっ」
「桜井さん!?」
梶本の腕が、離れていく。
「・・・っ」
なつきは、その場で吐いた。ドンッと、梶本の体を自分から引き剥がした。
床にずるずると座りこみ、自分ではどうしようもなく、体が反応するままに、吐かせた。
なんで。どうして。どうして、こうなっちまうんだよ・・・!
自分で自分に腹を立てて、なつきは拳で床を叩いた。何度も叩いて、涙を堪えた。
「桜井さん」
梶本は、バスルームからタオルを持って来た。そのタオルを受け取り、なつきは口元を拭った。
なつきがそうしてるうちに、梶本は別のタオルで床を拭っていた。
「よせよ。汚ねえ」
「俺のせいだから」
短く言って、梶本はなつきの吐いたものをタオルで拭った。
なつきは、その横顔を見つめて、いたたまれなくって目を伏せた。言葉が見つからない。
自分達は、このまま、どうなっていくんだろうか・・・。梶本は床を拭き終えて、なつきを見た。
「桜井さん」
呼ばれて、ハッとなつきは顔をあげて梶本を見た。間近で目が合う。
「俺達、別れよう」
梶本の言葉は、なつきの耳にしっかりと届いていた。
届いてはいたが、すぐにその言葉に反応出来なく、なつきは無言で梶本を見つめていた。
「別れよう」
梶本は繰り返した。
「なんで・・・?俺が、セックス出来ないから?」
唐突に、なつきは喉の渇きを感じた。そうだ、俺は。さっきから喉が渇いていたんだ。
「違うよ。そうじゃない」
「なにが違うんだよッ!この状況で、それ以外なにがあんだよ」
なつきは、梶本のTシャツの襟を引っ張った。
「このままじゃ・・・。ヤバイんだ」
「なにが?だから、なにが、だよ」
「言えないところが、辛いけど・・・。言ったらまたアンタは、どうせすぐに暴走する。いつも、俺の言うことなんか聞きやしねえんだからサ」
梶本の長い睫毛が震えていた。
「俺が我侭だから、愛想が尽きたっつーのかよ。おい」
がくがく、となつきは梶本の肩をゆすった。
「我侭なところも好きだよ」
梶本はそう言って、にっこり笑った。
「本当は、すぐに暴走してしまうところも好きだ。俺は、それでアンタにおちたようなもんだからね。俺様なところも、短気なところも、顔も体も、全部好きだよ。
でも・・・。俺達は一緒に居ちゃダメなんだ」
「ハッキリ言えよ」
「言えないんだ」
梶本は首を振った。
なつきは、梶本の肩から手を離した。
「なんでだよ。なんで・・・。俺、言ったじゃねえかよ。俺を信じろって。こんなこと、絶対に克服するから。おまえ、俺を信じられねえのかよ」
「決めたんだ」
「一瞬のうちに、決めたのか?俺を信じろって言って、おまえはうなづいたじゃねえか。あれは、つい最近のことなんだぞっ。吉川の言葉なんかに感化されやがって!」
梶本は目を見開いたが、ゆっくりとなつきの目を覗きこんだ。
「そうだよ。一瞬のうちに決めた。ねえ、桜井さん。別れって、結構こういう場合が多いんだよ。考えて考えて、そしてゆっくり結論を出す・・・というパターンもあるけどさ。
別れは時間をかけるもんじゃねえって俺は思うんだ」
ひとつひとつ言葉をゆっくりと噛みしめるように、梶本は、言った。
「気軽に抱かせてくれる吉川を・・・。おまえはアイツを選ぶのか?」
「どうだろうね。必要に応じては、そうなるかもしれない」
梶本のその言い方は、なつきを絶望させた。
「必要に応じて?なんだよ。どうしておまえはそういう言い方しか出来ないんだよ。ちゃんと言えよ。俺は、頭ワリーから、ちゃんと言われねえとわかんねえんだよ」
「それが出来ねえから、別れようって言ってんじゃねえかよ」
梶本は、逆ギれしたかのように、叫んだ。
「桜井さん・・・。アンタの暴走するところ、熱くて好きだけど、俺、怖い。だから、もうどうしようもないんだ。俺はこれ以上、桜井さんを傷つけたくねえんだよ。
ただ、1つだけはわかってほしい。セックス出来ねえからアンタと別れるんじゃねえ。それだけは、理解ってよ。お願いだから」
言いながら、梶本は立ちあがった。
「わかんねえ。絶対にわかんねえ」
泣くまいと思ったのに。
なつきは、梶本から顔を反らした。泣くまいと思ったのに、もうダメだ。ポタポタと涙が零れて、床に落ちた。
「ごめんね、桜井さん。無理矢理こんな所連れてきて。無理矢理触って、辛くて怖い思いさせてしまってごめんな」
「・・・」
山ほど反論したいのに、なに一つ言葉にはならない。
ただ、涙が零れるだけだ。梶本は、ポンッとなつきの頭を撫でた。
そんな仕草にすら、なつきはビクッと体を震わせた。
梶本は、それに気づいたであろうに、なつきの髪をゆっくりと撫でていた。
「ごめん。俺、もう行く」
梶本の指が、なつきの髪から離れていく。
足音が遠ざかり、ドアの開閉の音が、静かな部屋に響いた。
ちくしょう。声出ない。なつきは、喉に手を当てた。
こんな時ですら、「別れたくない」と泣いて梶本に縋ることが出来ない。
いや、例え梶本に触れることが出来ても、そんなことはしなかっただろう。絶対に出来ない。
手に入れる時は強引でも、こういう場面では強気に出れねえ。
だって、梶本はもう決めてしまっている。
「俺って、んとに、可愛くねえ性格」
口に出してみて、改めて思う。なつきは唇を噛んだ。
頭が・・・痛えよ。なにがどうなってんだか、わかんねえ。昨日の夜、梶本を怒らせた。
あいつの言うとおり、こんな提案に乗らなければこんな結末にはならなかったのか?
俺が悪かったのか?わかんねえよっ!
別れるって、なんだよ。どうして、急に。なにがなんだかわかんねえ。
可愛くねえ性格+頭の悪い俺。
頭のイイあいつにとって、俺はつりあわなかったのかもしんねえけどさ。嫌われて当然かもしんねえけどよ。
でも、でも・・・。
「梶本」
名を呟いて、なつきは泣いた。
その姿がもう目の前にないことがわかっているから、わかっているから、気にせず泣けた。
明日から、もうアイツの家に行けない。アイツの側に居られない。
「梶本・・・」
おまえを抱き締めてやれなかった。ごめん。

続く

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