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今日の生徒会室はとても静かだった。
司会進行役の凛の、学園祭の反省点をあげていく声が淡々と部屋に響いているだけだ。
生徒会長の薫も書記の克巳も、二人とも凛の声を子守唄のように聞いているだけだ。
沈黙にビクビクしていたのは、内心凛だったが、勿論顔にはそんな動揺は表さない。
「以上。なんか質問、ご意見ありますか?」
凛がそう言ったが、誰も反応がない。
「では、終了します」
パタンと凛がノートを閉じた。克巳は黒板に書かれた字を面倒くさそうに写し取っていく。
「克巳先輩。どーしたんですか?いつもだったら、いちいちいちいち凛先輩の意見に突っ込みいれるくせに」
尾谷がボソボソと克巳に耳打ちする。
「あー?んな暇ねえよ。俺は今日のデートのプランニングで頭の中がいっぱいだ」
克巳は、そこだけ大きな声で言い返した。その声に、凛はピクッと反応する。薫は薫で、視線だけは窓の外だが、笑ったのか肩がクククッと揺れた。
「なんか・・・。気まずい雰囲気っすね」
尾谷がガリガリと頭を掻いた。どうも、いつもの生徒会室の雰囲気ではない。
それは、尾谷だけではなく他の役員達も感じている。生徒会長・副会長・書記の三強が、いつもと違うからなのだ。
「君津」
凛が薫を呼んだ。
「なに?」
「今日さ。一緒に帰らねえか?」
「!」
ガタン、と薫が椅子を蹴り飛ばすかのように立ち上がった。
「ま、マジ?実は俺もそう思ってた」
「そっか。じゃあ・・・。一緒に帰ろ・・・」
語尾が小さくなってしまったが、凛は俯きながら言った。
「うんうん。帰ろ。な、途中でどっかで遊んでいこーぜ」
「そ、そうだな」
「おーし。てめえら、さっさと解散。んじゃ、また3日後な」
散会!と、薫は皆に合図する。ガタガタと役員達は席を立つ。
「じゃあな、克巳」
凛の肩に腕を回しながら、薫がパチンッとウィンクして克巳の前を通り過ぎていく。
「ああ」
ニッコリと克巳も笑い返して、二人を見送った。ドアが閉まり、克巳はカバンから携帯を取り出した。溜め息と共に番号を押し込んでいたら、ドアがガラッと開いた。
「・・・凛」
凛が、わずかに息を切らして部屋へと走り込んできた。
「黒藤。俺、悔しいけど、てめえに言われた言葉。否定出来なかった。俺は確かに不実だったよ。だから。君津のことも真剣に考えることにしてみた。ちゃんと向き合うことにしてみた」
「ハハ。そら、よかったな。いいことだと思うぜ。せいぜい頑張ンな」
克巳は、顎と肩で携帯を挟みながら、凛の額を人差し指で突付いた。
「んなこと言いにわざわざ戻ってきたのかよ?」
「ふと思ったんだ。おまえのことは・・・。おまえのことは、もう考えなくていいのか?って」
克巳が目を見開いた。だが、ちょっと待ってと凛に声をかけて、克巳は携帯に向かって喋り出す。
「あ、みきさん。うん。今ガッコ終わった。今日早番?じゃ、店の前で待ってるから。うん」
克巳はそう言うと、ブツリと携帯を切った。そんな克巳を、凛は複雑そうな顔で見つめていた。右手に携帯を持ち直して、克巳は凛と向き合う。
「悪かったな。んで。考えなくていいか?んなことさ。てめえで考えることだろ。なんでいちいち俺の意見を訊きに来るんだよ」
「そりゃそうだけど。ところで、みき兄と今日も会うの?」
「会うさ。恋ってな。会わなきゃ、どーにもなんねーのさ。俺の場合は」
「・・・」
凛は目を伏せた。
「大事なのは、俺の意見じゃねえだろ。自分の気持ちだ。俺に訊くなよ。俺の気持ちはもうとっくにおまえに言ってあるんだから」
「だから!そりゃそうだけど。今、おまえはみき兄が・・・」
「言ったろ。好きになるのはどうしようもねえことだって」
「?!」
「まずは自分の気持ちを見つめ直せばってこと。それ以上は俺からは言えないね」
スッと克巳は立ち上がると、リュックを肩に背負い、
「せいぜい薫と放課後デートを楽しむんだな。バイバアイ」
ヒラッと手を振って、部屋を出て行った。
「・・・」
よくわかんね・・・と凛は思った。サラリと額に落ちてきた前髪を、凛はかきあげた。大事なのは俺の気持ち。それはわかっている。でも・・・。
「凛。早く行こうぜ」
ドアの向こうで薫の急かす声がした。凛はハッとして、慌てて踵を返した。


薫と過ごした放課後のデート?らしきものは、楽しかった。
薫は、頭の回転が早いせいか話題に事欠かない。クルクルとよく動く大きな瞳で、ちょっと毒舌、でも憎めない。
凛も、何度かつられて薫のギャグに大笑いした。最近、こんなに笑ったのって久し振り・・・。楽しいかも、とちょっぴり思った。
いつもまっすぐに家に帰っては勉強ばかりしていたが、ファーストフードに立ち寄ったり、商店街をひやかしたり。
たわいもないことではあるが、どれも凛には新鮮だった。おまけに薫は常に紳士で、一定の距離を崩さずに凛と歩いてくれた。
それが凛をホッとさせていた。君津薫という男に対して抱いていた警戒心が、ゆるゆると解けていくのが自分にもわかった。
自分が見方を変えれば、こんなふうに変わるんだ・・・と凛は改めて思っていた。
今までは逃げることばかり考えていたが、受け入れてみれば、こんなふうに・・・。
が。
『つーか、変わりすぎ?』と、凛は微妙に、ある程度の危惧は抱いていた。
警戒を緩め過ぎては、いけない!と思った。薫とは、一緒にファミレスで食事をしてから、あっさりと別れた。
帰ってきてすぐに宿題をやり終え、凛はベッドの上でゴロゴロしながら、今日のことを考えていたのだった。
そして、そんな時に、みきからの電話が入った。時々、みきからはこうして電話がある。元気でやってる?とかたわいもない電話だ。
傍にいるらしく、克巳の声が聴こえた。放課後デートは楽しかったか?と言っているのが聴こえた。
「楽しかったよ!って伝えておいて」と言って、凛は電話を切った。自分達だって、楽しくやってんだから人のことまで気にしてんじゃねー!と思いながら、時計を見た。
もう22時だ。この時間まで一緒にいるっていうことは、二人はきっと・・・。そう思って、凛はカッと顔を赤くした。
関係ない、と思った。自分には関係ないんだ・・・と思った。


放課後デートが二日続いてから、薫が不意に言った。
「今、オヤジの具合が悪くてさ。入院してんの」
あの頑丈そうな君津パパが・・・と凛は吃驚した。
「すっかり気、弱くしちまってさ・・・。傍にいねえと、なんか泣くんだよなあ。アイツもしかしたら死ぬのかもな」
サラッと薫は言った。凛はギョッとした。確かに、一緒に見舞いに行った時も顔色はあまり良くなかった。
「ついててやれよ。俺のことは気にしなくていいから」
「ん。サンキュ。週末に、遊ぼうな」
「ああ」
珍しく薫も元気がなかった。深刻な病状なのだろうか・・・。そんなことを考えながら、薫とは校門前で別れ、帰途に着く。すると、家の近くで克巳とバッタリ会った。
「なんだ。今日はデートじゃねえのか?」
克巳は、凛を見るなり言った。
「そっ、そっちこそ。珍しいじゃんか。真面目にこんな時間に家に居るなんて」
すると、克巳は苦笑する。
「俺、家にいるよ。最近はな。おまえがまっすぐ帰らなくなったから気づかないだけだ。だって、みきさん社会人だぜ。デートの時間帯、同じじゃねーだろ」
「あ、そうか」
克巳は、門扉を押しながら、ヘラヘラしている。
「おかげ様で、夜までは暇だから勉強しちまってさー。今度の試験も俺が勝つかもな。必勝」
「や、やかましー。必勝って言うな。第一てめえが、みき兄と時間が合わないからっておとなしくしてるよーなタマかよ。フラフラしてやがるくせに」
ドカッ、と凛は克巳の脚を蹴飛ばした。
「してねえよ。だって、相手がいるのに、フラフラなんかしねえって。あいかーらず俺のこと、どーゆー目で見てんだか。ま、どーでもいいけどさ。じゃあな。
薫とラブラブしすぎて、試験コケろや」
アハハハと笑いながら、克巳はさっさと凛に背を向けていた。
「・・・」
なんとなく、背中が淋しそう・・・と凛は思った。いつもの黒藤っぽくねえな・・・とは思った。
だが、それこそ俺にだってどーでもいいことだ!フンッと凛は鼻を鳴らして、凛は克巳の背を睨みつけようと、キッと顔を上げた。
「!」
玄関のドアを開けながら、克巳がこちらをジッと見つめていた。
「・・・」
その視線に、凛は思わず硬直した。どれぐらい視線を交わしていただろうか。バタン、と言う音と共に、克巳の姿が家の中に消えた。凛はハッとし、慌てて歩き出した。
「なんなんだよ・・・」
マンションのオートロックを解除しながら、凛は克巳の視線の意味を、ぼんやり考えていた。


薫とつきあい始めて、二度目の週末。先週は、君津パパの具合が悪かったせいで、薫は、デートに誘ってこなかった。
今度こそ!とばかりに、凛は、薫に誘われて、日曜日のまるまるを薫と過ごす。
少し前の自分ならば速攻断る筈の申し出だったが、今回は違う。前向きに、前向きに・・・。
常に自分に言い聞かせた。
「・・・」
「なに、その目」
時々、ふといや〜な予感に襲われて、凛は薫をキッと睨んでしまうことがあった。条件反射だ。すると、薫はそれに気づき、凛の目つきを疑う。
「あ、いや。なんでも」
誤魔化してみるが、どーしても払拭できない危機感。こんなに和んでいていいのだろうか・・・。
だが、傍らを歩く君津は、今にも口笛を吹きだしそうに、ニコニコと微笑んでいる。その顔を見ては、凛は複雑な気分になる。
そんなことを何度か繰り返しながら、平日の放課後デートは終了し、いよいよ週末デートだ。
着替えながら、パッと凛は窓を見た。いい天気だ。みき兄は今日は休みの筈。きっと、黒藤も今日は兄さんとデートに違いない。
二人はどこへ行くんだろう・・・。そして、俺達は・・・。
その途端、またゾーッと凛は体に悪寒が走った。パパッ、と凛はベッドの上に置いてあった本を手にとった。五条経由で小泉に借りた「初めてのおつきあいマニュアル」だ。
「すんげえ役に立ったとりおが言っていたから、借りてきてやったぜ」と五条は、悩める凛に、その本を貸してくれた。
あの小泉先輩が太鼓判を押すぐらいの本だ。きっと役に立つだろう。そう思って凛は、昨夜熟読した。
『初めてのHまでへの道程』なるページの端っこが何故か最初から折れていた。
そこには色々な人々の意見が載っていた。中には、「会ったその日にH」などと言う意見もあって凛は卒倒しそうになった。
だが、「ゆっくりじっくりつきあってからと思って一年もかかったな。って遅い方かな?」などという可愛らしい意見もある。
なぜか、そこには蛍光ペンでチェックが入っている。小泉は、この意見に賛同したのか、それとも反対と思ったのか。
いずれにしても、注目していたことは間違いない。誰もが迷いながら通る道なのだ・・・と凛は思った。
「そうだ。ゆっくりじっくり・・・。こんなこと気にしてはいけない。俺達は、まだこんな域じゃない筈」
パンッ、と本を閉じ、凛は深呼吸した。俺は君津とつきあい出したが、まだ気持ち的には色々と迷いがある。
こんなことを意識してはダメだ。ちゃんと君津という人間を理解して、そこから・・・。と、凛は頭の中にポンッと浮かんだイメージ映像に、カッと顔を赤くした。
「うわ。なんだよ、もう」
キーッ、と凛は髪をグシャグシャと掻き乱した。そして、ふと。
「・・・」
視線を窓の方にやった。みき兄と黒藤は、もうとっくに・・・。そう考えると、凛の胸がズキッと痛んだ。
「か、関係ねえっつーの」
一人呟き、凛は、ベッドの上に置いてあったリュックを掴んだ。そして、鼻息荒く部屋を飛び出した。


「凛、ここだよ」
待ち合わせ場所に、薫は先に到着していた。私服の薫は、いつもとイメージが違う。
「お、おう」
思わず照れたように凛は応えた。互いに制服じゃないと、なんか不思議な感じだった。
「いい天気だよなー。まずはさ。映画観ねえ?」
「は?天気いいのに、映画?」
すると、薫は首を振った。
「この天気。午後から崩れるんだってさ。せっかくどっか行っても、雨になっちまったら、つまんねーだろ」
空を指差しながら薫は、屈託なく笑う。
「あ、ああ。そりゃ、そうだ。さすがに用意周到だな」
凛は、空を見上げた。いい天気なのに、雨か・・・とちょっとガッカリだった。
「デートの日のお天気は確認するのは、常識さ」
「へ、へえ・・・」
そういうもんなのか・・・と凛は感心した。こんなふうに、デートは薫のペースで進む。映画のタイトルさえもよくわからない凛は、薫に連れて行かれるままだった。
映画が終わり、映画館を出ると、薫の言う通り雨が降ってきていた。食事をし、次はボーリング。ボーリングは、凛の得意とするところで、薫はあまり得意ではないようだった。
薫が「ちきしょー」と悔しがるのが、凛にはたまらなく楽しかった。こんなふうに、試験でも薫に快勝と行きたいもんだ・・・と考えながら、3ゲームも興じた。
「あー。さすがに疲れた」
薫は、よれよれだった。
「鍛え方が足りないぜ、君津」
3ゲームを圧勝して、凛は超ご機嫌だった。
「るせっ。でもまあ、おまえが楽しそうで俺は嬉しい」
ニコッ。薫は微笑む。
「あ、うん。楽しかった」
つられて、凛は素直にうなづいた。
「うーん。んじゃ、凛。そろそろ休憩しよっか。俺、もう疲れたよ」
「だな」
さすがに凛も疲れた。気づいたら、もう20時だった。結構遊んだな・・・と思った。
これで飯食って、今日のデートは終わり・・・。どこかホッとしている自分に、凛は気づいていた。
「なに食う?」
「そーだねー。なにがいいかなあ」
と言いつつ、薫の足取りは、確かだ。最初から目的の店が決まっているかのように・・・。
「君津、おまえもう店決めてるの?」
凛は辺りをキョロキョロした。なんだが、どんどん道が外れていくかのような・・・。いや、ような・・・などという生易しい表現では生温い。
外れている!こ、このいかにもいかがわしい道程。
「うーん。店も決まってるし、食いたいもんも決まってる」
「・・・」
ニコッから、ニカッへ。薫の笑顔が変化した。凛がギョッとする間もなく、グイッ、と薫は凛の腕を引っ張った。
「き、君津」
「ココで、凛を食いたい」

ドーンッ!

目の前にそびえ立つ、いかな凛とてそれとわかる、明らかなるラブホテル。
出たー。やっぱり、出た。やっぱり、本性出しやがった、君津のヤツ!と凛は、ゾーッと背筋を震わせた。

「きゅっ、休憩って言ったじゃねえか、てめえ!ウソツキっっ」
ヨロリとよろめきながら、凛はすぐさま抗議の悲鳴をあげた。
「だから、休憩だろ。俺はお泊りでも一向に構わないけどな」
けろけろっ!薫はまったく悪びれない。
「休憩の意味がちがーうっ」
ジタバタと凛はその場で地団駄を踏んだ。
「なに言ってんだよ。デートの終わり際の休憩なんて、ホテルに決まってるだろ」
「決まってねえよっ。休憩って言ったら、食事とかお茶とか」
「ああ。それなら、部屋で好きなもん食べろよ」
「いやだー。バカ、ふざけんなぁぁああ」
ひぃいいっと凛は、ホテルの入り口にある看板にガッと縋りついた。
「なにやってんだよ。とっとと入ろうぜ。これじゃまるで俺が無理やりおまえを連れ込んでるみてーじゃないか」
薫は、凛の上着の裾を引っ張りながら、文句をたれた。
「みてーじゃなくって、そのまんまだろうが!」
「やめてよ。そんなこと言うの。俺達、つきあっているんだぜ」
その言葉に、凛は、ガーンッと打ちのめされた。
「つきあってるったって、やっと2週間経ったか経たないかだろ」
「形としては、な。でもその前から互いに知ってるし。つきあい長いじゃん、今更なに言ってる」
「マニュ、マニュアルでは、平均は一ヶ月だった。わー、わー。せめて、マニュアル通りにしろよ」
「なんじゃ、そら。マニュアルってなによ。かーいいな、凛。そんなもんは、俺達の間には必要ねえよ。俺達に必要なのは、あとはセックスだけだし」
クラッ。と、目を回しかけて、凛は踏ん張った。ここで、目を回していては、確実に連れ込まれる。
「落ち着け、君津。な、落ち着け。頼む、落ち着いてくれっ」
凛は叫びながら、薫の腕を振りほどいた。
「あのな。てめえが落ち着けよ」
薫はケロッとしてる。凛は、ハアハアと息を乱していた。
「俺としては、これでもじっくり待ったつもりだったんだぜ。本当は放課後デートからそのまま、ホテル直行でも一向に構わなかった。でも、オヤジのヤツがぶっ倒れていたし、
なによりおまえの為を思ってさ。けど、もうだめ。これ以上は待てない。克巳のこともあるし、安穏とはしてられない」
「克巳って。アイツはみき兄とつきあっているんだよ。か、関係ねーだろ」
ドキッと凛の胸が鳴った。
「・・・それが本当ならば、な」
薫は、スッと目を細めた。
「本当って・・・」
凛は眉を寄せた。
「おまえは、克巳の執念を知らない。アイツは本当はすげえ粘着質なんだぜ。目的の為ならば、手段を選ばない」
「そっくりじゃん。おまえと」
そこだけは冷静に、凛は突っ込んだ。薫は、グッと詰まったが、すぐに開き直る。
「否定はしねえけど、アイツと俺じゃ表現の仕方が違う。アイツの得意とするところはな。白をも黒とさせちまう強引な開き直りだ。みっともねー。俺は冗談じゃねえな。
駆け引きは大事だが、開き直ったらおしめーだろ」
「・・・どっちもどっちだと思う」
これまた凛が呟く。
「つべこべ言ってねえで、行くぜ。ラブホの前でこれ以上立ち話なんかしてらんねえ」
「いやだ。いやだって言ってんだろーッ!」
グイグイと凛を引っ張る薫に、凛が猛烈に抵抗する。
「凛っ」
薫が凛の名を呼んだ。ビクッ、と凛は顔を上げた。
「!」
うちゅううう・・・と無理やりホテルの入り口でキスされて、凛は驚いた。そのまま、ズルズルと薫は凛の体を抱きながら移動する。
「や、やだ。いやっ」
「これ以上抵抗すると、フロントまでずっとキスしてるぞ。いいか、凛。つきあったらな。こーゆーことは必須なんだよ。一ヵ月後だろうと一年後だろうと。
その気があるから、俺とつきあうって言ったんだろ。いい加減観念しろっ」
「ん、うっ」
強引な薫のキスに、凛がはんば目を回しかけているのをいいことに、薫は手際よくさっさと部屋を決めて、凛を部屋に連れ込んだ。
「はあはあ」
なんにもしないうちから、やたらと息の荒い凛は、ズルズルと部屋の床に座り込んだ。
「お日様の下で凛と無邪気に遊ぶのも楽しい。でもお月様の下で凛と不埒に遊ぶのも楽しいんだ。つきあうってこういうこと。健全不健全ごちゃまぜ。
誰だってしてることだ。怖がるなよ」
凛は、思わず、ひっくと泣き出した。
「怖がるに決まってるだろ・・・。だって俺。まだ・・・。おまえのこと、よくわかんねえのに」
「わかりあう為に寝ることも必要だ」
さっさと薫は服を脱いだ。
「せっかく克巳が、一世一代の大芝居を打ってくれたんだ。利用しねえ手はないだろ。ほら、こっち来い」
ブンブンと凛は首を振っては、床に蹲っていた。
「大芝居ってなんだよ・・・」
掠れた声で凛は訊き返す。
「あら。気づいてねーの?鈍感だねぇ。克巳とみきさんがつきあってるなんて、あれ大嘘だよ。克巳はな。みきさんを利用したんだ。おまえの超ブラコンをな。
みきさんを追いかけながら、おまえは克巳を見る。みきさんのことを考える度に、どうしたって克巳もくっついてくる。二人がつきあっているって思えばな。そう
することで、克巳はおまえに、自分の存在を主張してるんだ。凛。考えてねえこと、ねえだろ。みきさんのことを考えるたびに克巳を考えるだろ。克巳のこと、
俺より考えているだろ」
「!」
「考えてねえとは言わせない。わかるんだよ。そーゆーの。好きな相手のことはな」
「そ、それは。別に黒藤のことを考えているのではなくって、みき兄のことを」
「嘘だね。おまえ、最近は混同してるだろ」
「してねえよっ。うわっ」
ドサッ!
薫は、凛の体を床から引っ張り上げると、ベッドに押し倒した。火事場の馬鹿力。すごい力だった。
「してるよ。だから、早くしねえと・・・。おまえは・・・。白いおまえは黒になっちまうんだ。克巳の・・・。克巳の思惑通りにな」
ガバッ。圧し掛かって、薫は凛にキスをした。凛は、ジタバタと抵抗するが、とにかく薫の力は凄まじかった。
振り解こうとしても、一向にビクともしない。
なんでだよ!俺は体格だって人並みだし、腕力だってそれなりなのに。スポーツクラブにだってちゃんと行ってて・・・。なのに、どうしてこんなに抵抗出来ないんだ〜!!
凛は心の中で盛大に嘆いた。無理やり引っ張りだされた舌に、薫の舌が絡んでくる。
考えなきゃいけないのに。黒藤がなんだって?あの二人がつきあっているのは、嘘だって?
なんで、そんな・・・。だって、黒藤は俺のこと、もう興味がないって・・・。ああ、考えなきゃいけないのに。
「んんん」
ディープなキスに、凛の思考回路がザザーッと乱れて、真っ白になった。
なにこのキス。なんだよ、このキス。まるで食われるかのような勢いだ。
「や、やだって言ってんだろ・・・」
「泣いたってダメ。つーか、むしろ涙はスパイス。いいよ。幾らでも泣いても」
ニッと薫は笑うと、凛の体に触れた。
「君津。なにしやがる」
「裸にするんだよ・・・。じゃないと、出来ないだろ。セックス
セックスのところだけを妙に強調して、薫は言った。単語だけで、凛はヒクッと喉を喘がせた。
「いやだ、いやだ、いやだ」
こんなに嫌なのに。なんで、体に力が入らないんだよ・・・。くそっ、くそっ。凛は、目に涙を溜めたまま、薫を睨みつけた。
そんな凛を無視して、ポイポイと、赤ちゃんのおむつを替えるかの如く、薫は凛の服を脱がしていく。
凛は、もう、ただひたすら、ヒックヒックと泣いていた。
「17の男の泣き方じゃねえぞ〜」
からかうように薫は言いながら、服を脱がす手を止めて、凛の首筋にチュウッと吸い付くようにキスをした。
「怖がらないで、凛。セックスは怖くない」
「セックスより、おまえのが怖い」
目の前の薫が、凛には怖かった。
「怖くないでちゅよ」
「てめっ」
「ハイ。生まれたままの姿。恥ずかしくないよ。お互い様」
「!」
グワーン・・・。凛は薫の言葉に我を取り戻した。自分の上に乗っかる薫は勿論素っ裸。そして、乗っかられている自分もいつの間にか・・・。
「うわああああああああああ。いやだああああああああああああああああああああ」
生まれてこの方、裸体を晒したのは母親とみきの前だけだ。意識がぶっ飛びそうな羞恥と、そして、恐怖。凛は腹の底から叫んだ。
「ぎゃ。耳、いかれる」
さすがに薫は耳を押さえてうめいた。
「やだ、やだ、やだ、やだ。やだああああああああああああああああああああ」
そんな薫の隙をついて、凛は体を捩った。ズリズリと凛はシーツを擦りながら、逃げる。
「ちょっと待った!逃がすもんか」
そう言いながら薫が掴んだ場所は・・・。
「やめろ。どこ掴んでる!!」
ヒィッと凛は引き攣った。
「凛のチン●。やあ、思ったより可愛いね」
今度は、凛の背中に乗り上げながら、薫はその手を凛の股間に差し込んでいた。
「は、離せ。やめっ」
「やーだよん」
スリッ、と薫の手が凛のペニスを擦った。
「んっ」
ビクッ、と凛の背が反り返る。
「凛ちゃん、ココ、他人に触られるの初めてでしょ。気持ちよくしてあげるよ」
「いいいい、いらんわいっ。やめて。触らないでくれっ」
「遠慮すんなよ。ココ弄られて、気持ちよくない筈ねえんだから」
「やだって。やーっ」
と、叫ぼうが泣こうが、薫には通用しない。薫は、凛の背中にキスをしながら、凛の体をゆっくりと抱きかかえた。
「っう」
自分の両膝の間に凛の体を挟みこみ、凛の両脇から薫は手を伸ばし、凛のペニスを掴んだ。両手で扱く。
「う、ううっ」
パサッ、と薫の目の前で凛の金色の後ろ髪が揺れた。凛が首を振る度に、柔らかなその毛が、薫の頬をくすぐった。

一方の凛は、もうほとんどパニックだった。あらぬところを、薫の指が掴んで、擦っていく。
その度に、ゾクゾクっと体が震えた。自分だって滅多に触れない場所に、薫の指が大胆に動いていく。
「君津、やめて。や、だ」
うーっと噛み締めた唇から、望まぬ切なげな声が漏れる。目からはパタパタと涙が零れた。
なんで、こうなる。どーして、こんなこと・・・。そりゃちょっとはこうなるかと思っていたけど、まさか本当にこうなるなんて・・・。
凛は、ポロポロと泣いた。あの時。黒藤は、俺が泣いたら、許してくれたのに・・・。離してくれたのに・・・。
凛の脳裏に、克巳の拗ねたような顔が過ぎって消えていく。
「ひっ。君津。う、動かすなって」
薫の指が、じょじょに速くなっていく。
だが、薫の右手がペニスから離れた。両手で擦られる感覚に、クラクラしていた凛はホッとしたのも束の間。薫は、凛の赤く小さな乳首を指で摘んだ。
「!」
これまた、異常なくらい、凛の体がビクッと反応した。
「あ、あ。やあ、だっ。ん」
「カワイイ、声」
フッと薫が凛の耳元に囁いた。それと同時に。
「うわあああああ。な、な、なにっ」
凛がほとんど悲鳴をあげた。
「え?」
驚いたように薫は、凛の耳元から顔を上げた。
「な、なんか。ゆれ、揺れてるっ」
「あ。ケータイ」
薫が、ベッドの上で脱いだジーンズは、シーツの上に乗っかったままだった。そのジーンズの尻ポケットに突っ込んでおいたままだった携帯が振動したのだ。
バイブ。呼び出し音だ。凛は、ちょうどよくも、そのジーンズの上に脚を広げていたので、爪先にその振動が伝わって驚いたのだ。
「嫌な予感。出ねえ」
薫はジーンズを足先でベッドから蹴り落とそうとした。だが、凛は必死にそのジーンズに縋りついた。
「ダメ。で、出ろ」
「つーか、おまえが出せ」
グンッ、と薫は凛のペニスを引っ張った。ジワッと、凛のペニスの先端が緩んだ。
「あ、あ。うっ。出ろ、バカァッ」
バサッ、と凛はジーンズを薫に向かって投げつけた。
「っせえな。なんだよ、こんな時に」
ブブブブと、しつこく振動を続ける携帯に、流石に辟易した薫は、ポケットから携帯を引き抜いた。
「もしも」
『薫ちゃん!ママが。ママが〜ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア』

キーン。
薫の耳を、頼子のどすの利いた声が貫いていった。薫は、思わず手から携帯を落とした。
『ママが倒れたわ。お客様と飲み比べしていたら、いきなりぃぃぃ。、意識不明よ。あ、泡を吹いて倒れてしまったの。この前退院したばっかりだったのに。
ママが死んじゃうゥゥ。助けてぇぇぇ、薫ちゃああああん』
キーン、キーン。
「死んだらそりゃ寿命で、挙句に自業自得。今こっちは取り込み中だから、適当に救急車でも呼べっ」
気を取り直して薫は携帯に向かって怒鳴った。
『霊柩車の方が早いわー。いやー、ママ。しっかりして。目を開けてぇぇぇぇぇ』
「だったら、救急車と霊柩車を両方呼んどけ。じゃあな」
ブツッ、と薫は通話を切った。
「ふざけんな。オヤジが死んでる場合かよ。こっちは、凛とセックスの真っ最中な」
言いかけて、薫はスパーンと凛に殴られた。
「バカ。てめえ、なに言ってるんだっ!親が死にそうなのに、セックスしてる場合かよっ」
勿論、頼子の無駄にデカイ声は、凛の耳にも到達していたのだ。薫は殴られた頬を押さえて、笑った。
「心配しなくても、ありゃ自業自得なの。先生がまだ退院するなって言うのに、勝手に退院して、店出てさ。倒れても仕方ねえんだよ。だから」
パンパーン!凛は薫の両頬を叩いた。
「孝行したい時に親はナシ!バカヤロウ。頭イイくせに、んなことも知らないのか」
スパパパパーン。
テンポよく、凛は薫を叩き続けた。
「早く行かなきゃ。おじさんが死んじゃう」
ボトボトと涙を零して、凛はよれよれと立ち上がった。
「君津、早く!おじさんが、死んじゃうよぉ。急がなきゃ。おじさん、おじさんっ」
ひっくひっくと凛は泣く。自分が襲われていた時とは違うが、それでもかなりの取り乱し方だった。
「イテテテ。てめ、こんな力があんならば、最初から出しとけよ。今頃になって出しやがって」
殴られた頬の痛さと、己の股間の痛さに薫はシーツに突っ伏した。
「くそおっ。こんなイイところで。どーせ、オチ有りなのはわかってるのに〜!」
薫は吠えた。そして、ポロポロと薫も泣いた。
「くそっ。くそっ。ちきしょー。あと少しだったのに」
凛が泣く訳。薫には苦しいぐらいわかっていた。凛は母親を早くに亡くしている。父親は健在だが、それでもいつも傍にいる訳でもなく、その存在は生きていても、遠い。
親という存在に、凛がどれだけ過敏に反応するかは充分にわかっていた。凛が、みきに執着するのも、歳が離れている分兄というよりは、親のような存在を感じているからだ。
今、ここで。無理やり凛をベッドに連れ戻したところで、さっきとは訳が違う。凛の、心が逃げてしまう。
だから、薫は退いた。
体を無理やり奪うことで失う凛の心と、親という存在に関して無関心でいて、凛の心を失うのでは、重大さが違う。その退きが、やはり薫の、凛への気持ちの本物さを表していた。
薫とて、怖いのだ。本気であるから、怖いのだった。凛という存在に、本気で拒まれることは・・・。


「で!?」
凛と薫が二人で店に行くと、確かに君津パパはソファに倒れてはいた。いたが・・・。グオオオオオッと熊のようないびきをかいていたのであった。
「救急車と霊柩車は?」
ヒクヒクと薫は頬を引き攣らせていた。
「まとめて帰っていただいたわ。単なる飲み過ぎってことでネ。ママってまるでゾンビみたい。さっきまで死にそうだったのに、いきなり蘇っちゃって。黄泉がえり!?わお。頼子、剛くん、ラーブ♪」
きゃっ★と頼子は頬を染めて、もじもじとしている。
「・・・よ、良かった」
へにょおーんと凛はその場に座り込んだ。
「おじさんが生きていて、よかった・・・。よかったよぉ・・・」
凛は、ソファに横たわり熊のような豪快ないびきをかいている君津パパの体の上に、顔を乗せてはオイオイと泣き出した。
そんな凛を見下ろしながら、薫はがっかりと肩を落としていた。ふと、その肩に、圧力が加わった。克巳が、薫の肩に腕を乗せたからである。
「で?セーフ?アウト?」
フーッ、とタバコの息を薫の耳元に吹きかけながら、克巳は囁いた。
「セーフだよ。ちきしょうめっ!どこまでも、しつこいヤツだ」
ダンッ、と薫は克巳の脚を踏みつけた。
「当然だろ。俺は最後まで諦めない」
「くそ。てめえの仕業だってわかっていたのに・・・」
「おや。どーしてわかった?」
「オヤジを潰すことの出来る酒豪はてめえしかいねえからな」
「ついでに頼子に電話させるのに、ヴィトンのバッグを買ってやる酔狂な金持ちも俺しかいねえな」
「そーゆーことだ」
二人は顔を見合わせて、ニッコリと微笑みあう。傍らにいたみきは「こえー・・・」とひっそりと呟いた。


凛は、グスグスと泣きながら、君津パパの体から顔をあげた。気持ちが落ち着いたらしい。
「優しい子ね、凛ちゃん。頼子、貰い泣きよ」
何故か、凛の脇で頼子が、つられて泣いていた。
「す、すみません。取り乱しまして・・・。昔、母がやっぱり急に倒れて・・・」
目を擦りながら、凛が呟いた。
「そうなのね・・・。まあ、それはお気の毒に・・・。凛ちゃん、ハンカチ」
オーイオーイと頼子は泣きながら、新たしいハンカチを凛に差し出した。
「ありがとうございます」
それで目元を拭いながら、凛はおずおずと立ち上がった。ふと、振り返る。
視界に、薫と克巳とみきが並んで立っているのが映った。
「!」
凛は、ゴシゴシと目を擦りながらも、つかつかと3人の前に歩いていく。
3人は、そんな凛をジッと見つめていた。凛は、薫の前に立つと、思いっきり薫を引っぱたいた。
「っ・・・」
薫は歯を食いしばって、痛みを堪えた。そして、凛は克巳の前に立つと。
フワリ、とその体に抱きついた。

「なんだってぇ?!」
みきと、薫が同時に叫んだ。

抱きついた凛と、抱きつかれた克巳が、その声に同時に反応し、ギョッとしたように見つめあった。

続く

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