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胸が騒ぐ。一体、自分達の別れはなんだったというのか?
忘れようと苦しみ、別れようとあがいた。
だが、結局、本人を目の前にしたら、積み重ねた半年以上の時間は、あっさり崩れた。
この気持ちが治まらない限り、俺はずっとずっと迷い続ける。
なつきはそう思って、家を出た。

梶本が教えてくれなかった別れの意味を吉川が知っているのならば、吉川に訊くしかないのだ。
吉川は答えを取りに来いという。
行かなくちゃいけない。来るな、と梶本は言ったけれど。
吉川の自宅は調べておいた。
だが、昨日の様子から行けば、たぶんヤツはまだ梶本の家にいるだろう。
なつきは、梶本の家に向かった。
心臓が高鳴っていた。
そして、さっきから胸の片隅に広がる罪悪感。酒井みちる。癒しをくれた、あの女の無邪気な顔が、なつきを何度も立ち止まらせた。
今更、どうする。答えをもらったところで、イイ答えだったから、梶本とヨリを戻しました。だから、おまえとはバイバイ。こんなことは許されるのだろうか。
かつての自分だったら、ドライな女達とばかりつきあっていたから、これでも全然問題なかっただろう。
「くそっ」
どうしたらいいかわからない。梶本も来るなと言った。みちるの為にも行かない方がいいのはわかっている。
梶本のアパートは、もう、すぐそこだ。あの階段を昇ってドアを叩けば。ドアを叩けば。
「桜井先輩」
不意に声をかけられて、なつきは振り返った。
「こんちは」
三谷が車の傍に立っていた。こちらを見て手を振っていた。
「三谷」
「やっぱり梶本の方に来ちゃったんだ。美貴に会いに来たんだろ。もしこっちに桜井さんが来たら、マンション連れてきてくれって美貴に
頼まれているんですよ。乗ってください」
「吉川、自宅にいんのか?」
「そうっすよ。案内しますから、乗ってください」
助手席のドアを開かれて、なつきはうなづいた。
「わりーな」
「構わんですよ。俺、美貴の奴隷だから」
アハハハと笑って、三谷は車を発進させた。しばらくは、大学での世間話を喋っていたが、三谷が急に話題を切り替えた。
「桜井さんと美貴。なんかすげえ構図だけど、なんかあったの?」
なつきは首を振った。
「吉川に訊きたいことがあって。ヤツは俺の知りたいことの答えを知ってるから」
タバコをくわえた三谷は、チラッとなつきを振り返って、すぐに視線を正面に戻す。
「梶本絡み?」
「それしかねえだろ」
口の端をつりあげて、三谷は笑った。
「別れたんでしょ。今更、アイツのことでなにが知りたいんだよ」
「その理由、だよ」
「知らされてないんだ・・・」
「梶本は教えてくれなかったんだ」
更に三谷は笑った。
「気の毒にな」
呟く三谷に、なつきはフンッと鼻を鳴らした。
「まったくだよ」
「・・・言っておくけど、セイの方だよ。桜井先輩」
「・・・」
「やっとセイの気持ちがわかったよ。愛してるって、切ないね」
赤信号で止まって、三谷はパンッとハンドルを掌で叩いた。
「切なくてずるい。そして、怖いよ。まあ、俺は、自分にも言えるんだけどな」
「なにが言いてーんだよ」
「美貴のマンションに着けば、全部わかると思いますよ」
青信号で発進して、すぐに三谷は左折してスピードを落とした。
前方に中々立派なマンションが建っている。三谷は地下に車をおさめた。
なつきは、歩いていく三谷の後ろを、黙ってついていった。
エレベーターに乗っている間もずっと沈黙だった。
降りる時、微かに三谷が舌打ちした。
その音に、なつきはハッと三谷を見上げた。三谷と目が合う。
「修羅場は覚悟してる?」
「なんだって!?」
「桜井さんが知りたいと思った別れの意味は、このドアの向こうにある。それでも、桜井さんは知りたい?梶本は来るなって言ったろ。アイツならばそう言う筈だ」
三谷は梶本と同じことを言った。
一体、この2人は、なにを言おうとしているのか。じれったく、もどかしい。
「ここまで来て、今更退けるか。吉川に会わせろ」
なつきは、三谷を睨んで、きっぱりと言った。
「わかったよ」
ジャラッとキーケースから鍵を取り出し、三谷はドアを開けた。
玄関に入ると、フワリと気持ちのいい空気が頬に触れた。空調の効き具合が絶妙だ。
なつきは、こわばっていた体の力が抜ける気がした。
「連れてきたぜ」
三谷が、廊下の突き当たりの、居間であろう部屋に向かって大声で言った。
しばらくして、すりガラスのドアがスッと開いた。
「ご苦労さん。こっちは準備オッケーだよ」
見知らぬ男が2人。なつきは、目を細めた。
「吉川は?」
「梶本の家だよ」
三谷の顔は泣きそうだった。
「吉川は梶本の家?」
呟いて、なつきはギョッとした。
「桜井さん。美貴はね。梶本を脅したんだ。アイツを手に入れる為にね。アイツの一番の弱点を梶本につきつけたんだ。あいつの弱点。それはなんだ?アナタだよ。
レイプされて接触恐怖症になるほどの桜井さんを、再び同じ状況に落してやったらどうなると思う?って。美貴は調べたんだ。執拗にね。梶本とその恋人のアナタ
の過去を。そんなことを言われて、梶本の立場だったらどうする?注意してくれ。まずはそう言うだろう。けど、梶本は言えなかった。たぶんアナタの性格だったら、忠告
は無駄になるだろうってね。だから、梶本は真実を言えないまま、別れたんだ。でも、結局、その努力も無駄になったよね。当たり前だよ。好きな人のこと、そう簡単に
忘れられる筈がない。その答えを梶本は一番良くわかっていた筈なのに。アイツはアナタを守るために、そんな簡単なことすら読み間違えたんだ。それが答えだよ」
なつきは、三谷の言葉を聞き終えた途端、バッと反転して、ドアノブに手をかけた。
「逃がさない。だって、これは、俺にとっても愛する人からの頼みなんだ。俺は、美貴の言うことには逆らえない。それによって、どれだけアナタを傷つけて、自分を傷つけても。
美貴を悲しませるヤツは許さない。梶本にもちゃんと言っておいたのに」
なつきの手に、三谷の手が重なった。
「離せっ、三谷」
なつきはグッと口を押さえた。
「いいよ。吐きなよ。好きなだけ吐いちまえ。なにも出なくなるまで吐いちゃえよ」
言いながら、三谷はなつきの腕を掴んだまま、バスルームに引っ張っていく。
「やめろ。うっ」
ザッと手際よく、シャワーを出して、三谷はタイルに転がした。なつきは、シャワーヘッドを掴んで、排水溝のところにもどした。
「スカトロプレイかな!?ゲロダイスキな男がいるんだよ。やつに可愛がってもらえよ。ヤンちゃん、入ってこいよ」
「おう」
バスルームのドアが開いた。三谷が、ヤンちゃんと呼んだ男が、嬉しそうな笑みを浮かべて入ってきた。
三谷は吐いているなつきを指差して、説明した。
「この人、病気なんだ。ヤッてる最中にゲロ吐きまくるだろうけど、オッケーだよな」
「別に全然問題ねえよ。こんだけ綺麗な顔してたら、逆に萌える」
なつきは、口元を押さえたまま、三谷ともう一人の男をのろのろと見上げた。
「吐くモンなくなったら、綺麗にして寝室連れてきてよ。あとは、俺と、島田が仕上げるから」
「オッケー」
三谷は、恐怖の顔色を浮かべているなつきを見下ろして、逆に引き攣るかのような笑みを浮かべた。
「言っておくけど、これは俺とセイの共通の友達だよ。俺らのゲイ仲間。まあ、趣味は色々だよな。がんばってね、桜井さん」
「狂人!」
なつきは叫んだ。
「吉川の為に、こんな卑怯なことしやがって。てめえは頭がどうかしてるぜ」
「どうかしてるよ。でも、人、好きになるってこーゆーことでしょ。美貴も梶本も。そして、あなたも。みな狂っちまうんだよ。・・・ああ、ひとつね。どうせヤられるならば、
後腐れねえように楽しめるように教えておいてやるよ。みちるのことは気にしないでいい。あの女は、俺らの手駒だよ。あなたと梶本の監視役なんだ。だってさ。
都合よく現われすぎでしょ。みちるは、桜井さんのこと、すごく気に入っていたけどさ。でも、あの子が本当に好きなのは、俺なんだ。わかるでしょ。俺達、本当に
狂ってるよね」
なつきは、既に言葉もなかった。
頭が朦朧としている。
「三谷、そろそろイイ?股間、限界なんだけど」
ヤンが、ジロジロとなつきを見ては、舌で唇を舐めた。
「ああ。どうぞ」
「楽しもうね、なつきちゃん」
男の顔が、自分のすぐ傍に近づいて、なつきは全身を震わせた。
「近づくな。俺に近づくな!」
なつきの絶叫が、バスルームに響いた。


梶本は、呆然と天井を眺めていた。
吉川が考えを改めてくれるならば・・・と、望まれるままに体を重ねた。
かつてない程の激しい情事になってしまって、ついさっき目を覚ました。
家の電話が一瞬鳴って、すぐに切れてしまったからだった。その音のせいで目を覚ました。
「今、何時?」
自分の背にピトッとくっついたままの吉川に、梶本は訊いた。
「・・・お昼だよ。お腹すいた?そりゃ、あれだけ頑張ればね」
笑う吉川の体の振動が、背中を伝わってくる。梶本は溜め息をついた。
「許してくれる?」
「なにを」
「昨日のことだよ。俺、もう二度とあん人と接触しねえから」
「それはいい心がけだよね。桜井は、もうちゃんと彼女いるんだからさ」
カシッと、吉川は梶本の肩に歯を立てた。
「好きになったって無駄なのに。おまえならばわかるだろう」
梶本は肩の痛みに顔を顰めながらうなづいた。
「そうだよ。無駄なのはわかっていた。けど・・・。好きな気持ちは中々昇華出来ない。でも。俺はアンタを愛そうとは思っていた。駆け引きばっかりしてるより、
そっちのが楽じゃないか。アンタは桜井さんと同じタイプだし、正直嫌いなタイプじゃない。その過激な性格をぬかせばね。けど。三谷に忠告されて。アイツの
真剣な目をみていたら自信がなくなった。アイツはアンタを本気で愛してる。その気持ちに負けないほど、俺はアンタを愛せてないから」
「それで別れた男にグラついたの?」
「グラついたというか。迷っているところを看破された。あの人にしては、鋭かった。そんでもって、まだ愛されていることがわかったから、どうしようもなくなった」
フンッと吉川は鼻を鳴らした。
「どっちつかずのサイテー男。こんなに俺がおまえを愛してるのに」
吉川の言葉に、梶本は目を見開いた。
吉川の言葉は、そのまま桜井の言葉になるだろう。
梶本は、反射的にバッと吉川の腕を振り払って、上半身を起こした。そして、寝転がる吉川を見下ろした。
「じゃあ!じゃあ、俺だってどうすればよかったんだッ。勝手に愛されて。あんた、愛された方の立場も考えたことがあんのかよ。確かに俺は桜井さんを守る為に、
アンタとつきあった。けどな。何度もいうように、その為に桜井さんは新しい道歩いている。想って、想い続ければどうにかなるもんでもなかった。俺のところには
もう戻ってこないんだ。俺にはなにも残らない。いや、残るといえば、アンタだけだ。勝手に愛されたけど、愛してくれてる。その気持ちに、俺は応えようとしていた。
半年以上つきあって、俺が演技だけしてると思っていたのかよっ。俺だって・・・。俺だって、一人の人間だ。てめえらの目にどう映ってるか知んねーけど、俺だって
一人の人間だ。愛したい。愛されたら愛したい。愛で幸せになりたかったんだよ。それにな。愛し合ってる俺達を引き裂いたのはおまえだろ!?ゴチャゴチャすん
のは当然じゃねえか。なんで待てねえんだよ。時間をくれよ。俺だって、幸せになりてーんだから!」
梶本の目から涙が零れた。
傷つけた。まずなつきを。そして、次に吉川を。でも、どうすれば良かったのか。
梶本セイとして、無理矢理別れたなつきのことを心に抱いたまま、吉川と欺瞞のつきあいを続けて、やがて別れていけばよかったのか!?
傍にある愛を無視して、ずっと、ずっと。
出来ない。人を愛して得ることの快感を知っているから。
俺だって、幸せになりたかった。愛されたならば、愛していきたかった。それがどんなにぎこちなくっても。不実だといわれようと。
でも、結局。それは、俺のわがままでしかなかったのか。
桜井と、そして、吉川を傷つけ。吉川を傷つけたことによって、三谷をも傷つけた。
「頼むよ。アンタを愛したいと思ってるんだ。傷つけたのは謝るよ。ごめんな。忘れる努力をするから、桜井さんを傷つけねえでくれよ。お願いだ」
吉川は、掌で両目を覆った。
「俺は不安だった。いつも、不安だった。おまえの心が段々ほぐれていってるのを知りながら。それでも、どうしても不安だった。結局、自業自得だよな。
脅して手に入れた相手を本気にさせるなんてさ」
押さえきれない涙が、吉川の頬を伝っていった。
「愛してるんだ。もうどうしようもないくらい。時間すら待てないぐらいに。梶本、ごめん。俺は、桜井を傷つけてしまったよ」
「!」
梶本は目を見開いた。思わず喉が鳴ってしまった。
「吉川さん。アンタ、桜井さんになにをしやがった」
梶本の激昂と裏腹に、吉川は冷静な声で答えた。
「さっき。電話が鳴ったろ。一回。幸彦からの合図だ。桜井は、たぶんここに来たんだろう。この部屋に辿りつく前に、幸彦に桜井を拉致らせるように言っておいたんだ。
電話の合図は、作戦完了の合図さ。今頃は俺のマンションで、桜井はレイプされてるよ」
「吉川さん・・・」
梶本は、血の色がひいていくのがわかった。
「めちゃくちゃに壊してしまいたかった。おまえが、桜井のことを考えるより前に、桜井を。アイツを、おまえから離してしまいたかったんだ」
「バカヤロウ!」
バッと梶本はベッドを降りると、服を纏った。
「バカヤロウ。なんてことしやがったんだ。なんで、なんでこんなことになるんだっ。俺が悪いのか。俺が悪いんだ。ちきしょうっ」
「梶本っ。ごめん。ごめんよぉ」
吉川の泣きながら叫んでいる声を背に受けとめながら、梶本は部屋を飛び出した。

やっぱり、俺は、誰も幸せに出来ない。
俺なんか。松木先輩が死んだ時に、一緒に死んでしまえばよかったんだ。
吉川のマンションを目指し、走りながら梶本は心の中で思った。
涙が溢れて、もう止まらなかった。
桜井さんが死んでしまう。あの人の心が死んでしまう。

なんで出会ってしまったのだろう。
あの夕日の水飲み場に戻りたい。あの瞬間に戻りたい。

知っていて、投げた。興味本位で、投げた。恋の視線を。
落ちやがれ、と投げた。咄嗟に。一瞬に。
互いに本気になるなんて想像もしなかったあの遠い日。
帰りたい、戻りたい。お願いだ。誰か、すべてを元に戻してくれ!
俺が、悪かった・・・。なにもかも、俺が・・・。


続く

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