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うー。気が重い・・・。
のろのろと布団から這い出た町田は、ブルブルと頭を振っては、けたたましく鳴り響いている時計を殴りつけて即死させた。
「はああ。なんだかバイト行く気にもなんねえぜ・・・」
あふっとあくびをしながら台所に向かい、歯を磨いていると電話が鳴った。
「ふぁい」
口の中を泡だらけにしながら応答すると、受話器の向こうでは、「町田先輩・・・」と可憐な声が聞こえた。
「みっ。緑川!?」
ブハアッと口から泡を吹き出しながら、町田は受話器に縋りついた。
「今日。バスケ部練習があるんです。先輩、来ていただけませんか?お兄ちゃん、昨日からすっかり消沈してしまっていて・・・。たぶん、町田先輩に会えば元気になれると思うんです」
葉子の言葉に、町田は「な、なんでだよ」と、慌てて聞き返した。
「お兄ちゃん。昨日・・・お父さんの言いつけでお見合いしたんです。けどね。けど・・・。お兄ちゃん、きっぱり父に言ったんです。好きな人がいるって。とにかく好きな人がいるって。今はソイツ以外は誰のことも考えられないって・・・。あの兄が、本当にハッキリと。父は・・・。なんだか心ここにあらずって感じでまるっきり聞いちゃいませんでしたが・・・。まあ、そのせいでお見合いもろくに進まなかったんでそれは助かったんですけど。私、それを聞いてなんだか、もう。心が軽くなったっていうか。あんな真剣なお兄ちゃん見たことなくって。本気で。本気で町田先輩のことが好きなんだな・・・って。そう思ったら、なんか一気に楽になっちゃって。どうせ、私の想いなんて成就することなかったし、ヘタな女にお兄ちゃん取られるならば、町田先輩のがいいかなって。だから、今日バスケ部の応援に来てください。お兄ちゃんもきっと喜ぶと思うんです。よろしくお願いします。じゃ」
と、ベラベラと喋っては、葉子は勝手に電話を切ってしまった。
「こ、来いって。おりゃ、いったいどんな顔してアイツに会えば・・・」
ガッチャンと受話器を放り投げて、町田は頭を掻き毟った。
「困るあいつをおいて、逃げたんだぞ、俺はーーーっ」
だが、確かに。このまま時間をおけば、会いにくくなるのは確かだ。今日、会っておいた方がいいかもしれないと町田は思った。もし緑川が「なにしにきやがった!」と言っても、葉子に頼まれたから・・・と、今なら立派な理由になる。・・・それに俺が会いに行けば、あいつも喜ぶ。と、葉子は言った。
「ふふっ。可愛いとこあるよな・・・」
単純な町田はすぐに喜び、バシャッと顔を洗った。タオルで顔を拭いながら、「よし。行ってやるか」と、偉そうに呟き、いそいそと学ランに着替えた。家の鍵を閉めながら、町田は一瞬ハッとした。そういえば・・・。葉子の声を聞いても、あんまり胸が痛まなくなったな・・・。失恋して間もないのに、なんだか色々あったせいか、不思議と胸の痛みが軽くなった気がした。そりゃ少しは動揺すっけどさ・・・と、町田は自分の気持ちの切り替えの早さに、さすがに我ながらちびっと呆れるかも・・・と思った。


夏休みの学校といえど、クラブ活動の盛んな暁学園だ。静かな筈もない。ざわめきの校舎を後にし、町田は体育館に向かっていた。
「うぃーっす」
ガラッ!と、体育館の扉を開けながら、大声で叫んだ。応援団で鍛え上げられた町田の美声は、体育館中に響き渡った。
「町田っス。緑川いま」
・・・と言いかけた途端に、ボコバコーッと飛んできた茶色いボールに顔面を連打され、町田は体育館外にすっ飛んだ。プッと、空中に鼻血が散った。
倒れた町田の体の上に、それでも容赦なく茶色いボールの雨が降り注いだ。
「いてっ、いてっ、いてっ」
ボールが町田の体にぶつかる度に、町田の体が跳ね上がる。まるで、砂浜に打ち上げられた瀕死の魚のようだった。
「オイ。晴海ちゃーん。もういいだろ」
「緑川先輩、落ち着いてっ」
「離せっ、小野田兄弟っ」
小野田玲・光の兄弟に羽交い絞めにされながらも、緑川はジタバタと暴れた。町田にボールを投げつけた犯人は、もちろん緑川晴海その人である。
「町田。大丈夫か?」
小野田玲は、緑川を抑えながら、ヒョイッと、地面に仰向けで倒れている町田を見下ろした。
「だっ、大丈夫な筈あるか」
ヨレヨレ〜と上半身を起こした町田を見て、弟の光が叫んだ。
「せ、先輩ー。流血してます〜」
ボタボタと町田の鼻血が、地面に落ちた。光は、ササッと町田に駆け寄り、町田の鼻をハンカチで押さえてやった。
「よけーなことすんな、光。ソイツは自業自得なんだから」
フンッと緑川が鼻を鳴らした。
「お兄ちゃん。なんてことすんのよ。せっかく町田先輩が来てくれたのに」
葉子も、慌ててこちらに駆け寄ってきていた。葉子を追いかけるようにして、バスケ部員達が練習の手を止めて、扉の付近に集まってきた。
「なんだなんだ」
「緑川と町田の痴話喧嘩らしい」
「おお。そういえば、ニューホモップル誕生って新聞にあったっけ」
「生でみると、さすがにホモの喧嘩は違うな。迫力ありすぎ」
「流血だぞ、流血」
ざわざわと外野がうるさい。
「頭来た。なんで、俺がこんな目に・・・」
町田は俯いたまま、ブルブルと体を震わせた。
「バイト休んでまで、てめえの様子を見に来たっつーのに、この仕打ちはなんだっ」
「頼んでねーよ、俺は」
ベーッと緑川が舌を出した。そんな緑川の態度に、オオオッと野次馬バスケ部員達のどよめきがあがった。
「み、見たか。緑川があのような人間らしいしぐさを」
「というか、なんか可愛く見えてしまった俺は、おかしいのか?」
「お、恐ろしい・・・。いつもなにに関しても無関心・無表情な、あの緑川が」
「し、信じられん」
バスケ部員達のざわめきが、いっそう大きくなった。
「ああ、そうかよ。そーゆー態度か。んとにてめえはなんって、可愛くねえ」
言いながら、町田はいきなりガバーッと傍にいた光を抱きしめた。
「え?」
光はキョトンとし、緑川は目を見開いた。
「おい、デカブツ!俺はな。本来は、てめえみてーなデカイのはまったく好みじゃねえんだよ。俺の好みはな。こういう小柄で可愛コちゃん系なんだよ。なあ、小野田弟」
「と申されましても・・・」
町田の腕の中で、光はジタッとバタッとしたものの、まったくビクともしない町田の力強さに、諦めておとなしく俯いた。
「ばっからしい。てめえの面なんざ見に来て損した。小野田弟。今から俺とデートだ。こんなデカくて可愛くねえヤツなんかもう知るか。行くぞ」
強引な町田に、光はギョギョッと目を見開いた。
「ええ?デートって。そんなあ。俺は、今日はバスケ部を見学に・・・。玲兄〜!」
嘆く光を無視して、町田はスクッと立ち上がった。つられて光も立ち上がった。
「させるか」
ドカッ!
玲の回し蹴りが、町田に決まった。
「ぎょっ」
蹴りが決まった瞬間、町田はパッと光から手を離した。光は、慌てて町田の腕から逃げ出して、玲の元へと駆け寄った。
「俺の大事な弟、デートに誘うなんて100年早いっ。つーか、てめえら。痴話喧嘩なら、よそ行ってやってこいっ」
言いながら、玲は隣にいた緑川も脚で蹴飛ばした。
「緑川も今日は早退。呑気にバスケなんざやってねえで、彼氏のご機嫌とりやがれっ。仲直りするまで、部活に顔出すな。アホタレッ」
玲は、光の肩をギュウッと抱き寄せると、そのまますごい勢いで、「ビシャーンッ」とドアを閉めてしまった。
「な、なんだよ。なんなんだ?小野田先輩・・・。すげえおっかねえ・・・」
町田は、玲の蹴りを受けたショックで、再び地面に転がっていた。緑川は、前髪をかきあげながら、「知るかよ・・・」と思いっきり不貞腐れた声で呟いた。


結局。部活を追い出された緑川は、帰宅を余儀なくされた。制服に着替え、校門を出ようとしたら町田がいた。町田は、緑川を待っていたのだ。
「べっ。別に。おまえを待っていたんじゃねえぜ」
それなのに、口はまるで逆のことを当然のように言う。
「・・・」
無視っ!と、緑川はスッと町田の横を通り過ぎた。
「昨日のことは悪かったよ。謝る。俺は不誠実過ぎた。っていうか・・・。あのさ。なんつーか。いまだに俺はよく状況を把握してなくってよ。おまえに対して、俺の気持ちっつーか・・・」
先をさっさと行く緑川の背に向かって、町田は一生懸命、今の自分の気持ちを伝えようとした。だが、伝えたくても、心の中で整理できてないものをうまく説明出来るはずはない。あーだこーだと言ってるうちに、緑川がガアッと牙をむいた。
「ごちゃごちゃやかましいんだよ。言いたいこと、全然わかんえねよ、てめえのっ」
クリッと振り返り、緑川は片眉をつりあげて町田を見た。
「うん。実のところ、俺もなに言いたいか自分でわからん」
コクコクと町田はうなづいた。
「だったら、なにをうだうだ後ろで言ってやがる。わかってから説明しに来い」
「いや、その。わかりたいようなわかりたくないような・・。俺は複雑で。っていうか、ここまで俺が言いにくいこと察しろよ、てめえ」
言ってるそばから、あんまりな緑川の可愛げのない態度に、町田はムーッとした。
「察する?なにを察するってんだ。わかりたいような、わかりたくないような?んな言葉でなにを察しろってんだ、サル。人間の言葉喋りやがれ」
と、緑川は口が減らない。町田は、クッと頬を引き攣らせた。
「ううう。んとに、てめえは口の減らねえ・・・。だー。頭来んなっ。せっかくてめえを待ってたのに、損した、損した」
ドカッと、町田は近くの電柱を脚で蹴飛ばした。
「さっき待ってねえって言ったろ」
緑川は、ツンッと顔を逸らして、町田を追い越していく。
「待ってたんだよ。悪いかっ!」
町田は、その言葉にピクッと反応して、そそくさと緑川を追いかけた。
「・・・だったら、素直にそういえばいいだろ。ったく、可愛げのねえ」
「可愛げねえだと?てめえにだけは言われたくねえよ」
校門を出て、大男二人なんとなく肩を並べて、ギャイギャイと言い争いながらドカドカと道を歩いていく。当然ながら、すれ違う人々は、その迫力に何度も二人を振り返っていく。
「とにかく!て、てめえ。見合いはどうしたんだよ」
「知るかよ。親父のアホは、なんだか部屋入ってくるなり興奮していて見合いもクソもあったもんじゃねえ。連れてきたごれーじょーだかおれーじょーだか知んねえけど、ソイツは呆れてとっと帰っちまったよ」
「おれーじょー?」
はて?と町田は首を傾げたが、深くは考えないことにした。しょせん緑川はバカなのだから、と思って・・・。
「まあ、よーするに破談ってヤツだな。そ、そりゃ良かった」
「なにが良かったんだよ。別になんも良くねえぜ。いざとなったら、てめえはすっげえ頼りにならんことがあれで証明されたからな。俺は、おまえに自分の将来を預けるのが不安になってきた」
「預けるな!かっ、勝手に預けられても・・・困るっつーの。いままさに、それについて俺は混乱しているんだろうが。一人で勝手に色々決めるな。俺の意思はどうなる!」
「おまえの意思なんか知るか」
「・・・」
もはや言い返す気力がない。町田は立ち止まった。なにをどう緑川に言えばいいのだろう。
「おまえさ。なあ、緑川」
「なんだよ」
「俺のことが好きか?」
「・・・?」
「俺のことが好きならば、少しは」
と言いかけたところに、緑川がヒョイッと町田を押しのけた。
「ディアブロ・・・」
緑川は呟いた。緑川の呟きどおり、すぐ脇の道路に、ディアブロが滑り込んできた。
「久人」
車の中から町田を呼ぶ声。
「このデーハーな車は・・・。シーマ」
「バカか。てめえ。シーマじゃねえよ。ディアブロだよ、これは」
緑川の目が輝いている。思いのほか、車好きらしい。
「・・・ちゃうって。転がしてるヤツだ」
「よお。志摩怜治参上」
運転席から身を乗り出し、サングラスの男が町田に向かって手を振った。
「シーマ。なにしにきやがった」
「なにしにきやがったって。おまえを迎えに・・・!」
と、志摩は町田に言いながら、脇に立つ緑川に目をやった。
「・・・驚いたな。ソイツは緑川じゃねえのか?」
「え?」
町田はギクッとした。と、ディアブロは、僅かに二人を追い越し、キッと停まった。バンッとドアが開き、運転席から志摩が飛び出してきた。
「シーマ。どうした!?」
町田は、志摩を見上げた。
「どけ、久人」
「なんだよ。どうしたんだよ」
緑川は、自分に向かってくるサングラスの大男をキョトンと見上げていた。志摩は、町田を押しのけると、緑川のすぐ目の前に立った。
「てめえ。緑川か?」
「そうだけど」
「おまえは緑川歩を知ってるか?」
「オヤジ」
「!」
その言葉を聞いた途端、志摩は、ガッと手を振り上げた。
「シーマ!てめ、なにしやがる」
町田が叫んだ。いきなり殴られて、その勢いで緑川は電柱に激突した。
「久人。てめえ!なんでこんなのとつるんでやがる」
「・・・るせっ。緑川。大丈夫か?」
町田は緑川の傍に駆け寄った。
「っつ・・・。なんだよ、このおっさん・・・。いてえ・・・」
緑川は右腕をおさえて呻いた。腕からは血が流れていた。
「シーマ。おまえ、マジなにしやがる。なんで緑川を殴るんだよ」
「なんでじゃねえだろうが!コイツは、俺にとっては敵だ。緑川歩の。緑川の身内じゃねえか。久人。おまえだって知ってるだろう。睦美が、今現在誰と戦っているかを。アイツはコイツのオヤジと戦っているんだぞ」
その言葉に、町田はハッとして、目を伏せた。
「・・・知ってるよ。聞いたよ・・・。けど・・・。まさかコイツがマジで緑川の息子だって知らなかったし・・・。いや。知りたくなかったっつー気持ちもあって。ってゆーか・・・」
もごもごと言っていた町田だが、突如顔をあげて、志摩を睨んだ。
「てめえらの時代は終わったんだよ!あの時に。あの夜に。全てを終えてきたんだ、俺はっ。今更、もう何年も前のことなんかでゴタゴタしたくねえっ。いい加減にしやがれ!」
「おにーちゃん。大丈夫?」
町田の言葉の後に、小さな子供の声がした。ディアブロの助手席から降りてきた子供だ。
「優莉・・・。ゆーり!」
町田は声をあげた。
「おまえ。来てたのか」
「うん。ひーちゃん、こんちは。でもあとでね。このおにーちゃん、血出てるよ」
子供は、自分の持っていたカバンからハンカチを取り出した。
「はい」
「あ、ありがと」
緑川は少年からハンカチを受け取り、擦った腕を押さえた。
「れーちゃん。どーして、喧嘩するの?僕見てたよ。なにもしない人に手をあげちゃダメだよ」
優莉は志摩を見上げて、怒っている。
「優莉」
「ママに言いつけるよ、僕」
「・・・」
志摩は、チッと舌打ちした。
「忘れられたと・・・思っていたのに・・・」
志摩はキッと町田を睨んだ。
「おまえとソイツ・・・。かつての城田と緑川とそっくりだ。二人でそうやって並んで立っているとな。ここに・・・。連と流がいたならば、そっくり10年以上も昔に戻ったようだぜ・・・」
やりきれねえぜ・・・とばかりに志摩は吐き捨てるように呟いた。
「勝手に昔をしのいでな。10年前にアンタと一緒に存在したやつらは、もう今は誰もいねえよ。城田の兄貴も連橋の兄貴だって、流だって緑川の父親だってな。あの頃のままのやつらなんて、誰一人いねえんだよ。時間が経ったんだ。あんただって、そうだろう!」
町田の言葉に、志摩はピクッと肩を震わせた。
「・・・悪かったな。緑川。だが、恨むならばてめえのとーちゃん恨みな」
言葉では謝っているものの、かなり不遜な志摩の態度に緑川はムッとした。
「うるせえよ。暴力ヤロウ」
と、志摩はニヤッと笑って、しおらしく頭を下げた。
「マジで、すまなかった。・・・ま、そういうことで許せ。ところで久人。頼みがある」
緑川から視線を町田に移し、志摩が言う。
「ああ?いきなりコロッと変わりやがって。相変わらずだな、シーマ」
「それが俺の取りえさ。んでな。優莉をちょい頼むぜ。俺は仕事で今日は出張なんだ」
「そ。もちろん、頼まれてやるぜ。優莉、ひーちゃんと今日は遊ぶぞ」
町田は優莉を手招いた。
「うんっ」
駆け出そうとした優莉をとっつかまえて、志摩は優莉に頬ずりした。
「ああ。俺はおまえとずっと一緒にいたい。けどな。けどな。ごめんな、優莉」
「いいよ。また今度ね。れーちゃん」
「優莉ィっ」
ガバッと道端で熱い?抱擁を交わしている二人を、町田が割いた。
「暑苦しいことしてんな。叔父バカめっ。ディアブロさっさと道路から退けろ!とっとといっちまえ」
志摩を蹴飛ばし、ガバアッと志摩から優莉を奪い返し、町田は優莉を抱きしめた。
「優莉は今日はひーちゃんと遊ぶんだよなあ。ゆーりぃ〜」
今度は町田が優莉に頬ずりしている。おまえらどっちもどっちだろーがと思った緑川は、すでに白けきっていた。
「帰ろっと」
ケッと緑川は踵を返した。
「俺も」
と、志摩はすごすごとディアブロに戻っていく。
「おにーちゃん」
と呼ばれて緑川は「俺?」と、振り返った。
「ひーちゃんと一緒だったんでしょ。邪魔してごめんね。よければ、一緒に遊ぼうよ」
「え」
子供に誘われて、緑川は一瞬躊躇した。
「そ、そうだな。てめえも来いよ。まあ、話まだ終わってねえし」
町田がモゴッと言った。話は終わってないが、終わる話でもない。だが。このまま、緑川と別れるのは、なんとなく納得のいかない町田であった。
「一緒に遊ぼうよ」
ニコッと子供に微笑まれ、緑川は頭を掻いた。部活も追い出されたし、やることねえし。それに、町田と居られるし・・・。
「ああ」
緑川は素直にうなづいた。


優莉という子供は、先ほどのディアブロ暴力男の甥っ子だそうだ。ちなみにディアブロ暴力男は、町田の幼い頃からの知り合いだという。「おまえの父ちゃんも、アイツのことは知ってる」と言われたが、父親の知り合いならばどーせろくでもねー男だろうと思い緑川はそれ以上は特に気にしなかった。
「遊園地行きたい!」
優莉が行きたいと言ったので遊園地。学ラン大男二人をボディガード?にし、優莉は東京の遊園地を満喫していた。
「俺、疲れた」
一番初めにへばった緑川がベンチにヨロリと腰掛けた。既に上着を脱ぎ、緑川はタンクトップ1枚の姿だった。
「情けねえな。ったく。あいかーらず人ごみに弱いやつだ。こんなヤツは放っておいて、ゆーり。今度は観覧車行こう」
「うん。じゃあ、はるみにーちゃんはここで待っててね」
優莉と町田は異常に元気だ。このクソ暑いっつーに・・・と思いながらも、緑川はうなづいた。元気に駆け出していく二人の背中を見つめながら、緑川はゆっくりと目を閉じた。
『晴海。晴海。今度はあれに乗ろうか』
『やだ。怖いよ』
『なにびびってる。男のくせに。俺がついてるだろ。怖かったらしがみついてていいから。ほら、行くぜ』
父親代わりに遊んでくれた男。金髪で背の高い・・・。町田によく似た、優しい声の男。あの男に連れてこられた遊園地の記憶が、緑川の幼い頃のたった一度の遊園地に来たという記憶だった。懐かしく、だが、とても大事な思い出だった。


「ん?」
いつのまにか、このくそ暑い日の下の中、緑川は眠ってしまったらしい。膝の重みに目を開けた。
「えへへ」
チョコンと優莉が、緑川の膝の上に乗ってアイスを食べていた。
「どーした。もう戻ってきたのか?」
「もうって。結構時間経ってるよ。はるみにーちゃん、食べる?」
と優莉がアイスを差し出す。
「いらねえ。あんがと」
「喉渇いてるでしょ。暑いから」
「そ、だな」
確かに喉が渇いてる。緑川はじっとりと汗の浮かんだ自分の額を掌で撫でた。
「あのアホは?」
「なんかね。友達に偶然会ったらしくて、話してる。ベンチで待ってろって言ってた」
あのアホ=町田で通じるらしい。優莉はスラスラと言った。
「ふーん」
優莉は美味しそうにアイスを食べている。人見知りしない可愛い子だった。自分の身近に子供はいないから比べることは出来ないにしても、いずれにしても相当可愛い顔立ちをしているな、と緑川は優莉を見てはそう思った。うっかりすれば女の子に見えないこともない。大きな茶色の瞳。通った鼻筋。
「なあに?」
緑川の遠慮のない視線に気づいて、優莉は首を傾げた。
「なんでもねえよ。それよか、喉渇いたな」
「ジュース買いに行こうか。きっとひーちゃんまだ来ないから」
「そか。んじゃ買いに行くか」
「うん」
緑川は優莉の手を引き、ベンチを離れた。


輪投げ。ジュースを買って、ベンチに戻る途中。輪投げコーナーで、優莉は立ち止まってしまった。欲しい賞品があるらしい。その姿に気づいた緑川は、優莉に「やるか?」と声をかけた。優莉は嬉しそうに何度もうなづいた。緑川は無造作に財布から1万円を取り出すと、係の男に押しつけた。「こ、こんなにいりません〜」と係の男は慌てふためいたが、とりあえずそれを無視して、緑川は優莉に「好きなだけやれ」と言った。優莉は台の上に立ち、目を輝かせて輪っかを手にした。
「うめーな」
思わず緑川は呟いた。優莉は、ヒョイーッと一発で賞品をゲットしていた。
「でもね。狙ったのはあれじゃないんだ。もう一回やっていい?」
「何度でもやれよ。金は払ってあるから」
「ありがとう。はるみにーちゃん」
楽しそうな優莉の姿に、緑川は思わず微笑んでいた。これぐれえのことで、ガキって楽しいんだな・・・と思うと可愛かった。それにしても、優莉はすごい。何回かはずすが、確実に賞品をゲットしていく。だが、狙ったものではないらしい。かなり大物を狙っているようだった。
「すげー」
優莉の横で、同じ歳ぐらいの男の子が見学していたのだが、興奮して叫んでいる。
「すごいね。すごいよー。ねえ、どうやるの?」
男の子は、優莉の服の裾をクイクイと引っ張りながら、真剣な顔で聞いている。
「適当だよ。それに結構失敗してるもん」
優莉が答える。
「でも、すごいよ。僕もあそこにあるぬいぐるみ欲しいんだぁ」
と言いながら、その子もチャレンジするのだが、まったくのへたれでかすりもしない。
「どうしてなの?どうして僕は駄目なの」
男の子は涙目になってしまった。
「なんか仕掛けがあるんでしょ。この子ばっかりずるいよ」
男の子は、係の男に詰め寄っては文句を言っていた。
「仕掛けなんかないよ」
係の男も困っている。
「あのね。ぼくね。お守り持ってるのー。このお守りにお願いすると、うまくいくんだよ」
えへへへと優莉は、カバンの中からお守りを取り出した。
「そうなんだ!それのせいで、うまくいってたんだ!」
すると、男の子はパッとお守りを優莉の手から奪った。
「あ。やだ。返してよ」
「いやだ。僕もこのお守りに、ぴかちゅうのぬいぐるみ欲しいってお願いするもん」
「だめ。それは優莉のだよ。返してよ」
「いやだ」
子供同士の争い。優莉は台を飛び降りて、男の子に向かって突進していった。
「優莉、オイ」
柱にもたれて、見学していた緑川は上半身を浮かせて、優莉の姿を目で追った。
「返してよ」
「いやだ。ちょっと貸してくれたっていいじゃない、ケチ」
「いや。絶対いや。返してよ」
男の子は、優莉の迫力にたじろいで、輪投げのコーナーを背にして走り出した。優莉は追いかけた。
「待って。返してっ」
「こら、優莉。待て」
緑川は慌てて二人を追いかけた。もちろん子供の足だ。追いつかない筈はなかったが、緑川が二人に追いついた時点では、既に小さな乱闘が起こっていた。子供達はその場でポコポコと殴りあっていた。明らかに優莉のが強い。が。男の子も強情で、ポコポコと殴られながらも、お守りだけは手から離さない。
「返してよお」
優莉はとうとう涙声になった。
「いいかげんにやめろ」
子供の間に緑川が割ってはいると、男の子は脱兎のごとく再び逃げ出した。
「いやだ。返してっ」
優莉が後を追う。そして。人ごみの中、男の子は自分の父親らしき男を見つけて、「パパ」と飛びついた。
「パパ。あの子が僕を虐めるんだっ」
エッエッと男の子は泣いて父親に訴えた。
「こら。翔太。おまえどこ行っていた。探していたんだぞ。って。今なんて言った?」
振り返った、男。剥きだしの逞しい両腕にはタトゥ。プロレスラーのような立派な体格をした男は、ギロリと、追いかけてきた優莉と緑川を睨んだ。
「虐められただと?」
「その子が僕のお守りを盗ったんだ。返してよ!」
プロレスラーのような男の迫力にも、まったくたじろぐことなく、優莉は毅然と言った。
「んだと?翔太がおまえのモノを盗っただと!?」
男の物騒な声を聞き、緑川は慌てて優莉を背に庇った。
「その子が、コイツのお守り持ってるんだ。返してくれ」
「うちの子が人のものを盗る訳ねえだろ。ふざけんな」
ズイッと男が、緑川の目の前に進み出た。
「それより。うちの翔太殴られたみてえじゃねえか。顔が赤くなってやがる。てめえらか?」
「だったら、どうした。おまえの家のガキが悪いんだよ。返せよ、お守り」
緑川も気だけは強いので、明らかなる胡散臭そうな男を前にしても、退くことはない。
「ふざけんな!」
ガアッと男は、声で牙を剥いた。
「てめえ、ちょっとこっち来い。翔太。おまえは母ちゃんのところに行ってな」
バッと緑川の襟元を掴むと、男は緑川を遊園地の脇道に連れ込んだ。緑川はズルズルと男に引っ張られていく。優莉が必死に二人の後を追いかけてきた。
「いい度胸してんじゃねえか。え?学生さんよ。ったく。生意気なその態度、ちょい改めさせてやるぜ。大人への口の利き方っつーもんがあんだよ」
バキバキと男は指を鳴らした。
「っせえな。その前にちっとは人の話聞けよ。とにかく」
と緑川が言った瞬間、男の拳が緑川の頬に炸裂した。
「はるみにーちゃん!」
優莉が悲鳴をあげた。優莉は倒れた緑川に覆いかぶさって、男を振り返った。
「ひどいよ!なんでぶつの」
「うるせー。邪魔だ、退け。クソガキめっ」
ガッと男の靴底が、優莉の体目掛けて躊躇いもなく振り下ろされる。
「優莉」
緑川は、体を反転させて、優莉の体を自分の体の下に引き込み庇った。男の靴底が緑川の背に落ちた。
「いっつ」
緑川は呻いた。きつく眉を寄せて、背中の痛みを堪えた。ふと、体の下に引き込んだ優莉と目が合い、緑川は苦しくも笑った。
「優莉。あぶねーから、あっち逃げてろ。おまえは出てくんな。俺は大丈夫だから」
緑川の声に、優莉はビクッとして、立ち上がった。
「ひ。ひーちゃん呼んでくる。ごめ。ごめんね・・・。はるみにーちゃん」
ウクッと目に涙を浮かべて、優莉は走り出した。その姿にホッとしながら、緑川は立ち上がる。
「ちきしょー。暑いし、痛え」
呟き、緑川は、余裕めいた笑みを浮かべて指を鳴らしている男の正面にフラリと立った。
脇道といえど、人はいる。始まった喧嘩にザワザワと周囲に人が集まり始める。
「見せモンじゃねえっ」
男は怒鳴りながら、緑川に再び殴りかかってきた。見せモンじゃねえとは言いつつ、見られていることを楽しんでいるようだった。自分の強さを誇示したいタイプらしい。
「最近の学生さんは生意気だからねぇ」
「てんでダメじゃん。若い方、いいガタイしてんのによ」
「しかし、ガキ相手にマジになってる大人っつーのもよ」
と、ざわざわと野次馬の声が、緑川の耳に聞こえてきた。唇が切れて、ボトッと血がアスファルトに落ちるのが見えた。
「いてえっつーの・・・」
呟きながら、それでも緑川は何度も立ち上がった。暑さと痛みで頭が朦朧としてきた。
「緑川っ!」
野次馬の声に混ざって、町田の声。緑川は、ハッと振り返った。
「てめえ。このクソオヤジ!緑川に、なにしてやがるっ」
その堂々たる声と共に、緑川のすぐ横を、町田が駆け抜けていく。
「うわ。今度はマジヤンキー登場」
「すげっ。ど金髪。目つきわりー!」
野次馬の声がヒートアップする。次に、ものすごい音が辺りに響いた。
「ふざけんな。コイツ。うらあっ」
ドカッ!
緑川は、その音を聞きながら、いったいこの音を受けてるのはどっち?と思った。目は開いているのだが、映像がぶれている。音だけが鮮明に耳に響く。
暑い。痛い。痛い。気持ち、わりぃ。町田が殴られていたら、どうしよう。そう思った。町田がやられちゃったらどうしよう・・・。そう思いながらも、緑川はドッとその場に倒れて意識を失った。


パチッと、緑川が目を覚ますと、見慣れぬ天井。ふと視線を移して隣を見ると、もう一つのベッドには、さっきの、腕に刺青のプロレスラーもどきの男がくたばっていた。かなり悲惨なボコボコヅラと成り果てていた。
「すみません。うちの子とうちの人が。とくにうちの人、短気でどうしようもなくって」
反対側に視線を移すと、やや中年の、どこか色っぽい女が、ベッドの脇に立っている町田にペコペコと謝っているのが目に入った。
「もういいっすよ。お守り返してもらったし」
そう言う町田の声を聞いて、緑川はホッとした。返してもらえたんだ・・・。と、傍にいた優莉と目が合った。
「はるみにーちゃん」
「優莉」
「うわあん。良かったよ。目覚まして。ごめんね、ごめんね。ごめんね。僕が素直にお守り貸してあげていればよかったんだよ」
ビイッと優莉は、茶色の目に涙を浮かべて泣き出した。
「いいって。大事なモンだったら、仕方ねえだろ」
「ごめんなさい」
緑川の胸に顔を伏せて、優莉は泣いている。
「優莉。ほれ、もういいって。泣くな。うるせえぞ」
町田は、ヒョイッと優莉を抱えて、その頭を撫でた。
「だって。ひーちゃん。はるみにーちゃんの顔。こんなに腫れちゃって。僕のせいだよ。僕の。うわあああんっ」
「うっせ!泣くなっつったろ。パパに怒られるぞ。おまえのパパはな。どんなに悲しくても、辛くても決して泣かなかった。男っつーのは、そーゆーもんなんだよ。パパに笑われるぞ。それ以上泣いたら、ひーちゃん、パパに言いつけるぞ。優莉!」
その言葉は、絶大だった。優莉はピタッと泣き止んだ。町田はうなづくと、ヒョイッと緑川を覗きこんだ。
「どうだ?具合。ここ、遊園地の医務室だ。帰れるか?」
「ああ。顔痛えけど、なんとか」
言いながら、緑川はベッドから起き上がった。
「ならいいが。ふんっ。そっちのジジーは、今日はたぶん起き上がれねえと思うぜ。ざまあみろ」
町田の言葉どおり、男はいまだに意識を失ったまま、ベッドに転がっている。
「申し訳ありません。申し訳ありません」
男の妻は、再びペコペコ謝りだした。
「もういいっす。んじゃ、行くか」
町田は、空いた手で優莉を抱っこし、空いた手で頼りなげな足取りの緑川の腕を掴んだ。
「帰ります。世話かけました」
遊園地の医務室にいた医者に町田は声をかけ、外に出た。すでにもう閉園時間が過ぎていた。案内人に誘導されて、真っ暗な遊園地を進み、出口を潜った。タクシーを呼んでもらっておいたので、すぐにタクシーに乗り込んだ。優莉は、自分の体ほどある大きなぬいぐるみを抱えて、しょぼんとしてしまっていた。ぬいぐるみは、優莉の戦利品だ。あんまり優莉が落ち込んでいるようなので、緑川は気の毒に思って、声をかけた。
「優莉。気にすんなよ。おまえは全然気にすることねえんだよ」
緑川の言葉に、優利は弾かれたように顔をあげた。
「あれはあっちが悪かった。おまえは当然のことをしたまでだ」
その言葉に、優莉はまた泣きそうになって、が、堪えてうなづいた。
「ありがとう。はるみにーちゃん」
「おまえは強いな。俺だって一瞬あの大男にはびびったのに、ちっとも怖がったふうもなくてよ。おまえは強い男になるだろうな」
緑川の言葉に、町田はフッと笑った。
「当たり前だろ。父親譲りだ。コイツの父親は強かった」
「ふうん。おまえが言うならば、相当な男だったんだな」
町田の顔には傷一つない。あの大男相手に、まったくダメージを受けた様子はないのだ。その町田が強いと言う優莉の父親は、相当な男であったことは間違いないだろうと緑川は納得した。
町田は、不安気な優莉を見つめて、ニコッと笑顔になった。
「優莉。シーマの家に帰ろうな。もうすぐ着くから。ママも待ってる。ごめんな。怖い思いさせちゃって。もう東京には来ないなんて言うなよ。また来いよ」
優莉はうなづいた。
「うん。また来るよ。ありがとう、ひーちゃん。はるみにーちゃんもありがとう。また遊んでくれる?」
「俺も?」
緑川は自分を指差す。
「うん。だって、ひーちゃんと仲良しなんでしょ。ひーちゃん。すっごく心配してたもん。はるみにーちゃんが倒れちゃったら。はるみ、はるみって。顔色真っ青になっちゃったもん。ひーちゃんは、いつものんぴりしてるから、あんな顔はじめてみたよ。きっとすごく心配だったんだよね」
「げっ」
町田は、慌てふためいた。
「余計なこと言うな、優莉」
「なに慌ててんだよ」
緑川は、ジロッと町田を見た。
「う、うるせえな」
「おまえが俺を心配するのは当然だろ」
「あ?」
「だって。俺達つきあってるんだからな」
「・・・な、なぜに、そうあっさりと・・・」
クッと町田は脱力しかけたが、優莉の視線に気づいて、ハッとした。
「ひーちゃん。顔赤いよ。なんで!?」
「うっせー!黙れ。ったく。あー。もう!運転手さん。そこの角で停めて。一人降ろすから」
車が、キキッとやや乱暴に停まった。
「おまえは待ってろ」
そう言い残し、町田は優莉を連れて車を出した。
「はるみにーちゃん。今日はありがとう。庇ってくれてありがとね。お守り取り返してくれて嬉しかった。このお守りね。ひーちゃんがパパから貰ったものなんだって。それをひーちゃんが僕にくれたの。これは優莉のだよって。だから、これは、パパが優莉にくれたものなの。すごく大切なものだったから。はるみにーちゃんありがとう」
窓の外から、体を伸ばし、優莉が一生懸命緑川に説明した。
「そっか。よかったな。でも、取り返したのはおまえだよ。・・・またな、優莉」
「うん。さよなら、はるみにーちゃん」
町田に手をひかれ、優莉が家の中に消えていった。そして、しばらくして、町田が戻ってきた。
「すんませーん。次は×××町へよろしくぅ」
車の中に入るなり町田が言った。
「ちょっと待てよ。ここからだったら、俺の家が近い。俺の家に先に行け」
フンッと町田は鼻を鳴らして、ドカッと緑川の横に乱暴に腰掛けた。
「おまえは俺の家」
「なんで?」
「なんでも、だよ」
「俺はあの狭い部屋に行きたくねえ。運転手さん、×××町より、○××町へ行って」
町田を押しのけ、緑川は直接運転手に依頼する。
「あ、ダメだ。運転手さん。とにかく×××町」
「いや、そっちはダメだ」
「×××だ」
「○××だ」
「てめえ、しつけーぞ」
「どっちが!」
「お客さん。どっち行けばいいんすか」
運転手は、二人のやり取りに呆れていた。
「×××町へ」
町田はニッコリ。
「いててて」
緑川は、傷ついた腕を町田に抓られていて、顔を顰めていた。
「なにすんだよ!」
「おとなしく俺の言うこと聞きやがれっ」
フンッと町田は手を離すと、そっぽを向いた。
「なんで俺がてめえの家なんぞ。あんな狭い部屋・・・」
「狭い、狭いとやかましー!狭くても。楽しい我が家なんだよ。黙れ、このやろう」
「なんなんだよ」
そっぽをむいてしまった町田を、緑川は見つめた。だが、町田は無反応だ。仕方なく緑川は黙り込んで俯いた。町田の家に着くまで、車内はずっと静かだった。


「ほれ。とっととあがれ」
タクシーを降り、いまだに渋る緑川の尻を蹴り上げて、町田は先に階段を緑川に昇らせた。
「いってえな。蹴るなよ」
ぶちぶち文句を言いながら、緑川は鉄製のボロい階段を昇った。昇りきると、町田が緑川を追い越し、先に廊下を歩き、部屋の鍵を開けた。
「入れよ」
「当たり前だろ。ここまで来て」
締め出しくらってたまるか!と思い、緑川はズカズカと町田の部屋に上がりこんだ。
「暑い・・・。死ぬ」
と、上がりこむなり緑川は呻いた。町田の部屋は暑い。窓は最初から全開になっていた。窓も閉めずに出かけるのは、いかにも町田らしいが、こんな窓全開でありながらも、この部屋はまだ暑い。うだるような暑さに、緑川はクラッと眩暈を覚えた。
「くそっ。こんな部屋、一分も我慢出来るか。なんだよ。俺になんか用あんだろ。さっさと言えよ」
苛々しながら、緑川はバッと町田を振り返った。思ったより町田の体がすぐ傍にあって、緑川はギョッとした。至近距離で目が合った。
「用件?用件はよ。用件は、これ・・・かな」
とっ、と町田の指が緑川の顎を撫で上げ、グッと片方の町田の腕が緑川の後頭部押さえこんだ。
「!」
緑川は町田に無理矢理キスされて、目を見開いた。キスしてる間中、町田も目を開けていて、二人は見つめあっていた。思いの外慣れている町田のキスは、緑川の舌を誘い込んできた。
「っん」
クッと緑川の喉が鳴った。強引に絡まされた舌に、緑川は苦しげに眉を寄せた。
そうすると、腫れた顔のあちこちが痛んだ。本当に苦しそうな緑川の顔を見て、町田は唇を離した。
「顔痛いか?」
「あ、当たり前だろ・・・」
「そっか」
そう言って、町田は緑川の首筋にキスをした。跡が残るほどのキスだった。
「てめえ!い、いきなりなにすんだよ」
「緑川」
「なんだよっ」
「優莉を助けてくれてサンキューな。あの子は俺の大事な子で。すげえ大切な子で。おまえが庇ってくれて、すげえ嬉しかった。それと同時にさ。おまえのこと殴ったあのタコ男のこと、すげえ頭に来て。むちゃくちゃへこませちまったぜ」
「・・・」
「おまえに関しては、さ。頭で考えるより、先に体が反応しちまうんだよ。好きなのかどうか?と考えるより、それより先にエッチしたくなっちまうんだよな。ムラムラと。不思議なんだけどよ」
「なに、アホなこと言ってんだ。離せっ」
緑川は体を捻って、首筋にひっついていた町田を引き剥がした。
「やっぱり、おまえは俺の雌なのかもしんねえな」
逃げる緑川を、町田は捕まえて、背中から抱きしめた。
「SEXしようぜ」
耳元で囁く。緑川は、カアッと顔を赤くした。
「てめえ。また興奮してやがるな。あのタコと喧嘩したからだろ。そうだろッ!」
ジタバタと緑川は町田の腕の中で暴れた。
「そうかもしんねえ。でもんなのどーでもいいじゃん。やろうぜ。この前の続き」
「いやだ。こんな暑い部屋で、あんな暑苦しいことしたら、俺は死ぬ」
「どうせ、涼しい部屋でやったって、そのうちぜってー暑くなるんだ。同じだろ」
「いやだ。離せ、町田」
揉みあってるうちに、部屋の電気がフッと消えた。町田の背中が、玄関脇の壁の、部屋のスイッチに触れて、電気が落ちたようだった。
「!?」
一瞬ギョッとした緑川の隙をつき、町田は緑川を畳の上に押し倒した。
「町田ッ!!!」
引き攣った緑川の声が、電気の消えた真っ暗な部屋に響いた。


続く

ごめん・・・(汗)でも、どうせ、オチ有なんですよ・・・。
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