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「う・・・ん」
凛が目を覚まし、ハッと起き上がると、目の前の小さなテーブルの上にはすっかりと美味しそうな食事が並んでおり、それらを克巳とみきがイチャイチャと仲良さそうに食べていた。
「人が気を失っている間に、なにを呑気なことしてやがるっ!」
「起きぬけに、元気いーな。勝手に気絶した癖に。食う?」
克巳が、凛の口元にスプーンを押し付けた。
「いらんっ」
バッ、とその克巳の手を振り払い、改めて凛は、克巳とみきを睨んだ。
「みき兄」
「なーに?」
みきからは、のほほんとした返事。
「冗談が過ぎるよ。一体どーいうつもり!?」
バアンッ、と凛はテーブルを掌で叩いた。
「冗談ってなにさ。ハイ、克巳くん。あーんして」
「サンキューでっす」
克巳は、みきが差し出したスプーンをパクッと口にくわえた。
「んまい。みきさん、料理天才だよね」
「うちはね。なんでも一人で出来るように教育されているんだよ」
「さーすが。ますます惚れちゃう。俺が卒業したら、すぐに嫁に来てね」
「いくいく」
クラッ。
再び気絶しそうになって、凛はかろうじて堪えた。
「ま、マジかよぉ」
頭を抱えて、凛はうめいた。凛以外の、今時の若者が見れば、明らかに克巳とみきが作り出しているハートマークは歪んでいるというのに、素直な凛には、それがピカピカのハートマークに見えるのだから、どうしようもなかった。
「なに、メソメソしてやがんだよ。ヤンキーのカシラみてーなツラしてさ。似合わねえぞ、凛」
「やかましーっ!」
ギンッ、と凛が克巳を睨んだ。
「第一、この浮気モン!つい最近まで俺のことが好きだのかんだの言ってた癖に、俺が君津とつきあうことになったからって、昨日の昨日ですぐにみき兄たぁどーゆーことだよ!節操ってもんがねえのか、てめえには」
「ねえんだろうなぁ」
呑気に克巳は言い返した。凛はあんぐりと口を開いた。
「っつーより、おまえ自身、俺にそんなモンがあるとは思ってねえんだろ」
「そ、そりゃあな。神聖なる学園の保健室で、あんな淫らなこと・・・」
「淫ら・・・」
ブッ、とみきが吸っていたタバコを思わず吹き出した。あぶねー・・・と、克巳がそれをキャッチして、みきに渡した。
「あんな淫らって・・・。てめえは、一体なに見たっつーんだよ。俺は、ベッドの上で、オカ、いや、女に覆い被さっていただけだ」
オカマと事実を言ってしまうには、プライドの許さない克巳であった。
「俺が行かなきゃ、不埒なふるまいに突入していたのは明白だっ」
「不埒・・・」
またまたみきが、タバコを吹き出した。克巳は慣れているので、そんな凛の言葉に動揺もせずに、またまたみきの落としたタバコを拾い、渡してやる。みきは、もうタバコをくわえることを忘れて、腹を抱えて笑っていた。そんな兄の姿を腹立たしく思いながらも、それでも凛は、克巳へと言い返す。
「そうだろ。俺があの場に行かなきゃ、おまえはあの女の子と・・・」
言って、凛はカーッと顔を赤くした。その顔を見て、余裕でウーロン茶を飲んでいた克巳が、今度は吹き出した。笑い終えていたみきが、サッとハンカチを克巳に渡した。
「す、すみません」
何故か顔を赤くして、克巳はみきからハンカチを受け取った。「修行が足らぬ」とクククッとみきが微かに笑う。
「なんで吹き出すんだよっ。俺おかしいこと言ったかよ」
ムーッとして、凛が怒鳴った。
「あんまり可愛い顔すんじゃねえ。俺の心がぐらつく」
克巳は、口元を拭きながら、まじまじと凛を見て言った。
「なっ・・・」
ますます凛の顔が赤くなった。
「いやあ。我が弟ながら、なんでこんなふうに育ってしまったのか謎だ。確かに、俺は凛を大事に育てたつもりではあったが」
みきはポリポリと頭を掻いた。
「あまりに外見と中身が違いすぎるんだよ。それに性教育してねえんだろ、みきさん」
「んなもん、俺だって教わってねえもん。自力で知るもんだろ・・・。ったく。本当に、身内ながら可愛くて仕方ないよ。凛ちゃん」
「からかわないで、みき兄」
ブリブリと凛は怒っている。
「とにかく。関係ねえだろ。俺がどーこーしよーと。俺はもうおまえからは手を退いた。今は、年上のこの人に夢中なの。な、みきさん」
グイッ、と克巳がみきの肩を抱き寄せた。
「いやだあー!俺の前でみき兄にくっつくな」
凛が悲鳴をあげた。
「肩抱いたぐれえで、うるせーよ。恋人同士ならば、どうってこたあねーじゃん。なあ、みきさん」
「そうそう。第一さ。凛だって、薫ちゃんと、そーゆー仲になったんでしょ。いずれは、ラブラブな未来が待っているんだから。少しは俺と克巳くん見て勉強したら?」
「いいこと言うっ!みきさん」
克巳にしてみれば、みきの台詞は、凛の気持ちを知るには最高の誘導尋問だった。
「でしょ」
フフフと二人は顔を見合わせて笑う。
「誰がっ。誰が、君津とそんなことっ!た、確かに俺は、君津とつきあうとは言った。けど。けど・・・。つきあったからと言って、別にそんなふうになるつもりはないっ」
凛は断言した。克巳の目が、すかさずギラリと光った。
「んじゃあさ、おまえは薫とつきあうってどういう意味だと思ってんのさ」
「ど、どういう意味とは?」
克巳の迫力に、ウッと凛はたじろいだ。大した理由もなく、勢いで言ってしまったことは、自分でもよくわかっているからだった。
「そのまんま」
克巳の言葉に、凛は考え込み、キッと背筋を正した。
「君津とは、互いを高めあうつきあいになればいいと思う」
「高めあう?それって、なにさ。二人でセックスを極めるってことかよ」
バシャッ、とウーロン茶が克巳の頭にぶっかけられた。うわあぉとみきが肩を竦めたが、克巳はこれまた慣れているらしく、さっきのハンカチでしずしずと髪を拭っていた。
「頭の中それっきゃねえのか!高校生だぞ、俺達」
冷静な克巳とは裏腹に、凛は興奮状態だった。
「高校生だから、だよ。まあ、いいや。んじゃ、なによ?おまえが言わんとしてることわかんね。おまえ、それ今でっちあげただろ」
「うるせー。こっちこそ。てめえのことがわからん。とにかく。高めあう、とは。即ち、今の自分達の立場を弁えて、と言うことだ。今の自分達。高校生。高校生がすべきことはまず勉強だろ。お互いに、モチベーションを高く持って切磋琢磨しつつ勉学に励み・・・。アレ?」
凛の目の前から二人が消えた。ハッと床を見た。フローリングの床には、克巳とみきが倒れこんでいた。
「・・・」
ギャハハハハハハッと甲高い笑い声が部屋中に響いた。
「し、死ぬぅ〜」
みきが空中に手を伸ばして、笑っている。
「モチベーション。マスターベーションの間違いじゃねえの。おまけに切磋琢磨で勉学と来た。薫が聞いたら、それこそ卒倒もんだぜ。アハハハハハ」
克巳は、ドタバタと足で床を蹴っている。階下から苦情が来るのでは?と凛は、ハラハラした。
「なんで笑うんだ!俺は、俺は真面目だっ!」
シーン・・・・。
一瞬沈黙が漂った。
「ま、真面目だからこそ・・・」
「おかしいんじゃねえか」
再び。アハハハハハハ&ギャハハハハハと、笑いの大洪水だった。

「な、なんだよ。二人して。二人して。バカにしやがって。バカにしやがって!!くそっ。お、俺が、なにをしたって言うんだ。今まで地味に・・・、真面目に。誰にも迷惑かけないですごしてきたのに、男とつきあう羽目になるわ、尊敬していた兄は変態男とつきあっちゃうし、よくよく考えれば、父親はどーしよーもない男で、母親は心労で若くして死んでしまったし、弟は誘拐されて行方不明になったまま・・・。わー。俺ってなんて不幸なんだぁぁぁ」
ぐわばっ、とテーブルに突っ伏し、凛は喚いた。
「変態男って誰やねん」
克巳がムッとした顔で呟きながら、体を起こした。
「尊敬されていたのは嬉しいな。でもまあ、確かに凛は不幸かもな。彼女作る前に男の恋人出来ちゃうし。オヤジはろくでなしだし、おまえの母上は気の毒だったし。でもな。おまえの弟、つまり俺の弟でもあるんだけど・・・。彼は実は生きている。それだけが唯一の救いかも」
みきも、言いながら、体を起こした。
「え?」
凛は顔を上げた。
「弟が生きているって・・・。本当なの!?みき兄」
「あれ?知らなかったの・・・」
「聞いてねえよっ」
「そっかぁ。うん。生きてるよ。少し前オヤジと一緒に見に行ったことがある」
「えええっ。どこに。どこで?俺も会いに行く。どこにいるの。教えて、みき兄」
凛は、バッとみきに縋りついた。すると、みきは首を振った。
「おまえの弟はね。今の家族にすっかり馴染んでいて、挙句に自分の境遇を知らない。いつかは育ての親御さんが話してくれるだろうけど、彼も今微妙な年齢だからそっとしておいてくれって言われているんだよ」
みきの言葉に、凛はハッとした。そういうことか・・・と思った。思わず目が潤んだ。
「・・・そうだったんだ・・・。でも、生きててくれたんだ・・・。俺てっきりもう死んでるもんかと・・・」
「サラッとひどいこと言うね、凛」
ハハハ、とみきは苦笑した。
「だっ、だって、みき兄。行方不明で。ずっと、行方不明で。誰にも俺には説明してくんないでっ!」
「まあまあ。とにかく、良かったじゃん。凛」
バンッ、と克巳が凛の背を叩いた。
「う、うん・・・」
目を擦りながら、凛は素直にうなづいた。
「地獄を彷徨っていて、思いがけずに一輪の綺麗な花を見たって気分だよ」
「どーゆー表現だよ」
呆れたように克巳は肩を竦めた。
「みき兄、みき兄。どうだった?弟は元気だった?俺に似てる?会いたいよ。こっそりでもいい。会ってみたい」
さっきまでしょげていたのが嘘のように、凛は生き生きとして、みきに質問を投げかける。
「駄目だってば。もう少しお待ち。あのね。可愛かったよ。おまえに似ていた。とっても元気で・・・。たくさんのご兄弟に囲まれて、大切に育ててもらっていたよ。苗字は内緒ね。おまえ、調べて会いにいっちゃうかもしれないから」
ちょっと不満気ではあったようだが、凛はうなづいた。
「元気なんだ・・・。大切に育ててもらっているんだ・・・。良かった。良かったよ。そういう事情なら、仕方ないよね。いつか会えるならば、俺今は我慢するよ!」
嬉しそうな凛を見て、みきも微笑む。
「いい子だね、凛。いつか、きっと会えるさ。さて。ご機嫌が治ったみたいだから、俺はそろそろ帰ろうかなっ」
「え?」
「だって。凛、薫ちゃんとデート入ってないんでしょ。だったら、ダブルデート出来ないし。克巳くんとはずっと一緒だったから、もういいし。ねっ★」
みきが、パチンとウィンクして克巳を見る。みきのその視線は、「僕は遠藤クンのところに行きたいの!」とありありと訴えていて、克巳は思わず苦笑した。
「そうだね。んじゃ、俺はもう少しここにいるから、みきさんまたね」
「うん。じゃあ、ごゆっくり。またね、克巳くん」
「またね、みきさん〜」
ヒラヒラと手を振った克巳の背を凛が蹴飛ばした。
「なに勝手に決めてるんだよっ。てめえも、さっさと、そこから帰れ!ごゆっくりなんぞしてるんじゃねえっ。俺は兄さんを送っていくから。俺が戻ってきた時にはいなくなっていやがれよ」
怒鳴りながらバルコニーを指差してから、凛はみきの背を押して部屋を出て行った。
「誰が帰るかっつーの」
フンッと克巳は鼻を鳴らして、その場にゴロリと横になった。


マンションのロビーまで、凛はみきに付き添ってきた。
「みき兄・・・。黒藤とのこと・・・。一時の気の迷いだと思ってていいよな」
ドキドキしながら、凛はみきを見上げて尋ねた。みきは、顎を擦りながら、首をちょっと傾げて見せた。
「・・・一時の気の迷い・・・か。凛、言ったでしょ。恋しなさいって。恋するとね。誰でも血迷うものなんだよ」
みきの返答に、凛は唇を噛み締めた。
「みき兄・・・」
「勉強より大事なものも、たくさんあるよ。人それぞれ、表現の違いはあるけどね。恋してみなきゃ、今の僕の気持ちは、おまえにはわからないよ」
ポンッ、とみきは凛の頭を撫でると、「じゃあね」と軽やかに去っていった。


複雑な気持ちのまま、部屋に戻ると、克巳がフローリングの床に横になったままゴロゴロしていた。
「帰れって言っただろ」
「帰るとは言ってねーもん」
「屁理屈男!」
フンッ、と鼻息荒く凛はテーブルの上を片付け出した。
「手伝おーか」
パッと克巳が腕を伸ばす。その腕が、凛と重なった。ピクッ、と凛は克巳の腕を振り払った。
「なに怯えてンの?言っとくけど、もうおまえに興味ねえからなんもしねえよ。意識すんな、バーカ」
からかう克巳に、凛はカッと怒りで顔を赤くした。
「俺は、おまえみたく臨機応変にゃいかねー」
凛の答えに、更に克巳が大きな声で笑った。頭に来たが、いちいち言い返しては相手の思うツボなので、凛はそれ以上は言わずに、黙々と散らかったテーブルの上を片付けた。
「もういい加減帰れよ」
足元に転がる克巳を凛は蹴飛ばした。
「なんだよ。つれねーな。俺ら友達だろ。世間話ぐらいしよーぜ」
克巳は、凛の足首を掴みながら、のほほんと言った。凛は、ブンブンと足を振って、克巳の腕を蹴飛ばした。
「おまえなんか友達じゃねえよ」
「じゃあ、なんだよ。もう恋人でもないんだから、友達じゃん」
ガバッ、と克巳が半身を起こした。
「もう、って。恋人だった過去すらないと思うけど」
テーブルを拭きながら、凛は冷かかに言った。
「一時は確かに恋人だったんだぜ。だって、おまえは俺との賭に負けたんだから。おまえは俺とつきあう筈だったんだ。そんでもって、それは今でも実行権があったりする。おまえが薫とつきあうのだって最初からわかっていたことだし、要は俺達はファーストの権利を奪い合っていただけなんだから。よって、おまえの告白は、単なるおまえ自身の意思で、ファースト期間を薫と過ごすと宣言しただけ・・・。そう言えば俺にだってまだおまえとつきあう権利はある。だろ」
ピクッ、と凛の眉が寄った。
「その権利を主張するつもりか?」
克巳は、フンッと、鼻を鳴らした。
「ノー。さらさら、ないね。言ったろ。おまえになんか、まったく興味がなくなったってな。勝手に薫とつきあえよ」
ニヤニヤと笑いながら、克巳は凛に向かって、遠慮なく言った。グサッ、と凛の心が傷ついた。
「ってことでさ。そー考えると、俺ら友達だろ。ま、だから、そう警戒せんと。興味がなくなったヤツに迫るほど、俺、物好きじゃねえのよ。なあ、座れよ」
「座るよ。ここは、俺の部屋だ。なんでてめえに命令されるんだ」
ぶつくさ言いながら、凛は克巳の横に腰をおろした。テーブルの上はすっかりピカピカだった。
「まあ・・・。なんつーか。この度は、俺ら互いにおめでとーさんってことで」
克巳は、持参の缶ビールをプシュッと開けながら、言った。それを横目で見た凛が、クワッと目を剥いた。
「未成年。酒は厳禁だっ」
「やっかましー。祝いの席だ。邪魔すんじゃねえ、必勝」
ドグサッ!!
凛のウィークポイントに、『必勝』が突き刺さった。凛は、克巳に向かって伸ばしかけた腕を引っ込めた。
「次回のテスト、大丈夫か〜?彼氏相手に、戦えンの?なあ、必勝。どうなんよ、必勝」
「必勝、必勝やかましいっつーんだよ!俺と君津とは、高めあっていく関係を築きたいと思っているんだ。何度も言わせるな」
プイッ、と凛は克巳から目を反らした。
「目を反らすなよ」
「あ?」
「事実から、目を反らすなよ。薫がおまえに求めているのは、そんな関係じゃねえ。おまえだって、知ってるだろ。最初のうちはいいさ。薫はおまえの嫌がることはしねえだろう。だが、思い出せよ。薫がどんな手でおまえにつきあうって言わせたか。つきあう前の薫を思い出せ。それが、薫の本性だ。アイツは、そういうヤツなんだよ」
一瞬、凛は沈黙した。頭の中で、克巳に言われた通りに、思い出したようだ。律儀に、凛の顔色が少し変わった。
「う、うるさい。た、確かに今まで君津は強引だったが・・・。きちんと告白したら、わかってくれたようだった。俺が嫌がることはしない、って。克巳とは・・・、おまえとは違うって言っていた。俺はその言葉を信じる!」
あたふたと凛は言い返したものの・・・。確かに、今まですっかり忘れていた。薫のあの、凄まじいまでの押し、を。なんで、こんなに綺麗さっぱり忘れることが出来たのか、不思議だった。ひどく怖く、不快だったと言うのに・・・。
「苦し〜な。なんか、おまえ、本当に単純だな。だから、薫なんかとドサマギでつきあわされる羽目になんだよ。バーカ」
「な、なんだと!?」
克巳の言葉に、凛は我に返った。
「薫の外面の良さは天下一品だ。それに比べ、俺はどうだ?」
「サイテー」
即答の凛に、克巳は明らかにムッとしたが、めげずに言い返した。
「どーもありがとよ。勝ちたいとも思わねーから、それでいいさ。俺は、あーにはなりたくねえの。俺は、いつでも自分に正直だ。最低な部分も最高の部分も、きちんとおまえには見せたかった。それが俺だ」
「最高の部分なんぞ、一ミリも見ていない」
これまたきっちりと凛は言い返した。
「・・・。見せる予定のところを、てめえが先走って薫に告っちまったんだろ!だから、その予定が水の泡になったンだよ」
今度こそはっきりと引き攣りながら、克巳は怒鳴った。
「先走ったって・・・」
まあ、そうだな・・・と凛は自分を冷静に判断した。あの時、なんで、俺は、あんな行動に出たのだろうか。なんで、あんなに。幾ら考えても、あの時の自分の感情がよくわからない凛だった。
「俺には先走ったよーにしか見えねえよ。いきなり、アイツに告りやがって。オ・・・ンナの腹の上に乗り上げていた俺が、どんなに不潔に見えたのか知らねーが、別にいいさ。それが俺だもんな。そうさ。確かに俺は節操ナシさ。目の前にイイ女がいて、誘われればフラフラしちまう。でも、誰だってそうだろ?薫だって、きっと同じことをしていたさ。同じ状況ならば、な。だって、好きなヤツの気持ちがわかんねーんだもん」
ギクッ、と凛は克巳を見た。
「恋人がちゃんといて、その恋人は自分だけを見てて、そんなラブラブならば、フラフラなんかしねえよ。けど、俺の場合は違った。おまえは、あっちこっちキョロキョロしてて」
これには、凛もムッとした。
「たりめーだろ。ホモッ気もねえのに、いきなり二人の男から告白されて、つきあいを強要されて。やれ俺だ、それ俺だと好き勝手に自己主張されて、フラフラしねえでいられっか!」
「おまえがハッキリしねえからだろ!好きなヤツがいねー状態で誰かに告白されたら、まずは考えるだろ。つきあっちゃおうかなって」
「相手にもよるッ!」
ギギギ・・・と二人は睨みあった。
「っせー。ともかく、だ。告白された相手のことを憎からず思っていたならば、フツーはとにかく最初に『考える』だろーが!」
グピッと、ビールを一口飲み終えて、克巳は言った。
「告白された相手なんぞ、二人とも憎くて憎くてたまらんかったよっ」
「だったら、どーしてそう言わない」
「言ったっつーの。百万回は言ったよ。聞いてなかったのは、てめえら二人だけだ」
バンバン、と凛はピカピカのテーブルを叩いた。
「ともかく」
「なにがともかく、だ」
ふざけんな!と凛は思ったが、克巳はまったくめげずに自分の言いたいことをベラベラと言い続ける。
「おまえは、真面目に考えなかった。俺の・・・。いや、俺と薫の気持ちを、だ。はなから排除することだけを考えていて、俺達の真剣な気持ちを、おまえは受け付けなかったんだ。殺したい程憎み合っていた相手から告白された訳じゃないだろ。言っておくがな。俺にだって、プライドはある。そこまで憎まれている相手になんか誰が告るか。俺はおまえに、遊びで告ったンじゃねえよ。なにも困らせる為に、告ったンじゃねえ。真面目におまえに惚れて、告白したっつーのによ。結末みてみりゃ、おまえが俺で遊んでいたんだ」
「遊んでいただと・・・?」
思わず眩暈がするような、克巳の自分勝手な言い草に、凛の語尾が、屈辱で震えた。
「だって、そうじゃん。おまえは、一度も本気で、俺の気持ちを考えたことがなかった。好きって言われて、その俺の好きって気持ちに、真面目に対峙したことがあったかよ。あったか、凛!?」
「・・・」
凛はすぐに答えることが出来なかった。考えるまでもなかったが、それをあっさり口にするのが躊躇われた。
「考える時間は十分にあった筈だ。そりゃ、二人から告白され、それも相手は男。確かに、びびっちまうことばっかだったかもしんねえ。それは、認めるさ」
ブンブンと凛はうなづいた。
「あ、当たり前だ。どう考えたって間違ってる。世間的にもみっともないことこの上ないし、常識的ではない」
これは躊躇わずに言えた。だが。克巳は
「人好きになんのに、間違ってる、間違ってねえ、なんてねえんだよ!どうして?理屈なんかねえんだよ。好きになっちまったもんは仕方ねえ。しょーがねえんだよ。自分の気持ち、黙ってりゃいいのかもしんない。その方がいい場合だって、ある。でも、おまえの場合は違った。おまえはフリーだったから。じゃあ、俺のこと考えてくれよ。俺のことを見てくれよって思って告白したんだ。なのに、おまえは」
一旦息を吸い込み、克巳は再び
「最初から、世間体やらなんやからで、俺の、そして薫の気持ちを、軽んじて受け入れずに、そして逃げた。排除したんだ。真剣に考えることすら、おまえは最初から、してくれなかったんだ!常識って言葉で自分を守ってばかりで」
凛はその言葉に、愕然とした。克巳の、「してくれなかった」と言う言葉が、耳をハッキリと貫いていった。
「俺達は、おまえに色々仕掛けたよ。でも、俺は悪いとは思ってねー。愛情表現が、俺とおまえでは、すんげー異なるんだとは思うよ。でもさ、それ以前の問題でおまえは、冷たい。冷酷。不実だよ、凛。傷つくって言ったろ。真剣だった分、俺だっておまえに、何度も、傷つくって言った。おまえに言ったじゃん。それを、常識とか世間体という言葉を隠れ蓑にして無視してさ・・・。ま、今となっちゃどうでもいいけどな。こんな、人の気持ちもわかんねえでてめえのことばっかり考えてるヤツに惚れていた自分が、バカみてーだ。本気にならなくて良かったよ、凛。おまえさ。恋するつもりねえならば、薫のことも、もっとよく考えてやれ。じゃねえと、最終的には自分が傷ついて終わりだぜ・・・」
「!」
強張る凛の横顔を見つめながら、克巳はニッと笑った。
「あー。スッキリした。ってことで、これは友達からの忠告ってことで、腹の中に収めな。ま、判断するのは、おりこーさんな凛ちゃん自身だろうから、別にこんな助言もどーだっていいことなんだろうけど。俺だって、おまえがどーなろーともー知ったこっちゃねえけどな」
「・・・」
カランッ、と克巳の手から空いたビールの缶が転がり落ちた。
「帰るぜ。邪魔したな。これからみきさんと、おやすみ前のラブラブトークでもしよっと」
スイッと立ち上がって、克巳はジーンズの尻ポケットに突っ込んであった携帯をポンと指で弾いた。そして、克巳はガラッと窓ガラスを開けた。
「おやすみ、必勝」
いつものように鮮やかに、克巳はヒラッと、隣の自分の部屋のバルコニーに飛び移った。すぐにピシャンッと音がして、克巳の部屋の窓が閉まったことを知り、凛は慌てて振り返った。自分の部屋のカーテンが、風で僅かにそよいでいた。パッ、と克巳の部屋の電気が点いた。
「てめえのゴミぐれえ、てめえで持って帰れーっ!」
叫びながら、凛は空き缶を、バシッと窓ガラスに向かって投げつけては、窓に背を向けてその場にしゃがみこんだ。
「むちゃくちゃ好き勝手言いやがって・・・。偉そうに。エラソーに!なんだよ、なんだよ、ちきしょうッ」
だいたい克巳の言ったことは、ほとんどが自分勝手なことばかりだ。気にすることはない。気にすることは・・・。
そう思った途端、凛は、不意に涙が溢れた。
「確かに・・・。確かに、俺は・・・」
君津と黒藤の告白を、一度も真面目に考えたことはなかった。ただ、ひたすら逃げることばかりを考えていた。排除を考えていた。常識・世間体。それだけの為に。最初から、男同士、という禁忌が頭にあったので、真剣に考えるということを放棄していた。

『今しか出来ない恋をしなさい』

かつてのみきの言葉が思い出された。経験のなかった、恋心。今まで誰も、自分にそんな感情を持つきっかけを与えてはくれなかった。だが、皮肉にもそのきっかけをくれたのは、あの二人。二人だけだった。

凛は、フローリングの床をジッと見つめながら、考えていた。

禁断、人の目。そんな禁句ばかりが頭を回って、一度だって、真面目に考えたことはなかった。俺は、なんて冷酷なんだろう・・・と思った。克巳の言う通り、不実な人間だ・・・と思った。人が人へと伝える想い・・・。表現の仕方は千差万別で、思惑というものがそれぞれにあり、どれもすべてが真実かはわからない。けれど、少なくともあの二人は、何度も「真剣だ」「本気だ」という類の言葉を口にはしていたのだ。訴えてきていたのだ。それに対し、自分がとってきた態度は一体・・・。
「くそぉっ・・・。ちきしょう。俺が・・・。俺が悪かったのかよ・・・」
ぐしぐしと凛は涙を指で拭いながら、明かりの灯った克巳の部屋を振り返った。


明かりの灯った部屋で、克巳はベッドに寝転がりながら、ぼんやりと天井を眺めていた。
「はったりかまし過ぎたか、俺・・・」
思わず呟く。ムチャは承知と、凛に本音をぶつけた。これが、本当に最後だ・・・と思う。まったくのバカだったら救いようもあるが、凛は賢い。突きつけられた意見の強引さと身勝手さにさぞかし呆れていることではあると思う。でも・・・。それでも、やっぱり最後の足掻きはすべきだと克巳は思った。凛が本気で考えてくれたら・・・。本気で考え始めてくれたら・・・。俺か薫か。その前に・・・。この恋の本気を、凛は知らなければならないのだ・・・と克巳は思っていた。それに、どうせフラれるならば、決定的に嫌われたいという妙なプライドもある。
「んとにさ・・・。なーんであんな天然ドマジメに惚れたんか。俺と薫ってばよ・・・」
克巳は一人、天井に向かって愚痴った。

そして。その天然ドマジメは、皮肉なことにそのドマジメさ故に、今やっと・・・。
一人の部屋でぐしぐしと泣きながらも。改めて、自分に向けられた二人の気持ちと、真剣に向かい合う!という決断を導き出していた。

続く
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今ごろ、真剣って一体・・・。あと一ヶ月で3周年目〜(笑)終わらせます!ええ、きっと・・・(汗)

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