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凛は、途方に暮れていた。
俺って、もしかして、モテない!?
鏡を前にして、ジーッと己の顔を見つめた。
「・・・確かに怖い顔かもしれない・・・」
いや。顔の作りというより・・・。まずはこの金髪が、絶対女の子に退かれてしまう原因なのだ。
自分の前髪を摘んで、凛はうめいた。
ちくしょー。あの兄貴めッ!完全に俺で遊んでいるよな・・・。
再び、凛はマジッと鏡を見た。
「笑顔だよ。笑顔、笑顔」
に、にこっ。
「・・・」
顔が引き攣って、思いっきりぎこちない。凛は溜め息をついては俯いた。
「よし!気を取り直して」
にこっ☆
「やった。まあまあ、可愛い・・・かも」
凛は鏡を覗きこみ、ニコニコと笑顔を繰り返す。
ところどころ引き攣るが、まあ、なんとか。いけるだろう。
「こ、こんなもんかな」
「こんなもんどころじゃねえぞ!凛ちゃん、すげえ可愛いッ〜ッ」
「どわああああああああああッ」
凛は、持っていた手鏡をポイッと放りだし、悲鳴を上げた。
いきなり、背後から抱き締められ、耳元に囁かれたのだ。
「こく、黒藤〜ッ。てめえっ」
「見られたくねえことやってる時は、戸締りは厳重にネ」
ビョオオオ〜と強い風にあおられ、カーテンがヒラヒラとはためいていた。
「てめえの部屋、真っ暗だったぞ。いつ戻ってきた?戻ってくれば、部屋の明かりで気づく。気づいたら、鍵かけたわい」
凛は、バタバタともがいては、叫んだ。
「だったら最初から鍵かけときゃいいだろ。俺は部屋にいたぞ。明るいうちから、ベッドで寝ていたんだからな」
「な、なんだとっ」
背中からきつく抱き締められて、凛はゾーッと背筋を震わせた。
「離せ、てめえ。このやろ〜ッ」
「離したくねえっ。あんなに可愛いおまえの笑顔を見たとあっちゃ。このまま、ベッドにGOするしかねえだろ」
「そんな訳ねえだろ〜ッ」
凛は、1度は手放した手鏡の柄を掴み、バッと振り上げた。
「わおっ」
「離れろっ」
ブンッと力任せに、克巳の頭目掛けて手鏡を容赦なく振り下ろした。
「ひゃっ」
克巳は僅かに声を上げて、凛から離れた。
「あっぶねーな。おまえ、今の一撃当たったら俺死んだかもしれねーぞ。マジに振りかぶりやがって。犯罪だぞ、犯罪」
「どっちが犯罪だっ。毎度人の部屋に勝手に入ってきやがって。こんなもんが頭に当たったぐらいで、てめーが死ぬかっ。
ごきぶり並の生命力の癖しやがって。ざっけんな」
「まー、まー。興奮すんなって」
ヘヘヘッと笑って、克巳はドサッとソファに腰掛けた。
「勝手に座るな。出てけ」
「うるせー。ところで今度はなにに対して頑張ってンの?なあ、必勝」
克巳は、ネチネチと嫌がらせ攻撃を仕掛けて来た。
「てめえにゃ関係ねえよ」
と言ってから、凛はバッと立ちあがって、つかつかとソファに向かって歩いて行った。
「考えてみれば、てめえにゃ関係大有りだ」
グッと凛は、克巳の襟元を掴んだ。
「いい加減、俺に構うのは止せ」
「無理言うなって。だって、俺、おまえのこと好きなんだぜ。好きなヤツを無視するなんてこと出来ねえよ」
「何度も言うが、俺はてめえなんかダイッキライだ。諦めろ」
「怖い顔して迫ってくるなよ。キスするぞ」
普通だったら後退するような状況なのに、克巳は襟元を凛に掴まれたまま、グイグイと顔を寄せてきた。
凄んでみせた凛のが、逆にタジタジと後退していた。
「俺に構うなっ」
バッと克巳の襟元から手を離し、凛は喚いた。
「おまえも君津も。俺に構うなよっ」
「薫パパから聞いたぜ。あんの外道ヤロー、凛を部屋に連れ込んであわや強姦寸前だったらしいじゃないか」
「い、言うなっ」
あの時の恐怖を思い出し、凛はサーッと青褪めた。
そして。よーく考えたら、また部屋で二人っきり。
獣並の男と・・・。
凛は、部屋の隅にサササッと避難した。手には、机の上から持ち出した鋏を握りしめて。
「出てけよ。とっとと出て行け」
ギラリと鈍く光る鋏を指差して、凛は叫んだ。
「同じ目になんか合わないぞ。てめえらと二人っきりになるのは、極悪犯人が留置されている監獄と同じくらいヤバイんだからなっ」
「まあま。今回は残念だけど、二人っきりにはなれねえんだよね。ちょいつきあってくれる?」
「どこへ!?」
「どこでもいーだろ。どうせ暇なんだろ」
「ひ、暇じゃねえッ。俺は色々と忙しい」
と、克巳はニヤリと笑った。
「柳沢先輩が、まるで盛りのついた動物みたいに女の子に告白しまくってます。その数1日で10人。けどみーんな振られちゃいました。
あらら。どーしてでしょう」
「知るかっ。どうせ俺はモテねえよっ」
今日の出来事を思いだし、凛は不愉快そうに顔を顰めた。
「あのな。凛。女っつーのは、告白を待っているんだよ。それも単なる告白じゃねえんだよ。自分一人だけ・・・っつー告白な。
そこら歩いている女にいきなり好きだって言ったって、ビックリされるだけだ」
やれやれ・・・と克巳は肩を竦めて見せた。
「仕方ねえだろーが。俺は好きな女なんていなかったんだから」
「だからって、通りすがりの女に告るなよ。挙句にごめんなさいされたら、振り返った瞬間目の前にいた女にめげずに好きだって言ったって真実味がねえだろ。
人のいねえ所でやるならまだしも、あーんな人の大勢いる廊下でやりやがって。しかも手当たり次第。明日にゃ、柳沢先輩幻滅〜ってファンの女の子が減ってるぞ」
「ファンなんて知ったことか。俺は自分の身が大事だ」
「残念ながら、おまえを守ってくれる女はいなかったってことだ」
「ふ、ふんっ。作戦を変えれば明日にはなんとかなる。だからこうやって」
「笑顔の練習してたって訳か。かーいーな、必勝。おまえはいつでも、なにやるにも一生懸命だ。ちょい、いや、かなりぬけてるけどな」
ニヤニヤと笑いながら克巳が言った。
凛は、克巳のその顔に、カアッと顔を赤くした。
必勝のハチマキを目撃された、あの苦く寒い日が思い出される。
「るせえ。るせえ。誰のせいでこんな苦労を。しなくてもいい苦労をっ」
凛は喚いたが、克巳はしゃあしゃあと言う。
「ま。不毛なことしてるよか、俺につきあった方が絶対面白いって。さ、出かける支度しな。とっとと用意しろ」
「オレに命令すんなよっ。なんでオレがてめえにつきあわなきゃいけねえんだ」
すると、克巳はぼそっと言った。
「クールな柳沢先輩が、女に告る為に笑顔の練習を鏡に向かってしてましたっつったら、皆驚くだろうな。
イメージがガラガラと音を立てて崩れていくだろうな。ふふ。それに、薫なんか、すっげえ喜んじゃうだろーな。
可愛いぜ、凛っ!って言って、また押し倒されるかもね」
「きょっ、脅迫する気か?」
克巳の言葉に、凛はたじろいだ。だが、克巳は首を振った。
「これはお願いさ。実はな。俺は今、大変困っている。非常に困っている。その困ったことを解決するには、
おまえの力が必要だ。絶対に必要。俺に恩は売っておくべきだと思うぜ。なあ、必勝」
どこが困ってる・・・。
思わずそう聞き返したくなるくらい、克巳は全然困ってなさそうだった。むしろ楽しそうだ。
克巳の妙な迫力と明らかなる脅しに負けて、凛はすごすごと身支度を整えた。
部屋で二人っきりより、外に出た方がマシだ・・とも思ったからだ。
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どよーん・・・。
店の雰囲気もかなり怪しかったが、目の前で展開されている場面は、もっと怪しかった。
「だから言ってんだろ。おまえにゃ悪かったって」
「ひどいわよ。克巳。私達はホテルにまで行った仲なのよ」
オカマが、泣き濡れている。
「ホテルにゃ確かに行ったけど、酔っ払ったおまえは俺を放って高いびきだったんだぜ。うるせーったらなかったぜ」
克巳は、スパスパと煙草を吸っている。
未成年のくせに!っと思い、凛は横から煙草をもぎとったが、めげない克巳は何度でも煙草に火を点ける。
「起こしてくれれば良かったじゃないのッ」
「何発ぶん殴ったと思ってんだよ」
すると、頼子がキョトンとした顔をした。
「そういえば、朝起きたら顔が腫れていたわ。店でもママに、その顔どうした?って言われた気わよ。克巳のせいだったのね。いやん、もう」
オカマが、ざらついた自らの頬を撫で撫でしては、僅かに顔を赤くした。
凛はその光景を見て、思わず目を反らした。
平然とそれを直視している克巳の神経を、凛はもうとっくに疑っていた。
おまけに・・・。
「だろ。だいたい誘ったのはおまえの癖して、おまえは俺を置いてとっとと眠っちまったんだぜ〜」
と、克巳は言い放った。
では、オカマが眠らなければ、おまえはこのオカマと寝ていたのか?
と、いきなり話に割って入って叫びたいのを、凛はグッと堪えていた。
「確かにそう言われてみれば私が悪かったわ。けど。再度のチャンスを与えてもくれずに、彼女が出来たって言われたって、納得出来ないわよ」
ダアンッと、オカマが拳をテーブルに叩き付けた。
小さな木製のテーブルは、その勢いにひしゃげそうだった。
頼子は、凛を真っ直ぐに睨みつけた。
凛は、あまりの迫力に、思わず克巳の背に隠れるように、小さくなった。
なんで?なんで、いきなり、こんな展開に。
克巳に無理矢理連れ出され、連れ込まれた怪しげな喫茶店には、頼子という大柄の太った髭づらのオカマが待っていたのである。
頼子は、テーブルに両肘をついて、ボンヤリとしていたが、克巳と凛が店に現れると、立ちあがって手を振った。
克巳の待ち合わせの相手がオカマだと知ると、凛は即座に回れ右をしたものだったが、腕をがっちり掴まれて、そのまま拉致され、
頼子と向かい合うように克巳の隣の席に強引に座らされたのだった。
オカマの頼子とは、聞き覚えがあった。
先日君津の部屋で、君津パパが口走っていたことを凛は思い出していた。
「そりゃ。そりゃ。確かに、すっごい可愛い子だわ。ママも言っていたもの。克巳がクラッときちゃうのわかるわよ。
確かに本当に綺麗な子よ。けど。けど、頼子は顔はこんなだけど、性格には自信あるわ。一途に克巳を愛
せる自信あるもの。ねえ。金髪の貴方。貴方にはその自信があって!?」
ギロッとオカマは突然話題を凛に振った。
待ってましたとばかりに、凛は「ない」と言おうして、「な」と大きく口を開いた瞬間、その口に煙草が突っ込まれた。
「ごほっ」
あぷあぷと、凛は煙草の煙に咽せた。
「コイツ、今禁煙中らしいんだけどな。我慢してる顔可愛いけど、ちょっと横槍入れて苛めてみたりして」
アハハハと克巳は笑って、凛の足を容赦なく踏んづけた。
「ごほっごほっ。いてっ」
「ちょっと〜。ひどいことしちゃ可哀相じゃない。大丈夫!?」
頼子が慌てて、可愛い花のハンカチを凛に差し出した。
「あ、ありがと」
オカマは優しい。
そういうものだ、となんとなく本や雑誌で知識を得ていたが、本当に優しい。
凛は思わずホロリとしつつ、ハンカチを借りて口を押さえた。
「どういたしまして。克巳ってこういうところあんのよね。好きな子を苛めるみたいな。私も苛められたわ。デブだの豚だのアホだの髭ヅラトマトだの」
髭ヅラトマト???
凛はキョトンとしたが、どうやらそう言われて、頼子は嬉しかったらしい。
きゃっきゃっと無邪気に笑っている。
「嬉しかったンだろ」
克巳がズバリと言う。
「そんな訳ないじゃな〜いっ。克巳、煙いわよ。もう!意地悪しないでっ」
克巳は、スパスパと煙草の煙を頼子目掛けて、吹きかけていた。
だが、言葉とは裏腹に、頼子の声はなんだか嬉しそうだ。
挙句に、「もっと苛めて〜」みたいな顔をしている。
「うふふ。クールな克巳ヴォイスで色々言われて、頼子悔しいと思いながらも、マジになっちゃったのよねぇ・・・」
「俺もめげないおまえがダイスキだったぜ。なにを言ったって、どこ吹く風って感じで俺に散々つきまとってくれたもんなぁ」
「いやあね。人をストーカーみたいに」
「まるで違うと言わんばかりの台詞は止せ」
フフフフと克巳は笑いながら、煙草を揉み消した。
凛はジッと克巳の横顔を見た。
『うわ。気づかなかったけど、コイツ、眉がピクピクしてる』
クールぶってるけど、結構マジに嫌がって・・・と思った瞬間、名を呼ばれた。
「凛ちゃんッッッ」
「は、はははいっ」
オカマの頼子が、いきなり凛を呼んだのだった。凛はビクッと反応した。
「今どういう状況なのかわかってるの?私達は克巳という男を奪いあってる状況なのに、その熱い視線はなによ。
私を仲間外れにしようったってそうは問屋が卸さないわよ」
「奪いあうなんて、そ、そんな、誤解だ。俺は単にコイツの眉毛がピクピクって」
「うっせえ。てめえは黙ってろ」
克巳がビシッと怒鳴った。
「な、なんだよっ」
怒鳴られて凛はムッとした。
「俺にえばれる立場かよ、てめえっ」
「いいから、てめえは黙って俺の側にいりゃいいんだよ」
「ステキッ〜」
いきなり頼子が叫んだ。
「へっ!?」
凛と克巳は、同時に頼子を振り返った。
頼子が、頬に手をやってモジモジしている。
「克巳、カッコイイ。今の台詞も男らしくてステキだし、それに怒鳴った顔もステキ。キャ〜ッ」
「あ。そ。そりゃどーも」
ゲッソリしつつ、克巳はソファの背もたれに手を回す。
そんなしぐさをすると、隣に座った凛の肩を抱くような格好になる。
凛は眉を寄せて、克巳を見た。克巳は、ニヤッと凛を見ては笑う。
凛にとって、克巳のそういうしぐさは、不穏な行動の前兆であるからして、
不安以外のなにものでもなかったが、頼子はなにを勘違いしてか、キィィィと叫んだ。
「ちょっとぉ。克巳、私の隣に来なさいよ」
バンバンッと、空いた自分の隣の席を、埃が立つくらい頼子は叩いた。
「ああ言ってる。行ってやれよ」
凛は、頼子の言葉に同意した。
「凛ちゃんもそう言ってるじゃないの」
「バーカ。凛のは照れ隠しだよ。なあ、凛」
「照れ隠し?んな訳ねえだ・・・」
と最後まで言い終わらないうちに、凛はガバッと顎を掴まれ、克巳にキスされた。
「!」
ぎょえー。イヤな予感がしていたのだ。
この距離。距離がヤバかった。
けど、幾らなんでも、店で、しかもオカマの前で、キスなんぞ仕掛けてこようたぁ。
「きゃああああああああああッ」
オカマの頼子の奇妙な叫び声が店中に響き渡った。
しかし、店員は完全に見て見ぬふりを決め込んでいるし、他の客も、頼子同様奇妙なオカマ達ばっかりだったので誰も慌てていなかった。
凛は、叫ぶよりも思わず自分の耳を押さえていた。
「ひどい。ひどいわ、克巳。私の目の前でラブラブを見せつけて」
ぱふっと、克巳は凛を抱き締めた。
「しょーがねーだろ。ラブラブなんだもん。コイツ、素直じゃねえんだけど」
ラブラブだと?冗談ぬかすなーッと凛は叫びたかったが、口は克巳の掌に覆われて、言葉にならなかった。
「なあ。頼子。確かにおまえは性格がいい。ツラはひでーけど、俺はおまえの明るい性格とめげない性格が気に入っていた。
一生懸命で単純な性格は俺の好みだったぜ。あの店はひでーオカマがこれでもかってぐらい勢ぞろいしてるけど、その中でも
おまえはダントツに可愛かった。気に入っていた。本当だぜ。あの日、本当におまえとは寝てやっても良かった」
克巳の言葉に、頼子はうるる・・・と瞳を潤ませた。
「・・・克巳・・・ありがとう。頼子のこと、やっぱり愛してくれていたのね」
「いや。愛してはいなかった。単なる好奇心」
「え?」
ヤメローッ!
克巳の腕の中で、凛は硬直した。
「好奇心?」
ピクッと頼子のこめかみに青筋が走った。
ほ、ほらほら。
オカマの顔色が変わったぞ〜!んぐんぐと、凛はもがいたが、克巳の掌は外れない。
それどころか、克巳は凛を見下ろしては、ニヤニヤしている。
「ちょっと克巳、それってどういう意味?」
頼子が身を乗り出してきた。
「言葉通りだけど」
凛から視線を外し、頼子を真っ直ぐに見つめては、平然と克巳は言い返す。
『てめえには、恐怖心ってもんがねえのか?黒藤〜!』
凛は心の中で叫んだ。明かに頼子が顔色を変えていく。
膝の上にきちんと揃えられていた掌に、ググッと力が込められて、グーの形になっていく。
『ひ、ひぇぇぇ〜』
凛は、頼子の手の変化を目の当たりにして、ブルブルと震えた。
『グーだ。グーになったぞ、オイ』
オカマの豹変は、この前君津の家で目の当たりにしていた。
オカマパンチは、性少年の性欲すらふっとばすくらい強烈だ。
コイツはそれを知らんのか〜。仮にもオカマと寝ようとしていたくせに。
オカマの生態ぐらい把握してろ〜と叫ぼうと思ったが、今それを言おうものなら間違いなく目の前のオカマに殺される。
てめえが殴られるのは、勝手だが、この状況じゃどう考えても、俺も巻き込まれる。
いやだ。冗談じゃない。克巳の顔がボコボコのグチャグチャにされるのは一向に構わないが、俺には明日がある。
笑顔で告白。
明日には彼女を作るという目標がある俺は、こんなところでオカマパンチを受けて、顔を曲げるのはゴメンだ。
凛はもがいた。
いつまでも抱き締めてるんじゃねえ。口塞いでるんじゃねえ。
とっとと離せ。痴話喧嘩なら、俺の目の届かないところで勝手にやれー。
だが、克巳の腕はこゆるぎもしない。
『!』
そうして今更ながらに気づく。
抱き締められているんじゃない。コイツは、俺を巻き添えにしようとしている。
明かに、俺の体を押さえつけて、隙あらば俺を身代わりにしようとしている。
俺って、もしかしてサンドバック状態?凛は、サーッと顔を青くした。
『離せ、離せ、離せ』
てめえこのヤロー。俺のこと好きとかぬかしていたわりにゃいざとなったら、こんなひでー真似すんのかいっ。
なにが好きだ、愛してる、だ。信じねえぞ、ちくしょー。凛は心の中でひたすら喚いていた。

「もう1度聞くわ、克巳。私を愛してくれてたのね?そうでしょ。好奇心なんて言葉・・・嘘よね」
嘘と言ってくれぇぇぇぇ!凛は、克巳を見上げた。
うなづけ、と合図する。ブンブンと凛は首を縦に振って、克巳に合図を送る。
あまりの恐怖に、不覚にも目には涙がうっすらと浮かんでいた凛だった。
克巳は、凛のその不安気というより恐怖に慄いたその顔を、もう1度その切れ長の瞳でしっかりと見つめてから、フッと笑う。
そして。
「嘘じゃねえよ。おまえとどーこーなったのは、愛してたからじゃない。単なる」
克巳は区切った。区切りながら、腕の中の凛の、瞳に浮かんだ涙を指ですくっていた。
「単なる?」
頼子が身を乗り出してジッと克巳を見つめた。
「コ・ウ・キ・シ・ン。何度でも言ってやるぜ。好奇心」
どわあああ〜!!命知らずもここまで来ると天晴れだぜ、黒藤!
凛は、もがいた。克巳の手を振り払い、バタバタと必死でもがいた。
だが、自分達の頭の上すれすれに、テーブルが飛んで行ったのを見て、さすがに凛は目が飛び出るかと思った。
克巳などは、「?」と言う顔をして、振り返る。
え?
てーぶるがとんだ!?
テーブルってとぶものなの???
「てめえら二人で、俺の気持ちを弄んだっつーのかよッ」
ドスのきいた声で、頼子は叫んだ。
その声のあと、僅かに遅れてドッシーンと、木の円形テーブルが壁にぶち当たって床に落ちた音が、まるで地震のように小さな店に大きく響いた。

シーン・・・。
この静けさは。この静けさは。
危険度マックス!!!!凛は、そう思った。
「も、弄んでなんかいねえっ。ほ、本気だっ」
凛は克巳を押しのけて、叫んだ。無我夢中だった。
「頼子さん。あっ、貴方には悪いけど、お、俺達本気なんだ。す、好きなんだ。一目会った時から。時間なんか関係ないっ。
突然好きになっちゃったんだ。信じてもらえないかもしれないけど。君のことが、あ、違う。克巳のことが好きなんだ。本当だ。
貴方みたいな人が克巳にいるってこと知らなくて。スミマセン。弄んでなんかいない。弄んでなんかいないよ。克巳はこういう
言い方しか出来ないけど、俺達は本気なんだ。ごめんなさいっ」
凛は勢いあまって、頼子の逞しい体に、縋りつくつもりがほとんど抱き付いていた。
「凛ちゃん・・・」
頼子は、グッと唇を噛み締めた。瞳には涙が滲んでいた。
「あなた、本気なのね・・・」
「スミマセン」
凛は頭を下げた。頼子の怒りがおさまるまで、いつまででも頭を下げているつもりだった。
「顔をあげて。正直に言ってくれて、嬉しいわ」
何故か、頼子に頭を撫でられていた凛だった。
「・・・」
「克巳が・・・。私と別れる為に、適当に綺麗な子を連れて来たと思っていたの。綺麗に言い訳して、挙句に私を怒らせて、
それで別れられればラッキーと簡単に考えていると思っていたのよ。でも・・・。本気だったのね、あなた達。克巳・・・」
そう言って頼子は克巳を見た。
すっ飛んで行ったテーブルの残骸を呆然としつつ眺めていた克巳だったが、頼子の言葉にハッとして振り返り、うなづいた。
「頼子。おまえと別れる為に、俺が演技なんかすると思ってたのかよ。本気であるおまえには、俺も本気で応えなきゃいけねえって
思ってたんだ。きつい言い方しちまったけど、真実は真実だ。凛も言っていたとおり、俺達時間なんか関係なく、あっと言う間に恋に落ちちゃったんだ」
ベラベラと調子こく克巳を、凛は唖然としながら振り返る。
相変わらず凛は、頼子に抱きついたままだった。
頼子も、なぜか凛を抱えたままだった。
「解るわ。私も、克巳とは一目で恋に落ちてしまったものね・・・」
・・・。
もはや、凛は開いた口が塞がらなかった。
滲んだ涙を拭きながら、頼子が元気な声で言った。
「マスター。テーブル、今度のお給料で弁償するわ。ごめんね」
「頼ちゃん・・・。そう言って、前に壊した3個の弁償も、まだしてもらってないんだけど」
向こう側で、マスターが、なにかを諦めたようなボソボソとした声で言った。
「きゃっ☆やーだ。しっかり数えてるなんてぇ」
頼子は、いきなりブリブリとカワイ子ぶった。
恐ろしいぐらいの低い声が、頭の上から降ってきて、凛はゾクゾクと震えた。
離れようと試みたが、頼子の腕はしっかり凛の腰に回されていた。
「あんた達には負けたわ。若いってステキね。誰かを傷つけてまでも、恋ってものをしたがるのよ・・・。私もまた新しい恋をするわ」
克巳が、ポンッ☆と頼子の肩を叩いた。
「頑張れよ。って、おまえだって若いだろ。っつーか、歳変わらないだろ、俺ら」
「あはーん。年上よ。だって私、19歳だもん♪」
「わかった、わかった。それよか、いい加減凛から離れろ」
「ま、やーね。堂々とヤキモチやいちゃってぇぇ」
頼子の言葉が凛の頭をグルグルと回っていた。
19歳!?
この髭ヅラのデブが?40歳ぐらいかと思ってたぜ・・・。
凛は目を丸くして、まじまじと頼子を見上げた。
頼子は、凛の視線を受けて、誇らし気に「んふっ」と微笑んだ。
まともに正面から受けたオカマの微笑に、凛はとうとう膝をやられた。
踏ん張っていた膝の力が、ヒョロロ〜とぬけていく。脱力というヤツだ。
ずるっ・・・。
「きゃああああ。克巳どうしよう。凛ちゃんが、倒れたわ〜っ」
ちくしょう。このオカマ。
人騒がせなっ。人騒がせなっ。
本気で怖かったぞ、ちくしょおおおおおおお。

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タクシーの中で、克巳はさっきから笑いっぱなしだった。
「てめえな・・・」
凛は、わなわなと拳を震わせた。
「ひーひー。すっげえ、可笑しかった。うまくいくとは思っていたが、ここまでうまくいくとは全然想像してなかったぜ〜」
本当に腹を抱えて、克巳は笑っていた。
「俺のフォローがなかったら、おまえは今ここで笑ってられなかったぞ」
「確かにな。あんな愉快なフォローをしてくれるなんて思ってなかったからな」
「オカマの生態ぐらい把握しておいたらどうだ」
「してたさ。頼子はとくに扱いやすい。だから、あれだけ挑発したんじゃねえか。
俺の立てた計画とは大分違う道筋になっちまったが結末は同じだったからなんも言うことねえよ」
「あのオカマは本気で怒ってたぞ。パーがグーだぞ。パーがグー」
必死で、自分の手を使って説明する凛を見て、克巳は再びブーッと吹き出した。
「な、なに笑ってんだよ」
「かっ、可愛い。おまえは可愛過ぎる・・・」
ガアンッと凛は、克巳の頭を拳で引っ叩いた。
「いてて」
「どんな計画だったのか知らないし興味もねえが、怖いもの知らずにもほどがあるってんだ。バカヤロー」
「ハハハハ。ヒヒヒ。ああ、とにかく、咄嗟のおまえの機転には助かったよ」
「当たり前だ」
えばって凛は言い返す。
「マジに。本当に助かったよ」
「だから、当たり前だって言ってんだろ」
「うん。だから、すっげえサンキュ」
いきなり笑いを引っ込めて、克巳はまじまじと凛を覗きこんでは礼を言う。
間近で目が合って、凛は思いっきり窓際に飛び退いた。
器用なヤツ。
つい数秒前までは大笑いしてやがったくせに・・・と思いつつ、マジに克巳に礼を言われて凛は、うなづいた。
「感謝しろよ」
「ああ。ありがとう」
ペコッと克巳は頭を下げた。
「・・・」
ちょっとした感動な場面だった。
いつも自分に対して不遜な態度を崩さない克巳が、こんなに素直に自分に対して頭を下げている。
おまけに「ありがとう」などと聞きなれない言葉まで・・・。
「おまえでも素直に礼を言う時があるんだな」
いつまでも下げた頭をあげない克巳に向かって、凛は言った。
「もういいよ。わかってくれれば」
だが、克巳は頭をあげない。
「おい。黒藤!?」
ユラッと克巳の頭が揺れて、逃げた凛の膝の上に落ちた。
「アハハハハ」
「てっ、てめえっ」
克巳はまだしぶとく笑っていたのだった。
「お、おまえ、頼子と抱き合って、涙浮かべて可愛い・・」
よくわからん台詞を、克巳は言いながら、露骨に笑いつづける。
「るっせーッ!どーでもいいけど、頭除けろ〜」
ガンガンと狭い車内で、凛は足で克巳を蹴っ飛ばした。
「お客さーん。あんまり暴れないでくださいよ」
運転手が、困ったような顔で、ミラー越しに言う。
「す、すいません」
凛は慌てて謝った。
「あー、楽しかった」
ムクッと凛の膝の上から起きあがって克巳は姿勢を正した。
もう真面目な顔をしている。
「なんなんだよ、てめえは。まったく」
凛は、理解不能・・・というような目を克巳に向けた。
「おい。凛、おまえさっき頼子に言った台詞。途中で明日の練習してなかったか?」
思い出したように克巳が言った。
「悪いか!?」
確かにしていた。しっかり克巳にはバレていたようだった。
だが、克巳はニッと笑った。
「明日なんかねえのに。俺達は、頼子を仲人とした、立派な恋人同志だ。この朗報は、いずれ薫のパパを通して薫にも伝わるだろうさ。へっ。ざまーみろ」
勝ち誇ったように克巳が言う。
「けっ。冗談言うなよ。あれがその場逃れの大嘘な台詞だってことは、おまえにもわかっているんだろ。言ってて鳥肌立ってたよ、実際」
「いや。あれが嘘だってことは、おまえしか知らないだろう。実際俺は、秘めたるおまえの告白だと思ったし、頼子だってそう思ってるさ」
ぬけぬけとッ!
凛はグッと拳を握った。パーからグーだ。
「そう、これ。このパーからグー」
克巳は、ギュッと凛の手を握りしめた。
「あれが嘘って知ったら頼子は怒るだろーな。おまえは嘘だったのかもしれないが、俺は嘘は言ってねえもん。俺は真剣におまえに惚れてるからな。
頼子にゃ嘘は言ってねえ。けど、おまえは頼子に嘘ついたってことだな。そこで、だ。パーからグー。さっきは、俺が受ける予定だったこれは、今度は
おまえが受けることになる訳だ。頼子は嘘つきはダイッキライだからなぁ」
サーッと凛は青褪めた。
『正直に言ってくれて嬉しいわ』
鮮やかに頼子の声が脳裏に甦る。
「ず、ずるいぞ、黒藤・・・」
「ずるくねえよ。おまえが動いたんだ。俺は別に頼んじゃいない」
「ずるいっ。あの場で・・・。そうだ、思い出した。てめえ、あン時、頼子に殴られそうになった瞬間、俺のこと身代わりにしようと思っていただろっ」
「・・・んな訳あるかよ。俺はおまえが好きなんだぜ」
「いーや、あの力のいれ具合は、絶対に俺を生贄にしようとしていた。ガチガチに俺をロックして離さなかったくせに」
「なに言ってんだ。あんなときぐらいしか、おまえは俺に抱かせてくれねえだろ」
「なっ」
「だから堪能していたんだよ。おまえの抱き心地」
ニヤニヤと克巳は笑う。
「奇妙な言い方は止せっ」
運転手の目を気にしながら、凛は克巳の首を締めた。
「いてっ。いてて。じゃれるのは止せっ」
「誰がじゃれとる。このやろー」
「どうでもいいけどさ。パーからグー。覚えておけよ。俺は頼子とはこれからもダチづきあいはしていく。きっと聞かれるだろうな〜。
凛ちゃんとはうまくいってるの?って」
ニヤニヤしながら克巳は、凛に向かってわざとゆっくり言った。
「俺は嘘はつけねえ性格だしな〜。困ったな。どーする?凛ちゃん」
「くっ・・・」
凛は唇を噛み締めた。
「どうしたい?凛ちゃん?」
克巳はニッコリと微笑んだ。
「こっ、告白はやめだッ。明日からジムに通うぜ、俺はっ」
最初から・・・。それが1番だったのかもしれない・・・と凛は思った。
自分の身は、自分で守らねばならないッ!!!ちくしょーっ!

続く

※作中に不適切な言葉があったことをお詫びしておきます・・・(汗)

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