back  TOP       next

「イリアス。今回はご苦労だったわね」
王妃マルガリーテは、親族の結婚式に出席する為に里帰りをしていた。
イリアスはその護衛の任につくため、アルフェータを離れていた。
夕刻、無事にマルガリーテを王宮に連れ帰りホッとしていたのも束の間、戻ってくるなり王の青褪めた顔に対面することとなった。
「王妃。イリアス。大変なことになった」
2人は、王の言葉にドキリとした。
「留守中になにか?」
マルガリーテは不安気に王に聞き返す。
「カデナとダイアナが行方不明だ」
王は、イリアスを見ては、深く溜め息をついた。
「!」
マルガリーテとイリアスは顔を見合わせた。
「今日の昼からだ。至急に捜索をさせているものの、なんだかよくわからん事態でな。イリアス。戻ったばかりではあるが、この件に関して指揮を取るように。
ミレンダのようなことになっては大変だ」
「はい」
イリアスは、うなづいた。なにがなんだかわからなかった。ただ、カデナとダイアナが行方不明という言葉が、グルグルとイリアスの頭を回っていた。


イリアスは自宅には戻らずに、執務室で情報を待った。情報が続々とイリアスにもたらされた。
2人は消えた。カーンスルー家の裏庭から、しかも真昼間に、忽然と、である。
あの二人は昼間はほとんどペアだから、カデナ拉致にダイアナも巻き込まれたのであろうとイリアスは推測していたが、
もたらされる情報は、確かに王の言うとおり「よくわからん事態」を示していた。
「イリアス様、お気を確かに」
部下のアルオースが、書類を見てはボーッとしているイリアスの肩を揺すった。
「あ、ああ・・。すまぬ」
もはや緊張の限界で、このまま自分が死んでしまいたい気分だった。
「情報収集は進んでおります。あの界隈の突風が事故の原因だったと思われます」
「わかっている。警備の者が皆、裏庭から続くあの崖付近に都合よく落ちたんだから間が悪過ぎた」
「助かった者の話では、カデナ様はその突風に巻き込まれることはなかったようです。途中まではカデナ様も救出作業に協力されていたらしいのですが、
突如としてその場を離れてしまわれたとか」
「ダイアナはその場にいなかったのであろうか」
「お姿はなかったようです」
「もしや、突風に巻き込まれ落ちたか、賊に人質にされていたのかもしれぬ」
「イリアス様。崖からの救出作業は完了しております。ダイアナ様が崖に落ちれば必ず発見されています。ですが、発見されておりません。
ということは、落ちていなかったのです。それに、まだ、賊だとは決まっておりません」
「では、何故2人は消えてしまったのだ」
バンッとイリアスは執務室の机を叩いた。
「一体なんなのだ、その突風とやらは。ダイアナはいないし、何故カデナ様は突然その場を離れてしまわれたのだ。わからん、全然わからぬ」
「大丈夫です、イリアス様。お2人は無事です」
アルオースは、青褪めてしまったイリアスを力つける為に、大きな声で言った。
「アルオース・・・」
イリアスは、掌で顔を覆った。
「酷なことを申しますが、今イリアス様が希望を捨てて捜索に挑めば、指揮が乱れます。お心確かに」
「わかった。助かった者の話をもう少し詳しく聞こう」
「はい。病院に向いましょう」


オサナイ家は途方に暮れていた。
昨夜、国境付近の自宅の裏の川に流れ着いた親子らしき二人を偶然発見して救出した。だが2人は、いわゆる記憶喪失という代物だったのだ。
「グレテン滝から心中しようとしてここに流れついたのではないか」
家長のオサナイが苦々しい顔で呟いた。
「そうだとしたら、気の毒に」
夫人がうつむいた。
「助かったんだもんいいじゃない」
夫妻の長女カリアが能天気に言った。
「けど、なんにも覚えてないんじゃ不便じゃないか」
長男のグリールがうめいた。家族四人はテーブルを囲んで考えこんでいた。
「とりあえず国王にお報せせねばな。一応不法侵入だし。彼等はどうみてもラトゥ人ではないからな」
「あら、お父様。どう説明なさるのよ。彼らはなんも覚えちゃいないのよ」
「そうだった…」
ウームと考えこむ一同の耳に可愛らしい声が聞こえた。
「私喉が乾いたの…」
女の子が、木のドア越しに立って、こちらを見ていた。
「おや、おや。喉が乾いたのね。今水を持ってこようね」
夫人が台所に走っていってグラスを持ってくる。
「ありがとう」
ゴクゴクと水を飲み干してから、女の子はフウと溜息をついた。
「お休みなさい」
また部屋に戻ろうとした女の子をグリールが呼びとめる。
「お嬢ちゃん。こっちおいで」
すると女の子はトコトコとグリールの側に歩いてくる。
「お兄ちゃま、なんですか」
「うっ…。か、可愛い」
デレッとグリールの顔がにやけた。
「やあね。あんたロリコンなんじゃないの」
「カリア姉、あんただってこの子の父親に、デレデレしてたくせに」
「私の場合はいいのよ。年回りはきっと対して変わらないわ」
ウフッとカリアは微笑んだ。
「お嬢ちゃん、お名前は」
すると女の子は考え込んだ。
「私、わからないの」
「じゃあ、一緒にいた人は君のお父さんかい」
「それもわからないの。でも、知っている人だと思うわ」
カリアは肩を竦めた。
「父親の顔も忘れちゃうなんて、記憶が戻ったら彼ショックだと思うわ」
「まだ父親かどうかわからないだろう」
オサナイがカリアを嗜める。
「だってソックリじゃない」
「うむ、確かに」
「私、眠いわ」
女の子が目を擦った。
「ああ、ごめん。ゆっくりお休み」
「ありがと」
結局なにもわからないままだった。
「じゃあ、後であの子の父親に話を聞こう」
「お父様、それ私に任せて」
オサナイは首を振った。
「おまえじゃまともな話になりそうもない。ワシが聞く」
「ちぇっ。ま、いいや。じゃあ王様にお話しに行く時は私も連れていってね」
「出た。カリア姉の王宮フリーク。ったく、王宮たってただの村長程度の屋敷じゃないか。隣の国のアルフェータとは規模違うんだぞ」
グリールの言葉にカリアは反応する。
「そうだ。ねえ、アルフェータといえばあそこのカデナ王子、っと、もう王子じゃないのよね、あの人。あの人も確か金色の髪に翠の瞳っていうタイプだったわよ。
前に流行り画で見たことある。似てたかも」
「そうねえ。ものすごい麗人だという噂ですし」
夫人がうなづく。
グリールとオサナイは女達の話題を一笑した。
「美形であればみなカデナ様にするのは女の悪い癖だぞ」
「あら。そんなんじゃ」
「ねえ。お母様」
いいかげん考えるのに疲れたオサナイ家一同は、とにかく金の髪の麗人の目覚めを待つことに決めた。


病院に、重苦しい雰囲気が立ちこめていた。
生き残ったとはいえ、カデナ達の失踪に明るいニュースが飛びこまない限り、彼は処罰の対象となる。
「それで、ダイアナは近くにはいなかったのだな」
「も、申し訳ありません」
救出されて怪我を負った騎士ルドルは、ひたすら、その言葉を繰り返す。
「先程から申し訳ありませんでは、話が進まぬ。このさい起こってしまったことはどうにもなるまい。そなたも協力せねばどうなるかぐらいはわかっておるだろう」
「し、しかし、イリアス様には合わす顔がありませぬ。留守を預かる身として派遣されていたというのに」
ルドルの気持ちもわかる。しかし、ここは心を鬼にしなくてはならぬ、とイリアスは思った。
「ルドル。いいかげんにせぬか。さっさと当時の状況を詳しく話せ。私にはカデナ様と娘の命がかかっているのだ。なんでも良いから話せ」
「は、はい。ご存知の通りあの時間はダイアナ様とカデナ様が庭を散歩されてました。なんでもダイアナ様が昨日とても珍しい花を見つけたとかで
カデナ様を案内されていたのです。崖近くのあの鬱蒼とした小さな森です。もちろん調査済みの場所で危険はありませんが、私達もお供に参り
ました。その途中にあの突風でした。供の者達はほとんど崖下に放り出され、難を逃れた我らは救出作業に専念しました。カデナ様も手伝って
くれました。その時ダイアナ様はいませんでした。おそらく先にあの森に行っていたのかもしれません。しばらくして手伝ってくれていたカデナ様が振り
かえってなにごとかを叫びその場を離れました。追いかけようともしましたが、ちょうどもう一人の救出が成功しそうだったので諦めました。キルルが
カデナ様が森に向かったのを確認してます」
キルルというもう一人の騎士は、既に事件の現場検証に狩り出されていた。
「ふむ。ダイアナはその場にいなかったのか。となると、カデナ様がなにごとかを叫んでその場を去ったのは、おそらく彼女に原因があるのだろうな」
「その突風とは、なにか予兆があったのか」
アルオースは顎を撫でながら、ルドルに聞いた。
「いえ。まったく。空は良い天気でしたし、突然ゴオッと…」
言ってから、ルドルははたと頭を傾げた。
「そうですね。その前に…」
「なにか覚えているかっっ」
「ブウンッという大きな音が付近に響いたような気がします。あれは一体なんの音だったのでしょう」
「突風の来る予告の音みたいなモノかな」
イリアスが顔色を青くした。
「そうではなく・・。あの音は以前聞いたことがあります。なんだったのだろう。思い出せない…」
ルドルは頭を掻き毟っている。彼は軽い記憶障害を起こしていた。
「いづれにしても、それではカデナ様とダイアナが森から拉致されたのは確かなようだ。だが、その突風はおそらく偶然だな。何者かがわざとしかけたにしては
あまりに漠然すぎる。自然現象と見るべきだ。だとすれば、森を探索すればわかるかもしれぬ。アルオース、行くぞ」
「はっ」
「お待ちを、イリアス様」
「ん」
ルドルがおそるおそる言う。
「あの音を思い出そうとすると、なぜかイリアス様のお顔が浮かびます。私が聞いたあの音は、以前イリアス様も一緒に聞いた音のような気がします」
イリアスは、うなづいた。
「そなたは私に含むところがあるから、私の顔を思い浮かべるのだ。気にすることはない。そなたの責任にするつもりはない。私は必ず二人を取り戻すから」
そう残し、イリアスは病室を後にした。


「ったく、ガズーの奴っっ。話しかけても無視するなんて」
「普段から暗い男だったが、今日はとくにだったな。なんだかひどく怯えているようだった…」
オサナイとグリールは、そんな会話を交しながら、朝市で買いこんできた野菜をドッサリとキッチンのテーブルに置いた。
「あんな奴が、繊細なリッツアーの世話を出来るなんて考えられないよな」
グリールはムキになって怒っている。
「そう怒るな。余計腹が減るぞ。おい、飯は出来ているか。おっと…」
食堂に足を踏み入れて、オサナイは絶句した。いつもの食堂とは違う。
そこに、金色の麗人が座っているだけで…。
「目覚められたか」
すると金色の髪をした青年は軽く会釈した。
「夫人から話を聞いた。助けていただいたそうで、ありがとう」
上品で流暢な喋り方だった。
「ランプみたいだな。食堂が明るいや」
こうして明かりの下で見ると、本当に綺麗な青年だった。光を一身に集めたような神々しさが漂っている。
オサナイは椅子に腰かけながら、青年に話しかける。
「妻から聞いたと思いますが、この国は不法侵入には敏感です。小さな国ですからな。ラトゥという国ですが、知ってますか」
「知っている…ような気がする。でもそれだけだ。あの女の子と同じで私もほとんど覚えてない。名前も、立場も、どうしてあの子といたのかも。なぜこんなことになったのかも…」
「参ったな。進展ナシか。これはやはり正直に王に話してみるべきかもしれぬ」
フウッとオサナイが溜息をついた。
「夫人の食事はおいしいな。先程いただいたが絶品だ」
青年は能天気なことを言った。
「食欲はありますか。体の方はなんともありませんね」
「まったくなんともない。食欲は無駄なくらいある。申し訳ないが…」
言葉だけは申し訳なさそうではあるが、あまり本当にそうは思っていない感じに、オサナイは苦笑した。
「食欲あるだけで、いいんだよ。元気な証拠だし、生きてるって実感だよ」
グリールが言った。
「私達としては、君たちは親子であんな所で助けたくらいだから、滝からの無理心中くらいに考えていたのだが…」
「親子…。それはそうかもしれない。彼女はとても他人とは思えない。でも心中というのはあまりしっくりこない。まあ、なにも覚えてないが」
青年は肩を竦めた。
「まるっきり覚えてないか」
「ええ。本当に綺麗さっぱり」
沈黙が漂う。
オサナイは王に申告するのは良いが、そのためには彼らは色々と調べられるだろうと思った。
思い出したくない過去とかも、皆の前で晒さなければならない。それがなんとなく哀れだった。
「じゃあ連想ゲームみたいに色々並べてみようか。なにか思いだすかも」
グリールが提案する。
「遊びじゃないんだぞ」
オサナイが嗜める。
「でも、この人そんなにめげてないでしょ。普通ならもっと不安だとおもうけどさあ」
「確かに貴方はそんなに不安じゃなさそうだ」
そう言われて青年は少し眉を寄せた。
「過去を忘れたかったのかも…」
「えっ」
「言ってみただけです。仰る通り余り不安じゃないですね。漠然とだけど、誰かが必ず迎えに来る気がして…」
青年はサラリと言った。
こんな非常事態だというのに、この悠然たる態度。なかなか度胸が据わってる、とオサナイは感心した。
「誰かが迎えにくる・・・。それだな。貴方はそれを思い出すんだ。それがきっと糸口になる筈だ」
オサナイの言葉に青年は、ふっと天井を見上げた。考え込んだふうな横顔だった。
「まあまあ、お話はそれでいいかしら。お食事の支度が出来ているわ」
夫人が厨房を指差す。
「カ、カリア姉。なんだその格好」
厨房を手伝っていたカリアが皿を運んできた。その格好ときたら…。
「ウフッ。だって、彼は一応お客様だもの。正装したのよ、文句ある?!」
朝っぱらから、どこかのパーティにでも行くようなキンキラリンだった。
「ってたってさ、この人、子供がいるんだから当然相手がいる筈だろ。今更カリア姉がしゃしゃり出たって仕方ないじゃん」
グリールは姉のバカさ加減に辟易していた。
「あら、思い出せないなら大した相手じゃないのよ。普通なら真っ先に断片くらい思い出してもいいじゃないの」
どうにもしぶとい姉だった。グリールは手を上げた。
「それじゃ、あのオチビさんに聞いてみよ。彼女なら覚えてるかも」
「ま、さすがにロリコンキングね。手が早いこと」
「あの年の子に何せーっちゅうんだよ。ったく」
「おまえら聞こえてるぞ。客を前にして下らぬ言い争いをするな」
オサナイが2人を叱った。
「だって…。ねえ、カデナ様」
「はっ?」
男二人が声を上げた。
「名前も覚えてないなんて不便でしょ。だから私が命名してさしあげたの。アルフェータのカデナ様とそっくりだから、カデナ様」
ピクリと青年の顔を引き攣る。
「その名前はあまり響きが良くないな」
「でも、美青年の代名詞なのよ。我慢してくださいな」
ウフフとカリアは満足気に微笑む。
「じゃあ俺もあの子に名前つけてあげよ」
「あんたも懲りないわね」
「カリア姉に言われたくないねっっ。食ったら彼女と庭で遊ぼうっと」
「どうも緊張感がないな。うちの子供達は…」
オサナイがむっつりとした。
「私達を置いていくことでこの家に迷惑をかけるなら出て行くつもりだ。どこかをフラフラしていれば思い出せるかもしれないし…」
青年の提案を、オサナイは退けた。
「そんな無体なことはできん。助けたのだから、相応に世話をする。貴方もそんなことより早く記憶を取り戻す努力をなさい」
「かたじけない。ありがとう」
一応決着はついた。


イリアスは、森の現場検証に出向き、全ての謎が解けたと思った。こんなことなら一番先にここへ来ているべきだった。
「イリアス様、お考えがあるのですか。先程から目が開きっぱなしですが」
「ダイアナが見つけたのは、恐らくこの七色に光る花のことだ。これは私が5年間ラトゥーとの国境に左遷されていたときに、ラトゥーの国の者から貰った花なんだ。
けれど、あまりに匂いがきついのでモニカとここに埋めたのだ。こんなに育っていたなんて…」
「綺麗な花ですねえ」
アルオースが場違いなくらい、呑気に言った。
「これはリッツアーの餌なんだ。あの国にしか生殖しないあの大型草食獣の。彼らは大きな翼を持ち空を飛ぶんだ。ほとんど間違いなく…」
「ええ。まさか、リッツアーがここに来たんですか」
アルオースは、驚きの声をあげた。
「おそらく。ルドルは、私と一緒にラトゥに居たことがある。確か、彼と一緒に、私はリッツアーを見学したことがあるのだ。だから、ルドルは・・・」
病院で聞いたルドルの言葉と一致する、とイリアスは合点がいった。
「し、しかし。あの動物はラトゥーの天然記念物として厳重に管理されている筈ですよ。それこそ王の名の元において。脱走したなんて聞いてません。
そうであったなら告知されるはずです」
アルオースの意見は、最もだった。
「なにかあったんだ。しかしリッツアーは間違いなくここに来たんだ。空を飛んでね。だからあの突風だったんだ。リッツアーが上空を通過したんだろ」
イリアスは空を指差した。
「そ、そんなことなら気づく筈です」
それでもアルオースは半信半疑だ。
「俊足なんだよ、彼らは。一度飛ぶところを見たが、瞬きした瞬間にはもう見えないくらいのところに飛んでいった。だからこそ、あの国はリッツアーを大事にしているんだ。
侵略から国を守るには最適の番鳥じゃないか」
「な、なるほど。しかし、リッツアーが来てそれで。ま、まさかその鳥に二人は連れていかれたので?」
なんの為に?とアルオースは首を傾げた。
「リッツアーは人の言葉を解し、純粋な者には言葉を返すという。おそらくまだ子供のダイアナには、リッツアーの言葉が理解出来たのではないか。どういう状況かはわからぬが
これにはリッツアーが噛んでいる。王の許可を得て、即刻ラトゥーに向かうぞ」
「はい」
一気に事態は、進展した。


ラトゥー夕刻。
どの家の煙突からも煙が立つ頃、小さなこの国には異変があった。
「大変だ。アルフェータの騎士達が国境付近に大勢現れたぞっっ」
窓の外で野次馬が騒いでいる。
「まあ、どうしたと言うのでしょう」
夫人は窓からそれを眺めては首を傾げた。
気の早いものは、「戦争だ、戦争だ」と騒いでいた。
「いや、このラトゥーは中立国だ。戦など絶対にしない。だいたいなんで、戦争なんぞ」
オサナイも夫人の後ろから、窓の外を眺めている。
「でも、ものものしいですわね」
彼らの家の前は大きな道路になっていて、なるほど騎士達がざわざわと通過していく。
「正道を通っているということは、王に通告済みなんだろう。しかし、王も随分物分りがいいことだ。余所モノは嫌うというのに」
「アルフェータの騎士だって」
グリールが親を押しのけて窓に近づいた。
「うわおっ。格好いいっっ。もしかして、イリアス様もいるんじゃないか」
「おいおい。あの方はとっくに王宮に戻ったのだぞ。ここにいるのは国境付近の巡視の騎士達だろう」
「それにしちゃ、大勢だぜ」
グリールのテンションは上がりっぱなしだ。
「グリールお兄ちゃま。イリアスってだあれ」
グリールは胸に女の子を抱えていたことをすっかり忘れていた。
「ルナちゃん。イリアス様っていうのはアルフェータの騎士なんだ。一年ぐらい前まではこの国の国境付近で仕事していた人でね。ちょっとしたことで仲良くなったんだ。
すごく背が高くて美形で格好いいんだ。俺は剣の相手をしてもらったことがあって筋がいいって誉められたんだよ」
「それは御世辞だったんだろう」
オサナイが冷やかに言う。
「そんなことないよ。マジでアルフェータの騎士にスカウトされたんだぞ」
「なにが騎士だ。剣なんぞ、大の苦手の臆病者のくせに」
「マジになんなよ、父さん」
エヘヘとグリールが頭を掻く。
「んー、でも見えないな。騎士が多過ぎてさ。いるかもしれないけど」
必死に窓の外を覗くグリールの傍で、女の子は頭を抱えていた。
「イリアス…。お父様…。イリアス…」
「どうした、ルナちゃん。頭痛いの?」
「お兄ちゃま。ダイアナを降ろして」
「う、うん…。え、ダイアナ?」
グリールはルナと名づけた少女を床に降ろした。
「お父様、お父様ぁ」
少女は走りだし、外へ飛び出した。
「待て、ルナちゃん。外は駄目だよ。お父様はお家にいるぞ」
「グリール、追いかけろ」
オサナイがグリールに指示を出した。
「ほい来たっ」
少女は騎士達の列に突進していく。
「お父様、イリアスお父様」
「ル、ルナちゃん。駄目だよ。戻っておいで」
少女が騎士の一人にドシンとぶつかった。
「ひっ」
グリールが悲鳴を上げた。騎士の行進の邪魔をするとは、どんな目に合わされるかわからない。
「ダイアナ様?」
騎士は少女を抱き上げては、素っ頓狂な声を出した。
「キルル。あなたキルルね。私よ、ダイアナよ。お父様はどこっっ」
少女は騎士の首に縋り付いた。行列が乱れる。
「せ、先頭のイリアス様に伝達を。ダ、ダイアナ様がいらっしゃったぞ」
騎士の大声が聞こえる。
「おい、ちょっと待てよ。嘘だろ…」
グリールはへなへなと大地に崩れた。
そうこうしているうちに行列は大混乱になり、そのうち見覚えのあるイリアスが走ってきた。
「ダイアナ。無事だったか」
「お父様」
二人はしっかりと抱き合う。
「今までどうしていた…。心配かけて…。カデナ様はご無事か」
「うん。一緒にいるわ。ダイアナね、カデナお兄ちゃまのこと忘れてたの。お父様のことも、皆忘れていたの」
イリアスの腕の中でダイアナは状況を説明する。
「そうか。わかったよ。無事だったんならばいいんだ。カデナ様はどこにいるんだ。案内してくれ、ダイアナ」
ダイアナの無事の喜びに浸ってばかりもいられず、イリアスはダイアナを降ろした。
「あのお家よ。グリールお兄ちゃまがいてくれたおかげでダイアナはちっとも怖くなかったの」
ダイアナが指差した家には、かすかに見覚えがあったイリアスは眉を寄せた。
「グリール…って、まさか」
ハッとイリアスが辺りを振り返った。傍には、少年が転がっていた。
見覚えのある顔。かつて、国境巡視の任務についていた時、ふとしたことで知り合ったラトゥの民間人だった。
「久しぶりだな。グリール。元気そうだ」
「い、いえ。ちっとも元気じゃありません。お、驚いて…」
グリールは、腰を抜かしていた。
「ダイアナとカデナ様が世話になったようだな…。偶然とはいえ、これは神の御導きだ。ありがとう」
「あ、あれ…。本物のカデナ様…」
ウーンとグリールは目を剥いた。
「キャア。グリールお兄ちゃまが倒れたわ。お父様、助けて」
ただちに騎士達が、ぶっ倒れたグリールを運びあげた。
イリアスは、ダイアナを抱き締めながら、思わず呟いた。
「…もしかしてカデナ様も、全てを忘れているんだろうか・・・」


「お久しぶりです。イリアス様」
オサナイ夫人が、ドアを開けて招き入れてくれる。
「オサナイ夫人、この度は私の家族がご迷惑を…。オサナイ殿、色々とありがとうございました」
夫人の後ろには、家主のオサナイが立っていた。
イリアスは、夫人とオサナイに向かって、深々と頭を下げた。
「いや、驚きました。まさか娘さんとは…。それに、近頃ご結婚されてあのカデナ様をもらったとは、聞いておりましたが。まさかあの方が本物とは」
カリアとグリールは、衝撃な事実にのびてしまって部屋で寝こんでいる。
「ホホホ。娘なんて本物のカデナ様とは露知らずに彼をカデナ様と呼んでおりましたのよ。けど変ね。ご本人はその響きは良くないとか申してましたわ」
「ハハハ。まあ、色々騒動がありましたからね、彼の場合は」
その名を嫌がるのも無理はないとイリアスは思った。
「それにしても、本当にご迷惑をかけました」
オサナイと夫人、イリアスとダイアナはテーブルを囲んで座っていた。
さきほど、ラトゥの王からの使者が、今回の事件の謝罪に来たのである。
「まさかカズーがうっかりリッツアーを逃がしていたとは知りませんでした。なんでも王の叱責が怖くて言えなかったとか…」
オサナイが、複雑な顔をして呟いた。
「そのようですね。腹をすかしたリッツアーは私の家の裏の森にあった餌に気づいて降りてきた。そこにいたダイアナが、私がお宅からもらって咲かせていた
あの七色の花をリッツアーにあげた。義理堅いリッツアーはお礼に彼女を背に乗せた。後からリッツアーに気づいて合流したカデナ様も付き人として、一緒
に乗ったようですね。それでラトゥーまで来たはいいがそこであの世話人のカズーの怒りを察したリッツアーは慌てて反転しようとして背に乗せた二人を落と
してしまった…が真相ですね」
「そのようで。それで二人が落ちたの滝壷で、運よくこの家の裏にある川に流れ着いたと…」
「出来過ぎですね。リッツアーの背から落ちて生きていたなんて信じられない」
夫人が溜息をついた。
「さすがは王族だけありますね。神のご加護があるんですわ」
「危ういところだと思ってます。衝撃で、記憶を無くしてしまったくらいですからね。無事でなによりでしたが…」
やはりイリアスの危惧通り、カデナも記憶を失っている、とオサナイから聞かされた。
膝の上に座るダイアナはニコニコ微笑んでいる。イリアスはその髪を撫でた。
「良かったわね、ダイアナちゃん。パパに会えて」
夫人は、微笑んだ。
「うん。ありがとう、おじ様、おば様」
その時、階段を降りてくる音がして、ドアが開いた。カデナが食堂にやってきたのだ。眠そうに目を擦っている。
「すまんが、腹が減ったのだが」
することがないので彼は、とにかく食べては寝、食べては寝を繰り返していたのだ。
「カデナお兄ちゃま」
ダイアナが叫んで、カデナに走り寄った。
「カデナ様ッ」
イリアスは、椅子を蹴飛ばさんばかりの勢いで立ち上がった。
「ご無事でなによりです。心配致しました」
カデナは、こちらに向かって駆け寄ってこようとしているイリアスを一瞥して、「誰だ、おまえは?」と、無情な一言を言い放った。
イリアスは広げた両手を空しくパタパタとさせた。
「・・・・」
夫妻は見て見ないふりをした。
「ルナ。コイツは誰だ」
「カデナお兄ちゃま。ルナはお兄ちゃまのお姉様の名前よ。私の本当の名前はダイアナ。そんでこれは私のお父様よ。カデナお兄ちゃま」
ダイアナは、カデナの衣服の裾を掴んで、訴えた。
「おまえの父は俺ではなかったのか」
カデナは首を傾げた。
「違うのよ、違うの。思い出して、カデナお兄ちゃま」
ダイアナはブンブンと首を振る。
「お父様はカデナお兄ちゃまの恋人よ」
その言葉にイリアスはギョッとする。
「おいおい。おまえ、またそんな言葉をどこで」
「あら、イリアス様。でも意味は違わないですわ。ご結婚されているんですもの。それにしてもダイアナちゃんはおませねえ。うちのカリアと張ったかもね」
コロコロと夫人は笑う。
「これが俺の恋人?」
カデナは、イリアスをジロジロと見た。
「結婚してるのよ」
「結婚?」
カデナは次の瞬間吹き出した。
「どういう冗談だ」
傷つきながらもイリアスは必死に言った。
「冗談じゃありません。私は一年前貴方と結婚したんです」
「人違いじゃないのか」
イリアスは開いた口を閉じることが出来なかった。
「ま、まあまあ。いきなりそんなに捲くしたてても仕方ありませんよ。ゆっくり教えてさしあげればいいんですよ」
夫人の言葉にオサナイもうなづく。
「そうだ。とにかく今夜はゆっくり二人でお話されるとよい」
「は、はあ」
なんとも情けない声でイリアスはうなづいた。
「夫人、申し訳ないが俺は腹が減ったのだが。貴方の料理はおいしい」
イリアスの不安を余所に、カデナは呑気である。
「はいはい。王族の貴方においしいと言われたのは私の人生の誇りですわ。お待ち下さいませ、カデナ様」
「王族?」
カデナは首を傾げた。
「私は王族ではないと思うが」
生まれついての王族で、王族以外やったことのない、生粋の王族であるカデナの言葉に、イリアスは呆れるを通り越し一瞬恐怖にかられた。
「記憶以外にも、どっか脳に障害でも・・・」
イリアスが不安げに呟く。
「なんか言ったか」
ギロッとカデナがイリアスを睨んだ。
「ああ、いえ、いえ。何も」
ダイアナを抱えてイリアスはおとなしく隅のソファに腰掛けた。ダイアナも不安らしく目をうるうるさせていた。
「このままカデナお兄ちゃまは思い出してくれないのかしら。ダイアナのことも、お父様のことも…」
「そうだね。わからない」
「イヤよ。ダイアナはイヤです。お父様なんとかして」
「…って言われてもね」
ハアッとイリアスは溜息をついた。二人が行方不明になってからたったの2日だった。
それしか経っていないというのに、カデナはきっぱりと過去を捨ててしまった。
不安気な様子すらない。もしかしたら、それが幸せなのかも。
イリアスはそう思って切なかった。彼には色々ありすぎた。
自分の存在による、他国との戦争、妻の死、以前として減らない自分絡みの事件。
彼の性格上それはとても鬱陶しいものだったのだろう。叶うものならば、それらの記憶を全て捨てて楽になりたかったのかもしれない。
もしそう願っているならば記憶の復活はおそらくないだろう。思い出したくないと本人が強く願えば封じられたままになるだろう。
その時、いったい周りの人間はどうすればいいのだろうか。
王や王妃、ルナ王女、ご子息のエミール王子、そして自分。だが。それでカデナが楽になるのなら…。
「イリアス様。ダイアナちゃんは眠そうですわ。お預かりします」
夫人が、イリアスの側に来て、そう言った。
「はっ。あ、いいえ。今日は一緒に寝ます」
「でも。カデナ様とお話された方がよろしいですわ」
「はあ」
「お父様。カデナお兄ちゃまとお話して。ダイアナも祈りますから」
「う、うん」
ダイアナを夫妻に任せると、イリアスは食堂でカデナと二人になった。
「で、おまえは何者なんだ」
カデナの鋭い視線が、飛んでくる。
「私はアルフェータの騎士です。王宮付で、王宮の筆頭警備を任されてます」
「名は」
「イリアス・ヴァン・カーンスルーと申します」
なんで今更自己紹介なんぞ・・・と、イリアスは悲しくなった。
「なんでそんな奴が私と結婚しているのだ。私はアルフェータ人なのか」
これではあんまりだ・・・とイリアスは泣きたくなる。
「というよりも貴方はそこの王族なのです。かつてはカデナ王子と呼ばれていました。今は、事情によりご子息に王位を譲られて隠棲しておられました」
「ふーん…」
まったく覚えていないらしい。これではエミール王子も哀れである。
「妻は亡くなったのか。おまえと結婚したのならば」
「は、はい。ミレンダ様は亡くなられました」
一瞬の沈黙のあと、カデナはイリアスをジッとみてから口を開いた。
「おまえと俺はいわゆる恋愛結婚というやつだったのか」
いきなり核心をついてくるカデナだった。
「とっ、とんでもない。いわゆる政略結婚というやつで」
思いっきり「とんでもない」に力を込めてしまったイリアスは一瞬マズイと思った。
「だろうな」
カデナは意味ありげな視線をイリアスによこして小さく苦笑した。
「ど、どういう意味ですか。その笑いはなんですか」
マズイと思ったこともすっかり忘れて、イリアスはムキになっていた。
「怒るなよ。深い意味はないんだ」
ふっ、とカデナは余裕めいた笑みをもらす。
「貴方ときたら、記憶をなくしていてもそういう態度なんですね」
「俺はいつもこうなのか」
「まったく変わりませんね。自分一人別世界にいるような、そんな感じで私を見るんです。遠いですよ。本当に貴方は遠い人です。カデナ様」
言い終えてから、きゅっとイリアスは唇を噛んだ。
「近くなりたいのか?」
「一応は夫婦ですし。って、そんなこと言ってる場合じゃない。とにかく貴方は思い出さなければなりませんよ。私のことはどうでもいい。ただ、
ご家族がこのままでは心配なさる。努力してください」
「努力もなにも。おまえが説明してくれただけで事足りる。そう思えばいいのだろう。俺はアルフェータのカデナだと」
「言われてみればそうですが…。でも本当に不安じゃないんですか」
「別に」
やっぱりネジが一本足りないよ、この人…。イリアスはまじまじとカデナを見つめた。
「おまえのことも、夫と思えば良いのだろう。ところで、ルナ…ダイアナと俺は本当に親子ではないのか。良く似ているが」
フアリドは大きく息をついた。
「今は親子です。でも、ダイアナは元々は私の娘です。彼女は貴方の姉上と私の間に出来た子です。だから似ているんですよ。貴方は姉上と
そっくりですからね。似ているんです」
「俺の姉」
ピクリとカデナの眉が寄る。
「おまえは、その、私の姉上とやらと結婚しなかったのか」
カデナの言葉、イリアスの胸をグサッと抉った。
「ええ。振られましたから。ところでこれは極秘事項ですよ。ルナ様は、まだ独身でいられますから誰かの耳に入ったらマズイのです」
なんとか立ち直り、イリアスはルナをフォローする。
「ルナというのか。では、グリールはダイアナに私の姉の名をつけたのか」
「貴方がカデナと呼ばれていたから、きっとセットにしたんですよ。美形で有名なご姉弟ですからね」
カデナがイリアスを覗きこむ。
「なにを怒っている。おまえの古傷に触れたからか」
いきなり顔を近づけられてイリアスは後ずさった。
「そ、そんなんじゃありません」
「まあいいか。腹も膨れたし、寝ようっと」
グンッと体を伸ばし、カデナは悠長に言った。
「さっきまで寝てたんでしょうに。まだ寝る気ですか」
この非常時によくもまあ、と思いつつ、記憶を失っていてもここらへんはカデナらしいなとイリアスはなぜだかホッとしていたりもする。
「おまえも一緒に」
「はあ?」
イリアスは素っ頓狂な声を上げた。
「夫婦なんだろ」
カデナは、イリアスの反応を訝しく思ったのか、眉を寄せていた。
「ちょっ、ちょっと、何考えているんですか」
「別に。夫婦だから一緒の部屋に寝てもおかしくないだろって」
「そりゃまあそうですが」
カデナがこんなことを言うなんて信じられない。といっても深い意味は、またしてもなさそうだが。
「いいでしょう。寝ましょう」
「そんな力を込めて言うなよな」
カデナに言われて、イリアスは、思わず顔を赤らめた。

back  TOP       next