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アフッと、カデナは既にもう何百回目かの欠伸をもらした。
「カデナ様。もうそろそろ退屈な時間になられましたか?」
ルージィンがコソリとカデナの耳元に囁いた。
「なにを今更。最初から退屈に決まっている」
キッパリとカデナは言ってのけた。
「なんと。相変わらず率直なご意見。素敵です」
ウットリと微笑むルージィンを、カデナはギロリと睨んだ。
「いつも思うのだが、おまえの頭は相当に目出度いな。年がら年中花が咲いているようだ」
「ええ。貴方様という美しい花が、いつでも私の頭の中に咲いています」
「・・・」
カデナは、ルージィンを無視した。そんなカデナを見つめつつ、ルージィンは、辺りを見回した。
「広間からだいぶ人も減ってきました。皆、それぞれの場所で愛を確かめ合っているのでしょう。今宵、私の屋敷は愛の花園。素晴らしいことです。さあ、私達も、禁断の花園に旅立ちましょう」
ルージィンは、スッと、カデナの掌に自分の掌を重ねた。ピクッと、カデナの掌が動いたものの、振り払うことはなかった。
「モニカ」
カデナはモニカの名を呼んだ。
「はい」
近くで、ご婦人方と談笑していたモニカが、カデナの声に気づいて、こちらに向かって走ってきた。
「お帰りですか?カデナ様。すみません。話に夢中になっていて、気づくのが遅れました」
「いや。私はこれからルージィンの部屋に行く。積もる話もあるからな。だからそなたは適当なところで帰ってよいと言うつもりであった」
「え、ええっ!?私はお待ち申し上げております」
ビックリして、モニカはカデナを見上げた。
「いや。先に帰れ」
「で、ですが、カデナ様。私はイリアス様にカデナ様を頼まれましたし、それにイリアス様がお帰りを待ちわびて」
あわてふためくモニカの前に、殺気を背負ったルージィンが立ちはだかった。
「人の恋路を邪魔する者は、馬に蹴られるぞ。蹴り倒されたいか?可愛いお嬢さん」
ニッコリと微笑みながら、物騒な台詞を吐くルージィンに、モニカは唖然とした。
「カデナ様・・・」
不安気なモニカの視線を受けながら、カデナはニッコリと微笑んだ。
「案ずることはない。そなたは、なにも、な」
「そういうことだ。では、失礼、お嬢さん。イリアスにくれぐれもよろしく」
ルージィンはカデナの肩に腕を回して、広間をゆっくりと横切っていった。
「え、ええ!?な、なによ。これって、どういうことなのよ〜!」
モニカは、訳がわからなくて、人目を気にすることも忘れて、その場で思わず叫んでいた。


その頃。イマジュール家本宅の正門では、小さな騒ぎが起きていた。
「アスクル様。貴方様は、今日のパーティーには出席が禁じられています。よって、お通しすることが出来ません」
「やかましい。さっさと通さないか」
門番と、アスクルがもめていたのだ。
「いけません。絶対に通す訳にはいきません。ええ、絶対です。嵐が来ようと、空から霰が落ちてきようとも」
キリリと一人の若い門番は、アスクルを睨みつけた。
「なんと強情なヤツよ。では、こちらも奥の手を出すとしよう」
アスクルは呆れたように呟いては、クルッと振り返った。
「な、なんですか。奥の手というのは」
若い門番達は、アスクルの迫力にたじたじしながらも、キッとアスクルを睨んだ。
「ルナ王女」
アスクルが手招く。
「え?」
門番達は、ギョッとした。
「お話は終わったの?アスクル」
アスクルのすぐ背後に停まっていた豪華な馬車から、僅かばかりの騎士達に守られ、きらびやかな衣装で姿を現した女性。
アルフェータ一の美姫と呼ばれるルナ・ル・アルフェータの登場であった。
「こらちは、ルナ・ル・アルフェータ王女。そなたら下位の騎士など、お目にかかれることはほとんどないという高貴なお方だ。見ればわかるだろう」
若い門番達は、ボーッと、突如として現れた国一番の美女に目を奪われていた。しなやかな肢体。黒い髪に、見事な青い瞳。
恐ろしいくらいに顔が小さいのに、体はすごい迫力だった。
大きくはだけた胸元から、豊かな胸が零れんばかりだった。門番の騎士達の目は、そんなルナの胸元に吸い寄せられていた。
「ルナ様。私は大変困っております。この門番達が、私を屋敷に入れてくださらないのです」
アスクルがルナに、よよよ、と縋り付いた。
「まあ・・・。なんということでしょう」
大仰に驚いてみせて、ルナは、一人の騎士にスッと擦り寄った。
「お願い。可愛い門番さん。私は、旧友のルージィンに、お忍びで会いに来たの。通してちょうだい。アスクルは、私の恋人であると同時に由緒正しき騎士。用心の為に、
一緒に中にいれていただきたいの」
見るも無残にデレーッとしてしまった門番は、言葉もなくコクコクとうなづき、アッサリと身を引いた。
「ありがとう。嬉しいわ」
フフッと妖艶に笑って、ルナは近くにいた一人の騎士にチュッとキスをして、正門を潜っていった。アスクルがそんなルナに付き添って行く。
背後では、大騒ぎだった。ルナがキスした一人の騎士に、他の門番達が、ワッと殴りかかっていったのだ。
「羨ましいぞっ」とか、「おまえだけずるいぞ」とか、そんな声が聞こえて、正門前は大騒ぎだった。
「お見事です、ルナ様」
アスクルは、ルナの手を取りながら、ニッコリ微笑んだ。
「こんなこと、朝飯前よ。それより。この御礼は高くつくわよ」
ウフフと笑って、ルナはアスクルを見上げた。
「勿論でございます。私の持てる限りの技術を導入し愛してさしあげましょう。そのうち」
横顔でアスクルは笑った。
「そのうちって、なによ。そのうちって。ちゃんと約束しなさい」
ルナはムッとする。だが、アスクルは全然気にしたふうもなく、
「今はそれどころではございません。さて、どういう騒ぎをおこしましょうか。イリアスとの約束はきっちり守らないと。今後の為にも」
「?」と言う顔をするルナの肩に優しく腕を回し、アスクルはきっちりとルージィンの夜会に潜入することに成功していた。


カデナが案内されたルージィンの私室は、眩暈がするほど豪華だった。
花、花、花。きらびやかな調度品。おまけに咽返るような香の匂い。
生まれ落ちた時から、こんな豪華さには慣れていた筈のカデナだったが、イリアスと結婚して以来、そんな派手さとは程遠い落ち着いた雰囲気に慣れきっていたので驚いてしまった。
「なんだ、この部屋は」
カデナは悲鳴をあげていた。
「どうかいたしましたか?」
側に立っていたルージィンは、キョトンとしていた。
「私と貴方様の記念すべき初夜でございます。これぐらい演出するのは当然です。甘い雰囲気の中で、それ以上に甘い貴方様をこの腕に抱くのですから、まだまだ足りないぐらいでございます」
ぬけぬけとルージィンは言った。カデナは、言葉を失いそうになって、ハッと我に返る。
「色々と好き勝手に妄想しているようだが、そなたの思い通りにいくかどうかはわからぬぞ」
フッとルージィンは前髪を掻きあげた。
「なにを今更。あの時、席を立たずにお座りになった時から、こうなる運命だったのですよ。子供ではあるまいし。部屋まで来ておいて、するつもりはないなどとは通用致しません」
ルージィンの言葉は最もだった。カデナもそれを否定するつもりはない。そこまで、純情ぶるつもりもなかった。
だが。
「私は別にそんなつもりではない。ただ・・・。試してみたかっただけだ」
「試す?」
「そなたには関係ない」
「・・・よくわかりませんが、とりあえず逃がしませんよ」
ルージィンは、バッと、カデナを抱き締めた。
「!」
カデナは、ピクッと柳眉を寄せたが、堪えた。おとなしくルージィンに抱き締められたままでいる。
「カデナ様?あの。私は棒っきれを抱き締めているのではありません。どうか、私のことも抱き締めてくださいませ」
ルージィンがカデナの耳元に囁いた。カデナは、うなづいた。
「そうか。悪かったな。忘れていた」
「・・・」
カデナはルージィンの背にガシッ★と腕を回した。その勢いたるや、まるで喧嘩の取っ組み合いをはじめるかのようだった。
「も、もう少しソフトに」
「いちいちうるさいヤツだな」
チッと舌打ちしつつ、カデナは腕の力を緩めた。
「そう。そうですよ。ああ、カデナ様」
ギュウウウとルージィンはカデナを抱き締めた。そして、ルージィンは、カデナの唇に指で触れた。
「この唇に触れる日を夢にまで見ました。ええ、何度も、何度も。積年の夢が叶う瞬間だ。貴方が欲しい。貴方の全てを、貴方と共にある毎日を得る為ならば、私は全財産を投げうっても構わない」
歓喜に震えながらルージィンが囁く。
「金はあった方がよいぞ。それにそなたは、普通の人々とは桁違いに金持ちではないか。簡単に手放すなんて言わぬ方がよいと思うが」
ルージィンの歓喜を一瞬のうちに吹き飛ばした、カデナの現実的発言だった。
「・・・少し黙っててもらえませんか?」
さすがのルージィンの声音も強張っている。
「黙っていると、気持ち悪くてどうにかなりそうなんだ」
「は?」
さっきから体全体を襲っている悪寒をカデナは持て余していた。
「いい加減にさっさと一思いにやらないか。この体制で、そなたの顔を至近距離で見ているのは耐え難い」
「意外と恥かしがりやさんでございますね」
うふふ、とルージィンは微笑んだ。もう今更、訂正する気にもならないカデナだった。
「では、いざ」
ガバッと、ルージィンはカデナの顎を持ち上げると、その唇に自分の唇を重ねた。
「・・・んっ」
息苦しいまでのキスに、カデナは早々に音を上げた。そして。体中に走った悪寒が、この時にMAXとなったことを即座に自覚した。
「離せっ」
クッと、唾液の糸が互いの唇を繋いでいた。
「もう私は止まりません」
ガバッとルージィンはカデナを担ぎ上げると、天蓋付きの、シーツに花が散っている豪華なベッドに、カデナを押し倒した。
「この日を。貴方を抱いて。貴方と濡れるこの日を、私は何年も、何年も妄想してきたのです。貴方は、夢の中では私の体の虜です。貴方は私から逃げることは出来ないのです。
無骨なイリアスなどから与えられる快楽とは比べものにもならない最高の快楽を貴方に。お受け取りください、カデナ様」
「いらぬ」
ルージィンに、ベッドに押し倒されながら、カデナは叫んだ。
「くだらない妄想を私でするな、おぞましいっ。離せ、離せっ」
「夜が明ける頃には、私から離れたくないと言わせてみせます、カデナ様」
イリアスと比べると、小柄に見えるルージィンだが、勿論カデナよりは逞しい。
そのルージィンが全身を使って、カデナをシーツに縫いとめているのだ。カデナの抵抗は、無に等しかった。
「ルージィン」
「ああ。必死な貴方の声すら、私には媚薬でございます」
フウッとルージィンは、カデナの耳元に息を吹きかけた。
「や、やめっ」
揉みあっているうちに、カデナは頭がクラッとしてきた。今頃、ワインの酔いが来たのか?とギクリとした。こんな時に・・・と、心の中で慌てた。
そのせいか、体まで火照ってきたような気がしてカデナは唇を噛んだ。
「お顔が赤くなってきましたよ。目もそろそろ潤んでくる筈です。ああ、そんな怖い顔で睨まないでください。この部屋に飾ってある花は、エスケーニャでは媚薬として使われる花なのです。
私はとうに慣れているので、なんとも感じませんが、貴方様には効いてきているのでしょうね」
ルージィンはカデナの頬を撫でながら、楽しそうに言った。
「媚薬?」
「まさか知らないとは言わないでしょうね」
さすがに、さっきからのカデナの反応に、ルージィンは危惧を覚えていた。だが、勿論カデナはそれを知っていた。なんと言っても、妻ミレンダとの出会いがそもそもそれだったからだ。
当時のことを思い出して、俺はあんなふうになってしまうのか?と思ったら、カデナは目の前が真っ暗になった。
イリアス相手ではなく、この男と?そう思うと、体の火照りとは裏腹に、カデナの心がゾーッと寒くなった。
そして、寒くなりながら、カデナは心から込み上げてきた感情に降伏していた。

イリアス。おまえと寝るのがイヤだったのは・・・。おまえの前で、乱れてしまうことが怖かった。あれ以上の恥かしさはなかった。痛さとか、苦しさとか、そうではなくて・・・。
おまえの前で、正気を失ってしまうのが怖かったからだ。おまえに呆れられてしまうのではないか、と。だから、おまえとは寝たくないと言ったのだ。初めて気づいた。
だって、そうだ。ルージィンとキスした時に走った悪寒は、イリアスとした時には感じなかった。感じたのは、もっと別の、もっと優しい震えだった。
イリアスと、こうやってベッドで揉みあった時も、単に自分がどうなるかわからない恐怖で抵抗していただけだった。
今みたいな嫌悪ではない。決して、嫌悪ではなかったのだ。
そして。アスクルと、イリアスが寝たという事実は、自分に嫉妬という感情を自覚させた。
「イヤだ。やはり、おまえではダメだっ」
カデナは、叫んだ。叫んで、思いっきりルージィンを押しのけた。


その少し前。
パーティに侵入したアスクルは、ルージィンとカデナ達がいる広間を避けて規模の小さい第2会場へと到達していた。
ここでも、着飾った紳士淑女達が楽しそうに踊ったり、グラスを傾けては歓談していた。
アスクルは、ルナを連れて部屋を横切り、テラスに出ていた。手には、テーブルから失敬した燭台を手にしていた。
「そんなものを持ってきて、どうするの?」
「テラスは暗いですから。ルナ様の足元を照らします」
「ありがとう。ふふ。誰も私に気づかないわ」
ルナは、テラスに出ながら、部屋の様子をグルリと見渡した。
「そのお美しい顔を、ベールで隠すのは勿体のうございますが、やはり事を荒立ててはいけませぬから」
「私には貴方が側にいてくれれば文句はないわ」
ルナはそう言いながら、アスクルがもう片方の手に持っていたワイングラスを受け取った。
「ルナ様。ご覧なさいませ。あの美しい月を」
アスクルは、スッと夜空を指差した。
「まあ、本当ね。素敵な夜だわ」
ウットリとルナは空を見上げた。
その隙に、アスクルは、テラス付近のレース仕立ての上等なカーテンに、燭台をジリジリと近づけていた。
あと少しで、蝋燭の火が、繊細なレースに燃え移ろうとした時だった。
部屋にいきなり、女性の悲鳴が響いた。
「きゃあああああ!」
アスクルは、手元の燭台を握り直しつつ、ギョッとして部屋を振り返った。
「!」
部屋には、数人の覆面の男達が剣を手にして、乱入してきていた。
「ルージィン・イマジュールはどこだっ」
男達は口々に叫んでいた。
「ル、ルージィン様は、もう一つの会場にいます」
誰かが答えた。
「どこだ、そこはっ。ええい。手当たり次第、あの男を探せっ」
覆面の男達はそう言いながら、剣を手にして、人々に突っ込んできた。
「な、なんだ。これは」
事態が飲み込めないまま、アスクルは咄嗟に腰の剣を抜いていた。
「アスクルっ」
ルナも異変に気づいて、アスクルに駆け寄ってきた。
「王女はこちらの柱の影に隠れていてください。もし賊が退いて安全な状況になったら、裏門に待機しているイリアス達と連絡をとってください」
「わ、わかったわ。気をつけて」
ルナは、カーテンに捕まりながら、カタカタと体を震わせていた。
「大丈夫ですよ。私とて訓練された騎士でございます」
アスクルは、ルナの頬にキスすると、剣を握り締め、賊達の前に飛び出していった。


一方、大広間の方でも勿論混乱が起こっていた。
賊達は、幾つものグループに分かれて、ルージィン邸に侵入してきたのだ。
大広間は、テーブルがあちこちに倒れ、食べ物が散乱するほどの大混乱だった。
間一髪で、カデナとルージィンが去った後の出来事だった。
邸内での混乱は、ただちに警備の者達に伝わった。
ルージィン邸に待機していたおびただしい警護の者達は、一斉に邸に向かって走り出した。
その頃。裏門にコッソリと隠れていたイリアス達王宮の騎士一向にも、その騒ぎは伝わっていた。
「イリアス様。始まった模様です」
部下が、邸の騒ぎに気づいて、イリアスに合図を送った。
「よし。アスクルは約束を守ったと見えるな」
満足そうにイリアスはうなづいた。
「し、しかし。これは予想以上に、なんだか混乱しているように見えますが」
別の部下が、邸内を覗きこみながら、首を傾げていた。
「アスクルめ。ルージィンを刺したのではなかろうな」
状況を知らないイリアスは、腰の剣を抜きながら、呑気に笑っていた。
「いずれにしても、邸内に侵入できるチャンスだ。いくぞっ」
「はいっ」
イリアスは部下を引き連れ、裏門を潜りルージィン邸に侵入した。
門から、邸宅までに、信じられないくらいの距離があるルージィン邸だったが、そこを走りながら、イリアスはギョッとした。
行く手に見える、恥かしいぐらい豪華極まりないイマジュール邸本宅。その本宅のところどころが・・・。
夜空に浮かぶ月よりも眩しく炎上していたのだ。
「こっ、これは・・・。火事か。しかし・・・。や、やり過ぎだぞ、アスクル」
イリアスは思わず立ち止まって、邸を呆然と眺めた。あのバカめ〜!と思いながら、イリアスはこめかみに冷たい汗が流れてくるのを感じて、ゴクリと喉を鳴らした。
「消化隊を。近くに駐在している消火隊を呼び出せ。この勢いは、我々騎士の手にはもはや負えぬ」
バッと、イリアスは部下を振り返った。
「は、はい」
「早く。一刻も早く。伝達の者以外は、邸の中にいる招待客達を助け出すのだ。早くしないと間に合わぬ」
部下に命令しながら、イリアスは炎上する邸を目掛けて、走り出した。


賊達が暴れ回り、招待客達が逃げ惑う。その騒ぎの中で、幾つもの燭台がテーブルから跳ね飛び、レースのカーテンに火を点けた。
それが元で、ルージィン邸は炎上してしまったのだ。
その頃。邸の、一番奥まった静かなフロアの一室で、欲望の獣と化したルージィンが、そんな騒ぎに気づく余裕などなかったのは無理もなかった。
目の前には、夢にまで見た金色と翠の色彩の美しい生き物がいたのだから。
だが。その生き物は、すごい勢いで、ルージィンを押しのけていた。
「カデナ様」
カデナは上半身を起こし、ガッとルージィンの首を掴んだ。
「えっ?」
噛み付くように、カデナはルージィンの唇に自分の唇を重ねた。
「!!!」
持てる限りの勢いを注ぎ込み、カデナはルージィンに、キスをぶちかました。
「カデナ様」
フラフラ〜とルージィンがベッドの上に倒れた。
『成功した!』カデナは唇を拭いながら、瞬時に立ちあがった。
いつぞやも、こういったキスで、イリアスが腰を抜かした。それを思い出したのだ。
逃げるには、ルージィンに腰をぬかしてもらうのが一番てっとり早いと思ったのだ。
ヒラリと、カデナはベッドを飛び降り、部屋を横切って走った。
あと、少しでドアノブに手がかかる瞬間、カデナは思いっきり前につんのめった。
「!」
振り返ると、ルージィンがカデナの腰までの金色の髪を掴んでいた。ルージィンは、ゼエゼエと息を切らしていた。
「逃がしませんよ。私は、貴方と寝たいのです。こんなチャンスはもう二度とないかもしれません。離しません。逃がしません。おとなしく、私に抱かれなさい、カデナ様っ」
笑みがひっこみ、ルージィンの顔が真剣な、そして見ようによっては凶悪な顔になった。
カデナは、チラリと横目で壁を見た。壁には、色々な装飾品がこれでもか!とばかりに飾られていた。
だが、その1つ。それに目がいき、カデナはルージィンに髪を掴まれたまま、壁に飾られていたまばゆい宝石のついた宝剣を手にした。
「そなたには悪いことをした。だが。私はやはり、そなたに抱かれる訳にはいかない。私を・・・。私を抱いてよいのは、イリアスだけだ!」
叫んで、カデナは宝剣を振った。
「ひいっ〜」
ルージィンが情けない声で、叫んだ。
「せめてもの情け。それを私と思って抱くがよい」
カデナは、肩からバッサリと自らの金色の髪を切って捨てた。
「な、なんということを。お、お美しい貴方の、上等な金の髪を・・・。なんということを!」
ルージィンは、自分の掌からサラサラと零れ落ちる美しい金色の髪を見つめ、呆然としてしまった。
その隙に、カデナはバンッと部屋を飛び出していた。
長い廊下を一気に駆け抜けた。そして、大広間付近に来て、カデナもようやく騒ぎを知ることになった。白い煙が行く手を阻んでいる。
「これは・・・。火事?なぜ・・・」
戸惑っている暇はなかった。
カデナは、キッと顔を引き締めると、煙の中を走った。走りながら、すぐ側で聞こえた奇妙な音に、身が竦む思いがした。
ダアンッと、目の前に大きな柱が倒れてきた。
「・・・」
避けて、カデナは大きく息を吐いた。目の前の廊下は、ひたすら白い煙で覆われている。
これはもしや、俺は助からないかもしれない・・・と思った。なにが起こったかわからないが、目の前の絶望的な状況は理解出来る。
立ち止まり、カデナはふとイリアスのことを考えた。せめてあの出発の時。目が合ったあの瞬間。イリアスに一言、許すと言ってくれば良かったと後悔した。
イリアスが言おうとしたことはだいたいわかってはいた。わかっていて聞こうとしなかったのは、自分の嫉妬のせいだ、とカデナは今なら素直に思えた。自分が悪いのだ。
イリアスの気持ちを知りながら、拒んだ。怖かったから。あの銀色の瞳に見つめられたまま、導かれるままに狂態を晒し、呆れられるのがなにより怖かった。
イリアスの気持ちを知りながら無視していたあの頃と同じように、イリアスの欲望を知りながら、無視した。
この事態は、俺に対する罰なのかもしれない・・・とカデナは思った。
「・・・」
だが。あまんじて受ける訳にはいかない。
イリアスに謝らなければいけない。
結局は・・・。自分の体は、イリアス以外を受け入れることなど出来ないのだから。素直にならなければ、また失ってしまう。
「もう既に失いかけてるがな」
呟いて、カデナは笑った。花の媚薬のせいばかりではない体の火照り。炎の熱さだ。
カデナは行く手を睨んだ。そして、竦む体を心の中で激励しながら、再び走り出す。
怖がってる場合じゃない。俺は、こんなところで死ぬ訳にはいかない。自分の為にも。イリアスの為にも。


ビッと、返り血がイリアスの頬に飛んだ。ドサリと目の前の覆面の賊が床に倒れた。
「イリアス様っ」
部下が走ってきた。
「ここはもう仕留めた。あとはどうだ?」
剣についた血を振り払いながら、イリアスは、部下に様子を聞いた。
「は。広間の賊はほぼ捕らえました。あとは、邸内の関係者に聞いたところによりますと、カデナ様らのおられる奥のフロアだけです」
チッと、イリアスは舌打ちした。
「・・・ルージィンめ。カデナ様の身になにかあったら、賊でなくこの俺が殺してくれる」
さっきから、イリアスの頭にあるのは、カデナのことだけだった。ただひたすら、無事を祈っていた。イリアスは、血だらけの剣を握りしめて、クルリと踵を返した。
「奥に通じる廊下はどこだ」
「アスクル様が様子を見にいかれましたが、とても入れる状況ではない、と」
「冗談ぬかすな。俺は行くぞ」
そこらに用意されていた銀の桶の水を頭から被って、イリアスは叫んだ。
「火の勢いがあまりにも強いのです。無理です」
「どけっ」
部下を押しのけて、イリアスは奥に通じる廊下に急いだ。廊下の入口には、アスクルに守られたルナや、多くの騎士達や招待客達が立ち往生していた。
「イリアス。ここから行くのは無理だ。裏手に回って、壁伝いに行く案を今実行しようとしている」
駆けつけたイリアスに、アスクルは言った。
「そんな時間はないっ。中には、もしかしたら、賊が既に侵入している恐れがあるんだぞ」
「しかし、火の勢いが強過ぎて、ここから先には入れない」
「隙間がある。俺はそこから行くぞ」
「無理だ」
アスクルはイリアスの腕を掴んだ。
「離せっ」
イリアスはそのアスクルの腕を振り払った。
「アスクルっ。柱が崩れるわっ!」
ルナが叫んだ。ルナの叫び声と同時に、すぐ側にあった柱が、ズウンッと崩れ落ちた。爆発だ。ゴオオオッと、爆風が辺りを吹き抜けていった。
「きゃあっ」
「ルナ様っ」
「うわああ」
あちこちから悲鳴が聞こえた。
イリアスは、皆咄嗟に床に屈んだ中、一人爆発でポッカリと空いた空間に飛び出していこうとして、ギョッとした。煙の向こうに、カデナが立っていたからだ。
「カデナ様っ」
目を見開いて、イリアスは本能的に腕を伸ばしていた。
「イリアス・・・。俺は夢を見ているのか?なぜ、おまえがここに・・・」
カデナは、向こう側で、ピタリと立ち止まってしまっていた。
「なにをしているのですっ!カデナ様。早く、こちらへっ」
ハッとして、カデナは、イリアスの腕目掛けて走ってきた。
「イリアス」
ドサッと、イリアスはカデナを受けとめて、床に倒れた。
「カデナ様、カデナ様。ご無事で、カデナ様ッ」
イリアスはカデナをきつく抱き締めた。抱き締める腕が、情けなくもブルブル震えていた。
生きていてくれた。そう思って、その姿を見た途端、体に走った安堵の震えが疼いて止まらなくなってしまったのだ。
「イリアス」
カデナは、イリアスの頬に残っていた血に気づいて、指を伸ばして、それを拭った。
「もうそなたに会えないかと思ったぞ」
イリアスの胸に、顔を預け、カデナは小さく言った。
「カデナ様」
「会えて・・・良かった」
「カデ・・・」
カデナは、イリアスの肩に腕を回すと、その唇に自分の唇を重ねた。
煙の中を走ったせいで失った酸素をイリアスから奪うぐらいの激しい勢いで、カデナはイリアスの唇を貪った。
一瞬驚いたイリアスだったが、負けずにカデナの唇を奪い返す。
居合わせた人々は、このとんでもない緊張感漂う状況を忘れて、目の前で展開された熱烈な二人のラブシーンに、呆然と目を奪われていた。
しばしの後。理性が戻ったのは、イリアスのが先だった。
「カデナ様」
ガバッと、カデナを自分から引き剥がした。顔を猛烈に赤くしながら、それでもイリアスは、立ちあがった。
「なっ、中にはまだ、ルージィンが?」
「ああ。いる」
カデナは、イリアスに支えられながら、立ちあがった。カデナの顔は、別の意味でほんのりと赤かった。
「まさか。そなた、行くつもりか?」
ハッとして、カデナはイリアスを見上げた。
「中には賊が侵入している恐れがあります」
イリアスはうなづきながら、言った。
「俺は遭わなかったぞっ」
「偶然遭わなかっただけかもしれません。とにかく、ルージィンが危険だ。貴方が無事とわかった以上、この場はなんとしてもヤツを助けねばなりません」
「無理に決まっている。ここから先の酷さは通り抜けてきた俺が一番よくわかっている。ルージィンには気の毒だが自力で脱出してもらうしか方法はない。それに、逃げ遅れたならばもう無駄だ。炎が・・・」
カデナの言葉に、イリアスは首を振った。
「でも。やはり。見捨てる訳にはいきません。私は騎士である以上、民間人は守らねばならない義務がありますから」
カデナの顔色が青褪めた。騎士が、そう訓練されているのは知っているからだ。いかなる場合でも、王族を。そして、国民を。守るは、騎士の義務。
王族である自分が、私的な理由でそれを阻むことは許されない。カデナは、スッと息を吸い込んだ。
「わかった。では、行け。ルージィンを助けてこい。そして。必ず俺のところへ戻ってくるのだぞ。約束だ。いいな」
「はい。必ず」
イリアスはうなづいた。確証はない。だが、それでもイリアスはうなづかなければならなかった。
「必ずや、お側に戻ります。カデナ様」
カデナの潤んだ翠の瞳が、イリアスを覗きこんだ。
「当たり前だっ。いいか、イリアス。もう1度俺を抱きたければ、なにがなんでも戻ってきやがれっ」
イリアスは目を見開いた。銀色の瞳がぎこちなく瞬く。そして、イリアスはゆっくりと微笑みながらカデナを抱き締めた。
「ええ。必ず。貴方を抱く為に戻ってきます。必ずに」
そして、防火布で全身を覆いながら、イリアスはアスクルを振り返った。
「この場の指揮を頼む。ボーッとしてねえで、とっとと、皆を安全な外に連れ出せ」
「俺も行く」
アスクルは言いながら防火布を掴んだ。イリアスは首を振った。
「ダメだ。被害は最小に留める。ルナ様とカデナ様を頼む。では行く」
イリアスは、カデナを見つめてから、踵を返した。
「ちきしょう。かっこつけヤロウ。無事戻ってこなかったらぶっ殺すぞ!」
アスクルは、イリアスの背に叫んだ。
まだミシミシと軋んだ音を立てる崩れかけた廊下を、イリアスは振り返ることなく走っていった。
「くそっ。皆、逃げるぞ。カデナ様。外へ」
アスクルの声にうなづいて、カデナは煙の中に消えていったイリアスの背から視線を反らした。
「カデナ。イリアスは大丈夫よ。神様がついているわ。祈りましょう」
ルナはカデナの背を撫でた。
「姉上」
カデナは、掌で顔を覆って息を吐いた。
そして、ふっと顔をあげて、ルナを見つめて微笑んだ。ルナは、初めて見る弟の穏やかな笑みに、思わず目を奪われていた。
我弟ながら、素晴らしく綺麗な笑みだわ、と心の中で密かに思った。


白煙と炎の中をイリアスは駆け抜けた。瓦礫を乗り越え、賊に注意しながら、とうとう突き当たりの部屋に辿りついた。
ドアは開いていた。
「ルージィン!」
真っ白い煙が立ち込める部屋の中、ルージィンはベッドにぼんやりと座っていた。
「バカヤロウ。なに呑気に座ってやがる」
イリアスは怒鳴りつけた。
「おお、イリアス。よく来たな。だが、おまえの無神経さには、呆れるぞ。この煙の中を堂々と走り回れるとは。私はこの通り。腰が抜けて動けないのだよ」
ルージィンは苦笑していた。
「腰が抜けて??意気地なしめ」
助けに来てやったというのに、ルージィンのいきなりの皮肉にイリアスは脱力しかけていた。
「残念ながら、私はそなたやアスクルのように訓練された騎士ではない。単なる商人なのだからな。当たり前であろう。ところでカデナ様はご無事だな?」
腰がぬけている割には、変に余裕めいている口調のルージィンであった。イリアスは、『俺こそ呆れたいね・・・』と思った。
「ご無事だ。あの方のがおまえよりよほど勇気があるぞ。ルージィン、この事態。一体どうしてこうなったかわかっているのか?全ては貴様の愚かな行動のせいだ。この邸には、賊が侵入した。
そなたのつい最近別れた妻・リスニア殿の報復だ。キニッシュをゴッソリ奪っては自分を捨てて行った盗賊のような元夫のおまえを怨んだ、女の仕業なのだぞ」
「なるほど。それでは仕方あるまいな。やはり女は怖い。もう女は懲り懲りだ」
そう言って、ルージィンは掌にあった金色の髪を撫でた。
「それは・・・」
「つれないあの方が、私にくださったものだ。あの方は、そなた以外に抱かれたくないと言われた。仕方ないから、この髪と共に心中しようと決めたが、私はそなたを見たら腹が立ってきた。
こんな野暮な男にあの方を奪われたのかと思うとな。仕切り直しだ、イリアス。私を助けろ」
「偉そうに・・・。助けになんぞ来なければ良かった」
言いながらもイリアスは、そこらにあった椅子を掴んで、窓に叩きつけた。窓ガラスが、ガシャンッと音を立てて粉々に割れた。
「出るぞ。もう廊下はダメだ」
「まさか。飛び降りるつもりか?ここは、3階だぞ。死ぬぞ」
「全身やけどで死ぬよりは全身打撲のがマシだ。というか、俺は死ぬ予定はない。おまえには悪いが。俺は生きて、そしてカデナ様を抱くのだ」
ニヤリとイリアスは笑ってみせた。
「・・・」
ルージィンはベッドから渋々立ちあがった。イリアスは窓枠に手をかけた。
「ルージィン。来い」
「・・・絶対に無理だ。無事着地できる筈がない」
ルージィンはブルブルと頭を振った。
「来い。ぐたぐたぬかしてると、ぶん殴るぞ。気を失っている方が怖さが半減するからな。その方が俺は楽でよい。まあ、助かった暁には、ちゃんとカデナ様には状況報告するがな。
ルージィンは意気地ナシでした、とな」
「くそっ。イヤなヤツだ。なんでこんなヤツをカデナ様はっ」
ルージィンは、イリアスに駆け寄った。イリアスはルージィンを抱えながら、部屋を振り返った。既に火の手は、この部屋のドアを突き破っていた。
「下を見るな」
イリアスはルージィンに言った。
「言われなくても誰が見るかっ」
二人は、窓枠に立ちあがった。


カデナ達は、ルージィンの部屋の下に来ていた。
運よくルージィンを見つけられたら、脱出するには窓しかない。
アスクルもカデナも外に出るなり、ここへ駆けつけたのだ。
イリアスはルージィンを連れて飛び降りるつもりなのだ、と二人は思っていたのだ。
それしか助かる手段がない。いや、それさえも、かなりきわどいところなのだと思いながら。誰もが、胸を爆発させそうな思いで、ルージィンの部屋の窓を見つめていた。
そして。ユラリ、と窓に人影が見えた。
「!」
人々から歓声があがった。
「イリアス様だ」
「ルージィン様もいるぞ。二人は無事に合流されたのだ」
「お二人は無事だぞ」
だが、歓声もすぐに消沈してしまう。
「今のところは。だ。あの高さから降りるとなると・・・」
皆、祈るような気持ちで、遠く高いところにある窓を一斉に見上げた。
カデナは、イリアスを見つめていた。
『必ず、無事で。おまえは、俺のところに戻ってくるのだ。俺の目の前で死ぬことは、神が許しても、俺が許さない』
イリアスはさすがに下を見ては、ゴクリと唾を飲み込んだ。眩暈がするほどの高さだった。
『俺の人生は、まだこれから、だ。こんなところで、死んでたまるか。絶対に死なない。生きてダイアナのところへ戻り、そしてカデナ様を再びこの腕に抱くのだから』
「行くぞ、ルージィン」
「もういつでもいいっ。とっととどうにかしてくれ〜」
イリアスは、ルージィンの体を抱えるようにして、思いっきり窓枠を足で蹴った。
人々が、その光景を見ては、悲鳴をあげた。
すごい勢いで体が落下していく。イリアスは、目を閉じた。そして、心の中で、カデナの名を何度も叫んだ。
瞬間、背後の邸がけたたましい音をたてて、爆発した。その爆風は、落下していくイリアスとルージィンの体をフワリと包み込んでいった。


終章へ続く


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