BACK TOP NEXT
****3部18話***
城田は体温計を見ては、肩を竦めた。
「はは。思った通りだ。よっぽど連橋が平熱低くなけりゃ、熱は下がったも同然。やっぱり、コイツは頑丈だよな」
そして、傍らに立つ小田島に、城田は注意を促す。
「いいか。あせって盛るンじゃねえよ。もう一日ぐれえは、おとなしくしてるんだな」
「わかってる」
小田島はぶすっくれた顔でうなづいた。
「じゃあ、俺は帰るぜ。あっちの様子も気になるしな」
ポンッ、と城田は小田島の頭を軽く撫でると、連橋の寝ている部屋を出て行く。小田島も後をついていく。
「城田。なあ、昨日の電話はなんだったんだ?淺川はなんて言ってたンだ?流は本当に大丈夫なんだろうな」
「淺川ははりきってくれてるよ。おまえの示した法外なバイト料に目を血走らせていやがる」
フッ、と城田は笑った。
「ならいいが」
そう言いながら、小田島は爪を噛んだ。
「じゃあな」
城田は小田島のマンションを出た。マンションの周囲には小田島の舎弟どもが暇そうにウロウロしていたが、城田を見ると、一斉に頭を下げてきた。
「異常なしか?」
城田が聞くと、舎弟達はうなづいた。
「せいぜい頑張って見張ってろよ」
そう声をかけて、城田は駐車場に向かった。
『てめえらの安息も、あと少し・・・』
心の中で城田は苦笑した。昨日の淺川からの電話は、『流が釈放(で)る!』だった。普段クールな淺川だったが、珍しく取り乱していた。計算では、まだ流を留置出来ている筈だったからだろう。
キーを掌で遊ばせながら城田は自宅のマンションに戻った。まず見張り役の郷田が城田を出迎えた。
「変わりねえか?」
そう言うと、郷田は「はい」とうなづいた。キッチンには亜沙子がいた。遅い朝食の支度をさせられているのだろう。だが、城田を見ると、彼女の瞳がキラリと輝いた。城田はそれを見逃さなかった。
「どんな飯作ってる?」
城田は気軽に亜沙子に声をかける。亜沙子は城田に背を向けていた。
「サンドイッチ」
亜沙子が振り向かずに答えた。
「ひねりのねえ飯だな。料理得意なんだろ?」
からかうように城田は亜沙子の背を撫でた。亜沙子がビクッと振り返った。
「!」
・・・その手には、拳銃が握られていた。
「ヒントをありがとう、城田」
ニッコリと亜沙子は笑っていた。
「簡単すぎたかな、と今は思うぜ」
グイッ、と亜沙子は城田の腹に拳銃を押しつけた。
「今すぐ連ちゃんの所に案内しなさい」
「いいぜ。願ってもねえことさ」
城田は、突きつけられた拳銃に、顔色一つ変えずにそう答えた。
「だったら最初から、おとなしく渡してくれれば良かったのよ」
「そうは出来ねえことは、アンタが一番わかってくれるだろう」
城田と亜沙子の視線が交差する。
「アンタは頭のいい男だわ」
「違うね。俺はただ、慎重なのさ。保険を幾つもかけただけだ」
「保険?」
「そうさ。このゲームは、流の留置が終われば、どうしたってエンドにしなきゃいけねえゲームだった。でも、俺は、ゲームセットまでは待てなかった。どうして?なんて野暮なことは聞くなよ。だから、俺は保険をかけたのさ。一つは、自分の腕の怪我。これはな。実は骨折なんかじゃねえんだよ。あとで理由はわかるさ。捻挫はしてるけどな。もう一つは流の留置を早く終わらせること。実のところはココが一番肝心だった。知りあいにな。優秀な弁護士と有り余る金を持ってる人がいる。その人に、小田島サイドを上回る援護を頼んだんだ。だがな。小田島サイドも一筋縄じゃいかねえ。大掘っつーバカな組に雇われている金儲けしか頭にねえやつらだ。やつらは、どうしたら法律をかいくぐり、黒を白にするか。それを考えることがまんま食う為の仕事なんだ。だから、俺はココが一番早いが、一番難しいと思った。そこでアンタの登場さ。もしも流の留置が長引けば。
そして3番目の保険。流が出ないならば、アンタが助けに行けばいい」
最後の方は、城田は亜沙子の耳に息を吹きかけるかのように小声で言った。
「女は好きだが、とくに賢い女は大好き。これは、ある意味4番目の保険だな」
「流くんは、まだ出られないのね・・・」
亜沙子が眉を潜めた。
「どっこい。ヤツは今日釈放される。考えていたよりずっと早かった。俺の2番目の保険は優秀だったってことさ。勿論、3番めもな。いいさ。俺は保険金を2倍貰えるだけのこと」
「自分ではなに一つ動かずに、周りを動かして、思う通りにするのね」
「そういうこと」
城田は、ニッと笑った。
「どうせ最後だ。派手に終わらせてくれて構わない」
余裕めいた城田の言葉に、亜沙子はムッとした。城田の掌の上で踊らされていることが悔しかった。
「アンタに言われまでもないわっ。私と流くん。どっちが先でも構わない。とにかく、一刻も早く、あんな下種ヤロウの元から連ちゃんを救い出したいのよっ!さあ、城田。手下に命令しなさい。おとなしくしているようにね。そして、私を小田島のところへ連れていくのよっ!」
「かしこまりました、女王様。ところで、間違えて手を滑らせて、マジに撃ったりしてくれるなよ」
腹に突き刺さる銃を見て、城田は両手を挙げながら、片眉を器用に吊り上げて見せた。
留置から釈放された流を迎えたのは、姉の杏子と、そして、香澄だった。
「充」
香澄が流に駆け寄った。流は「心配かけた、悪い」と頭を軽く撫でてから、香澄を見た。
「香澄。睦美ちゃんから、なにか連絡入ってるか?」
香澄はうなづいた。
「連ちゃんの居場所がわからない。彼女はそう言っていたわ。だから、私、杏子さんならば、充からなにか聞いてるかもって」
そう言って香澄は、杏子を振り返った。
「充。私、貴方のお友達の志摩さんに、連ちゃんのことを聞いて。小田島と言う名前を聞いたわ。だから、私。少しでも情報を、と思って。あの女の店のことを彼女に言ったの。だって、あの女のバックは小田島だって。充、貴方はそう言ったわよね・・・」
杏子も流に駆け寄り、そして、うつむいた。
「でも、私。彼女に余計なことを教えてしまったのかもしれない」
「睦美ちゃんは、あの女のところに行ったのか!」
流の顔色が変わった。夕実という女の店。あそこは、危険すぎる。小田島に近すぎるぐらいの距離なのだ。そんなところに、睦美は一人で乗り込んでいったのか。
「わりい。色々と心配かけた。俺、睦美ちゃんと連達を探さなきゃなんねえ」
香澄は小さく溜息をついた。
「アンタはいつも、連ちゃん、連ちゃん。留置所でひどい目に遭ったことなんて、ちっとも堪えてないのね。バカ男。勝手にしなさいよっ」
そう言って香澄は、プイッと流から目を逸らした。
「香澄、マジでごめん・・・」
「充。頼むから、もうこれ以上危険なことはしないで」
杏子が流の腕に縋った。
「皆がどれだけ心配したと思っているの」
その言葉は、グサリ、と流の胸に突き刺さった。だが、だが。それでも・・・!
流は、キッと顔をあげると、香澄と、杏子の二人を正面から見た。
「心配かけたのは悪いと思ってる。でも、俺。やっぱり、行かなきゃなんねえんだ!」
バッ、と流は二人を避けて、歩き出した。二人の視線を背中に感じながら流は歩き、そして、やがて走り出す。途中、電話ボックスを見つけ、そこに駆け込んだ。頭の中に叩きこまれている番号をプッシュした。
『もしもし』
聞こえた声は、佐田の声だった。
「佐田!連は戻ってきてねえな?」
『はい。連橋さんは、あれから全然この部屋に戻ってきてません』
佐田の答えに、流は舌打ちした。佐田は、あの騒動をうまく逃れ、連橋の家で待機していたのだ。
「もう、いい。幾ら待っても、待ってるだけじゃ、連は戻ってこねえ。いいか。逃げたヤツと、既に釈放(で)たやつらを出来るだけ集めていつものところへ集合させとけっ。なるべく車は使うな。バイクで来れるやつは、バイクで。いいか。志摩さんがいねえ今、俺がジレンの頭だ。皆に、そう言っておけ」
『は、はい。流さん。流さんも来られるんですよね』
「俺が行くまで、皆はおまえが統率しておけ。俺は、ちょっと寄るところがある。じゃあな」
受話器を置くと、流は再び走り出した。途中、タクシーを拾い、夕実の店へと急いだ。
睦美の身になにかあったら、それこそ連橋は救われない。小田島に拉致されたことが間違いない今、連橋の苦痛は頂点に達している筈だ。
「くそっ。これ以上、連を傷つけることなんて、俺がさせねえっ」
流はタクシーの中で、腕を組んでは、一人呟いた。窓の外を流れてゆく景色が、もどかしくて仕方なかった。
「急いでくれ」
流は、運転手に言った。
早く、早く、早く。早く、連を地獄から、連れ戻さなければ!!
店がひけても、夕実は店に残っていた。睦美には、幾度となく「寝なさい」と言ったが、彼女はとうとう朝が訪れるまで眠ろうとはしなかった。今に至っても、なにも食べずに、眠らずに、ジッと座ったままだった。
「あんたらは、本当に強情ね」
夕実は、かつての亜沙子のことを思い出していた。まだ寝てなさい、と何度も言ったが、彼女は病院を飛び出して行ってしまった。あの昔の、こと。と、夕実の手元の子機が鳴った。受話器からは、舎弟の声が響いた。
『姐さん、な、流が来やがった』
夕実は、了解よ、と言って電話を切った。
「やっとあんた達から手が切れるわ。お迎えよ」
その言葉が終わると同時に、店のドアが乱暴に開いた。
「睦美ちゃん」
弾かれたように、睦美は振り返った。
「流くんっ!」
流は走ってきた睦美を背に庇い、ソファに座る夕実を睨みつけた。
「クソ女。睦美ちゃんになんかしやがったんじゃねえだろうな」
ズイッと流は、一歩を踏み出す。
「女だからって容赦しねえぞ!」
夕実は、ソファに座ったまま、流を見ていた。さすがにヤクザを周りに侍らせているだけの女ではある。怯えた様子すら、ない。悠然とタバコをふかしていた。
「止めて、流くん。その人は、私を助けてくれた。私はなにもされていないわ。それより、連橋を。早く、連橋を」
睦美の言葉に、流は目を見開いた。
「このクソ女が、睦美ちゃんを助けてくれただと?」
と、流の言葉に、夕実はテーブルを動く方の足で蹴飛ばした。
「さっきから、クソ、クソうるさいんだよ、ガキ。さっさと行っちまいな」
「っ・・・」
流は、ギリッと夕実を睨みつけた。
「アンタの大事な人を助けに行くんでしょう?流。さっさと行きなよ・・・」
フフッと夕実は笑う。流はハッとした。そうだ、その通りだ。こんな女に構ってる暇はねえ、と思った。
「流くん。行きましょ。夕実さん、ありがとう」
睦美は、流の背を押して、流を促す。
「ちっ」
舌打ちしながら、流は夕実の店を睦美と共に出た。
「睦美ちゃん、マジでなんもされなかったのか?あの女はヤクザを飼いならしているんだぜ」
流の言葉に、睦美はうなづいた。
「ええ。本当よ。あの人、私を助けてくれた。いい人だったわ」
どういうつもりだ、あの女・・・と流は思った。あの女は、骨の髄まで小田島の女だというのに。
だが、追求してる時間はない。流は気持ちを切り替えると、
「いつもの場所にジレンのやつらを待たせている。思い出したんだ、睦美ちゃん。俺は小田島のマンションを知っている!」
かつて、亜沙子から呼び出されて、連橋を連れ戻しに行った、あのマンション。流は今でも覚えていた。初めて、連橋が小田島に犯されたあのマンションだ。
「皆揃っているのね」
睦美がホッとしたように言った。
「ああ。殴りこみだぜ!」
流がうなづく。
「望むところよ」
睦美と流は再びタクシーに飛び乗った。
その頃、城田は亜沙子に命じられたまま、自分の手下達を縛り上げていた。
「亜沙子ねーちゃん。それ、ひーちゃんにも貸して」
久人は、亜沙子が持っている拳銃を、どうやらおもちゃだと思っているようだった。背伸びして、手を伸ばしてくる。
「近寄っちゃ駄目、ひーちゃん。これはおもちゃじゃないのよ!」
亜沙子の声に、久人はビクッとして手を引っ込めた。
「城田。ひーちゃんを抱っこして」
言われるまま、城田は久人を抱えあげた。
「わぁい。ねえ、どこへ行くの?もしかして、にーちゃんのところ?」
久人は無邪気に城田にしがみつきながら、はしゃいだ声をあげた。
「ああ、そうさ。そうだよ、ひーちゃん」
城田が言うと、久人は
「やったあ。やっとにーちゃんに会えるぅ」と、本当に嬉しそうな声で言った。
亜沙子は城田の腰に銃をグイッと押し付けた。
「やめろ。痛いっつーの」
城田が身を捻った。
「腕はマジに痛いんだぞ。それに、このデブ、抱っこさせられているんだから」
城田の言葉に、久人がプクッと頬を膨らませた。
「ひーちゃん、デブじゃないもん!デブじゃないもーん」
ポカポカと久人は城田の頭を叩いた。見ようによってはとても微笑ましい光景だった。城田の腰に押し当てられている亜沙子の拳銃さえなければ。
「城田さん・・・」
縛りあげられた郷田が、心配そうな顔で、城田を見上げていた。
「なんとかなるさ。あとで助けに来てやっからよ、しばらく我慢してな」
そんな郷田に、城田は余裕の笑みで答えてやった。
「さあ、車に行くわよ。城田、案内しなさい」
最初、持つのですら怖かった拳銃は、もうすっかり亜沙子の指に馴染んでいた。
流と睦美のタクシーが待ち合わせの場所に着くと、歓声があがった。
「流さん、お疲れ様でした」
「待ってました、流さん」
皆が、流にドッと走り寄ってきた。
「すまなかったな。長いこと留守してて。さあ、行くぜ。御礼参りだ」
「おうっ!」
流の声に、皆が同調して、そしておのおののバイクや車に乗り込んだ。佐田が用意してくれていたバイクに流はヒョイッと跨った。後ろには、睦美が乗った。
「行き先は、俺が知っている。てめえら、遅れずについてこいよっ」
ガアンッ、と流がアクセルを踏みこんで、バイクが発進していく。
「しっかり捕まってな、睦美ちゃん」
「慣れてるわよ。兄貴の後ろによく乗っけられていたから」
「頼もしいぜ」
ググッ、と流はスピードを上げた。その後ろをやかましく、ジレンのメンバー達が離れずについていった。
連橋は目を覚ました。
「・・・」
バッ、と条件反射に毛布を捲ると、全裸ではなかった。パジャマを着ていた。
「・・・?」
自分の置かれている状況が、一瞬連橋にはわからなかった。自分の部屋?と思ったが、周囲を見渡すと、それが全然違うことに気づかされる。サイドテーブルに置かれた薬の箱と体温計。それらを見て、やっと連橋は自分がどういう状況だったのかを思い出した。
「素っ裸にされてりゃ風邪もひくぜ、ちきしょう!」
忌々しい、と連橋はサイドテーブルの薬箱と体温計を床に叩きつけた。
薬が効いたのか、体は昨日と比べて、楽に動いた。あの、もったりとした体に力が入らないようなもどかしさはもう体のどこにも残っていなかった。
「頑丈に生んでくれたことは感謝するぜ・・・」
連橋は、夢を見ていたことをかすかに覚えていた。家族の夢だった。母の夢、父の夢。そして、町田先生の・・・。妙にリアルに、先生の声が耳元に聞こえた気がした。そう思って連橋は、しばし幸せな気分になっていたが、部屋の片隅に置かれていた椅子の上にあった自分の服を見て我に返った。窓の様子からしてみて、もう昼過ぎ。小田島は、また出かけているに違いない。連橋は、敏速にベッドから降り、自分の服を久し振りに身に着けた。落ち着いた。やっと、人間に戻れた気がした。ドアの外はヒッソリとしている。が、どうせ見張りがついているに違いない。何度も脱走しようとして、その見張りにぶっ飛ばされたのだ。
「限界だぜ。もうこんな所にいられねえ」
連橋は、部屋の中をゆっくりと見渡した。武器になるもの。なにか、ないか。時間は、ある。日暮まで。いつも、小田島が部屋に姿を表す時間まで・・・。
しかし、普段は使われていないような部屋らしく、まともな家具などベッドとサイドテーブルと椅子ぐらいしかない。
「椅子・・・」
その椅子は、木製の椅子だった。連橋は、椅子に近寄った。
「これしかねえっ」
連橋は椅子に手をかけた。そして、その椅子を壁に向かって叩きつけようとしたその時だった。
ドアが開いた。
「!」
そして、そこには、小田島と城田と。そして、亜沙子が立っていた。
小田島は、いつもならば、面倒くさくても行っていた大学を休んでいた。本気で体が疲れていたからだ。一晩中、寝つけなかった。連橋の部屋が、気になって、気になって仕方なかった。どうしてか小田島は、連橋が突然あの部屋から消えてしまうのではないかという不安が拭えなかったのだ。
あの体調で、そんなことも出来よう筈もない。だが。不安は止むことはなかった。連橋が、自分の手の中に存る。その時間を、手放したくなかった。それゆえに寝つけずに、結局はほとんど貫徹状態だった。朝が来ても体がだるかったので、元々行く気のない大学へなど行くことを放棄し、やっと昼近くにやってきた眠気にウトウトとしていたその時。玄関の騒がしさに、ハッとした。
なにが起こったのか・・・。そう思っているうちに、事態はすぐに知れた。
城田が、女に拳銃を突きつけられて、目の前に現れたからだった。
「なんてザマだよ、城田」
小田島はベッドから起き上がり、無様な城田を睨みつけた。
「勘弁してくれよ。俺は、ただでさえ腕やられているし、女には弱い。すまん、義政」
小田島は、呆れて言葉もなかった。城田が腕をやられていることは知っていたし、それ以上に、城田が女という存在に甘いということを小田島は知り尽くしていた。
「抵抗しても無駄よッ。あんたが新しい武器を持ち出す前に、私は城田を撃ち殺すわよ!」
女、亜沙子が、そう叫んだ。
「城田。その女抱いて、絆されたか。つかえねーヤツだぜ」
嘲笑うことしか、もう小田島には出来なかった。不安は的中した。別の形で。
連橋が、この腕を離れていく。覚悟しなければならなかった。どうせ、エンドが来ることはわかっていたゲームだった。エンドを長引かす為に、城田を殺されてしまうことは望むことではない。ただ、もう少し、時間が欲しかった、とは小田島の正直な気持ちだった。
「で?おまえはどうしてえんだよ?」
小田島は亜沙子を睨みながら、ベッドを降りた。
「決まっているでしょう。連ちゃんを返しなさいっ!」
クソ邪魔な女め・・・。小田島は亜沙子への憎しみを募らせながら、フンッと鼻で笑った。
「そのマヌケ男に案内してもらえよ」
「アンタも一緒に来るのよ、小田島」
「俺に命令するな!ブスッ!」
「うるさい。あんたの犬の腹に風穴開けられたくなかったら、大人しくなさい。私は素人よ。一発で殺してやるなんて器用なこと出来ないからね。それでもいいならば、ついてこなければいいわ」
「義政。この女、本気でやりかねねー」
城田が、肩を竦めた。その腕には、子供が抱えられている。小田島は、子供を見た。町田の息子。城田の弟。コイツが、連橋の弱点。
「わかったよ。行けばいいんだろ。行くよ、このマヌケ」
小田島は城田に向かって歩いてきながら、城田の頬をバシンッと平手で叩いた。
「せっかく流がいねえで、邪魔入らず楽しめていたのに、てめえが邪魔してどうすんだよ!役立たず」
「すまん」
城田は素直にわびを口にした。
「なんなの、この人。なんで飴のにーちゃんをぶつの!」
久人が城田の頬に手を伸ばし、撫で撫でした。
「ひどいよ、このひと」
「るっせえ!ガキ黙らせろ」
城田が、「ひーちゃん、しっ。いいから。俺は大丈夫だから」と、久人を宥めた。
「こっちだ」
城田が背中に突きつけられた拳銃を気にしながら、亜沙子を促した。
「下手な小細工したら、本当にやるわよ!」
「うるせえな。こっちだって、苦しい死に方なんかしたくねえんだよ」
答え、城田はスタスタと廊下を行く。その横には、憮然とした小田島が付き添っていた。
流が記憶にあったマンションに辿りつく。階数は覚えていた。だが、部屋番号までは覚えていない。メンバーに協力してもらって、一つ、一つ確かめていく。時間がかかるが仕方ない。すると、3つ向こうを調べていた佐田が声をあげた。
「流さん。この部屋、鍵かかってねえっす」
「んだと?そこだ、佐田!」
ダッと流は駆け出し、鍵のかかっていない部屋に飛び込んだ。
「流くん、誰もいないわ」
睦美が言った。
「気をつけろ、睦美ちゃん。奥にはまだ部屋がある。俺が行く。下がってろ」
流は、慎重に一番奥にある部屋のドアを開いた。
「!」
案の定、その部屋には、チンピラらしき男達が居た。ただし、縛られて・・・。
「てめえら。小田島の手下だな」
流は、縛られて動けぬ状態である男達の脇に立ち、訊いた。男達は黙ったまま、床に蹲っていた。
「なんだ、このザマは。一体なにがあった?小田島はどこだ?連はどこだ!話せっ」
一人の男の髪を掴んで、流は怒鳴った。
「喋るつもりがねえならば、こっちにも考えがあるぜ」
流は、ジーンズの尻ポケットから、ナイフを取り出した。男達の顔色が、サッと変わった。
「こちとら、切羽詰ってるんだよ。手加減なんかしてる余裕なんかねえよ?それでもいいならば、喋らせてやるぜ」
シャッ、とナイフで空気を切り裂いてから、流はピタリと、男の一人の頬にナイフをあてがった。
「おとなしく、喋れよ」
ピタピタとナイフで男の頬を叩きながら、流は、すごんで見せた。
「ひっ・・・。言う。言う!連橋はここにはいない。連橋は小田島さんのもう一つのマンションに監禁されている。ここは違う。ここには、女とガキが監禁されていた」
「・・・亜沙子ちゃんとひーちゃんだな。二人はどうした?」
「お、女がいつの間にか銃を手にいれやがって。城田さんを脅して、小田島さんのマンションに連れていった・・・」
「亜沙子ちゃんが?」
流が眉を潜めた。
「二人は無事なんだな」
「ああ、無事だっ!」
やけくそのように男が叫んだ。
「ならばいい。じゃあ、その小田島のもう一つのマンションを教えろ」
「わ、わかった。わかったから、ナイフをどけろっ」
「教えてくれたならば、引いてやる」
流は、薄く笑いながら、更にグッと男の頬にナイフを突きつけた。
数分後、流は身を翻して、マンションを後にしていた。
「連の居場所がわかったぞ。今から向かう」
ジーンズのポケットにナイフをしまいながら、流は再びバイクに跨った。
「今度こそ、本物だ。皆、ついてこいっ」
流は手招くしぐさを皆にして見せて、バイクを発進させた。
今度こそ、間違いない。連、今、行くぜ!流はそう思いながら、スピードを上げた。
「連ちゃん!」
亜沙子の声。数日しか離れていなかったのに、それは恐ろしく懐かしい声のように感じた連橋だった。
「亜沙子・・・」
連橋は、素早く亜沙子達に目を走らせ、状況を把握した。
「やってくれたな、亜沙子」
ニヤリと笑うと、連橋は、「小田島、カモン」と小田島を手招いた。
「やだね」
小田島は、フイッと横を向いた。
「そうか。てめえが、そういう態度ならば、こっちから行かせてもらうぜ。亜沙子下がってろ」
タッ、と連橋は床を蹴るとは短く助走して、そのまま、小田島を殴りつけた。
「義政っ」
城田が声をあげた。
「アンタは動いちゃ駄目よ、城田!」
亜沙子が腰の銃を抉って、城田に押しつけた。
「くっ」
城田が唇を噛んだ。
「よくも好き勝手やってくれたな!」
よろめいた小田島に、連橋は、クルリと体を捻り、回し蹴りを食らわせた。
「うぁつ!」
さすがに、小田島の体がすっとび、体が壁にぶつかった。
「堪忍袋の緒が切れたっと」
城田は、スッと前に出ると、久人をおろし、
「連橋ッ」
と叫び、連橋に向かって拳を打ち出した。
「城田!出てくんじゃねえよっ」
ビシッ、と連橋は城田の拳を跳ね返した。拳を跳ね返された城田は、そのまま反転して、連橋の腰めがけて脚を繰り出す。
「いやよ、動かないで!ひーちゃん、あっちの部屋に行ってなさい」
亜沙子が悲鳴をあげる。久人は亜沙子の悲鳴に驚いて、バタバタと部屋を出ていった。
亜沙子は城田に照準を合わせているのだが、激しく動く城田を捕らえ切れずに、思わず悲鳴を上げてしまったのだ。
連橋はヒラリと城田の脚をよけると、タンッ、と腰を屈め城田の足をすくいにかかった。だが、城田はフワリと飛んで、それを避けた。バシッ、バシッ、と互いの拳が互いの顔すれすれで交差する。
「連ちゃん、止めて!」
亜沙子が再び叫ぶ。そんな亜沙子に、連橋の回し蹴りで倒れていた小田島が牙を剥く。
「くそアマっ!てめえのせいで!」
小田島は、猛然と亜沙子に飛びかかった。亜沙子はハッとした。
「近寄らないで」
城田と打ち合う連橋は、横目でそれを捕らえた。そして、その時。千載一遇のチャンスを知る。
「亜沙子!」
連橋はそう叫びながら、片方の腕で城田からの攻撃を避けて顔を庇いながら、片方の腕を亜沙子に向かって伸ばした。
「!」
亜沙子は、連橋の伸びた腕の意味をすぐに理解した。
「れ、ん、ちゃん・・・!」
亜沙子は持っていた銃を連橋に向かって、投げた。銃はまるで、スローモーションのように空中を飛び、連橋の腕に落ちようとしていた。
小田島は、亜沙子を殴りつけて、一瞬放心していた。その隙を連橋は見逃さなかったのだ。
「義政ァッ」
連橋の意図を察して、城田が叫んで、駆け出す。
銃は連橋の掌に落ち、連橋はそれをしっかりと握りしめて、構えた。
「死ねっ!小田島ァァッ」
引き金に連橋は指をかけた。
今ならば。今ならば。誰にも、邪魔されずに、小田島を殺すことが出来る。幾度となく訪れたチャンスの中。今度こそ、今度、こそ!!!
引き金を引こうとした、本当に僅かな瞬間に、連橋の瞳に、城田が映った。小田島だけを捕らえていた筈の瞳に、城田が立ちはだかったのだ。
「!」
引き金を押し込むのを連橋が躊躇った瞬間に、今度はその城田の前に亜沙子が立ちはだかった。
「連ちゃん、やめて!撃たないでぇっ!」
亜沙子の絶叫。連橋は、目を見開いた。
ナゼ、オマエガ、ソコニ、タツ?アサコ・・・。
「お願い。撃たないで・・・」
亜沙子の瞳から、涙が零れた。
「亜沙子・・・」
だが。連橋はその答えを知っていた。きっと、もう、ずっと前から。そして・・・。
連橋は、こめかみに伝う冷たい汗を感じながら、銃をおろした。
「亜沙子、行くぞ。こんなところ、一秒だっていたくねえっ」
連橋は、バンッ、とドアを蹴り開け、部屋を飛び出した。亜沙子も走ってくる。廊下には久人がいた。
「にーちゃん!」
連橋は久人の手を握り締めて、久人を引きずるようにして玄関に向かった。片方の手に握っていた銃は玄関に捨ててきた。持っていても始末に困るからだ。3人は玄関を抜け、廊下を走り、エレベーターに駆け込んだ。
「はあ、はあ、はあ・・・」
さすがの連橋も息が荒かった。亜沙子は、腰が抜けたようにその場にズルズルと座り込んだ。
連橋は、すかさず1階のボタンを押した。グインッ、とエレベーターが動き出した。
久人は、二人の雰囲気に気づいたのか、おとなしくジッとしていた。
やがて、連橋がボソリと言った。
「大丈夫か、亜沙子。ほっぺた」
「うん・・・」
一瞬沈黙のあと、連橋は軽く息を吐いてから、
「どうして、あんな男に惚れやがった、亜沙子・・・!」
と、亜沙子に向かって、叫んだ。
「連ちゃん・・・」
亜沙子の瞳から涙が次々と零れた。
「おまえには、幸せになってもらいたかったのに!」
ダンッ、と連橋は、壁を叩いた。
「連ちゃん。私は、やっぱり優しい男に弱いのよ。でも優しい男は、私を幸せにはしてくれないの」
「アイツが優しいっていうのか!!」
「優しい男よ・・・。アイツは優しい、男。私に銃を渡したのは、城田なのよ、連ちゃん」
「・・・くそっ!」
連橋は壁に突っ伏した。1階につくまでの時間が異常に長く感じた二人だった。
流達は目的のマンションの前に辿りついた。その異変に気づいた、マンションを監視していた小田島の舎弟達が騒然とした。即座に、舎弟達は流達の動きを食いとめようと襲いかかってきた。
「突破するぞ。行くぞ、てめえらっ!」
流はバイクを乗り捨て、バッと駆け出す。
「私も行くわ」
睦美が流の後を追う。ジレンのメンバー達も流と睦美を追って走っていく。
マンションの前は、長い緑のアプローチになっていて、そこで舎弟達とジレン達が激突した。
「きゃあ!」
犬の散歩をさせていたらしき住民達が悲鳴をあげた。
殴り合いのダンゴ状態をいち早く突破した流が、玄関前のオートロックの場所に辿り着いた。長い指で部屋番号を押す。
「小田島っ!連を返せ!」
インターフォンに向かって、叫ぶ。管理人室は幸い空っぽで、咎められることはなかった。
すると、しばらくして、インターフォンから声が返ってきた。
『そろそろ着く頃だろ、慌てるな、騎士。おとなしく待ってなよ』
笑いを含んだような城田の声が聞こえた。
「城田!」
流はインターフォンを思わず叩いていた。フッ、と顔を上げると、エレベーターが降りてきたことがガラス越しにわかった。流は目を細めた。
「連っ」
エレベーターからは、連橋と亜沙子と久人の3人だけが降りてきた。シュンッ、と音を立てて、ガラスのドアが開いた。
「流」
連橋が、流を呼んだ。
「連!」
流は、ガバッと連橋を抱きしめた。人目など、もう気にしてはいられなかった。
「連、連、連」
「心配かけたな、流」
連橋は、そんな流を振りほどくことなく、そう言って流を抱きしめ返す。
「連橋っ」
次に睦美が走ってきて、連橋に抱きついた。
「バカ、バカ!アンタが無事でいることだけが、私の誕生日プレゼントだって言ったのに!」
睦美が連橋の腕の中で、うわあん、と泣きだした。
「ごめんな、睦美」
連橋は、睦美をも抱きしめた。
流は、連橋を睦美に譲り、今度は亜沙子と久人に目をやった。
「亜沙子ちゃん、どうしたんだ。泣いているのか?」
「大丈夫よ、流くん」
亜沙子はそう言って涙を拭った。
「流ぇ・・・」
久人が流を見上げている。
「ひーちゃん。ひーちゃんも無事で良かったな」
流は、久人の頭をヨシヨシと撫でた。
「流。飴のにーちゃんって、本当は悪い人なの?」
久人は、幼いながらも状況を感じ取ったのか、そう流に聞いてきた。流は、その答えに詰まった。
久人が城田を慕っているのは知っていた。それが兄故だからとは無論思ってはいないが、それでも、城田が久人の兄である以上、簡単にうなづいてしまう訳にもいかないような気がした。いつか真実を知った時、久人が傷つくかもしれないからだ。
「・・・ひーちゃんがそう思うならば、そうだよ」
流はそんな風にしか言えなかった。
「流。ここは公共の場所だ。今度こそ通報されたら、もう逃げ場がない。とりあえず、場所を変えよう」
連橋は睦美の肩を抱きながら、そう提案した。流はうなづいた。
「そうだな。おまえがこっちに戻ってきた今、こんなところにもう用はねえっ」
いまだに、舎弟達とやりあい続けていた佐田達に、流は声をかけた。
「退くぞ。もう用はねえっ」
佐田達は、連橋の姿をその目に捕らえては「連橋さんだ」「やった!連橋さんが戻ってきた」
と口々に叫んだ。
連橋達がロビーを離れようと歩き出した時、背後のエレベーターが降りてきた、チンッという小さな音がした。流、連橋、亜沙子、睦美の四人は、ギクリと振り返った。
エレベーターからは予想通りに、城田が降りてきた。
「忘れものだぜ、連橋」
城田が、そう言って、紙袋を連橋に投げた。
「城田っ!」
流が連橋を背に庇い、ズイッと前に出た。
「おっと。おとなしく、見送ってやるから、下手なことはすんなよ、流」
城田の手には、銃が握られていた。先ほど、連橋が玄関に捨ててきた銃だ。
流は、それを見て、チッと舌打ちした。
連橋は紙袋を受け取り、その中を見ては目を見開いた。
「流。気にするな。そんなヤツに構っていたら、またサツに逆戻りだぜ。俺は、懲り懲りだ。こんな所、もう居たくない」
連橋の言葉は絶対で、流は城田を睨みつけ続けたまま、
「そうだな。こんなところ、もう居るだけ、無駄だ」
と言った。
「アバヨ、城田」
流はフンッ、と鼻で笑い、踵を返した。4人は、走ってロビーを抜けた。連橋に手をひかれている久人だけが、チラリと城田を振り返った。
「飴のにいちゃぁん・・・」
淋しそうな久人の声だった。
ロビーから去った4人の後を静かに追って、城田は歩き出した。
ジレンの一行は、ぞろぞろと退いていく。城田は、ボロボロにされてしまった自分らの舎弟達を一瞥して、一定の距離を保つながら、のんびりと連橋達の後をついていった。
緑のアプローチを抜けると、マンションの前は大きな広い道路になっている。そこらのあちこちに、バイクや車が停められていた。勿論、すべて、ジレンの物だった。
「中々壮観だな」
城田は口笛を吹いた。銃は、既に隠している。マンションの入り口のレンガ塀のところを抜けようとして、城田はギクリとした。すぐ傍には連橋が立っていたからだ。
「いつまでついてくるつもりだ?」
「見送りだって言ったろ。それにな。用があるとしたら、てめえじゃなくって、亜沙子ちゃんだろ」
城田のその言葉に、ピクリ、と連橋の眉がつりあがった。
「亜沙子には手を出すな。もうこれ以上、アイツを苦しめるな」
「ならば、おまえも素直になれよ」
連橋の瞳をまっすぐに見つめたまま、城田はサラリ、と言った。
「俺はちゃんとあの子に告白したぜ。おまえが好きだってな」
「やめろ!」
連橋は、首を振った。
「もう、いい。てめえになに言っても無駄だ。亜沙子は今後、おまえに近寄らせねえ」
「どうぞご勝手に。だがな。誰にも、恋ってモンは止められないんだよ。それだけは覚えておきな。ニブチンな罪ヤロー」
フッと笑い、城田は連橋に背を向けた。舌打ちの音が聞こえて、更に城田は笑った。
その時。
「優ちゃん!」
と、女性の声が、道路の反対側から響いた。
「!」
「!」
城田と連橋は、弾かれたように、反対側の道路を同時に振り返った。
「危ないでしょ。飛び出しちゃ駄目よ!」
反対側の道路には、横断歩道でもないところを渡ろうとしていた子供をとっ捕まえて、お尻をペンッペンッと叩いている母親の姿があった。
「ごめんなさぁい〜」
という子供の声。
「・・・」
「・・・」
ゆっくりと、その親子から目を離し、そして、城田と連橋の視線が重なった。
真剣な顔だった城田の顔が、ゆっくりと微笑みに変わっていく。
「・・・」
連橋は城田のその微笑を見つめて、全身の血が引いてゆくような気がした。
『優・・・』
町田の最期の言葉が、何故か頭に甦ってきていた。
続く
BACK TOP NEXT