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結局・・・。昨日、葉子を見失った町田は、覚悟を決めて葉子の自宅に訪ねていくことに決めた。夏休みの間中、うだうだしているのは、性に合わない。調べた住所を書いた紙切れを握りしめて、町田はアパートを出た。緑川の自宅は、町田のアパートがある場所から電車で2つ目の駅だった。電車賃が勿体ないので、町田は自転車で行くことにした。だいたい線路に沿って走ってりゃ駅には着くし、目的の駅まで着けば、あとは誰かしらに聞いていけばいい。軽いぜ。簡単にそう考えて、町田はグンッと自転車のペダルを踏み込んだ。

だが。必ずしも線路に沿って道があるわけではない。
「み、道が消えたっ」
当たり前である。左に線路を意識しながら、町田は仕方なく大回りすることになった。
『葉子ちゃん!違うんだ。全ては誤解なんだ!結ばれるべき俺達の運命を、女神が嫉妬して邪魔しているだけなんだーッ!』
と、ルックスに合わずに乙女ちっくなことを心の中で叫んで、町田はギコギコとペダルを踏み込んでいた。

よれっ・・・。
数時間後。町田は、自転車を片手で引き摺りながら、歩いていた。たかが2駅。されど2駅。目的地には、たぶんもう近いのは間違いないと確信しつつ、とうとう町田は、道路にへたりこんだ。真夏の太陽照り付ける中、自転車を漕ぎ続けるということは、かなり体力がいる。日頃の運動不足がこんなところに出るのだ。道に迷うわ、急いだあまりに小石を踏んづけて、ハンドルを取られ、電柱に突撃してしまい、傷だらけになるわで、町田はもうヘトヘトだった。
「外人が座りこんでるーっ」
ここらの近所のガキどもらしきが、へたれこんでしまった町田を無遠慮にわらわらと覗きこんできた。
「お兄ちゃんだいじょーぶ?」
「じゃねえよ・・・」
そのうち、パッパーと後方でクラクションが鳴った。
「ウルァ!んなところでボヤボヤしてっと、轢き殺すぞっ」
大型トラックのガラの悪い運ちゃんが、クラクションと共に窓から身を乗り出して叫んだ。
「うるっせー。やれるもんなら、やってみやがれっ。クソジジーッ」
立ちあがっては叫び返して、町田は自転車を肩に担いで、道路脇に避難した。
「ざけんなよ、いきがりボーズが」
ブオオオーッと通りすがりに、オヤジが捨て台詞を吐いていった。
「事故って死ねっ」
ケッと言い返し、町田は歩き出した。
「お兄ちゃん。カッコイイ」
足元、遥か下の方で、ガキどもがパチパチと拍手していた。
「んあ?かっこえーか?ああ、でも真似しちゃダメだぜ。こんな口調真似したら、お母さんに怒られるかんな」
ハハハと笑いながら、久人はガキ達を見下ろす。
「お兄ちゃん、自転車担いで重くないの?」
「こんくれー平気だぜ」
「すごいー。力持ちだし、声大きいし、髪の毛金色だし、カッコイイよ」
誉められてンのか?と、はてなと思うものの、町田はニカッと笑う。
「サンキュー。なあなあ、ところで、おまえら。ここいらで緑川って家知らない?」
するとガキの一人が手を挙げた。
「知ってるー。お庭が広い大きなお家。バスケの上手いにーちゃんがいる」
町田は目を見開いた。
「そこだっ!おい、そこに俺を案内してくれねえか?」
「うん、いいよー」
「やっりぃ!よしよし、頼むな」

そして町田は、肩に一人の男の子を乗っけて、引き摺った自転車には2人の女の子と1人の男の子、合計4人のガキを引き連れて緑川宅に向かうことになった。俺って、まんま餓鬼大将!?とか思いながら。だが、心臓がドキドキしている。目的の家が近づいてきたせいだった。
「もう少しィー」
案内役の男の子が、町田の肩の上で言った。
「そこの角右に曲がったら、目の前」
「な、なに?もうそんなに近いのか・・・」
ムムム。キッと町田は表情を引き締めた。
「角を曲がってな。角を・・・」
キュキュッとハンドルを操作して、町田は自転車を右に回す。
「ここ」
「・・・」

ドーンッ!

「だっ、大名屋敷????」
デカイなんてモンじゃない。そびえ立つ門。高い塀がグルリと敷地を囲っている。ヒョイっと門の中を見ると、緑眩しい芝生の向こうにバスケットゴールが見えた。あのアホは、このだだっ広い庭で、バスケの練習なんざしとんのか!?と、緑川晴海の姿が、脳裏を過った。いや、待て。それより・・・。葉子ちゃんってこんなデカイ屋敷の娘だったんだ。どー考えても、お嬢様ってヤツじゃねえか・・・。や、ヤバ。もしかして、俺とは身分が違いすぎるってヤツか?格が違いすぎる。町田はオロオロとしだした。4畳半のボロアパートに住む俺が、こんなお嬢様と結ばれてしまっていいんだろうか。(←勝手な妄想)
や、やっぱり止めよう。電話にしよう。電話で話せば・・・と、いきなり弱気になって、町田はクルッと豪邸に背を向けた。
『はい。どちら様?』
インターフォンから突然もれてきた声に、町田はギョッとした。
「・・・」
あんが。
町田はあんぐりと口を開いた。
自転車のサドルに立ちあがったガキの一人が背伸びをして、町田が呆然としている間に、
緑川邸のチャイムを鳴らしていたのだった。
「お、おまえっ。なんってことを」
「だってここに来たかったんだろ、兄ちゃん」
ガキはもっともなことを言った。
「う。それはそうだが・・・」
『どちら様?』
もう1度問われる。女の声だが、葉子の声ではない。
「すみません。俺、暁学園の町田久人と申しますが。緑川に会いに来ました」
覚悟を決めて、町田はインターフォンに向かって言った。
『暁学園の・・・?あら。はいはい。今門を開けますからどうぞ』
その声と共に、ガチャンと門の施錠が外れる音がした。
「行ってらっしゃーい」
4人のガキ達は、町田に向かってバイバイと小さい手を振った。
「お、おぅ。色々とありがとな」
礼を言い、町田は緑川邸に足を踏み入れた。

玄関に続く石畳を歩きながら、『緑川のヤローは絶対に裏口入学だ!』と、町田はくだらないことを考えていた。右を見れば、立派な池。左を見れば眩しいばかりの芝生。夕日のせいで、草が赤く見えた。玄関に着くと同時に、パッとドアが開いた。そこには、妙齢の女性が立っていた。黒髪の、豪華な美女だった。ドキーンッ!町田は、慌てて頭を下げた。
「おっ、お邪魔します。あ、あの。お、俺、俺、俺」
どわー。緊張してどもっちまうー!!町田はサーッと青くなった。
「いらっしゃい。まあ、背が高いわねー。それにとってもハンサムね、貴方」
「は、はあ・・・!?」
「うちに男の子が来るなんて。葉子のボーイフレンドでしょ。まあまあ、嬉しいわ」
「ちょっと、お姉さん!お、俺、まだボーイフレンドなんかじゃ・・・」
と言いつつ、青かった筈の町田の顔が、カアアアッと赤くなった。
「あや、やだ。真っ赤になっちゃって。今ね、葉子呼んでくるわ。さっきも呼んだんだけど、お友達と電話中で」
「あ、どうぞ、そのごゆっくり。ここで待たせてもらいますから」
「ごめんなさいねー。どうぞあがっていて」
「いえ。とんでもねえっす。ここで待ってます」
「遠慮しないで。そこの部屋で待っていて」
そう言って美女は、階段を上がっていった。あけっぱなしになっていた玄関のドアに気づいて、町田はドアを閉めようとして、目を細めた。緑に反射した夕日がチカッと光った。チラッと階段を見たが、まだ葉子が降りてくる気配はない。町田はドアを開けて、外に出た。芝生の方に行ってみる。芝生の上をソロソロと歩いていると、どこかからか、大きな音が聞こえて町田はハッとした。断続的な音。この音は・・・。慌てて、音の方へと走った。大きな木の裏に、さっき門から盗み見たバスケットゴールがあった。
「!」
バンッ!ボールが地面を叩く音が響き、タタタッと軽快な足音と共に、ガアンッと物凄い音が炸裂した。ゴールにダンクシュートした音だ。町田はゴールを見上げた。夕日を背中に背負って、緑川がボールと共に、空中から降りてきた。スローモーションのように、その場面は町田の目にゆっくりと映った。見上げる町田と、見下ろす緑川の目が合う。緑川の目は僅かに見開かれていた。
タンッ。緑川の足が地面に着いた。コロコロ・・・とボールが、町田の足元に転がってきた。
「よお」
緑川は、そう言った。町田が自分の家にいることを、不思議に思ってる様子はない。町田はボールを拾って投げ返す。
「練習につきあってくれっか?」
「・・・なにをいきなり。冗談だろ」
「たりめーだろ。てめえ相手じゃ、練習にもなんねえよ」
「んだと!?」
言い合おうとしたところに、先ほどの美女が走ってきた。
「町田くん。ごめんなさいねぇ。葉子ったら、貴方の名前を出したら会いたくないって言うの。貴方達喧嘩でもしてるの?」
少し困った顔で美女が言う。
「会いたくないって・・・」
ガーンっ。町田は、明かにガッカリした顔になる。
「喧嘩っつーか。お姉さん。俺、緑川に・・・。聞いてほしいことがあって。それで、自宅まで勝手に押しかけてきちまったんです・・・。でも。そーすか。会いたくねえって。そうですか」
町田は肩を落として、項垂れていた。
「ごめんなさいね。あん。そんな捨て犬みたいな顔されたら、私も困っちゃうわ」
「なに言ってんだよ」
緑川が会話に入り込んでくる。
「あら、晴海。そういえば、貴方も町田くんとは知り合い?同じ学校よね」
「ったりまえだろ。クラスメートだよ」
「まあ、そーなの。ねえ。葉子をなんとか説得してくれない?あなたからも」
「必要ねえよ」
「なんで。町田くん可哀相じゃない。葉子のカレシなんでしょ?」
「ち」
違うと言いかけた町田より早く、緑川が
「おふくろ。あのな。俺がコイツの彼氏なの。コイツは俺に会いに来たんだよ」
「えっ?」←緑川母。
「えっ?」←町田

「町田くんって、晴海の彼女なの?葉子の彼氏じゃなくって!?」
「おふくろって、この人、おまえの母ちゃん!?わ、若い〜。それにすっげえ美人。姉さんかと思ってた」
と、2人は全然違う内容の悲鳴をあげていた。そんな2人を無視して、緑川は更に言った。
「葉子はどーでもいいんだよ」
その緑川の言葉に、町田は今更ハッとした。
「なっ。てめっ。そういえば、今なんつった!?俺がおまえの彼女とかなんとか。お、おふくろさんの前でまでデマこいてんじゃねえっつーの」
「町田くん」
妙齢の美女、正体は緑川母。その緑川母は背伸びして、町田の肩をポンッと叩いた。
「へっ?」
「私、貴方のこと気に入ったわ!」
「あ?」
「貴方の相手が、うちの葉子でも晴海でもどっちでもいいわ。まあ、とにかくお茶でもしていきなさい。美味しい紅茶と私が作ったケーキがあるのよ。ささ、早く、早く」
グッと腕を掴まれて、町田は緑川邸に拉致されようとしていた。
「み、緑川、おまえ、なに笑ってンだよ。ちょっ、ちょっと。お、おばさん」
緑川がニヤニヤ笑いながらあとをくっついてくる。
「おねえさんでいいわ」
緑川母は振り返って、ニッコリ。
「・・・おねえさん!俺泥だらけだし、部屋に上がるのはマズイっすよ〜。緑川、てめえもフォローしろよっ」
「遠慮するなよ。おふくろのケーキは美味いぜ」


緑川邸リビングルーム。
ズラリと並んだ高価そうな家具に、町田はクラッと眩暈を引き起こしていた。天井からはシャンデリアだ。
今時、あんなのどこに売ってるんだろー・・・と町田はマヌケヅラで天井を眺めていた。
「マヌケヅラで、ボーッと突っ立ってンな。座れ」
「マヌケヅラだと!?てめえ、この俺様の美しい顔を」
「は?」
緑川は耳に手をやった。
「ちっ」
町田は、緑川とは遥か離れたソファに腰掛けた。フワフワして上等なソファだった。
「まあ、マヌケヅラはいいとしても、てめえ、顔どーした。なんか傷だらけだぞ」
「よくねえよ。それに、っせえな。チャリでここまで来たんだ。色々冒険してきたんだよ」
「どんくせー。どーせ電柱にでもぶつかったんだろ」
「・・・」
図星〜★ギギギと、2人は睨みあった。
「まあまあ。喧嘩しちゃダメよ。はい、アイス紅茶。ケーキはもう少し待ってね。切ってくるから」
花柄のエプロンで、緑川母は町田の前を通り過ぎる。
「あ、どうもです」
「遠慮しないでガバガバ飲んでね」
「ガバガバ。は、はあ」
ルルルン〜と、緑川母がキッチンへと戻って行く。
「あれ、おふくろの1番お気に入りのエプロンらしいぜ。なんかちゃっかり着替えてやがるぜ。しょーもねー」
緑川が言った。
「へえ。いいじゃん。よく似合うしな。なんかいい匂いするし。スタイルいいし、若くて、おまえとは似ても似つかない綺麗な母ちゃんで良かったなー」
「まあな」
その点に関して、緑川は否定しなかった。黙ってアイスティーを飲む。
「葉子ちゃんはママ似だな。うん」
町田はそう言って、自分の意見に賛成!とばかりにうなづいていた。
「その葉子だけど。おまえが来てるっつったら、裏口から逃げたらしいぜ。嫌われたもんだな」
「え?」
葉子が逃げた・・・。
町田はちらっと緑川を見た。
「あ、あのよ。それってどういう理由で逃げてるんだろーか。やっぱり、俺がおまえなんかとつきあってるのがショックってことか?どう考えたって、あの状況は、自分に告白してくれようとしたって葉子ちゃん気づいてんだろ。だったら、ちゃんと説明してさ・・・」
「おまえって、めでてーな。逆だよ。葉子は、俺が、おまえなんかとつきあってることにショックを受けてんだよ。なんたって葉子は俺に憧れてンだかんな」
「憧れ?んなこと言ったって、兄妹じゃねえか」
「兄妹でも、だ」
「うーん・・・」
町田は、その感覚には覚えがあった。きょうだいでも、憧れというものは抱くものなのだ。
俺が。優兄を大好きだったように。優兄のやることなすこと全てに憧れて、真似をした。そんな優兄に、恋人を紹介された時は、すごく寂しかったことを覚えている。寂しくて、嫉妬もした。町田はギョッとする。
「ってことはなんだ?俺って、もしかして、葉子ちゃんに嫉妬っつーか、怨まれてんのかよ?大事な兄貴を奪ったとか、そーゆー理由で。だから会ってもらえねえのか?」
「そうだよ。気づいてなかったなんて、天然目出たいボケ頭だな、おまえ」
「てめーっ。言わせておけばッ!」
バアンッと町田はテーブルを叩いた。
「きゃあ、きゃあ。どーしたの。どーしたの」
緑川母が、ワゴンにケーキを乗せてリビングにやってきた。町田はハッとして、慌てて緑川母を振り返り、ペコペコ謝った。
「吃驚したわ。男の子同士っていうのは、元気なのねー。なんだか新鮮だわ。それにしても晴海がお友達を連れてくるなんて、珍しいわ。私、嬉しいわ」
「友達じゃねえよ。カノジョ」
緑川は訂正を要求した。
「そうだったわね。カノジョ」
緑川母は、その要求を受け入れた。
「おばっ、いや!おねえさん。そこであっさり納得せんでもらいてーンですが!」
鼻息荒く、町田は言った。緑川母は、頬に手をやり溜め息をついた。
「晴海はねぇ。昔から変わった子だったの。だからねー。多少のことぐらいじゃ、私もこの子の父親も驚かないわ。それよりも、晴海がよそ様の子と深く交わることが出来たなんて、ちょっとホッとしてるのよ」
緑川母の言葉に、町田は目を剥いた。
「深く交わる!?じょっ、冗談じゃねーっす。まだ交わってませんっ!」
ボッと顔を赤くして、町田は叫んだ。緑川母は、キョトンとしていたが、
「・・・町田くん。あのね。そーゆー意味で言ったんじゃないのよ、私は」
と、ニッコリ★
「言い方悪かったわね。よそ様の子と、親しく出来るなんて・・・って。言いたかったの」
「あっ」
もろな勘違いに、町田は「へへへへ」と笑い、「このケーキ、美味いっすねぇ。おねえさん、料理天才!」と苦しくも話題を変えた。てへてへと町田は笑って誤魔化す。普通ならば、誰も誤魔化されないはずの場面なのだが、町田の持つ雰囲気というか、笑顔は、不思議とこういう場面を、さっくりと誤魔化すことが出来るのだった。これは、天賦の才であろう。ちょっと大袈裟ではあるが・・・。
「町田くんって、強面の割には本当に純情で可愛いわねえ。晴海、お母さん、すっかり町田くんのこと気に入っちゃった。私が・・・。つきあいたいくらいだわ」
ギラリッ!と緑川母の目が妖しく光った。町田は「?」と思いつつ背筋にゾクリと悪寒が走った。
「町田くぅん。年上ってキライ?私ねぇ。今35歳なのよ。晴海を18歳で生んだから。女しては、まだまだイケてるわよねー」
ポスッと緑川母は、町田の隣に腰かけた。
「イケてます。イケてます。おねえさん、美人でナイスバディですし。全然オッケーですよ。それにしてもこのケーキ、美味いっす〜♪」
ヤケクソ気味に、町田はブンブンとうなづいた。
「町田」
今まで黙って会話を聞いていた緑川が、ドスンッと町田の横に乱入してきた。
「わっ。せめえっ。なんだ、いきなり」
「口元に、なんかついてるぜ」
「ん?」
グイッと肩を引き寄せられて、町田はハッとした。
つい、昨日。同じような展開で、緑川にキスを奪われた。誰が、同じ過ちを繰り返すかっ!
「じ、自分で取るっ」
「取ってやるから、ジッとしてろ」
ぜってー、そうだ。キスがくる。こいつ、マジかよ。お、おふくろさんの前だっつーに!信じられねえっ。
町田は側にあった銀色のお盆をバッと手にし、近づいてきた緑川の顔をボコーンッと思いっきり叩いた。
「!」
あまりの手応えに、町田はハッとした。お盆の振動が、指先にジーンッと伝わってきていた。しまった、つい、怨みをこめて本気で叩いてしまった・・・。おそるおそるお盆を退けると、すぐ目の前に緑川の端正な顔があった。
「うっ・・く。ひでえ・・・町田」
ポロッ。
緑川は、右の瞳から涙を零した。ポロポロ・・・と涙が落ちて、緑川のジーンズに染み込んでいった。緑川は濡れた瞳で、町田を見上げた。
「ん、げっ」
カーッと何故だか町田は顔を赤くした。
「んまっ。晴海が泣いたわ・・・。町田くんは顔が赤いし」
町田は緑川の泣き顔を見て、硬直してしまった。緑川母も、口に手を当てて、息子を見てから町田を見ては、驚いていた。バッと緑川は立ちあがると、手の甲で目を拭いながら、リビングを出ていった。
「・・・」
胸に手を当てて、町田は首を傾げた。

な、なんだ、今の?緑川のヤツが泣いて・・・。涙が。目が潤んで。あの緑川が泣いて。なんか、胸が高鳴ったの、気のせいか?気のせいだな。うん、気のせいだ。ちょっと待てよ。泣き顔が、か、可愛いとか一瞬思わなかったか?俺・・・。いや、そうじゃねえ。可愛いなんて思ってねえよ。・・・綺麗だな・・・って思ったんだよ。危ねえ、危ねえ。

って!どっちもヤバイじゃねーか。なに考えてる、俺のアホっ!

我に返り、町田はリビングを飛び出した。
「み、緑川。待て。悪かった。俺が悪かった。スマン!またおまえにキスされるんじゃねえかと思って吃驚して、つい」
緑川のあとを町田は追いかけた。
「緑川。すまなかった。本当に悪かった。てめえのブサイクなツラを益々ブサイクにヘコませちまって」
動揺している町田は、自分がなにを言っているのかわかっていない。緑川が入っていたであろう場所に、ズカズカと入り込んで言っては自分勝手に喚いた。
が。
「イテテ・・」
そう言いながら、緑川は鏡に向かって目をいじっていた。洗面所だった。
「あ!?」
町田は目を見開いた。
「すっげー痛えっ。コンタクト、ずれちまった。ところで、誰がブサイクだって?」
「コ、コンタクトォ!?」
「おめーが思いっきり盆で、俺の顔叩いたから、ずれたんだよ。いてえ・・」
「ぶわっかやろーッ!んなことで泣くな。驚かすんじゃねえっ」
なんたることだ・・・。町田は喚いてから、ガックリと肩を落した。冗談じゃねーっつーの!
「んなことで、だと?コンタクトのずれた痛みなんて、やってるヤツにしかわかんねえ痛みなんだよ」
どうやら、コンタクトの位置を直したようで、緑川がキッと町田と向かい合った。
「だいたいな。この前から、てめえ俺のことボコりすぎだぜ。いい加減頭来てるんだよ」
前髪を掻きあげながら、緑川は低い声で言った。
「あ?やっか?喧嘩上等だぜ。てめえなんざとキスするより、よっぽど楽しいぜ。喧嘩の方がな」
そう言って、町田はグッと拳を握った。そんな町田をギリギリと緑川は睨んでいたが、フッと視線を反らす。
「お。なんだよ。どーした。びびったか?」
ヘッヘッと町田は楽しそうに笑う。
「確かに、年上受けしそーなツラ」
「あん?」
「今ここでてめえをボコッたら、おまえのことを気に入ったおふくろに殺されるから、止めといてやらあ」
「ほほう。余裕の発言だな。俺に勝てる自信が無謀にもあるとみえる」
握っていた拳を町田が解いた。その瞬間を見計らって、緑川の鉄拳が振り降ろされ・・・。
「ぶわーか。あめえんだよっ」
バシッと町田は受けとめた。パンチを繰り出した右手は封じられたが、空いている左手で、緑川は、町田の首を引き寄せた。
そして、また、無理矢理町田にキスをした。
「んっぐ〜!」
町田がうめいた。ジタバタと暴れる。パアンッ。町田は緑川の頬を平手で打った。そのおかげで、唇が離れた。
「てめえ〜。バカヤローっ。ま、またキスしやがってッ。なに考えてやがるんだ」
「って。フン。あまいのは、どっちだ。おまえにゃ殴るより、こっちのがダメージでけえだろーが」
確かにデカい。町田は慌てて、自分の唇をゴシゴシと掌で拭っていた。何度も拭う。
「なんでっ。なんで、キスすんだよ。こっ、これでもう2度目だぞ。おまえ、おかしいぜ。前からまともだとは思ってなかったけど。おまえ、俺のことが好きなのか?こんなことばっかしやがって!俺のことが好きなんかよっ」
「ああ。好きだよ。俺は、おまえが、好きだ」
「・・・へっ?」
「おまえが好きだ、つったんだよ」

告白。あっさりと告白。

町田は頭の中が真っ白になった。
なんだって!?コイツが、俺のこと、好き!?好きだってよ。
おいおいおいおいおい。・・・・・・・マジかよ。笑えねー冗談。

「晴海ー。夕飯用意するから、町田くんに食べていってもらおーね」
ドアの向こうから、緑川母が言った。
「ああ。その前に、ちょい俺の部屋に布団敷いといて」
「布団?なによ。貴方達、なにするつもりー」
「妙な勘繰りすんなよ。なんだか町田、真っ青になって固まったまま動かねえんだよ。具合が悪いみてえだから」
「具合?どーしたの?晴海、あんたなにかしたんじゃないの?」
「さあ。知らねー」

緑川は、洗面所の壁にもたれかかったまま、真っ白に燃え尽きてしまった町田を、ツンツンと指で突つきながら、首を傾げていた。

続く

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