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「やめろ。てめえは!なんだってこう、訳わかんねえんだよっ。いきなり、サカッてきやがって。やめろって。俺、バスケの試合が近いんだよ。だから、怪我する訳にゃいかねえ」
「怪我なんかさせるか。えーかげんおとなしくしやがれ」
ドタバタともみあう186cm×2人。
「いててっ」
町田の金髪を、緑川が乱暴に掴み、町田がその痛みに顔を歪めた時だった。
「ひーちゃんのバカァッ!」
と、部屋にきんきらきんの声が響いた。ドアが開く音はまったく聞こえずに、二人の耳にはその声がいきなり突き刺さった。
「な、な・・・」
おそるおそる町田は振り返った。
「なに暴れてるのよ〜!!」
「・・・胡桃さん・・・」
「もう、もう、バカ、バカ!胡桃のお部屋、すっごいことになっちゃたんだから〜。ひーちゃんのバカ。バカアアアアッ」
キンキラキーン!!緑川は思わず耳を塞いだ。町田は緑川の体の上から即座に起き上がり、立ち上がった。
「ご、ごめん。ごめんな、胡桃さん。あ、あとで片付けるから。今は、ちょっとな。今はちょっと勘弁してくれ」
玄関のところに立ち尽くしている胡桃を見下ろし、町田はオタオタと言った。
「いっや!今片付けて。今片付けてよー。今じゃなきゃイヤ!」
ブルブルと胡桃は首を振った。
「今じゃなきゃ、イヤーーーーーーーッ!」
「わかりました。スミマセン」
ハアアと盛大な溜め息をついて、町田は緑川を振り返った。
「頼む。おまえも手伝ってくれ」
胡桃の背を押しながら、町田は縋るような目で、緑川に頼み込んだのだった。


胡桃の部屋は、町田の部屋のちょうど真下だった。それゆえに悲劇が起きたのだった。町田が緑川を畳に押し倒した瞬間。胡桃の部屋の、棚に置いてあったもの全てが、一斉に崩れ落ちたのだった。勿論、振動によって、である。
胡桃を先頭に、町田と緑川は胡桃に部屋に向かった。
「もお。ひーちゃんったら。最近はおとなしくなったなと思っていたら。胡桃油断していたわ」
プリプリ怒る胡桃。ちなみに町田達に向けているお尻もプリプリだ。ショートパンツから零れる白い太腿。タンクトップの剥きだしの白い腕。前を向けば、牛並みの豊かなバスト。ノーブラ。恐ろしく肉感的な女だった。その割には背と顔が小さく、顔などは、そこらのアイドル顔負けのロリ顔キュートなのだった。さっきから、町田の視線が、胡桃の尻に飛んでいるのに気づいて、緑川は町田の腰を膝で蹴った。
「エロい目つきしてんじゃねえよ。中学生相手に。犯罪者め」
「んだと?誰が中学生だっ。胡桃さんは、言っとくけど30歳だぜ」
町田の言葉に、緑川は目を見開いた。
「あれが?」
先を歩く胡桃の尻を指差して、緑川が言った。
「あれが、だよ。顔はあんなんだけどな。立派にババアなんだよ」
「なんですってー!」
振り返り、ピョオンッと跳ねて、胡桃は町田の耳を引っ張った。
「聞こえてんのよ。ひーちゃん、生意気っ」
バチーンッ★
「すみませえんっ!」
ヒーッと町田は頬を押さえて、謝った。怒りのせいで、胡桃はバアンッと自室のドアを開けた。
「さ。よろしくね」
と、部屋を指差して、ニッコリ♪
「げ。すげえオタク部屋」
町田の後についていき、胡桃の部屋に上がりこんだ緑川は思わず呟いた。部屋には、いわゆるフィギュアというものが散乱していた。
「胡桃ちゃんコレクショーンズ。集めるの大変だったんだから♪」
なるほど。棚に、所狭しと置かれていたコレが、真上の部屋で起こった振動で、全て落っこちたのだ。
「悲劇だ・・・」
町田は頭を抱えて、その場にしゃがみこんだ。


「あん。ひーちゃん。それは、そっちじゃないのよ。18番の猫ちゃんは、こっちよ、こっち。こっちに並べて」
「18番てなんだよ。んなの、どこに書いてあんだよー」
「ひっくり返してみなさい。ちゃんと書いてある。ああ、そっちの君。それは、こっちよ。よく見て、よく。ほら、ここ。ここに書いてあるのよ、番号が!」
「わかんねえよ・・・。こんな小さくちゃ」
ボソリと緑川が言った。
「わかるでしょ。よく見なさい。もうっ」
「オイ。胡桃さん。これ、番号書いてねえよ」
「んん。どおれ?」
床にはいつくばって、小さな猫の人形を拾った町田は、番号のないものを拾い上げてしまって、胡桃に聞いた。
そんな町田の前に、緑川に指導のゲキを飛ばしていた胡桃がヒョイッと座り込んだ。
「ああ、これはね。限定版なの。うふふ。だから、番号ないのよ。他にもあるから、そーゆー時は、ここを見て」
ユサッと、胡桃の豊満な胸が町田の目の前で揺れた。
「うっ」
思わずその胸に目が吸い寄せられてしまい、町田は慌てて目を反らした。
「ひーちゃん。なにそっぽ向いてるの。今、説明してるんじゃない」
「説明なんざいいっ。そ、それ、適当にしまってくれよ」
言いながら、町田は手に持っていた猫の人形を、胡桃に押しつけた。
「なに、怒って・・・。あ、やだ。顔赤い、ひーちゃん。今、もしかして胸見てたの??」
指で、胡桃は町田の頭をコツンと小突いた。
「っせえな。年頃の男の前で、ノーブラでいる方のが悪いんだろ。つい見ちゃうんだよ」
顔を赤くしながら、町田は舌打ちした。
「だってえ。ブラしてると窮屈なんだもん。アタシでっかいから♪」
と言いながら、胡桃は自分の胸を手で持ち上げた。
「やめろっつーの」
「なによ。今更、そんな純情ぶって。アンタ、この乳何度も生で触ってるじゃないの」
胡桃の台詞に、町田は、ブッと吹き出した。
「ぶぁっ!ブァッカヤロー!そ、そ、そ、それはっ」
思わず町田は緑川を見た。当然、緑川は、切れ長の瞳でジイッと町田を見ていた。
「それ、いや。その・・・」
モゴモゴと歯切れの悪い町田をケロリと無視して、胡桃は緑川の背をバアンッと叩いた。
「あのさ。この子ねぇ。すっごい巨乳好きって知ってる?私のオッパイ、大好きなんだよ。でけりゃでかい方がいいって言うのよ。アハハハ」
「・・・」
緑川は、自分の胸に視線をやってから、キッと町田を睨んだ。町田は、その視線を受けて、ビクッと膝立ちの姿勢のまま後ずさった。
「わ、若気の至りだ。い、今は、普通・・・っつーか。ひっ、貧乳のがいいかなって」
ヒクヒクと顔を引き攣らせながら、町田は緑川の胸を見ながら言った。
「よっく言うわよ。アンタ幾つよ。まだ17歳でしょーが。十分若いっつーの」
キャハハハハと笑って、胡桃はカチッとタバコに火を点けた。
「この子わねぇ。数年前までは、そりゃあもうカッコよかったのよー。目合わすだけで、周りのやつらびひっちゃうよおな。すごい迫力のある子だったの。それがなんでか私だけにはとても懐いてくれてサ。胡桃さん、胡桃さんって。もう私も可愛くってねえ。二人で時間も忘れてこのベッドでHしてたわよ」
プハーッと美味しそうに煙を吐きながら、胡桃は緑川に向かって話しかけている。
「このベッドって・・・」
んなもんどこにあんだよ・・・と緑川は辺りを見回した。見えない筈だ。ベッドの上には、どうやら棚らしきものがまるごと崩れ落ちていたのだ。これのことか・・と思いきや、緑川はハッとした。
「H!?」
低く緑川が復唱した。胡桃は楽しそうに頷いた。
「そおよん。可愛かったのよ、ひーちゃんは。胡桃、胡桃って。もう私に夢中でぇ」
きゃあ〜♪と胡桃は頬に手をやり、顔をほんのりと赤くした。
「よ、よく言うぜっ!俺がにーちゃんにそっくりなのをいいことに、まだたった14歳の俺にいきなり跨ってきやがった癖してっ」
「あら。そうだっけ?でも、ひーちゃん拒まなかったじゃないの。拒むどころか、かなり激しく求めてきたくせに。ガキの癖して、色々とやってくれちゃってさ」
ニタアッと楽しそうに笑う胡桃に、町田は近くにあったキティちゃんを拾い上げ、ブンブンと振り回した。
「どわー。う、うるせえ、うるせえ。でたらめ言うな。そっちが商売っ気出して、くだんねえこと俺に教え込んだんだろ。俺はあん時、14歳で父親になるかと思ったぐらいおっかなかったんだからな!つけるもんもつけさせてくんねえほど、すげえ勢いだったくせに!」
ちなみに、胡桃の職業は「ホステス」である。今も昔も、ホステスなのである。
「なに言ってんのよ。そっちがつける余裕がなかったんでしょ。私はちゃんとお口でつけてあげるって言ったのに」
ん♪と、胡桃は口を突き出して、町田を見て、微笑んだ。
「ま、それはイイとして。それほどかっこよかったこの子が、突然コロッと変わっちゃって。まあ、その豹変ぶりったら驚いたわよ。学校も真面目に行くようになってさ。そん時は、ちゃんと理由を教えてくれて納得もしたわ。たまには私のところへは来てくれたからいいのよ。だから、それでもいっか・・・と思ってたのに。最近じゃ、ちっとも私の所へも来なくなって。擦れ違っても難しい顔とかしてるし。胡桃すっごいつまんなかったの。もしかして彼女が出来て、それで色々と悩んでるのかな?って。コイツが落ち込んだり悩んだり笑ったりするのって大抵女絡みだからさ。でも聞いてもひーちゃんは答えてくんないし・・・。ね、君。友達でしょ。ひーちゃん、彼女いるんでしょ?教えてよ」
「・・・」
緑川は黙りこんだ。
「俺を目の前にして、教えてもクソもねえだろーがっ。俺に訊けっ」
慌てて町田が、割り込んだ。
「じゃあ、ハッキリ言いなさいよ。彼女出来たの?」
ギロッと胡桃の瞳が物騒に光った。
「で、出来たらどーだって言うんだよ、胡桃さんには関係ねえだろ」
その迫力に町田は、思わずどもってしまっていた。
「あるわよ。それに、決まってるでしょ。邪魔すんのよ!」
「なんで!?」
「だって。ひーちゃんは、胡桃の可愛いお人形さんだもの。立派なオチンチンのついている可愛いお人形さんヨ。私が手取り足取り腰取り、ぜーんぶ教えてあげたんだから。他の女になんかそう簡単に渡さないわよーだっ」
そう言って、胡桃はギュウウウッと町田を抱きしめた。
「や、やめろって。なにイキナリ、こいてんだよっ。アンタは志摩相手にしてりゃいいじゃんかよっ」
わわわ、と胡桃の腕を振り解いて、町田はペタッとその場に正座した。
「いやよ。あんなタラシ男。全然胡桃に振り向いてくれないし!ダイッキライ」
プププンッと胡桃はそっぽをむいた。
「ねえねえ。君。ひーちゃん、彼女いるんでしょ。教えてよ。あ、ところで。お名前は?」
今更ながら、胡桃は緑川に向かって聞いた。緑川は、二人のやり取りを黙って聞いていたが、胡桃に聞かれて仕方なく「緑川」と短く自己紹介した。
「緑川!?そおいえば、最近ひーちゃん言ってなかった?なんだか緑川っつー訳のわからない不気味な男につきまとわれてうんざりしてるって。なんとかなんねえもんかって・・・」
胡桃の言葉に、町田の顔色がサーッと青褪めた。
「そ、そりゃ、もう、半月も前の話だろうがよっ。最近じゃねえよっ」
「そうだっけえ?んでも、もしかして、この子のことだったのかしら?」
町田の心知らずか、バサッと長い睫をしばたかせながら、胡桃は緑川をチラッと見上げた。
「帰る」
緑川は、町田と胡桃が言い合っている間も、何気なく畳を埋め尽くしていたフィギュアを拾い上げていたが、手に持っていたそれを、バシッと畳に投げつけると、ヒラリと踵を返した。
「え。嘘。ちょお、待て。緑川」
追いかけようとして玄関で靴を履きかけた町田の腰に、胡桃がドンッと小さい体ごと巻きついてきた。
「行っちゃいやっ!」
「な、なにしやがる。離せ、胡桃さんっ」
乱暴に振りほどく訳にもいかず、町田はピタッと立ち止まった。
「あの子が彼女でしょ。ひーちゃん」
「ああっ!?」
「ひーちゃん・・・。あの子のこと、押し倒していたくせに」
胡桃は、町田を見上げて、ニヤリと笑った。
「ふふんだ。邪魔してやったわ」
「悪魔め・・・」
「私に隠し事なんかするからよっ!最近、話しかけてもちっとも上の空で。なんか悩んでいるんでしょ!私を無視しないで、ちゃんと相談しなさい」
「な、悩んでなんか・・・」
いるけどさ・・・、と町田は唇を尖らせた。
「と、とにかく。離せよ。緑川を追いかけなきゃ。アイツはバカだから、ちゃんと言い訳しねえと、すぐに誤解・・・」
誤解って・・・。誤解!?えーと・・・。言い訳・・・するってことは・・・。んん?
町田が躊躇していると、胡桃は町田の腕をグイッと引っ張り、再び部屋へと押し戻す。
「話聞いてやるから。ちゃんと片付けて。この部屋直してくれなきゃ、帰さないわよっ。今追いかけたってね。混乱してる頭じゃ、尚更混乱するだけ。片付けながら、胡桃に相談しなさい。ひーちゃんはね。胡桃に相談すればいいの。私は、連ちゃんや亜沙子さん達に、アンタのことを頼まれたんだからね!」
「それだよ。一体なんだってにーちゃんはアンタに俺のことを頼んだのか。将来メチャクチャにしておいてくれよって頼んだようなもんじゃねえかよ。ちきしょー」
「なに言ってんのよ。生意気言って!連ちゃんはね。私の本性を見抜いていたのよ。この、純粋な胡桃のハアトをね!ふんっ。体が先走る青ボーズめ!」
「なんだってっ!」
ムッカ〜と町田は唇を噛み締めた。
「嫌がる子にHしたって、嫌われるだけよーだ」
胡桃は、そこだけは無事スペースを確保出来ている台所の板の間に座って、二本目の煙草に火を点けた。
「・・・盗み聞きかよ。汚ねえぞっ!それに。し、仕方ねえだろ。やりたかったんだから」
「アンタの声がでかいのが悪いの。廊下に響きまくってたわよ。第一ね。そんなにしたきゃ、金払ってやらせてもらいな」
「るっせえ。緑川は商売女とは違うんだよ」
「だったら、ちゃんと了解もらってHしな」
「いいんだよ。アイツは俺が好きなんだから」
「じゃあ、アンタもあの子が好きなのね?」
テンポよく戻ってきた胡桃の言葉に、町田はウッと詰まった。いつでも、どんな状況でも。必ず思考がここで止まるのだ。

『俺は、緑川が好きなんだろうか・・・?????????』

「・・・わかんねえ」
「わかんねえ?なに、それ。アホ」
胡桃は、ブハーッとタバコの煙を町田目掛けて噴出した。
「どうせ、アホだよ。それがわかんねえから!俺はここ何週間も悩んできたんじゃねえかよっ」
「ああ、それでいつも辛気くさいツラしてたのね。やっぱりアンタはオンナのことで、一喜一憂なのよねえ」
ホウッと胡桃は溜め息をついた。
「アイツはオンナじゃねえって。見てわかんだろ。どーしよーもなく男だ。しかもデカイ」
「確かにね。でも。どーせそーゆー関係になったら、あんたが抱くんでしょ」
胡桃の言葉に、町田はそこだけは素直に「うん」とうなづいた。
「ほらみぃ」
勝ち誇ったように胡桃がケケケと笑った。町田は反論する。
「けどっ!けどよお。緑川のこと、緑川のこと。俺は最初アイツの妹が好きだったんだ。胡桃さんみてえに可愛いツラしてて小さな背のアイツの妹・・・。すっげえ、すっげえ可愛かった。好きだった」
「あら、そーなの。んふ。私に似て可愛い子かぁ」
胡桃はニコッと微笑んでは、町田を覗きこんだ。
「うお。よ、よせよ」
町田は慌てて、そっぽを向いた。
「な、なのに、なんでか俺、勘違いしてアイツに告白しちまって。それからだよ。どんどんアイツが俺の前にしゃしゃり出てきやがって。一緒に風呂入ったり、デパートでかき氷食ったり、花火大会行ったり、遊園地行ったり。いつのまにかアイツの存在がでかくなっちまって。なんだかわかんねえで俺が混乱して困っているっつーに、お構いなしにアイツはどんどんと俺のことを好きだ、好きだって。口で態度で、迫ってきやがって。そのおかげで、俺はすっかりその気になっちまって。こ、この前はホテルだって行ったんだ。なのにイイところで邪魔入って、すっげえ腹たって。今度こそはっ!って思って、今日アイツを家に連れ込んだのに。なのに、また邪魔入って。なんで俺はアイツとH出来ねえんだよ。してえんだよっ!ああ、ちきしょう。叫んでるうちに、自覚しちまったよ。わかっちまったよ。俺はアイツが好きになっちまった。ちきしょう!惚れた!アイツに惚れた〜ッ!!」
ぜえぜえと町田は息を切らして、顔を伏せた。耳がしっかりと赤い町田であった。
「まあ、それは良かったわね」
と、胡桃はニッコリと微笑んだ。
「はあ!?」
あんぐりと口を開いて、町田は胡桃を見つめた。
「胡桃さん。おかしいと思わねえの?アイツ、男だぜ」
「アンタの兄貴が命を賭けて惚れていたのも男だった筈よ」
そう言って、睦美はニッコリと微笑んだ。
「いいじゃないの。別に。男でも」
その言葉に、町田はヘナヘナと脱力した。
「お、俺の葛藤は、どこへ・・・」
「アンタはなまじ目の前で見てしまったから、わかっているから、踏み出せないのよね。怖いんだろうね、きっと。でもね、あんな愛し合い方は、彼らにしか出来ないから大丈夫よ。ひーちゃんは、大丈夫」
ヨシヨシと胡桃は、町田の頭を撫でた。
「それにアンタはタフだもの」
「・・・そ、だよな」
町田はハハハと苦笑した。そうだよ。俺の売りって言ったら、まさにそこじゃん。俺はタフ。どうにかなるよ・・・。それでいいじゃんか。そう思ったら、町田はスーッと気が楽になった。
「ありがと、胡桃さん」
ガバッと町田は目の前に座っていた胡桃を抱きしめた。
「俺。ちゃんとアイツに言うぜ」
「いいことね」
「じゃあな。行ってくるっ!」
バッと胡桃の小さな体を手離すと、町田は胡桃に背を向けた。
「ちょいお待ち。それとこれとは話が別よ。片付けておいき」
「うおっ」
胡桃が町田のジーンズの腰を引っ張ったせいで、町田はつんのめった。
「ひーちゃんの恋人は逃げない。なぜって、あの子はアンタを好きなんでしょ。だから、逃げない。でも、私は逃げたら許さない。片付けておいきっ!」
「うううう。わ、わかったよっ」
「よろしい。それにね。胡桃に相談してよかったでしょ♪」
そう言われて、町田はハハハと乾いた笑いを洩らした。あのまま、緑川とHしてた方がよっぽど綺麗に纏まっていた気するんだけど・・・とは、さすがに言えなかった町田である。しかも、己の気持ちに折りあいはついたが、なんといっても緑川である。誤解したまま、緑川は一人で帰ってしまったのである。迎えの車もないんだし、迷子になってなけりゃいいけどよ・・・と町田は少し不安な気持ちになった。
結局町田は、散らばった人形達を一人で元に戻す羽目になった。全てが綺麗に片付いた頃には、もうすっかり夜明けだった。町田は、胡桃の部屋の窓をガラリと開けた。朝日を受けて、川面が輝いているのが見えた。
夏の一日の朝が、また、また、始まる。緑川は、今日も部活に顔を出すだろう。俺も学校に行かなきゃ。アイツにきちんと言わなきゃな。説明しなきゃ。そう思って、町田はスクッと立ち上がった。
「胡桃さーん。俺、もう部屋戻るから」
「りょうかいよ〜。ご苦労さま」
綺麗になったベッドの上で、胡桃があられもない格好で寝返りをうちながら、うなづいた。
「行ってくるな」
「頑張ってね、ひーちゃん。幸せにおなり〜」
むにゃむにゃと枕にすがりつきながら、胡桃が言った。
「ああ。頑張ってくるぜ」
バタンッと胡桃の部屋を出て、町田は部屋に戻った。きちんと朝食をとり、顔を洗った。
『よし!言うぞ。緑川。仕方ねえから俺はおまえの雄になってやる!ってな』←さりげに強気。
タオルで顔を拭きながら、町田はキッと気持ちを引き締めた。


「ういっす」
緑川が声をかけると、体育館入り口付近に立っていた主将・小野田玲がギロッと睨んだ。
「てめえ、のこのこと。昨日の今日だぞ。仲直りは済んでいるんだろうな。また町田が押しかけてきて、すったもんだしやがったら承知しねえぞ」
と言いながら、玲は緑川をジロジロと見つめた。緑川の顔は痣だらけだった。
「ひでえツラして、まあ・・・」
ヒョイッと玲は緑川の耳に手をやり、耳にかかっていた髪をどかした。首筋を見る為だ。
「おおし。合格」
「なに?」
緑川は首筋に手をやって、キョトンとしていた。
「んでもねえよ」
ニヤニヤと笑いながら、玲は緑川を見つめた。
「玲兄。悪趣味」
床に座りこみ、バッシュの紐を直していた小野田光が呆れたように呟く。
「きちんとあるからな。仲直りのいい証拠だろ」
「まあね」
「なに言ってんだ?」
緑川はまったくわかっていないようだった。
「それより、光。入部決定?」
緑川は、ヒョイッと光に声をかけた。
「仕方なくです。玲兄がしつこくって」
緑川を見上げて、光は苦笑していた。
「俺の高校最後の試合だぜ、来週の試合は。それまでには、どうしても光と一回組んでやりたかったからな。な、光」
玲は、ガバッと光の背に抱きついた。
「お、重いって。玲兄。背骨折れるっ」
「ちょおブラコン」
ケッと緑川は言い捨て、トコトコと体育館中央に歩いていった。ちょうどコートの真ん中で、奥田千秋がボールを持って手持ち無沙汰にしていたのが見えたからだった。
「千秋先輩。相手頼みます」
緑川が声をかけると、千秋はうなづいた。
「おう。なんだ、緑川。顔ひでーな。彼氏と喧嘩?」
「彼氏?アイツとは昨日別れました」
あっさりと緑川は言った。
「はあ?」
ポロリと、奥田は、ボールを落とした。
「な、なんだってぇ!」
聞きつけた小野田兄弟が、バタバタと走ってくる。コート中央には、奥田と緑川と小野田兄弟が立っていた。
「別れたってなんだ。別れたって。じゃあ、その首筋はなんだ?お別れHか?」
玲は緑川の首筋を指差した。奥田もそれを見ては、ふむとうなづいた。
「首筋?」
一人、まるでわかっていない緑川が、再び首筋に手をやった。
「あのね、緑川先輩。首筋にキスマークありますヨ」
光が背のびをして、緑川にコソッと囁く。
「キスマーク?」
と言った瞬間、緑川の顔が僅かに赤らんだ。
「ひ、ひええええ。み、緑川が赤面した」
奥田が喚いた。
「うわああ。こえー。こえーもん見ちまった。た、台風来るぞ、小野田」
バンバンと奥田は玲の背を叩いていた。
「あ、ああ。超、やべえもん見ちまったな、奥田。台風だ。ぜってえ嵐来る」
玲と奥田は顔を見合わせた。
「こんちはー。町田本日も参上!緑川いますかー!!緑川に用あるんすけど〜」
タイミングよく、体育館には、昨日に懲りず町田の美声が響いた。
その声に、緑川が、クワッと振り返った。
「ああ。マジで台風だ。嵐だ・・・」
光の呟きに、奥田と玲はコクンとうなづいた。
「おー。いたいた。んなとこにいたのか。お邪魔しまーす」
コート中央の険悪な雰囲気をまったく知らずに、町田はズカズカと体育館に上がりこんだ。
「町田、てめえ。土足厳禁だ。タコーッ」
玲が叫ぶ。
「あ、わりっ」
慌てて町田が靴を脱いだ。脱ぎながら、緑川に向かって歩いてきた。
「緑川。れ、冷静にな」←奥田
「先輩。落ち着いて」←光
「晴海ちゃん。忍耐だぞ、忍耐」←玲
「・・・」←緑川
外野の意見を無視して、緑川は黙っていた。ただ、こちらに向かって歩いてくる町田を凝視していた。
「よ。緑川。昨日はすまなかったな。追いかけていこうかと思ったんだけどよ。胡桃さんがすげえ怖くて。おかげで朝までかかっちまったぜ」
まるでなにごともなかったかのように町田は言った。と言っても、これでもかなりこの台詞を練習してきたのだ。この。学校に来るまでの間に。下手に言い繕っても仕方ない。この際、自然に、自然に・・・と。
「朝まであの女と一緒だったのか?」
緑川はピクッと片眉をつりあげた。
「一緒っつーか。あの部屋片付けてた。仕方ねえだろ。あんなふうにしちまったの、俺が原因でもあるしさ。でもまさか、夜明けまでかかるたあ思わなかったけどな」
ダハハハ〜と笑う町田を見て、緑川は唇を噛み締めて俯いた。
「んでさ。昨日のことなんだけど」
と、町田は、異様な雰囲気を感じ取り、チラリと視線を動かした。そこには、小野田兄弟と奥田の凍りついた引き攣った顔があった。
「・・・?あ、いや。んでさ。昨日のことなんだけど、胡桃さん」
幽霊みたいな青白い顔をした3人を怪訝に思いつつも無視し、町田は再度言いかけた。
その瞬間。
緑川は手を振り上げた。
バシッと凄まじい音が響いた。
「!」
奥田などは、思わずその音に顔を背けていた。
「みど」
と言いかけた町田に、緑川はまた手を振り上げて、町田の頬を叩いた。
「おまえなんか・・・」
手を振り下ろし、再び俯き、緑川は掠れた声で呟いた。
「おまえなんか、嫌いだっ!訳がわかんなくって悪かったな。不気味で悪かったな。うざくて悪かったな!迷惑なんだろ。俺が傍にいちゃ。だから、退いてやるよ。もう、てめえなんか関係ねえ。雌契約なんかこっちから解除してやるっ。うせろっ!」
「み、緑川・・・」
「出てけよ。うせろ、てめえっ」
顔をあげた緑川の目からは、涙が零れた。
「練習の邪魔だ。でてけっ!おまえなんか、あの巨乳女と好き勝手やってろ、バカヤロウ」
バッと緑川は町田に背を向けた。

シーン・・・。

「・・・やべ。青谷顧問登場。ま、町田。今は退け。ったく、おまえはなんでこータイミングの悪い時にいつも現れるんだよ」
ちょうど体育館の入り口に、青谷顧問の姿を見かけた玲は、慌てて町田の背を押した。青谷の視線が、ゆっくりとコート中央を捕らえようとしている。
「緑川。こっち向けよ。俺の話を聞けよ。なあ、緑川!」
玲に背を押されながらも、首を捻って町田は緑川の背に向かって叫んだ。
しかし、緑川の背はピクリともしなかった。
「緑川。おいっ」
町田はそれでも諦めきれずに緑川の名を呼んだ。
「町田!これ以上バタバタしてたら、顧問に怒られる。緑川にだって迷惑かかるんだぞ。だからな。悪い、町田。今は退いてくれ」
グイグイと町田の背を押して、玲は体育館の外に町田を連れ出した。
「・・・ったく。どうなってんだよ、おまえら。毎日、毎日さ・・・」
唇を噛み締めて立ち尽くす町田の背を撫でてやりながら、玲は小さく溜め息をついた。


むっちゃ、タイミングわりーの・・・。
「はあ」
町田は、さっきからもう何度目になるかわからない溜め息をついていた。学校を無理矢理追い出されて、やることがなくなってしまった町田は、ゲームセンターに入り浸って時間を潰した。そのせいで、今月のバイト代はパアになった。
「せっかく俺がその気なれば、今度はあっちがダメかよ。うまくいかねえな・・・」
コロンと町田は草の上に横たわった。自宅付近の、いつもの川べりの夕景。町田は、ボーッとしたい時は、いつもここに来た。育ての兄が、こうして川べりに座って、よく空を眺めていたのだ。いつのまにか、自分も真似するようになっていた。
「にーちゃん。アンタに育てられたわりにゃ、俺ってダメな男だよ・・・」
呟き、町田は目を閉じた。


『んとに情けねえな。おまえ本当に俺と血が繋がっているのかよ』
不意に耳元に聞こえた声に、町田は目を開けようとした。だが、瞼が重く開かない。
『もうヘバッたのか?おまえを育てた男は、タフだったのにな。おまえ、負けてるぜ。悔しくねえのか?』
目は開かなくても、その声の主は誰かわかる。黒い黒い髪に漆黒の瞳。背の高い男。
『前に言ったろ。忘れたか?後悔しねえように生きろって。おまえにならば出来るって。忘れたか?俺の言葉を、忘れたか?久人』
鼓膜に響き、そして眼球を貫く。血の繋がり故に、真実に兄と呼べた男の声・姿。
・・・城田優。
俺の大事な兄二人のうちの、一人・・・。
「くそっ!てめえの吐いた言葉の一つ。一つ。俺が忘れる筈あるかよっ!おまえと比べ続けられてきた俺の気持ちがおまえにわかるかよッ!」
町田は叫びながら、跳ね起きて、目を開いた。最初に飛び込んできたのは、星の瞬く夜空だった。次に、目の前に広がる暗く黒い川。
「誰が情けないって?誰が後悔なんざすっか!俺は、アンタに笑われるような人生だけは生きねえぜっ!」
ちきしょうと叫び、町田は川を背に走り出す。『手に入れる。後悔しねえ人生。兄貴が手に入れることの叶わなかった、後悔しねえ人生。やるだけ、やるぜ俺はっ!待っていやがれ、緑川!』と、町田は、アパートに走って戻ると、自転車に飛び乗った。


「いつまで、やってんの。晴海。うるさいわよ」
翔子は、バルコニーから庭を見下ろし、叫んだ。もう既に夜中に近い時間だというのに、庭では息子がまだボール遊びの真っ最中だからだ
「うっせえ。試合が近いんだ。うるさかったら、奥の部屋で寝てやがれ」
バルコニーを見上げ、緑川は母に向かって怒鳴り返した。
「なによっ、もう!ふんだ。私、もう寝るからね。たぶんそのうち、りょくちゃんが戻ってくるから、鍵開けてよ。よろしくね」
「ああ。わかった」
ボンッと、コートにボールの音が響いた。このむしゃくしゃする気持ちは、どうにもこうにも治まりそうにない。とにかくひたすら、緑川はゴールにボールを叩きつけていた。
「あの、ボケ、カス。死んじまえっ!」
ドカアンッ!とダンクシュートがゴールポストに炸裂した。
「おさまんねえっ」
叫びながら、緑川はボールを拾い上げた。すると、インターフォンの鳴る音がした。緑川は舌打ちした。
「ジジイ。毎晩、毎晩遊び呆けて帰ってきやがって」
呟いて、緑川は、玄関のロックを解く為に、母屋に走った。
「今開けるから」
ロックを解こうとした瞬間、モニターに映った顔を見て、緑川はギョッとした。
「町田・・・」
『遅くに悪いな。もっと早く来るつもりだったんだが。み、道に迷っちまってよ。俺、てめえのこと言えねえ方向音痴かもしんねえよ・・・』
緑川は瞬きをしてモニターを見つめた。だが、確かにモニターには、町田が映っていた。
「なにしに来た。用はねえよ。帰れ」
『おまえになくても俺にはあんだよ。話、聞けよ』
緑川は
「俺には話なんてねえっ!とっとと帰りな。んでもってまた迷子になってくたばれ!』
ブツッ★と、容赦なくモニターをOFFにした。そして、再び庭に向かって走っていく。


「くっそー。なんちゅー容赦のねえ男だ。怒ってるのはわかるけど、もちっと余裕があってもいいだろうがよ。ぜってーカルシウム足りねえな、アイツ」
町田は、バンッと足で自転車を蹴飛ばして、呻いた。
「へーんだっ。こんぐれえで諦めて帰るつもりなんて、はなからねえんだよ、バカヤロー」
ズズスッと、蹴飛ばした自転車を、相変わらず立派な門の傍へと引き摺ってきて停めた。そして、町田は両手でサイドの髪をかきあげた。
「ミッションインポッシブル。って、この門、まさか電流流れてねえだろうな」
そう。町田は、門をよじ登るつもりなのだった。
「ま、いーか。俺が黒焦げになったら、さすがにアイツも中から飛び出てくるだろうよ」
全然よくないとは思うのだが、そこは町田である。後先考えないにも程がある男だった。
「うっし」
と、自転車を踏み台にしようと、町田はサドルに足をかけた瞬間。
「おい」
と背中に声をかけられて、「うぎゃあああっ」と町田は叫んだ。
「あ、怪しいもんじゃありません。お、俺。俺、どうしてもこの家に用があって。だから」
とあたふた言い訳をしながら、町田はおそるおそる振り返った。
「あ・・・」
そこには。緑川が立っていた。正確にいえば、ちょっとだけ大人っぽい緑川。
「うちになんの用がある。町田久人」
大人っぽい緑川は、正確に町田のフルネームを言った。町田はその顔を見ながら、唾を飲み込んだ。
「ひょっとしてアンタが緑川・・・歩!?アイツのとーちゃんか・・・?」
町田がそう言うと、大人っぽい緑川、正確には確かに緑川歩が、苦笑する。
「そうだ。俺が緑川歩だ。しばらく見ねえうちに、おまえはだいぶ育ったな。もっとも、俺はこの前おまえを見かけたけどよ」
「・・・」
町田が黙っていると、歩は遠慮なしに町田をジロジロと眺め回した挙句、
「城田にそっくりだ。これはおまえの禁句か?」
と、言った。町田は軽く舌打ちした。
「・・・わかってるなら、言うなよ」
「なら、尚更言わせてもらおうか。声までそっくりなのは、気持ちわりーぞ。町田久人」
そう言って、歩は、ニッと笑った。
「もう一度聞く。うちになんの用だ?志摩とのやりあいのことならば、無駄だぞ。他ならぬおまえの兄貴の為でもあるからな」
単刀直入な歩の言葉に、町田は一瞬ビクッと肩を震わせた。
「・・・そのことは・・・。むーちゃんに任せてある。俺は・・・。どっちにもつけねえ。アンタだってわかっているじゃねえか」
「そうだな。そうだろうとも。おまえは、連橋側にいながら、城田の弟でもあったんだからな」
そう言って、歩は目を伏せた。その事実を城田に告げたのは、遠い日の自分だと思った。
「緑川に。俺は、アンタの息子に会いに来た。大事な話があるんだ、アイツに」
町田がボソリと言った言葉に、歩はキョトンとした。
「晴海に?おまえ達・・・。ああ、そうか。おまえは確か暁学園か。そうか。知り合いか、おまえら。・・・待てよ。え?まさか・・・」
歩は、唖然とした顔で、町田を見つめた。
「おまえ。この前、ホテルに・・・」
「ああ。アンタとも擦れ違ったよな」
「まさか、あの時、晴海と一緒だったのはおまえか」
「そうだよ。俺だ。俺は、緑川と・・・」
言いにくそうな町田に、歩はブッと吹き出して笑う。
「アハハハ。あの晴海が、おまえと?おまえとデキてるっつーのか!?冗談だろ。親子揃って、またこの顔かよ。アハハハハ。晴海のヤツ、初恋は城田だったからな。なあ、町田。晴海は父親の俺より、城田のが好きだったんだぜ・・・」
「兄貴を?」
またかよ・・・、と町田は面白くなかった。誰も彼も、俺と兄貴を重ねやがって!と。
「ハハハハ。すげえ笑える。どうしようもねえな。俺も晴海もよ。ふざけてるに違いない、てめえら」
本気で笑っている歩に、町田はますますムッとした。
「ふ、ふざけてねえ。お、俺は本気だ。笑うなっ!」
「これが笑わずにいられるか。城田が聞いたら、腰抜かすだろうさ・・・」
「う、うるせえっ!は、反対されたって、俺は決めたからな。俺は、もう、自分の気持ち、ちゃんと折り合いつけたんだ。諦めねえぞっ」
すると、歩は顔をあげて、うなづいてみせた。
「反対なんかする筈ねえだろ。さあ、さっさと入れよ。入れてもらえねえのは喧嘩中なんだろ。ったく、うちのあのバカも妙に頑固だからよ。そっちは翔子似なんだよな」
クククとまだ笑いながら、歩は、玄関のロックを解除した。門が開く。
「庭に明かりがついている。あいつはまだ、大好きなバスケットボールと戯れていそうだぜ。そっちに行くんだな」
歩は、庭の左を指差した。
「お、おう。サンキュー」
礼を言い、町田は踵を返しかけて、ふと歩と向き合った。
「なんだよ」
硬直してしまってるかのような町田を見上げて、歩が聞く。
「俺は、アンタに。いつか言おうと思っていたんだ。こんなことがなけりゃ、たぶんもっと別の場所で、別の時間だったんだろうけど。必ず言うつもりだった」
「なんだよ。言ってみろ」
「城田の兄貴を・・・。愛してくれてサンキューな。アンタは今でもアイツの為に戦っている。それが俺には嬉しいんだ。こんなこと・・・。シーマ達の前では言えないからな。でもな。本当言うと、お互いにそろそろもう自由になってもいいんじゃねえか?と思う。アンタだって・・・楽になりてえだろう。きっと兄貴もそう思ってるさ」
「・・・」
歩は、町田をジッと見つめた。
「って、俺。こんなことしてる場合じゃねえんだけど。じゃあ」
今度こそ町田は歩に背を向けて庭を走り出した。その背に、歩のからかうような声が届いた。
「町田。晴海にフラれたら、俺が慰めてやろう。同じ顔だから構わねえだろ」
町田は即座に振り返って笑った。
「若い方がいい」
そんな声が返ってくる。
「悪かったな。歳くってて。アイツの将来はセクハラオヤジに違いねえ。にしても、性格はまったく似てねえな、あの兄弟・・・」
苦笑しつつ、歩は門扉に寄りかかって、走っていく町田の背を眺めていた。


町田は、明かりの煌々とした方に向かって走っていった。聞こえるボールの音。緑川はいる。ああ、そうだ。前も。前もこんな光景があった。初めて緑川の家を訪ねた時。あん時は、確か。葉子ちゃんを訪ねに、俺はここへやってきたんだ。まだつい最近のことなのによ。
「緑川っ」
コートに佇む緑川の姿を見つけて、町田は名を呼んだ。
緑川はボール片手に、走ってきた町田をまっすぐに見つめていた。
「入れたということは・・・。もしかしてオヤジに会ったか?」
「ああ。門のところでな」
「なんか言われたろ」
「兄貴に似てるってさ」
「だろうな。オヤジにだけは、おまえを会わせたくなかったぜ・・・」
緑川は、フーッと溜め息をついた。
「意味不明っ!ところで、てめえな。城田の兄貴が初恋って本気かよ」
町田は、さっき心にひっかかったことを緑川にぶちまけた。
「あ?」
「さっきてめえのオヤジが言ってたぞ。おまえ、それマジかよ。俺はな。俺はっ。兄貴の身代わりなんて冗談じゃねえからな」
「なに言ってんだよ。バカじゃねえの」
町田の言葉を見事にアッサリと跳ね返して、緑川は町田を睨んだ。
「身代わりになんかなるかよ。てめえ程度のそのツラと性格で」
「なんだと!お、俺はそっくりだってしょっちゅう言われるんだぞ。せ、性格は全然違うって言われるけどよ」
「じゃあ、違うじゃねえかよ。それに、おまえはおまえだって言ったろ。だいたい身代わりだなんて思って、おまえのことなんか好きになれるかよ。最初はそりゃ似てると思ったけどな。よく知りゃ全然違うのに。イメージ壊れるんだよ、冗談じゃねえや」
「・・・おまえな・・・」
違う意味でかなりムカつく町田であった。思わず握り締めてしまった拳に、ハッとする。
「って。ま、まあ、いいや。なんだか。なに言いに来たのか、またわかんなくなったぜ。えっと」
町田は頭を掻きながら、チラッと緑川を見た。
「てめえはもうなんも言うなよ」
「へ」
「俺は。おまえが言うこと、まったくわかんねえよ。人間と猿って感じでな」
「あんだと?」
「どうせまたくだんねーことベラベラ言うつもりなんだろ。それよか、俺の話を聞けよ。ちきしょう。んとは、こんなこと言う予定じゃなかったけど、てめえのツラみたらなんだか腹立ってきた。町田。俺は、今度のバスケの試合で必ず勝つ。言っておくけど、簡単な試合じゃねえんだぜ。あの小野田先輩だって怖がってる強敵がいるんだ。だけど、足ひっぱらねえで必ず勝利に導く。俺は必ず勝つから。俺が勝ったら。てめえ、いい加減観念して、俺のこと好きになりやがれ!」
「・・・」
「返事っ」
「う、あ、ああ。わかった」
「よし」
真面目にうなづく緑川を見て、町田は我に返った。
緑川が、まさか、こーくるとは予想もしていなかった町田だった。
『黙って怒ってりゃ、今この場で俺が告白してやったのによぉ』そう思いながら、町田は堪えきれずにニヤニヤしてしまった。
「なに笑ってんだよ」
緑川の怒鳴り声。
「い、いや。おまえ、んとに、時々マジ可愛いな。おまえが負けても、俺惚れるかも」
顔を赤くしながら、町田は言った。
「不気味なこと言ってんじゃねえっ。しかも俺は負けねえよ。わかったら、とっとと帰れ。練習の邪魔だっ!」
つられて赤くなった緑川が、ヤケクソ気味で町田の尻を蹴飛ばした。
「わかったよ。蹴るなっつーの」

仕方ねえな。せっかく用意して来た言葉。おまえが試合に勝った、その時に。勝利の暁に。
プレゼントしてやるぜ!・・・と、町田は心の中で呟いた。

続く

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