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バイトが休みの日。夕方まで寝よう!と心に決めて布団の上に大の字になって寝ていた町田だったが、早朝から宅配便のにーちゃんに起こされた。
「お荷物届いてまーすっ」
「な、なんすか?コレ」
「自転車みたいっすね。ハンコください」
「へ。ああ。っす」
ポンッと伝票にハンコを押すと、「ありがとうございましたー」とにーちゃんは慌しく去っていった。
「自転車!?」
伝票をしげしげと見て、町田は「あっ」と声をあげた。差出人は緑川歩となっていた。
「緑川のとーちゃん!」
町田は慌ててドアを閉め、部屋の電話の受話器を持ち上げた。勿論、緑川の家に電話する
為だった。なんどかコールすると、「もしもし」と眠たそうな声が受話器の向こうに聞こえた。
「その声は!てめえ、緑川か」
「朝っぱらからうるせーな。町田」
「お、おう。俺だ」
町田は受話器に思わず縋りついた。緑川の声を聞くのは、久しぶりだ。ここ最近ずっと聞いていた声の筈なのに、試合を控えた緑川はピリピリしているらしくあの夜以来、接近してこなかった。2週間ぶりぐらいだ。試合はもう明日に迫っていたから。
「ひ、久しぶりって感じかな・・・。い、いや、別にな。久しぶりでせいせいするって気もするんだけどよ。いちおうは言っておかねえと」
と、ブツブツと町田は、素直ではないような素直なような態度である。
「ブツブツ、うっせー。なんの用だ?用ねえならば切るぞ。俺は忙しい」
そんな町田をビシッと無視して、緑川はいつものようにそっけない。
「・・・忙しいってなんだよ。いかにも、今まで寝てましたーっつー声だろうが」
「寝るのに忙しいに決まってるだろ。バカじゃねえの、てめえ」
まことに可愛くない緑川であった。町田は性懲りもなくムカッとした。
「へー。すっげえな。試合明日なのに、練習もしねえでグーグー寝てやがるのか。すっげえな。さすが、さすが。ヨユーだこと。そりゃあそうだよな。こっちにはあの小野田先輩がいるもんなあ。てめえなんざ単に人数稼ぎでコートに立っているだけだって、自動的に勝ちは決まってるからなあ。楽でいいだろうさ、んとによ」
フンッと町田は受話器に向かって嫌味を言ってやった。
「なんだと?」
受話器の向こうで、緑川がムッとしたのが見えるようで、町田はニシシと笑った。
「先輩は関係ねえ。俺の実力でチームを勝たすって言っただろ」
案の定緑川は言い返してきた。
「そうは言ってもなあ。実際はやっぱりな。小野田先輩だろ。やっぱな。先輩がいるんだから勝つのは当然であってさ」
おもしれーと町田は更に緑川を煽った。
「やかましー。先輩は関係ねえっ。何度言わせる、ヌカみそ脳味噌!」
「ヌカみそ脳味噌?意味わかんねえけど、なんかすっげえムカつく!んじゃ、緑川。もし、明日小野田先輩がいなくても、てめえは強敵に勝てるっつーのかよ」
「当たり前だろ。当たり前のことぬかしてんな、タコ」
ケロッと緑川は言った。すごい自信もいーとこである。町田は絶句した。
「先輩なんざいなくても、明日はぜってー勝つ!勝つ為に俺は寝るんだ。体力ためてるんだよ。わかったか、ボケナスビ」
「やっかましい!んじゃ、負けたらどーすんだ、このボケアワビ!」
訳のわからない罵り合いの応酬だった。
「負けたら?ふんっ。んなの有り得ねえから心配すんな。イカレヤンキー」
「もしもってことがあんだろうが。このうすらポンチ!」
電話の向こうの緑川が沈黙した。
「ん?」
町田はグッと受話器を耳に押し付けた。
「緑川?」
「俺が。もし俺が負けたら・・・。そん時はてめえの前から消える!」
「あ。消えるだと?どー消えるっつーんだよ。ドロンってか。忍者かてめえはよ」
「転校する。暁辞めて、転校する。そんでてめえにはもう二度と会わねえ!」
緑川の言葉に、町田はまたまた絶句した。
「いいかっ!そんぐれえ有り得ねえことなんだよ。この俺がいて、チームが負けるっつーのは。わかったか!くだんねー心配してんじゃねえよ。じゃあなっ」
言いたいことだけ言って、緑川は電話を切ってしまった。
「転校・・・!?」
ツーツーと虚しい音を耳に聞きながら、町田はヒクッと頬を引き攣らせた。
負けたら・・・。緑川が転校。まさかな。まさか・・・。いや、でも。アイツだったらやりかねねえ。なんだかんだ言って、けっこープライド高そうだし。
「ハハハ。確かに俺。くだんねー心配かもな。どう考えたって、負けるはずねえし。小野田先輩いるし〜」
ガチャンと受話器を電話に戻して、町田はハッとした。
「うお。俺、なんの為に電話したんだっ。お、俺は自転車のことを、緑川の父ちゃんに。な、なんでアイツなんかと朝っぱらから会話して、怒ったり不安になってなきゃいかんのだ!くっそー」
町田はチッと舌打ちして、布団に横になった。
「あー。もういいや。寝よ、寝よ。ったく」
あのバカめ。負けたら承知しねーぞ・・・と思いながら町田は目を閉じた。


ざわざわとざわめく体育館。夏休みだというのに、かなりの人数が、暁学園の体育館に集まっていた。もうすぐここでは、男子バスケ部の練習試合が行われる。暁学園VS秀峰学園という組み合わせだ。ちなみにこの試合は、ここらの地区のバスケ関係者では、知らぬ者はいないと言われる、小野田玲の引退試合だった。

「うあ。すっげえ人。体育館。なんだろ。なあ、比呂」
夏休みの補習を受けに来ていた三上恵は、体育館前を通り過ぎようとしてその人だかりに驚いた。恵の補習の付き添い人(無理矢理つきあわされたとも言う)、水上比呂は、その質問にあっさり答えることが出来た。
「なんでもうちのガッコのバスケ部のスーパースターの引退試合だってさ」
さっき擦れ違った人々がそう言っていたのを、比呂は聞いていたのだった。
「へー。んか、カッコイイじゃん。見てこーぜ!でもって、勝負賭けようぜ」
「って・・・」
「俺、暁が勝つ方に今日の晩飯!」
「俺だって暁に賭けたいんだけど・・・」
比呂は無駄を承知で言ってみた。
「バカヤロウ。暁は俺が賭けてんだろ。おまえは敵側。いいなっ!」
「・・・なんつー自己中ヤロウだ・・・」
ハアと溜め息をついて、比呂は仕方なくうなづいた。恵は、「よし」と機嫌よく笑った。


「金持ち学校だけあって、さすがに体育館は立派だな」
五条忍は、グルリと体育館を見渡して、呟いた。
「おまえのところだって立派だろうがよ。ボンボン」
桜井なつきは、フンッと鼻を鳴らした。
「けど、暁のが新しい学校だから綺麗に見えるんすよ。桜井先輩」
黒藤克己は、自分達の陣取っているかなりいい席の椅子を叩いて、言った。
「んなこと言ったら、俺らの学校に体育館見たら驚くぞ、黒藤」
桜井はちょっと拗ねているようだ。
「あ、俺。行ったことありますよー。秀峰。ヤンキーだらけですげえ迫力だったっすよ」
君津薫は、桜井相手にも、まったく容赦ない。
「偏差値低いって言いたいのか」
ギロッと桜井は君津を睨んだ。
「わ、怖いです〜」
キャ〜と君津と黒藤が抱き合って、怯えたフリをする。
「桜井先輩。そこのバカ達は相手にしない方がいいですよ。瞬時に脳みそ腐れますから」
柳沢凛が少し離れたところに座っていて、呆れたように忠告してきた。
「だな。こいつら、疲れる。おまえはよく相手してやってるよな。柳沢」
桜井は肩を竦めながら、柳沢の席の近くに移動していく。
「したくはねえんですけどね・・・」
ハハハと柳沢が引き攣った笑いを洩らす。
「おうおう。てめえら!この席、どーだ!?いい席だろ♪まん前だぜ」
途端に元気な声が割り込んでくる。
「りおちゃん」
桜井は、こちらに向かって歩いてくる小泉りおに手を振った。
「なんたって、俺の持てる人脈を駆使して、この席を取らせんだからなっ!なっちゃん、見ろよ。ここらにいるやつら、みーんな秀峰の応援だぜ。すっげえだろ」
秀峰学園側の応援席は、試合開始にはまだ時間があるというのに、満員御礼だった。
「・・・確かに。これ、みんなりおちゃんが集客したのかよ」
応援席を眺めながら、桜井が小泉に聞いた。
「ったりまえだろ。この俺が声かけりゃ、こんぐれえの人数ちょろいって」
フフフンッと小泉は鼻を鳴らした。
「ヤローばっかり・・・っつーのがいかにもりおらしいと思わねえ?」
笑いながら、五条が突っ込んだ。
「確かに超むさい」
桜井が五条の言葉に同意してうなづいた。
「や、やかましいっ、五条!第一てめえはなんだ。せっかくなっちゃんからの応援要請があったのに、おまえがリストアップしたやつ等は皆オンナだったじゃねえか!」
「こういう場合は、むさい男の声援より女の声援のが楽しくプレイ出来るじゃん」
ねえ、と五条は桜井に相槌を求めた。
「俺もそう思う」
再び桜井はうなづいた。
「ぬかせっ!勝負の世界の厳しさに、黄色い声援なんざいるか。第一、オンナなんか集めたら、皆敵に持っていかれるぞーだっ!あっちにゃ小野田と奥田。二年には緑川がいるんだからなっ」
ベベベと、小泉は五条に向かって舌を出した。
「まあな。確かにそれは言えてるかも・・・。しかし、こんなもん相変わらずどっから持ってくんだよ・・・」
五条は、小泉がどこからか持ってきた「暁学園バスケ部の秘密」なる怪しげなノートをパラパラと捲っては呟いた。ノートには盗み撮りされたかのような写真が何枚か挟まれている。
「ふんっ。それ見たことか。俺のリサーチは完璧だ。そういうことも懸念しての、この集客だからな。さすが俺!」
フンフンッと小泉は胸を反らして自慢気だ。
「嘘くせえな〜。単に女の知り合いがいねえだけじゃん」
五条が胡散臭そうな目で小泉を見た。
「んだと!?」
バチッと五条と小泉の間で火花が散ったのを見て、桜井は二人を押しのけた。
「相変わらずなやつらは放っておいて。それよか梶本達はまだかな?」
キョロキョロと辺りを見回す。傍にいた柳沢もつられてキョロキョロとし出した。
「暁のやつらも来てねえし。張り切っているのは、俺ら秀峰のギャラリーだけみたいですね、桜井先輩。」
「だよな。なんかすげえ恥ずかしい」
桜井と柳沢は顔を見合わせては、ちょっと複雑そうな顔をした。
ピカピカに磨きぬかれた体育館の床が目に眩しい。だが、コートには選手はまだ一人もいなく、体育館には秀峰の応援の人々があちこちでざわめているだけだった。桜井と柳沢がぼんやりと暁の応援席の方を見ていたら、やっと何人かが暁の応援席に向かって歩いていくのが見えた。


「お。なんだ、なんだ。秀峰の方の応援席すげえな」
小野田泪は、グルリと相手側の応援席を見ては、口笛を吹いた。
「ほんとだ。夏休み真っ盛りだっていうのに、学生は気楽でいいね」
アフッとあくびをしながら、野瀬高弘は言った。
「賑やかでいいね。ところで、暁の応援席もちゃんと、ああいうふうになるのかな」
エリー・ダグラスは、まだ数人しか座っていない暁学園応援席を見て、眉を寄せた。
「なるだろ。だって、玲兄の引退試合だぜ。俺、友達皆に言いまくっておいたから。したら、友達も自分らの兄貴達連れて見に行くって言ってた」
小野田潤は、エリーの不安を取っ払うように元気よく言った。
「そう。ならいいけど。応援があるとないとじゃ違うからね」
エリーは金色の髪をかきあげながら、ホッとしたように微笑んだ。
「ところで。光は今日は出るのか?」
泪が「懐かしいなぁ」と体育館を見回しながら潤に聞いた。ここは泪の母校でもある。
「昨日聞いたところによると、たぶん出るらしいよ。玲兄がどーしても光兄とやりたいってうるさかったらしくて」
すると泪は
「玲のヤツ。やりてーことが違うだろーが」と呟き、クククッといきなり笑った。エリーと野瀬と潤は、三人で、不気味な泪の笑みを見ては「?」という顔をした。
4人は、適当に椅子にガタッと座った。潤を除いた3人は明らかに眠そうな顔をしていた。昨日の酒盛りの余韻を引きずったまま、この試合を見に来たからだった。
「でもさあ。暁と秀峰なんて、すげえ組み合わせだよね。なんでこの練習試合実現したんだろ」
潤はキョトンとしている。その潤の疑問には泪が答えた。
「なんだ、知らないのか。秀峰主将の梶本と、玲はおホモダチだ」
「うおっ!そうだったんだぁ。なるほどねぇ。そりゃ納得」
ふむふむと潤はうなづいた。
「オホモダチで簡単に納得するなよ、潤。おまえも立派に小野田兄弟の一員なんだな」
野瀬が首を竦めた。
「潤の将来が心配だよ、僕は。このまままっすぐに育ってくれればいいけどさ」
エリーがボソッと呟いた。
そんな会話をしている間に、暁の応援席にも人がザワザワと集まってきていた。


その頃町田は、緑川父から突然送られてきた立派な自転車に乗って、学校への道を急いでいた。
「すげえ快適だぜ〜」
新品な自転車は快適だった。ギアチェンジまでついている。先日、緑川邸の塀を乗り越えようとしたミッションは、緑川父に不意に声をかけられたことにより失敗に終わっていた。あの時、慌てた町田は自転車を思わず蹴り飛ばしていたのだった。そして、その自転車は門扉に激しくぶつかり、くたばっていたという・・・。書かれはしなかったが、それは事実であった。そのことを気の毒に思ったのか(というか、町田は自業自得でしかもチャリは元々すげえボロ)、緑川父は町田に新しい自転車をプレゼントしてくれたのである。
「金持ちってすげえな〜。俺なんか、この半年、チャリ買うか買わないかでずっと迷っていたのによお」
町田は緑川父の心配りに感動していた。自転車ならば、まだいいが、服などもらった日は受け取るな!と誰か町田に言って欲しいくらいであった・・・(笑)というか、タダより怖いものはナイということを町田はそのうち身をもって知る日が来るかもしれない・・・。
今日の試合の勝利を、町田は微塵も疑っていなかった。緑川のアホの、自信満々発言は、どーでもいいとしても、こちらには小野田玲がいるのだ。やはりどう考えたって、負ける筈はない。たとえ、緑川がクソの役に立たなかったところで、勝ちは決まっている。あとは、自動的に俺が緑川へあの言葉を「プレゼント」するだけなのだ。
「照れるぜ、オイ」
などと一人呟きながら町田はスイスイと自転車を漕いでいた。が。そんな町田の前方に、バッと小さな人影が飛び出してきた。
「うおっ」
キキキッと町田は慌ててブレーキを引いた。
「な、なんだ、なんだ。どーした」
飛び出してきたのは、小さな男の子だった。泣いている。
「どうした、おまえ」
自転車から飛び降りて、町田は男の子に声をかけた。
「た、助けて!お、弟のハイネルが車にはねられて怪我したんだ」
「な、なにいっ!お、弟のはいねるがっ?って、弟は外人か??いや、んなのはどうでもいい。おい、どこだっ。弟はどこで事故った!泣いてねえでしっかりしろ!俺を案内しろ」
町田はたちまちに顔色を青くして、男の子の背を叩いた。
「う、うん。あっち。お、お願いします、病院に連れていってください!」
「がってんしょーちじゃ。行くぜ」
バッと町田は自転車をそこらに放り投げて、男の子の後をついて駆け出した。余談だが、道路に無造作に放り投げられたこの新品の自転車は、角を曲がってきた居眠り運転のダンプに、タイミングよく跳ね飛ばされて即死したという・・・。


暁の男子バスケ部室は、恐ろしいほどの沈黙に包まれていた。
「秀峰の選手達が体育館に出てきた。ウォーミングアップだ」
副主将の永田が、バタバタと体育館から部室に戻ってきた。
「小野田はまだか?」
「・・・まだだ」
奥田は首を振った。永田が「そうか・・・」と項垂れた。
「なにやってんだ、あのバカは!携帯は繋がらねえし!遅刻するにしたって、遅刻する時間ってもんがあるだろうが。なあ、緑川」
奥田は椅子を蹴って立ち上がった。
「遅刻に時間なんてあんの?」
椅子の背を抱くようにして座っていた緑川がキョトンと聞き返す。
「るっせー。待ち合わせの時間の一時間遅れが遅刻って決まってるんだよ。それ以上過ぎたら、もう遅刻とは言わないっ」
奥田は叫んだ。
「じゃあ、なんて言うの?千秋先輩」
緑川は突っ込む。
「やかましい。一人で落ち着いてるなっ!緑川めっ!おい、永田。体育館見てきたか?」
「ああ。見たとも」
永田と奥田は顔を見合わせた。同時にガックリと肩を落とす。
「あ、あの、ギャラリー。どうせーっつーんだよ。敵味方なく、ほとんどが小野田目当てなんだぞ」
「あのホモ、どこかで可愛い子ナンパしてるんじゃねえだろうな」
「光も一緒の筈だ」
「二人して、ナンパしてるのかも。あそこホモ兄弟だから」
「ありえる・・・」
という具合に、奥田と永田を先頭に暁バスケ部室は混乱していた。
「葉子ちゃんっ。玲と連絡取れた?」
携帯片手に葉子が部室に入ってくると、奥田は葉子に噛みつかんばかりに聞いた。
「いいえ、まだ。私も今体育館見てきたけど、姿はありませんでした」
「葉子。町田は?」
横から緑川が聞いた。
「町田先輩もいなかったな、そういえば・・・。いればすぐわかるし」
あれ?と葉子は首をかしげた。緑川は、葉子の言葉に顔を曇らせた。
「・・・」
町田が現れたら、特別にベンチに案内するように、と緑川は葉子に頼んでおいたのだ。
「町田なんぞどーでもいい。今は小野田だ。小野田連れてこい、小野田ーーーーっ!」
永田と奥田は二人で交互に喚いていた。


「暁のやつら。どーなってんの?梶本先輩」
秀峰学園側の選手達は、既にコートに出ていた。もくもくと練習している。副主将の江田が、主将の梶本セイに声をかけた。
「知らねえよ。まだ玲の姿が見えないから、遅刻でもしてんじゃん」
梶本は、ボールを片手にチラッと暁のベンチを見た。応援席は既に満員御礼だったが、肝心の選手達が出てこない。
「ギャラリー。小野田目当てばっかじゃん。小野田のヤツ、焦らしてやがるな」
江田は、苦笑する。
「派手好きなヤツだからなぁ。ありえるかも」
相槌をうったところで、応援席の方から名を呼ばれて、梶本は江田に「ちょい行ってくる」と声をかけてコートを出た。
「桜井さん」
梶本はまっすぐに桜井の元へと駆けて行った。
「うっす。おまえの言うとおり声かけておいたら、こんなに集まったぜ」
桜井は背後の応援席を指差した。
「・・・すげえですね。暁に負けてねーじゃん。ありがとうございます」
「なっちゃんのおかげじゃねえぞ。俺のおかげだ。感謝しろよな。梶本」
二人の間に、ヒョコッと小泉が割り込んできた。
「こんちは。りお先輩のおかげですか。ありがとうございます」
梶本はペコッと小泉に挨拶をした。
「いやなに。ま、ざっとこんなもんで。頑張れよ!」
ニコッと微笑む小泉に、梶本もつられて微笑んだ。
「はい」
「邪魔すんな、りお」
ヒョイッと五条が小泉の襟を引っ張って、席に押し戻した。
「あにすんだ、五条ーっ」
そんな二人を見てクスクス笑っている梶本を見上げて、桜井は
「勝てよな」
と、真剣な顔で言った。
「桜井さんがちゃんと俺を応援してくれれば勝てる気がする」
桜井を見下ろして、梶本はコクッとうなづいた。
「けっ。気持ちわりー。女相手に言えよ、そんなの」
「俺がんなこと女に言ったら、アンタは嫉妬するでしょ」
梶本は、フフンッと鼻で笑った。桜井はカッと顔を赤くしたが、
「っせ。負けたら晩飯奢れよ。アレイスのディナーコース」
とすかさず言った。アレイスとは梶本宅の近くにあるこ洒落た無国籍レストランだ。
「ちょっと待てよ。ディナーって言ったら、五千円コースじゃん」
「たりめえだろ」
「今日の相手、誰だと思ってんの?」
「相手が誰だろうと勝て!」
桜井の強気発言に、梶本は苦笑して、
「ベストつくしてきますよ」と言い、コートに戻っていった。


その頃。
暁バスケ部室では「時間です。覚悟決めて、もうコート行っちゃってください。いきなり本番じゃマズイですから!」という葉子の言葉に、部員達はガックリと肩を落としてそれぞれの椅子からのろのろと立ち上がっていた。とうとう小野田玲・光兄弟は現れなかった。
「しゃーねー。いくか」
永田がハアと溜め息をつきながら渋々言った。
「小野田が来るまで、点差を開かせないようにな」
奥田がキッと表情を引き締めた。
「勝つぜ。練習試合といえど、最後の試合だ」
「おうっ」
皆で手を合わせ、掛け声をかけてから、部員はゾロリと体育館に向かった。
「葉子。町田は?」
緑川は葉子に再び聞いた。
「来てないよ。おにーちゃん」
葉子の言葉に、なにやってんだあのアホは!と呟き、緑川は小さく舌打ちした。
「見かけたら引き摺ってでもベンチ連れてこい」
「わかったよ。頑張ってね、おにーちゃん。負けられない試合だもんね!ガンバッテ!」
町田との賭け?を、緑川から無理矢理聞きだした葉子は、ニッコリと微笑み激励した。


体育館の方角からは、派手な声援の声が聞こえてきた。
「くそっ。くそっ。くそーっ。かっ、勝ってるんだろうな〜」
町田は叫びながら校門を潜り、一目散に体育館に向かった。
ハイネル交通事故事件(町田命名)は、散々だった。少年が弟のハイネルと言ったのは、少年の黒い飼い猫「ハイネル」のことだった。現場に辿りついた町田は、そこにハイネルの姿がなくて驚いた。「いねえじゃん・・・」と唖然としていると、少年は泣きながら「ハイネルは僕の弟なんだ!僕は一人っこだしぃ」とビービー泣いた。「だから。いねえぞ。ハイネル、どこ行った!」と聞くと、「そこらへんにいる筈。子猫だから、探しても見つからなくて・・・」と少年は言った。「子猫?」町田は再び唖然としてしまった。ハイネルは車に撥ね飛ばされた衝撃でどっかの草むらに転がってしまっていて、見つけ出すのにかなり苦労した。やっと見つけ出したら、もう虫の息。町田は、自分の掌の中でミャウミャウと泣く黒猫を見て、「可哀相に。しかも、なんと不吉な。これは絶対に助けねば・・・」と、俄然張り切った。泣き喚く少年を片手に、町田は道路を走った。救急車を呼ぼうにも、動物など乗せてはくれまい。途方にくれた町田は、とにかくそこらを歩いている人をとっつかまえ動物病院を聞き出した。少年と二人、聞き出した病院にハイネルを連れていき、診てもらった。ハイネルはいきなり手術されてしまったが、とにかく無事に生還した。少年とその場で大喜びしていた町田は、ハッと我に返った。緑川達の試合の、開始の時間は、とっくに過ぎてしまったからだった。町田は大慌てで動物病院を飛び出し、学校に向かって現在に至る。

体育館入り口には人だかりが出来ていた。その人だかりの一番前に、顔見知りの近藤愁が立っていた。近藤もかなり背が高いので目立つのだ。
「近藤。暁勝ってるか?」
と町田は声をかけた。
「町田!勝ってるか?じゃねえよ。てめえ!緑川なんとかしろよ」
近藤は入り口付近で、町田を振り返って怒鳴った。
「あ?緑川がどうしたっ」
町田は心臓がギクッとしたのを感じた。
「どういうわけか小野田先輩いねえんだよ。緑川のヤロウ。一人張り切っているのはいいが、千秋先輩をこき使いやがって!千秋先輩もうヘロヘロなんだよ」
その言葉を聞いて、町田は目を見開いた。見学者達が邪魔で町田は思うように前に進めないでいた。
「小野田先輩がいねえだと?この大事な試合に遅刻してやがるとは、なにしてやがんだ、あのホモはっ」←てめえもだ。
「んなのどーでもいいから、緑川を抑えろ。あのボケやろー。先輩である千秋ちゃんを顎で使いやがって。許さねえ」
「っせえ。緑川は頑張らなきゃいけねえ理由があんだよ。いいだろうが別に」
「よくねえよ」
ぎゃいぎゃい二人は言い合った。町田は人ごみを掻き分けて、ようやく先頭の近藤のところまで辿りつき、コートを覗いた。
バン、バンッとボールの音が耳に飛び込んできて、すぐに緑川の姿が目に入った。
「緑川。打てっ!もう時間ねえっ」
誰かの声が聞こえる。シュート体制に入ろうとした緑川の手からヒョイッとボールが鮮やかに奪われた。
「よしっ。梶本、回せ」
ボールが敵側に渡った。緑川達はそれを追いかけて、反転していく。
「さっきから、秀峰のあのキャプテン。むっちゃ強い。隙ねえの。ボール取りまくりなんだよ。シュートはうめえし。さすがの緑川も手やいてるぜ」
近藤の台詞に、町田は呻いた。
「む。あれが強敵か。なるほど」
町田は顎を撫でながら、コートを見つめたが、ハッとした。
「やべ。俺、ベンチ行かなきゃ。緑川と約束してる」
「あ、じゃあ、俺も」
近藤は町田のあとにくっついてきた。
「なんでてめえも来るんだよ。でけえのに邪魔だ。俺は関係者だからいいけどよ」
「うっせえな。俺だって千秋先輩の関係者だ。幼馴染なんだぜ!いいじゃん」
「おとなしくしてろよ」
「てめえに言われたくねえよ」
二人は更に人をかきわけ、体育館に入り、やっと暁学園側のベンチに到着した。
「町田先輩っ!遅いよっ」
葉子が怒っている。
「緑川。すまん。いや、俺。ちょいと」
「なにやってたんですか、先輩っ。お兄ちゃん、先輩が来ないからすっごい苛々してて。早く、こっち来て。おにーちゃん!町田先輩来たよー!」
葉子は町田の腕を引っ張りながら、コートに向かって叫んだ。だが、葉子の声など、両方の学校の応援の声にかき消されてしまうぐらいだった。
「緑川、聞こえねえって」
と町田が言いかけた時、フッとコートを走る緑川が振り返った。
バチィッと緑川の鋭い視線が、町田に飛んできた。
「!」
うっ・・・と町田は怯んだ。かなり距離があったが、それでも目が合ったことがわかった。
「やった。お兄ちゃんが気づいたわ。さすが町田先輩の姿は、見逃さないのねっ」
「町田は無駄にデケーから、気づいても当然だろ」
近藤が、フッと笑いながら言った。


「ひいっ。ふうっ。はあっ」
怪しげな息をつきながら、奥田はスコアボードを見た。
「ひいい。この点差こえー。前半早く終わってくれー」
かなり得点が開いた。
「千秋先輩、戻るぜ」
緑川が声をかける。
「っせえ。わかってるよ」
ゼッ、ゼッと奥田は息を乱しながら、ボールを追った。先を走る緑川の背を見て、「てめえも疲れてるよな・・・」と小さく呟いた。秀峰は、派手なプレイヤーはいないが、とにかくデカイやつらが多かった。その中でも比較的小柄な主将の梶本が、これまたきっちりとした性格のプレイヤーで、とにかくやりづらかった。玲が嫌がるのもわかるな・・・と思った。その梶本率いる秀峰を押さえているのは、やはり玲の次に、実力のある緑川だった。だが、それを知っている秀峰は徹底的に緑川を封じた。緑川は思うように動けないまま、コートを走っている。苛々しているのが、目に見えてわかった。らしくもなく、シュートも外れる確立が高かった。あれだけブロックされちゃな・・・と奥田は思っていたが、どっこい緑川が苛々していたのは、敵の攻撃のことだけじゃなかった。ベンチに居るはずの男が居ないから。それが苛々の大半を占めていたのだった。
「リバンッ」
秀峰の江田が打ったシュートが外れた。すかさず、緑川が秀峰に負けない長身で、ボールをもぎ取った。ドオッと暁学園側の応援席が弾んだ。
「いけ、いけ」
「きゃー。緑川先輩、ガンバッテー」
声援の飛ぶ中、緑川はドリブルで突破していく。
「緑川、パス出せっ」
永田が緑川を追いかけて、声をかけた。
「るっせえ!」
緑川は叫んで、切り込んでいく。
「バカ。無茶すんなっ」
バンッと一際鮮やかにボールが弾んで、緑川はそのままヒラリと飛んで、ゴールにボールを叩き付けた。ボールは危なげなく、リングにストンと落ちた。
「やったー」
「かっこええーーー!」
暁の応援席から拍手が沸いた。
「おー。なんかいきなり、すげくなったじゃん」
ゴールの下で、落ちてきたボールを拾いあげながら、梶本は呟いた。その梶本をギロッと睨みつけて、緑川は「ふんっ」と背を向けた。
「バカヤロウ。今のはパスで回してけ。入ったからいいものを」
永田が緑川を叱りつけた。
「入ったからいいじゃねえっすか」
「今のは運が良かったんだ。この単細胞っ」
バシッと永田は緑川の頭を軽くはたいた。
「あ。町田」
奥田は、ベンチに町田がいるのに気づいた。すると、緑川はチラッとベンチに視線をやった。
「とろとろ来やがってよ」
「あれ?いなかったよな。何時の間に・・・」
「ついさっき。やっと来た」
ボソッという緑川に、奥田は「ああ。なるほど」と呟いて、ニッと笑った。
「それでか。苛々してたの・・・」
ハハアンッと奥田は笑って、緑川の背を叩いた。
「その調子で頼むぞ」
「?」
緑川は、キョトンとしている。
「奥田。緑川。なにしてるっ。ボール出たぞっ!」
永田の声に、二人はハッとしてボールを追いかけた。


「ま、まあ、なんだな。今のはすごかったかもな」
町田は、ヘヘヘと笑った。鮮やかな緑川のプレーにさすがの町田も褒めざるを得ない。
「やっとおにーちゃんのいつもの調子が出たって感じだわ。ああ、もう。きっと町田先輩のおかげに決まってるのね」
葉子はノートを抱きしめながら、町田を見上げた。
「悔しいなあ。私が一生懸命応援しても、全然ダメだったのに、先輩の姿見た途端、シュート決めちゃうなんて」
クウッと唇を噛み締めて、葉子は恨めしそうに町田をジッと見ている。
「み、緑川。その顔こえーぞ・・・」
と町田は、後ずさった。
「へー。おまえら、んなにラブラブだったのか。ありゃ新聞部のデマだと思っていたがな」
ちゃっかりベンチに腰かけている近藤は、そんなふうに言って町田をからかう。
「ら、らぶらぶ・・・」
カアッと町田は顔を赤くした。
「んだったらよー。てめえ、なにチンタラしてたんだよ。もっと早く来てやりゃーいいのに。なんだかんだ言ってもやべーぞ。緑川かなり疲れてるよーだからな」
近藤の言葉に、葉子もうなづいた。
「そうなんです。お兄ちゃん、もうけっこうヘバッてると思う。やっぱり小野田先輩がいないのはかなり辛いよ・・・。相手は名門の秀峰だし、梶本さん強いし」
「そーいえば。あのホモ、マジでどーしたんだよ」
町田はベンチに腰掛け、脚を組かえながら、呟いた。
「行方不明なんです。光くんと共に・・・」
「ったく・・・」
と言いかけて、町田はハッとした。
「え?小野田先輩、いない。負ける・・・。緑川が負ける・・・??とか・・・」
一瞬、頭の中をサーッと不吉な予感がよぎった。町田は立ち上がって、脇のスコアボードを振り返った。
「なんじゃ、この得点差!や、ヤバイじゃねえかよー!き、気づかなかった」
「フツーは一番初めに気づくだろ」
呆れたように近藤が、立ち上がった町田を見上げては呟いた。
「ま、負けるじゃねえかよ、これじゃ・・・」
「やだ。不吉なこと言わないでください、町田先輩。まだ負けると決まったわけじゃないわ。この点差だったら、後半だって十分盛り返せるわよ!まだまだだわっ!」
葉子が、バシンッとノートで町田の腕を叩いた。
町田はキッとコートの緑川の姿を目に捉えた。そして。たちまち、町田はその場で監督と化した。
「こらーっ。緑川っ!ちんたら走ってるんじゃねえっ。きりきり走りやがれっ!」
と叫び、
「シュート打て。あ、このバカ。はずしてんじゃねえっ」←仕方ない
「うおおー。ボールよく見やがれ。どこ見てやがる」←フェイク使われたから仕方ない
「その邪魔なヤツ、蹴っ飛ばせ。いつも俺にやってるように!」←ファウル取られるよ。
「てめえ負けたらぶっ殺すぞぉおおおっ」
次から次へと叫ぶ町田の大きな声は、体育館に響き渡っていた。ベンチの本物の監督、青谷は、ピクピクとこめかみに青筋を立てて、葉子に「そのバカを黙らせろ」と命じた。
「ま、町田先輩。お、落ち着いて」
葉子は町田の腕に取りすがって、懇願する。だが、興奮した町田は手がつけられない。
「緑川。てめえ、眠ってんじゃねえだろうな。目開いてるか?クソボケーっ。てめえがちゃんとしねえと、負けちまうだろ。負けちまうだろーがっ!」
グワングワンと町田の声が体育館に響きまくる。


一方、コートでは、ボールを目で追いかけていた緑川が叫んだ。
「奥田先輩っ。頼むっ」
「ひーっ。あんなの取れるかよっ〜!」
緑川に頼まれ、零れたボールを奥田が必死に追いかけていく。ラインぎりぎりで、奥田は奇跡的にボールを捕らえて、緑川に送った。ガタタッと奥田は秀峰ベンチに飛び込んでいった。
「すげえっ!千秋せんぱーい、ナイス。愛してるーっ」←近藤
「うわっ。取りやがった」
秀峰側の選手達はハッとゴールを振り返った。ゴールは、がら空きだった。
「!」
一番初めに反応した梶本は、ボールを手にした緑川を追いかけようと、ヒラリと走った。当然緑川はゴールに突っ込んでくると思った梶本だったが、その緑川は、ゴールなど見ようともせずに、ものすごい勢いでボールを暁学園ベンチに向かって投げつけていた。
「!」
ぎゃあぎゃあ喚いていた町田だったが、なぜかボールが自分目掛けて飛んできたことに、ギョッとした。
「ん。オイ。まじかよっ!」
慌てて避けようとしたが、無理だった。ドゴオッ★と凄まじい音がして、ボールが町田の顔面にめりこんだ。
「きゃーっ!」
背後の壁に背中からすっ飛んでいった町田を見て、葉子が悲鳴をあげた。
暁ベンチは言うに及ばず、コートの両校の選手達も、秀峰側のベンチ・応援席もその突然の出来事にシーンッとなった。
「てめえ。やかましいんだよ。おとなしく見てろって言っただろっ。俺は負けねえ。そんなに俺が信じられねえのかよっ!いいから黙れっ。そこで、俺を信じて、おとなしく見てやがれってんだ。クソッタレ」
緑川は肩を喘がせて、町田に向かって叫んだ。町田は、近藤と葉子に手を借りて、ヒョロヒョロと立ち上がった。
「いてえ・・・」
町田は掌で顔を押さえながら、緑川を見た。緑川は、フイッと町田から視線を反らした。呆然としていた会場、そして審判達だったが、気を取り直したように試合再開の笛が鳴る。
「・・・緑川〜。どーでもいーけど、俺がせっかく取ったボールだったのに・・・」
秀峰のベンチの選手達に支えられてコートに戻ってきた奥田は、泣き笑いだった。
当然ながら、ボールは秀峰学園からスタートだ。
「なんか。すげえな、今の台詞・・・」
君津薫がボソリと呟いた。
「意味深だよな、オイ」
黒藤が君津の言葉を受けて、首を傾げた。
「ホモの小野田玲率いる暁男バスだ。そうであってもおかしくはないだろうな」
小泉が至極真面目な顔で言った。
「自分だってホモじゃん」
五条がつけくわえた。
「誰のせいだっ!」
くわっと小泉が目を剥いた。
「おっと。おっと。りお、試合始まるって」
五条は慌てて小泉の肩を抱いた。
「この手はなんだっ。人前でやるなっていつも言ってるだろ!」
バシーンッと小泉は五条の頬を思いっきり引っ叩いた。


「ちきしょう・・・」
緑川は腕を押さえた。今のロングパス?のせいか、腕が痛んだ。ただでさえ、ここ最近、町田と絡むようになってから、物騒な場面に遭遇しまくっていた。慣れない喧嘩を止めたり、やったりと。そのどれかのせいだろうか。練習中にも時々腕が痛んだ。だが、あえて気にしないようにして練習に、試合に挑んでいた。ちゃんと処置をすればよかったのかもしれない。だが、今更言っても遅い。どんどんと痛んできた腕に、緑川はさすがに顔を顰めた。とうとう回ってきたパスを取り損ねて、落としてしまう程に腕が痛んだ。
「緑川っ!?」
永田が、驚いたように緑川を見た。
「すんません」
落ちたボールを秀峰に奪われた。ボールを追う。緑川は思わず右腕を左腕で押さえた。
『やべえ。マジ痛え・・・』
こめかみに、冷たい汗が流れた。
ワッと秀峰応援席に歓声があがる。
「!」
梶本が得点を入れたからだ。緑川は、チッと舌打ちした。
『どうしよう。負ける訳にはいかない。俺は。俺は・・・。勝たなきゃ町田を手に入れることが出来ねえ。それに。会えなくなっちまうよ・・・。負ける訳には行かねえっ!』
緑川はベンチの町田を振り返った。町田は、さっきのショックから立ち直れないでいるのか、おとなしくベンチに座っていた。振り返った緑川の視線に気づいて、町田は思わず身を乗り出した。
「・・・」
どこか、いつもと違う緑川の視線に気づいて、町田は眉を寄せた。
「緑川!?」
もう騒ぐ訳にはいかなかったが、どうすることも出来ずに、町田はベンチから立ち上がった。なにか、緑川に言葉を・・・!そう思っていた瞬間だった。
前半終了の合図と共に、体育館入り口から大歓声が起こった。
「!?」
振り返ると、人々をかきわけて、小野田玲と光がベンチに向かって走ってきていた。
「先輩っ!」
「小野田先輩」
「きゃー。玲せんぱぁいっ!待ってましたー♪」
ワッと暁の応援席に歓声が起こった。
小野田は、ベンチに向かって手を合わせながら走ってきたが、すぐに観客席に視線を移した。そして、叫んだ。
「泪、潤。どっかにいるかー!産まれたぞ。産まれたぞっ!小野田家にお姫様誕生だぜ。女の子だった。女の子だったぞー!」
玲は、観客に紛れている、どうやら自分の兄弟に向かって叫んでいたようだった。観客席の、とある場所から「女の子か。やったあっ!」「でかした、おふくろっ」と、言う叫び声が聞こえた。途端に、ワーッと拍手が起こった。小野田家に、新しい兄弟が出来たようだ。そのせいで、玲と光の兄弟は到着が遅れたようだった。
「マユだって。マユちゃんって名前だよー。すっごく可愛かったよー」
小野田光が、声のした方に向かって、大きく手を振った。
「という訳だ。出掛けに、おふくろの病院に寄ったら、とんでもねえ場面に遭遇しちまって。出産立ち合ってきた。悪かったな。青谷先生、すみません」
前半をベンチの選手達に、後半を顧問に言いながら、玲は上着を脱いだ。
「いいから。とっとと用意しとけ。光もな。後半は頑張ってもらうぞ。あそこで」
青谷は、コートを指差した。玲と光は、顔を見合わせ、うなづいた。


「イヤなやつが、いいタイミングで出てきちまったな」
秀峰側監督の倉本は、ムウッと呻いて顎髭を撫でていた。
「ですね。ったく。目立ちたがりやなヤツですよね」
梶本がベンチに戻ってくると、桜井は梶本にタオルを投げてやった。サンキュと梶本はタオルを受けとって汗を拭った。
「やばいっすよ。桜井さん。本命登場」
梶本が桜井を見て、肩を竦めた。
「玲か」
ふむと桜井はうなづき、暁ベンチを振り返った。暁側の盛り上がりはすごかった。
「うわあ。アレが小野田か。ホンモノ初めて見た。オーラ出てるぞ。確かにカッコイイな」
ジーッと小泉が、暁のベンチを見ながら、感心したように言った。
「俺とどっちが?」
と五条が聞くと、小泉はニヤリと笑って、「決まってんだろ」と言った。五条は顔を顰めて、フンッと鼻を鳴らした。
「んにゃ。小野田の横にいる小さい子も可愛いっ」
すかさずに君津がチェックを入れていた。
「いや。小さくはねえが・・・。確かにすっげえ可愛い。俺好み」
黒藤は、身を乗り出した。真面目な柳沢はそんな二人を無視して、「えーと。小野田玲のデータは」と、小泉の持参していた調査ノートを開いて見ていたが、それは黒藤にバッと奪われてしまった。
「あ、この子だ。小野田光。光ちゃんだ」
用意のいいことに、小泉のノートには、暁バスケ部員全員の写真が揃って挟まっている。
「なんかよく見てみると、凛に似てるなあ。可愛いーっ」
にやけている君津と黒藤を睨んで、凛は無言でノートを取り返した。


緑川はベンチに戻ってきた。選手の為に、近藤と町田は座っていた場所を、譲った。近藤は、「千秋先輩」と奥田に走り寄っていった。緑川は葉子から受け取ったペットボトルをがぶ飲みしながら、コートを睨みつけていた。そんな緑川の後ろに立って腕を組んでいた町田だったが、背後から降り注ぐ視線に気づいたのか、緑川がゆっくりと振り返った。
目が合う。
「ごめんな」
町田がボソッと言った。
「おまえのこと。信じてなくってよ」
「・・・」
「勝つって。おまえ、勝つって。言ってたよな。わりい。信じてなくて、わるかった」
緑川はジッと町田を見上げている。
「余計な口出しして悪かったよ。信じて待ってるから。必ず勝ってこいよ」
「小野田先輩が来たから、コロッと変わったのかよ」
緑川が無表情に言った。
「また、てめえは・・・!あのホモの登場は、タイミングの問題なんだよ。たとえ、現れなくても。俺は、同じことをてめえに言っていたさ。信じて待ってるから。思いっきりやってこいよ」
町田は緑川の頭にタオルをパサッと投げた。
「・・・ああ」
緑川は頭の上に乗せられたタオルを引っ張り、それで汗を拭いながら、うなづいた。
「こら。誰がホモだ。てめえらだって、立派に仲間じゃねえかよ」
盗み聞きしていた小野田が、町田の頭を叩いた。
「いってえな。小野田先輩。おせーよっ。ハラハラさせやがって」
叩かれた頭を庇いながら、町田はぼやいた。
「それについては悪かったな。だが、こんぐれえの得点どーってこたねえよ。俺には、光と緑川がいるからな。すぐに追いついてやるさ。なあ、緑川」
「ういっす」
緑川はタオルを町田に投げ返して、立ち上がった。
「なあ、光」
そう言って玲はニヤリと笑いながら、コートに向かって歩いていく。
「だね。勝ちに行くよ」
光は玲の背を追いかけながら、うなづいた。
「行ってくっから」
町田に背を向けたまま、緑川は言った。
「試合終わったら。俺も話あるから」
町田は振り向かない緑川の背に向かって言った。コクッと緑川はうなづき、玲と光の後を追って走っていった。

後半開始の合図だ。
「よう。やっと登場か。ヒーロー」
梶本は、コートに現れた玲に向かって、ニヤリと笑った。
「さすがにわかってるな。俺の正体はヒーローだけどな。今回に限っては俺、脇役なんだ」
玲は顎をしゃくって、緑川を見た。
「今日のヒーローはアイツさ」
「へえ。そうなんだ」
梶本は、フウンと緑川は見てはクスッと笑った。緑川は、コートに視線を落としたままボンヤリとしていた。右腕をさすっている。無意識のようだった。
「梶本さん。残念だけど、今回は勝たせないよ。俺、キューピットになりたいからね」
光は、玲の背に隠れながら、梶本にコソッと声をかけた。
「お手柔らかにね、光ちゃん」
梶本は、ポンッと光の頭を撫でた。

そして。
小野田玲・光が参入し、暁学園VS秀峰学園の後半戦が始まった。
この後半戦に、町田と緑川の未来がかかっている・・・。

続く

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