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この暗い闇の中。
カデナは、歩き続けた。どれだけ歩いただろうか。
疲れて、思わず立ち止まり、そしてその場に座りこむ。
思わず自分の体を自分で抱き締めた。
寒い。まるで、凍りつくかのようだった。たぶん、ここは黄泉路だろうと思った。
そして、静かだった。ただひたすらの静寂。
だが、その静けさは、カデナを癒していた。
急ぐことはない。ここには、もう誰も来ない。誰にも邪魔されずに、休むことが出来る。
煩わしい声が耳に入ることはない。聞きたくもない事実を聞かされることもない。
この静寂は、自分が望み手に入れたもの。
カデナはその場にうずくまり、自分の両膝に顔を埋めた。
『カデナ。ミズイアとリリドが喧嘩しているわ。貴方、一体なにをしたの?』
『母上。私はなにも・・・。ミズイアに、お菓子をあげたら、リリドが私も欲しいと言ったので、リリドにもあげたのです』
『だから言ったじゃないの、カデナ。あんたは、従姉妹だからって女の子に軽々しくものをあげてはいけないの。喧嘩しちゃうんだから』
『姉上。私は、二人に平等にお菓子をあげたのですよ。なのに何故喧嘩など』
『ばっかね。二人にあげるから、余計にややこしくなるんじゃないの』
『ルナ。貴方は黙っていなさい。カデナ。さあ、貴方は自分の部屋に戻りなさい。貴方がここに居ては、おさまる喧嘩もおさまらないわ』


『国王陛下。リスドラとエンビスにて戦争が勃発致しました』
『戦争!?よもやそれは、またカデナが原因か?』
『はい。カデナ様の花嫁候補として両国王女のお名があがり、それを意識されての諍いかと思われます』
『困ったものだ。一体何度こんなことが起これば気が済むのだ。カデナに罪はない。けれど・・・』


『ミレンダ様が亡くなられたのは、どうやら某国の王女の差し向けた刺客だったらしい』
『某国の王女って。もしや、カデナ様にお熱だと有名だった、あの方か?』
『確証はないらしいが、どうもそうらしいぞ』
『嫉妬で殺されてしまうなんて、なんて気の毒な皇太子妃様だ』
『それというのも、うちの王子様のあの美貌のせいだよな』
『けれど。人の命を奪うほどの美貌なんて、罪なだけだ』
『まったくだな。ただでさえ、我々騎士には仕事が多いのに。余計な仕事を増やしてくれるよ。あの王子様は』


静寂を突き破り、自分の頭にこだまする、数々の会話。

「うるさいっ。だまれっ」
カデナは自らに言い聞かせるように叫んだ。
ただ隣に座っていた従姉妹に、お菓子をあげることも。
花嫁候補として、父に薦められた他国の王女達と会うことだけでも。
結婚することも。
なにもかもが騒動になってしまう。1度だって、争いを望んだことはないというのに。
ならば。ならば・・・。好きにするがいい。
俺は、なにも決めない。なにも選ばない。
勝手に決めるがいい。
目が合って微笑むだけで罪と言わるのならば笑わない。
ただ見つめただけで誤解され争われるならばもう見つめない。
なにかの流れに身を乗せながら、漂うように生きていく。
意思などあったところで、邪魔なだけだ。俺の意思は、まっすぐに伝わることはない。いつも、どこかで、誰かに曲げられてしまうのだから。
愛などいらない。誰も愛さない。愛されない。
そうして生きていけば、誰も傷つけることはない。自分自身ですら。

『父上』
かすかに聞こえた声に、カデナはハッとした。だが辺りを見回しても、ただ闇が広がるばかりだ。
再びうつむいた。
ミレンダ。おまえのところに行こうと思う。1度行きそびれ、そして今度こそは。今度こそは。
おまえが言うように。
私だけを見、私だけをまっすぐに愛してくれたのはおまえだけ。知りながら、最後までその想いを受け入れることの出来なかったのは、自分の罪。その罪が、おまえを死へと追いやった。
償うことはできないかもしれないが、せめておまえに会って謝ろう。
向けられた愛に、応えてやれなかった自分を悔いよう。
全ては遅くても。それでも。それは、自分がやらねばならぬこと。
この果てなく暗い道を歩き切ったら、いつか、おまえに会いたいと思う。
カデナは立ちあがった。
自ら命を絶ったものに対する罪は大きい。許されることではない。
大いなる力によって生み出された命を、小さな自分の決断で処してしまう。
だから、俺には花咲く暖かな黄泉路が、許されない。罪を償い、そしてそれを終えたら、ミレンダ。おまえに会いに行こう。
『カデナ様』
また名を呼ばれた。カデナは、ピタリと立ち止まり、辺りを見回す。
だが、相変わらず誰もいない。
冷えた闇が、目の前にあるだけだ。
たった一人。いつまで続くかわからぬこの闇を、歩いていくのだ。何時間。何十時間。何百時間。気の遠くなるような時間を。
歩いて、歩いて。ひたすら、歩いて。顔を上げて、カデナは歩いた。
どれだけ歩いただろうか。
あまりの寒さに、カデナは立ち止まった。吐き気がこみあげてくるような寒さなど、かつて経験したことはなかった。暗い空間に、自分の吐く息だけが白い色として映る。
寒い。寒い・・・。ここは耐えられないくらい、寒い。
いっそ歩けなくなるくらい、この体が凍ってしまえばよいと思うのに・・・。
『カデナ様』
名を呼ばれる幻聴に、カデナはもう振りかえらない。振り返っても、誰もいない。さっきから、何度か経験している。
最初の声はエミール。そして、次は。次は・・・。
『カデナ様』
再び名を呼ばれる。強く。今度は、強く。
その瞬間、震えていたカデナの体が、フッと緩んだ。ガタガタと震えていた筈の体だが、爪先から熱が昇ってくるのがわかった。
暖かい。熱い。
カデナは振り返った。
「!」
ぱらぱら・・・。
ぱらぱら・・・と、白く小さな花が、どこまでも高く続いている闇の空から落ちてきた。
この花は。カーンスルー家の庭に咲く花。
その花が、まるで雪のように落ちてくる。いくつも。いくつも・・・。
カデナは目を細めた。
『私はこれで良いと思うのだが、ダイアナはこちらのがいいと申すのだ』
『あら、王子様。こっちの方がいっぱい花びらがあって豪華よ』
突然目の前に現れた、見覚えのない場面。
エミールとダイアナが、庭で花を摘んでいる。自分が立っているこの場にそぐわぬ、暖かく楽しそうな二人。
俺とミレンダの子、エミール。
姉上とイリアスの子、ダイアナ。
家族。俺の、家族。
その二人の後ろには、イリアスが佇んでいる。
『どうしてです。どうして、貴方はいつも、私に、それを言わせようとするのです。明らかに、貴方は仕掛けている。仕掛けることの意味はなんですか?』
イリアスは問う。
『教えていただかなければ、前には進めない。私は貴方を幸せにしたい。そして、自分も幸せになりたい。一緒じゃなければ、意味がないではないですか!』
エミールとダイアナの後ろにいるイリアスは、二人を見下ろしては微笑んでいる。
幸せそうだ。
そうだ。イリアスは、いつだってそうだった。
辛いことがあっても顔の奥に隠し、笑えるような男だった。
姉との恋を裂かれ、王宮を追われての辛い日々は、確かにイリアスの中に刻まれているのに。
ルナという存在をイリアスに意識させる度に、心のどこかで嘲笑し、心のどこかで嫉妬していた。
何故、愛せる。どうして、そこまで。たった一人の女を。
おまえのその愛し方は、きっと俺を幸せに出来るだろう。だが、俺は?俺はおまえを幸せに出来るのだろうか。
誰一人、まともに愛したことのない、この俺が。
再びイリアスを傷つける前に。そして、自分も傷つかないように。なにも始めてはならないと思った。
「!」
誰一人、まともに愛したことがない!?
嘘だ。愛したではないか。俺は知っている。知っていて、知らないふりをした。
愛されているをことを知っていた。それが、本当の意味での愛であることも。
また同じ過ちを繰り返すところだった。
それに応えず、また見過ごせば、俺はまた一つ罪を負う。
そこに事実があるのに知らぬふりをして、始めないことが既にもう、イリアスを傷つけていたのだ。
そして。自分も傷ついていたではないか。
カデナは、手を伸ばした。
霞むような、花畑に居る三人に向かって。
やがて、エミールとダイアナは消え、イリアス一人がそこに残る。
イリアスは、カデナに気づき、手を伸ばした。
そちらへ行きたい。そこへ行きたい。おまえの居る、その場所へ。
必死に手を伸ばした。
だが、こんな時に限り、先ほど望んだ願いが叶う。
体が凍りついて、動かない。
ザザザ・・・と風が鳴る音がして、一面の白い花が、イリアスの背の向こうで、風にさらわれて散って行く。
花弁は、風に舞って、空高く昇っていく。
そして、暖かそうなイリアスの居る向こう側には、ビシッと亀裂が入り、徐々に闇に侵されていく。
声が出ない。手は届く。もう少しで指先が・・・。
「!」
凍てついた体が、フワリと軽くなる。金縛りにあっていたかのような体の冷たさが熱に溶けてゆく。
カデナは瞬時に走り出す。
イリアスの指が、カデナの指と絡まりあい、そして、強く握られた。
『カデナ』
イリアスが、そう言った。
カデナは目を見開いた。見上げると、イリアスは嬉しそうに笑っていた。
闇の亀裂がピタリと納まり、再び穏やかな花畑に、カデナはイリアスと共に立っていた。
もうどこにも、あの冷たく暗い空間はなかった。
カデナはイリアスに支えられ、その暖かさを感じながら、初めて気づいた。
黄泉路では、ない。
俺が歩いていたのは、俺の心の中だったのだ・・・。
あの闇は、俺の心の闇だったのだ。

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「名を呼んだな?」
カデナは、突如として目を開くと、傍らのイリアスに向かって言った。
「カデナ様っ。意識が」
「聞こえたぞ・・・。エミール。そなたの声も」
カデナはイリアスから視線を外し、エミールを見た。
エミールは弾かれたように椅子から立ちあがり、枕元に駆け寄った。
イリアスは、カデナの手を握りしめながら、うなづいた。
「呼びましたよ。何度も。何度も・・・。私もエミール様も。何度も貴方の名を」
僅かに上擦った声で、イリアスはカデナの翠の瞳を覗きこみ言った。
「ありがとう」
カデナは微笑んだ。
「もう1度眠る。目覚めたら、おまえに言いたいことがある。覚悟して聞くんだな」
笑いながら、カデナは言った。
「貴方の言葉を聞けるならば、なにを言われても構いません」
「大袈裟な」
「貴方は1度死んだのですよ。アスクル達に聞きました。とぼけたことを言わないでください!」
「おまえだって危なかったじゃないか」
「そ、それは」
「うるさいことを言うな。俺は疲れた。もう1度眠る」
そう言ってカデナは瞼を閉じた。
「なにを呑気な。私だって、俺だって・・・!」
イリアスは叫んで、へなへなとカデナの枕元に倒れた。
「アスクル。イリアスがっ」
エミールがギョッとして、アスクルを振り返る。
「気が抜けたんだろうよ。ったく。こんな大男、誰がベッドまで運ぶんだよ」
「そなたが運べばよいだろう」
エミールは、フンッと鼻息荒く命じた。
やれやれとアスクルは肩を竦めては、苦笑する。
「ま、良かったですね。王子」
「うん」
勢いよくエミールはうなづいた。
そして、その場に居た誰もが、微笑みを交し合う。
アレンダが椅子から立ちあがり、窓を開けた。
フワリと、心地よい風が、部屋を流れていく。
その中には、花の香りも混ざっている。
「そろそろ、部屋を出ましょうか。お二人はもう大丈夫。あとは医師に任せましょう」
アレンダの言葉に、皆うなづいた。
エミールは、ととと・・・と、アレンダの側へ駆け寄ると、手を伸ばした。
「アレンダおばうえ。参りましょう」
「ええ」
アレンダはニッコリと微笑んで、小さなエミールの指に自分の指を絡めて、手を繋ぎ部屋を出て行った。
再び眠りについたイリアスとカデナのベッドの上には、ファーシナーの陽光が降り注いでいた。

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物見の塔。ファーシナー自慢の、展望塔である。
カデナはここがお気に入りで、最近はよく来ていた。
「カデナ様はこちらか?」
「はい」
塔の入口に立つ、ファーシナーの騎士とアルフェータの騎士両方の見張りにイリアスは聞くと、二人は同時にうなづいた。
「イリアス様、お怪我が・・・」
アルフェータの騎士が、イリアスの姿を見て、顔を顰めた。
イリアスは相変わらず体中に包帯を巻いていた。
「塔までは、階段を昇らねばなりません。そのお体では」
「いいのだ。いつまでもベッドに寝ていると、体がなまってしまう。いい運動になる」
そう言って、騎士の心配を余所に、イリアスは塔の階段を昇っていった。
当然かもしれないが、外傷のなかったカデナの方が治癒は早かった。2日前からカデナは既に起きあがっていた。
事件を聞いて、アルフェータ国王は早急にエミール王子の帰国を要請し、アスクルとエミールは先に帰途についていた。
そして、カデナとイリアスは無論療養の為に、と数人の騎士は護衛として、いまだファーシナーに留まっていた。
一連の事件の犯人であるマリアは、国王の愛人を解かれ、罪人としてファーシナーの王家の独房に拘留中だった。彼女に忠実であった騎士達も、同じ運命を辿った。
そして、北の塔は開放され、アレンダは今や正王宮に、王女として住んでいる。
塔の上は、風が強かった。
イリアスは辺りを見回すと、カデナは、塔の隅にある石段に腰かけて、ぼんやりと景色を眺めていた。
いつもは束ねている金色の髪だったが、今日は束ねずに、その長い髪が風に無造作に揺れていた。
「カデナ様」
声をかけると、はじめて人の気配に気づいたように、カデナが振り返った。
「ああ。起きあがれるようになったのか」
「はい。おかげ様で」
「俺はなにもしてないぞ」
「また・・・。すぐそういうことを」
やれやれとイリアスは肩を竦めながら、カデナの側へと歩いていく。
「おまえの回復能力が早いだけだぞ」
「はいはい。ところで。北の塔の開放をゲンスイ国王にご依頼したのはカデナ様だとか?」
「俺は、父上に頼んだだけだ。長きに渡る悪習を、俺ごときが言ったところでゲンスイ国王が聞く筈もなかろう。だが、今回のことで、ファーシナー王家は、アルフェータに貸しが出来た。
だから、だ。父上に頼み、ゲンスイ殿に命じてもらった」
「アレンダ様・・・。嬉しそうでしたよ。これでなんの隔てもなくご家族と一緒に暮らすことが出来るのですからね」
「彼女には、礼を言えばそれで済むという問題ではないくらいの、恩があるからな」
「そうですね。それを言うならば、私です」
「私もですって。おまえのことを俺は言ったつもりだが」
飽きれたようにカデナが言った。
「は?私の?」
イリアスは、キョトンとした。
「彼女はおまえを助けてくれた。俺が助けられたのではない」
「え。あ。そ、そうですが・・・」
それをカデナが、礼を言えば済む問題ではないぐらいの恩と、きっぱり言うのだ。
イリアスは、嬉しいような照れくさいような。とにかく、カアッと顔を赤くした。
カデナは、そんなイリアスを横目で見ては、クスッと笑った。
片膝を立てて、カデナは、イリアスを見上げていた。
「彼女が助けたのは、おまえだ。だからだろう。俺を助けたのは、エミールとアスクルだ。エミールには好物の飴など今度進呈してやろう。まあ、アスクルには後ほど、ちゃんと御礼をしておく。
父上に、ルナ姉上と早く結婚させてくれるようにとかな」
「そ、それは・・・」
ハハハとイリアスは苦笑する。
『礼にはならんと思うがな。逆に怨まれるかも』
と、内心思うイリアスであった。
「いやか?おまえ」
「え?」
「アスクルと姉上が結婚すること」
カデナは乱れた前髪を掻きあげながら、言った。
「・・・またですか。今は、その話はいいですよ。それより、私に言いたいことがあると言ってませんでしたか?なんでも聞くから、そっちをどうぞ」
どうせいつかはぶつからなければいけない問題だが、今、この場でわざわざする話でもないとイリアスは思った。
何故ならば、ファーシナーの美しい景色を見渡せる、涼やかなこの場所で、喧嘩などしても楽しくない。
イリアスはそう思っていた。そんな話より、よくはわからないが、カデナの言いたいことを聞いた方がマシな気がした。
それもまあ、どうせろくなことではなさそうだが・・・。
風は、あまりに優しく暖かく、見渡す景色は山が高く、川が青く、緑が濃い。
「そうだな。もうしないことにしよう。どうせ、おまえは姉上のことなど考えている暇などなくなる。で。おまえに言いたいことがあると言うのは、今言ってやるから、もっと側に来い」
「は、はい」
もう既にすぐ脇に立っていたのに、カデナはもっと側に来いというのだ。
イリアスは、その通りにした。
カデナは、石段を立ちあがった。だが、彼の体は石段から降りることはなかった。
一段カデナが高いところに立つだけで、脇に佇むイリアスと、同じくらいの目線になる。
「カデナ様!?」
至近距離で、カデナの翠の瞳に見つめられ、イリアスは更に顔を赤くした。心拍数も一気に跳ねあがっている。
「忘れろ」
「は?」
「姉上なんか忘れろ。おまえには、俺だけでいい」
「・・・え?」
「おまえを愛してやる」
「ええっ!?」
「おまえだけを、愛してやる」
「!」
「だから、おまえも。これからは俺だけを愛せ」
「・・・」
「俺だけを、愛せ」
そう言って、カデナはイリアスの唇に、唇を重ねた。
「!」
唇が離れ、呆然としているイリアスに、再びカデナが口付けた。
イリアスは、カデナの唇を受けながら、その体を抱き締めた。強く、強く、抱き締めた。
再び離れた唇に、今度はイリアスからカデナに口付けた。
抱き締められる力に、イリアスの言おうとしている言葉を感じ取り、カデナはイリアスの背に腕を回して、しっかりとその体を抱き締めた。


END


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