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カデナはダイアナにつきあって庭の散歩をしていた。
ダイアナは外が大好きだから散歩に出たらしばらく帰ってこない。
カデナも運動不足を解消するために律儀につきあって庭を歩きまわっている。
そういう事実を知っていたから、イリアスは久しぶりの休日に羽目を外していた。
屋敷の中にはうざったい護衛の騎士を除けば、イリアスとモニカ二人だった。そうなれば、自然とかつての流れでそうなっていた。
イリアスとて健康な大人の男である訳で、カデナと結婚したからといって、彼とそういうことをしている訳ではないので色々不都合があったのだ。
全てを終えて、二人は一緒にシャワーを浴びた。モニカが仕事で厨房へ行くのに、イリアスはくっついていった。
甘美な時間の名残を、イリアスはまだ微熱のように持て余していて、モニカと厨房で熱烈なキスを交わしている時だった。
なんでか知らないが、カデナとダイアナが厨房に入ってきたのだ。当然見られてしまった。
「お邪魔だったわ」
慌ててダイアナが出て行く。カデナもスタスタと出て行った。娘の言葉に動揺しながらも、イリアスは二人の後を追った。
「厨房になにか用だったのか、ダイアナ」
なにごともなかったかのようにイリアスが言うと、ダイアナがうなづいた。
「食べられるお花を見つけたの。前にモニカに教わったのよ。それを料理しようとしたんだけど…」
ダイアナは黙ってしまう。
「モニカがいるから、料理してきなさい」
しかし、ダイアナはジッとイリアスを見つめている。
「な、なんだい?」
たじろぎつつ、イリアスはダイアナを見下ろした。
「お父様、お父様は前に言ったわ。モニカとキスするのはお母様の代わりだって。そして次に言ったわ。カデナお兄ちゃまが来た時は、今度は本当に、お母様の代わりだよって。
お二人は結婚したんでしょ。愛し合ってる筈だわ。なのに、どうしてお父様はモニカとキスするの」
一気にダイアナは疑問を口にした。
「そ、それはその」
イリアスは、顔が赤くなるのを感じた。いつかくるとは思っていた質問だった。ダイアナもこの国の女だ。
父親と母親が前提ではあるが、母親と母親、もしくは父親と父親という組み合わせでも疑問は感じない。
父親が男で、母親が女で、その程度の認識で、基本的には結婚というのは愛し合っているものがするものだと思っている。
父親が二人いるのが疑問じゃないのだ。夫婦として存在しあっていて愛し合っていないようなのが疑問なのだ。
いつかは話さなきゃならないと思っていたが、それにしてもこの娘は、ませすぎているのではないだろうか。
「あー…、えーと」
イリアスが言いよどむと、カデナはダイアナの疑問をあっさり解消した。
「ダイアナ、俺はおまえの母親代わりだけど、ただそれだけなんだよ。イリアスが愛しているのはモニカだけど二人は事情があって結婚できなくて、イリアスは仕方なく俺と結婚したんだ。
でも、そのことを俺も納得しているんだよ。だから、いいんだ。これで、いいんだよ」
「納得しているってどういうこと?仕方なく、って?じゃあ、カデナお兄ちゃまもお父様を愛していないの?誰か他に愛してる人がいるの」
ダイアナは、不安そうにカデナを見上げた。
「ダイアナ、それは」
と、イリアスが言いかけた時、カデナはきっぱりと言った。
「…おまえのお父様を愛してないよ。俺は誰も愛してない。ダイアナは可愛いけどね」
イリアスは、カデナを振り返った。カデナと目が合うが、彼は顔色一つ変えていない。
「…」
イリアスは黙りこむ。そして、ダイアナの疑問は続く。
「そんな。カデナお兄ちゃまは、エミールのお母様がまだ忘れられないの。だから、お父様を愛せないの?」
「そうかもしれないね」
カデナはそう言ってダイアナの頭を撫でた。
「だから、ダイアナも、イリアスとモニカがキスしていても気にしちゃダメだ」
「良くないわ。だったら、どうしてお二人は結婚なさったの?」
政略結婚という言葉など説明したところで、まだこの幼い娘が理解出来るのか?カデナはフムと考え込んだ。
「納得出来ないわ」
ブンブンとダイアナは首を振った。
「…」
やれやれとカデナは前髪を掻きあげると、チラリとイリアスを見た。
「あとはおまえに任せた」
「え?」
「納得いくまで説明してやれ」
「な。好き勝手言って、後始末は私に押し付けるつもりですか!?」
「当事者だろ、おまえ」
そう言うと、カデナはさっさと、行ってしまう。ダイアナは、ウルッと目を潤ませていた。
「お父様とカデナお兄ちゃまは、愛し合っていらっしゃらないのね」
「あのね、ダイアナ」
イリアスがダイアナの肩に触れようとしたが、振り払われた。
「じゃあ、いつか、お別れする時がくるのね」
「なんでそうなるんだ?」
と、ダイアナはキッとイリアスを睨んだ。
「だって。前にお父様と見にいった御芝居では、愛し合っていない2人は、お別れしてしまったわ。お父様、そう説明してくださったじゃない」
「そ、そうだったっけ?」
そういえば。いつぞや、知り合いの御芝居の上演に、ダイアナを連れて行ったことはあるが。そんな説明をしたのだろうか。まるっきり覚えてない。
「ダイアナはイヤ。モニカは好きだけど、カデナお兄ちゃまも好き。今更お兄ちゃまがどこかへ行かれてしまうのは、嫌です。嫌」
「ダイアナ。カデナ様は、王様からの大切な預かりものだ。だから、私達が簡単にお別れすることはないから、安心しなさい」
「わかんないもん。カデナお兄ちゃまがお父様を愛してないならば、いつかはお父様に愛想を尽かして出て行かれてしまうかもしれないじゃないの」
「うっ。それは。その。有り得るかもしれないが」
イリアスは、娘の言葉に、傷ついた。
しかし。
愛想を尽かすなんて、一体どこで覚えてくるんだ・・、この娘は・・・とイリアスは苦笑する。どこまで意味がわかって、言っているのか。
隣でモニカがクスクスと笑っている。
「モニカ」
「すみません。でも、イリアス様のお顔が。とても面白くって。青くなったり、赤くなったり」
「君にも責任があるんだが」
「ですが。この場合、私などが口を挟んだらこじれてしまいますわ」
と、2人のやりとりを聞いていたダイアナが、グイッと2人の間に割って入る。彼女には、どうやら睦まじい2人、と映ったようなのである。
「くっつかないで」
「え?」
「お父様。ダイアナは、カデナお兄ちゃまに、お父様を愛してくださるように、頼んできます。だから、お父様は安心していてよいです」
「なにを。冗談じゃない。余計なことを言うのでは、ない」
慌てて、イリアスはダイアナを抱き上げた。
「わかった。わかったよ。もう、モニカとはキスしない。くっつかないから。それで納得おし。な、ダイアナ」
同じ目線で、イリアスは娘にそう誓った。
「納得しません」
プイッとダイアナは顔を背けた。
「おまえ。頼むから、そんなことカデナ様に言うのではないぞ。そんなことをしたら、余計カデナ様は出ていってしまうかもしれないぞ」
「一生懸命お願いすれば、大丈夫です」
「ダイアナ」
イリアスは、大きな声で、ダイアナの名を呼んだ。
ビクッとダイアナは、イリアスを見た。
「聞き分けのないことを言うと、怒るぞ」
「・・・」
「カデナ様に余計なことを言ったら、いけない。わかったね」
「離してよっ」
「ダイアナ」
「お父様の為でもあるのに、どうして怒るの。離してよ」
ジタバタとダイアナに暴れられて、イリアスはオロッとし、慌ててダイアナを下ろした。
「うわあああん」
泣きながら、ダイアナはキッチンから走り去ってしまう。
「ダイアナ」
「きっとカデナ様のところに行かれたのですね」
モニカは、イリアスを見上げては、微笑んだ。
「やれやれ。ダイアナのカデナ様ダイスキにも参ったな。ひょっとして親である私より好きなんではあるまいな」
不安がイリアスの胸を横切る。
「ダイアナ様の気持ちもわかります。大好きな方々には、仲良くしてもらいたいものですからね」
「いや、別に。私はカデナ様と仲良くしてもよいのだが」
「そうですわよね。カデナ様は、ルナ様にソックリですもの」
イリアスはモニカを見つめた。
「そう意味でなく。なぜ皆、私の古傷を抉るのだ」
「すみません。でも、私達。控えた方がよろしいですね。ダイアナ様に泣かれるのは、辛いですから」
そう言って、モニカは厨房に戻っていった。
イリアスは、溜め息をついた。頭を冷やしに行こうと、庭に向かった。


時間を費やしてから、イリアスはカデナの部屋へ向かった。
案の定、ダイアナはカデナのベッドで眠ってしまっていた。
「すみません」
カデナは、読んでいた本から顔をあげて、イリアスを見た。
「おまえのこと、ダイッキライって言ってたぞ」
「は。そうでしょうね」
クスンとしょげつつ、イリアスはダイアナを抱き上げようとした。
「どこへ連れて行く?そこに寝せておけ」
ソファに座ったカデナは、イリアスに指示した。
「部屋に戻すつもりですけど」
「起きられると、色々と面倒だ。そのままでよい」
「そうですか。どうもすみません」
カデナは、再び視線を本に戻した。
「あの。ダイアナの言ったこと。気にしないでください」
「なにも気にしてない」
即答ッ!
イリアスは、心の中で、ふか〜い溜め息をついた。
「今度は、見つからないようにやるんだな」
本から顔をあげないままで、カデナは言った。
「今度はありません。モニカにはフラれました。ダイアナには泣かれるし、貴方には散々言われるし」
イリアスは、ボソボソと言った。
「散々?どこが、散々だ。俺がなにを言った」
「なにを言ったって・・・。なにを・・・」
反芻して、イリアスは慌てて首を振った。
「あ、いえ。そうですね。ですが、もっと、こう、柔らかく言ってくだされば、こうもダイアナが騒ぐこともなかったと」
「柔らかくって、なにをだ?」
「え。ですから」
カデナは、本から顔をあげて、イリアスを不思議そうに見ている。
「ですから、ですね」
「ああ」
「その」
言ったきり、イリアスは黙ってしまう。
「なんだ。はっきりしない男だな。王宮での態度とはえらい違いだ」
カデナは片眉を器用につりあげた。
「ですから」
「ですから?」
「私を愛していないと言われたことですッ」
イリアスは叫んで、ハッとした。
おそるおそる後ろを振り返ったが、ダイアナは寝息を立てて眠っている。
カデナは肩を竦めた。
「柔らかく言おうが、固く言おうが、事実は事実だ。ダイアナには理解してもらわねばならない」
「!」
「おまえだって、同じだろう。期待させて、互いに気まずい雰囲気になるのは面倒くさいだろう」
カデナはあっけらかんと言った。
「もう充分気まずいです」
「ん?」
「もう充分気まずいと申し上げたのです。そりゃ、私達は、好きあって結婚したんじゃありません。政略婚ですが・・・」
イリアスは、そう言って、カデナを見つめた。
カデナの翠の瞳が、こちらをジッと見つめ返している。
「ですが」
あまりに、ジイッと見つめられて、イリアスは、我知らず顔をカッと赤くしてしまった。バッとカデナから目を反らした。
「!?」
「もう、いいです。貴方と、こういう微妙な話をしたこと自体が間違ってました」
「なにを怒っているんだ、おまえは」
「失礼します」
つかつかとカデナの目の前を通り過ぎ、イリアスは部屋を出ていった。
「よくわからん男だ・・・」
カデナは、呆然として、イリアスの後姿を見送った。


次の日。
職務を終えたものの、イリアスは家に戻る気がしなかった。
「ダメだ。今は顔を合わせる気分にはなれん」
ハアと溜め息をつき、イリアスは、部下に伝言を頼み、王宮の夜勤室に泊りこむことに決めた。
イリアスほどの高位の騎士(おまけにカデナとの結婚で、王族扱い)ともなると、余程のことがない限り泊り込みという任務はないので、夜勤室に居合せた下位の騎士達は、緊張しきっていた。
おまけに、イリアスはやたらと暗かったので、夜勤室には、張り詰めた空気が充満していた。
「あー、疲れた」
バタンッ★
そこへ、イリアスの同僚の、気侭な独身貴族であるシータが、やって来た。彼は、風呂付き・飯付きのこの夜勤勤務がダイスキで、この部屋の常連だった。
彼も貴族で、高位の騎士なのだが、その気さくな性格が下位の騎士達の人気を集めていた。
「シータ様」
騎士達は、ドドドとシータに走り寄ると、部屋の隅を指差した。勿論、そこには、とっても暗いイリアスが鎮座していたのだ。
「おお。我同期、そしてアルフェータの華を一人占めした、にくきハンサムヤローのイリアスではないか」
おちゃらけて、シータはイリアスの傍へと駆け寄った。
「それにしても。なんでおまえがここに居るんだ」
「相変わらず。おまえは元気だな。シータ」
ボソッとイリアスは呟いた。
「なんだ。シケた面して。どーした。カデナ様と夫婦喧嘩でもしたか?」
ハッハッと笑いながら、シータはバシンッとイリアスの背を叩いた。
「・・・」
ガックリとイリアスは項垂れた。
「あれ?図星・・・」
コキッと、シータは首を傾げた。


モニカが、イリアスの不在を告げた。
「とくに王宮で、なにか大事があったとは聞いておりませんが、いづれにしてもイリアス様は、夜勤だそうで」
食事を片付けながら、モニカはカデナに説明した。
「ふうん」
カデナは、興味なさそうにうなづいては、膝の上のダイアナを見た。
「だ、そうだ。寂しいか?ダイアナ」
「少し・・・」
ダイアナは、銀のスプーンを口に含みながら、なにか考えるような顔をしてボソリと言った。
「ならば、今夜は、私と一緒に寝よう」
「はい」
ポンとカデナはダイアナの頭を撫でた。


最初の1日は、「帰りにくい」という理由で、夜勤室に泊った。
だが、次の日は、シータと酒を飲みに行く約束をして、夜更けまで飲みすぎて、シータの家に泊った。そして、次の日もまた、シータの誘いにのって、夜勤室入り。
イリアスは、自分の愚痴を聞いてくれるシータに、すっかり心を許し、かつ、独身時代に戻ったかのような気軽さを得てしまい、とうとう一週間も家に戻るタイミングを逸してしまった。


さすがに、戦でもないのに、イリアスが一週間も家を空けたことに家の者は疑問を感じ始めていた。
「どうしたのでしょう」
モニカは、不安そうにカデナに相談をもちかけた。
ダイアナも
「私がお父様を、怒ったりしたからなのかしら」
と、落ち込み気味だ。
女2人に、暗い顔をされて相談されて、さすがのカデナも重い腰を上げざるを得なかった。
カーンスルー家を守る護衛の騎士達は、王宮とここを行ったり来たりしている。
本日、王宮詰めをしてここへ来た護衛の騎士を呼び出して、カデナは質問をした。
「イリアスは、一週間も留守にしている。大きな声では言えぬなにか大事が、王宮で起きたのではあるまいか?」
すると、騎士は、ブンブンと首を振った。
「王宮は平和でございます。王ご夫妻は相変わらず仲がよろしく、エミール様は、健やかに雪王宮においででございます。あ、ですが」
「ですが?」
カデナは身を乗り出して、騎士をジッと見つめた。なぜだか、騎士は顔を赤くしながら、
「る、ルナ様がアスクル様と本日大層な喧嘩をされておりましてかなりの騒ぎになっておりました」
「あ!?」
フンッとカデナは鼻を鳴らした。
「くだらん。そんなことは、日常の出来事だ。で!?それ以外は、なにもないのだな」
「はい」
「では、何故、イリアスはここに戻ってこない」
「そ、それは。私にもわかりかねます。イリアス様は、常に夜勤室に留まっております故に」
「夜勤室」
フムとカデナは首を傾げた。
「今日もそこに泊るのであろうか」
「は。本日もお戻りになられぬと申しておりました」
「仕方ない。出向く」
「え?今、なんと」
「王宮に出向くと言ったのだ。用意をしてくれ」
「は、はいッ」
騎士は、全身に緊張を漂わせながら、任務を共にする同僚達に、その旨を伝達しに駆け出して行った。


夕方の風王宮がざわめきに包まれた。勿論、カデナの非公式訪問のせいである。
「なにごとだというのだ、カデナ。そなたがここに参るというのは」
王は疑問を口にする。
「別に。なにも。ただ、たまには、父上や母上のお顔を拝見しに」
「だったら、昼に来ればよかろう。しかも、こんなに忍んで来ようとは」
父と母と姉と共に、カデナは遅い夕食を食べていた。
「怪しい行動ねぇ。ホホホ。イリアスとなにかあったの?もしかして、家出だったりして」
ルナは楽しそうに言った。
家出してるのは、あいつの方だよと言う言葉を飲み込んで、カデナはニッコリと微笑み返した。
「私達は別に、なにも。姉上こそ、聞いておりますよ。今日も、相変わらずアスクルとは仲がよろしいようで」
「!」
ルナはキッと、カデナを睨みつけた。カデナは平然とそれを無視して、フルーツを食べていた。
「ルナ。いい加減、身を固める気はないのか。アスクルとならば、私は許してやろうぞ」
王は、チラリとルナを見た。
「ならばアスクルに命令されたらよろしいわ。あちらが色よい返事をくださらないのだもの」
「そうであろうな。盛りを過ぎた王女など、誰が貰ってくれようか」
王はホウッと溜め息をついた。
「それより。カデナ、貴方、イリアスと、本当にうまくやっているの?まさか、ルナが言うように家出なのでは」
王妃マルガリーテは、顔色を曇らせた。
「母上はなにもご心配なく。そうだ、姉上。食事が終わりましたら、是非私の話を聞いていただきたく」
カデナは、ルナを振り返った。
「貴方の嫌味ならば、聞く耳はなくてよ」
プイッとルナは顔を反らした。
「そうではなく。ダイアナの悩みなど」
「ダイアナの?」
ルナはピクッと反応した。彼女にとってダイアナは、愛しい娘だ。
「よいわ。では、あとで私の部屋に」
「ありがとうございます」


ルナは、自分の部屋のベッドで、腹を抱えて笑っていた。
「アーハッハッ。や、やだ。そーゆ話だったのね」
「一体なにがそんなに可笑しいのか、理解しかねます」
ルナに、最近のイリアスの行動を説明したら、ルナは幾つか質問をよこした。それについて、カデナが答えたところ、ルナはベッドの上を転がり爆笑しまくっていると言う状況だ。
「聞いてるわよ。イリアスの夜勤室詰めの話。同僚のシータと夜毎飲み歩いているってね。お母様の手前、言いはしなかったけどね」
「ご配慮、ありがたく思います」
チッと心の中で舌打ちしつつ、カデナは礼を述べた。
「一体なにごとか思えば。イリアスは拗ねているだけじゃないの。貴方、本当になにも気づかなかったの?」
「は?」
カデナは、キョトンとしている。
「ダメだ、こりゃ。アンタは、本当に鈍いのねー。ま、イリアスも相当鈍い男だったけど、少なくともアンタ程じゃなかったわ」
ルナは、まだ笑いながら、ベッドから身を起こして、長椅子に腰かけている弟の隣に腰かけた。
「いいこと、カデナ。イリアスはね。傷ついているのよ。貴方に、きっぱり、愛していないと言われたことに」
「なにを言うかと思えば。姉上は、すぐそういう方向に話を持って行くのですね」
カデナは、ルナを白い眼で見つめた。
「ちょっとー。その眼はなによ。私は恋愛のエキスパートよ。貴方の話を聞くところによると、それ以外考えられないわ」
「もっとマシなご意見を伺えると思ったのですが。例えば侍女のモニカにフラれたと言っていたこととか」
「あの娘のことは、関係ないわね。そして、ダイアナが怒ったからでもないわ。君の台詞が原因よ」
「なんで断言出来るのですか?」
「少なくとも。私は、イリアスという男を、貴方より理解出来るからよ。私は彼と愛し合って、子供まで授かったのよ。ま、いづれにしても、貴方はイリアスのことを理解しようとは思ってないのでしょうけどね」
ルナの自信満々な言いように、カデナは我知らずムッとした。
「その男を捨てたくせに」
ボソッとカデナは言った。
「それとこれとは関係ないでしょう」
キッとルナはカデナを睨んだ。
「だいたいね。そりゃ政略だけどさ。一緒に住んでいるんだし、これからもつきあっていく相手に、愛してない、なんてキッパリ言う方が間違っているわよ。気まずいでしょうが」
「!」
カデナはハッとした。今ルナが言った言葉が、この前イリアスが言った言葉と重なる。
「なんでも素直に口にすりゃ、言いってもんじゃないのよ。貴方はそんなナリして、本当に子供ね。恋愛がどーのという前に、人間として考える部分があるんじゃないの」
「そこまで姉上に言われる筋合いはありません」
キッパリとカデナは言い返す。
「相談しにきたのに、その偉そうな態度はなに?え?」
ルナは、ガルルとカデナを覗きこんでは、すごんだ。
「埒があかない。こうなったら、本人に聞き出すまでです」
スクッとカデナは立ちあがった。
「それがいいわね。きっと私の言ってること、当たってるわよ」
「その時は、姉上を少しは見直しましょう」
シレッとカデナは言った。
ムッしつつ、ルナは、それでも立ちあがったカデナに助言する。
「カデナ。貴方、本当にもう少し、イリアスのことを理解してやろうという気持ちにならないと・・・。本気で追い出されるわよ」
「・・・」
カデナは僅かに考え込んだ。
「王族という身分を盾に出来るのも、イリアスが今のイリアスである場合だけよ。心が冷めた相手とは一緒に暮らすことが出来ないの。愛せとは言わないけど、思いやりを持ってやりなさい」
ルナの言葉にカデナはうなづいた。
「姉上も。少しはイリアスに後ろめたい気持ちがあるんですね。驚きました」
カデナの言葉は、ルナの図星をつく。
「驚きました、ってなによ。そりゃあね。私は、あの人の愛を振り切って別の男に走ったから。後ろめたいに決まってるわ」
「私にその罪を償わせるつもりですか?」
フッとルナは笑った。
「償う気なんてないのでしょう」
「どうでしょう」
カデナも、笑い返しながら、ペコリと御辞儀をした。
「大変参考になりました。ありがとうございます」
「バカにしてんの?」
「結果次第ですね」
「可愛くな〜いッ」
フンッとルナは鼻を鳴らした。


その頃、夜勤室では、まことしやかに、とある噂が流れていた。
夕刻、裏口付近が妙に騒がしく、物々しい警備体制であったと。
中には、美しい金髪を見かけたという噂もある。
それらを総合して、カデナ様が密かに王宮入りしたのだ、と結論が出る。
なぜ!?
「なぜってそりゃ。もう一週間も夜勤室詰めをされているイリアス様とのことだろうさ。シータ様が聞き出した情報によると、どうもお2人は夫婦喧嘩されているようだし」
と、コソコソ皆で囁きあっているところに、本日非番で、真昼間から城下で遊び惚けていた上官2人がバアンッと部屋に入ってきた。
「たっだいま〜」
「本日も邪魔をする」
シータとイリアスである。2人とも既にたっぷりと飲んでいるようで、真っ赤な顔をしているし、足元はフラフラである。
「イリアス様ッ」
一人の騎士が、ベッドに倒れこんでしまったイリアスの名を呼んだ。
「待て。こういう話は、慣れたシータ様にお任せした方が良い」
と、同僚に忠告され、うなづいた。
シータもドオンッとベッドに転がって、ヘラヘラしていたが、部下達に詰め寄られ、起きあがった。
「実は。カデナ様がこちらにいらしているようです」
その言葉を聞き、シータは、一気に酔いが冷めた。
「なんと?それはまことか」
「は、はい。確かな筋の情報です」
「うーむ。とうとう旦那を連れ戻しに参られたか」
と言って、チラッとシータはイリアスのベッドを眺めた。イリアスは、既にグーグーと寝息を立てて眠っていた。
「こんなむさくるしいところに、あの方をご案内する訳にはいかない。イリアスを、星の廊下に連れ出せ」
と言いつつ、その実は。この夜勤室には、シータが持ち込んだ、さまざまないかがわしい物があちこちに転がっているからである。
星の廊下とは、王族の住まう風王宮から、この夜勤室に通じている廊下で、吹きぬけの渡り廊下になっている。
そこからは、名の通り満天の美しい星を見ることが出来た。
「星の廊下にですか?」
「なに、酔っ払ってそこで転がっているとでも説明出来る」
「し、しかし、警備上、かなりの問題が」
「なにを言っている。向こうにも警備の騎士はついて来るだろうし、こちらからは、なにごとかあれば、目の前が星の廊下だ。すぐに出動出来る」
「は、はあ。よろしいのでしょうか・・・」
騎士達は顔を見合わせた。シータに相談したのは、間違いだったのでは?という疑問が、誰の頭にもよぎっていた。
「さっさとイリアスを引き摺り出せ。頑丈なヤツだ。どこで寝ようと、風邪もひくまい」
「わかりました」
「責任はカデナ様にとっていただく。あの方もそれなりに、色々含むことはおありの筈だぞ。イリアスも気の毒なのだ」
「で、では、早急に」
騎士達は、そそくさとイリアスのベッドに忍び寄った。


「カデナ様。足元に気をつけてください」
「大丈夫だ」
カデナは、星王宮にある夜勤室に向かっていた。
騎士達が、ランプで足元を照らし出している。
「もうすぐ星の廊下でございます。そこを通れば、もう目の前が夜勤室でございます」
「ああ」
と、騎士達が歩を止めた。
「カデナ様。しばし、お待ちを。廊下に怪しい人影が」
「・・・」
騎士達は星の廊下に、ダラリと転がっている人物を見つけ、キッと気持ちを引き締めた。
「どうしたのだ」
「怪しい人影が。今、確かめて参ります」
バタバタと騎士達が、星の廊下に走っていく。
が、すぐに、血相を変えて戻ってきた。
「カデナ様」
「どうした。通れぬか?」
「いえ、その。」
騎士達は言いよどんでいる。
カデナは、ひょいと騎士達を避けて、廊下の方を見た。
「誰か寝ておるのか?あんな所で」
「イリアス様です」
「イリアス?」
カデナは、聞き返す。
「間違いなくイリアス様でございます」
「もしかして。死んでるのか?」
「と、とんでもございません」
「あんな所で寝ているとは、変わった男だ。まあ、知ってはいたが」
「どうも、その。酔っておられるようでして」
その言葉に、カデナはフッと笑った。
「おまえ達はここで待て」
「はい」
騎士達は廊下のすぐ入り口で待機することになった。カデナは星の廊下に足を踏み入れた。なるほど。名前の通り、頭上には星が煌いている。
王族は、ほとんど風王宮を出ることはない。だから、自分達の住まう城の中といえど、知らない場所は多いのだ。
近寄ってみると、確かにイリアスだった。カデナは屈んで、イリアスの頬を叩いた。
「起きろ、イリアス。こんな所でなにをしている」
「う・・・」
「イリアス」
パアンッとカデナは思いっきり、イリアスの頬を叩いた。
「!」
ガバッとイリアスは上半身を起こした。
「カデナ様?」
「そうだ。この酔っ払い」
「なぜにこんな所に」
ボウッとした顔で、イリアスはカデナを見つめていた。
「おまえを迎えに来たのだ。さっさと起きて、戻るぞ」
だが、イリアスは、酔いのせいか、顔を赤くしたまま、そっぽをむいた。
「イヤです」
「なにアホなこと言ってるのだ。おまえはここに住むつもりか」
「私は家には戻りません」
「ダイアナもモニカも心配している。訳のわからんことを言ってないで、支度をしろ」
カデナは屈んだまま、イリアスの顔を覗きこんで言った。
「私が家に戻れば、貴方は鬱陶しいでしょう」
「・・・」
「キライな男と顔を合わせずにすむでしょう。だから、戻りません」
カデナは、溜め息をついた。
「いつ、私が、おまえをキライだと申した」
「愛してないと、ハッキリ言われました」
「だからと言って、キライだとは申してない」
「同じことです」
「同じじゃない」
「同じです」
「この酔っ払い。いい加減にしろッ」
カデナは、ガッとイリアスの腕を掴んで、立ちあがらせた。
「世話を焼かせるにも程がある。まったく」
「お離しください」
「うるさい」
グイッと、カデナはイリアスを引っ張った。
だが、酔って力の抜けたイリアスは、その勢いに対抗出来ずにクニャ〜っとなり、そのままカデナの方へと真横に倒れた。
「う、わッ」
カデナは、ドサドサッと、イリアスに押し倒される形で、星の廊下に倒れこんだ。
「あ、危ない」
かろうじて残っていた危機回避能力で、イリアスは、カデナの頭が固い廊下のコンクリートに打ちつけられるのを右手で防いだ。
「危ないですよ、カデナ様」
「誰のせいだッ。重い、どけッ」
カデナはイリアスの下敷きになって、喚いた。


「なにをやっているのだろうか」
「見ようによっちゃ、ラブシーンでございますが」
「そーゆー感じでもねえよな」
星王宮側から、柱の影で、廊下を出歯亀っていたシータ達は、とうとう倒れ込んでしまった2人を見て、呑気に言った。
「見ろ。風王宮側のやつらも、どうしたら良いかわからずに、硬直しとるぞ」
「それは、我々も、です。シータ様」
「ふーむ。イリアスは、散々に酔っ払っておったからなー」
「頃合を見計らって、フォローに出てください」
「わかった、わかった」
シータは、ニヤニヤしつつ、星の廊下の2人に視線を戻す。


夜空の星、そして、月の光が、この廊下に届いて、廊下は妙に明るかった。
そんな中、事故といえど、カデナを体の下に引き込んでしまったイリアスは、そのカデナの顔をマジマジと見下ろしていた。
灯りに映える、美しい翠の瞳。そして、金糸の髪。
「カデナ様。私がお嫌いですか?」
「だから。何度言わせるんだ」
「貴方が私を嫌いでも、私は貴方が好きです」
カデナは眼を見開いた。
「気づいたら、なんだか、すごく、すごく、好きになってしまいました。最初の頃は、無愛想だし、なに考えているかわからなくて気味悪かったのですが」
「待て、こら」
「不思議ですねぇ。一緒に居ると、なんだかすごく貴方のことが可愛く思えてきて。そう思っていた矢先に、貴方は私はキライだと言われた」
「言ってない」
「愛してないと言われました」
「それは言ったが」
「ですから。辛くて。顔を合わせるのが辛くて。スミマセン、逃げました」
「・・・」
イリアスの銀の瞳が、自分を見下ろしている。
カデナは、どう答えていいかわからなくて、イリアスの銀の瞳を見上げていた。
「カデナ様」
「なんだ」
「私のことがお嫌いですか・・・?これからも愛せませんか?」
「おまえのことは嫌いじゃない。愛せないと断言するつもりはない」
「本当ですか?」
「ああ。だから家に戻ってこ・・!」
フラ〜ッと、イリアスの頭が揺れて、ドスッとイリアスは、カデナの胸に顔を埋めた。
「うっ」
これは、かなり痛い。
そして、その場は、静寂に包まれた。
カデナは叫んだ。
「助けてくれッ。イリアスを私の上から、退かしてくれ」
カデナ自身も、体が硬直して動かない上、意識を失ってしまったイリアスは鉛のように重い。
カデナの悲鳴に、風王宮側からの騎士と、デバガメっていた星王宮側からの騎士が同時に飛び出した。
ようやく、カデナはイリアスの体の下から助け出された。
「大丈夫ですか?カデナ様」
シータは、カデナに声をかけた。
「ああ」
「私はイリアスと同期の騎士、シータ・マイスラーと申します」
「知っている」
「有り難き幸せでございます」
シータは深々と頭を下げた。
「この度は、イリアスが迷惑をかけた」
カデナは、髪を掻きあげながら、言った。
「夜毎にそなたに、愚痴を聞かせたのであろう」
「ご存知でありましたか」
「姉上から聞いた。私はこのバカが、まさか本気でそんな理由で、家に戻ってこないとは思ってもいなかった」
シータは、心の中で、イリアスも気の毒に・・・と呟いた。
「私の友人であるイリアスは、昔から無骨な騎士ではありますが、情深き男です。どうぞ、カデナ様もお情けを。姉上様のこともありますし」
と、カデナは、すごい勢いでシータを振り返った。
「だから」
「は?」
「俺は、それがイヤだと申すのだ」
「え?」
シータはキョトンとした。
「イリアスのことはキライではないのだ。好きかどうかの前に、俺は、この男が、俺を見る眼に姉上を重ねているのが、気に入らぬ」
「は、はあ」
「イリアスによく言っておけ。俺は姉上の代わりに、愛されるつもりはないのだ、と」
「ご自分では言われないのですか?」
「言わぬ」
プイッとカデナは言うと、さっさと踵を返して、風王宮に戻っていった。
「はーあ。そーゆーことかぁ・・・」
シータは、顎を撫でては苦笑した。
「シータ様。ブキミに笑ってないで、手伝ってくださいませ〜」
騎士達は、沈没したイリアスを、優しく起こそうと必死だった。
「なるほどねぇ」
シータはニヤニヤしつつ、カデナを見送った。
「シータ様〜」
「わかったよ、わかった」
イリアスは、なにも知らずに、意地汚く眠りこけていたのだった。


イリアスは目を覚ました。
途端に、ものすごい頭の痛みに襲われて、うめいた。
「ぐわ〜。すげえ二日酔い・・・」
が、しかし。ハッとする。この部屋は、自分の部屋だ。自宅の部屋である。確か、自分は、夜勤室に・・・。
そして、隣を見て、顎が外れるほど、驚いた。カデナが眠っているのだ。
「なんで!?」
ひええ〜。なんで、なんで!?
おろおろとイリアスは、辺りを見回した。
思わず不埒なことが頭を掠めて、自分の状態を確認した。
とりあえず服は着ている。なぜだか、仕事着のままだ。
そして、カデナもきちんと夜着をまとっている。
「ハハハ。そーだよな。まさかそんなことがある訳ない」
ホッとしたものの、「?」という疑問が、すぐさま頭を横切っていった。綺麗さっぱり、昨日の記憶はなかった。
タイミングよく、ドアが開いた。
「お父様、お帰りなさい」
ダイアナが走ってきた。
「あ、ああ。ただいま」
「戻ってきてくれたのね。良かった、良かったわ」
ダイアナは、イリアスに飛び付いてきた。
イリアスはダイアナを抱き締めた。
「すまなかったね」
「ううん。いいの。それに、カデナお兄ちゃまとも仲良くなられたようだし」
「え」
「一緒に寝ていられるわ。いつもは別々の部屋で寝られるのに。ダイアナは、嬉しいです」
「あ、ああ。そうだね」
「ダイアナの御祈りが通じたんだわ」
と、娘は朝から喧しい。
「ダイアナ。あまりうるさくすると、カデナ様が起きられてしまうぞ」
「うん。そうね」
カデナは眠っている。あどけない顔をして、身をイリアスの方へと傾けて、眠っていた。
今だ胸は痛むものの、とりあえずは、なんだか復活出来そうだとイリアスは思った。
カデナは眠っている。安らかに。
キライな男の傍で、こんなふうに、安心して眠れることはないだろうから、と、とりあえず自分を納得させて・・・。
愛されなくても・・・。傍にいてくれるだけで・・・。
「じゃあ、先にご飯にしましょう」
「そうだな。うっ、痛てててッ」
イリアスは、頭を抱え込んで、シーツに突っ伏した。


後日。
ルナには、カデナから美しい花束が届けられた。
「姉上へ愛を込めて。カデナ」とメッセージのカードがついていた。
「愛を込めて・・・ね。そういえば、果たしてあの子。愛っていう言葉の意味をちゃんと理解しているのかしら???」
ルナは、カードを眺めては、首を傾げた。


エンド
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