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イリアスはカデナからの書状を持って、雪王宮に急いでいた。
数か月に一度、様子をうかがう書状が王と世継ぎの王子の間で交わされる。
彼らが親子として出会えるのは、王子が産まれてから10年が経過してからであった。
王家の古くからのしきたりで、それまでは、互いの近況は書状でやり取りがされていた。
本来ならば、イリアスがそんな使い走りのような役目をすることもないのだが、今日の王宮は久しぶりにのんびりしていた。
王と王妃の結婚30周年のパーティーだったからである。さすがに普段は厳格な雪王宮の雰囲気もいつもとは違った。
「まあ、イリアス様よ。カッコイイ」
「王宮に復帰なさってからはお見かけるすることが出来て嬉しいわね」
雪王宮の女官達が、すれ違ったイリアスを振り返り、ヒソヒソとそんなことを言い合っていた。
イリアスはそのような会話も耳に入らずひたすら廊下を歩いていた。
雪王宮には苦手な男がいるのだ。ソイツに会う前に退散したかった。
複雑に入り組んだ雪王宮の、記憶によれば謁見の間への、最後の曲がり角を曲がろうとした時だった。
ドンッと人にぶつかって、イリアスはよろめいた。
「し、失礼」
イリアスがそう言ったとき、目の前には人がいなかった。
「?」
ふと、床に視線をやると小さな人影がコロンと倒れている。
「大丈夫かい」
子供だった。イリアスは手を差し伸べた。子供がヨロヨロと立ちあがる。
「!」
「そなた。我をそのマントの裾に隠せ」
流暢な言葉で子供はイリアスに命令した。条件反射でイリアスは子供の体をマントで隠した。
間一髪で、謁見の間から大勢の人間が飛び出してきた。
「エミール様。どちらへ行かれました。エミール様」
恰幅の良い、いかにも女官長らしき女性が血相を変えて走ってくる。
「おお、エミール様が消えてしまわれた」
彼女はヘナヘナとその場に崩れ落ちた。
「女官長様、お気を確かに」
騎士達が女官長に追いつき、その体を抱き起こした。
「そなたら。早う、エミール様をお探しするのだ」
「は、はい」
バタバタと騎士達は走っていく。
「これは一体どういう騒ぎ…」
呟いてはみたものの、イリアスにはわかっていた。一体なにが起きたのかを。
「イリアス様。一大事でございます。エミール王子が、お母様の墓参りに行くのだと、お部屋から飛び出していかれてしまって…」
運ばれながら、女官長らしき女性はすがるような目でイリアスを見た。
「こ、こんなことが王様や、カデナ様の耳に入ったら」
「大丈夫ですよ。すぐに見つかります。私も協力を」
「ありがとうございます。是非…」
大勢の騎士達は、イリアスすら目に入らないかのような勢いで、エミールを探しに走っていってしまった。
興奮した女官長は、従者に連れていかれた。あっというまにイリアスは廊下に一人になった。
「今のうちだ。さあ、我を雪王宮から連れ出すのだ」
コソコソと足元から指示が飛んでくる。
「しかし…。まだ、たくさん人がいますよ、エミール王子」
イリアスはおかしくてたまらなかった。思わず笑ってしまう。
「裏庭へ。そこの窓から飛び降りるのだ。そなた騎士であろう」
「それはそうですが。こんなことをしたら、私が処分されます」
「そなたは我に従っておれば良い。さあ、早く」
仕方なくイリアスはマントの裾から、エミール王子を抱き上げ窓枠に手をかけた。
「行きますよ」
「早く」
フワリとイリアスは飛んだ。幸い高さはないので、衝撃は避けられた。
「これから、どうなさいますか。王子」
「どうするもなにもない。我は、母上の墓とやらに行くのだ。ほら、花も用意してきたのだ。そして、父上にも是非お会いしたいのだ」
よく見ると、王子は胸に小さなピンクの花を大事そうに抱えていた。
なんとも微笑ましい光景に、イリアスは頬を緩むのを感じたが、ハッとした。
「無理です。警備の騎士に見つかります。その花は私が預かりますから、王子はお部屋にお戻りください」
「嫌だ。本日はおじい様とおばあ様の記念日とやらで、皆自由にしているではないか。私だって自由にしたい」
もっともな主張だが、王子には自由などあってないようなものだ。イリアスは困った。
「ところで。さっきから気になるのだが、そなたはなんでそんなに、ヘラヘラしているのだ。我の顔になんかついているのか」
「うっ…」
指摘されてイリアスは顔を引き攣らせた。正直言って、限界だった。
「だって、エミール王子…」
ブワッハッハッとイリアスは吹き出した。
「ぶ、無礼なっっ」
エミール王子は顔を真っ赤にして怒った。
「そなたみたいな無礼な騎士ははじめてだ」
「す、すみません。だって、王子はとてもカデナ様にそっくりで…」
「父上に?よく似ているとはいわれるが、それがそんなにおかしいことか」
「は、はい。私には、もう、とても」
イリアスはエミール王子を横目で見てはまた笑い出す。
金の髪、翠の瞳。幼いながらにも完璧に整った綺麗な顔は、まさにカデナの縮小型だった。
髪型もカデナがそうしているように、長い髪を一つにまとめているから、尚更よく似ている。
まるで母の血は一切受け継がずにカデナが一人で生んだようだった。
「ここでそなたの笑い上戸につきあっている暇はない。協力してくれぬなら、我一人でやる。王宮の出口はどこだ」
「エミール王子。いけません。王子は貴重な御身を不用意に人前に晒しては、ならぬのです。さあ、私と一緒に戻りましょう」
イリアスはエミールを抱き上げた。
「なにをする。このようなチャンスは二度とないのだぞ。離せ」
バタバタと暴れるエミールに苦戦しながらも、イリアスは城へ引き帰した。
可哀想とは思うが、のちのちのことを考えればここで協力する訳にもいかない。
「いたた。王子、噛まないで下さい」
「そなた、名をなんと申す。この恨み、忘れぬぞ」
「私はイリアス・カーンスルーと申します。王子の忠実な騎士でございます」
「どこが忠実だ。そなたのような薄情な騎士は見たこともない」
ガブリ、ガブリと噛みつかれ、イリアスはさすがに顔を顰めた。
「エミール王子。このイリアスが、しかとそのお花を母上の御墓に供えて参ります。約束致します。それでどうぞご勘弁を」
「ご勘弁なぞするものか」
やっと雪王宮の入り口に引き返してきた時だった。渡りに船とばかりに入り口でルナ王女とバッタリであった。
「イリアス。この王宮はどうしてしまったの。誰もいないわ。奥では女官長が泣き喚いているし」
「ルナ様。ちょうど良かった。エミール様を」
ルナはジッとイリアスの腕の中の子供を見つめた。
「キャハハ。エミールね。まあ、ひょっとして脱走したのね。やるわね」
「そなたは誰だ」
キッとエミールはルナを睨んだ。
「ルナ様、エミール様を頼みます。私は騎士達に王子ご発見の報せを、伝えてまいります。雪王宮が空っぽじゃ不安この上ありません」
イリアスはルナにエミールを押し付けると、きびすを返して王宮を後にした。
それにしても噛まれた腕が痛んだ。
ルナは、手渡されたエミールをマジマジと見つめては、ニコッと微笑む。
「顔はそっくりでも、貴方の気性は母親似ね。ミレンダも、こういうタイプだったわ。なんたってあのカデナを押し倒したんだものね」
しみじみとルナは独り言を呟いていた。
「そなたは、我の父上や母上を知っているのか」
「ええ。知ってるわ。カデナは私の弟よ。始めまして、甥っ子のエミール」
「父上の姉上?そなたが…」
エミールはキョトンして、ルナを見上げた。
「ルナって言うのよ。ルナお姉様とお呼びなさい」
ルナはおば様と呼ばれることを恐れて先手を打つ。エミールはガックリと肩を落とした。
「それでは仕方ない。我の作戦もここまでか」
「あら、そうがっかりすることはないわ。なに、エミールはなにをしたいの」
「我は、母上のお墓に花を…。そして、父上にもお会いしたい」
ルナはエミールの手に握られた花を見ては、少し寂しげに微笑んだ。
「一大決心だったのね、エミール」
ルナは少し考えこんでから、うなづいた。
「協力するわ。ルナ姉様があなたを父上のところに連れて行ってあげる」
「本当か。さすがおば上は、話がわかる」
パアアとエミールは微笑んだ。
「おば上は止めてよ。姉様と言いなさい。いい、エミール。このベールを被りなさい。さあ、行くわよ」
フワリとルナは自分の被っていたベールをエミールに被せた。
「良い匂いだ」
「フフ。それにしても、イリアスに見つからないようにしないとね」
「あの騎士か。ヤツには恨みがある。我の邪魔をした」
「あらあら。でも、貴方にとっても関係深い人よ。そう怒らないで」
ルナはエミールをしっかり抱えて、コソリと雪王宮を後にした。
強運の持ち主の王女は、騎士達ともイリアスにもすれ違わなかった。


和やかだった王宮は、一転して不穏な空気に満ち溢れた。
王子失踪。それは静かに、だが確実に王宮に広まった。
「イリアス。そなたがおりながら、この不祥事。一体そなたはなにをしていたのだ」
王の怒りは鎮まらない。
「は、も、申し訳ありません。確かにエミール王子を保護したのですが」
「現にいないではないか。ルナも知らぬと申しておる」
王妃は隣で心配そうにオロオロとしている。ルナは、知らん顔をしていた。
「ル、ルナ王女。確かに私はエミール様を…」
イリアスは情けなくも反論せざるをえなかった。
「預かったわ。でも、すぐにどこかの狼藉者がエミールを奪って行ったのよ」
「な、なんと…」
王は王座によろめいた。ドサリと座り込む。
「責任者であるイリアス、そなたは全力を尽くして王子の行方を探すのだ」
「は。かしこまりました」
何時の間にかイリアスが責任者になっていた。雪王宮の警備責任者はあの男だというのに…。
「その前にカデナに報告を。それもそなたの義務だ。エミールになにかあったら、カデナが復位せねばならぬ。万一の為の用意を」
「はい」
「その時は、そなたの処分も覚悟せよ、イリアス」
「かしこまりました」
イリアスはうなだれた。しかし、次の瞬間には機敏に広間を後にしていた。
「困ったことになったわね」
ルナがのんびりと、言った。
「そなた、なにか隠しておらぬか」
王がギロリとルナを睨んだ。
「そんなことはないわ。父上」
「子供といい、孫といい、どうして私はこんなに苦労せねばならぬ。そなたもフラフラしていないでさっさと身を固めぬか」
「私の問題ではないわ。今はエミールとカデナよ」
ルナの、まったくの馬耳東風さ加減に、王はフウと大仰な溜息をついた。


緊急事態を一刻も早くカデナに告げねばならないので、、イリアスは馬車を自ら運転して帰途についた。
気が重い。どうしてこんな事態になったのだろう。誰がエミールをさらったというのか。
カデナにその報告をするのも辛かった。運転席から飛び降りたイリアスが、走りだそうとした時だった。
バンッと音がして、馬車の座席が開き、エミールが転がり落ちてきた。
「エ、エミ、エミール王子」
イリアスは、ビックリして目を見開いた。
「やっと着いたか。窮屈だったぞ。せっかくコッソリと忍びこみ、織物の下に隠れていたのに・・・。ああ、おまえは!」
エミールはイリアスを指差す。
「王子様。な、な、なんで、こんなところに・・・」
「ルナ姉上殿が、我を父上のところに連れていってくれると約束してくれたのだ。目的地についたら自動的に我を
父上のところに案内してくれる人物がいると言ってらしたが、まさかそなただったとは…」
エミールに睨まれて、イリアスは後ずさる。
「まあ良い。先程の無礼は後ほどだ。今は我を案内することだ」
幼いながらも、傲慢な態度だった。
しかし、長らく王宮勤めをしているイリアスにとってそれは日常的な光景だった。王族には逆らえない。
「畏まりました。ご案内します」
イリアスは観念して、王子の手をひいた。
「なれなれしく我に触れるな」
パンッと差し伸べた手を払われた。イリアスは、一瞬、ちょっと悲しくなった。
「あ、すみません。つい…」
しかし、すぐにエミールが握り返してくる。
「大きな手だな。父上もそうなのか」
「え、ああ、そうですね。そうです」
ギユッと握られて、イリアスは少しかがんだ。
彼は長身なので、そのままでいるとエミールは「万歳」してるかのように、手を高くあげていなければならないからだった。
「抱っこしますか」
なんといっても王子はまだ5歳の筈だ。子供である。
王子はイリアスを見上げてしばらく黙っていたが、「許す」とポソリと言った。
その言い方が可愛くてイリアスは思わず微笑んだ。フワリと抱き上げてやる。
「そなたは背が高くて良いな。うちの警備隊長も長身だがそれより更に大きいみたいだ。我もいつか高くなるぞ」
「警備隊長って、アスクルですか。確かにアイツも背が高いですね」
「知っておるのか。ヤツは中々良いぞ。強いしな」
「はあ、まあ・・」
昔のことだ。イリアスは首を振った。
「私にも娘がおります。ご無礼を申し上げるかもしれません。王子と同い年なんです」
「そなたの娘?フン。ブサイクなのであろうな」
この言い方は父親そっくりである。イリアスはまた笑ってしまった。
「お帰りなさいませ、イリアス様。あら」
モニカが目を見開く。
「お客様だ。わかると思うが、エミール王子だ。父上を訪ねてこられた」
「まああ。い、いらっしゃいませ」
モニカは慌ててきちんと挨拶をしたが、やはりクスクス笑っている。
「なんなんのだ、そなたらは」
賢明な王子は、モニカの笑いに気づいて憤慨する。
「王子の可愛らしさは、つい笑ってしまうんですよ」
「騙されるか。腹の立つ」
5歳の子供なのに、イリアスの適当な言い訳は通用しなかった。
さすがは王子として厳格にしつけられているだけある。
屋敷に足を踏み入れてエミールはキョロキョロとした。
「まさかとは思うが、父上は先ごろ新しくご結婚されたと聞く。もしや…」
「申し訳ありません。私がいただきました」
「そなたが?父上の相手だというのか」
エミールが目を剥いた。
「そういうことです。申し訳ありません」
「父上も趣味がよいものだ」
5歳の王子に皮肉を言われてイリアスはどう対応してよいかわからなかった。
「お気持はわかりますが、父上に罪はありません。どうぞ、そんな言い方は父上の前ではなさらないで下さいませ」
「当たり前だろ。親には礼を尽くせとしょっちゅううるさい輩に言われている」
しっかりしているものだった。それにしても、エミール王子は相当なじゃじゃ馬であることには間違いない。
2階への階段を昇り切って、イリアスはカデナの私室に向った。
「お父上がいらっしゃいます」
長らく守られてきた王家の伝統が今ここで破られる。10歳という年齢を大幅に下回るエミール王子が父親に会うのである。
カデナですら、我慢して耐えたというのにである。イリアスはこのさい仕方ないと思った。
処分はいさぎよく覚悟した。
エミールの腕に握られている少し萎れかかった花を見てからは、覚悟が決まった。
「入りますよ、カデナ様」
ノックして、イリアスはカデナの部屋に入った。
「こんな時間に、もう帰ってきたのか」
カデナはダイアナと一緒にベットでお昼寝中だったらしい。モソッと上半身を起こして入り口に目をやった。
「…」
さすがにカデナは絶句した。普段は滅多に表情を崩さないカデナだったが、今日は例外だろう。
「それは…。もしかして・・・。エミールか」
「父上」
エミールはイリアスの腕から降りると、ベットに駆け寄った。
カデナはそんなエミールを見つめていたが、エミールがベットに駆け上ってくると、一旦は抱きしめた。
そして、次の瞬間にはエミールの頬を叩いていた。横でダイアナが目を覚ます。
「ち、父上…」
「カデナ様、なにをなさるんですか」
「帰れ。王宮に、今すぐ帰るんだ」
エミールの小さな体は、叩かれた衝撃で、ポテリと床に落ちた。そんなエミールをイリアスは慌てて拾い上げた。
「乱暴はしないで下さい。実の子供に、なんてことするんです」
イリアスが顔を真っ赤にして怒った。
「う、うぇぇ」
イリアスの胸の中でエミールが泣き出した。
「重大な規則違反を起こしたんだぞ。イリアス、おまえが手引きしたのか」
カデナは怒っていた。当たり前だが、怒っていた。
「わ、私は間接的にそうしたんです。でも、後悔してませんよ。王子は、母上に、父上に会いたくて行動したんです」
「ミレンダはもう、いない。おまえも知ってるだろう。それに、俺には、あと5年したら会えるじゃないか」
「そういう問題ではないでしょーに。貴方もおわかりになる筈だ。同じように寂しい思いをしたのでしょう」
「うるさいっ。エミールをすぐに王宮へ戻せ。おまえだってただでは済まないぞ。なにを考えている」
「ここまできて、今更遅いですよ。貴方も観念することです。さあ、抱きしめてあげてください」
「…」
カデナはプイッとそっぽを向いた。
「5年後にしてやる」
イリアスはムカついた。なんて強情なんだろう。
「そうですか。ご自分は耐えてご立派でしたね。王子。お墓参りに行きましょう。こんな鬼のような父上といるより
お母上の墓にお花を。アレ、花は…」
ダイアナが起きあがって、ヒョイと床に落ちた花を拾い上げた。
「綺麗なお花ね。でも、花びらがあと2枚しかないわ」
カデナがエミールをぶっ叩いた拍子に、エミールごとその花も落下したのだ。花は無残に散っていた。
それを見て、エミールはまた盛大に泣き出した。こういうところは、しょせんは5歳の子供だった。
「王子、泣かないで。庭に花が咲いてます。イリアスと一緒に取りに行きましょう」
「ダイアナも行く」
ダイアナはイリアスの後をくっついてきた。
「王子様なのね。カデナお兄ちゃまの子供なのね。そっくりね」
ダイアナが無邪気にエミールを見て言った。
「とっても可愛いわ。私、ダイアナって言うの。よろしくね」
エミールはしゃくりあげながらもダイアナを見てはうなづいた。
「二人とも。さあ、こんな鬼のような人の部屋から出て行きますよ」
イリアスは捨て台詞をはいて、カデナの部屋を後にした。


裏庭には、モニカとダイアナが手入れしている花畑が広がっている。
エミールはそれを見て、泣きながらも喜んだ。
「ダイアナも一緒に探してあげるよ。さっきのお花と似たやつ」
「そうか。よろしく頼む」
二人は仲良く、花を探し始めた。
「ふー。やれやれ」
イリアスはホッとした。ダイアナがいてくれて良かったと思った。
と、モニカが走ってきて、イリアスに王宮からの使者が来たと告げた。
息を切らし、庭から屋敷の門までイリアスは走ってきた。質素な作りの王家の馬車が止まっていた。
「ルナ様。一体どういうことです」
「エミールは喜んでいる?カデナは?」
「最悪ですよ。こういっちゃなんですけどね、カデナ様ってどういう性格ですか。息子が必死に会いにきたのに、
ぶん殴ったんですよ。帰れって。今更言う台詞じゃないでしょーに。私には理解出来ません」
早馬の馬車で到着したルナが笑っている。
「あの子はね、感情表現が下手なの。ぶん殴るほど嬉しかったんだわ。きっと」
は?とイリアスは首を傾げた。嬉しいならば、普通は殴らない。
「理解出来ません。こうなったら、私はエミール様をお墓参りに連れていきますよ。処分は覚悟してます」
「まあ、待って。今母上と変わるから」
「えっ。王妃様が来ていらっしゃるのですか。それなのに、こんな手薄な警備で・・・」
王妃マルガリーテが、カーテンの向こうの席から、顔を出した。
「王妃様。ルナ様ならいざしらず、王妃様まで、このような警備で王宮を出られるとは軽率でございますっ!」
イリアスの嘆きに、マルガリーテは苦笑した。
「貴方のいうとおり今回は私が軽率なのです。わかっております。イリアス、今回は迷惑をかけました。話を聞いた時から、
ルナが一枚噛んでいることはわかっていましたわ。私から王によく言ってきかせます。処分なんて、絶対にさせないわ」
「王妃様…」
「私にも経験があります。王の目を盗んでカデナに会いにいったことがあるの。けれどあの子ときたら冷やかに
「お帰りください」って言ったのよ。可愛くなかったわ…」
王妃の言葉に、イリアスは状況も忘れて、ブッと吹き出し笑った。
「し、失礼いたしました。しかし、おかしくて・・・。それはお幾つの時ですか」
ホホホとマルガリーテも笑いながら
「4歳の時よ。一年ごとに通ったけど、いつもそれだったわ」
「一年ごとに?そんな…」
「こんな風習ばからしいと常々思っていたのよ。アルティマ様に相談したら、アルティマ様も人目を盗んで忍びこんだことが
度度あったらしいわ。まあ、王はとても喜んだらしいけれどね」
それにくらべて、私のカデナなどは・・・とマルガリーテはぼやいた。
「…歴代の王妃様はみな苦労されていたんですね」
知らぬは男ばかりだということか。
「そりゃ、子供は可愛いもの。エミールは母親をなくしているからもっと可哀想だわ。残るはカデナで、カデナはああいう性格だもの」
確かにな、とイリアスは思う。
「でも、カデナもきっと可愛いと思うのよ。エミールのこと…。彼は王の怒りを心配したんだと思うの。だって、エミールは規則違反を
おかしたんだもの。歴代の王子は、親には会っていたけど、それは母親のほうが尋ねてきたからよ。自身で王宮を出たことはないものね」
王妃マルガレーテは苦笑した。
「そうですね。歴史に残る偉業です・・・」
イリアスは、うなづいた。
「私、勇気を出して王に進言してみるわ。こんな風習を止めてくれるように。エミールのお墓参りが実現するように。ルナともアルティマ様とも、
協力を依頼してやってみるからエミールをしばらく預かってちょうだい。夕方にはまた連絡するわ」
いつもはどちらかというとおとなしいマルガリーテなのだが、今回ばかりは、なみなみならぬ決意をその表情に感じた。
「わかりました。警備のことならご心配なさらないでくださいませ。護衛の騎士はいつでもこの屋敷にはウヨウヨしてますから」
「そうね、カデナもいまのところ無事ですしね。頼みましたよ、イリアス」
王家の者がイリアスに寄せる信頼は厚い。
「は、はい。王妃様も是非頑張って下さい」
「わかりました。いつもすまないわね。貴方にはこの王家の者が迷惑をかけます」
そう言いながら、マルガリーテはチラリとルナを見た。ルナは知らんぷりを決め込んでいる。
「とんでもございません。王家あってのイリアスです」
深々とイリアスはマルガリーテに頭を下げた。
「ありがとう。それでは王宮に戻ります」
イリアスは、チラリと二階に目をやったがカデナは姿を現さない。
王家の馬車は急いで戻って行った。庭に出ると、子供達は仲良く肩を並べてまだ花を探していた。
「見つかりましたか」
ヒョイと二人を覗くと、エミールが顔を上げた。
「私はこれで良いと思うのだが、ダイアナはこちらのがいいと申すのだ」
「あら、王子様。こっちの方がいっぱい花びらがあって豪華よ」
「しかし…」
なんやかんやと言い合う二人を眺めてから、イリアスはカデナの部屋へ行った。
「今日はエミール様をこちらに泊めることになりますから」
カデナはふて寝を決め込んでいるかのようだった。イリアスの声を聞いても、背をむけたままだった。
「王妃様の許可はとってあります」
カデナは、黙っている。
「なんとか、エミール王子の処分はなくしてすむことを祈ってる次第です。まあ、女の人はいざとなったら強いですしね・・・」
まだカデナは黙っている。
「あんな愛情表現、子供にはわかりませんよ。嬉しかったら、抱きしめてあげることです。意外と心配性でしたね。貴方は」
するとカデナは、その言葉に弾かれたように起きあがった。
「誰に似たんだ。あんな無謀な性格」
「そりゃ。貴方でしょう」
「俺には、あんな勇気はなかった」
「では、母上でしょう。ミレンダ様ですね」
チッとカデナは舌打ちをした。
「そっくりだ。後先考えずに行動して自滅してしまうんだ。ミレンダは殺されてしまったが、エミールはそんなことはないと思うけど、
いつかああいう性格が仇になるかもしれないじゃないか。誰かが無謀なことは、無謀と、言わなければ絶対にわからない」
カデナは唇を噛んだ。
「ゆっくり教えてあげればいいじゃないですか。でも、強情なところは貴方譲りみたいだから難しいと思いますけど」
「喧嘩売ってるのか」
「私と戦う前に、自己嫌悪と戦ってください。それが終わったら、いくらでも御相手しますから」
カデナはイリアスを睨みつけた。
「さっきは「鬼」なんて言ってすみませんでした」
カデナの先読みした気持ちがわからなかったのだ。
「人間ああいう時に、本音が出るもんだ」
「もちろん本音でしたけど、改めたんです。それじゃ」
カデナの冷たい視線を背に感じつつもイリアスは、モニカに、夕食の支度を豪勢にするようにと言いつける為に食堂に向った。


食卓に着く時もエミールは、カデナの姿を見るとビクリとしてイリアスの右脚に縋り付いた。
「エミール様はカデナ様の隣ですよ」
「い、イヤだ」
エミールはブンブンと首を振った。
「大丈夫、父上はもう怒ってませんよ」
王妃からの朗報は既に聞いていた。
3人の女に詰め寄られて王もしぶしぶ納得したらしくエミールの処分も、イリアスの処分もなくなった。
あの風習もなくなり、一年に一度の誕生日に、親との面会を許可された。
しかし、ルナはこっぴどく王に叱られたとのこと。
それは仕方ないであろう。けれど結果的には彼女の行動が実を結んだのだ。
あまり、深くは考えていなかったであろうが…。
「カデナお兄ちゃまは、怖くないわよ。王子様」
ダイアナが首を傾げる。
「では、そなたが座ればいい」
「いいの?じゃあ、座っちゃおう」
ダイアナはカデナの膝の上に座った。いつものことである。
「エミール王子。では、代わりに私の隣においでくださいませ」
イリアスが言うと、エミールはコクンとうなづいた。
食事が始まった。
ダイアナに比べて、やはりエミールはきちんと躾られているから食べ方が上品だった。
しかもこれだけは父親似らしく、出された物はきちんと食べている。意外に偏食ではないのだ。
「おいしいですか」
イリアスが隣の席の小さな王子に聞くと、うんとうなづいた。
「中々良いコックを使っているな。とてもおいしい」
素直な言葉だった。可愛らしいことも言えるらしい。
イリアスはカデナに良く似たこの王子が可愛くて仕方なかった。
「エミール王子。私の膝にいらっしゃいませんか」
先程からチラリとエミールはダイアナを見ているのに気付いていた。
きっと、カデナにかまってもらっている彼女が羨ましいのだろう。
「そなたの?」
「ええ」
ちょっと考えてから、エミールはうなづいた。
「行ってもよい」
「光栄でございます」
その言葉を待ってから、イリアスはエミールを抱き上げて自分の膝の上に座らせた。
「なにか取って欲しいものがあったら言ってくださいね」
イリアスがニッコリ微笑むと、エミールは照れたように小さく笑った。
「自分で取れる」
「取れないものもあるでしょう。遠くて」
「そうだな」
ダイアナが声を上げた。
「お父様、優しいわ。私にそんなことしてくださったことないわ」
「よくいうよ。おまえがお父様のところに来ないんじゃないか。でも良い。私にはエミール王子がいるからな」
そう言ってイリアスは、エミール王子の頭を撫でた。
「あ、すみません。軽々しく…」
ハッとしてイリアスは手をひっこめた。
「べ、別によい。イリアス、あれを取ってくれ」
エミールは、僅かに顔を赤くして、ぶっきらぼうに言った。
「はい」
「ずるいわ〜」
ダイアナが文句を言っている。
「お父様、私より王子様が好きなのね」
「ああ、好きだよ。大好きだよ〜。カデナ様に似て可愛いじゃないか」
言ってしまって、イリアスはハッとした。今、俺はなんて言ったんだ。しまった…。余計なことを。
おそるおそるイリアスはカデナを見たが、カデナはそんなことを気にかけた様子は、まるっきりなかった。
もくもくと食べている。
「ひどいわ。私はお父様の娘なのよ」
ダイアナは妙に絡んでくる。このさい普段の仕返しだとイリアスは子供じみたことを考えた。
「お父様はおまえよりエミール王子が可愛いのだ」
するとダイアナが、ベソをかきだした。
「カデナお兄ちゃま。お父様があんなこと言うの」
するとカデナが、イリアスを白い目で見た。
「いつまで意地悪してるんだ。子供じみているな」
「放っておいてくださいよ。カデナ様だって、エミール王子よりダイアナのが、可愛いのでしょう」
「どっちも可愛いに決まっているだろ」
カデナは、きっぱりと言った。
「ダイアナは今は俺の娘だし、エミールは俺の実の息子だ。比べられるか」
エミールが、ハッとしたようにカデナを見つめた。
「ハハハ。そうですね。ダイアナ、ごめんよ。お父様もダイアナが大好きだよ。おまえがいつもカデナお兄ちゃまに
くっつているから意地悪したんだ」
するとダイアナが泣き止んだ。
「お父様、嫉妬していたのね」
どこで覚えてくるんだ、そんな言葉…。
イリアスはギョッとしたが、まあ一応は図星なのでうなづく。
しかし、どこまでダイアナがその言葉の意味を理解しているのかは怪しいものだった。
「交換だ」
カデナは言った。
「へっ」
イリアスはキョトンとした。
「おまえの膝の上と、俺の膝の上」
ダイアナはさっさとカデナの膝から降りて、イリアスの側まで走ってきた。
「エミール王子。父上のところへ」
「…」
エミールはうなづくと、カデナの所へ行った。
「お父様、私気をつけるわ。カデナお兄ちゃまにばっかりではなくて、今度からはお父様にもくっついてあげる。
だから、ダイアナのこと好きでいてね」
「当然だろ」
「良かった」
ダイアナは機嫌よく笑った。
カデナはエミールを抱き上げると、膝の上に乗せた。
「おまえはなんでも食べるみたいだな」
「はい。そう言われてきましたから」
エミールがぎくしゃくと答える。
「いいことだ。たくさん食べろよ」
「はい」
なんだがぎこちない会話だった。親子とは思えない。しかし、それはあまりにも無理ないことだった。
「父上、私のことを怒っていますか」
エミールはおそるおそる聞いた。
「許されることと許されないことをよく見極めて行動することだ。そうしてくれれば怒る理由はない。今回は許された。もう、いい」
「気をつけます」
「そうだな。でも、おまえは勇気がある。それだけは母親似で立派なことだ」
そう言ってカデナはごく自然に、自分と同じ色をした息子の髪に口付けた。
「まだ痛いか」
カデナはエミールの頬に手を伸ばした。
「大丈夫です」
「すまなかった」
「いいえ。私が…悪かったんです」
「思いっきり殴った。痛かったろ」
「はい。正直に申せば…」
エミールの言葉に、カデナはクスッと笑った。
その笑顔に、イリアスがボーッと見蕩れていると、ダイアナはコソリと囁いた。
「なんだか、ラブシーンみたいね」
「…おまえ、そんな言葉どこで覚えてくるんだ」
ギョッとしつつ、イリアスはカデナから目を逸らした。
「モニカと一緒にステキなお話の本を見ているのよ。今のカデナお兄ちゃまと、エミール王子様みたいなシーンがあったわ」
モニカに注意しないと、いけないなとイリアスは思った。
それにしても、カデナがあんなに優しい顔をするのを初めて見た。
イリアスは思わずフッと微笑んでいた。どうやら一件落着のようだった。


次の日には、王宮からの仰々しい護衛の者がイリアスの屋敷に到着していた。
もちろんエミール王子とカデナの、ミレンダの墓参りの護衛だった。
「いってらっしゃい」
イリアスが二人を屋敷前まで見送りに出た。
するとカデナに手をひかれたエミールがイリアスを見上げた。
「そなたには世話になった。ありがとう」
「とんでもない。母上とゆっくりお話なさってきてください」
「王宮に戻ったら、そなたを私付の筆頭護衛として頼むつもりだ。いつか私が王になれば、そなたは私の騎士になるのだから良い案だろう」
まったくもってとんでもないことをエミールは言い出した。
「わ、私は、そのような大役を引き受ける自信がありません」
イリアスは慌てて首を振った。
「アスクルにはよく言っておくから」
「ア、アスクルには言わないで下さい。実は私は彼とは絶望的に仲が悪いのです。一緒に王子の護衛なんてとても出来ません」
「そなたら知り合いか」
キョトンとしてエミールは聞いてくる。
「え、ええ。まあ、古い友人ではありますが」
カデナが振り返る。
「アスクルって、あのアスクルか」
イリアスは、苦虫を噛み潰したような顔で、
「ええ、あのアスクルです」
と言った。
「そりゃ出来ないだろうな」
フンッとカデナは鼻で笑う。
アスクルは目下ルナの恋人である。ルナはアスクルに惚れてイリアスを切ったのだ。カデナもそこらへんの事情は知っていたらしい。
「ふむ。父上がそう仰るなら、仕方あるまい。でも我はそなたが気に入った。たまには雪王宮にも遊びに来るといい」
ダイアナが口を挟む。
「王子様、私も行きたいよ〜」
「そなたも一緒に来るといい。王宮に咲く花は珍しいのがたくさんあるぞ」
「わ〜い」
ダイアナはピョンピョンと跳ねて喜んでいる。
「エミール王子、カデナ様、出発致します」
護衛の騎士が声をかけた。二人はうなづいた。
「いってらっしゃい」
イリアスとダイアナは手を振った。
カデナがクルリと踵を返して、イリアスの元へ来た。
「言うのを忘れていた。いいか。この機会におまえにも言っておく。おまえも無謀なことは絶対するな。今回は処分されなかったからいいが、
いつまでも姉上に手玉に取られているんじゃないぞ。アイツはいつもああなんだ。俺も小さい頃から何度ひどい目にあったことか・・・」
カデナは怒りの形相でイリアスを見上げている。今回の件のそもそもの発端を、どうやらエミールから聞いたらしい。
「なんですか、いきなり…」
「もし王が許さなければおまえだって今回は危なかったんだぞ。のこのことエミールの手をひいてきたおまえだって本当は殴りたかったんだ」
「心配してくれていたんですか」
そのイリアスの言葉に、カデナは鼻で笑った。
「アスクルなんかにまだ反応しているなんて、おまえもまだまだ甘いな。姉上に滅ぼされるなんてことはないようにな。あの女は要注意だぞ。
それでおまえが泣く羽目になっても、俺は知らないからな」
言うだけ言って、カデナはさっさと行ってしまった。
「カデナお兄ちゃまはなにを怒っているの」
ダイアナは首を傾げる。
「ほんとに、不器用な人だな…。さすがルナ様はよくわかっているよ」
イリアスはクスクスと笑った。
「なんなの〜。ダイアナ全然わからない」
?マークのダイアナの頭をイリアスは優しく撫でた。
「お父上様。風が気持ちいいね」
ダイアナが青空を眺めながら、楽しそうに言った。
「そうだな。気持ちいいね」
「エミール王子のお母様、きっと喜ぶね。二人がお花を持って行くんだもんね」
「そうだな」
「ダイアナのお母様のところにも、いつか行こうね」
「あ、ああ。いつか、な」
真実を言えないのが辛いけれど、いつか彼女もわかってくれるだろう。
「あっ」
イリアスは大声を上げた。
「どうしたの」
「エミール王子にカデナ様の書状を渡すの忘れてた!!」
「え〜。そんなの、もう必要ないでしょう。だってお二人は、会えたのですもの」
ダイアナの言うことは、もっともだとイリアスは思った。

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