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夏休みの、数少ない部活の練習日。
「暑いーっ。プール行きてえ、プール。水のあるところ行きてえ」
久人は、学ランを脱ぎながら、喚いた。ついさっき、やっとその練習が終わって、水飲み場までフラフラと歩いてきていた。
「カノジョ誘っていけば〜」
一緒に歩いてきた佐藤が、ニヤニヤしながら言った。
「・・・るっせえ。余計なこと言ってんじゃねえ」
ギロッと町田は佐藤を睨んだ。
「おまえ、暇なん?なら、映画ならつきあってやってもいいぜ」
佐藤の提案に、町田はフンッと鼻を鳴らした。
「映画ね。ま、それも涼しそうでいいかもな。ならよお。×××なんてどーだ?俺、あれ観たかったんだよな。ホラー風味のお色気映画」
ニシシと町田は楽しそうに笑う。
「却下」
佐藤は、町田が挙げた映画のタイトルを聞いて、即座に言った。
「なんでだよー。つきあえよ、佐藤。どうせてめえも暇なんだろっ」
互いに上半身裸で、水飲み場で頭から水をひっかぶっていた二人だったが、
「よお。町田、来てたんか。今日は覗きに来なかったからサボッてんのかと思ったぜ」
その声にハッとして、町田と佐藤は同時に振り返る。いつの間にか背後には、男バスキャプテン・小野田が立っていた。バスケ部もちょうど練習が終わったようだった。小野田の後ろには、緑川も立っていた。町田は、濡れた髪を掻きあげながら、ふっと緑川を見た。緑川もこちらを見ていて、視線があった。町田はプイッと視線を反らした。
「うぃっす。真面目にやってるっすよ〜」
町田は、小野田を見て、ヘラヘラと答えた。
「どーこーが。小野田せんぱぁい。コイツ、超不真面目っすよ。なにがあったか知らないねえけど」
佐藤はバンッと町田の背中を叩きながら、ニヤニヤして緑川を見た。
「緑川。おまえなら、なにがあったか知ってる?町田、超腐っていてお守り大変なんだけど」
「知らねえよ」
視線を外されたことに些かショックを受けながらも、緑川もプイッと町田から視線を反らしていた。
「佐藤。こっちも大変だったぜ。うちの晴海ちゃん。今日はずーっとサボッていてなにか考えてたぜ。町田と、緑川。噂の二人の間に、なんかあったことは間違いねえな」
本人達を目の前にして、小野田はそんなふうに言った。小野田の言葉に、佐藤はギラッと目を輝かせた。
「へえ。それって、一線越えちまったとか?」
その瞬間、町田は佐藤の頭をぶん殴っていた。
「くっだらねえこと言ってんじゃねえよっ。だいたいな。てめえの勘違いで、俺と緑川がそーゆー関係だってみんなに思われるけどよ。実際はそんな関係じゃねえんだよ。俺が好きなのは・・・。俺が好きなのは・・・」
言って、町田は唇を噛んだ。『好きな女には、最近振られた。大嫌いと言われたんだっけ』と思った。
「少なくとも、こーんな可愛げのねえでっけえ男じゃねえんだよっ」
町田の言葉に、緑川は明かにムッとして、バッと町田を睨んだ。
「俺だって、こんな、金髪イカレ元ヤンの強面なんて、全然好みじゃねえよ」
「あんだと?」
町田と緑川の間でバチバチと火花が散った。佐藤と小野田は顔を見合わせて肩を竦めた。
「ま。喧嘩はどんなカップルでも1度はするもんさ。雨降って地固まるっつーの?」
「けど、こいつらの場合、血の雨って感じ」
「うっせー。こんなヤツ、殴ったって手が痛くて自分が損するだけだ。とっと行くぜ、佐藤」
町田は佐藤の腕を引っ張って、校舎に走っていってしまう。
「なんなんだか。それにしても、町田の体は、いー体だな。腹割れてたぜ。ナイスバディ」
小野田は、フフッと意味あり気に笑った。
「やらしー目で見てるんじゃねえよ」
緑川はボソッと言った。
「なんだよ。おまえだって、そう思わないか?おまえの彼氏は、いい体してるぜ〜」
小野田の言葉に、緑川はカッと顔を赤くした。確かに、チラリと見た町田の体は、かなり出来あがっていた。同じぐらいの身長の筈だが、自分よりはよっぽど均整が取れている・・・と緑川は一瞬のうちに思ってはいた。いたが・・・。
「顔、赤いぜ。可愛いな、おまえ」
「うるせえっすよ。アイツの話題は、もうしねえでください。気分ワリー」
緑川は小野田をドンッと、どつきながら、チラリと町田達が去っていた校舎を横目で見た。
「あはん。おまえら、喧嘩中って訳ね」
小野田はタオルで顔を拭きながら、緑川の視線に気づいて、言った。
「で。どっちかっつーとおまえのが分が悪くて。それでさっきから反省してたんか?緑川」
「・・・」
沈黙してしまう緑川に、小野田はクスクスと笑った。
「素直になんねえと、色々損するぜ。まあ、俺は人のことは全然言えねえけどな。自分がそうな分、人にはなにかと世話焼きたくなっちまう。町田みてえなタイプはな。ありゃ、分析するまでもねえが超単純。怒りもするが、許すのも早いだろう。おまえが悪いならば早いとこ、謝っておくべきだな。そうだな。なんか、オマケも添えてさ」
「オマケって?」
キョトンと緑川が聞き返す。
「そりゃ、町田が欲しいモンだろ。おまえなら、わかるだろ〜よ」
ニヤニヤして小野田は言った。緑川は「ふーん」とうなづいた。
「じゃあ、そうすっか」
簡単に言う緑川に、小野田は片眉を顰めた。
「って、おまえ。簡単に言うけどな。さっき悩んでなかったか?」
「確かに先輩が言うとおり、あれはバカだ。単純だからな。オマケか。悪くねえかも」
「・・・なんか勘違いしてねえ?オマケにゃ深い意味があるんだぞ。わかってるか?緑川」
「深い意味!?」
聞き返す緑川に、小野田は、自分の言った『深い意味』が緑川には理解されることなく、通り過ぎていったことを知って、小さく溜息をついた。


緑川は、寄り道してから自宅に戻ると、葉子の部屋のドアを叩いた。
「お兄ちゃん」
ベッドでゴロゴロしていた葉子は、ムクッと起きあがった。
「小野田先輩が、夏風邪には気をつけろって」
「・・・いちいち言いにこないでよ。嫌味だわ」
葉子は、当然風邪などひいてもいないのだ。サボリなのである。
「頼みがあんだよ、おまえに」
「なによ」
「これ」
「映画のチケット?」
葉子は、キョトンして緑川が示したチケットを、見た。
「それ、町田と行け。アイツが観たがってた」
緑川が、『町田』の名を出したことに、葉子はムッとした。
「自分で行けばいいでしょ」
「俺と行くより、アイツはおまえと行くほうが嬉しいんだよ。アイツはおまえが好きなんだ」
緑川の言葉に、葉子は目を丸くした。
「ええ!?だっ、だって、お兄ちゃん・・・」
「とにかく。町田と映画行ってこい。・・・つきあってやるから」
「なに?」
「おまえが行きたいって言ってたところ。練習のねえ日に、つきあってやっから」
「うそ!ホント???」
パアッと葉子の頬が赤くなった。
「どっちだよ」
「嬉しい!じゃあ、いく。町田先輩と映画行ってくる」
パッと、葉子は緑川からチケットを奪った。
「約束よ、お兄ちゃん!絶対につきあってね」
「ああ」
うなづいて、緑川は葉子の部屋を出た。これで、町田は喜ぶだろう。この前、うっかり泣かせてしまったことへの罪滅ぼしだ、と緑川は思った。


町田は、顔が壊れるほど、ニコニコしていた。
「いやあ。映画、面白かったな。緑川がこういう趣味だとは思わなかったぜ。女の子がこんなの観たいって言うの、ちょい吃驚。でも、俺と好み似てるかも」
「え、う、うん・・・。ちょっとHだったけど。面白かった」
葉子は引き攣りながら、とりあえずうなづいた。勿論、葉子が観たかったのはもっと別のジャンルの映画だ。
「ウレシー。観たいと思っていた映画、緑川と一緒に行けて。そんでもって、これってデート?って感じじゃん。あ、俺、バイト代前借りしてきたから、今日はゼーンブ俺の奢りな。食いたいモン、欲しいモンあったら、なんでも言えよ。言ってくれよなっ」
町田は、葉子に言った。照れているのか、少し顔が赤い。そんな町田の反応に、葉子は「あははは」と笑ってから、後ろめたさで心がいっぱいになった。
「次、どうしようか。緑川行きてえとこある?」
映画館を出て、あてもなくブラブラと真夏の町を歩きながら、町田が葉子に聞いた。
「んーとね。って、別にないな」
「じゃ、俺に任せてもらっていい?俺、水のあるところに行きてえんだよ。ちょっとここから電車乗るけど、いいか?遅くならねえうちに送るから心配すんな」
「いいよ。先輩に任せる。水のあるところって、海?」
「東京湾」
町田は妙に嬉しそうだった。
「先輩、デート慣れてる?」
「まっさか。俺モテねえもん。緑川から電話もらってから必死に色々調べたんだよ。やっぱりな。こういう時、女スマートに案内できねえ男って情けねえだろ」
「そんなことないけど。私は優柔不断だから助かるな」
「任せろって」
ニッと町田は笑う。その顔を見て、葉子はまた、胸がズキズキするのを感じた。う、怨むわよ、お兄ちゃん・・・!そう心の中で、葉子は呟いていた。
泳げないが、東京湾!
海。水。水辺はやはり気持ち良かった。二人で色々な店をひやかしながら来たので、もうすっかり辺りは夕景だった。
「気持ちいいねー、先輩」
「おう。俺さ。小さい頃海の近くで育ったらしくてよ。あんま覚えてねえけどな。でも、今も川の近く住んでるし、どうしてもこう水っぽいところが好きみてえなんだよ」
町田が目の前に広がる夕日を見つめながら、眩しそうに言った。
「海辺で育ったのか〜。いいよね。きっと、体のどこかで記憶してるんだよね。そういうの」
「そうだな」
葉子は、砂の上に腰を下ろした。町田もそれに倣い、腰を下ろす。ふと、今まで耐えることのなかった会話が途絶えた。葉子は、町田をチラリと見た。町田もそれに気づいて、葉子を見た。目が、合う。
「あ、あのよ。緑川。その。俺・・・。聞きてえことあんだけどよ」
町田は、クシャッと金色の髪をかきあげながら、僅かにうつむいた。
「なあに?」
「今日のことさ。なんで急に・・・!?俺、おまえにキライって言われたから。すっげえ落ち込んでて。なのに、こんなふうに誘われて。俺、単純だし楽観的だから、イイふうにしか考えねえけど。そ、それでいいのか?」
町田の言葉。たぶん、最終的には絶対聞かれることだと思っていたので、葉子は息を整えた。
「町田先輩」
「ん?」
「アタシ、先輩のことキライじゃない。この前は、あんなこと言ってごめんなさい。キライじゃないの」
「み、緑川。それじゃ」
だが、葉子は首を振った。
「でも、ゴメン。ゴメンナサイ。キライじゃないし好きだけど、たぶん町田先輩が想ってるような好きとは違うの。違うんだよ」
葉子の言葉に、町田はキュッと唇を噛み締めた。そして、ハハハと笑った。
「そ、そうなのか・・・。ま、まあそうだとは思っていたけどな。緑川は優しいから、今日のことはこの前の詫び兼ねてるンだろうとは・・・。まあ、思っちゃいたけどな」
サラサラと、ゴム草履で、足元の砂を撫でながら町田は呟いた。
「ごめんなさい」
葉子はペコリと頭を下げた。
「でも、俺。おまえのことが好きなんだ、緑川。俺のこと、好きになってくれねえか?」
町田は食い下がった。葉子は、ちょっと潤んだ目で、町田を見つめた。
「・・・町田先輩、いい人よ。先輩好きになれれば、幸せにしてもらえる気がする。でもね、ダメなの。私、お兄ちゃんが好きなの。緑川晴海。アイツが好きなの」
「この前も言っていたけど、それマジか?だって、アイツは、兄貴じゃねえか」
ウン、と葉子はうなづいた。
「血が。血が繋がってないのよ、私達」
「!」
葉子の言葉に、町田は目を見開いた。
「私とあの人。血が繋がってないのよ。一緒に住んでいて、兄妹って言ってるけど。単なる男と女になれるの、私達。私、もうずっとお兄ちゃんを男として好きなの。愛してるの。お兄ちゃんは、気づいてるし、知ってる。でも、お兄ちゃんは、私のこと好きじゃないの。好きじゃ、ないのよ。だから・・・。お兄ちゃんは、町田先輩を。たぶん、町田先輩を。ごめんね、こんな言い方。でも、利用しようと思ったんだと思う。私の気持ちを自分から離すために、町田先輩を好きって言ったのよ」
葉子の言葉に、町田は呆然としながら
「俺を使ってって・・・。そんな。俺は男だぜ。そんなことするならば、普通は女使うだろ。そっちのが断然効果的じゃねえかよ・・・」
町田の最な言葉に葉子は笑って、そして、次の瞬間に、ひどく悲しそうな顔をした。
「そりゃ女の子のが一番てっとり早くアタシを諦めさせることが出来るんだろうけど、あの人、女の子ダメなのよ。苦手なの。きっと、私が猛烈に迫り過ぎてるからなのよね。トラウマなのかもしれない。だから、先輩のこと使って、私を諦めさせようとしたのよ。私、あせっていたの。この夏は、とくに。なんとかお兄ちゃんを振り向かせたいって。だから、きっと急に、私の気持ちが怖くなったのよ、お兄ちゃん。今日だってね。お兄ちゃんが行けって言ったの。あの映画のチケットも、町田が観たがっていたからって。私と行けば、きっと先輩は喜ぶって。内緒にしておこうと思ったけど、ダメ。先輩の嬉しそうな顔見てたら、後悔で胸がいっぱいになってしまった。私、自分の気持ちに素直なの。いいことも悪いことも。ごめんなさい」
「・・・」
緑川が行け?と。俺が観たかった映画。なんで、知って・・・。ああ、あの水飲み場で、ヤツは俺と佐藤の会話を聞いていたのか・・・。思い当たり、町田は溜め息をついた。そして、葉子に真実を告白され、全ての辻褄が合うな、とも思った。緑川のために、男バスのマネージャーになった葉子。いつも、見つめていたのだ。緑川を。そして、アホなあの兄貴の方も・・・。言われてみれば、そうかもしれない。俺は利用されたンだろうな〜と思う。ずっと同じクラスだったのに、ここ急に好きだのキスだのって、なにごとかと思ったぜ。ったくよ。
もう1回町田は溜息をついた。
「俺達、どっちも切ねえな」
「・・・そうだね・・・」
ふっ、二人の間に沈黙が流れた。
「うっし!」
町田は、尻の砂を払いながら、立ちあがった。そして、葉子に手を差し伸べた。
「とりあえずデートの続きをしようぜ、緑川。どうせ最後ならば、楽しい思い出にしようぜ。なんか美味いモン食いに行こう」
「町田先輩」
差し伸べられた手に、葉子は、おずっと手を重ねた。町田はニコッと笑った。
「お互い、後悔しねえようにいこうぜ。俺とおまえの人生は1回きりだ。泣いても笑っても1回きり。それならば、俺は笑って生きていきてえと思ってる。その方がいいだろ」

『笑って生きていけ。おまえにはそれが似合うし、それが出来る。後悔しねえで生きていくことは難しいが、おまえには出来るだろう。笑って生きていくんだ。俺の分までな』
町田の心の中を、兄の言葉が通り過ぎてゆく。憎しみや悲しみは、もうたくさんだ。俺は、アホだと言われようが、バカだと言われようが、死ぬまで笑って生きていくぜッ・・・!
「うん。そうだよね。賛成っ!」
葉子は微笑んで、町田の手をギュッと握った。町田は、そんな葉子を見て、フワッと暖かい気持ちになった。


町田は、葉子を駅まで送った。本当は家まで送ってやろうかと思ったが、葉子が、迎えの車を呼んであるから駅まででいいと、言ったのだ。駅に着くと、ターミナルには、葉子の迎えの車が既に待機していた。車まで葉子に付き添って行ったことを、町田は後悔した。緑川が乗っていたからだ。
「お兄ちゃん」
葉子は、緑川を見上げ、それから町田を見上げた。葉子は、ちょっと気まずい顔をしていた。
「乗ってろ」
緑川に言われ、葉子はうなづいた。
「町田先輩。今日は楽しかったです。どうもありがとう」
「うん。じゃあな」
ヒラッと町田は葉子に手を振ってから、即座に踵を返した。
「ちょっと待てよ。あからさまに無視すんな」
緑川の低い声が、町田の背に突き刺さる。
「させろ」
ズンズンと歩いていく町田を、緑川は追いかけた。
「町田」
「うるせえな」
グッと、肩を掴まれて、町田は緑川を振り返った。
「なんだよ。言いたいことあんなら、一秒で言え」
「無茶言うな」
「終わり。じゃあな」
「おい」
再び肩を掴まれて、町田は、クワッと緑川を睨んだ。
「なんだよ、うぜえな」
「これで帳消しだぜ。この前のこと」
「ああ?」
「おまえが葉子に惚れてること・・・。んなに、惚れてるとは思わなくて。悪いことしたとは思ってる。だけど、今日一日で、借りは返したぜ。楽しんだんだろ、葉子と」
緑川は、鼻で笑いながら、言った。
「おまえにとっては、最高の日だったろ。惚れた女と、デート。これで、俺はおまえになんも文句言われる筋合いなんかねえし、むしろ感謝してもらい・・・!」
ビシッと、町田が緑川の頬を叩いた。
「なに、すんだよ・・・」
呆然として、緑川は町田を見た。
「ざけたことぬかしてんじゃねえっ。そりゃ、てめえの言うとおり、俺は楽しませてもらった。あんな可愛い子を一日中独占して、町歩いていても鼻高かったぜ。けどな。葉子ちゃんにとっては、さぞや辛い1日だったろうよ。好きな男に、別の男とデートしてこいって言われてよ。おまえ、あの子の気持ち、知ってるんだろ。知っていて、俺とデートさせたんだろ。残酷なことしてんじゃねえよ。てめえはな。俺とあの子の気持ち、同時に弄んだんだよ。それで、文句言われる筋合いじゃねえって自慢気に言われて、ハイその通りです〜なんて俺が言うと思ったら、大間違いなんだよ、ボケナス!俺はな。てめえみてーな、デリカシーのねえヤツはダイッキライだ。んとに、キライだぜ。夏休み明けるまで、そのツラ、俺の前に出すんじゃねえよ!無神経ヤロー」
言うだけ言うと、町田は緑川に背を向けて、ダッと走り去った。
「・・・てめえが喜ぶかと思ったのに・・・」
叩かれた頬に手をやりながら、緑川は呟いた。
だが。言われてみれば、確かに町田の言う通りだ、と緑川は思った。葉子には、可哀相なことをしたのだろう。自分は、町田の喜ぶ顔が見たくて、ただそれだけの為に、葉子を利用したのだ。
自動車に戻り、緑川は、葉子の座る後部座席の隣にドサッと腰掛けた。
「お兄ちゃん。どうしたの?」
心配そうに、葉子は聞いてきた。
「なんでもねえ。それより、今日は悪かったな。無理なこと頼んで」
緑川の言葉に、葉子は驚いたようだった。顔が、驚きの表情だ。
「なんだよ」
「う、ううん。お兄ちゃんがそういうこと言うの、珍しいと思って」
「悪かったな」
緑川は、シートに深くもたれながら、目を閉じた。
「楽しかったよ、今日。町田先輩、とてもいい人。でも、いい人過ぎて、辛かったっていうのが本音。きっと、町田先輩も同じ気持ちだったと思う」
葉子の、そんな言葉をすぐ近くで聞きながら、緑川は思った。
妹も傷つけたが、俺は、また・・・。アイツを傷つけてしまったんだな・・・と。
『そのツラ、俺の前に出すんじゃねえよ!無神経ヤロー!』
町田の声が頭に甦って、ズキッと緑川の胸が痛んだ。
なんで、俺は。アイツのことを考えると、こんなふうになっちまうんだよ・・・。
そんなことを、緑川は自宅に着くまでの車内で、ボンヤリ考えていた。


だから、なんで・・・。
町田はゲッソリとしていた。
コーヒーが一杯1000円もするよーな高級な喫茶店で・・・。
「俺は、てめえとツラつきあわせていなきゃなんねえんだよッ!夏休み明けるまで、そのツラ見せるな、って言ったろーが」
バンッ、と町田はテーブルを叩いた。その音に、周囲の人々が、チラチラと町田達のテーブルを振り返った。
「仕方ねえだろ。おふくろが、てめえと会いたいってうるさいんだし。だいたい、この前てめえがうちに置いてった服、届けてやったんだろうが。感謝しろよ。ったく。パジャマで帰りやがってよ」
目の前に座った緑川は、やたらと落ち着いた顔で、コーヒーを啜っていた。
「てめえが、訳わかんねえこと言わなきゃ、あの日俺だってパジャマでとんずらしなくても済んだんだよ!元凶が偉そうに、恩売ってるんじゃねえ」
バババと、町田はテーブルを叩き続けた。
「血圧あがるぜ、てめえと話してると。ったく」
ガシガシと頭を掻きながら、町田は舌打ちした。
「とりあえず、服は返してもらうぜ。それに、俺、これから行くとこあっから、失礼するぜ。翔子ちゃんには、礼言っといてくれよな」
緑川母=緑川翔子は、ただ今、おトイレに立っていた。
「どーでもいいけど、てめえら、なに、翔子ちゃん・まーちゃん、なんて言い合ってるんだよ。気色わりいな」
冷やかに緑川が言った。
夏休みのある日。突然、母・翔子が「町田くんに会いたい!今すぐ会いたい。連れて行け」と喚いたのをこれ幸いに、母を連れて緑川は町田宅を訪れていた。うだるような熱帯地域(町田の部屋)に、鍵もかけずに半裸でスヤスヤと寝ていた町田を、親子は無断で部屋に上がりこんでは呆然と真上から眺めていた。が、5分もしないうちに、赤道直下の如くのその部屋の暑さに耐えきれなくなった二人は、町田を殴り起こして、無理矢理駅前付近の冷房のガンガンきいた超高級喫茶店に連れ込んでいた。環境に慣れるのが早い町田は、半分寝惚けながらも、強引に拉致された喫茶店で、翔子とすっかり会話を弾ませていたのだった。そんな会話の途中で、互いを呼び合う時は、常に「翔子ちゃん」「まーちゃん」なのである。横で黙って会話を聞いていた緑川は、そんな二人の名前の呼び合い方に、クーラーのせいばかりではない寒気に襲われていたのだった。
「っせえな。この前、おまえン家の居間で翔子ちゃんと飲んだ時、お互いそう呼び合おうって決めたんだよ。羨ましーか。バアカ」
舌を出し、ヘラヘラと町田は笑っていた。
「全然羨ましくねえよ。むしろアホみてえ」
緑川の言葉に、町田はカッチーンと顔を怒らせた。そんな町田を見て、緑川は心の中で、クスッと笑う。自分にはない、表情豊かな町田が、緑川は好きだった。そんな気持ちを顔には出さない分、視線に出して、緑川は思いっきりジッと町田を見つめた。
「な、なんだよ・・・」
ギョッとして町田は、ツツツと背を反らした。
「別に」
「心臓に悪いツラで、見つめるんじゃねえよ」
「心臓に悪いって、なんで?」
「なんでって・・・。そりゃ」
そう言って、町田は思わず緑川をジッと見つめ返してしまった。
コイツと俺は。キッ、キスを。何度も。おまけに、俺はこんな無神経男と風呂なんぞ入って、あらぬ動揺とかしちまって。更に。考えてみれば俺は、コイツの乳首とか舐めてしまったりなんかしていたりするんだよな・・・とか思って、町田はカッと顔を赤くした。
「・・・顔赤いぞ、町田」
「うるっせえ!とにかく、俺帰る」
バンッと、テーブルに手をつき、それに勢いをかりて、町田は立ちあがった。
「じゃあな」
と、踵を返しかけたところに、翔子が戻ってきた。
「まーちゃん!もう帰るの?」
「え、ああ。ごめんな、翔子ちゃん。俺、ちょっと用があって」
「用ってなに?まだ会ったばかりじゃない。もっと色々お話することあるわよ」
「い、いや、でも」
町田は腕時計を見た。
「いやよー!せっかく会えたのに。私も行くわ。まーちゃんについていく。いいでしょ」
翔子は、ガシッと町田の右腕を掴んだ。
「そ、それはちょっと困るよ、翔子ちゃん」
「困るってなに?私達が一緒じゃ困る場所なの?浮気??」
「バッ。う、浮気ってなに!?あのね、俺と緑川は違うんです!」
思いっきり動揺しながら、町田は言った。
「なにが違うのよ。とにかく私はついていくわ。まだまーちゃんとお喋りしたいもん」
翔子はガンとして譲らない。
「こ、困ったな。俺、ムショ行くんだけど」
「はあ!?」
翔子が聞き返す。
「今、なんて言ったの?」
「だから、ムショに」
ボソボソと町田は言った。
「え?」
あくまでも翔子は聞き返す。町田は、
「だから、俺は刑務所に、ちょっくら!」
と、叫んでハッとした。
シーン。
喫茶店は、町田の声に静まりかえってしまっていた。
「そうか。やっとてめえも自首する気になったか」
そんな中、一人平然と相変わらずコーヒーを啜りながら、緑川が言った。町田は咄嗟にうなづいていた。
「ああ・・・。改心したぜ、俺は。ちゃんと務め上げて罪を償うぜ。・・・って、なにぬかす」
グルッと振り返って、町田は緑川を睨みつけた。
「ぬかしたのは、てめえだ」
ギギギと、二人は睨みあった。
「なんで俺が、檻に入らなきゃいかん!」
「一人や二人は殺していそうなそのツラが、立派な理由だ。文句あっか!」
「どこが立派な理由だ。顔で刑務所入るのか?ああ!?俺のこの善良そうな顔がその目には映らねえのか?老眼!」
「おなじ歳だろ」
二人の間に、グイッと翔子が乱入してきた。キュッと、翔子は町田を抱き締めた。
「え?しょ、翔子ちゃん?」
「まーちゃん・・・。刑務所なんて。どうしたの?なにがあったのよ。困ったことがあったら、言ってくれれば良かったのに。水臭いわよ。一人で檻に入ろうとするなんて!必要であれば、うちの弁護士貸すわ。貴方の力になりたいの・・・」
町田はガックリとうなだれて、翔子を、ベリッと体から引き剥がした。疲れる親子だ・・・と心底思った。
「翔子ちゃん、あのね。・・・面会ッスよ。心配かけてすんません。それに、俺。一人で行きたいんです」
町田は言った。
「面会・・・。そう。じゃあ、無理は言えないわね」
翔子はションボリしながら、呟いた。
「晴海、行こっか」
その翔子の声にうなづきながら、緑川は立ちあがった。そして、すぐ側の町田をチラリと見た。
「町田」
「なんだよ」
「ムショに入ってる男は、おまえと同じ金髪の男か?」
「!?」
スウッと町田の顔が一気に青褪めた。
「よ、余計なこと言ってんじゃねえよ。関係ねえだろ、てめえには」
ビクッと町田の顔が強張ってしまったのを見て、緑川は驚いた。この前も見た、いつもの町田とは違う町田の瞳の色。緑川は目を伏せた。ヤバイことを言ってしまったのだ、とすぐに反省した。
「わり。確かに俺には関係ねえや。おまえがムショ入るんじゃねえんだからな」
「入るかっつーの!しつけえな」
町田は顔を引き攣らせながら、叫んだ。そんな町田を見て、緑川はもう1度、町田を呼んだ。
「町田」
「なんだよ、もう。いっぺんに言えよ」
苛々した町田の口調。気にせず、緑川は言った。
「おまえの・・・。雌になってやる。その覚悟が出来たから」
「え?」
「2度は言わねえ」
そう言って、緑川は翔子を連れて先に喫茶店を出て行った。
町田は、呆然として、その場に立ち尽くした。

い、今。緑川はなんて言った?俺の雌になるとか、なんとか。雌ってなんだよ。雌って。俺の雌!?
覚悟が出来た?覚悟が出来たって・・・。つーか、俺の覚悟が出来てねえよ!!!てめえを俺の雌に????
いきなりなんだ、あのアホは。暑さで脳天いかれたか。いや、最初からおかしいヤツだが、それにしても。

え?え?え?

町田はフラッとよろめいた。よろめいて、テーブルに体をぶつけてしまう。町田はボンヤリとテーブルに手をつきながら、ゆっくりと目を見開いた。
「・・・俺の雌になる?・・・って、それよか、おまえ。金払ってから出てけよ・・・」
3人分の珈琲代が書かれた伝票は、しっかりとテーブルに残されていた。町田は舌打ちして、それを掴むと、レジに向かって歩いていく。

町田の頭の中には、猛烈強烈な緑川と名のつく台風が上陸していた。

続く
しめて3150円なり!(笑)

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