back  TOP       next

その日、アルティマは侍女からの急ぎの伝達を受けた。
使者からの伝達を聞き終えたアルティマは、すぐに書状を書いた。
「これを、我が孫カデナの元へ届けなさい。読んだらすぐにアルティマ宮に来るように、と」
使者に書状を渡すと、アルティマはフゥッとため息をついた。
「さて。それでは、私も出かけねばね」


通称アルティマ宮は、皇太后アルティマの別荘を成金貴族のカーター公爵が、買い取ったものだった。
格付のせいか、媚びるためか、カーター公爵は買い取った別荘にアルティマの名をつけた。
そのせいか、貴族達は、カーター公爵のパーティーを宮廷行事の次くらいに大切に考えていた。
招かれることが、一種のステータスでもあった。
ガタがきた別荘を、破格の値段で買いとってくれたカーター公爵に、さすがに悪いと思ったのか時々はアルティマも
パーティーに出席することがあったから尚更だった。王族の者には、例え貴族であったも滅多に接することが出来ない。
ましてや、皇太后という地位は国の女性の中で一番地位の高い女性だ。
時の王妃、マルガリーテすら皇太后には及ばない。
パーティーが催されるたびに出席を催促する手紙がアルティマに配達されたが、連日のペースで行われるそんなものに
彼女は顔を出したりしなかった。代理人で済ませてきたのだった。
しかし、一年ぶりにどうしても出席しなければならない事態が起こった。
「まったく世話が焼けるわね」
そう言ってメイドに支度させた久しぶりに着る豪華なドレスは、アルティマの実際年齢を言い当てることが万人も不可能なくらい
完璧に彼女に似合っていた。
「さあ急いで。アルティマ宮に。って、この名前も結構恥ずかしいわ」
馬車に乗りこみつつ、アルティマは肩を竦めた。


王宮の騎士の中では、ダントツの貴公子と噂されているイリアスも、さすがにカデナの存在には勝てなかった。
なにしろ、貴婦人という貴婦人に白い目で見られるのだからたまらない。
話かけても、ろくに返してもらえずに無視される。
男どもからは、わざとらしくぶつかってこられて先程から白いスーツに何度ワインを染みこませたことか。
いいかげんに帰ってしまおうかと思ったが、なんといってもここはアルティマ宮だ。
ここで問題を起こせば皇太后アルティマ様に恥をかかすことになる。
イリアスは堪えた。堪えて、壁の花に甘んじていた。
そのせいか、ダンスタイムになっても、一向にお相手が見つからずにいたのだ。
ただ一人、アルティマ様の代理人らしき女性が、遠いひな壇に座らされながらもイリアスに同情の視線を向けている。
それに気づいたところで、まさか彼女を ダンスに誘うわけにはいかない。
彼女の脇にはしっかりカーター公爵夫妻が陣取っているからだ。そもそも、このパーティーはいわくつきだった 。
カーター公爵は年若い妻を溺愛していて、かつその年若い妻は、熱烈なカデナの崇拝者だったのだ。
招待状が来た時、カデナはこのパーティーに来るのを頑として拒み、イリアス一人が出席になったのだ。
そもそも、熱烈なカデナ崇拝者のカーターの奥方が、黙っている筈がない。カデナを妻としたイリアスのことを…。
その結果、イリアスはこのパーティーで疎外されているのだった。どうも仕組まれていたことのようだった。
最初からこれが目的だったようだ。
「踊りませんの?イリアス様」
妖艶な女性が話しかけてくる。
「お相手いただけますか」
「ごめんなさい。私、決まった方がおりますの」
侮蔑を浮かべた笑みで、返される。
先程から、こんなのの繰り返しだ。わかっていても、女性から話かけられたら返さねばならないしきたりに、イリアスは腹がたった。
こうなったら、そこらへんの男とでも踊ってやろうかと思ったりもした。
しかし、カデナがいないこの場所で別の男と踊ったらどんな噂が流れるかわからない。
この場合、想像を絶することになるだろう。止めておいた方が無難だと考えなおした。
再び壁によりかかって、イリアスはぼんやりとパーティを眺めていた。
その時だった。
カーター公爵の元に、使いの者らしき男が血相を変えて走ってきた。使者の伝言を聞いた夫妻は、バッと二人で走り出してホールから消えた。
楽団達に、使いの者が指示をしたらしく、音楽が急に変わった。
「た、ただ今、皇太后アルティマ様がご到着されました。突然のことですが、当パーティーに出席されたいとのことです」
使いの男の声が、上擦っている。
「なに!?」
ア、アルティマ様が…。イリアスは、顔色を青くした。
ま、まずい。こんな事態を見られたら、なんと言われるかわからない。しかし、イリアスの動揺をよそに、観衆はどよめいた。
「なんて、素敵なの。アルティマ様がおいでになられるなんて」
「さすがカーター公爵だ」
「アルティマ様にお会いできるなんて、感激」
口々に感嘆の声が洩れる。
じょ、冗談ではない。イリアスがホールをコッソリと抜け出そうとしたときだった。
盛り上がる音楽と共にアルティマが颯爽と登場した。
「おおっ」
感嘆の声がもれる。人々は声を殺して、ただアルティマに見入っていた。
かつて、この国のどんな花よりも美しいと称えられた女性だった。歴代の王妃の中でもその美貌はトップクラスだった。
確かに、ルナやカデナの人並み外れた美貌は、両親を飛ばしてこの方の血のなせる業だとイリアスですら思ったことがあった。
思わず足を止めて、アルティマを振り返る。本当に、姉弟によく似ていた。豪華なドレスもサラリと着こなしている。
「お楽しみなところを突然お邪魔致しました。なにやら楽しいことがこのアルティマ宮で行われているとのこと侍女から伺いましてね。
飛んできましたのよ」
ホホホと鈴を転がすような美声で、彼女は微笑んだ。アルティマの代理人の侍女も、ひな壇でホッとした顔をしている。
「ダンスのお時間でしたわね。続けてくださらない?」
アルティマの命令で、楽団達も再びダンス音楽を奏ではじめる。カーター公爵が震える手を差し伸べる。
「お、恐れ入ります。是非、お相手を」
するとアルティマは首を振った。
「ごめんなさいね。わたくし、決まった相手がおりますの」
とん、と侯爵の手を弾いて、アルティマはにっこりとほほ笑んだ。
「イリアス」
突然アルティマに呼ばれて、イリアスは硬直した。
「は、はいっっ」
イリアスはホールを横切ってアルティマの元へと走った。
「私と踊りなさい」
「は、はい。喜んで」
するとアルティマは微笑んだ。
「彼のお祖父様は、私と先代の王によく仕えてくれたわ。アルテスと言うんですけど。彼は私の夫とはまた違ったとてもいい男でした。
いつか、一緒に踊りたいと思っていたけど叶わなかったわ。でも、イリアスはアルテスにそっくりです。彼の孫と踊れるなんて、こんな
機会をあたえていただいた公爵ご夫妻には感謝しますわ」
上目使いで、アルティマはカーター公爵を見た。
「そ、そうなんですの。イリアス様は素敵ですが、カデナ様に義理立てなさっているのか、ずっと誰とも踊ってくださらないのです」
シレッとカーターの奥方が言った。イリアスは開いた口が塞がらない。
「ホホ。それはそうでしょう。なんといってもカデナはこのイリアスに惚れ抜いてますからね。他の方と踊ったらイリアスがあとで
どんな目に合わされるか。でも、私なら大丈夫ね」
「ア、アルティマ様、そのような…」
そんな事実はかけらもない、と言いかけたイリアスだが、キッとアルティマに睨まれ口を噤む。
「さあ、イリアス。踊りましょう」
優雅に手を差し伸べられて、イリアスはその手を受けた。
「困ったことになっていたようね」
耳元で囁かれて、イリアスはハッとした。
「ご存知でいらしたのですか。ああ、だから、いらしてくださったのですね」
「当たり前でしょ。それ以外、こんなつまらないパーティーに来るもんですか」
相変わらずの皇太后だったようである。
「侍女がね、急ぎの書状をくれたのよ。貴方が困っているって」
「あの方が…。しかし、後で公爵達になにを言われるか・・・」
「もうあの子を代理人なんかにしないわ。だから、安心なさい。人のことを心配する余裕があるなら大丈夫だったかしら」
「いえ。ありがとうございます。助かりました」
「御礼はソフィアへ。あの子、貴方のファンみたいよ。カデナに冷たくされてばかりなら、貸してあげるわよ」
バッとイリアスの顔が赤くなる。
「そ、そのような。からかうのはおやめくださいませ」
「まあ。可愛い。本当にアルテスにそっくりね。そういうところ。あの方はいくら私が口説いても、頑として乗ってくださらなかったわ。
今でも悔しいのよ」
フフフとアルティマは笑った。
「浮気は甲斐性よ。気にすることないわ。私だって夫だって山ほどしたわ。恋は素敵よ」
「そういうところ、ルナ様にそっくりですね。あ、彼女がそっくりなんですね」
「ルナね。あの子、大丈夫かしら。まったく、ルナとカデナ二人を足して2で割ったらちょうどいいかもね」
「言えてますね」
二人は二曲踊って、休んだ。アルティマが用意されたソファに腰掛けると、イリアスがワインを貰いに席を外した。
「遅いわね。この老体にあと何曲踊らせれば気が済むのかしら」
呟いて、アルティマは豊かな黒髪を掻きあげた。早速公爵夫妻が飛んできて、アルティマになんやかんやと世話を焼く。
「イリアス様はなにか申し上げておりましたか」
さすがにばつが悪いのか、公爵が聞いてくる。
「なにかって、なにかしら。別になにも」
アルティマは迫力のある美貌を公爵に向けた。
「お疲れのようでしたら、そろそろダンスを止めさせましょうか」
「ホホホ。それには及ばないわ。まだおもしろい余興が残っておりますの」
「余興とは?」
カーター公爵が首を傾げる。
「この老体で、何曲踊れるかってことよ」
「そんな。アルティマ様はお若いです。本当に、若くて美しい」
「あら!?若い時はそんな言葉は日常の挨拶だったけれど、年老いて言われてみると嬉しいものねぇ。御上手ですこと」
皮肉をこめた目でアルティマはカーターを見た。
「とんでもない。本心です」
自分の言葉がアルティマを気分よくさせたと勘違いしたらしく、カーターは上機嫌だ。
「イリアスが戻ってきたわ。ワインを飲んだら踊るわ」
「ごゆっくりお楽しみください」
夫妻は挨拶をして、アルティマから離れた。
「どうぞ」
「ありがと。まったく、あの夫婦と喋っていたら喉がカラカラよ。自分を押さえるの苦労するわ。馬鹿夫婦ね」
「…しかし、お屋敷を買いとっていただいたわけですから」
「どんな馬鹿が買うかって楽しみにしていたのよ。あんな値段で。そしたら想像とおりのヤツらが買ったからおかしくってね。
この屋敷は、私のアホ夫が愛人を囲っていたところなのよ。なのに、アルティマ宮なんてつけられて、やってらんないわ」
「アルティマ様は、なんだかんだ言っても、王を愛しておられたんですね」
拗ねたようなアルティマの言い方が可愛らしく、イリアスは微笑む。
「そうね。愛してはいたわよ。好きで連れ添った訳ではないけれど、長い間一緒にいたからね」
「はい」
「貴方達もそうなるわよ。安心なさい」
「いえ、別に、私は…」
しどろもどろになったイリアスをアルティマは誘った。
「さあ、踊るわよ」
「えっ。少し休まれた方が…」
「私の華麗なダンスを皆が見ているわ。腐っても注目されると昔の血が騒ぐの」
「では、お相手させていただきます」


それから二人が一曲踊り終えたときだった。
またしても使者が、カーター夫妻のところへ転がるようにして飛んできた。
「やっと来たわね」
アルティマが呟いた。
「は?また、なんかあったようですね。一体今日はどういう日なんだろう。忙しいですね」
イリアスは、訝しげに夫妻の方を見つめた。
「そもそもは、貴方を苛めた彼らが悪いのよ。そうね。でもいい機会だったわ。これで私も彼らとは縁が切れるわ。カデナは、
私より分別がないからねぇ」
「えっ?カデナ様って。ちょっと、待って下さい。まさか」
イリアスは先程より、際立って青くなった。突然、再び音楽が、歓迎の曲に変わった。
「とはいえ、彼らも運がいいやら、悪いやら。とりあえずはラッキーかもね。 本人が乗りこんできたんだから。あの馬鹿な奥方は
気絶でもしなきゃいいけど」
「冗談でしょう・・・。あのカデナ様が来るなんて…」
イリアスは唖然とした。
「カ、カデナ様のお着きですぅ」
情けない使いの男の声がホール中に響いた。
正式な名前を言わずとしても、カデナとだけ言えば、この場に居合わせた人々は それが誰なのかは勿論わかる。
女性達の嬌声が響いた。
「キャアア」
「うそっ。いらしたの?ほ、ほんとうに??」
アルティマは目を細めて、騒ぎを見つめていた。
「人気者ね。我孫ながら…」
音楽と共に、なぜか、カデナがホールに走ってきた。
「イリアス!」
大声で叫ぶ。
「うわっ。は、はいっ」
条件反射でイリアスは姿勢を正した。
「お行きなさい」
アルティマが手を振った。
「は、はい。失礼します」
イリアスは、カデナの前に立って更に驚いた。
「カデナ様。いったいどうなさったのですか」
カデナは礼装していた。久し振りに見る礼装姿であった。
「踊ってやる。おまえ、一人で寂しかったんだろ」
「え、いえ。アルティマ様が…」
イリアスを無視して、カデナはクルリとカーター夫妻を振りかえった。
「いつまで歓迎の音楽をやっているんだ。曲を変えてくれ」
「は、はいっっ」
二人は慌てて楽団に命じた。曲が変わる。本当にめまぐるしいパーティーだった。
人々はざわめきながら、中央で踊り出した二人を見つめていた。
「あの。注目されていますけど…」
むちゃくちゃ恥ずかしいイリアスだった。
「今まで全然注目されていなかったんだから、ちょうどいいだろ」
「そういう問題では」
カデナはキッとイリアスを睨んだ。
「恥ずかしいなんて言うなよ。俺のほうがもっと恥ずかしいんだからな。ダンスは苦手なんだ」
「一体どういうご気持ちの変化で?私が幾ら一緒に参加してくださいとお願いしても、一向に頷いて くださらなかったというのに、
突然・・・」
「おまえが孤立しているっておばあ様からの連絡を受けて。あのババア、きちんとした格好でこなけりゃ協力しないと書いてきやがって…。
おかげで俺はダイッキライな礼装をしてくる始末だ」
「お嫌いなんですか?」
はっきり言って、かなり良く似合っているのだが・・・とイリアスは思ったが、敢えて口には出さずに留めた。
「キライだよ。こんなキラキラした格好は。けれど仕方ない」
カデナは苦笑した。
「仕方ないとは?」
「自業自得だからさ。おまえを一人でこんなパーティーに送り出したから」
「じゃあ、次からはご一緒してくれますか」
イリアスは、嬉しかった。
「ちょっと違う。今後はこいつら主催のパーティーに来なきゃいいんだから」
「は。あ、それはそうですね」
それにしても夢を見ているような瞬間だった。あのカデナと踊っているのだ。髪の色と瞳の色が違うだけで、ルナによく似ていた。
かつての愛しい女と、こんなにもカデナが似ているとは・・・と、今更ながら思った。
「おまえ、姉上のこと考えているだろ」
「えっ」
イリアスは赤くなった。
「いやになるよ。鏡を見て、俺も思ったから。よく似てるって」
「でも、姉弟なんだから、当たり前でしょう」
イリアスがそう言うと、カデナは鼻で笑った。
「う、痛っ」
「あ、失礼」
カデナに足を踏まれて、イリアスは顔を顰めた。
「女のパートは詳しくないんで」
「…」
いつものように険悪な雰囲気に突入しようとしたとき、音楽が終わった。
カーター夫妻が二人に走り寄ってきた。
「カデナ様。突然のお越しありがとうございます。いらっしゃれないと伺っていたのですが…。それにしても、お美しい。
アルティマ様が言われていた余興とはこのことですか」
カーターがデレッとして言った。隣の夫人などは、もう目がハートマークになっていて言葉すら出ずにカデナを見つめていた。
「主催のカーター公爵ですね。突然の非礼をお詫びします」
カデナは、キラキラの格好とは裏腹に、ぶっきらぼうに言った。
ついでに言うと、まったくもってお詫びの言葉を述べているような口調ではない。
「とんでもない。皆様、華麗なるお姿をみてはため息をついております。妻などは、もう言葉もないくらいで…。イリアス様にご感謝を」
するとカデナは、奥方にチラリと目をやった。奥方は、カデナの視線を受けて、フラリとよろめきつつ頬を染めた。
「ふん。さんざん無視しておいてよく言うな。確かにイリアスに感謝してくれないとな。コイツがこんな状況でなかったら、来なかったところだから」
「カ、カデナ様」
止めるイリアスを無視して、カデナは言いつづけた。
「イリアスを辱めることは、私が辱めることと同じだ。おわかりか」
「…」
今までの自分達の態度がすっかりばれていると知ると、公爵夫妻は黙った。
「今後は、こちらのパーティーは控えさせてもらう。おばあ様も、こちらのパーティーはお止めになったほうがいい。
私と、イリアスを哀れとお思いなら」
すると、何時の間にか背後に佇んでいたアルティマは、にっこり微笑んだ。
「むろんよ。カデナ、貴方はどうでもいいけどわたくしはイリアスは可愛いの。私だけではないわ。王族はみなこの
イリアスが愛しいのよ。ね、カデナ」
するとカデナは渋々のようだが、うなづいた。
「夫以外とはどうこうなるつもりはないので、もう私がらみのこういうことは止めていただきたい。よいですね、カーター公爵夫人」
カデナはきっぱりと言った。
「あら、ま。その夫とも、どーにもなんないくせにねぇ」
アルティマが肩を竦めた。
「まったくその通りで」
コソリとイリアスがその耳元に囁いた。
「でしょ。ふふふ・・・」
二人はコソコソと笑った。カデナはムッとして二人を睨んだ。
「イリアス、帰るぞ。せっかくのパーティーを台無しにしてしまった」
「カデナ。わたくしは?」
アルティマがすねたように言う。
「ご一緒に帰りましょう」
「ならば、私の屋敷で一休みなさい。疲れたでしょ。こんなパーティーで」
まるで今か今かと待っていたように、「こんなパーティーで」のところに力を込めてアルティマが言った。
「ええ。疲れましたね。品のない方々の視線に晒されるのは」
カデナがとどめの一撃を言い放つ。イリアスは、まともにカーター公爵夫妻の顔が見られなかった。
そそくさと御辞儀をして、カデナとアルティマの後に続いた。
「あ、それから、ここの屋敷をアルティマ宮と言うの止めてくださいね。私、今後はもう二度とここへは来ませんから」
極上の微笑みを投げて、アルティマは言った。そしてさっさと踵を返した。
「お二人とも…。もう少し、柔らかに仰ったほうがいいかと」
イリアスが冷や汗をぬぐいながら言うと、よく似た二人が、クルリとイリアスを振り返る。
「甘いっ」
二人に同じことを言われてイリアスは黙った。
すると、ホールの方から退出の音楽が聞こえてきた。気の毒とは思うが、これでカーター公爵夫妻は社交界から絶縁されるだろう。
哀れとは思いつつも、イリアスは少し笑ってしまった。それはいつまでも聞こえる退出の音楽のせいかもしれなかった。


「あー。窮屈だった」
礼装を解いて、カデナが広間に戻ってきた。
「女の気持ちがわからん。なんで、あんな目にあってまで着飾りたいのだろうか」
ドサリと、カデナはソファに腰掛けた。
「そりゃ美しく見てもらいたいからよ」
紅茶を啜りながら、アルティマが言った。
「くだらないな。姉上といい、おばあさまといい、女は実に無駄なことに労力を使う生き物だ」
あっさりとカデナが返す。その言い方に、イリアスは多いに反感を持った。
そりゃ、くだらないだろうよ。
なにもしなくても十分美しいヤツなんかにそういう気持ちがわかるもんかとイリアスは心の中で文句を言った。
イリアスとて、女のそういう気持ちはわからないが、彼女らの努力をカデナのようにあっさりとくだらないという一言で
切り捨てていいものかと思った。
「おまえにはわからないのよ。美なんて縁がない世界にのほほんと生きている、おまえにはね。ね、ソフィア」
カデナの衣装を手に持ち、ソファの後ろに立っていた侍女にアルティマは話かけた。
「本当に美しい方にはわからないんですわ。先程、カデナ様の支度を手伝いましたが、もう肌なんて雪のように白くて、
綺麗で…。羨ましいですわ」
ホウッと彼女は溜息をついた。カデナがそんな彼女を白い目で見ている。
「ソ、ソフィアと言ったね。アルティマ様に知らせていただいてありがとう。助かったよ」
カデナの毒舌が彼女に炸裂する前に、慌ててイリアスが話を反らした。
「まあ、イリアス様。お礼なんて…。私はなにも出来ませんでした。結局はアルティマ様とカデナ様のおかげです」
ポッとソフィアの頬が赤らんだ。可愛い顔している子なので、そうなるとますます可愛らしくなった。
「もちろん。アルティマ様には感謝しているが、君にも…。ありがとう」
「俺には」
カデナが口を挟む。
「貴方は自業自得と自分で仰ったでしょ」
「そりゃそうだが」
フンッとカデナは鼻を鳴らした。
「ほんとにねぇ。こんな可愛げのない子じゃなくて、イリアス、貴方にはソフィアみたいな子がお似合いよ。我息子ながら、
とんでもない縁談を提案したものだわ。離婚したら?」
更にとんでもないことを、アルティマは言い出した。
「手放すには惜しい子だけど、貴方にならソフィアをあげてもいいわよ。イリアス」
途端にイリアスとソフィアが顔を赤くした。
「アルティマ様」
二人は同時に叫んだ。
「なんてことを仰るのです。アルティマ様。私なんて、私なんて…」
「その気があるなら、王に言ってあげてもいいわよ。あの子は私の言うことなら、耳を貸してくれると思うけどね」
どんどん進んでいく。
「結婚した今だって、諦めない馬鹿どもが多いんだからあまり意味ないわよ。ね、カデナ。あなただってそう思うでしょ」
アルティマが孫の顔を覗きこむ。
「もう帰ります」
カデナは立ちあがった。
「あら。どうしたって言うの?まだ話の途中よ」
するとカデナはアルティマを軽く睨んだ。
「勝手に結婚させられたんだから、離婚も自由です。私がいなくても、話は進むじゃないですか。失礼します」
「それじゃ、イリアスも同じね。じゃ、一緒に帰りなさい。あとは進めておくから」
ドンッと肩を叩かれて、イリアスは立ちあがった。
「アルティマ様。あの…」
カデナはさっさと広間を出て行っている。
「ホホホ。嘘よ。カデナの候補に貴方を薦めたのはルナだけど私だってそう思っていたのよ。今更離婚なんてさせるもんですか」
「アルティマ様も?そうだったのですか・・・」
「ええ。私達同じ血を持っているのですもの。私は本当に アルテスを愛していたわ。だから私の血が、カデナに流れている限り、
カデナは貴方と一緒になって幸せになれる筈なのよ。現にルナは貴方を愛したじゃないの。あら、前にも言ったわね、これ」
その通り、前にも聞いたことがあったイリアスだった。
「はい。ルナ様の時にもお聞きしたことがございますが。相変わらず無茶苦茶なご意見です。アルティマ様・・・」
明らかに困惑しているイリアスを見て、クスクスとアルティマは笑う。
「これが女の愚かなところよ。でも、貴方もカデナもいつか私に感謝する日が来るわ。イリアス、カデナをよろしく」
「アルティマ様。祖父を愛していたのですか。まさか、本気で…」
祖父は、早くに妻を失ってから、ずっと一人だった。そして、再婚することなく死んだ。
ただ、妻亡き後に、祖父が誰かを愛していることは、イリアスにもわかっていた。
「わたくしはいつも本気でしか、人を愛さないわ」
そう言って、アルティマは美しく微笑むばかりだった。
「早くしないとカデナは行っちゃうわよ。あの子、せっかちだから」
「色々ありがとうございました。改めて挨拶に来ます」
イリアスは広間を飛び出して、カデナを追い掛けた。
カデナを乗せた馬車は、ちょうど玄関から発進するところだった。
「待って下さい。乗ります」
ギリギリで飛び乗ると、カデナの冷たい瞳に見つめられた。
「ひどいじゃないですか。本気で私をおいていくなんて」
「話が盛り上がっていたようなんで、おまえは帰らないと思ったんだ」
「帰りますよ。私の家なんだから」
カデナは窓の外に視線を移した。
「そういう意味じゃなくて。まあ、いいか」
車の中はシンとした静けさに包まれた。
「ダイアナがおみやげを買ってきてくれと言っていた。二人で次々と出かけてしまったから、 どこかへ行くのだと思ったんだろう」
カデナが口を開いた。
「そうですか。きっと自分はおいてけぼりになったこと拗ねてるんですね」
「どこかへ食いに行くか。ダイアナ拾って」
「そうですね。いいかも」
再びシンとなった。カデナはひたすら窓の外に視線を投げている。
「あの」
イリアスが言うと、カデナは振り返った。
「なに」
間近に見た翠の瞳は、濡れたように煌いている。凄い迫力だった。
「今日は来てくれてありがとうございました」
「今更…。自業自得なんだろ。俺は」
「そう仰ったのは、自分ですよ。でも、それとは別に、私は感謝してます。見捨てられなかっただけでも…」
言い淀むイリアスに、カデナは苦笑した。
「そんなことしたら、夢見が悪くなる。一応は夫婦だし。もうすぐそうじゃなくなるかもしれないけどな」
「ああ、それはないですよ。アルティマ様に、念おされましたんで。カデナ様をよろしくって。まだ当分はおつきあい願います」
「・・・ふん。おまえも気の毒だな」
「そうですか。そういう時期はもう過ぎましたよ。これはこれでいいかもしれない」
イリアスは爽やかに言った。
「嬉しそうだぞ」
「嬉しいんです」
カデナは奇妙な顔をした。
「どうして」
「そりゃ…秘密です」
イリアスは、僅かに顔を赤くしつつ言った。
「なにを少女めいたことを」
カデナは呆れたのか、とうとうイリアスから目を反らした。
「なにを食べにいきましょうか。リクエストありますか」
「なんでもいい」
「じゃあ、ジャックの店にしましょう。あそこは、ビーフシチューがうまいんです」
「それは良かったな」
幸福そうにイリアスが言うので、カデナは思わずそんなことを言っていた。
「お嫌いですか」
「俺はなんでも食べる」
王族だが、カデナは見事に偏食ではなかった。ルナと食事する時は、それはそれは大変だったものだ。
「カデナ様」
呼ばれてカデナは振り返った。
「どこでもいいよ」
その瞬間、カデナはイリアスの唇を受けていた。
「…」
「どういうつもりなんだ」
イリアスの唇から逃れると、カデナはキッとイリアスを睨んだ。
「す、すみません。いえ、なんか突然、どうにもこうにも・・・」
気の毒なくらいイリアスは、真っ赤になってしまっていた。カデナは、そんなイリアスを見て、肩を竦めた。
「通りすがりの知らないヤツに、突然キスした訳じゃないんだから、なにもそんなに慌てなくてもいいじゃないか。
大の男が、そんなに顔を赤くして気持ち悪い」
ガーンッとイリアスはショックを受けた。
「き、気持ち悪いですか?す、すみません・・・」
イリアスの銀色の瞳が、カデナから逸らされる。恥かしいのと、ショックとで、どうにも動揺しているらしい。
キスなど大したことではない。でも、こういう状況でキスしたことなど、カデナとイリアスにはなかった。
大抵ダイアナがせがむので、寝際に軽くかますことがある程度だった。
自分でも、一体今の、衝動はなんだったのだ!?とイリアスは、心の中であせっていた。
「さ、さあて。ダイアナ拾ってジャックの店に行きますか」
イリアスは声を上擦らせつつ、この雰囲気を打破すべき努力をした。
「やっぱり俺はステーキが食べたい」
カデナは、ボソリと言った。
「?」
「ジャックの店はよそう」
するとイリアスは、ちょっと悲しそうな顔をした。
「ビーフシチュー、嫌ですか」
「うん。嫌だ。ステーキなら、キアラの店だな。運転手、自宅によってからキアラの店へ行ってくれ」
「はい」
礼儀正しい運転手はうなづいた。
「なんでも食べるって言ったじゃないですか。一体どうなさったのですか?」
「何言ってるんだ。口直しに決まっているだろ」
プイッとカデナは言った。イリアスは、キョトンとしてから、ハッとした。
「それって、私のキスが下手ってことですか」
チラリとカデナがイリアスを横目で見た。
「うまいとは言えないだろう」
ムッとするイリアスを見て、カデナは珍しく全開で笑った。 

おしまい

back  TOP       next