連橋・・・某都立高校1年
流・・・・・同上
亜沙子・・・某都立高校3年
小田島義政・・・暁学園高校1年
城田・・・・・同上
*****************5話**************
凍るような冷たい季節が過ぎ、柔らかく暖かい季節がやって来た。今週末には、もう桜が咲くだろうと、あちこちのチャンネルの天気予報は、皆同じことを言っている。
「あなた。今週末には、桜が咲くそうよ」
紀美子は、台所で夕飯の支度をしながら見ていたテレビから目を離し、食卓の席についている夫を振り返った。
「そうか。本当にもうかなり暖かくなってきたからな」
浩一はそう言っては、腕の中にすっぽりとおさまった幼子の頭を撫でた。
「久人。今週末は母さんと桜を見にいこうな」
小さな手で、幼子・久人は目の前の、目に映った皿をピシャピシャと叩いている。
「あらあら。あなた。気をつけてね。ひーちゃんが、お皿を叩いているわ。割れて怪我でもしたら大変よ」
「そうだな。久人。おまえはまったく、やんちゃな子だな」
言いながら、浩一は久人の頬に自分の頬を擦り寄せながら、抱き締める。
「うー、あーっ」
玩具代わりだったお皿から手を引き剥がされて、久人はバタバタと両手両足を動かした。
「めっ」
浩一が言うと、ピクッと久人は驚いたようで、しょんぼりとしてしまう。だがすぐに復活し、久人はクルリと振り返り今度は浩一の肩をよじ登り始めた。
皿にハンバーグを乗せて、紀美子はリビングに向かって歩いてくる。クスクスと笑っていた。
「ひーちゃんは、昼間もちっともジッとしてないのよ。男の子なんだなーってつくづく思うわ。元気なのはいいことよ」
「そうだな。さて。これからメシ食うのにも一苦労だぞ」
「大丈夫よ。私はもう済ませたから、ひーちゃんを預かるわ」
ヒョイッと紀美子は、浩一の肩から久人をすくいあげて、抱き締めた。
「ひーちゃん。あっちでママと遊んでいようね」
「うー、うー」
キャッ、キャッと久人は笑っている。
「あなた。お一人で寂しいでしょうけど、ちゃんと食べてくださいね」
「はいはい。わかったよ。この家の主は、久人だからね」
「そうよ。うちの主は、ひーちゃんよ。ひーちゃんは、この家にやってきた天使なんだから」
ニッコリと微笑むと、紀美子は隣の部屋に久人を連れて行ってしまった。浩一は、そんな紀美子の後姿を見送りながら、つくづく久人を引き取って良かったと思った。
納得出来なかった不慮の兄の死。散々ねばったが、結局はうやむやにされてしまったあの事件のことは、今でも浩一の胸を過るが、なんと言ってももはや兄は帰らない。そう自分を納得させ、生まれたばかりだった兄の子、久人を引き取った。妻の紀美子は、不妊症で、子供が出来ない日々を、悲しんでばかりいた女だったが、久人を引き取ったことによって見違えるように明るくなった。久人は、母を自殺によって失い、父を事件によって失った可哀相な子だった。たった1つの救いは、そんな悲しい事実を、幼すぎる久人が理解出来ないでいることだった。最初の頃は、よく泣いたが、そのうちどんどん浩一と紀美子に懐いてきた。懐っこい子であることは確かだった。大人になって、両親の悲劇を知っても、久人が傷つくことのないように育てていこうと紀美子と決めた。愛だけを。ひたすら、愛だけを注いで。
紀美子の作ったハンバーグを食べながら浩一は、『週末にドライブに行く為に、あとで車を洗っておこう』と考えていた。
週末は予報通りによく晴れた。ピカピカに磨いた車が、太陽の光を弾いて綺麗だった。気持ちのいい風が吹き、桜も予報通り開花した。
「あなたー。門を開けますよ」
紀美子が、向こうで声をあげる。腕には、よそ行きの服を着た久人を抱えている。
「ああ、頼む」
車に乗り込み、浩一は車庫から車を出す。僅かばかりの庭を横切り、開いた門を潜り車を出す。バックミラーを見ると、紀美子が誰かと喋っていた。お隣さんか?と思いながら浩一はミラーをもう1度まじまじと見た。そこに映った人物を認識し、浩一は慌てて車を降りた。
「連橋くん」
「コンチハ」
ヒョイッと、金髪の少年が頭を下げる。かつて、兄が受けもっていたクラスの生徒だった。兄によく懐き、慕ってくれていた少年だ。浩一は連橋の肩を叩いた。
「すごい頭にしちゃったなァ。不良みたいだぞ」
「・・・まあ。そんなもんですかね」
「兄貴が泣くぞ、そんな姿見たら」
「勘弁してくださいよ、浩一さん」
連橋の、少し照れたような顔に、浩一は笑った。見てくれがどうであろうと、この少年がどれだけ誠実な少年であるかは、浩一は身を持って知っていた。
「久人の顔、見にきたんだけど。これから家族で出かけるんですね」
「ああ。桜を見にな。君も行くかい?」
「いえ。俺はいいですよ。んじゃ、これみやげ。プリン。これならば久人も食えるでしょ」
「ありがとう、連橋くん」
紀美子が、連橋からみやげを受け取った。
「ひーちゃん、良かったね。お兄ちゃんからおみやげ貰ったよー」
紀美子は、久人の目の前におみやげの包みを、プラプラとぶら下げて見せた。だが、久人は包みを小さな手でバシッと弾くと、いきなり連橋の髪の毛を引っ張った。
「イテテッ。久人、イテえっつーの」
「きっと、連橋くんの髪の毛の色が珍しいんだわ」
アハハハと紀美子が吹き出して笑う。
「ひでーよ。ハゲちまう。ガキって、容赦しねえで力いれるんだからな」
言いながら、連橋はポンッと久人の頭を撫でた。
「久人。いいな。家族でドライブか。楽しんで来いよ」
「うー」
コクッと久人はうなづいた。
「まあ。わかってるみたいよ。偉いね、ひーちゃん。頭いいっ!」
「そうだな。久人は賢いな」
浩一と紀美子は二人揃って、久人を褒め称える。
「親バカですね、お二人」
連橋が呆れたように言った。浩一はハッとして、ゴホンと咳払いをした。
「と言う訳で、悪いね、連橋くん。兄貴に線香くれにきたんだろう。そろそろ命日だからね」
「それもありますが、俺は久人を見にきたんですから、会えて良かったです」
「またゆっくり来てくれよ」
「はい」
うなづく連橋を、浩一はジッと見た。また背が伸びたようだと思ったのだ。
「背が伸びたね。そうか。この春からもう高校生だものな。君たちの頃って言うのは、本当に成長が早い。きっとちょっと会わなくなれば、僕なんか君のことはすぐにわからなくなるだろう」
「久人だって、あっと言う間にでっかくなりますよ」
「そうだね・・・。それはそうだ。じゃあ、そろそろ行くよ」
「お気をつけて」
ペコッと連橋が挨拶する。
「ああ」
浩一は車のドアに手をかけて、それからゆっくりと連橋を振り返った。
「兄貴のことは、君ももう忘れていくことだ。兄貴は死んだが、我々には久人が残った。我々は生きているのだから、過去ばかりを振り返って生きていってはダメだよ」
「いきなりどうしたんですか?」
連橋は、キョトンとしたように聞き返す。突然過ぎたか・・と、浩一は急に恥かしくなった。だが、連橋を見ていると、どうしてもあの時のことを思い出す。あの事件の時に、必死に兄の死の理不尽さを警察に訴えていた連橋の姿を。
「いや。ふと・・・。あの時の君を思い出してね。なんとなく、だよ。連橋くん。くれぐれも、君は君の人生を大切に歩んでいくんだよ」
「・・・わかっていますよ、浩一さん」
「ん。じゃあ、本当に行くよ。また遊びに来てくれ」
今度こそ、ドアを閉め、浩一はアクセルを踏んだ。
「バイバイー」
振り返り、紀美子と久人は、道路に立ち尽くし見送ってくれている連橋に手を振った。浩一も、バックミラーに映る連橋を見ていた。
春の日差しに佇む、眩しい少年。いつか久人も、あんなふうに大きくなるだろう。あの少年のように、久人には、誠実に、純粋に、優しく育てっていって欲しいと浩一は思った。だが、大丈夫だろう。きっと、連橋は、これからも久人の側に居てくれる。久人の成長を一緒に見守ってくれるだろう。頼もしいことだ、と浩一は思う。いつまでも、いつまでも連橋はそこに佇み、見送ってくれていた。やがて連橋の姿がミラーに映らなくなる頃、浩一は意識を運転に集中した。花見日和だ。車も混むだろう。だが、こればかりは予想に反し、高速は順調で、目当ての公園に辿りつく。こちらは予想通りの人出だったが、これもまた花見の醍醐味だ。紀美子と久人は常に上機嫌で、花見を楽しんでいた。紀美子と二人、子供を挟んでのこういう生活を夢見ていた浩一にとって、今日の日は幸せ以外のなにものでもなかった。頭に桜の花弁をくっつけたまま、後部座席で眠ってしまっている久人と紀美子を振り返り、浩一は微笑んだ。名残惜しく楽しい花見の時間を終えて帰宅に着く。高速は、相変わらず空いていた。浩一は、妙だな・・・とふと、不吉な胸騒ぎをおぼえていた。そんな時、
「あなた」
と、呼びかけられた。いつの間にか、紀美子が起きていた。
「今日はとても楽しかったわ。ありがとう」
「なにをいきなり。まだ寝てていいよ。車は混んでないが、もうしばらくかかるからね」
「ええ。でも、なんだか私、興奮してしまって。こんな幸せな時間を過ごせるなんて、1年前までは想像もしてなかったんですからね」
紀美子は頬を紅潮させて言った。
「お義兄さんはお気の毒でしたけど、その分私達が久人を幸せにしてあげましょうね」
「その通りだよ、紀美子」
「私、幸せだわ・・・」
紀美子が呟く。浩一は、ふと紀美子の腕の中の久人が気になり、僅かに振り返った。
「紀美子、久人の頭に花弁がついたままだ。取ってあげろよ」
「あら。やあね。本当だわ」
紀美子は、久人の頭の花弁を摘みあげた。
「ほら。花弁。綺麗ねえ・・・。あっ!あなたッ、前を見てっ」
「え?」
紀美子が絶叫した。僅かな瞬間、振り返っただけだ。浩一は慌てて前を向いた。信じられなかった。対抗車線から、車が飛び出してきていたのだ。
「!」
浩一はハンドルを切った。だが、間に合わない、と感じた。
「紀美子。久人っ。伏せろっ」
叫んだ。
「きゃあああああっ」
紀美子の声が車内に響く。その声で久人がビクッと目を開けた。
激しい衝撃。音。燃える匂い。
紀美子、久人、紀美子、久人、紀美子、久人、久人・・・・ッ!
正面衝突した2台の車は、後続車をも巻き込み、炎上した。
ガシャンッ!
連橋は、その音にビクッとして台所を振り返った。台所に立っていた亜沙子が皿を落したのだ。
「どうした?大丈夫か?」
「う、うん。ごめん。なんかちょっと気分が・・・」
亜沙子は口を押さえて、トイレに駆けこんだ。
「?」
連橋は、亜沙子の落した、粉々になった皿の破片を拾い上げた。
トイレで思いっきり吐いて、亜沙子は水を流した。何度も水を流しながら、亜沙子の顔色は蒼白になっていった。思わず自分の腹を擦る。まさか・・・。まさか・・・。ゾッとした考えが頭を過った。不安はあった。確かに、不安はあった。連橋とのセックスは、避妊している。だが・・・。あの夜の、城田、いや、小田島は・・・。強姦された、あの夜。小田島は、私の中に・・・。
「亜沙子。大丈夫か?」
トイレのドアをトントンと、連橋が叩いている。
「へ、へーきよ、連ちゃん。それより、連ちゃんがご飯作って」
「なにっ!?俺がか?俺のメシ不味いぞ。この前流に食わせたら、吐いてたからな」
「アハハ。それでもいいよ。どうせ私、今も吐いているからさー。なんか風邪ひいちゃったみたいだよ」
「そーか?んじゃ、お粥でも作っか。それなら、俺得意」
連橋は、疑いもせずに、トイレを離れていった。亜沙子はホッとした。だが、すぐに次の不安にぶち当たる。どうしよう。どうしよう。間違いであればいい。妊娠していたら、大変なことになる。産めない。勿論産めない。けれど、堕ろせもしない。お金がないもの。亜沙子は胸に手を当てて、心臓の音を確かめた。激しく鳴っている。どうしよう。どうしたらいいの。確かめなきゃ。確かめなきゃ。神様、助けて。どうか、間違いでありますように。
バッとトイレを出ると、亜沙子はテーブルに置きっぱなしにしていた財布を掴んだ。
「亜沙子、どうしたんだよ」
「薬買ってくる」
「バカヤロウ。だったら俺が買ってくるから、おまえはおとなしく寝てろ。って、もう行っちまいやがった」
亜沙子のあまりの素早さに、連橋は呆然としてしまう。開け放たれた、今にも壊れそうな古びた木製のドアがキシキシと軋んでいる。連橋は、ふと眉を潜めた。一瞬、誰かに名前を呼ばれたような気がして、ドアの向こうに目をやった。すると眩しいぐらいの夕日が、目の前に在った。目を細めて、一瞬の躊躇の後、連橋は思いっきりドアを閉めた。
薬局に飛び込み、目当てのものを買い、亜沙子は公園のトイレに入った。震える手で、棒を見つめていた。僅かの後に、表れた結果に、亜沙子はその場にしゃがみこんで掌で顔を覆った。
「こんなことって・・・!」
亜沙子は、小田島の子供を身ごもった。
第6話に続く
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