「連ちゃーん。お客様」
「ああ、今いく」
と、連橋の声が遥かな高いところから聞こえて、流は驚いた。
「亜沙子ちゃん、今、連の声どこから聞こえた?」
「屋根の上だよ。連ちゃんガテン系」
キャハハハと亜沙子は笑った。ハッと、流は屋根を見上げた。ぎらつく太陽が屋根を照り出していた。
「おう。流か。ちょい待て」
そこから、ヒョイッと連橋の顔が覗いた。
「連。てめえ、猿かよ」
「っせえ。雨漏りしてるから、修復してたんだよ」
ダンダンッと、乱暴に屋根の上を走る音がして、そして、しばらくしてバンッと乱暴に部屋のドアが開いて連橋の姿が現われた。
「あー。暑かった」
流は、アパートの前の駐輪場から、二階を見上げていたのだが、唖然としている。亜沙子は、ちょうどアパートの前の小さな花壇に如雨露で水をやっていたのだ。
「もしかして、部屋から屋根へ行けるのか、亜沙子ちゃん」
「そ。なんか、水道管みたいなの伝って。流くんが言うとおり、連ちゃん、猿だよ。スルスル〜って」
クスクスと亜沙子の肩が笑いで震えた。
「どうした。流」
連橋の声が、二階から降ってきた。
「渡したいものがあるから」
「そっか。なら、部屋来るか?」
二階の手摺に体をもたれかけさせては、階下を眺めていた連橋は部屋のドアを指差した。
「んな長居するつもりはねえんだけど・・・。って、連。ちょい降りて来い」
「んだよ。面倒くせえな」
連橋は上半身裸のまま、ジーンズ姿で階段を下りていく。
「連・・・。おまえ、その姿」
まだ肌寒い季節だというのに、連橋のイキのいい格好を見て流は驚いたが、それより。もう一つ驚いたことがある。
「なんだよ、その汚ねえ無精ひげ!」
ブルブルと流は指を震わせては、連橋の顎を指差した。
「あー、これか?いいだろ。男っぽくて」
ザラッ、と連橋は顎を撫でた。
「流くん。なんとかしてよ〜。連ちゃんって、ホント見かけにこだわらない人でさ。前に前歯欠けた時も、しばらくそのまんまだったけどね。このひげは、私もすげえ嫌なんだけど」
「うるせーな、亜沙子。睦美は、なんも言わなかったぜ。ちょっと、汚ねーって言ったぐらいで」
「言われてるんじゃん。連ちゃん、そのうち振られること決定だよ。髭剃りなさいよー」
亜沙子が如雨露で連橋の、裸の背を叩いた。
「いて。っせー。誰が剃るか!おう、流。川べり行くぜ」
さっさと連橋は歩き出している。
「お、おう」
流は、答えつつも、ジッと連橋の横顔を見つめている。ものすごい違和感だった。無言で、亜沙子が、流にジャンパーを渡す。流はそれを受け取りながら、連橋の後を追いかけた。
「連、見てるほうが寒い。上、着ろよ」
バサッと流が上着を連橋に放り投げた。
「あ。そか。すまん。このまま行っちまうところだった。だってさ。屋根の上、暑かったんだよ。太陽ギラギラ」
連橋はそれを羽織ながら、珍しく機嫌良さそうに笑った。
「で。今日はどーした。そういや、この前のこと。おまえ、調べたのかよ」
問われ、流は、うなづいた。
「小田島にはアタック出来ねーからな。城田に直で訊きに言ったさ」
「そー」
連橋は、あっさりとした反応をよこした。
「全部聞いたよ。おまえはやっぱり嘘はついていたよな。でも、起こっちまったことはもう言っても仕方ねえ。なにより、おまえが納得してる」
「納得なんざしてねーよ。諦めただけだ。いつまでも覚えていたって気持ちわりーだけだしな」
前髪をかきあげながら、連橋は投げやりな口調で答えた。
「ただひとつ。やっぱり、てめえは冷たいなぁとつくづく思った。借金。はなから返さずに、てめえの身犠牲にするつもりだったくだりは聞いて、腹立ったね。まあ、そん時は、城田の野郎が言った他の言葉に唖然としていて聞き逃しちまったんだけど」
二人は話ながら、土手を降りていった。目の前には、日の光を弾いた川面が現われた。
「アイツ、なに言ったんだ、おまえに」
川面を見つめたままで、連橋が訊いてきた。
「おまえに惚れたとぬかしていたぜ。あの犬ッころ」
クククと流は小さく笑った。
「とうとう頭に穴でも開いたか?って訊いてやりゃ良かったのに」
連橋も笑う。
「言うまでもねーだろ。だいたい、頭くることに、ヤツは自分がイカレているのを知っている。それよか、連。・・・惚れられて嬉しいか?敵ながら、城田はイイ男だよ。間近で見てこの前改めて思ったからな。見た目だけは、パーフェクトってヤツだ」
「絶賛だな。おまえが惚れれば?」
「生憎なことに、アイツにきっぱりと言われたよ。俺は、敵だってな。敵同士なのに惚れあうなんて、そんなバカなことが出来るかよ。なあ、連」
連橋に捧げる為の台詞だ。流は言いながら、注意深く連橋の横顔を見つめた。思い当たることがあれば、連橋は反応を見せる。些細な反応すら見逃すつもりはなく、流は連橋を見つめていた。連橋が川面から顔を上げた。
「ったりまえだろ。んな面倒くせーこと出来るかよ。城田が例え絶世の美女でも、小田島にいる限り、俺は惚れない」
言いながら、長い連橋の睫が1回だけ瞬いたのを、流は見逃さなかった。
「なら。城田がこっちにきたら、惚れてやる?」
意地悪く、流は訊き返してみせた。チッと、連橋は舌を鳴らした。また、瞬き、ひとつ。
「訂正。あの顔。俺の好みじゃねえんだよ」
流は苦笑した。よく言うぜ・・・と思った。
「だよな。おまえと城田じゃな。狂犬同士で、共食いだからな。可哀想に。城田の片思いか」
心にもない言葉を流は口にしてみせた。連橋は、フッと笑った。先ほど見せていた機嫌のいい笑みとは明らかに違う。
「アイツの言う言葉なんて、信じるな。心がなくたって、愛してるとか好きとかが言える類の男だぜ。胡散くせーったらねえぜ。俺もおまえもアイツにからかわれているだけだ。わかってる分、こっちのが
リコーってヤツなんだよ。気にするな、流」
その連橋の言葉に、流は目を見開いた。慌ててうなづく。
「ああ。わかった。おまえが、城田を相手にしてねえのはわかった。もうこの話は止めだ。ところで、借金の件だ。連。先手を打って姉貴に泣きついたみてえだな。おかげでぶん殴られたよ」
バシッ、と流は拳を飛ばしてくる。それを連橋が掌で受け止めた。二人で軽く笑う。
「当たり前だろ。俺の為に大学辞めるなんて脅された日にゃ、こちとらブルブルだよ」
「こっちもガッチリ脅しかけられて、生憎辞めざるを得なくなった。おまえは、自分のことには鈍いくせに、人のことになると行動早いぜ」
「うるせーんだよ。文句たれに来たんならば、俺は帰るぜ。屋根の上、居心地がイイ。空見てっとな。なんか、色々あんのが、フワーッとどうでもよくなってくんだよ。あのまま、屋根の上にずっと居たい感じなんだよな」
連橋が、機嫌良さそうに、また笑った。流はスッと、そんな連橋に封筒を手渡した。ズシリと重みがある封筒だった。
「なんだよ、これ」
「義兄から受け取ってきた。これは、金だ。事情を話した上で、それでも姉貴と義兄が二人で、連橋くんへって言ってきた金だ。借金に比べれば、スズメの涙のような金額だけど、受け取ってくれ。とくに義兄の為にな。おまえが受けとらなければ、あの人は罪の消化が出来ない。受け取れよ、連」
「・・・」
連橋は、しばらくしてから、ゆっくりとうなづいた。
「迷惑・・・かけまくっちまった・・・。すみませんでした、と伝えてくれよ。受け取る」
「ありがとう。連。これで、あの夫婦も少しは落ち着くよ」
流はホッと、安堵の息をもらした。
「ところでな、連。今度は俺の方の問題だ」
「んだよ。まだなんかあんのかよ」
封筒を手に持ちながら、連橋はうんざりしたような顔になった。
「これが一番大事なことだ。いいか。今度、身勝手なことしてみろ。絶対に許さねえぜ。俺は、おまえの行動を見届ける約束になっている筈だ。忘れたか?いちいちなんもかんも報告しろとは言わねえが、重要なことは話せ。出ないと、約束違いになるぜ。それって、男としてどうよ。いや、連橋優としてさ」
「流」
「おまえが出す結果を。俺は見届けるんだ。それが出来ない状況をおまえが勝手に作り出したら、七代まで祟るぞ」
「げ。こえー」
連橋は、おどけて肩を竦めた。
「当たり前だ。俺は執念深い」
フンッ、と流は鼻息荒く言ってみせた。
「小田島みてーだぞ、てめえ」
ククッと連橋は笑った。
「?!」
連橋は笑いながら、傍らの流を見上げた。同じように、流も笑うかと思ったのに、流は意表を尽かれたかのようにポカンとした顔をしていた。
「オイ・・・。小田島みてーと言われて、気を悪くしたんかよ」
自分で言った言葉に不安になったのか、連橋は流をジッと見つめている。
「・・・おまえの言う通りだよ。ある意味、俺はアイツと同じだ。おまえに・・・」
流は連橋を見つめた。視線が交差する。ドッ、と心臓が激しく鳴り出したことに、流は愕然とする。
俺は小田島と同じ。かつて、悩み苦しみ抜いて、連橋を避けていた頃の自分の感情が足元に忍びよってくる気配を感じた。おまえに、惚れて、惚れて、惚れて・・・。どうしようもない。けれど。それを口にした瞬間、壊れる。城田のように最初から、失うものがない立場ではないのだ。何度も考えた。ああ。この想いを口にしてしまおう・・・と。おまえが好きだ。愛してる。抱きたい。でも・・・。城田が、どれほど望んでも、得れないものを俺は持っている。城田がなにを切り札にして攻めてこようとも、勝てる自信がある、たった一つのもの。それは、連橋と自分の間に育まれている『信頼』というものだ。それを壊す自信が、今の流にはなかった。
「流っ」
ビシャン、と頬を叩かれて、流はハッとした。
「目開けたまま、死ぬな。こんちきしょー」
「いってえな。思い切り叩いたなっ!ったくよ。もちっと、優しく出来ねーのかよ」
「てめえが悪いんだろ。いきなり人のツラ見たまま、固まりやがって」
連橋は、ヒラヒラと掌を振っていた。
「ワリー。ま、とにかく。その金受け取ってもらって、あとは勝手な真似すんなって忠告しに来ただけだから。もういいぜ、連。屋根の上に戻れよ」
「自分勝手なヤツ。ふん。これから、香澄ちゃんとデート?」
「生憎だけど、志摩さんとデート。今、サンドビィが、やたらと粉かけてきやがるから、対策会議。大学生は暇なのよ。顔出せや。佐田なんか、おまえがいねえとつまらなさそうな顔してるんだぜ」
城田曰く、男殺しの連橋。確かに、上手いこと言うな・・・と流は思う。佐田なんか、あと少し連橋に接近させれば、すぐにコロリと俺の二の舞で殺されちまうだろう。気をつけなきゃ・・・と流は思う。
「よせよ。今、バトルったら、俺ストレスたまりすぎて、絶対殺人犯す。落ち着いたら、顔出すぜ」
流の心中も知らずに、連橋は真面目にそう答えた。
「いつ落ち着くんだよ、てめえはさ・・・」
流はポンッと、何気なくに連橋の頭を叩いた。金色の髪の、その柔らかさにはいつも驚く。この髪に、頬を埋めて、キスしたい・・・と、唐突に欲情する。慌てて流は手を引っ込めた。俺はいつまでも、保つのだろう・・・と悲しくなった流だった。
「しっかし。そのツラ。やりきれねーな、確かに。志摩さん見たら、泣くだろうな。せっかくの美青年がさ〜。キスする時に、邪魔だよなぁ」
連橋に気づかれまい、と流は明るく言った。
「突然、なんだよ。ふんっ。志摩なんて泣けばいい。てめえらとキスなんかしねえから、てめえらの意見なんて関係ねえな」
ツンッ、と連橋は流から顔を背けた。まるで、怒った女の子がやるような仕草だ。もしくは、拗ねた子供。
「あ、そう。だったら、睦美様に働きかけて、絶対に剃らせよう」
「やだねっ。睦美になんと言われようと、俺はこのままワイルドに生きる」
「充分ワイルドに生きてるだろ。これ以上はよしてくれ。俺の心臓が止まる」
「こいてろ」
ハハハと連橋は笑う。ご機嫌が直ったらしい。
「なんか今日、最初から機嫌いいな。どーした、おまえ」
すると、否定せずに、連橋はうなづいた。
「ひーちゃんがな。学校行くのをすごく楽しみにしててさ。すげえ嬉しそうなんだよ。友達いっぱい作るんだーって喜んでいる。それ見てると楽しくてな。俺の学校生活なんざクソみてーなもんだったけど、コイツの将来は、これからなんだなーと思ってさ。これから、友達いっぱい作って、彼女とか出来てさ。そう考えると、嬉しくてな。アイツにも俺みたく、おまえみてーな友達が出来ると嬉しい」
あっさり連橋はそう言った。流が慌てて訊き返す。
「おまえ。俺みてーなダチが出来て嬉しかったの?」
「んだよ。嬉しくて、悪いかよ」
チッ、と連橋が照れたように舌打ちした。
「いや。俺、けっこー強引だったから」
流は、ボソッと言った。
「嬉しかったぜ。俺は、ダチなんてまともに持ったこたねーんだよ。おまえに会うまではな。おまえのこと、物好きだなって思ったぐらいだ。俺とダチになりてーなんてさ。ま、比べる対象がねえから、おまえの存在が嬉しいのかもしんねーけどな」
「そういうオチかい」
「そういうことよ」
ケラケラと連橋は笑う。
「そっか。でもま。結局のところ、おまえをそうやって笑わすことが出来るのは、ほとんどひーちゃんの存在があってこそなんだよな」
「俺だって、楽しけりゃ笑うぞ。んなに無愛想じゃねえっつーの。けど、確かに久人が嬉しいと俺は嬉しい。幸せにしてやれてるって思うんだ。先生と約束したから。久人の面倒を見るって。先生と、さ」
ひーちゃん。いや、違う。と、流は思った。連橋の感情は、かつて亜沙子が言った通り、すべて町田康司という男から発生している。両親の代わりに自分を慈しんでくれた男。連橋にとって、父であり、母であった、傍らに在るのが当たり前だった男から、発生しているのだ。その町田の遺した子供を慈しむのは、連橋にとっては当然のことなのだ。だが・・・。その男は、もう一人、遺している。城田優という、敵側に住む男。果たして、連橋の愛した町田の血を色濃く引くのは、一体どちらの息子なのか。もし、それが城田であれば・・・。流は口にでかかった言葉を飲み込む。城田が、町田の息子であることを連橋に告げるのは簡単だ。だが、それは諸刃の剣だということを流は解っていた。憎むか愛するか。それしかなく、もし連橋が選ぶのが・・・。
「連。俺、もう行くわ。川っ淵ブラブラ歩いてくから」
「ああ。んじゃ、またな」
「おう」
歩き出す背中に、一瞬連橋の視線を感じたが、それがフッと消え、連橋が土手を駆け上がっていくのが気配でわかった。
『苦しい』
振り返ると、連橋の姿はもう、ない。
『俺は、苦しい』
流は目を伏せた。
友達という線。崩すことが出来ない。諸刃の剣は、もう一つあるのだ。受け入れられるか、拒否されるか。そして、連橋は、嘘をついた。城田の自信が、過剰でないことを流は知った。連橋は、城田に惹かれつつあるのだ。小田島という目標の前に、連橋の目の前には無視出来ない城田という存在があった。それゆえ二人は対峙しあい、何度も接近し、拳を突き合わせた。男ならば、誰でも強い男に憧れる。最初は互いの強さへの賞賛程度だったに違いない。だが、何度も何度も何度も繰り返し、接近しあっているうちに、少しずつ、軌道がずれていった。互いが変化すれば、するほど。そして。要素はあったのだ。少なくとも、連橋の方には。なぜならば、今現在、連橋が生きている理由にあたる男に、城田は似ているからだ。顔や声だけではなく、見せる仕草や性格、そういった小さなものにでも、連橋は敏感に反応している筈だ。連橋が最初に惚れた。そして、それに呼応するように、城田が惚れたのだ。
連橋に罪はない。強い男に惚れ、そしてそれが愛した男に似ていれば、惹かれてしまうのは当然だ。連橋に罪はない。ましてや、自覚すれば、するほど、苦しい恋になる。現に、連橋は否定している。必死に否定している。瞬きを不自然に堪えてしまう程に。このまま、苦しくても葬り去れ!と流は思っていた。おまえが隠すならば、俺は騙されておこう。頼むから、消し去ってくれ。流の胸は、痛んだ。自分の幸福の為に、連橋が痛み、苦しむのを黙って見てるだけなんて。だが。例え連橋が気持ちに素直になったところで、待っているのは、幸せな未来なんかでは決してない。だから、このまま。このままで、いい。
オマエハ、コノヨニ、タッタヒトリ・・・。
「苦しいよ。俺は、苦しい。どうにかなってしまいそうなんだ。アイツを見ているのが辛いんだ」
まるで、誰かに語りかけるように、流は川面に向かって、低く呟いた。
アイツを見る自分の視線が、どんどんと穢れていく気がした。そして、その視線を連橋に気づかれてしまうのが恐ろしい。いつまで、連橋の望む形のままで、傍らに居れることが出来るだろうか・・・。流は、自分自身を襲う感情の波が、とても怖かった。
「あら、もうこんな時間なのね。亜沙子ちゃん。遅くまですみませんでしたわね」
篠田亮子は時計を見て、慌てて立ち上がった。もう20時だった。
「いいえ。本当に、こんな遠くまで、わざわざありがとうございました」
亜沙子も立ち上がった。
「とんでもないわ。思いつきでフラリと寄らせていただいて。久人くんが元気でよかったわ」
「しのだのおばちゃん、さよおなら。気をつけてね」
久人が、玄関先で、亮子に向かってペコッと頭をさげた。
「えらいわね、久人くん。ちゃんと挨拶出来て」
「だって、ひーちゃん。今度から学校へ行くんだよ。あ、ひーちゃんじゃなくって、僕」
「あはは。そう。よかったわね。たくさんお友達作るのよ」
亮子は久人の頭を撫でた。
「うん。ありがとう」
「駅まで送ります」
亜沙子がサンダルを履きながら、言った。
「いえいえ。大丈夫よ。これでも記憶力はいい方なの。散歩しがてら帰りますから。久人くんの傍にいてあげてください」
「そうですか。おみやげとか、たくさんありがとうございました」
「いいえ。どうぞ、これからも久人くんをよろしくね。じゃあ、連橋くんにもよろしく伝えておいてください」
「はい。わかりました」
篠田亮子は、玄関先の久人に手を振ると、アパートを後にした。
「私ったら。本当に調子に乗りすぎて。こんな時間まで。大変だわ。家に電話しなきゃ」
すぐそこにあった電話ボックスに入って、自宅に「遅くなる」と告げて、亮子はアパートの前の道路を渡ろうとした。すると、向こう側に男女のカップルが立っていた。
「ほら。大丈夫かよ。熱がある癖に、店なんか出てガバガバつきあうから、こーゆー目に遭うんだろ」
「大丈夫よ〜。もう、平気。ほら、ボロアパートが目の前。優しいナースの亜沙子さんが胡桃を介抱してくれるもん。手離して」
「抱き上げて連れていってやりてーとこだけど、ここは俺にとって鬼門だからな。そら、車いねえぞ。気をつけて渡れ」
「ありがとー。じゃあね、城田くん!」
フラフラと足取りの危なっかしい女が、亮子の脇を通り過ぎていった。酒の匂いと香水の匂いが入り混じって、亮子の鼻をついた。可愛らしい顔は、とにかく異常なぐらい真っ赤に染まっていた。
「大丈夫、貴方」
おせっかいだが、声をかけずにはいられない亮子だった。
「平気です。ありがと、おばさん」
割にしっかりとした声が返ってきて、亮子はホッとした。そして、向こう側に渡った。女の彼氏なのだろうか。心配そうに、女の背中を眺めている男に、亮子は何気なく目をやった。
「!」
驚愕に、亮子の目が見開いた。
「・・・優ちゃん?」
亮子は思わず、呟いていた。立っていた男が、ゆっくりと亮子を見下ろしてきた。
「あ、あなた。優ちゃんでしょう。城田・・・。ああ、そうだわ。そうでしょう。幸恵さん。貴方のお母さんは、幸恵さんと言うのでしょう?」
さっき、あの女の子が、この男のことを、城田くんと言ったのを亮子は咄嗟に思い出していた。
「・・・」
男は、ジッと亮子を見つめていた。その瞳。そして背格好。髪の色は違うが、亮子にとっては、見間違えようもない姿。大学で再会した頃の、町田康司がそこに立っている。
「優ちゃん。私は、貴方に会っているの。貴方が、幸恵さんと康司さんの家に来た時よ。あの時、貴方は幸恵さんを庇って、泣いていたわ。ねえ、そうでしょう!」
ピクッ、と男の眉が動いた。
「なんのことか、俺にはまったくわかりませんが」
間近で聞いた声に、また亮子は驚愕する。間違えようもない。この声は、町田康司の声だ。似てる。信じられないぐらい、似ている。幼馴染で、そして、町田康司と過ごした時間を多く共有する亮子には、間違える筈がなかった。
「ああ・・・。こんなところで、会えるなんて・・・」
亮子の目に涙が溢れた。男は、そんな亮子を見て、鼻を鳴らした。
「確かに、俺は城田と言います。ですが、幸恵なんて女は知らないし、康司なんて男は知らない。貴方の勘違いではありませんか?つーか、人違いです」
「!」
亮子は、男を見上げた。すると、男はニッと笑った。
「人違いで泣くなよ、おばさん。みっともねーぜ」
「優ちゃん・・・」
「優なんて、名前。俺には関係ねーんだよ」
「貴方は、優ちゃんだわ。私にはわかる。康司さんに似ているもの。二人を怨んでいるの・・・?」
「あのな。知らない人間を怨むことなんて、出来ねえよ。失礼します」
スッ、と男は亮子に背を向けると、サッと走っていってしまった。
「優ちゃん!」
亮子は、走り去る背中に向かって、叫んだ。
冗談じゃねえ。なんだって・・・。なんだってこんな所で。あの、ババア。城田は、走りながら、舌打ちした。覚えている。たった一度、父の家に、母に連れられていった時だ。父の本妻が、母をいきなり殴りつけてきた。驚いた自分は、母を庇った。その時に、家の中から別の女が出てきた。
『マキコさん!ダメよ。そんなことをしては。いけませんっ。やめなさい』取り乱す本妻を、その女が押さえつけていた。そうしてくれたことを、自分は泣きながら、とてもホッとしたのを覚えていた。会ったのは、それきりだ。もう顔も覚えちゃいなかった。ただ、あの時の声だけは覚えていた。あれから何年経つ?一体どれだけの時間が経った?髪の色だって、変えたのに。それなのに・・・。あのババアは、俺のことを間違えずに、優ちゃんと呼んだ。恐ろしかった。一体どれだけ、自分はあの男に似ているのだろうか。無我夢中で走りながら、城田は「くそっ」とうめき、足を止めた。電信柱に手をつき、荒い息をやり過ごした。
「ちっ。ここ、どこだよ」
夢中で走り逃げたので、城田は自分の立っている場所すらわからなかった。いつもと反対の道に走ってきたからだった。自分でも、滑稽なぐらいに動揺していた。辺りを見回すと、明らかなる住宅街だった。仕方なく、城田は適当に歩き出した。東京のど真ん中で、迷子になったところで、別段どうってことはない。気持ちを散らす為に、歩いた。そして、しばらくしてから、小さな本屋を見つけた。
「・・・」
なんの気なしに、城田はその本屋に足を向けた。気分転換に、雑誌でも買って帰るかと思った。すると、その本屋から老婆がヒョコヒョコと出てきた。手には皿を持っている
「ニャオン。どこだい。ほら、食事だよ。ニャオン」
猫だかに餌をやるんだろう。城田は、そんな光景をぼんやりと見ていた。そういえば、母も小田島の家に居た猫を可愛がっていた・・・と思い出していた。
「こら。隠れてないで出ておいで」
そのうち、ブロック塀の上に、トンッと三毛猫が姿を現した。
「ニャオン。ああ。そんなことにいたのかい。おいで、ほら」
それに気づいた老婆は、ブロック塀の上の猫を見つめたまま、道路に踏み出した。
「!」
城田は、自分の立つ背後から車が近づく音を聞き分けていた。だが、老婆は、一向に車の気配に気づく様子がない。視線が猫にいってるので気づかないのはわかるが、耳。聴こえてねえのか?!
「あぶねーよっ!」
叫んで、走り、老婆の体をバッと庇った。狭い道をギリギリに車が走り去っていった。
「あ、あら。こりゃすみませんねぇ。ついつい猫に気を取られていて。滅多に車なんか通らない道だから・・・」
「補聴器つけとけよ。あぶねーなぁ」
そう言いながら、城田はブロック塀の上にいる三毛猫をヒョイと捕まえた。
「婆さんの猫?可愛いじゃん」
「猫、好きかい?」
「大好きだよ」
城田は、三毛猫に頬をすり寄せた。猫が、「にゃう」と鳴いた。
「そうさ。うちの猫だよ。可愛いだろ。私の唯一の家族なんだよ。ありがとね」
城田から猫を受け取り、老婆は嬉しそうに、クシャクシャの顔で微笑んだ。
「耳。補聴器つけな」
「いつもはつけているんだよ。ただ、ちょい餌をやるだけだからと思ってねぇ。うっかり」
「そのうっかりで死んじまうことだってあんだよ。気をつけな。それより、店いいかな?シャッター下りてるけど、買いたい本があるんだ」
「ああ。いいよ。レジにバイトの子がいるから。って、あの子は食事中かな?まあ、いいさ。好きに見ていってちょうだいな」
「じゃあ、そうさせてもらうな」
城田は、半分開いたシャッターを潜り、店に入った。狭い店だった。常連しか来ないような店っぽかった。だが、品揃えはよく、城田は驚いた。エロ雑誌コーナーが妙に充実している。
「マニアックな店だな。あの婆さん、なかなかのモンじゃんか。大林の本が揃ってる」
呟いて、城田は書棚から、大林の本を一冊抜き出した。そして、雑誌コーナーに戻って幾つかの雑誌を手に取り、レジに向かった。
「すみません」
城田は、レジの向こうの空間に声をかけた。
「あー?!誰だよ。もう閉店なんだけど」
そんな声が、奥の方から聴こえた。
「・・・」
ピクリ、と城田は眉を潜めた。
「すみません。もうレジ閉めちゃったし、明日にしてくんねーかな」
声と共に、バイトらしき青年が顔を出す。
「商売っ気のねえ店だな。レジぐらいまた開けろよ」
「!」
青年の目が、ギョッとしたかのように見開かれた。
「城田・・・。てめえ、なんで、ここに。一体なにしに・・・」
青年=連橋は、口の端にくわえていた箸を、ポロリと落とした。
「本屋には本を買いに。本屋にコンドームなんか売ってンのか?ああ、連橋」
「口の減らねえヤツだ。なんだ、てめえ。流の家の時みたく、この店まで潰しに来たのか」
たちまちに、連橋の顔が険しくなった。
「それが客に対する態度かよ。バイトの躾がなってねー店だな。こんな店、知らねーよ。偶々、近くに来たんで、入ってみただけだ。安心しろ、連橋。単なる偶然だ。レジ打てよ」
城田は、ドサドサと雑誌を数冊レジのカウンターの前に置いた。呆れるぐらいにすべて、エロ雑誌だった。
「仕入れたの、おまえの好みかよ?だったら、俺と似てるな。俺もよくこの雑誌使うから」
城田は、ほとんど表情を変えずに、トンと指で雑誌を示した。
「最近はさ。この中のねーちゃん達の顔をおまえにすりかえて、オナッてる時あんだぜ。光栄だろ。って、ぼやぼやすんな。レジ打てよ」
連橋は鍵でレジを開けた。
「るせーな・・・。くだんねーことてめえが言うから、呆れていただけだ」
連橋はパパパとレジを打った。城田が出したのは、一万円札で、どうしたって釣が生じた。連橋はレジの中から数枚の札と小銭を掴んだ。城田が手を差し出していた。それを無視して、
「そらよ」
バッと、釣を連橋はカウンターにばらまいた。
「しょーもねー接客態度だ。ほっといても潰れるだろうな、この店は」
そう言いながら城田は釣をかき集めていた指を、さっと伸ばして、連橋の腕を掴んだ。
「!」
「まったく、おまえの考えることは可愛いな。他愛もねーよ。この髭なんだよ。髭で、罪深きてめえのオンナの顔を隠したつもりか?」
城田の指が、連橋の顎をすくった。
「ババア。包丁持ってこいっ」
連橋は、城田の指を振り払いながら、奥の部屋に向かって叫んだ。
「俺に触るなっ」
「隠そうたって無駄だよ。おまえの場合は、そういうんじゃねえんだよ。こんなんで隠しきれると思ったら大間違いだぜ」
城田は、ニッと笑った。その顔に、連橋はゾッとした。
「義政はこのツラ見たら泣くだろうが、俺は違うぜ。おまえの考えていることが手にとるようにわかって、可愛くて仕方ねえよ。腕におまえを抱いて、この髭無理やり剃ってやりてえよ」
そう言って城田は、自分の舌をペロリと出してみせた。連橋は、ゾッとした。城田のその舌が、顔に近づいてきた。逃げようと、連橋は体を捻った。そこへ
「なんだい。大騒ぎして。ほら、包丁」
と、老婆がとことこと、本当に包丁を持ってきた。
「おっせーんだよ、ババア。台所から、ここまでどれだけかかって歩いてきたんだ。貸せっ」
連橋は、老婆から包丁をひったくった。
「なんの真似だい。優ちゃんよ」
老婆は、レジの前に散らばった金と、そして、男が連橋に異常接近してるのを見て、驚いたような顔をしている。
「先ほどはどうも」
城田は、連橋からすかさず離れると、ニッコリと微笑んだ。
「本当にねぇ。さっきはどうもありがとさんでした」
老婆もニコニコと微笑み、頭を下げた。連橋は、二人を見ては、不審な顔をしていた。
「お友達なんだろ。すぐにわかったよ。なんたって、頭の色が優ちゃんと一緒だからね」
「そんなもんです。とうぞ、ご心配なく。あ、包丁取り上げてくれませんか?ちょっとした喧嘩になってしまったら、コイツ興奮しちまって」
「まあまあ。短気な子だからねぇ。さあ、お返し。じゃあ、どうもね。お買い上げ、ありがとさん」
「どういたしまして」
ニコニコと城田は微笑んで、包丁を胸に抱えては奥に戻っていく老婆を見送った。
「てめえ。この女タラシ!80ババアまでたらしこみやがって。なにがあったか知らねーが、あんな愛想のいいババアは初めて見たぞ」
連橋は、取り上げられてしまった包丁に、チッと舌打ちしながら、怒鳴った。
「射程距離が広いんだよ。俺はな」
ニコニコと微笑んでいた顔が、スッと面白いようにまた、いつもの城田の皮肉っぽい笑いに切り替わった。
「二重人格者!」
「うるせーな。さっきから一人で興奮してねえで、雑誌を袋に入れろ。小説にカバーはいらねえよ」
「んなのてめえでやれよ」
バサッ、と連橋は、何枚かの重なった黄ばんだ袋を、城田に向かって投げつけた。
「この店はセルフサービスかよ」
ブツブツ言いながら、城田は雑誌を袋に詰め込んでいた。そんな城田を連橋はジッと見つめていた。ちょっとでも隙を見せれば、城田はすぐに牙を剥く。油断出来ない・・・と連橋は思っていた。だが、殺気をまとわせていない城田は、いかにも普通の男だった。俯いて、雑誌を袋に入れている姿は、単なる同じ歳の男としか見えない。城田の私服は、いつも黒か白で、今日は全身黒だった。葬式帰りみてー・・・と連橋は心の中で嘲笑した。足元のナイキのシューズだけが真新しいらしく、連橋の目を引いた。これ。俺が欲しかった新作だ、と思った。
「ジロジロ観察されるのはあんまりいい気分じゃねーんだけど」
城田がいきなり言った。視線は相変わらず、袋詰している本に落ちたままだ。
「どうせ、また。葬式帰りみてーな格好しやがってとか思ってるんだろ。そういうてめえこそ、そのドハデなティーシャツなんとかなんねえの?俺達、服の趣味だけはわかりあえそうもねえな」
「わかりあえねーのは、服の趣味だけじゃねえだろ?ぐだぐた言ってねーで、それ持ってとっとと帰って、虚しく一人でかいていやがれ。根暗野郎」
「人の顔みたら、喧嘩口調でしかもの喋れねーのかよ。こんなに今日の俺はおとなしいっていうのに。そういうの、なんて言うか知ってる?過剰反応っつーんだよ、連橋」
「なんだと!」
「はい。詰め終わりました。とっとと帰りますよ。飯の途中に邪魔して悪かったな。袋は、二枚いただいたぜ。なんせ、エロ本が4冊もありますから」
「勝手にさらせ」
フンッ、と連橋は鼻を鳴らした。
「ありがとうございました、は?連橋」
城田は、袋を脇に抱えると、連橋をまっすぐに見て、ニヤリと笑った。クッ、と連橋は頬を引き攣らせ言い返そうとしたが、思い留まった。
「まいど。ただし、二度と来るなよ。オナニー男」
「最低な店だな」
フフッと笑って、城田は体を屈めて、シャッターを潜り抜けて出て行った。あっけない程の去り方だった。
「ちきしょう。なんだよ、アイツ・・・。一体なんで、こんなところへ・・・。偶然なんて、んなヨタ信じるかよっ」
呟いて、連橋は、城田の出て行った方を見た。ガタン、と折り畳み式のカウンターを持ち上げ、店内を横切り、連橋は城田がやったように身を屈めてシャッターを潜り、店の外に出た。
「出てくると思ったぜ、優ちゃん。必ずな」
「!」
完全に、城田は気配を消して、店のねずみ色のシャッターに寄りかかって立っていた。気づいた時にはもう遅く、連橋は城田に抱きすくめられていた。
「離せっ!」
「嫌だね。こんな偶然、この先あるかどうかもわかんねー。刻むっきゃねえだろ」
ガシッ、と連橋の首の後ろを城田の掌が固定して、そして、城田は連橋の唇に自分の唇を押し当てた。無理やりこじ開けた口に、舌先を入れる。だが、連橋は頑なにその舌を拒んだ。諦めたのか、城田は早々に引き、そして、連橋の右の瞳に口付け、舌先で触れた。
「なんの真似だ」
「犯してやるって言ったろ。おまえの体より、まず先に。この瞳だ。昔、言った。覚えてるだろ」
「んなこと知るかっ。気色わりーんだよ!目玉なんか舐めるな」
「舐めたのは瞼なんだけど・・・」
クスッと城田は苦笑した。連橋の顔を引き寄せ、城田はその耳元に囁いた。
「やっぱり、髭邪魔だよ。ザラッとして、萎えちまう。あとさ・・・」
そう言って、城田は小さく、連橋の耳元に呟いた。5つの音。
「しっかり刻んでおけよ。アバヨ」
今度こそ、城田は手を振って、去っていった。その後を、店から飛び出してきた三毛猫のニャオンがついていこうとした。
「待てよ」
連橋が叫んだ。城田が振り返った。
「てめえじゃねえよ!ニャオン。おまえはこっちだ。ソイツについていくな」
連橋は、タッと走ると、ニャオンの首根っこを掴んだ。にゃう・・とニャオンは鳴いた。
「コイツ、雌だっけか・・・」
三毛猫のニャオンは、雌である。連橋は、去っていく城田の後姿を見送りながら、自分の右瞳が異様に熱いのを感じた。
『体より。おまえのその瞳、犯したい』
かつて城田が言ったことを連橋は覚えていた。あの時の城田の、瞳の色と、その声の震えまで。
連橋が、亜沙子の部屋で昼食を取っている時だった。電話が鳴った。受けたのは連橋で、かけてきたのは志摩だった。
『連。サンドヴィとやりあった。結果は勿論、こっちの勝ちだ。だが、困ったことになった。頭の水上が小田島に泣きついた。出てくるぞ、小田島が。久し振りに、出てくるぞ』
「マジかよっ!」
『城田が動いたからな。ヤツがサンドヴィの水上と接触してるところを、うちの奴らが見ていた』
「いつだ?」
『そのうち動くだろうさ。なまっちゃいねーだろーな。お出まし願うぜ。当分夜間の仕事は入れるな』
「わかった」
電話を切って、連橋はちらりと亜沙子を見た。亜沙子は、久人の頬についた米粒を取ってやっていた。
「好きにしなさいよ。止めたって、どうせ行くんでしょ」
連橋の方を見ずに、亜沙子は呟いた。
「ああ」
「久人を頼む・・・でしょ。それもわかってる。でも、連ちゃん。睦美ちゃんを悲しませるような真似したら、許さないよ。もうすぐ睦美ちゃん、誕生日なんだからね!」
「わかってるよ」
幾度目かのチャンスが訪れる。こうして、一体何度のチャンスをやり過ごしてきたことか。今度こそ。今度こそ・・・と思いながら、小田島の前にいる城田が抜けなくて。今度も城田は俺の前に立ちはだかるのか?惚れたと言いながら、この俺をくい止め、そしておまえはまた小田島を守るのか?あの時と同じように。
「みものだぜ」
ヘッ、と連橋は笑った。自分達が立つ位置を冷静に見極めるいい機会だと思った。タイミングがいい時に、祭りがやってきやがったぜ・・・と連橋は、ザラリとした自分の顎を撫でた。
続く
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