連橋・・・某都立高校1年
流・・・・・同上
亜沙子・・・某都立高校3年
小田島義政・・・暁学園高校1年
城田優(シロタユウ)・・・・・同上
緑川歩(ミドリカワアユミ)・・・同上
淺川(アサカワ)・・・某都立高校1年
*****************8話**************

亜沙子は、連橋がバイトに行ってしまったのを見計らって改めて病院に行った。産婦人科の扉を叩くのは、高校生である亜沙子にとっては勇気のいることだった。だが、はっきりと確かめなければならない。診察を終えて、妊娠している、との医師の言葉を耳にしっかりと焼きつけて、亜沙子は公衆電話で城田に電話をかけた。すぐに城田が出て、自分の意思を伝えると、彼は2日後を指定してきた。日曜日だった。学校の出席日数に響くこともない。ガシャンと受話器を置いて、亜沙子は息を吸った。このまま、連橋になにも告げることなく、この事実を闇に葬ってしまわなければならない。部屋に戻らなければ。夕飯の支度をしなきゃ・・・。そう思って、電話ボックスから出た瞬間、亜沙子は吐き気に襲われた。バッと口を押さえて、慌てて道路の脇にしゃがみこんだ。こんな時にさえ、いや、こんな時だからこそ、改めて感じる。自分の体の中で、まだこの命は生きようとしている。2日後の運命を知る筈もなく。堪えろ。堪えるんだ!と亜沙子は自分に言い聞かせた。吐き終えて、道路の始末をすると、亜沙子はノロノロと立ちあがって歩き出した。振り返ることをしなかった亜沙子は、気づかなかった。道路の反対側に佇む流の姿に。その流が、自分の姿をジッと見ていたことに。


連橋は、近所の本屋でバイトをしていた。もっと金になるバイトを探していたのだが、隣室の大林の斡旋で、そこでバイトする派目になったのだ。もういい加減ヨボヨボの、だが口だけは達者な典型的下町っ子であったであろう婆さんが経営している本屋だった。ボケ防止のために働いていると言っていたが、真実は、この本屋を心から愛していた・亡くなった亭主の遺志を継いでいるのだと大林は言っていた。
「アンタが来てから、うちにはなんだか訳のわからんイヤらしい雑誌が増えた」と文句を言われたが、連橋は一向に気にしなかった。常連しか来ないような暇な本屋で、退屈しのぎに読む本は、頭を使うような本であっては困るのだ。発注時に勝手に連橋は自分好みのエロ雑誌を追加していた。だが、それなりにちゃんと部数ははける。ババアにゃわかんねえかもしれんが、世の男でこーゆーのがキライな男はいねえんだよと連橋は自信を持っていた。今日も今日とて、そーゆー本をパラパラとレジで捲っていると、流がやって来た。
「よお。今日入ったばかりの最新号。見る?」
連橋はニヤニヤしながら、流に雑誌をつきつけた。いつもの流ならば、ヘラヘラ笑いながら覗きこむというのに、今日は違っていた。
「連。亜沙ちゃん、どっか具合悪いのか?」
「ああ?なんだよ、いきなり。具合悪いって・・・。最近、風邪ひいてたみてーだけど治ったって本人言っていたぞ」
「・・・」
流は、顎に手を当てて考えこんでいた。
「おまえさ。亜沙ちゃんとセックスしてる?」
いきなり、流は聞いてきた。今更、そんなこと聞かれて照れるような連橋ではなかったが、小田島との件以来、暗黙の了解のように亜沙子とセックスはしていなかった。勃たない訳ではなかったが、出来なかった。いや、しようとも思わなかった。亜沙子の方も、そのことに関しては触れてくることがなかった。時間が経過すればなんとかなるさ・・・と連橋は思っていた。
「最近はしてねえ」
あっさり連橋は答えた。
「じゃあ。前は?してたろ。おまえら、ちゃんと避妊してたんだろうな」
「当たり前だろ。のべつまくなしサカっちまうような歳で、危険な日は避けて・・・なんて面倒くせえことは出来ねえよ」
「じゃあ、聞くけどよ。連。亜沙ちゃん、妊娠してねえか?」
「!?」
「さっき、道端で吐いていたぜ。アパートの近くの電話ボックスから出てきた時。あれって、悪阻じゃねえの?俺、姉貴の見てたことあるからわかるんだよな。それに・・・。あの件以来、俺、チラッと思ってたんだ。大丈夫だったのかよ・・・とかな」
「・・・」
連橋は、持っていた本をバサリと落した。亜沙子の様子を思い起こしてみた。風邪と言っていた亜沙子。何日も部屋に戻ってこなかった。会えば、どこかよそよそしくて、目を反らされることは確かに頻繁にあった。なんで目を反らす?と聞いたら、「病気やつれしてるからよ。私、ひどい顔してるでしょ・・・」と亜沙子に言われて、素直にうなづいたら殴られた。そんなことを思い出して、連橋はバッと立ちあがった。
「店番代われ」
「ええ?俺、わかんねえよっ」
「どうせ、もう客なんか来ねえよ。来たとしても、四丁目のゲンゾーっつージジイだ。ソイツは、この最新号買っていく。390円。レジに打ち込んでオシマイ。こんな簡単なこと出来ねえんなら、てめえはクソだぜ、流」
「ひでー言われようだ。わかったよ。けど、連」
流は、連橋を見た。連橋は切れ長の目で、流を振り返った。
「冷静になれよ。こんな時だから、こそだ。まだハッキリしてねえんだからな。亜沙ちゃん、泣かすなよ」
「・・・自信ねえ」
珍しく連橋はそんなふうに言って目を伏せると、そのまま店を飛び出していった。間違いであればいい・・・と、流は思った。きっと、連橋もそう思っているだろう。


連橋はアパートに走って戻っていった。亜沙子の部屋の窓は開いていて、彼女が部屋にいることを証明している。ガンガンッと乱暴に鉄製の階段を連橋は駆けあがった。大林の部屋の前を通り過ぎると、ちょうど大林は台所にいたようで、「うるせーぞ、連。もっと静かにあがって来い」と怒鳴った。連橋は「っせー!」と怒鳴り返し、自分の部屋を通り過ぎ、亜沙子の部屋のドアを乱暴に開いた。
「あれ?連ちゃん。今日、早くない?」
亜沙子は台所に立っていた。大林と連橋の夕飯の支度をしているのだ。亜沙子の姿を目にすると、連橋の体中の血が沸騰した。怒り、だ。亜沙子に対してではない。だが、亜沙子を目にしたからこそ、沸騰する怒りだ。
「亜沙子」
「どうしたの?お腹減って帰ってきちゃったの〜。でも、残念ね。まだ出来てないよ」
なにも知らない亜沙子は、えへへと笑っている。
「おまえ、妊娠してる?」
連橋は、遠回りをせずに、いきなり聞いた。
「!」
その瞬間、亜沙子は目を見開いた。二人の間に、一瞬の沈黙が訪れる。
「やあねぇ。なに言ってんの、いきなり。この前のあれは、風邪だって言ったじゃない」
沈黙を破ったのは亜沙子が先だった。
「今日も吐いてただろう」
「・・・吐いてないわよ」
「流が見たって言っていたぜ。アパートの近くの電話ボックス付近で」
「・・・」
手にしていたおたまを、亜沙子は落した。
「事実か」
連橋は、亜沙子の反応に、流の悪い予感が当たったのだと思った。
「城田か!?小田島か!?」
「・・・違うよ、連ちゃん」
「違わねえだろっ。おまえ、妊娠してんじゃねえかっ。俺の子じゃねえ。俺のじゃねえだろ。だったら、誰のだよ。俺以外の男ともヤッていたのか?」
亜沙子の顔色が、サッと変わった。
「違う。違うわよっ。私は連ちゃん以外の男となんて、セックスしてないっ!」
「だったら・・・あいつらのどっちかじゃねえかよ!城田か、小田島だっ」
連橋は叫んだ。亜沙子は、連橋の声に、ビクッと身を竦めた。もうこれ以上は、隠していられない。隠しきれなかった・・・と亜沙子はガックリと肩を落した。
「・・・小田島よ。確率的には、アイツ。城田は中に出さなかった。でも、小田島は」
「ちくしょう!」
ダンッと、連橋は近くの壁に拳を叩きつけた。
「連ちゃん。ごめん。ごめんなさい・・・」
亜沙子は、ボロッと涙を零した。
「ごめんね・・・。私を許して」
「おまえのせいじゃない・・・。おまえのせいじゃねえだろうがっ!全部、俺の・・・」
連橋は亜沙子を見つめた。
「いつ知ったんだ」
「最近よ。検査薬で試して。今日病院へ行って来た。間違ってなかったわ」
「全部一人で・・・。おまえ、俺に隠して、一人で悩んで。泣いてやがったのか」
「だって。私が悪いんだもの。あの時逃げろって言った連ちゃんの言葉を無視して、小田島に捕まってしまって・・・。私がもっと抵抗したら、逃げ切れたかもしれないのに」
亜沙子の言葉に、連橋は首を振った。
「違うだろ。違う。それは、違うだろうがっ!俺が、小田島と揉めたから、おまえは巻き込まれたんだ。おまえは、俺の私闘に巻き込まれて」
再び壁を何度か叩いて、連橋は亜沙子の名を呼んだ。亜沙子は、おそるおそる連橋を見つめた。その時、連橋の瞳が、スウッと色を変えたことに亜沙子は気づいた。激昂しながら、その最中に冷めていく。自分を見る連橋の目付きが豹変したことに気づいて、亜沙子は脚が震えた。
「小田島。殺してやる」
呟くと、連橋はクルリと踵を返した。
「ダメっ!連ちゃん。小田島のところへ行ってはダメよ」
先日、城田に言われたことを思い出して、亜沙子は叫んだ。
「うるせえっ」
バンッと連橋は、ドアを乱暴に脚で殴って飛び出して行く。
「ダメなのよぅ。行かないでっ。アイツのところへ行かないで」
亜沙子は、必死に連橋を追いかけて、その体に抱きついた。
「先生。お願いっ。連ちゃんを止めて」
悲鳴を聞きつけ、大林が部屋から飛び出してきた。
「どうした。一体」
「連ちゃんをとめて。お願い、押さえておいて。私のことは、私でちゃんと処理するから」
泣きながら、亜沙子は連橋の体を抱き締めた。
「連。どうした」
大林は、亜沙子から暴れる連橋を引き受けた。
「離せ、くそジジー!離しやがれっ!」
「いい加減にしろ。なにを興奮してる」
「先生、連ちゃんをお願いします」
亜沙子は、脱げてしまったサンダルを履き直して、階段を駆け下りて行く。
「亜沙子、てめえ、どこへ行くっ!勝手な真似すんじゃねえっ。亜沙子、亜沙子っ」
連橋の声を背中に聞いて、そしてそれを振りきり、亜沙子は走った。城田の所へ、だ。もう躊躇っている時間はない。連橋が苦しむ前に、全てを終えてしまわなければ!亜沙子は息を切らしながら、城田に電話をする。城田は再度すぐに出た。
「お願い。もう待てないっ。今日中に、手術して。私の赤ちゃんを殺してぇっ」
受話器に向かって、亜沙子は泣き叫んだ。興奮して叫ぶ亜沙子とは裏腹に、城田は冷静に場所を指定した。迎えに来てくれると言った。亜沙子は泣きながら、城田の指定した場所へと向かった。


「城くん。なに考えているの?」
診察時間外の暗い待合室で、時間を過ぎるのをぼんやりと待っていた城田に、女は話かけた。
「別に」
「大丈夫よ。大した手術じゃないわ。すぐに終わるし、一晩眠れば家に帰れるわ」
「すみません。夕実さん」
「いいのよ。気にしないで」
夕実は、赤いマニキュアの塗られた指をつ・・・と伸ばして、城田の手を握った。
「俺、これから寄るところがあっから、彼女のこと頼みます。ついていてやってください」
「わかったわ。こっちのことは任せて」
「お願いします」
やんわりと夕実の手を避けて、城田は頭を下げた。
「城くん。また、どっかに喧嘩しにいくの?」
夕実は、立ちあがった城田を見上げて首を傾げた。
「そう見えますか?」
「見えるわ」
タバコに火を点けながら、夕実はあっさりと言った。
「そういえば。君の頬の傷、残ったわね。これで益々カタギに見えなくて、恒彦は喜ぶわね」
「あの人、俺キライです。喜ばせたくありません」
「私もキライよ。だから、残念ね・・・って言いたいの。喧嘩もいいけど、それ以上傷増やさないで。恒彦が喜ぶから」
「了解しました」
暗い待合室を、城田は静かに出て行った。


連橋は散々暴れたが、大林の力には適わないと知ると、途端におとなしくなった。やっと落ち着いたか・・・と思って大林はホッとした。部屋の隅で丸まっている連橋をチラリと見ては、ホーッと溜め息をついて、大林は台所にコーヒーを作りに行った。その時、廊下に面している台所の窓に人影が過った。
「!」
亜沙子かと思ったが、影は亜沙子にしては大き過ぎる。大林は、部屋の連橋を振り返ったが、連橋は一点を見つめて放心してるかのようだった。スッと、大林は玄関のドアを開けて、廊下に出た。人影は、開けっぱなしになっていた連橋の部屋を覗きこんでいた。
「新聞の勧誘か?そこの住人は留守だぜ。居たって新聞なんか読むような上等なヤツじゃねえから、諦めて帰りな」
大林は人影に声をかけた。人影は、大林を振り返った。学ランを着ている、長身の少年だった。少年は、反らすこともなくジッと大林を見つめてきた。目を合わせて、大林は眉を寄せた。
「!?」
大林が眉を寄せたと同時に、ドンッと背中に圧力がかかった。ハッと、大林は部屋を振り返る。たった今までおとなしかった連橋が駆け出してきていて、大林を押しのけて部屋を出て行ったのだ。
「連っ」
「連橋」
大林と、学ランの長身の少年の声が重なった。連橋は、階段の半分を駆け下りようとしていたところを、ゆっくり振り返った。大林の横にいた少年は、タッと軽やかに駆け出すと、呆然と階段の途中で立ち止まってしまった連橋を、追い抜いて走って行った。
「城田アッ!」
絶叫のような連橋の声だった。連橋があんな声を出すのを、大林は初めて聞いた。連橋は、城田を追いかけて走って行った。
「シロタ・・・!?」
大林は、首を傾げた。違うぞ。俺は、あの目を見たことがあるぞ・・・。確かに見たことがある。だが、その目を持つ男は、シロタとは名乗らなかった。あの男は・・・。俺の勘違いだろうか?でも、良く似ているような・・・気がした。


「おお。可愛いベイベー、晴海ちゃん。お兄ちゃんのところへおいで」
淺川は、床を這っている晴海を抱き上げようとして晴海を追いかけ回していた。
「無駄だって。晴海は誰にも懐かねえんだからよ」
緑川は、呆れた目で淺川を見ながら、言った。案の定、プイッと淺川を無視して、晴海はモゾゾと隣の部屋へと這って行ってしまった。
「くう。なんてつれないんだ」
「おまえ、ショタコンか?ったく。人の家来れば、晴海の尻追いかけまわしてやがって」
「おまえの尻追いかけ回すよかいいだろうが」
全然懲りてるふうもなく淺川は言い返す。
「気色わりーことぬかすな」
「それより、さっきからなに読んでいるんだよ」
淺川は、結構頻繁に緑川邸に遊びに来る。中学を卒業以来、淺川だけは小田島や城田や緑川達とは別の高校に行っているが、相変わらずなにかとつるんでいることが多かった。今日も、淺川は緑川家の夕飯を狙って遊びにきていたのだった。
「調査書」
「誰の?」
「連橋の」
「あーあ。連橋ね。なんでおまえがそんなの読んでいるんだ?城田にしか興味を示さないヤツが」
ニヤッと淺川は笑う。
「その城田が興味を示した男だから興味あんだよ、連橋に。この前城田に頼まれて調査したんだが、あいつはどうも中を見て欲しくなかったらしいからな。勿論読んじゃいなかったが、そう言われると、読みたくなるのが人情だろ。コピーはしておいたからな」
「惚れてるねぇ、城田に。おまえの方がヤバイぜ、歩。ホモ」
「なんとでも言え」
ソファに腰かけながら、緑川はパラパラと調査書を読んでいる。
「で。なんかわかったか?」
淺川が、緑川の手元を覗きこんだ。緑川はフッと笑った。
「もろわかったぜ。連橋が小田島を狙う理由。町田絡みだ」
淺川は、口笛を吹いた。
「町田。臨教の。やっべえ。それはマズイな。連橋は町田のセンコーと縁続きか?」
緑川は肩を竦めた。淺川は舌打ちしながら、言った。
「あれはやり過ぎた。この俺でもひいたぐらいだ。あそこで小田島が町田を刺した理由がいまだに俺にはわからん。小田島はクレイジーだが、あそこまでイッちまっていたとは思わなかったな。おかげで、妙なハクがついたっつーけどよ。実際あん時は、見限ろうかと思ったぜ」
「小田島は、町田を刺さなきゃいけねえ理由があったんだよ」
緑川は、調査書をポイッとそこらに捨てた。
「なんでだよ。実は、俺はそれ、ずっと聞きたかった」
淺川は、緑川の横顔に聞いた。
「町田が、俺ら1中の臨教に来たのは、偶然じゃねえからだよ。町田っつー教師は、探し物をしていたんだ。そして見つけた。ヤツは探し物を見つけたんだ。なんだったと思う?」
「なぞなぞか?わからんって。俺も町田はあんまり関わりたくなかったセンコーだからな。わかんねえな」
ムムと淺川は首を捻った。緑川は目を閉じた。
「・・・城田だよ。町田と縁続きなのは、城田の方なんだ、淺川。城田はな、本当の名前を町田優って言うんだ。町田の実の息子なんだ。町田のセンコーが10何年か前に、母親と一緒に切り捨てた、血の繋がりのある息子なんだ」
「!」
「小田島が必死になるの、わかるだろう。忠実な番犬を、町田に返したくなかったんだ。もっとも、城田もおとなしく父親の元へと帰ったかどうかはわかんねえ。いや、帰らなかっただろうな。ヤツは、町田を怨んでいるんだからな。町田には当時ちゃんと奥さんがいたんだ。不倫の末に産まれた城田と産んだその女を、町田のセンコーは切り捨てたんだ。城田が怨んで、当然だろうが」
「なんだって・・・」
淺川は、緑川から告げられた事実に、ゴクリと唾を飲み込んだ。


城田は、川辺りに走ってきていた。予想通り、連橋は後を追ってきた。殴り合うのは覚悟してる。殴り合わなければ、連橋は救われないだろう。そして、俺も。城田は、そう思っていた。
城田は立ち止まった。振り返る。連橋は、距離を隔ててやはり立ち止まっていた。
「亜沙子は?おまえのところに行ったんだろう。亜沙子はどうした?」
連橋は低く、うめくように聞いてきた。怒れば、怒るほど、冷えてゆく男なのだ。
「今頃は、手術も終わって麻酔で眠っている頃だろうさ」
「!」
川を渡ってゆく風が、連橋の髪を揺らしていた。
「・・・てめえら、許さねえっ」
バッ、と連橋の怒りという感情が、体から迸るのが、見えた気がした城田だった。
構える。
「なぜ、怒る?こうして良かったんだろうが。おまえ、あの女に、ガキ生んで欲しかったのか?俺は感謝されこそすれ、怒られる筋合いはねえぜ」
「だまれっ、だまれっ!」
連橋は、拳を振り上げた。
「おまえに決められる筋合いはねえっ!」
ビュッ、と連橋の拳が城田に向かってきた。城田は、それを避けて、同じく拳を繰り出した。
「だから、どうして怒ってるんだよっ。なあ、どうして、だよ」
連橋も避けた。しばらく、虚しい拳の空振りが続いた。
「おまえがあの女を巻き込んだンだろう。その結果がこれじゃん。どうしようもねえ結果を、俺が幸せな結果に変えてやったんだろ?感謝しろよ、なあ、連橋」
「うるせえっ!亜沙子がどんな気持ちでおまえらに犯されて、そしてガキ堕ろしたかなんて、おまえらにゃわかんねえだろうが」
「それはおまえも同じだろう。俺ら男にゃ、女の気持ちなんて、わかんねえよ。だがな。たった1つだけ、俺にはわかることがあんだよ、連橋」
城田が、バッと構えた。右の拳で連橋の左頬を打った。連橋は、その城田の右拳を避けた。だが、間髪いれずに城田は左の拳で連橋の顎を打ち上げていた。
「ぐ、うっ」
うめいて、連橋が体制を崩して、ドサッと大地に倒れた。
「この世には、な。生まれてきちゃいけねえ子供っていうのは、いるんだよ」
倒れた連橋を冷やかに見下ろして、城田は言った。
「・・・」
「親に祝福されずに生まれてきた子供が、幸せに育つもんかっ!そんなのはな。腹に入った時点で、消してしまう方が、ガキの為なんだよ。そしてあの女も、将来泣かないで済むんだっ」

『優ちゃん。パパねえ。もう、ママと優ちゃんに会いたくないんだって。帰ろうね。もう、帰ろうね。私達は、パパと会っちゃいけないの』

『アンタなんか、生まなきゃ良かった。そうしたら、あの人は、まだ私を愛してくれていたのよ。おまえが。おまえを生んだせいで、私はあの人に捨てられたんだわ』

『アンタなんか、産まなきゃ良かった・・・』

『やめて!ぶたないでっ!ママをぶたないでよっ』

『お願いします。お願いします。もう二度と会いにこないから。ママをぶたないで。ママをぶたないで。お願いします。もう二度と会いに来ないからっ!』


連橋は、大地に転がったまま、城田を見上げていた。コイツ、泣いているみてえだ・・・と、ふと連橋は思った。だが、しばらくして立ちあがった。手加減ナシで加えられた力によって顎が痺れていたが、唇を噛んで痛みをやり過ごす。連橋は、城田を見据えると、ギュッと拳を握りしめて駆けだし、城田に向かって再び挑んでいった。

9話に続く
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