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****3部9話***

ブィイインと言う物騒な音が狭い部屋に不気味に響いていた。
「いやだぁー」
続いて、甲高い悲鳴。
「ふっふっ。覚悟しやがれ」
「いやーっ」
「女々しい声出してンじゃねえよ」
「絶対にイヤだーーーーっ。意地悪ッ」
「なにが意地悪だ。綺麗にしてやるんじゃねえか。ほら、こっちへ来いよ」
「いやっ。いやっーーーーーーーー」
「イヤよイヤよも好きのうち。ふっふっ」
「それ、おめーが言うなよ。誤解されるぞ」
「っせえ。外野は黙ってろ。ほら、こっちへ来いったら。あんま抵抗すんじゃねえよ。怯えたツラ見ると、俺は楽しくなっちまうんだよ」
「誰かの真似かよ、それ」
「だから。黙ってろっつーの、外野は」
ブィイイインッ。音はますます激しくなっていく。その音に触発されるかのように、
「きゃあ。きゃああああっ」
と、悲痛な悲鳴が部屋に響き渡った。
「いい加減に観念しろっ。へっへっ」
「いやだあああ。こないで。傍にこないで〜!」
切羽詰った声を耳にしながら、流ががっくりと肩を落とした。
「ああ、もう、俺。なんか、いたたまれねー・・・」
すると、亜沙子がクスクスと笑う。
「あれ、趣味なのよ、連ちゃんの。いっつも嫌がるひーちゃんをとっ捕まえて、ゾリゾリやっちゃうの。ある種のストレス発散方法ね」
「・・・趣味悪いっつーのよ」
流はスパーッとタバコの煙を吐き出して、苦々しく呟いた。
「つーかまえたっ!ほれ。頭出せ、久人」
ガバアッ、と連橋は、部屋中逃げ惑う久人を捕まえて、手にしていたバリカンを振りかざした。
「それ、イヤ。せっかく髪の毛伸ばしたのに。どーして切っちゃうのぉ。坊主はイヤです。女の子にもてなくなっちゃうもんっ。やー」
「っせえ。小学生がなに洒落こいとる!小学生は小学生らしく男らしく坊主でいけぇ。そんでもってモノホンのピカピカの一年生の出来上がりだ」
「つまんねー」
流がヘッと鼻で笑った。そんな流を、連橋はキッと睨んだ。
「さっきから、うるせーな!人ん家来て、ただ飯食らってるだけのヤツが、いちいち俺の行動に文句つけんな!」
「遊びましょーって誘いに来てんのに、おまえがなんか知らないが、危ない目してひーちゃん追っかけ回してるからだろ」
呆れたように流は言った。
「そうだよ。にーちゃんのバカ。僕の頭を剃るぐらいならば、自分のお顔のお髭を剃りなさいっ」
久人が、バタバタと連橋の腕の中で暴れながら、叫んだ。
「そーだ、そーだ」
亜沙子と流がやんやと囃し立てた。
「うっせえ。俺のはいいんだよ。そら、行くぜ」
ザクッ、と久人の豊かな髪に、バリカンがあてがわれた。
「きゃあああああっ」
とんでもない悲鳴を久人があげた。連橋は、ゲラゲラ笑いながら、バリカンを進めていった。
「うわ。ひでっ。まるで容赦なし・・・。鬼か、コイツ」
流は、気の毒そうに呟いた。

10数分後。見事にピカピカの頭をした久人がそこにいた。
「あー。さっぱりした。やっぱり、男は坊主が一番だぜ。可愛いぞ、ひーちゃん」
美味しそうにタバコをスパスパ吸いながら、連橋は空いた方の手で、自分の作品である久人のツルリとした頭を撫でた。
「どこがです。うっく。ひっく。これでまた、はるちゃんに大笑いされます。にーちゃんの意地悪」
エンエンと久人は泣いていた。
「なにが大笑いだ。ぜってーカッコイイって言われるに決まってる。んー。可愛いぜ、久人」
チュウッ、と連橋は久人のつんつるてんの頭にキスをした。
「・・・」
んくっ、と久人が泣き止む。
「本当にカッコイイ?」
チラッと、久人が連橋を見上げた。
「ん。すげえカッコイイよ。チューしたくなるぐれえカッコイイもん」
連橋はニコニコしながら、久人の頭をゾリゾリと撫でた。
「流。僕、カッコイイ?」
えへへと、もう機嫌を直しながら、久人は笑っている。
「カッコイイ・・・。つーか、羨ましいンだけど、俺」
ボーッ、と流は久人を見つめていた。無防備に、久人の剥げ頭にキスする連橋の図。一瞬、まだ六歳ぐらいのガキに本気で嫉妬しそうになって、流は動揺してしまうのだった。
「うらやましいの・・・。へへっ。ねえ、亜沙子ねーちゃん。僕、本当にカッコイイ?」
「うん。カッコイイよ、ひーちゃん。ねーちゃん惚れちゃいそうヨ♪」
亜沙子が、楽しそうに答えた。亜沙子と連橋は、本当に足並みが揃っている、と流はある意味感心していた。
「そ、そうなんだ。なーんだ。ひーちゃん、あ、違う。僕、カッコイイんだ。えへ。じゃあ、いいや。きっと、学校に行ったら、女の子にモテるね。困ったなあ」
デヘデヘと一人で照れては、もじもじしている久人を見て、
「さぞかし幸せな人生送るんだろうな、コイツ・・・」
連橋は苦笑する。
「とても町田先生と同じ遺伝子とは思えねー・・・って、そういや亜沙子。この前、篠田さん来たんだろ。コイツの・・・。ほら。例の兄貴の情報。なんか言ってなかったか?俺、結局会えなかったからな」
連橋の言葉に、亜沙子はハッとした。内緒にしていたのに、ひーちゃんがポロリと連橋に喋ってしまったのだ。
「う、うん。篠田さんは、ご存知なかったわ。やっぱり、消息までは・・・って。連ちゃんだって、以前教えてもらったじゃない、電話で。その経緯を改めて詳しく伺っただけよ」
「異母兄弟ってことか」
それについては、大分前に、篠田から電話を受けた時に訊き出していた。
「そうよ。それだけで進展はなかったわ。でも、町田先生も、苦しんでいたんだって聞いたわ」
亜沙子は、チラチラと流を見ながら、連橋に説明した。流も亜沙子の視線を受けて、やるせなさそうな表情をした。
「だろうな。今だに俺はあんま想像出来ねえんだけどよ。まさか、先生が不倫なんてさ。けど・・・。男と女なんて、所詮んなもんだからな。どうこう言うつもりはねえ。けど、それでやっと離れて暮らしていた意味がわかったよな・・・。一緒にいれねーよな。他の女に生ませた子供となんてさ」
連橋は呟きながら、鏡を覗きこんでいる久人をギュッと抱きしめた。なにも知らない久人は、ただ黙って、連橋の胸に顔を埋めていた。
「コイツの為にも、早く兄貴を探してやりてえんだが・・・。篠田さんが詳しく聞いてなかったって言うならば、探すのは至難の技だよな。どうしたら、いいんだろ」
考え込む連橋に、流が言った。
「いいじゃねえか、連。おまえが、その兄貴の代わりで。見つからねーもんはしゃーねーだろ。第一、こんなにおまえに懐いているんだ。今更本当の兄貴連れてきたところで久人が喜ぶかどうかなんてわかんねえだろ。会えば必ず幸せになれるって保証されているんじゃねえんだしさ。向こうだって戸惑うだろうし。このままでいいじゃねえか」
「そうよ、連ちゃん。連ちゃんがずっと、ひーちゃんの兄貴でいいじゃない」
「でも・・・。コイツを一人にはしたくねえんだよ」
「一人になんかならなければいいじゃない」
ケロッと、亜沙子は言った。
「あのな。それ言っちゃ、話はおしめーだろ。ったく」
「おしまいでいいの。縁があればいつかは必ず会えるんだから」
「なんのお話してるの。それよか、僕、おやつ食べたい。お腹の虫が鳴いてます」
連橋の腕の中で、久人は元気よく腹の虫を主張した。
「あー?ったく、よく食うな。確か冷蔵庫にプリンがあったな」
立ち上がって、連橋は冷蔵庫の扉を開けた。
「わーい。プリンだ、プリンだ」
話題が反れたことに、亜沙子と流はホッとした。実はあの後、篠田から電話がすぐに入った。その電話を受けている途中に胡桃がやってきた。篠田は、電話口で興奮して叫んでいた。「優ちゃんを見つけたわ!」と。そうだ。確かに、城田は居たのだ。胡桃を送って、アパートのすぐ下まで。篠田の目は正しかった。だが、亜沙子は慌てて篠田に事情を話した。すると、電話の向こうで篠田は嗚咽していた。「なんてことなの・・・。ああ、優ちゃんは、やっぱり康司さんを怨んでいるのね・・・」と。町田を殺した小田島側に、城田が属していることを、亜沙子が説明したからだ。そして、事情を知らない連橋には、この事実を打ち明けたくない、と。いつか必ず話すから、今は篠田さんの口から事実を言わないでくれ、と亜沙子は頼み込んだ。篠田は納得してくれて、電話を切った。これで、久人の兄、優への連橋の追跡の手を断ち切ることが出来た、と亜沙子はホッとした。このことについては、流にも事後報告ながら連絡しておいた。事実を知る亜沙子と流は、出来る限りの力をもってして、連橋の耳に、事実が届くのを防がなくてはならなかった。今は、まだ早い。二人はそう結論を出していた。
「連。ひーちゃんがそれ食い終わったら、皆で外行こうぜ。散歩、散歩。天気いーし」
流の提案に、連橋はうなづいた。


部屋に、激しい殴打の音が響いて、下っ端の新人舎弟達は、ギョッとしたように目を見開いた。
「バカヤロウ、石塚。てめえなんか、死ね、クソがぁ」
「申し訳ありません、清人様」
「謝ってすむかよ、ドアホウ!」
清人が、ドカッ、と石塚の腹に蹴りを決めた。石塚はうめいて、床に膝をついた。
「申し訳ありません、申し訳ありません」
石塚は頭を床に擦りつけて、ひたすら謝り続けた。
「ちっ。ったく、ブザマたぁ、このことだ。石塚、てめえ、覚悟しとけよ」
派手に舌打ちして、清人はもう一度石塚を蹴った。
「はい」
「俺が許しても、信彦さんが許さないだろうよ。それにしても、小林の代打が、大下だって?思いっきり金森絡みじゃねえかよ。ったく、デカブツがちいせーことにしゃしゃりでてきやがって」
そう言ってから、清人は、いきなり今までの怒気を引っ込め、笑い出した。
「そうか。そうだよな。取られたモンは、取り返すのが筋ってモンだよなぁ」
クックッと清人は一人楽しげに笑っている。舎弟達は、自分達のトップにいる男のあまりの豹変振りに、怪訝な顔を隠せずにいた。
「眠ってりゃよかったのに、わざわざ起きてきやがって。本城克彦め。ったく、南と肩並べて、とんでもねえ獅子だぜ。これで、明智が起きてくりゃ、本城の3獅子が出揃うって訳か」
清人は、石塚の頭を踵で踏みつけながら、げらげらと笑っていた。
「この展開だと、義政には、大きな借りを作っちまうことになるな・・・。おら、起きろよ。石塚ッ。小田島に行くぜ。信彦が、くだらねーことを考えねーうちに謝っておかねーと、こっちも被害甚大だ。あっちにゃ、この組の汚点の恒彦がいやがるしな」
「は、はい」
石塚は立ち上がり、乱れたスーツを慌てて整えた。血が流れている石塚の顔を、冷笑を浮かべて清人は見つめていた。


小田島家の、信彦の書斎では、騒動が起きていた。
「小林のジジイが、除名されたと?じゃあ、進んでいた話はパアかよ、おい」
大堀恒彦は、眉を潜めながらも、タバコの火を消そうとはしなかった。城田が灰皿を差し出した。
「おまえの言う通り。パアだ。まったく・・・。とんでもないことになってしまったよ」
信彦の秘書、吉田が苦々しい顔で言った。
「なんだよ、それ。小林の一言で、ほぼ入札決まっていたんだろ。なんで今更、小林が除名される必要がある?」
恒彦は目を細めた。すると、ダンッ、と机を拳で叩いて、信彦が怒鳴った。
「例の写真が公開されたようだ。これで小林の独裁もストップになるだろう。ヤツの政治家としての命はもうオシマイと言っていいだろう。うちがヤツにつぎこんだ金も、こうなったらすべて無意味だったことになる」
「例の写真って。まさか、アレかよ。だって、アレは清人が管理している筈だ」
「清人には確認を取った。ヤツの組は、内部に裏切り者を飼いこんでいたようだな。ブザマなことだ」
性スキャンダルは、政治家にとっては致命傷にもなりうる。小林を脅すネタとして大堀組が手に入れたその一枚の写真は、予期せぬ道程を経て、脅しではなく、トドメとなってしまった。結局は、その写真によって、小林だけでなく自分達の首をも締めてしまったのだ。信彦が言う、ブザマとは、恐らくは大堀組だけでなく、自分のことをも指しているのだろう。あくまでも、ネタを守っていたのは清人の部下だ。清人本人ではないのだから、仕方ない。とは言っても、管理能力を問われ、責任を取るのは、当然頭である清人である。そしてその清人をパートナーとしていたのは他ならぬ自分だから。
「こんなことにならなければ、小林は有効な駒だったと言うのに。あのジジイには、まだまだ役に立ってもらわねばならなかったのに!」
珍しく乱暴な言葉を吐いて、信彦はダンダンッと机を叩いた。弟の義政は、そんな兄の姿に、少し驚いたような顔をしている。
「ちきしょう。ちきしょう!」
興奮する信彦の背を、義政がソッと撫でた。
「兄貴。んな興奮すんなよ」
「義政・・・」
信彦は、ずれた眼鏡の縁を押さえながら、弟を振り返った。ガッ、と信彦は義政の腕を掴んだ。
「義政。ああ、おまえだけが頼りだ。もう婚約など、悠長なことは言ってられない。恵美子との結婚を早々に実行するぞ」
「!」
義政の顔が、見る見る間に引き攣った。
「卒業まで・・・って約束じゃねえかよ」
城田は、引き攣る義政の横顔をジッと見つめていた。
「おまえもこの事態を目の当たりにしているだろう。この件で、どれだけうちが小林に肩入れしたか、おまえだって知っている筈だ。大損だ。一刻も早く土台を固めないとならない。城田」
呼ばれて、城田は、一歩前に進み出た。
「はい」
「恵美子の件は、どうなってる?」
「なんとか・・・。うまく進んでいると思います」
「なんとか?生温いことを言っているな!きっちり落とせと、命令した筈だ」
信彦が城田をギロリと睨んだ。
「申し訳ありません。訂正します。完璧に進んでます。あの女を義政と必ず結婚させます。今夜も、確認してきます」
「ベッドの中で、一筆書かせるんだな、城田。得意だろ、そういうの」
恒彦が、フンッと鼻で笑った。
「んな面倒くせーことはしませんよ。録音すりゃ一発だ」
恒彦のからかいの言葉にはまったく反応せずに、冷静に城田は言い返した。
「ならばいい。どんな手段でもいい。あの女の持つ全ての権利が、義政の手に入るように仕組め」
フンッ、と小さく鼻を鳴らし、信彦は弟を見た。
「義政。本当は、おまえをあんなキチガイ女に差し出したくはないが、ここは小田島の未来を思って耐えてくれ。な」
信彦は、義政の背を撫でて、弟を宥めすかすかのように耳元で甘い声で囁いた。
「わかったよ」
唇を噛み締めていた義政は、短く言った。
「それで兄貴が喜ぶなら。小田島が助かるならば。兄貴の言う通りにするよ」
「義政!聞き分けがよくて、助かるよ。それでこそ私の弟だ」
信彦は、弟をギュッと抱きしめた。そんな光景を、城田と恒彦が、それぞれに冷めた顔で眺めていた。


溜め息を聞き取ったのか、夕実が笑った。今日は店は珍しく閑散としていて、夕実もカウンターの城田の相手を出来るのだ。
「珍しいわね。城ちゃんが、溜め息なんて」
「つきたくもなるだろ」
城田はグラスの酒をジッと見つめながら、苦笑した。
「あの女、不味いの?」
「美味いから、気が重いんだよ」
「そ」
フンッと夕実が鼻で笑う。
「あの女。どっこもおかしくねえよ?頭いいし、綺麗だし。セックスも上手い。信彦さんは、なんだって、キチガイ女扱いするんだ?」
「あの女はキチガイよ。ただし、月がとても綺麗な夜にだけね。そっか。聞いてないのね。あの女の過去」
夕実は城田の頭を撫でた。
「聞く間もなく、寝ろと命令されたからな。義政の代わりに」
「そのうちに、子供まで作れって言われるわよ。幾ら土地の為とはいえ、信彦さんは可愛い弟をあの女に売ったことを今だに後悔してる感じだもの。坊ちゃんは、元々それどこじゃないしね」
クスクスと夕実は笑った。
「アンタも本当に大変ね。坊ちゃんの代わりに女抱いて、挙句に今度は連橋拉致る為に、戦わなきゃならないなんて・・・」
城田も苦笑する。
「アイツにしてみれば、我慢した方だと思うぜ。信彦さんに言われるままに、勉強して、仕事を手伝わされて、女と婚約して。そろそろ限界だとは思っていたから、驚きはしねえよ」
「でも、アンタは連橋に惚れているんでしょ。坊ちゃんに好き勝手されるのを見ていられるの?」
カランと、夕実が持つグラスの中の氷が、涼しげな音を立てた。
「ふん。恒彦さんのヤロー。お喋りだな」
筒抜けって訳ね・・・と城田は鼻を鳴らした。
「わからないでもないわ。だって、あの子はオンナの瞳をしてるもの」
夕実は、肩を竦めた。
「あんたや恒彦や坊ちゃんみたいな、渇いた男を誘うのよ。あの手の瞳をした子は。なぜかわかる?あの子は、愛情に溢れているから。自分でも気づいてないみたいだけど、あの子はそういう子よ。愛情深いの。男でいながら、母性本能が強いのよ」
城田は驚いた。夕実の言葉が、自分と同じ意見だったからだ。
「なんでわかるの?」
「これでも、商売柄、色々人を見ているのよ」
夕実は言った。城田はうなづいた。賢い女。だから、俺は、この女が好きなんだ・・・と城田は思った。
「この前の一件でもすぐわかったわ。私が言った言葉に、弾かれたように連橋は反応した。匡子を罵った私を、実の弟の流よりも先に反応したのよ。それは、連橋が匡子の隆への愛を知っていたからなのよ。ムキになって可愛かったわ。いい子よ、あの子」
夕実の台詞は、敵対する相手に対する言葉ではなかった。
「やめろよ。気がそがれる」
クククと城田は笑った。
「そがれちまいな。そうでもしなきゃ、傷つくのは、城ちゃん。貴方よ」
「なんで俺なんだよ」
「オンナは強いのよ。男、よりもね」
夕実はタバコの煙を城田に吹きかけた。
「傷ついていく連橋を見て、傷つくのはアンタだって言ってるのよ。連橋が壊れるより、アンタが先に壊れるわ。優しいもの、アンタは」
「忠告ありがと、夕実さん。でもな。そうなったら、そうなったで仕方ねえと思ってる。アイツが道を曲げることが出来ないように、俺も曲げることが出来ない。俺達は、道を曲がったらオシマイなんだ。死ぬしかねえんだよ」
「大袈裟だわ。んとに、男ってヤツは、皆そうだから始末におえないわよ」
呆れたように夕実は言った。
「1回死んでるからな。俺達は」
「?」
夕実の怪訝な顔は当然だ。城田は天井を見上げながら、フーッとタバコの煙を吐き出した。
「別に、苦じゃねえよ。連橋の体を犯すことは簡単だ。だが、アイツの心までは犯せない。義政が・・・、何度アイツを抱こうと、たぶん無理だろう。だから、好きにさせるのさ」
「アンタは連橋の心が欲しいの?」
「愛情に飢えてるからな、俺は」
「嘘ばっかり。どこが飢えてるの?アンタは、特定のヤツだけの愛情に飢えているのよ。それがどうして連橋なの?と訊きたいわ」
「さあ。どうしてなんだろうな」
「呑気ねぇ。間違ったって、駆け落ち出来るような相手じゃないのよ」
「そりゃ出来ねえなあ。してくれるようなタイプでもねえし」
アハハと城田は笑ってから、でも、と付け加えた。
「一緒に堕ちていくのは最高の相手だよ」
「君お得意の地獄に?ねえ、城ちゃん。地獄って本当にあると思ってるの?」
からかうような夕実の笑みに、城田は肩を竦めて見せた。
「夕実さん。俺の言う地獄っつーのはな。心の中にあるんだよ」
「・・・」
夕実は目を見開いて、城田の横顔を見つめた。その冷たく整った横顔に、罪の名を知る。可哀想な男だ、とつくづく夕実は思った。そして、この男は、一体いつから死んでいたのだろう・・・とも思った。


最近出来た駅前の大型スーパーの地下に、ガキどもが集うゲーセンがある。エレベーターを降りると、やかましいゲーセンの音が漏れてくる。ゲーセンの前には、小さな飲食スペースがあって、そこに志摩が座っていた。
「よお。噂の髭面を拝みに来たぜ」
待ち合わせの時間に五分遅れて来た連橋は、ジャンパーのポケットに手を突っ込んだまま、志摩と、ある程度の距離をおいて、立った。
「うっせーな。クソジジー。いきなり呼び出しやがって。なんだよ」
「生憎な知らせだ。サンドヴィが連絡よこしてな。勝負は、明日だ。我妹の誕生日だ」
「・・・」
「まあ、警戒しねえで座れや。ほれ、ジュース買っておいてやったぜ」
志摩がテーブルの上の紙コップを指差した。
「てめえがジュースかよ?」
冗談だろ、と連橋は眉を寄せた。
「ここ、酒はダメなんだってよ。なんたって、お子ちゃまの遊び場だからなぁ」
ククク、と志摩は笑って、椅子に片膝立てては、連橋を手招いた。
「警戒しねえで、座れってんだろ」
連橋は、そこらにあった白いプラスチックの椅子をガンッと蹴飛ばして、その椅子に乱暴に腰かけた。
「集合の日の連絡ならば、電話で済むだろ。わざわざ呼び出した理由を教えろ」
連橋は、足を組んで、志摩を睨みつけた。
「オイ。ったく、マジに泣けるな、この髭」
スッ、と志摩が腕を伸ばしてきたのを、連橋はバシッと振り払った。
「うるせえな」
「可愛い顔が台無しだぜ。とっとと剃れよ」
「どいつもこいつも、人の趣味に口出すなよ」
「髭が趣味かよ」
「るせえなぁ。用件とっとといいやがれ!」
連橋の声に、すぐ傍で雑談していた、高校生らしき制服の少女達が「きゃっ」と声を上げた。
「お、わりーな。お嬢ちゃん方。大丈夫、喧嘩なんかしねえからな。ごめんな」
志摩は、ニッコリと愛想よく少女達に笑いかけた。
「は、はあ」
訳がわからずうなづきながらも、少女の一人が、チラリと志摩を見て頬を染めていた。
「けっ。女とくりゃ、誰にでもいいツラしやがって。コーコーセー相手に色目使ってんじゃねえよ」
呆れたように連橋は、舌を鳴らした。
「歳の差は気にしないタチでな」
ふふん、と志摩は負けずに言い返す。
「用件は、な。連。睦美が、サンドヴィの戦いに参戦するって言ってきかねえんだ。アイツは、中学時代に散々俺が引き連れまわした過去があっから、確かに場慣れはしてるけどな」
やれやれと志摩は前髪を掻きあげていた。
「なんだと!ふざけたこと言ってんじゃねえ。相手は、小田島絡みだぜ。一筋縄じゃいかねーかもしんねーのに、睦美を参戦させるだと?酔っ払ってンのか、おい」
「アイツはおまえに黙っててくれって言うけどな。そりゃ、出来ねー相談だろ」
紙コップの中身を連橋に見せながら、志摩はぶっきらぼうに言った。
「当たり前だ。即刻、止めさせろ。女の出る幕じゃねえ」
志摩は、ストローをくわえながら、うなづいた。
「何度も言ったさ。けどな。アイツは一度言い出したら、テコでも動かねえ。ったく、気の強い女なんだよ。それはおまえも知ってると思うけどな。ぶん殴って見たものの、派手に泣かれておふくろに怒られたさ」
ヒラヒラと志摩は、掌を連橋にかざして見せた。
「殴ったのかよっ」
「おお。殴り合いなんて、しょっちゅうだぜ、うちの兄妹は」
「・・・てめえがんなことしてるから、睦美が強くなっちまうんだろ。って、違う。女殴るなんて、幾ら妹でも止めろよ」
「アイツと俺は血が繋がっている。その分、睦美はまだまだおまえより、俺のモンなんだ。もっとも、お前達が結婚すりゃ話は別だがな」
「!」
「ということで、俺は渋々、睦美を勝負に加える。事後だときっとおまえが驚くだろうと思って、一応伝えに来たって訳さ。感謝してくれよ」
「正気かよ!」
ガタッ、と連橋が椅子から腰を浮かせた。
「正気だよ。俺は睦美の気持ちがわかるんだ。置いていかれる立場がどんなに辛いか、ってな。だって、そうだろ。俺と睦美は、同じ立場なんだ。連、おまえを挟んでな」
「・・・」
「小田島の借金の件。流から聞いたぜ。ったく、やってくれるよな・・・。こっちだって必死に走り回っていたのに、てめえの身一つで綺麗に精算しちまおーとすんなんてよ。おまえは勝手なヤツだ。だから、俺達も勝手をするぜ。これでおあいこの筈だ。少しは、俺達の気持ちがわかったか?」
「・・・」
連橋は言葉に詰まった。確かに、言い返すことは出来ない。
「そういうことだ。まあ、確かにこんなことも電話ですりゃいい話だがな。俺はおまえに会いたかった。こんな機会でもなきゃ、会ってはもらえねーからな。それに、噂の髭ヅラも拝みたくってな」
志摩は、薄ら笑いを浮かべながら、グシャッと紙コップを掌で潰した。
「そういうことだ。じゃあな、連。また明日」
ポイッ、と志摩はゴミ箱に紙コップを投げ捨てると、歩き出していた。
「ま、待て。志摩。確かに俺は勝手なことをした。だが、今回はマズイ。睦美を説得してくれ。睦美を参加させるなんて、しゃれになんねーんだよ!」
志摩は、エレベーターのボタンを押していた。
「志摩」
タイミングよく、エレベーターは地下に降りてきた。
「せっかく買ってやったんだ。ジュース、飲んでけよ」
「うるせえ。とにかく、睦美を」
グイッ、と志摩は連橋の腕を掴むと、誰も乗っていなかったエレベーターに押し込んだ。
「!」
振動とともに、エレベーターが動き出す。
「志摩っ。うっ」
狭い空間で、志摩に迫られ、連橋はその唇を志摩に奪われていた。長く続くと思ったキスは、案外軽く、あっけなく解放された。志摩は、連橋の顎を撫でながら、
「睦美は、覚悟してる。傷だらけになること、そして、犯されるかもしれないってこともな」
「!」
「それでも、おまえの傍に居たいと思うんだ。健気だろ。泣かせるだろう。俺は妹のそんな気持ちを無視するつもりはねえぜ。恋ってな。そんなもんなんだよ。傍にいたいんだよ。惚れたやつの傍に、とにかくいたいんだよ。わからねえだろうな、おまえには・・・。いつでも惚れられている、立場のおまえにはさ」
「・・・」
チンッ、と音がして、エレベーターが停止した。1階だ。志摩は、連橋から体を離すと、さっさと出て行った。呆然とするエレベータの中の連橋を、志摩は振り返った。
「俺達兄妹の恋を、舐めるンじゃねえよ!」
その言葉と共に、エレベータの扉が閉まった。連橋は、床に目を落とし、無意識に唇を掌で拭っていた。


轟音。始まる。勝負の時。
「いいか。数は揃ってる。相手に小田島勢がいるってだけで、他はすべて互角。つーか、こっちのが圧倒的に優勢だ。前回の時のようにいけ。今回も標的は、水上だ。再戦だからな。いいか、間違えるな。大将は水上だ。小田島じゃねえぞ。とくに、連」
志摩は、舎弟達を前に演説している。
「わーってるよ」
連橋は、木刀を担ぎながら、うなづいた。
「俺の無敗記録を、流に引き継ぐ前に、止めたくねえからな。今日も俺に勝たせてくれよ、皆」
志摩の言葉に、舎弟達はどよめいた。あちこちから「おーっ」と言う声が聞こえた。
「おまえの兄貴はすげえな。こってこての自信家でさ。悔しいが、ああいうのをカリスマって言うのかもしんねーな」
連橋は傍らに立っている睦美に向かって、言った。睦美の手にも木刀が握られている。
「兄貴の場合は、ほとんどがハッタリよ。見てくれがああだから、納得させられちゃうのよ。バカだわ、皆。本当のカリスマって、アンタみたいなヤツのことをいうのよ、連橋」
睦美は、フフフッと笑いながら、連橋と同じように木刀を肩に担ぎ上げた。
「アンタなんて・・・。どっちかっていうと、私より女みたいなツラしててさ。その髭で、やっと男っぽくなったって感じよ。だから、私はその髭、嫌だけど、好きよ。そんでもってさ・・・。そんなツラしてて、強くて。木刀勝負もそうだけど、そういうの抜きでも、アンタは強いわ。なんでだろうと思うのよ。なんで、こんなのに惚れちゃったんだろう・・・って。こんな世界、二度と戻ってきたくなかったのに。それでも・・・。アンタが生きる世界から、逃げ出してしまうことは出来ない。私だけじゃないわ。兄貴も、流くんも。皆、そう。あれだけのヤローどもに、連、連って。アンタはわからないだろうけど、惹きつけるなにかを持っているのよ」
「・・・フェロモンかな」
連橋が苦笑する。
「かもね。どっちかっつーと、男に効くフェロモンね。私、体は女だけど、性格男だからさ」
「んとに、てめえは男だよな。亜沙子はこんな場所に出張ってこなかったぜ。おとなしく俺の帰りを待っていたのに」
すると睦美は、フンッと鼻を鳴らした。
「私と亜沙子さんは違うわ。女にも色々タイプがあるんだよ。アンタに惚れた時。男に生まれれば良かったって思ったこともある。流くんのように。そしたらいつでも傍に居れたわ。こうしてね。でも、今は女に生まれてよかったって思うのよ。だって、私は連橋の恋人になれたもの。ね」
ニヤニヤ笑いながら、睦美は連橋を覗きこんだ。カッ、と連橋の顔が赤くなった。
「バカヤロウ。場所考えて言えよ。しかも真面目くさって言うなよ。照れるだろーが」
ゴンッ、と軽く連橋の木刀が睦美の頭をこづいた。
「ふんだ。兄貴も流くんもざまーみろって感じよ」
「おまえな」
呆れたように連橋は肩を竦めた。睦美は、笑って、そして、連橋の背を押した。
「さあ、もういいわ。解放してあげるよ。向こうには、小田島がいる。気持ちの切り替え必要でしょ」
睦美は時計を見る。時間が迫ってきている。サンドヴィ側は、さっきからクラクションを鳴らして、やかましかった。
「睦美。誕生日、おめでとうな」
ダラリと木刀を肩から落とし、連橋はぶっきらぼうに言った。
「ありがとう」
「プレゼント、渡せなくて悪かったな。こんな日にぶちあたっちまったからよ」
「アンタが。たとえ傷だらけでも、私の手元に戻ってくれば、それが最高のプレゼントよ」
サラリと言った睦美に、連橋はピクッと肩を揺らした。少し考え込むように、そして、
「おまえ、つくづくいい男だなぁ」
と、精一杯の心を込めて言った。
「女よっ!」
バシーンッ、とすぐさま睦美の平手が連橋に炸裂した。
「あはははっ」
連橋が全開に笑った。睦美は、プリプリと怒ってる。
「緊張感ってもんがねえのか、あの二人には」
志摩が、車のボンネットに腰かけながら、やれやれと二人を眺めている。
「連があんなに笑っている顔、久し振りに見たぜ。ま、良かったってことだな」
流が、時計を気にしながら、嬉しそうに言った。
「そうだな。これで、皆、連と一緒に居られる」
流の言葉に、志摩はしみじみとうなづいた。
「それが幸せなんて、俺らって一途だな」
毒されているぜ・・・と志摩は自嘲気味に呟く。
「忘れちゃいけねえぜ、志摩さん。プラス健気」
流の言葉に、志摩はブハハハと笑った。流もゲラゲラと笑う。
「まるで処女みてー!らしくねえな、俺達!」
一方、激しく笑いこける流と志摩の様子に気づき、睦美と連橋も「呑気な大将達だ」と呆れていた。
「よっし。そろそろ打ち合わせておくぜ」
流がくわえていたタバコを足元に転がし、揉み消した。わらわらと、流と志摩の周りに、人々が集まってくる。
「今回は混合戦だ。戦う相手を間違えるなよ。なあ、増山」
「おう。敵はあくまでも、水上と小田島のクソヤローどもの手下だ」
「そういうこった。味方同士で討ちあうなんてバカな真似したら、殺すかんな」
物騒な志摩の言葉に、ざわざわと周囲がどよめく。
「城田が出てきたら、俺がやる。邪魔すんじゃねえよ、てめえら」
流の言葉に、一同はうなづいた。
「一人じゃ無理だろ、流」
そう言う増山を、流は振り返った。
「アイツに、俺が足りねえっつーんですか。増山さん」
「まあ、そういうこったな。城田は、ちょい情報不足なところがあってな。うちのオッサン。ほら、元刑事だろ」
呆れることに、グラスハートの族長・増山の父親は、元刑事なのだ。
「ヤツが城田を知っててな。アイツは、13才の時に、ヤクザ殺してんだよ」
「!」
一同が騒然とした。
「ッて言っても、身内。仲間割れらしいから、事は大事にならずに、城田の件も揉み消しされたらしいが。現場に駆けつけのがうちのオッサンだったらしくてよ。恐ろしく目の据わったガキだったって、酒くせー息で興奮して喋ってたぜ。だから、だ。アイツは前科者だ。本気でかからねえと、ひねられるぞってことだ。なんせ、やつには、代わりにムショ入るやつらがいっぱいいるからな」
「それがどーした」
流が頬を引き攣らせながら、言い返した。
「それがどーしたっつーんだよ!てめえのケツの始末も出来ねえヤツなんざ、所詮臆病者なんだよ。それがどーしたっつーんだよ。ああ、増山さんっ」
「な、流・・・」
流の迫力に、増山はたじろいだ。
「ヤツがもし、俺を殺すんならば、俺だって殺してやる。つーか、それこそ望むところだろうが。少なくとも、俺と連にゃ、その覚悟はあるんだよ。城田は、畜生だ。ヤツにどれだけ罪が覆い被さったところで、今更なんだよ。アイツは、ろくでなしだ。んなことは、最初から知っている。知っているんだ!」
志摩は、溜め息をついた。タバコを挟んだままの手で、おちつけ、というしぐさをしてみせる。
「わかった、わかった。流、興奮すんじゃねえ。やる前から、んなに血圧あげてどーする」
「俺は冷静だ」
「どこが。ったくよ。おい、連。てめえは大丈夫か?」
連橋は、志摩をキッと睨んだ。
「なんで俺にふりやがる」
「おまえの相手でもあるんだろ。城田は」
すると、連橋は鼻を鳴らした。
「流の言う通りだ。城田のことは、最初から、知っている。正真正銘ろくでなしだっつーことはな。誰よりも、な」
志摩はホッとしたようにうなづいた。思ったよりも、連橋が冷静だったからだ。
「うっし。なら、いい。時間だ」
いつのまにか、クラクションや車のヘッドライトが消えていた。
連橋が木刀を再び肩に担いだ。
「睦美。俺以外の男に、ヤられるなよっ」
連橋が振り返って、叫んだ。
「それはこっちの台詞よ、フェロモンヤロー!」
中指を立てて、睦美は連橋に向かって、舌を出した。フンッ、と連橋は鼻で笑うと、隣の流を見上げた。
「おまえとも、久し振りだな、流。こうして木刀でいくのはさ」
「連。城田は敵だ。決して、惚れるんじゃねえぜ」
連橋の言葉には応えず、横顔のまま、流が静かに言った。
「くだらねーことは言うな」
ヒュッ、と連橋は木刀を振った。
「よーし。てめえら。そら、行け!」
志摩の声に、一斉に陣地から、ジレンのメンバーは飛び出した。


サンドヴィの先発が飛び出していったのを、小田島と城田は陣地で見ていた。
「ジレンは、先発が連橋だ」
「相変わらず、陣地でおとなしくしてねーヤツだな」
小田島が楽しそうに笑っていた。車のドアは開いていて、助手席に、体を横にして座っていた小田島は、ジッと敷地中央を見つめている。先発隊同士が今まさに揉みくちゃになったところだった。
「おまえのところに、来たくて、来たくて、たまんねーのさ。義政」
ボンネットに腰かけていた城田が、車の中を覗きこみながら、言った。
「俺は呼んじゃいねーけどな」
「だったら、出てこなくてもいいじゃん。おとなしく家で待ってても、連橋は手に入るのに」
城田は、木刀を指で撫でていた。
「まあな。少しでも連橋と接触したいっつー気持ちはよくわかるけどな」
「てめえなんかに、俺の気持ちがわかってたまるかよ。俺はただ、こういう現場のやりとりを思い出したかっただけだ。クソ兄貴のおかげで、ちっとも憂さ晴らし出来ずにいたからな」
「あ、そう」
フッ、と城田は笑いながら、ストンとボンネットを降りた。イヤホンを、耳からズルッと引き抜いた。
「亜沙子ちゃんは、俺の所へ。約束を違えるなよ」
「わかってる。あんな女、てめえにくれてやらあ。俺は・・・。あの金髪ヤローさえ手に入れば、それでいい」
「手にいれてから、驚くなよ。あいつのツラ見ても」
クスクスと城田は笑いながら、ビュッと木刀を振った。
「どういう意味だ?」
「さあてな。緑川」
「ああ」
緑川が、小田島の横から立ち上がった。
「騎士を、ぶっ潰しに行くぜ」
「りょーかい」
けだる気に、緑川は言い返す。
「やる気あんのか、てめえ」
「ねえに決まってるだろ。てめえが参加してるから、参加してるだけ」
緑川は、ダラリと言い返した。緑川は、どうにも、気だるいというイメージの払拭出来ない男だった。
「相変わらずだな、おまえも」
「小田島が連橋しかいらねーように、俺もおまえしかいらねーからな」
「なにマジに告ってんの?」
城田が眉を寄せた。すると、緑川はキッと城田を睨んできた。その迫力に、城田は驚いた。
「連橋の女を、てめえのマンションに連れ込んで、どーするつもりだよっ!」
まるで、妻に浮気を問い詰められているようなだな・・・と城田は思った。
「女マンションに連れ込んだら、おまえも俺もやるこたあ一つだろ。無粋なこと聞くなよ、女ったらしめ」
「なんでてめえは、そうなんだ。このしょうもねえ女好きめっ!」
ヒステリックに緑川が叫んだ。城田は苦笑した。こういう緑川の素直なところが城田は好きだった。緑川に惚れることが出来れば、さぞかし自分は幸せなんだろうな・・・と状況を忘れて城田は思ってしまう。だが、すぐにハッとした。
「お互い様だ。そら行くぜ。あとは任せたぜ、淺川」
緑川の尻を木刀で叩いて、城田は駆け出した。


「出た。城田だ」
流が、鋭く人ごみを見極め、叫んだ。
「緑川を連れているぜ」
サンドヴィとジレンが混戦するステージで、城田が器用に人ごみを掻き分けて、走ってくる。
「ちっきしょうめが!どけや、おらぁ」
バッ、と流は自分の前の雑魚を追いやり、進み出た。
「城田ァッ!俺が相手だっ」
城田を連橋に接触させては危険だ。流は、強引に城田の前に飛び出した。
「よお。流。その後、どう?俺の忠告は、ちゃんと聞き入れたのかよ?」
このまま、呑気に世間話でもしだしそうなのんびりとした口調のまま、城田は木刀を振りかぶってきていた。
「ちっ」
ブンッ、と空気を切り裂く音がして、城田の一撃は空中を空ぶった。ヒラリと流が後方に飛びのいていく。
「流っ」
連橋が叫んで、流に追いつく。
「出てくんな、連」
「そうはいくかっ!コイツも纏めて、俺の敵なんだよっ」
連橋が、背に流を庇った。
「おまえの敵は小田島だ。さっさと行けっ。こんな陣地近くで崩れられちゃたまんねえ」
バンッ、と流は連橋の背を蹴った。連橋が、よろめいた。
「流、てめえ」
「そうだよ。おまえは邪魔なんだよ、雌猫。さっさと向こうへ行け」
城田の声が冷ややかに響いた。
「!」
連橋が目を見開いた。
「なんだと?!」
「どいてやがれよ」
ガッ、と城田の木刀が容赦なく連橋の腹を狙ってきた。
「くっ」
ザッ、と体を捻って避けて、連橋は城田の腰に向かって、木刀を真横に振った。
「ヘロヘロした攻撃してんじゃねえよ」
ガンッ、とその木刀を足で蹴って、城田は連橋に向かって、木刀を握っていない拳を突きつけた。
「連っ」
流が叫んだ。
「平気だっ」
ヒラッ、と拳を避けて、連橋は再び木刀を振り上げた。
「うぜえな。今日の俺は、おまえの相手してやるほど、暇じゃねーんだよ。おとなしく、してな」
木刀を右から左へと瞬時に切り替えて、城田は連橋に向かって攻撃してきた。
「危ない、連。左だ!」
流が叫ぶ。
「くそっ。両刀使いめっ」
逃げ切れず、連橋は城田の木刀を腰で受けた。連橋の体が吹っ飛んだ。
「引っ込んでな、雌猫。おまえが欲しいモンは、俺達の陣地にいる。欲しけりゃ取りに行けよ」
「てめえ・・・」
連橋は、片膝ついて大地に座り込んだ。
「勘違い、してンじゃねーぞ」
城田は冷ややかな声で呟いた。
「手加減なんか、俺はしてやんねえぞ」
それが、言葉だけではないことを、連橋は身をもって、知った。
「二重人格者め。知っていたけどよ」
どこまでが本気で、どこまでが嘘なのか。城田という男が、自分に押し付ける感情を、はかる物差しはどこにあるのだろう・・・と連橋はぼんやりと思った。
「連。とにかく、おまえは陣地突破しろ。俺は平気だ。早く行けっ」
「行きたくても行けねえんだよっ」
僅かに見せた隙につけこまれ、次から次へと現われるサンドビィの手下に、連橋は阻まれる。やはり、流の手助けがなくては、一人では行けない。あの夜。敵陣に突っ込んでいけたのは、流がフォローしてくれたからなのだ。
「緑川っ。連橋を、義政のところへ引っ張ってけっ」
「ちっ」
舌打ちしながら、緑川は連橋に振りかぶっていく。
「しゃーねーな。連橋、てめえ首に縄でもつけとけよ。そしたら、本当に引っ張っていくだけなのによ」
ガツンッ、と緑川と連橋の木刀が交差した。
「ぬかしてんじゃねえっ!このオカマヤロウ」
連橋が、緑川の整った女のような顔を一瞥して、怒鳴った。
「どっちが!誰彼構わず、たらしこみやがって。てめえこそ、薄汚ねえオカマヤロウだ。邪魔すんなよ、てめえらっ」
緑川と連橋の一騎打ちが始まると、サンドヴィの手下どもが緑川の言葉を受けて、連橋から離れていく。
「いい子だな。緑川。さあて。こっちもやろっか。なあ、流」
その様子を横目で見ていた城田だったが、言葉と共に、また流に攻め込んでいく。流も、受けるだけではなく、返す。そうして、対峙しながら、流は思い出していた。初めて、城田と対決したあの夜。ヤツの瞳が、異様に暗かったことを。コイツのことをバケモンだと思った俺の直感は間違っていなかった。流は、こみ上げる唾を地面に吐き出しながら、木刀を構えた。
「てめえなんか、地獄に落ちろ!この人殺しめっ」
流は叫んだ。
「一人では落ちない」
城田はそう言い返して、木刀を振り上げた。
「絶対にイヤだ。一人じゃ、イヤだ」
まるで子供のように、城田は言い返す。
「てめえ、リーチ長いんだよっ」
「だったら、詰めろりゃいいだけの話だろ、バカヤロウ!」
そんなふうに言い合いながら、間合いを保つ二人の間に、ドッと、連橋と緑川が乱入してきた。
「邪魔だっ」
カッ、と城田が目を剥いた。
「仕方ねえだろ。連橋、むちゃ強いんだもん」
緑川が、ゼエゼエと息を切らして、木刀を握り直した。
「あっちへ行け」
「行くよ」
緑川の背を城田の木刀が押した。
「出てきやがれ。緑川っ」
連橋の興奮の声が城田の背後を駆け抜けていく。
「ちょろちょろ目障りなんだよ」
チッと城田が舌打ちして、連橋を振り返った。バチッ、と城田と連橋の瞳が重なった。
「余所見してんじゃねえよっ」
流が、バッ、と地面を蹴って城田に木刀を振り下ろした。
「おっと」
慌てて城田も地を蹴って、流の木刀を避けようとした。完璧に逃げられるタイミングだった。だが、城田はグラリと着地のバランスを崩した。
「?!」
流も、どうして城田の体が傾いだのかがわからなかった。外れる、と思った。わかっていて打ち出した木刀の一撃が、城田に思いがけずにヒットした。そうすれば、戦い慣れた体だ。体が、敵の隙を見逃さない。反射的に、本能的に、流の攻撃が、城田に向かって牙を剥いた。
「城田ァ」
緑川が叫んだ。
「情けねえ声出してんな。てめえの敵は、俺だろ」
ガカッ、と緑川と連橋の木刀が交差した。グイグイと連橋の木刀が、緑川の頭に迫ってきた。緑川は、背筋に冷たい汗が伝うのを感じた。
「歩っ。連橋を誘導しろって言ってんだろ。ソイツとヘタにやりあおうとするな!早く行けっ」
城田の声に、緑川はハッとした。
「わかった」
緑川は反転すると、連橋の木刀から逃げ出し、走り出した。
「待ちやがれ」
逃げ出す緑川を、連橋は追いかけた。そして、緑川の背を見つめて走りながら、連橋の心臓は破裂しそうな勢いで打っていった。振り返ることが出来ない。流程の男が、城田の隙を見逃す筈がない。振り返ることが出来ない。そう思って、連橋は走っていく。

城田がバランスを崩したのは、一瞬のことだ。城田のスニーカーが安全地点への着地を拒んだのを、連橋はその瞳で見ていた。
ただそこに。
アスファルトの割れ目から、小さな花が命を咲かせていただけのことだった。
「ちきしょう。見なきゃ良かった!」
連橋は叫んでいた。動体視力の速さがなければ、見逃してしまうような、些細な出来事だった。偶然だったのかもしれない。だが、連橋の瞳には、はっきりと城田のスニーカーがその花を避けていくのが見えてしまったのだ。


その頃。
「ひーちゃん。そろそろ寝ようよ」
亜沙子は、部屋の隅で、絵を描いている久人に向かって、声をかけた。
「にーちゃんが帰ってくるまで、いや」
小さな手にクレヨンを持って、久人はブンブンと首を振った。
「我侭言わないで。連ちゃんは、今日は帰り遅いんだから」
「いやですぅ」
「もー。じゃあ、ねーちゃんは先に寝るよ。歯を磨こうっと」
立ち上がって、亜沙子が台所に移動した時だった。トントン、とドアを叩く音がした。亜沙子はビクッとした。連橋達にしては、帰りが早すぎた。
「どなたですか?」
おそるおそる訊くと、ドアの向こうから、
「石塚です。夜分にすみません」と、聞きなれた声がした。
「石塚さん?どうしたんですか」
亜沙子はドアを開けた。石塚は、川村が経営する会社の秘書で、よく川村と保と連れ立って亜沙子達の前に現われた。川村が懲りずに亜沙子を食事に誘うと、もれなく石塚もついてきたのだ。だから、亜沙子にとって石塚は顔見知りの男だった。
「夜分にすみません」
もう一度石塚は言って、ドアの向こうで頭を下げた。
「保ぼっちゃんが先ほどから行方不明で・・・。もしかしたら、こちらに伺っているのではないかと思って」
「ええ!保くんが行方不明ですって!」
亜沙子は驚いた。久人も、部屋から出てきた。
「保くん。どうしたの?」
久人はキョトンとしている。
「大変だわ。石塚さん。保くんは、うちにはいません。探さなきゃ」
「それはいけません。こんな遅い時間です。ただ、私は、もしかしたら、坊ちゃんはこちらに・・・とそう思って来ただけですから。どうぞご心配なく。必ず、探し出してみますから」
ペコリと石塚は礼儀正しく挨拶をする。
「でも・・・。そんな心配だわ。まさか誘拐とか?」
川村の会社の規模がどれだけのものか、亜沙子は想像したこともなかったが、保がいきなり行方不明などとは穏やかではない。
「脅迫状とかはまだ来ておりませんが、可能性としては・・・。ん?」
石塚が、ハッとしたように階段の方に目をやった。亜沙子もつられて、階段を見た。
「!」
バタバタと階段を駆け上がる音。見た目が、いかにも胡散臭げな男ども。
「なんだ、君達はっ。うわっ」
石塚が怪訝な声をあげた。
「きゃあっ」
亜沙子が悲鳴をあげた。石塚が、いきなり男どもに殴られて廊下を転がったからだ。
「手間が省けたぜ。念の為に様子をうかがっていて大成功だったな」
クチャククチャとガムを噛みながら、チンピラ風の男達は亜沙子を見下ろしていた。
「ああ。これで小田島さんからご褒美がもらえるぜ」
「あんた達っ。小田島の・・・っ」
亜沙子が恐怖に引き攣った顔で、男達を見た。
「ちょっと付き合ってもらおーか。ねーちゃん」
グイッ、と男は亜沙子の腕を掴んだ。
「いや。離してよっ」
「亜沙子ねーちゃんになにすんだよおーー」
久人がポカポカと男どもの足を殴りつけていた。
「クソガキッ」
ガンッ、と男の一人が久人を蹴り上げた。
「うあ」
ポテッ、と久人の体が玄関のドアにぶつかって、床に落ちた。
「うわああああん」
顔面を床に打ち付けて、久人はこらえ切れずに泣き出した。
「やめて、やめて。ひーちゃんには手を出さないで。お願い。お願いよっ!おとなしくするから。お願い」
亜沙子は泣きながら、久人の体を抱き起こした。
「ひーちゃん。ひーちゃん」
ギュッ、と亜沙子は久人を抱きしめた。
「連れてけ。そこの廊下のオッサンも、もう少し痛めつけとけ。追っかけられちゃかなわねー」
チンピラの中の、頭らしき男が、冷ややかに石塚を見下ろし、言った。
「石塚さん」
亜沙子は、男どもに引っ張られていきながら、廊下の石塚を見て、悲鳴をあげた。
「ごめんなさい。ごめんなさい、石塚さん」
男どもに囲まれて、ボカボカと殴られ石塚を見て、亜沙子はポロポロと涙を零した。
「どうしよう。ごめんなさい、連ちゃん!」
連橋の部屋の前を通り過ぎていく時、亜沙子は連橋のドアに向かって、叫んだ。
こんなことになるなんて・・・、と亜沙子は思った。ドアを。開けちゃダメだと言われていたのに。
『俺が帰ってくるまで。誰が来てもドアを開けるな』と、連ちゃんは言っていたのに・・・。


車の中の電話が鳴って、小田島は電話に出た。
『坊ちゃん。石塚です』
「ああ。成功したか?」
『女とガキを拉致しました。成功です。いつでもお戻りください』
「よしわかった」
電話を切ると、小田島はニヤリと笑った。
「どうだった?」
淺川が訊いてくる。
「成功した。女とガキはこっちだ」
タバコ片手に、小田島は満足そうだった。
「なら退くか。城田もどうやら捕まっているみてーだしな」
「連橋は、どこだ」
「緑川が誘導してるが、阻まれてるみてーだな。いずれにしても、ジレン陣地からは離れている。もう大丈夫だろ」
「仕方ねえな。やっぱり緑川じゃ、連橋に役不足だったか」
「なんだ。やっぱり、会いたかったんじゃねえかよ」
呆れたように、淺川が言った。
「うっせー。城田みてーなことぬかすなよ。おい。派手にポリ公呼んで、ジレンのやつらごと生け捕れ」
「そうこなきゃな」
淺川はニヤリと笑って、手下に合図した。それから僅か数分後に、まるで待っていたかの如く、サイレンが周囲に響いた。


「警察?!」
ジレン陣地の志摩は、ギョッとしたように、振り返った。睦美も、キョロキョロと辺りを見回した。
「志摩さん。サツが。こっち側からきやがった」
手下が転がるように、志摩に向かって走ってきて、叫んだ。
「バリケードどうした。サンドヴィ側。つーか、小田島側だろうがっ!」
「解除されてます」
「!」
志摩は、ボンネットから飛び降りた。
「しまった。小田島のヤロウ。丸パクしやがるつもりかっ!」
既に、警察の出現に、乱闘の場はパニックに陥っていた。
「退け。退けっ。とにかく、皆、逃げろ!」
志摩は、慌てて車にエンジンをかけた。

騒乱の中、連橋は、あと少しでサンドヴィ側に到着するというところで、サイレンに阻まれた。目の前で、あちこちから車が逃げ出していく。敵味方なく、揉みくちゃにされながら、連橋は自分でも予期せぬ方向に流されて行った。
「睦美!流!志摩!」
叫んで、戻ろうとするのに、人ごみに邪魔されて、連橋は動けなかった。

続く


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