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「エミール王子。大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫ではなーいッ」
結局、トイレには間に合わなかったエミールであった。
「も、もれる〜」
と、背に背負ったエミールが物騒な叫びをあげたので、アスクルは慌てて庭園のそこらの草叢に飛び込んだ。
そして・・・。
同じく供をしていたアルオースと二人で、周囲をこそこそと見渡しながら、エミールが草叢から出てくるのを待っていた。
アルフェータの王子が、草叢で用を足していたなどと、ファーシナー人にバレたら、大変な不名誉である。
エミールの未来の為にも、事態が露見しないよう、周囲に気を配らねばならなかった。
「王子。まだですか?」
「も、もうすぐだ」
「とっととしてください。早くしないと誰が来るかわかりませんよ」
「あ、あせらすな」
ウッウッとエミールは不名誉な事実に泣いているようだった。
アスクルは、アルオースと顔を見合わせて笑った。
しかし、これで当分はエミールをおとなしくさせておけるネタを握れた、と心密かに楽しんでいたアスクルだった。
アルオースがパーティー会場を気にして何度もそちらを振り返る。
なので、アスクルは、池の方に目をやった。
フッ、と池の斜め向こうに、人影が走った。大柄な影だった。
「!?」
そして、池に浮かべたキャンドルの灯火を受けて、チカッと光った金色の光。
「あれは・・・。カデナ様!?」
ハッとアスクルは、目をこらした。
金色の光は、すごい早さで池の向こう側を移動していた。
「・・・」
池の向こう側の深い森の奥には、鈍い胴の色を持つ塔が見えた。
アスクルは、ザッと草叢を掻き分けた。
「エミール王子。ちょっと失礼致します」
「な、なに?」
エミールは用を済ませて、ちょうどズボンを履こうとしていたところだった。
「奇妙な人影を発見致しました。おつきあいくださいませ」
「なんだと?我はまだズボンを」
「いいから」
ヒョイッとエミールを肩に担ぎ上げ、アスクルは走り出した。
「アルオース殿。会場でカデナ様の姿を探してください」
「え?」
「不審な影を発見したので、追跡する」
「なんですと」
アルオースは、少し離れたところにいた部下に、会場のカデナを探せと命令して、自分もアスクルのあとを追った。
「どういうことですかっ」
ガサガサと草叢を掻き分け、アスクルとアルオースは走った。
「カデナ様だったような気がする。あの池の向こうに」
「何故カデナ様が」
「わからぬ」
「ちょっと待て。我にズボンを履かせろっ」
「ああ、それは後ほど。可愛いですよ。お尻」
「アホぬかせーっ。こ、こんな姿を誰かに見られたら我は死ぬぞ〜」
「騒がないでください。もしかしたら、お父上の危機です」
「なんだと!?」
エミールはピタリと騒ぐのを止めた。
「し、しかしカデナ様にはイリアス様が」
アルオースの言葉に、アスクルはハッとした。
「・・・まずいな」
「え?」
「嫌な予感がする・・・」
アスクルは、厳しい表情で前方を見つめた。


「ゴウダ。池に誰か落ちたわ」
池を見つめながら、アレンダは言った。
「助けて頂戴」
「畏まりました」
ゴウダは、2メートル以上の巨体を揺すりながら、池に向かって行く。
「気をつけて」
「はい」
ごぼごぼと不気味な音をたてて、池が騒いでいた。
レンカが、益々の輝きを放ち、生贄を喜んでいるようだった。
幸いなことに、湖に落ちた人間は、大振りなレンカの花の上に乗ったままになっていた。
「むうっ」
ゴウダは、長い腕を伸ばした。
ブチブチと派手な音が立てて、花ごとこちらへと引き寄せる。
巨体を誇るゴウダも、自然の池の力にはかなり苦労した。
「無理ならば、捨て置きなさい」
アレンダは池の脇に佇み、静かに言った。
「い、いえ。大丈夫でございます」
ゴウダは、フンッと全身に力をこめて、沈みゆこうとする花を岸へと引っこ抜いた。
ザバアッと、池の水を大量に全身に纏わりつかせながら、イリアスは池から救出された。
「衣装からすると、アルフェータの騎士ですな」
ゴウダは、ゼエゼエと息を荒げながら、アレンだに向かって言った。
「ひどい傷だ。アレンダ様、これはもう・・・」
アレンダは首を振った。
「ゴウダ。赤の軍神達がいつ戻ってくるかわかりません。この人をあの繁みの向こうに、連れていって」
うなづくと、ゴウダはイリアスを抱えて、歩き出す。
ドサリと、大地に横たえられたイリアスからは、血の匂いが立ちのぼった。
しかし、そのイリアスを目の前にしても、アレンダは顔色1つ変えなかった。
「運のいい人ね。薬草摘みに来ていた私に拾われるなんて・・・」
ゴウダは、イリアスから目を反らした。全身を血で染めるイリアスを、彼は直視できなかったのだ。
「ウルゼだったわ。よくはわからないけど、なにかの陰謀ね。それとカデナ様・・・。ゴウダ。私が許しますから、騎士長のジーラを探して緊急事態を告げなさい。アルフェータの客人がさらわれたわ。
わかるわね。カデナ様よ」
コクリとゴウダは、うなづいた。
「わかりました」
「気をつけていきなさい。私はここにいるわ」
「すぐに行ってきます」
ゴウダは、巨体を揺すっては、パーティー会場の方へと向かって走り出した。
アレンダは、肩に引っかけていたショールを引っ張りながら、大地に横たえた瀕死のイリアスを見下ろした。
手際よく、近くに置いておいたバスケットの中から、薬草を取り出す。
「ひどい傷。でも生きている・・・。強い男だわ」
手当をしようと腕を伸ばして、アレンダはギョッとした。
男がカッと目を見開いたからだ。
「カ、カデナ様・・・。お守りせねば・・・。この命に代えても・・・カデナ様」
男は宙に向かって手を伸ばしては、ゴフッと血を吐いた。
「・・・」
アレンダは、ドレスの裾を破り包帯代わりにしては、イリアスの傷を治療していく。
傷口には、薬草をきちんと塗り込んでいく。
血で濡れてしまう手を構わずに、アレンダの処置は適切だった。
だが、そんな彼女のこめかみから、スルッと汗が落ちた。
ピクリと、手が止まる。
「パルフォスの毒」
イリアスの肩から流れる血の匂いに、アレンダは目を伏せた。
「なんてこと。せっかく助けたというのに。これ以上は、もう」
アレンダのバスケットの中の薬草は、パルフォスの毒を解く成分を含んだものはなかった。
「無駄ね」
アレンダは溜め息をつきながら、イリアスの隣に腰かけた。
見上げると、月は雲に隠れていた。


パーティ会場は、途端に大騒ぎになった。
ジーラは、ゴウダからの連絡を受けて、ただちに騎士達へ伝達した。
「カデナ様を探せ」と。
アルフェータの騎士達も、事態に気づき、バタバタと動き出した。
「エミール王子も、だ。王子もいらっしゃらぬ」
ルドルは悲鳴を上げた。
「ジーラ殿。我等の王子もいらっしゃらぬ」
さすがにジーラは、一瞬気を失いかけたが、立ち直った。
「マリク王子に伝達を。王宮の非常事態体制を取ることに、了承をもらって来い」
部下に命令すると、ジーラはゴウダの導きによって、リンカの池に走って行った。
ファーシナーのパーティー会場は、アッと言う間に大混乱となった。


「北の塔・・・」
アルオースが、その不気味な雰囲気の塔を見上げて、苦々しく呟いた。
「たぶん、ここに逃げ込んできたんだろう」
「ここは・・・。さきほど案内されなかった。中がどうなっているかなどわかりませんな」
「は。怪しいと思っていたんだよな。この塔。ジーラ殿に聞いたが、あまり詳しくは説明してくれなかったがな」
アスクルは、厳しい表情で言った。
「?」
「どこの王宮にもあるだろう。臭いものには蓋をしろってところさ」
「なるほど」
アルオースはうなづいた。
「他国にゃ説明出来ない、深い事情がここには詰まってるのさ」
「本当にカデナ様がいるのでしょうか」
「間違ってりゃそれに越したことはない」
「間違っていれば、我等は不法侵入で、罰されます」
青褪めながら、アルオースはアスクルを見た。
「そなたら、なにを言っておる。父上が危ないのであろう。さっさと行け」
ギュウウウとエミールはアスクルの髪を引っ張った。
「いててっ」
「我が許す。我はファーシナー人でもあるのだぞ。早くゆけ」
「そうだった。では、遠慮なく」
アスクルは、バンッと北の塔のドアを開けた。
見張りの騎士達が、慌てて駆けよってくる。
「邪魔する者は斬る。おとなしく、ここを通せ」
アスクルはエミール片手に、もう片方の手で剣を抜いた。
「なにを言う。ここはファーシナーだ。勝手なことは許されませんぞ」
騎士達も剣を抜いた。
「黙れ。我はエミール・ル・アルフェータだ。母は、この国の王女であったミレンダだ。そなたら、まさか我がわからぬとは申すまいな」
エミールの声に、ファーシナーの騎士達は、グッと黙りこんだ。
「その我がここを通りたいと申すのだ。おとなしく通せっ」
エミールが叫んだ。
騎士達は、無言で剣を収めた。
「こんな台詞を言うのに、尻ぐらい隠させてくれても良いだろう」
エミールは真っ赤になって叫んだ。
「尻ならば、父上の無事を確かめてから幾らでも隠してください」
「うぬ〜。アスクル、そなたっ」
エミールを無視し、アスクルは冷たい瞳で、騎士達を一瞥した。
「では、失礼」
アスクルは、動きの止まってしまった騎士達の横をすり抜けて行った。
「カデナ様は、どこへ連れていかれた」
アルオースが、騎士の一人に詰め寄った。
騎士は、バッとアルオースの腕を振り払った。
「案内しろっ」
だが、騎士達は、いきなり外へ飛び出して行ってしまった。
「ちっ。喋るつもりはねえってことか」
「アスクル殿。二手に別れましょう」
「いや、ダメだ。エミール王子が一緒だ。いざという時に、俺一人ではまずい。効率は悪いが、アルオース殿。そなたも」
「そ、そうですな」
「任せろ。俺は、雪王宮の責任者だぞ。こういう王宮の作りは、どこも一緒だ。きなくさいところなど、すぐにわかる」
「そ、そうですか。期待しておりますぞ」
フッとアスクルは笑って、エミールを覗きこんだ。
「王子もご協力を。ヤバいことをする時に、どんな所に隠れるか、ね」
アスクルは、ニッコリと微笑んだ。
「うっ・・・」
エミールは、タジッとなりアスクルの背中を脚で蹴っ飛ばした。


ゴウダが、ジーラを連れて戻ってきた。
「イリアス様っ」
目の前のイリアスの様子に、部下・ルドルは、悲鳴を上げた。
「そ、それにミレンダ様・・・!?こ、これは一体」
イリアスに付き添う女性は、どう見てもミレンダ王女だった。
かつて王宮で、カデナと連れ立っていたところを、ルドルは勿論何度も見かけていた。
ジーラは溜め息をついた。
「こらちは、アレンダ王女である。ミレンダ王女の双子の妹様であられる。事情があって、皆様にはお会いできぬことになっているのです」
「・・・」
ルドルは、目を見開いた。
すると、アレンダは立ちあがった。
「初めまして、アルフェータの騎士の方々。お聞きしたいことがあるのよ。こちらの方は?」
アレンダはイリアスを指差した。
「イリアス・ヴァン・カーンスルー様です。アルフェータの騎士長でありまして、カデナ元王子の現在の夫であります」
ルドルは、早口に説明した。
「カデナ様の。そう。ミレンダお姉様のあと、この方とカデナ様はご結婚されたのね」
アレンダはうなづいた。
「気の毒ですが、こちらの方はもう無理です。パルフォスの毒にやられているのです」
アレンダの説明に、ジーラは眉を寄せた。
「アレンダ様。パルフォスの毒ですと・・・?」
「ええ。そうよ。貴方もご存知の通り、この毒には解毒薬がないのよ。今は息をしていても、あと少しでその息も絶えてしまうでしょう」
ジーラは目を伏せた。
「そ、そんな・・・」
ルドルは、驚愕のあまり、持っていた剣をポトリと落した。背後の部下達も、皆、驚きのあまり言葉も出ない様子だった。
「な、なんとかならないのでしょうか。イリアス様は、アルフェータにとって大事な方でございます」
ルドルは、ジーラに詰め寄った。
が、ジーラは、唇を噛み締めては、弱々しく首を振った。
その様子に、ルドルは絶望しながら、今度はアレンダを振り返った。
アレンダは、ルドルの縋るような視線から、目を反らしてはジーラを見た。
「ジーラ。どうなっているかはわかりませんが、この企てには、ウルゼが噛んでます。カデナ様はウルゼにさらわれていきました」
「というと・・」
「マリアも噛んでいると思うわ。そういえば、北の塔でマリアを見かけたことがあるわ。あの娘は、ミレンダお姉様の研究室をこそこそとあさっていたことがありますし」
アレンダの言葉に、ジーラはブルブルと拳を震わせた。
「目的はカデナ様ってところかしらね」
「ああ、マリア様。なんということを・・・」
ジーラは目頭を押さえながら、うめいた。
「北の塔へ向かえ。カデナ様だけでも、なんとかご無事に救出するのだ」
ジーラの指示に、ルドルはハッとした。
「だけでもって。イリアス様はどうなるのです」
ルドルは、ジーラに向かって叫んだ。
「お願いです。イリアス様を助けてください。国には、イリアス様のお帰りを待つ、お子さまがいるのです。このようなこと、説明出来ません」
ルドルはジーラに縋り付いた。
「ルドル殿。パルフォスの毒は、絶対なのです。お気の毒ですが・・・」
「そ、そんな・・・」
ルドルと、部下達は、目の前が真っ暗になるような不安と絶望を浮かべた目で、イリアスを振り返った。
「イリアス様をすぐに、医務室に運べ。医師団を呼んで早急に手当てを。残りの者は、北の塔へ行き、カデナ様を救出するのだ」
ジーラの指示に、ファーシナーの騎士達は機敏だったが、アルフェータの騎士達は、誰一人動けずにいた。
受け入れがたい状況に放心していた彼らだったが、ルドルがゆっくりと顔を上げた。
「半分はカデナ様救出へ。半分は私と共にイリアス様につきそうのだ」
ルドルの命令に、騎士達はハッとして、ジーラの後についていく。
残りの数人が、その場に留まった。既に泣き出している者もいた。
涙すら出ずに、瞬きすることも忘れて、ルドルは、横たわるイリアスを見つめていた。
アレンダは、一瞬ルドルを見ては、なにか言いたげに口を開きかけたが、止めた。
「ゴウダ。彼を運びなさい」
アレンダの命令に素直にうなづき、ゴウダはイリアスを再び抱き上げた。
「私がついて行きましょう。役に立たぬかもしれませんが・・・」
「ありがとうございます。アレンダ様」
我に返り、ルドルは深々と頭を下げた。
「辛いでしょうが、貴方がたも、この方の最期を見届けてあげてください」
アレンダは毅然として言った。ルドル達は、その言葉に頷いた。
「正宮にいくわよ、ゴウダ。向かって」
「はい」
アレンダは、再びレンカの池に向かって歩き出した。
ルドル達は、無言でその後をついて、とぼとぼと歩き出した。


「アスクル殿。我等はどこに向かって走っているのでしょう」
「知るか」
「その割には、むちゃくちゃはっきりと、どこかに向かって走ってる感じがするのは気のせいでしょうか?」
「アルオース。アスクルの勘は、ものすごいのだ。我は、いつも、どこへ隠れても必ず見つけられてしまうのだ」
エミールは呑気にそう言った。
「かくれんぼをしてるのではございません」
泣きそうな声でアルオースは言った。
「王子の言う通りだ。俺は、こういうことには、やたらと敏感でな」
「さすがは、雪王宮の管理者でございますーーーッ」
やけ気味になって、アルオースは叫んだ。
ダダダと、アスクルは、金の髪を翻しては、迷いもなく初めて足を踏みいれた北の塔の廊下を、走っていた。
幾つものの別れ道、階段。ありとあらゆる分岐を、ほとんど迷うことなく選んでは、走って行く。
不思議なことに、この塔には、ほとんど人の気配がなかった。
その時だった。
悲鳴があがった。
「!」
アスクルとアルオースは、立ち止まった。
「今、悲鳴が」
「ああ。突き当たりの廊下だ」
二人は走った。そして、バッと目の前に広がった廊下には、今まで誰一人擦れ違うことのなかったファーシナー人達がいた。
侍女らしき若い女達。騎士達がいる。皆、廊下の突き当たりの部屋に向かって走っていた。
アスクル達に、目を向けずに走って行く。
「アスクル殿。奥の部屋でなにか・・・」
「うむ」
彼等に追い付き、紛れては、開け放たれた部屋の中を、アスクル達は覗きこんだ。
その光景に、3人は目を見開いた。
「カ、カデナ様ッ!!!」
「ちちうえっ」
アスクルは、エミールを肩から下ろして、部屋に踏み込んだ。
ベッドの上では、マリアが泣き喚いている。
彼女つきの騎士、ウルゼは、必死の形相でカデナに覆い被さっていた。
「なにをしている。退けっ」
アスクルは、ウルゼを突き飛ばした。
「ど、毒を。カデナ様は、毒を飲まれたッ」
「な、なんだと」
アスクルは、ベッドの上に倒れたカデナを見下ろした。
瞼は落ち、顔色は真っ青だった。
「呼吸は」
「ある。けれど・・・」
アスクルは、身につけていたベルトに細工しておいた解毒薬を取りだし、ウルゼからグラスをひったくりカデナに口移しして飲ませた。
だが、カデナからの反応はない。
「カデナ様ッ。カデナ様、目を開けてくださいっ」
アスクルは、叫んだ。
「ち、父上。父上〜!!」
びぇええ〜とエミールは、泣き出した。
「父上、父上。目を開けてください。父上〜」
カデナに駆け寄り、エミールは、えぐえぐと泣いていた。
「王子。大丈夫です。大丈夫ですから」
アルオースは、アスクルとカデナを見つめながら、震える手でエミールを抱き締めた。
「イヤだ。父上、死なないでっ」
アスクルは、再度解毒薬をカデナに飲ませた。
「死なせて、たまるか。死なせてたまるかっ」
何度もそう呟いて、アスクルはカデナの蘇生を試みた。
だが、手を尽くしても、カデナの意識は戻らない。
「ダメか。この薬では、ダメなのか」
アスクルのこめかみに、冷たい汗が流れた。
カデナの体はどんどん冷たくなっていく。
アスクルの脳裏に、イリアスが過った。
「・・イリアス・・・」
クッとアスクルは、唇を噛んだ。
「ダメだ。もう・・・」
「あ、アスクル殿。そ、そんな」
アルオースが、呆然と呟いた。
「いやだっ。ア、アスクル。ち、父上を、助けて。お願い」
ボトボトと涙を零して、エミールはアスクルを見つめた。
「アスクルゥ。父上を助けてよ。お願い」
アスクルは、エミールを見つめた。
「王子。エミール王子・・・」
絶望を込めた目で、アスクルはエミールをジッと見た。
「!」
アスクルは、思い出した。
かつて、ミレンダ王女に託された、エミールの護符を。
「王子。こちらへ」
アスクルは、エミールを手招いた。
「早く、こちらへ」
エミールは泣きながら、アスクルの側に駆け寄った。
エミールの耳に下がる、母ミレンダからの贈り物。
『エミールの身になにかがあったら、これを使ってください。アスクル』
それは、対になるもの。
右耳には、毒が。左耳には解毒薬。白い方が毒。左には翠の解毒薬。
「間違ってはいない。左耳だ。翠!」
アスクルはそう言って、エミールの左耳から飾りを外した。
「アスクル。それは?」
エミールの問いに、アスクルは無言で微笑んで見せた。
アスクルは、取り出した翠の解毒薬をカデナに飲ませた。
「カデナ様。目を開けてください。こちらへ戻ってくるのです。戻りなさい、カデナ様。イリアスが、貴方を待っている」
アスクルの必死の叫びが部屋に響いた。


アレンダは、ゆっくりと正王宮に向かって歩いていた。
その後ろには、イリアスを抱いたゴウダと、アルフェータの騎士達。
池には、レンカの花達が、なにごともなかったかのように、遠い向こうで煌いては咲いていた。
それは、こちら側には届かない光、なんだか彼岸の光のようにさえ見えたルドル達だった。

そして。ゆっくりと。
ゆっくりと。雲に隠れていた、
月が現れる・・・。

悲しみと絶望の空気の中を、切り裂くように歩いている彼等を、月の光が照らし出す。
アレンダは、ふと、目を細めた。
「!?」
前方の大地に転がるなにかに、月の光が降り注ぎ、反射し輝いたのだ。
屈んで、アレンダはその輝きを拾い上げた。
「まさか、これは・・・」
アレンダが拾い上げたのは、耳の装身具だった。
だが。アレンダにとって、それは見覚えのあるものだった。仕掛けを解くと、そこには翠の粉末が現れた。
「!」
アレンダは振り返った。
「助けられる」
アレンダは叫んだ。
「彼を降ろして。ゴウダ、彼を大地に降ろしなさい。助かるわ。彼は、助かる・・・!」


月が照らし、輝かせたもの。
それは、カデナが自ら落していった、左耳の装身具だった。
アレンダは知っていた。
翠の粉。パルフォスの毒を解く、唯一の解毒薬。
姉ミレンダが、やっとの思いで作り上げたこの翠の粉の存在を、たった一人、アレンダだけが知っていたのだった。

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モドル