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今日も暑い。やれやれと思いながら、町田はアパートの廊下に飛び出した。部屋より外の方が涼しいのだ。手摺に掴まって、冷蔵庫から取り出したシャーベットのアイスをベロベロやっていたら、アパートの下にいた近所の子供達が町田に気づいた。
「ひーちゃん、川行ってアソボー」
「久人にーちゃん、遊ぼうよ〜」
子供達が町田を見上げて手を振った。
「おう。川遊びすっか。ちょい待ってろ、今行く」
町田はうなづき、開けっぱなしだった部屋のドアを足で蹴って閉めた。バターンッと凄まじい音がした。
「うるせーぞ、久人!」
廊下を駆けだそうとしたら、隣の部屋から怒鳴り声が聞こえた。
「げっ。なんだよ。オッサン、戻ってきてたのか。このクソ暑いところへ」
台所にいた隣室の住人大林と目が合って、町田はヘヘヘと笑った。
「俺はな。もう長いことここで執筆してるんだ。ここで書くことは癖になってんだよ。にしても、てめえはんとにやかましいな。兄貴に似て、がさつでしょーがねえよ」
「っせえ!それよか、風呂釜変えろ。もっとデカイの」
「てめえで金出して買え」
「やーだね。大家のくせに、住民に不自由かけやがって!」
ドダダダダと、わざと大きな音を立てて久人は階段を駆け降りていった。
「静かに降りろ〜!!」
大林の絶叫を背中に聞いて、町田はアハハと笑った。
「よっしゃ。行くぜ」
町田は近くにいた子供の手を引っ張った。子供達が、ワーイと喜んで町田の後をくっついていった。大人がいないと、水辺には近寄っていけない、と親から言われているからだ。
「道、気をつけて渡れよ」
一方通行だから、町田は右の道路ばかりを気にして、子供達を渡らせた。最後の一人が渡って、よし!俺も・・・と渡ろうとしたら、「危ない、久人にーちゃん」と子供らに叫ばれて、ギョッとした。左から車が突っ込んできたのだ。
「どわあああっ」
叫んで町田は、車をバッと避けた。黒塗りのデカい車だった。
「どこのバカだ。ここは一通だっ」
と町田は怒鳴ったが、後部座席から降りてきたのはよりにもよって緑川だった。
「わりい。ここらへん道狭くてよくわかんなかったらテキトーに来てみた。一通だって瀬川さんに言われたけどな」
緑川家専属運転手・瀬川は、ハハハと青褪めていた。しょせん、主人の指示には逆らえなかったのだろう。
「ドアホ。ワリーで済むかっ!あ、危ねえな、このヤロー。ところで、なにしに来た」
町田は、ジロジロと緑川を睨んだ。
「近くまで来たついでにな。てめえのこと思い出して」
「思い出すなよ。迷惑だ」
思いっきりイヤな顔をして、町田は言った。
「今度の土曜日の花火大会。おふくろが、おまえを誘っとけって。伝えに来た」
イヤな顔をする町田を、緑川は綺麗さっぱり無視して、まるで関係ないことを言った。
「そんな話ならば、電話で済むだろうが。わざわざ来るな」
「ついで、だっつったろ」
緑川の返事に、町田は舌打ちしつつも、ウムと考え込んだ。
「花火大会か。いいな。翔子ちゃんも一緒なら・・・。って、オイ。てめえ。俺も思い出したぞ。この前おまえと翔子ちゃんと入った喫茶店。立て替えておいたからな。一杯1000円のコーヒー、2杯。2000円。消費税は勘弁したるから返せ」
町田は、ズイッと緑川に向かって手を伸ばした。
「ああ。そーだっけ」
「そーだっけ、じゃねえ!あのあと、俺がどれだけ困ったか。俺は、しばらく昼抜きしたんだぞ。バイト代入るのはまだ先だし!ったく」
すると緑川はジーパンの尻ポケットから、財布を取りだし、町田の掌に2枚の札をハラッと落とした。
「・・・なんだ、これ!?」
「金だが。見たことねえのか?」
「るせ。って、1桁違う・・・ぜ。2万円なんだが」
ゴクッと町田は喉を鳴らしながら、震える右手で万札を1枚摘んだ。確かに裏返してみても、表から見ても、1万円札だった。
「細かいことは気にするな。てめえが、昼抜きしたんならば、慰謝料込みってことにしとけ」
緑川は平然と言った。
「な、なんだと・・・」
と言いながらも、町田の顔は既に、にやけていた。
「え、えーのか?」
「いいぜ」
「そ、そーか。なんかおまえ、気前いいじゃん。ちょっと見直したぜ。おーい、てめえら。川遊び止めて、駅前のデパートにかき氷食いに行こうぜー。俺の奢りだぞぉ」
後半は、道路の向こう側にいた子供達に向かって叫んでいた町田だった。


緑川家所有のデカイ車は、町田と緑川と子供達を乗せて、駅前のデパートに着いた。最上階のレストランにドヤドヤと揃って乱入し、皆でかき氷を食べた。
「おまえ。金が入ると、気前よく使っちまうタイプだな。金が残せないタイプだ」
緑川はイチゴ味のかき氷をサクサク食べながら、目の前に座った町田に言った。
「い、いいだろ。こーゆー金は水もんだ。皆で平等に分けるもんなんだよ。なあ」
レモン味のかき氷をシャクシャク言わせながら、町田は隣に腰かけた子供の頭を撫でた。
「うん。あのさー。ところで、ひーちゃんとこのにーちゃん、どーゆー関係?」
「へっ?」
「なんかさー。今までひーちゃんの友達にはいなかったタイプだよねぇ」
子供達はワイワイ言いながら、緑川を一斉にジッと見つめた。
「綾子ねぇ。このおにーちゃん好み。だってとっても綺麗なんだもん。好みのタイプ」
「私もぉ。あ、でも。おにーちゃん、もしかして、ひーちゃんのカノジョだったりする?」
町田は飲んでいた水をブーッと吹き出した。そんな町田の反応を横目で見ながら、子供らの中で一番年長らしき男の子が、
「夏子、おまえなに言ってんだよ。このにーちゃんは、にーちゃんって言うぐらいだから男だぞ。男がひーちゃんのカノジョの筈ねーだろー」
なんともいえない、男女混合のガキどもの会話だった。町田はゴホゴホと咽せていた。緑川は知らん振りして、まだかき氷を食っていた。
「あらあ。今時、男と女なんて関係ないわよ。ねえ!えーと。緑川のおにーちゃん」
こまっしゃくれた女の子の質問に、緑川はコクッとうなづいた。
「てめえ。うなづいてんな!」
バシッと、町田は手を伸ばして、緑川の頭を叩いて怒鳴った。
「カノジョじゃねえっ!いいか。こいつは俺のカノジョなんかじゃねえからなっ!生意気なことばっか言ってねえで、とっとと食え。ったく、おまえらはよ〜」
町田は顔を赤くしながら、子供達にかき氷を食べるのを急がせた。
イヤなことなどを即座に忘れられる便利な性格を持つ町田は、今のガキどもの発言で、すっかり先日の恐怖を思い出していた。そのせいで、この暑さだというのに、ゾクゾクと体が震えた気がした町田であった。
『おまえの・・・。雌になってやる。その覚悟が出来たから』
ノストラダムスの予言より、遥かに恐ろしい緑川の予言。というより、予告だった。
「町田」
緑川に呼ばれて、町田は顔をあげて緑川を見た。
「なんだよ」
緑川は、ジッと町田を見ていた。
「どうでもいいが、花火大会のことは忘れるなよ。迎えに行くから」
「ああ。わかったよ。予定しててやるよ」
ケッと町田は言って、緑川から目を反らした。


あっという間に、週末の花火大会。
緑川邸の車が、今度はちゃんと右側から突っ込んできて、町田を迎えに来た。だが。車の中には、緑川しかいなかった。なんでも翔子は、突然夫に命令されて接待花火(?)に付き合う派目になってしまったらしい。どこぞの金持ちの豪邸の屋上の特等席に招待されたらしい。翔子は本気で泣き喚いて嫌がっていたらしい。
「あのゴネ方は、35歳の女のゴネ方じゃねえよ。みっともねえったらねえぜ」
緑川は、自分の母親を客観的に述べていた。
「想像出来るところがこえーな」
町田は頬を指でかきながら、ハハハと苦笑した。
「たぶん、おまえの想像を遥かに超えている。泣き喚いて、最後にゃソファから飛んで、オヤジ目掛けて、踵落とし決めたんだが、マズイことにその騒ぎをききつけて、ジジイが出てきやがって。さすがのおふくろも仕方なくオヤジひきずって出かけていった」
「か、踵落し・・・」
サアーッと町田は青褪めた。だが、ハッとした。
「って、呑気に車の中で談笑してる場合じゃねえ!翔子ちゃんがいないならば、俺はおまえと二人っきりってことじゃねえか!俺は二人っきりで花火大会になんか行かねえぞ、降ろせ、降ろせ〜!」
途端に町田は後部座席で暴れ出した。
「安心しろ。駅に着いたらすぐに降ろしてやる。車で会場まで行く気にはなれねえからな」
緑川は涼しい横顔でサラリと言った。
「冗談じゃねえよ〜!なんで楽しい花火大会をおまえとなんて!楽しいもんも楽しくなくなるわいっ。イヤだ、イヤだーーーっ!」
町田は車の中で喚き続けていた。


思いっきり、楽しんでるじゃん・・・と、緑川は町田を見ては、果てし無く呆れていた。
「よおよお、緑川。今度はなに食うか?俺の奢りだぜ。好きなモン言えよ。って、この前おまえからもらった金が余ってるからだけどな。自分の金なんぞてめえに恵んでやるかっつーの。ダハハハ」
右手にビールと焼き鳥。左手に広島焼き。あちこちでもらったうちわは、町田のジーンズの尻の辺りに幾つも差し込んであった。
「祭りはこーじゃなきゃな!」
言いながら、町田は焼き鳥の串を口にくわえながら屋台をひやかしていく。さっきから町田がバクバク食っている姿を見ているだけで、緑川は既に腹一杯だった。
「なにボーッとしてやがる。花火が始まる前に、きちんと食っておけよ」
「いや、俺はもういい」
町田は、眉を寄せた。
「おまえさ。そんなデカい図体してて、食細いんだな。なに食って、んなにデカくなったんだよ」
「家系」
「・・・なるほろ。確かに翔子ちゃん、デケーもんな」
「おまえの兄貴もデカかったな」
「ん?オイ、おまえ。これ、食え。とにかくなんか食わねえと、この人ごみだ。具合悪くなるぞ」
町田は、ヤキソバを緑川の目の前に差し出した。
「いつのまに。・・・いらねえよ。おまえが食え」
「俺はいらん。とにかく、食え。ほれ、そこに腰かけて食え。根性で食え」
強引な町田から、緑川は渋々ヤキソバを受け取り、その場に腰掛けた。コンビニのやや横の小さな道路。メインの道路にズラリと並ぶ屋台の側は、人でいっぱいなのだ。
ズルルと麺をすすり、緑川は
「うまい」
と呟いた。
「だろ!って、俺が作ったんじゃねえけどよ」
笑いながら、町田は尻のうちわをヒョイッと1つ手に取り、パタパタとあおぎはじめた。
ハフハフと汗を流しながらヤキソバを食う緑川に、町田はうちわで風を送った。
「涼しいだろ」
「ああ」
なんだかやたらと、ほのぼのとした光景だった。とても仲のよい友達同士に見える。
「それ食ったら、会場付近に繰り出すぜ。花火は、やっぱり近くで見ねえと迫力が半減するかんな」
「ここからでも見えるだろうが」
「ダメだ。歩くぜ」
きっぱりと町田は言った。緑川は、げんなりした。またこの人込みをウロウロするのか。そう思うだけで、気が遠くなる。緑川家の花火観賞は、毎年空に近い場所からだった。人込みとは縁のないところで、悠々と見るのだ。それなのに。生まれて初めて、これほどの人込みに連れ出され、一緒の相手が町田でなければ緑川はとっとと帰ってしまっていたことだろう。慣れねえ・・・と緑川は心の中で呟いた。第一まともにまっすぐに歩けないのだ。歩けばすぐに誰かしらにぶちあたる。・・・苛々した。元々目付きの悪い緑川は、含むことなどなくても、ぶつかった相手に誤解され、睨まれた。睨まれればつい睨み返してしまう緑川だった。危うい場面を何度も潜りぬけながら、緑川は先を歩く町田の背を見つめていた。だが、ふとその背を見失ってしまう。町田は背が高い。自分も、だ。見失う筈などない筈なのに、ふと町田が目の前から消えてしまう。緑川はドキッとした。町田がいない。おいていかれた?と咄嗟に思った。
「!?」
緑川は慌てて人込みを押しのけて走り出した。何人もにぶつかり、バカヤローと怒鳴られたが、無視して走った。角を折れたところに、町田が立っていた。
「なにやってんだよ。トロいな」
町田が文句を垂れた。緑川は、町田の姿にホッとした。ホッとしながらも思わず怒鳴っていた。
「さっさと行くなよ!」
「あ?」
「一人でさっさと行くな!」
怒鳴りながら、緑川は町田の側に行くと、町田のシャツの裾をグッと掴んだ。
「おいていかれたかと思ったぜ。後ろぐらいたまには振り返れ!」
必死な緑川の目に、町田はたじろいだ。
「わ、悪い。てっきりおまえはちゃんとくっついてきてるかと思ってよ」
「歩きにくい。暑い。疲れた。もうイヤだ」
いきなり我侭こいて、緑川はむくれてしまう。
「もうすぐだから、我慢しろよ」
町田は、緑川の右手首をグイッと掴んだ。
「痛っ」
「うるせえ。我慢しろ」
「町田、痛えよ」
「仕方ねえだろ。手を繋ぐ訳にはいかねえんだから」
相手が女の子だったら、こんな場面ではすぐに手を繋ぎあうことが出来る。だが、互いに男だ。そんな薄気味わりーこと出来るか、と町田は思った。けど。このまま手を離したら緑川はまた迷子になるだろうし、そうなったらとっとと帰ってしまうかもしれない。だから。こうして、手首を掴んでいることしか出来ない。それも、ボヤボヤしていたら、なんだかナチュラルに指を絡めてしまいそうな衝動にかられてしまうから、これぐらいが丁度いい。緑川が痛えだのなんだの知ったことか!と自分勝手なことを町田は思っていた。夏の暑さと、祭りの雰囲気に脳味噌やられそうだぜ・・・と町田は心の中で舌打ちした。さっきの緑川の、不安そうな瞳が頭にこびりついて離れなかった。


なんとか会場に辿りつくと同時に、夜空に花火が打ち上げられた。
「うおー!来た、来た〜!間に合ったぜ!」
町田は、緑川の手を振り払って、空に向かって手を伸ばした。
「・・・」
緑川は、ずっと町田にきつく掴まれていた手腕を擦りながら、町田に倣って上空を見た。
自分達の立つすぐ真上の夜空に、花火があがっていく。バアンッと腹に響く音を放ちながら、赤や緑の花が夜空に咲いた。
「・・・すげえ」
緑川は思わず呟いた。毎年見ていた屋上の方が、空に近かった筈だ。なのに、その屋上より空に遠い地上にありながら、この場所の方がよほど花火に近かった。
「な、すげえだろ。やっぱり花火は、音と光。この迫力だよな」
町田は、チラッと緑川の横顔を見ながら、自慢気に言った。
「ああ。マジすげえ」
空に花が咲くと、零れた光が、遅れて地上を照らす。その光に照らされながら、緑川は視線に気づいて、空から町田へ視線を移した。
「見るなよ」
即座に町田が言った。
「おまえが先に見てたんだろーが。なんだよ?」
確かに町田の視線を感じたから、緑川は町田を見たのだ。
「マヌケヅラして空見上げてるから、可笑しくなったんだよ」
町田が、笑いながら白状した。
「っせえな」
プイッと、緑川は町田から顔を反らすと、再び空を見上げた。
「あ。町田、町田。オイ。空から火の粉が落ちてくるぜ。ほら、ほら」
「ああ」
パラパラと小さな光の粉が、空から降ってくる。熱くはない。緑川は、空中を指差して、町田に説明した。勿論そんなのは、指差して説明してもらわなくても、町田にだって見えていた。緑川は、手を伸ばして、捕まえた火の粉を掌でフワフワと転がしていた。物珍しそうな緑川の姿が、町田はなぜだか可笑しくてたまらなかった。
「そこらに座ろうぜ」
砂利の散らばった剥き出しの大地に、町田は腰を降ろしながら、速攻で横になった。
「寝転がって見るのが気持ちいいんだよ」
「へえ」
町田の横に腰かけながらも、緑川は寝転がらなかった。そのまま、空を見上げている。打ち上げられる花火を飽きることなく見つめていた。
「初めて花火見たよーなツラしやがって」
緑川の反応に、町田はニヤニヤしていた。
「庶民はこういう楽しみ方をしてるんだぜ、お坊ちゃま」
「仕方ねえだろ。誰もこんなとこに、連れて来てくれなかったんだから」
空を見上げたまま、緑川は言った。
「うわっ」
ビクッと緑川の体が震えたのに気づいて、町田は空を見上げた。
「連発だ」
ドドド、と花火が一気に打ち上がったのだ。あちこちで歓声や拍手があがる。
「へえ」
緑川は、周りの反応をキョロキョロと見て、感心したように声をあげた。
「花火師達への賞賛だよ」
町田が説明した。
「いいな。楽しそう。俺も花火師になりてーな」
「なにぬかす。いきなり、バカか。おまえは」
「てめえほどじゃねえけどな」
「ふんっ」
怒る町田を無視して、両手をやや後ろの砂利の大地につき、緑川はポカンと口を開けてまた空を眺め出した。
「腹にクる・・・」
音のことを言っているのだろう。すぐ側の海の近く打ちあげているのだから、当然だった。町田は、そんな緑川の横顔を見つめながら、
「楽しいか?」
と聞いた。
「ああ」
珍しく緑川がニッコリ笑いながら、町田を振り返った。が、ニヤニヤしてる町田と目が合って、緑川は慌てて笑いを引っ込めた。
「なんだよ、気味わりいな。ニヤニヤしやがって」
前髪をかきあげながら、緑川はムッとして町田を見下ろす。
「連れて来た甲斐があったな、と思っただけだ。珍しくおまえ笑ってるし」
「連れてきたってなんだよ!俺は別におまえに頼んじゃいねえぜ」
緑川は鼻を鳴らした。途端に、可愛くなくなってしまった緑川だった。
「そーゆーとこが可愛くねえんだよな。てめえはよぉ」
「おまえに可愛いなんて思われたくねえよ」
「なに言ってんだよ。おまえ、俺の雌になる覚悟出来たんだろ。だったら」
町田は思わず言ってしまって、自分でハッとした。やべ。なんで、こんなこと・・・と慌てて口を押さえた。チラッと緑川を見ると、緑川は町田の発言にはなんの反応も示さずに、また空の花火を眺めていた。あ、危ねー。自分でボケツ掘るところだったわい・・・!と思って、町田はホッと胸を撫でおろした。


豪快に空を焦がしながら、花火は終わった。まだ空には白い煙が流れていた。
「・・・」
緑川は、とくになにも感想は言わなかったが、明らかに感動した雰囲気が、その普段は無表情な顔から伺えて町田は満足だった。
「行くか。帰りは大混雑だぜ。ちゃんとついてこいよ」
「ああ」
「にしても、背中痛えぜ。やっぱりなんかシート持ってくれば良かったな」
砂利の上に寝転がっていたのだから当然だった。町田はタンクトップの裾を持ち上げ、赤く点々と跡のついた背中を擦りながらぼやいた。
「緑川、おまえも手大丈夫かよ」
クルッと振り返ると、緑川がいなかった。
「・・・って。またかよ」
町田は、人込みを逆流しながら緑川を探した。しばらく歩くと、そこだけ人の流れが妙なポイントがある。ヒョイっと覗きこむと、緑川が倒れていた。
「どんくせえな」
ヤレヤレと町田は、手を差し伸べた。
「てめえ、現役バスケ部員のくせして、なんでこんなにどんくせえんだよ」
「知るかよ。いきなり後ろから押されたんだよ。イテテ」
町田の手を借りながら、緑川は立ちあがった。みるみる間にむくれた顔になる。
「わかった。てめえの言いたいことは。もうイヤだ!だろ。坊ちゃんは我侭でいけねえ」
グイッと緑川の腕を引っ張って町田はズンズンと歩いた。
「裏道突破していくからな。少々難航するが、頑張って歩け」
「なんでもいいから、人のいねえところを案内しろ」
「花火大会に来たヤツが、そういうムチャなことを言う事態が間違ってるんだよ」
ぶちぶち文句を言いながら、町田は人込みとは逆の方へ歩き出す。思いの外、町田はこの花火大会に詳しいようだった。
「何度も来てんのか?」
「毎年来てる。子供の頃からな」
「詳しいと思った」
「一緒に来た相手が俺で良かったな。ほかのヤツだったらおまえの我侭に相手は辟易して、さっさと置いていかれてっぞ」
「他のヤツとなんか来ねえよ。おまえとだから、来たんだ」
「!」
町田はピクッ、と緑川を振り返った。思わず睨んでしまった。緑川は、そんな町田の視線を受けて、キョトンとした。
「なに?」
「なんでも・・・ねえよ」
くっそ!わかって言ってんのかよ、コイツ・・・と町田は腹だたしくなった。
「訳わかんねえこと言ってねえで、とっとと歩け。ここらは、監視員の目が厳しいんだ。見つかったら、戻れって言われるんだよ。走るぜ」
ザッと町田は走り出した。緑川も町田の背を追って走った。10分ぐらいずっと真面目に走っていたら、ぽっかりと人の少ない細い道に出くわした。側には小さな橋と公園があった。幸い監視員には見つからずに裏ルートを抜けることが出来たようだった。
「よっし。狙いどーり。あの橋渡れば、合流地点で、メインの駅に出られる。満足だろ」
得意気に町田が言った。確かに全く人と擦れ違わなかった。快適な抜け道だったと言えよう。緑川は息をあげながらもうなづいた。
「おい。3中の町田じゃねえかよ」
突然そんな声が聞こえて、町田と緑川は同時に声の方を振り返った。
「明神・・・」
町田は、声のした方に立っていた男を見て、眉を寄せながら呟いた。
「こんなところでてめえと会えるとはな。おい、てめえら。町田だぜ」
よく見ると、小さな公園の入口の脇には、いかにもヤンキーと言った男達が地べたに座ってたむろしていた。モクモクと煙草の煙が立ち昇っていた。
「あ。ホントだ。町田だ」
「なんでこんなところに」
男達がざわざわと騒いで立ちあがった。
「よお、町田。ここで会ったが100年目だ。地元でもなんでもねえこんなとこで、会うなんて。私立なんざチャラいガッコへとんずらしやがって、逃げ切ったと思ったら大間違いだぜ。あん時の勝負つけよーぜ」
町田が、明神と呼んだ男は、ヘヘッと笑いながら一歩前に踏み出した。その明神の後ろに、ザッと数人の男どもが立ち並んだ。
「つまんねえヤツに会っちまったぜ」
頭をガシガシとかきながら、町田は舌打ちした。
「緑川。おまえ、ちょい先の橋の上で待ってな。すぐに行くから」
「加勢する」
「喧嘩慣れしてねえヤツは、いたって邪魔なんだよ」
どんっと町田は緑川の肩を押した。両手の指を町田はバキバキと鳴らしながら、踏み出す。
「とっと行けよ。橋の上で待ってろって言ったろ」
そう言いながら、町田はタッと走り出した。
「喧嘩はソッコー!兄貴直伝だ」
ヒラッと、町田は男達の中に突っ込んでいった。
「やっちまえ」
男どもは、突入してきた町田をグルリと囲んで、拳を振り上げた。
「ちょっと待てよ・・・」
緑川は、いきなりの展開に、その場に立ち尽くしてしまった。バキッ・ドカッと野蛮な音がそこら中に響いた。
「・・・」
間近で見る喧嘩に、緑川は目を奪われていた。町田のことは、元ヤンキーだと認識していた。仮にもヤンキーとしての歴史を積んできたのだから、町田にとってこういう場面は確かに日常茶飯事だったのかもしれない。だが、これはちょっと・・・・と緑川は思わず口元で手を覆った。それにしては鮮やか過ぎる、と思った。喧嘩上手という言葉があるかどうかは知らないが、町田は殴られもしていたが、多勢に無勢の中で一人ずつ確実に敵をダウンさせていった。アイツ、後ろに目があるんじゃねえの?と思うような反射神経だった。
「ちきしょーっ!」
戦況が芳しくないと知ると、明神が叫んで、戦列からヒョイッと離れて公園に走って行った。緑川はそれを目で追った。すぐに明神は戻ってきた。手には木刀を持っていた。
「!」
緑川の顔が強張った。まさか、あれで町田を・・・?と思ってゾッとした。
「町田っ。てめえ、これでも食らえっ」
バッと大地を蹴って明神は、応戦している町田の背に向かって、木刀を振り上げた。
「町田、あぶねえ」
叫んで、緑川は走った。町田は振り返った。
「み、緑川っ。出てくんなっ!」
町田は、悲鳴じみた声をあげた。明神の振り下ろした木刀は、町田には届かなかった。振り返ったと同時に町田が明神の腹を蹴り上げたからだ。だが、そのせいで、明神の木刀は緑川の肩をかすった。
「つっ!」
「緑川」
ドサッと、緑川が道路に倒れたが、すぐに起きあがった。町田は、それを見てホッと息をついた。
「明神。てめえ・・・。んなモン持ち出して・・・。ふざけんなよッ!」
町田は、明神から木刀を取り上げた。ビュッと木刀を振って、それを明神に突きつけた。
「あのな。俺にコレを持たせると超危険だぜ・・・。わかっていて、コレを持ち出したならば、死ぬほど後悔させてやるけど?どうする、明神」
明神は、キッと町田を睨んで、道路に唾を吐いてはニヤリと笑った。
「殺人犯の兄貴を持つてめえだ。俺を殺すか?町田。てめえには朝飯前だろうな・・・」
その瞬間、スッと町田の顔色が変わった。
「よく言った。てめえ、後悔させてやるよ・・・」
木刀を持って、町田は踏み出した。明神は、町田のその迫力に、ウッとその場に凍りついてしまって動けないでいた。
「やめろ、町田っ」
緑川は叫んだ。
「うるせえ。てめえ、もう一人で帰れっ。コイツ、ぶっ殺さねえと気がすまねえ」
町田は、明神目掛けて木刀を振り上げた。
「いい加減にしろっ」
緑川は、ドンッと町田の体目掛けて体当たりした。グラッと町田がバランスを崩した。
「邪魔すんじゃねえよっ」
振り上げた町田の左手が、緑川の頬にビシッとヒットした。その勢いに、緑川の唇が切れて、血が流れた。
「っせえ。邪魔すらぁ!」
緑川は、町田の頬に拳を飛ばした。
「頭に血昇らせてンじゃねえ。木刀を離せ!俺達は帰るんだ。町田っ」
「いってえな・・・」
思いっきり緑川に殴られて、町田は緑川を睨んだ。そして、ハッとした。緑川の唇から血が流れているのに気づいたからだ。
「俺は一人じゃ帰れねえんだ。てめえが責任をもって送るんだ。町田っ」
言いながら緑川は、町田の手から木刀を叩き落して、その手を掴んだ。掴んで、走り出す。
「緑川」
「黙ってついてこい」
公園前を抜け、その先の橋を渡り、人がざわめく合流地点。さっきから苛々していたこの人の多さ。だが、今は、この人込みが緑川には心底ありがたかった。人込みに紛れ、さすがに走り切れなくなったが、それでも早足に二人は歩いた。緑川の手は町田の腕を掴んだままだった。
「おい。緑川」
無言のままだった町田が、緑川を呼んだ。だが緑川は無視した。町田の文句を、今は聞く気になれなかったからだ。
「緑川。緑川」
「なんだよ」
やかましいので、緑川は振り返った。
「道違うんだよ。知らねえくせに、スタスタ歩いていくな。ボケ」
町田は立ち止まった。
「俺達が帰るには、あっちの道に行くんだ。こっちだと帰れなくなる」
「そうなのか?」
そういえば、自分は道を知らなかったのだ・・・と緑川は今更のように思った。
「もう大丈夫だ。明神らは、根性ナシチームだかんな。逃げられた時点で追ってこようとは思わないだろうさ。ったくよ。なんであんなヤツと今更会わなきゃなんねえんだよ。楽しい祭りの夜に」
町田は緑川に背を向けて歩き出しながら、ブツブツと言った。緑川はそんな町田の呟きを耳にしながらも、相変わらずうまく人を避けれずにモタモタしていた。
「なにやってんだよ。とっとと来い。いい加減、人込みに慣れろ!」
町田は怒鳴った。怒鳴って、緑川の腕を掴んで、それから。極自然に、緑川の指に自分の指を絡めた。いわゆる、手を繋ぐってやつを実行したのだ。
「誰も見てねえよ。この人込みじゃ」
緑川はなにも言わなかったが、町田は一人でさっさと言い訳をした。
「なんも言ってねえけど?」
「あ、そ」
それから二人は無言で、黙々と歩いた。時々、町田は殴られて赤くなった頬を、空いた手で擦っていた。痛いらしい。緑川もそれを見て、自分の唇に手をやった。血はもう渇いていた。そんなふうに歩きながら、何個目のか橋の上に辿りつく。ふと町田が立ち止まった。橋の欄干には、何組ものカップルがイチャイチャしながらもたれていて、川を覗きこんでは楽しそうに喋りこんでいる。そのカップル達の間に、僅かな隙間を見つけた町田は、そこに堂々と潜りこんだ。ドサッと、背を欄干にもたれかけさせ、フーッと溜息をついた。緑川が欄干に背を預けるスペースはない。だから、緑川は町田の前に立つしかなかった。
「大丈夫か?」
よく見ると、町田の顔は見る間に痣だらけになっていたし、自分と同じように唇を切っていたようで、血がこびりついていた。
「この顔を見て、大丈夫か?なんて聞くなよ。痛えに決まってるだろ」
「そうだな」
緑川はジーンズのポケットからハンカチを出して、町田の顔に有無を言わせず押しつけた。
「いてっ。いててっ」
グイグイと力を込めて、緑川は、町田の顔をハンカチでぬぐった。というよりは、顔中を力いっぱい擦った、というのが正しい表現だった。
「いてえっつーの!拭いてくれるならば、もっとソフトにしやがれ」
「わりい。だって、てめえの顔の面積デカイから」
「どこが!小顔の王様と呼ばれたこの俺の、顔がデカイ訳ねえだろ。てめえ、目見えてねえな。頭来んな、ちきしょー」
緑川の手からハンカチを奪い、町田は今度は緑川の顔に押しつけた。
「やめろ、汚い。おまえの顔拭いたヤツだろ」
「わかったよ。じゃあ、俺ので」
町田もポケットからハンカチを取り出すと、緑川の顔に押しつけた。やられたことをやりかえす。
「いてっ。いて。コンタクトずれる」
緑川が悲鳴をあげた。その悲鳴を聞いて、町田は豪快に笑った。
「ざまーみろ」
「痛え・・・」
緑川はゴシゴシと目を擦っていた。そんな緑川を見ながら、町田はボソッと言った。
「止めてくれて・・・。ありがとよ」
その言葉に、緑川はハッとした。
「俺。ダメなんだよ。兄貴のこと言われると・・・。すぐに逆上しちまう」
「・・・気にすんな。おまえはおまえだろ」
「!」
町田は目を見開いて、緑川を見た。緑川は、町田の驚いたような顔を見て、眉を寄せた。
「俺、なんか気に触ること言ったか?」
緑川は、僅かに怯んだように町田に聞いた。町田は、ニヤッと笑った。
「ちょい、こっち来い」
手招く。
「な、なんだよ」
緑川は逆に後ずさった。
「こっち来いっていうの」
町田は相変わらずニヤニヤしている。
「殴ろうしてねえ?おまえ・・・」
「いいから」
「いい筈ねえだろ」
「来いっ」
ビクッとして、緑川は渋々町田の目の前に立った。
「なんだよ」
グイッと、緑川の首に手を回して、町田は緑川の唇にキスした。
「!?」
チュッと言う音が緑川の耳に響きながら、町田の唇が離れていった。
「・・・」
そして、目が合う。
町田は、舌を出しながら、笑っている。緑川は、思いっきり動揺していた。思わず辺りを見回してしまう。一組のカップルと目が合って、緑川は顔を赤くした。だが、町田は涼しい顔をしている。
「なあ。行こっか」
「どこへ?」
「ホテル」
「・・・アホか?」
即座に緑川は言い返した。
「喧嘩した後ってさ。むしょうにヤりたくなるんだよな。おまえは知らねえかもしんねえけどさ。興奮してるのかもしんねえけどな」
町田は前髪を掻きあげた。
「・・・」
黙っている緑川に、町田はニヤニヤしながら、続けた。
「おまえ、俺の雌だろ。覚悟出来たって言ったじゃん。あれ、嘘か?」
町田と違い、緑川は、都合の悪いことはすぐに忘れてしまうタイプではなかった。
「いきなり、んなこと言われたって」
正直、町田にこんなふうに言われる時が来ようとは、緑川は想像もしていなかった。雌発言だって、結局はまた自分の一人相撲で終わることだろうとなんとなく思っていたのだ。
「キス→セックスだって言っておいた筈だけどな」
「じゃあ、おまえは俺の雄になる覚悟が決まったのか?俺は葉子じゃねえぞ。血繋がってねえから、似てもいねえ筈だけど」
緑川の切り返しに、町田はウッと詰まった。だが、強引に踏み込む。
「いいから、ヤらせろよ。それから考える」
「ずるくねえ?それって」
「ズルいズルくねえの問題じゃねえんだよ。行くか?行かねえか?だ。男なら、ハッキリしろよ」
むちゃくちゃ俺様発言の町田に緑川はムッとした。お試しされて。気に食わなかったらポイかよ。でも・・・。それでも、俺はこの男を、何故だか拒めない・・・。悔しいけど・・・。緑川はそう思って、観念した。
「行く・・・」
コクッと緑川はうなづいた。


続く

あ〜れ〜。どうしよう。この展開(笑)
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