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最初にイリアスが部屋に運び込まれた。
アレンダが迅速に施した蘇生術は、イリアスの命を救った。
ミレンダが残した、パルフォスの毒の完成具合は70%だった。
残りの30%は、イリアスの肉体の再生能力に賭けるしかなかったのだが、イリアスの息は持続した。
彼は助かったのだ。
だが、正宮の一室に運び込まれたイリアスは、肉体が蘇生してもすぐに意識が戻ることはなかった。
あせらずに、ゆっくりと。
意識が体に戻ってくるのを、アレンダとルドル達アルフェータの騎士達は、イリアスの枕元に佇み見守ることしか出来なかった。


そこへ。カデナが運び込まれた。
彼の場合も、アスクルの手によって蘇生術が施され、間一髪で命をとりとめた。
だが、イリアスと同じく、カデナも意識を失ったままだった。
ルドル達と同じ気持ちで、エミール・アスクル・アルオースは、カデナに寄り添い部屋へと付き添ってきた。


「カデナ様!?」
ルドル達は、運び込まれてきたカデナを見ては、愕然とした。
アスクルとアルオースに事情を聞き、胸を撫で下ろす。
そして。驚愕は、エミールやアスクル達も同じだった。
カデナが横たえられたベッドのすぐ横には、傷ついたイリアスがいた。
「イリアス・・・」
アスクルが、先ほどまでの冷静さを欠くかのように、イリアスのベッドに走り寄った。
「生きてるのか!?」
ルドルはうなづいた。そして、ルドルも、イリアスに起った状況をアスクル達に説明した。
「我々では手の施しようがなかったところを、アレンダ様が救ってくださった・・・」
そう言って、ルドルがアレンダを振り返る。
その時。
エミールとアスクルは、すぐ側に佇む女性の存在に初めて気づいたのだった。
「母上!?」
エミールが叫んだ。
「これは・・・。一体・・・」
アスクルも、瞬きを繰り返しアレンダを見た。
アレンダは、エミールとアスクルを見つめた。
「は、母上ッ!」
エミールは、アレンダに向かって走って行っては、抱きついた。
「こんにちは」
アレンダは、ニッコリと微笑みながら、エミールを抱き締めた。
「貴方がエミールね。初めまして。私はアレンダ。貴方の母上の双子の妹よ。貴方に。私は、貴方に会いたかったわ・・・」
「アレンダ様・・・!?し、しかし、そのような話は聞いたことも・・・」
アスクルは、アレンダを見て、呟いた。
「私達は、ファーシナーの陰の部分。ファーシナーでは双子は忌み嫌われます。本来ならば殺されてしまうところを、私は故あって命をもらいました。けれど。陽の当たる場所に出ることを許されないでいました。
姉様が生んだ、私にとっても愛しい子に会うことすら許されないで、長い時を過ごしました」
「・・・」
エミールはアレンダを見上げていた。
「おわかりでしょう。貴方達がいらしたあの場所こそ、王家の恥部を封印する場所なのです。なんの為に生きているのかをずっと疑問に持ちながら、それでも命尽きぬ限り、私達は生きなければならなかった。
けれど・・・。無意味だと思っていたこの生も、誰かを救うことが出来たのだから、満更でもないですわね」
アレンダは、眠るイリアスを見つめては微笑んだ。そして、アレンダは腕の中のエミールを覗きこんだ。
「大丈夫よ。父上も、助かるわ。貴方の母上が、きっと、今頃天国では、大活躍よ。カデナ様を、こちらに戻す為に忙しく動いているわ」
ボロボロとエミールは、アレンダに縋って泣き出す。
「我は。一人ぼっちになってしまうと思った・・・」
泣きじゃくるエミールを、アレンダはギュッと抱き締めた。
「大丈夫よ。エミール。必ず彼等は、戻ってくるわ」
「母上」
目の前にいる女性が、決してミレンダではないことをエミールは知りつつも、残酷なほど亡き母に似ているアレンダにミレンダを重ね、エミールは母と呼ぶ。
「申し訳ありません。アレンダ様」
アスクルが、アレンダに向かって頭を下げた。
「いいのよ。私も・・・。こうやって姉上の子を抱き締めることをいつも夢見ていたのですもの。可哀相な子だわ。母を失い、そして父まで失いそうになったのだもの」
アスクルは、再び頭を下げた。そして、ハッとして顔を上げた。
「・・・イリアスを救ってくださったのは、王子と同じ耳飾りの解毒薬とか・・・」
「そうよ。あの飾りには覚えがあったの。姉上がお嫁に行く前に工房で作られていたわ。手作りなのよ。そして、ファーシナー中の薬師が作れなかったパルフォスの毒を解く薬までもね。
王子というお立場であったカデナ様を守られる為に、必死で調合されていたわ。偶然だけど、あの薬粉は、翠色なのよ。カデナ様の瞳の色だと喜んでいられたのを今でもよく覚えています」
「カデナ様も身につけられていたのですか。エミール王子と同じ耳飾りを」
「当然だと思うわ」
「偶然にあの場に落ちていた・・・と。そういうことですか」
「偶然だと思いますの?」
アレンダは、アスクルを見つめた。
アスクルは、フッと微笑んだ。
「けれど、それも、貴方があの場にいなければ、無用の長物になったことでしょう」
「それは貴方にも言えることでしょう。貴方がエミール王子の仕掛けを思い出さなければ、カデナ王子は命を落されたでしょう」
アスクルはふと宙に視線をさまよわせながら、呟いた。
「私は普段は神など信じませんが。こんな目に合うと、案外いるかもしれないと、うっかり思ってしまいますね・・・」
「私も神は信じませんわ。けれど、同感です」
アスクルはアレンダを振り返る。
二人は顔を見合わせ、笑った。

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「イリアス。イリアス」
「お父様」
誰かが呼ぶ声がする。
目の前には、広い一本の道。
そして、その道を囲むように満開の花畑。
おかしい。自分は傷ついて倒れた筈。剣に裂かれ、矢に射抜かれた。
それなのに、自分の体には傷1つなく、眩しい花畑を眺めている。
イリアスはハッとした。
これが噂に聞く黄泉路というものではないのだろうか・・・。
辺り一面に、こぼれるような陽の光が降り注ぎ、色とりどりの花が咲き乱れている。
確か、黄泉路には花が咲いていると、聞いたことがあった。
そうか。これがそうなのか。
俺は今、きわどい位置に立っているのだな・・・とイリアスは思いながら、それでも懐かしい声のする方に向かって歩いていく。
眩しく霞むような花畑の向こうにいるのは、その声でわかる。
ルナだ。そして、ダイアナも一緒だ。親子で、俺を呼んでいる。
きっと天使の代わりだ。
フラフラと誘われるように、イリアスは二人に向かって歩いていく。


我侭で美しい女。
その我侭に振り回されることすら、一種の快感のように思えた甘やかな日々だった。
子供まで産むような自分とは深い縁を持ちながら、その縁を断ち、恋心に従って逃げていった、素直な女。
それがルナだった。
憎んだ。でも、それ以上に、やはり愛した。
結局は憎み切れずに、想いは凍結した。
いつからか、カデナを愛し始めていたから。
貴方の言う通りかもしれない。
と、イリアスは、ふとカデナを想う。
重ねてなかった、とは言い切れない。
愛されきれなかった分、カデナにその愛を求めたのかもしれない。
似てて。ルナに、罪なぐらい似ていたから。
ルナに求めて得れなかった分を、カデナに求めていたのかもしれない。
私を。
私を、愛してください・・・と。

「イリアス。目を覚まして」
「お父様、こっちよ」
二人は、僅かに離れた場所でそう言いながら、クルリと踵を返して歩いていく。
声に、こだまがかかっている。
幻だと知りながら、イリアスは誘われるように、二人を追って歩いていく。
「お待ちください。ルナ様。ダイアナ」
「こっちへ来て、イリアス」
「お父様、早く。お母様と私のところに来て頂戴」
ルナが手招く。腕にはダイアナを抱いている。
決して、決して、現実では目にすることの叶わない『絵』だった。
二人が招く方向は、目の前に開けた道から、少しずれていた。
だが、ためらうことなく道を外れ、イリアスは歩を早めた。
あと少しで、幻のような二人に追い付く。
そう思った瞬間。イリアスは、なにかにつまづいて、倒れた。
「うわっ」
「カデナよ。また眠っているの。この子は、本当に眠るのが好き。暇さえあれば、眠っているの。貴方も知っているでしょ」
「カデナお兄ちゃまは、私とお昼寝するのが大好きなのよ」
花の咲いている大地に、カデナが無防備にその身を横たえ眠っている。
イリアスは、カデナにつまづいて転んだのだ。
カデナは、確かにダイアナと一緒によく眠っていた。彼いわく「眠っている時が1番幸せだ」そうだ。
「起こしてあげて。出ないとこの子は眠ったきりのままよ」
ルナの声に、イリアスは笑いながら、うなづいた。
「ダイアナは、カデナお兄ちゃまと遊びたいの」
「そうだな。カデナ様。起きましょう。何故、こんなところで眠っているのです?」
言いながら、イリアスはカデナの肩を揺すった。
「カデナ様。起きてください。ここがどこだかわかっているのですか?」
だがカデナは、ピクリともしない。
いつもなら、少し強く揺すれば、カデナは起き出す。
長い睫を震わせ、瞼の下に隠れた、強烈な光を放つ翠の瞳が開くというのに。
起きないカデナ。花の大地に眠るカデナ。
イリアスは、カデナの体に触れながら、ふと、ゾッとした。
何故だ?
迎えの天使が、ルナとダイアナに代わっている。それは、なんとなく理解る。
だが。どうして、ここにカデナが居るのだ。
なぜ、ここに!?
ふと、触れているカデナの体が冷たいことに気づいて、イリアスはますます不安を強くした。
「カデナ様!?カデナ様!!」
強く揺すっても、カデナの瞼は開くことがない。
それ以上に、カデナの体に触れている自分の指が、冷え冷えとしていくことに気づいて、イリアスは唇を噛んだ。
「まさか。まさか・・・。ルナ様!カデナ様が」
イリアスは顔を上げた。
だが。そこには、ルナもダイアナも、もういなかった。
誰もいない。
ただ、サラサラと風に花が揺れていた。
イリアスはカデナの上半身を抱き起こした。
サラリと腕から零れる金色の髪が、イリアスに許されたカデナの温もり、というか、感覚だった。
抱き起こした体は、冷え切っていった。
「何故・・。一体、どうして。・・・貴方を守る途中、私が先に力尽きたからか!」
そして、イリアスは思い出す。
かつて、カデナと交したやりとりを。
『イリアス。おまえはヘマしないでくれよ。俺は、これ以上傷を増やしたくないからな。この背の傷がバッテンになったら洒落にならん』
『大丈夫ですよ。私が死ぬときは、貴方も死ぬ時ですから。私を殺すことが出来るような強者には、貴方だって勝てないでしょ』
守ると約束したのに。
それなのに・・・。それなのに・・・。
イリアスは、冷たくなったカデナの体をギュッと抱き締めた。
「カデナ様。お許しください。不甲斐ない貴方の騎士であった俺を、どうぞお許しください」
開くことのないカデナの翠の瞳。冷たい体。
「なんて、ことだ・・・。ちくしょう」
瞳が震え、涙が溢れたことに、イリアスは気づいた。
決して同じ位置に立つことのなかった自分とカデナだが、最期の時だけが、ピタリと重なったようだった。
死の運命が、初めて自分達を、同じ位置に立たせたのだ。


「その方の心は、生きながら死んでいた。死んでいたも同然だったのです。ですが。今回はとうとうご自分で、本当に心を殺してしまわれた・・・」
突然、背後からの声に、イリアスは慌てて振り返った。
ミレンダがそこに立っていた。
繊細な光の空気に、まるで溶け込むように。
淡く、ユラユラと佇んでいる。
「貴方になら、おわかりでしょう。カデナ・ル・アルフェータとして生まれた自分を、その方が呪っていたことを」
「・・・」
「その名に惹かれ、その美貌に惹かれ、その地位に惹かれ。幾つもの国が、男や女が、争った。いわれのない非難を受け、その度に苦しみ、いつしか表情を殺し、感情を殺すことでしかやり過ごす
ことの出来なかったこの方の苦悩が。なにも感じていなかった訳じゃない。見えていなかったのではないのです。この方は、意識して無関心を装っていられたのです。貴方にはおわかりよね」
ミレンダは微笑んだ。ミレンダは生前のままの、美しい姿でそこにいる。
「ミレンダ様」
「私にならば出来ると思った。この方の表情や、感情を取り戻すことが。美しいその容姿には惹かれたことは間違いないし、彼を手に入れる為に小細工をしたことは認めます。
でも、私は心からあの方を愛していた。私は、地位や名誉の為にあの方が欲しかったのではないのです。私はファーシナーの王女として、地位や名誉はもう手にしていた。そうではなく。
純粋に彼が欲しかったのです。そして、幸い私にはチャンスがあったわ。けれど。運命は、私にその役目を許してはくださらなかった」
「ですが。貴方はエミール様という、カデナ様の喜びを、お生みになられた」
「そうね。それが、私に出来て、貴方には出来ないことだった。私の存在が、エミールという子を生み出すことが出来た」
「素晴らしいことだと思います」
「ええ。でも、そこまでよ。あとは、貴方です。私の役目は貴方に引き継がれたわ」
「しかし・・・」
自分には到底、出来ない。
ミレンダが望み、やろうとしたこと。したくても、出来ない。
カデナと・・・。心を通じ合わせることが・・・出来なかったのだ。
そして。今も。この黄泉路に旅立とうとしてる自分では。
イリアスは力なく首を振った。
「私は、カデナ様を苦しませることしか出来ない。私には無理です」
「イリアス様。カデナ様は、怖いのです」
「え?」
「人を愛し愛されるとが怖いのです。ほとんど無垢だと言っても良いのですわ。そうしてこないと、あの方は生きてはこれなかったのですから無理もないですが」
「怖い?」
「怖がっているのです。ご自分が人を愛するということを。愛されることを。ですから、あの方は、繰り返し繰り返し、貴方に問うのです。ルナ様を愛してるのだろう!?と。姉上と自分を重ねているのだろう!?と。
そうして貴方にそう思い込ませ、無理矢理自分も納得するのです。愛すなと言っているのです。自分を愛してくれるなと。それはどうしてかわかりますか?」
イリアスはミレンダをジッと見つめた。
寂しそうに、だが、はっきりとミレンダは微笑んだ。
「そうでないと、ご自分の心を押さえられないからですわ。そうでないと。ご自分も貴方を愛してしまうから。あの方は、もうとっくに気づいているのです。ご自分が、貴方を愛してることを。そして、
その事実に怖がっているのです」
ミレンダが指を差した。
「私はもう本当に行かねばなりません。やり遂げられなかったなかったことを、今度こそ貴方に託して。私こそが、あの場に行かねばならないのです」
遠方に霞む、この場より更なる眩しい光の溢れる空間。
ミレンダは、そこを指差したのだ。
たぶん。そこが、彼岸なのだ。
「さようなら。イリアス様。目覚めたら、この方にも、お伝えください。私は、もう二度と貴方を見ることは叶わない。いつしか。いつの時代か。また私と会ってくださいね・・・と。そして、イリアス様。
この方を幸せにしてあげてくださいね。貴方の運命は、カデナ様の運命。カデナ様の運命は、貴方の運命。私に代わり、この方をどうぞお守りください」
「ミレンダ様ッ!」
イリアスは、目の前で消えて行こうとするミレンダの名を叫んだ。
光の粒子に溶けていこうとするミレンダの姿。
「私の名を呼ぶよりも。カデナ様の名をお呼びください。あの方の肉体は滅びていない。ですが、心が。心が死んでしまったままなのです。取り戻さないと、体までも死んでしまうわ・・・」
ミレンダの声が頭の中にゆっくりと響いて、イリアスは腕の中のカデナを見つめた。
「カデナ様・・・」
小さく呼んで、イリアスは再びカデナを抱き締めた。
「カデナ様ッ」
名を叫ぶ。
そして・・・。
意識は覚醒する。
目の前の、光と花に溢れた景色が一転する。
光から闇へ。
落下するような感覚を体に受けながら、イリアスは冷静に自分を分析していた。
ああ。戻るのだ、と。戻っていくのだ、と。
黄泉路から、現世へ。
「イリアス」
名を呼ばれながら、イリアスはカッと目を見開いた。
最初に移ったのは、高い天井だった。
そして、自分を見下ろす人々。
ガバッとイリアスは起きあがった。
「イ、イリアス。傷が。大丈夫なのか?おまえ・・・」
アスクルの声だ。イリアスはうなづいた。
痛みは、感じなかった。イリアスは、起きあがった。
すぐ隣のベッドには、カデナが目を閉じたまま横たわっている。
「カデナ様」
イリアスは上掛を跳ねのけ、ベッドを降りた。
足取りは、不思議なくらい確かだった。
痛みは感じない。なにも感じない。
ただ、カデナの側に。
側に行きたい、という一心だった。
エミールが、カデナのベッドの脇の椅子に、ちょこんと腰掛けては項垂れていた。
「エミール様」
「イリアス」
不安気なエミールの瞳を受けて、イリアスはニコッと微笑んだ。
「大丈夫ですよ」
エミールの頭を撫でながら、イリアスはカデナの側に立った。
イリアスは、カデナの頬に指で触れた。
暖かい。
その暖かさに、心の底からホッとした。
生きている。
生きて、いるのだ。
あとは。死んでしまった心を取り戻す為に・・・。
黄泉路と現世の狭間の暗い所に。
カデナは、今だ留まり続ける。
「カデナ様」
イリアスは、グッとカデナの掌に自分の指を絡めた。
「カデナ様・・・」
そして、両手でカデナの掌を包みこむ。
「カデナ」
イリアスは、枕元でカデナの名を呼び続けた。


続く

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次で、一応終わります!

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