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****3部5話***

「亜沙子、明日ひーちゃんと一緒にどっか行こうぜ」
少し早い夕飯の支度に取り掛かっていた亜沙子は、連橋の言葉に振り返った。
「いきなり、どうしたの?」
「明日天気いいみてえだから」
連橋は、テレビの画面を見たままの横顔で言った。
「そうなんだ。んじゃ、久しぶりにお弁当作って、皆でピクニックね。最近、忙しかったしね」
結局のところ、流の家の騒動は志摩やジレンのメンバーに知れ渡り、皆東奔西走している。
勿論、亜沙子も事情を聞いて、ただ、ただ小田島の執着に唖然とした。それ以外は、もうなにも言えやしなかった。
「おまえに話があるんだけど。ひーちゃん、まだ戻ってこねえよな」
久人は、近所に住む春樹という年上の友達と川原で遊んでいる、と亜沙子は言った。
「大丈夫、あそこの家のおばさんが傍に居てくれているから、きっと夢中で遊んでるよ」
「ああ。んじゃ、安心だな」
「勿論だよ。ぬかりはないんだから」
亜沙子はガス栓をひねってから、連橋の元へと歩いていく。
「これから、どうするの。話ってこのことでしょ」
エプロンで手を拭きながら、亜沙子は連橋の横に座っては、通帳の類を連橋に見せた。
連橋は、通帳に目を通しながら、難しい顔をしている。
「あんな大金・・・。すぐにどうこう出来る筈ないわ」
「それが、あっちの目的なんだから、仕方ねえだろ。流の家には本当に申し訳ねえことしたって思ってる。謝れば済む問題じゃねえけどな。ちっ。今更ながらに、ふっかけられた金額に眩暈がしてくらぁ」
フーッと連橋は溜息をついては、通帳を閉じた。
「・・・」
亜沙子は沈黙した。結局のところ、流の家の騒動は、連橋の存在を否定出来ないからだ。
「あのさ。大林に連絡取れよ。おまえ、あいつの居場所知ってるんだろ」
「知ってるわ。だけど、どうして。最近先生忙しいみたいだよ」
「今後の為にも、色々訊いておきてえことあんだよ。前におまえに訊いたよな。俺の生活に関しては、大林が掌握しているって。むろん、金銭面のことだぜ」
「そうよ。先生が掌握している」
亜沙子はうなづいた。
「俺の家のジジイやババアが、どんな提案をあいつに持ちかけたのか今まで興味もなかったけど、俺もいい加減ちゃんとそこらの事情を知っておかねえと・・・って思ってな。ひーちゃんの将来のこともあるし。今まで無関心過ぎた」
それについては、亜沙子も同感、と思った。
「連ちゃんの今までの生活は、連ちゃんの家のお父さんやお母さんが連ちゃんに用意したお金から成り立っているのよ。それを大林先生が管理してる。先生は、養育費は一旦投げ返したらしいけど、一応は受け取ったとも訊いてるし。そこらへんはもうごちゃごちゃしててわかんないけど」
「だから。そこら辺を訊きてえんだよ。俺はもう働いているし、養育費だかうんだかだって関係ねえんだよ。大林の連絡先を教えろ」
亜沙子は、戸惑った。連橋が考えていることがわかるからだ。
「無理よ。連ちゃん。立て替えるほど、資金が残っているとは思えないわ。第一、これから連ちゃんの仕事だってどうなるかわからない。私達はひーちゃんを抱えているのよ。半端なことは出来ないのよ。そういう覚悟で、ひーちゃんを四国から連れてきたんじゃない。私もこれから働くし、二人で頑張ろう。流くんにもちゃんと援助して」
「それじゃ、遅いっ!いいから、大林の連絡先を教えろっ」
連橋は声荒く、叫んだ。
「連ちゃん・・・」
「俺には俺なりの考えがあんだよ。心配すんな。だからおまえは、俺に大林の連絡先を教えるだけでいいんだ。不安にさせて悪い・・・。申し訳ねえと思ってる。けど、亜沙子。頼む。時間がねえんだよ。教えてくれ」
ギュッと亜沙子は唇を噛みながら立ち上がり、この部屋では唯一可愛らしい白木のタンスの一番上を開けた。小さなアドレス帳をそこから引っ張り出して、連橋に手渡した。
「連ちゃん・・・。お願いだから、無理はしないで。皆居るんだよ。連ちゃんの周りには、たくさん味方がいるんだから。一人で悩まないで。ねえ、お願いよ」
微かに震える亜沙子の指を感じながら、連橋はアドレス帳を受け取った。
「泣くなよ」
連橋は、ニッと笑うと、ポンッと小さなアドレス帳で亜沙子の頭を叩いた。
「悩みたくねえから、大林に連絡すんだろ。本当ならば、一人でなんとかしてえところなんだけど、それが出来ねえから悔しいけど、あいつの手を借りるんだ」
「うん。そうだよね」
うっすらと涙の浮かんだ目を擦りながら、亜沙子はうなづいた。
「んじゃ、ちょっと外行ってくる。帰りにひーちゃん連れて帰ってくるから。メシよろしく」
ジーンズの尻ポケットの財布を確認しながら、連橋は立ち上がった。


何度かのコール音のあと、男の声がした。連橋は、ガラス越しに川に落ちていく夕日をぼんやりと眺めていたが、回線が繋がったことを確認すると緑色の電話機に視線を移した。
『もしもし。亜沙子か?どうした。なにかあったか』
確かに大林の声だった。何年振りに聞く声だろうか。
「俺の声が亜沙子に聴こえるか。おっさん」
『連ッ!おまえ・・・か』
大林の、明らかに動揺の声だった。
「かけてくる女は亜沙子しかいねえのか?だらしねえおっさんだな。相変わらず」
『これは俺と亜沙子のホットラインだからな。ところで。なんの用だ。おまえは、俺には二度と接触してこないと思っていたけどな』
「生憎、俺も歳をとってな。他人を利用する術を覚えたってことだ」
『・・・本当におまえは歳を取ったな。先手を打ちやがって。謝罪の言葉を言わせないつもりなんだな』
「そんなものは、俺には必要ねえよ」
きっぱりと、連橋は大林の言葉を切って捨てた。
『利用されても仕方ないことを俺はおまえにしたんだ。おまえには、そうする権利はあるんだ。用件を話せ』
「今まで俺は、生活のなにもかもを亜沙子に任せてきた。そして、亜沙子はおまえに。俺がこういう境遇になった時はまだ小さかったから、なんにもわからなかった。ある程度歳くってもまだ俺は、自分の環境を知ろうとはしなかった。環境ってなんだかわかるだろ」
『金だ』
僅かな沈黙のあとに、大林はズバリと言った。
「そう。生きていくのに絶対に必要なものだ。なぜ毎日食べて、挙句に学校まで行くことが出来たのか。親に捨てられた俺が。アンタはなにを今更・・・と思うかもしれねえが、俺は本当に気にしたこともなかった。アンタが居たから。そして、いなくなっても、まだ俺は本当の意味で気にしていたことがなかった。亜沙子の後ろにアンタが居ることを知っていたからかもしんねえ・・・。けど、そうも言ってらんなくなった。俺は成人して、金を得る術を知った。その時点で、俺はもっと早く動かなきゃいけなかったんだけどな。アンタには悪いことをしたと思ってる。今まで甘え過ぎた」
『なにがあったんだ。話せ、連』
受話器の向こうから聞こえる大林の言葉は、性急に先を促す。
「理由は面倒くせえから言わねえが、金だよ。金が必要なんだ。だから、俺は知りたい。アンタが管理している俺の金だ。正確に言えば、俺の親がアンタに渡した金だ。今幾ら有る?もしかして、もうとっくにないんじゃねえのか?」
『あったとしたら、おまえはそれをどうする?なかったとしたら、もっとどうする?』
「あれば、それを全部今すぐ貰いたい。なければ・・・クソッタレ!だな」
『金は、もうない。実を言えば、とっくにな』
「・・・」
わかっていた言葉だった。わかりきっていた言葉だった。望みは断たれた、と連橋は冷静に思った。
もし幾ばくかでも養育費というものが残っているならば、それらは全て亜沙子と久人に譲り渡したかったのだ。そして、またしても持っているものは、この身ひとつ。この頼りげない自分の存在ぐらいなのだ。
『おまえに罪はない。おまえや亜沙子が贅沢な生活をしていないことぐらい俺は知っている。俺は、出来ると思ったからおまえ達二人の生活の面倒を見ることを引き受けた。亜沙子から聞いて知ってるだろう。俺が亜沙子に渡している金は、亜沙子への報酬だ。おまえの養育費ではないんだ。俺がみなきゃならないおまえの生活の管理を放棄して、ばっくれたからな』
「それにしては、アンタが毎月亜沙子に振り込む金額はでかすぎる。売れない小説書きにしては、だ。島田とかいう偽名まで使ってさ。本当のところアンタ、何者だよ。ヤバイことやって金儲けてンじゃねえだろうな・・・」
『金額を判断するのは俺だ。それに、俺が誰であろうとおまえの口出す領域じゃないだろう。汚い金じゃないことは断言出来る。金のことで困っているのならば、これ以上突っ込むな』
大林の言葉は的確だ。確かに金は、多い方がいいのだ。これからも・・・。
「俺の生活管理をばっくれたって言っても、もう俺は成人したぜ」
『成人したって、その前におまえは久人を引き取ってきただろう。久人は人形じゃない。俺が面倒を見る筈のおまえが久人を引き取った。おまえの責任は、俺の責任。俺はおまえの親の代わりになったんだ。そういう考え方は出来ないのか?』
「親は子供を抱かねえぜ」
『・・・それを言われたら、オシマイだ』
自嘲めいた笑いが受話器の向こうから聞こえた。
「わかったよ、おっさん」
『わかったって、なにが』
「アンタ、マジで俺のことが好きなんだ。なあ、今でも愛してくれてるのかよ」
『・・・』
「沈黙は肯定だって、誰かに聞いたことあったっけ。そっちのが都合いい。利用するってそういうことだ。亜沙子と久人を守ってくれ。頼む。俺には、もうあの二人を守っていくことが出来ない」
『とうとう小田島とやりあうのか』
それが、いつかは必ず来る事態であることは、大林はむろん知っている。
「そうだ。だから、二人を頼む。あの二人の生活を、守ってやってくれ。お願いだ」
『愛する者の頼みを俺が断る筈もないとでもおまえは言うつもりか』
「ああ」
『頼む、は利用ではない。命令が、利用だ。言葉遊びかもしれんがな。少なくとも俺にとってはそうだ。ということは、おまえも少しは俺のことを愛してはくれていたのか?』
連橋は、一言言えば済む。俺に対してした裏切りの罪滅ぼしをしろ、と。その代わり、罪滅ぼしと言うのは、俺に対してではなく俺の愛する亜沙子と久人へ、だ。そう言えば、大林は断ることも出来ないのだ。だが、連橋は、「頼む」と言うのだ。
「そうだな。・・・親の代わりとしては。セックスとか恋愛の対象ではなかった。過去も、そして未来も。これでも、利用じゃねえっていうのかよ?俺はアンタが望む形では、アンタを愛してはいない」
きっぱりと連橋は言った。
『俺は、おまえのそういう素直なところが好きなんだ、連』
わかっていたことなのだ。だが、こうして事実を突きつけられたところで、すぐに想いが霧散する筈もない。だからこそ、人は誰かを愛し、苦しむのだ。大林はそう思う。連橋は、媚びない。もっと上手に嘘がつければ連橋自身も苦しむことなどないだろうに・・・と思う。だが、それが出来ない連橋を、愛しいと思うのも大林にとっては大切な事実なのだ。
『見てくれの割には、おまえはプライドが高い。だから俺に頼むのは悔しいだろう、連。信頼していた俺に裏切られたおまえにとってはな。愛してるよ、連。おまえの言うとおり、俺はおまえを愛してる。どんな形でも、俺はおまえの望みは叶えてやりたい。申し訳ないが罪滅ぼしという言葉すら邪魔なくらいただ純粋におまえの望みを叶えてやりたいんだ。だから、久人と亜沙子は必ず守る。おまえは、おまえの道を行け。俺はこれからも、俺のやり方でおまえを愛していく』
静かに、だが、情熱的に大林は受話器に向かって、囁いた。
「・・・聞いてる俺は、すげえ恥ずかしいぜ。どの面さげて言ってる、オッサン」
チッと連橋は舌打ちした。
『生憎な。俺は部屋に一人だ。どんな恥ずかしい台詞だって今ならば言えるぞ。お望みならばな」
「いらねえよ」
クスッと連橋は笑った。
「いつか、でっかい賞取れよ・・・。オトウサン」
『嫌味なヤツだ。しかも、二重使いしやがって』
「賞は嫌味だ。でも、お父さんっつーのは本音だぜ。アンタは俺の父親代わりだった。つーか、父親。そういう意味では感謝してるし、アンタを愛してるよ」
『連』
「もし俺がヘマをして死んでも、俺はちゃんと空の上から見てるぜ。亜沙子と久人をな。約束破ったら、承知しねえぜ。うまいこといけば、塀の外に出た時に亜沙子と久人をちゃんと面倒見る。まあ、その頃には、亜沙子も結婚してるかもしんねえし、久人だって大人になってるだろうけど」
『逃げるのは許さないぞ。おまえがいなきゃ幸せにはなれない人間は、おまえが思ってる以上にたくさん居るってことを肝に命じろ。俺もいれとけ』
「俺が居るから不幸になる人間は、その倍はいるかもしんねえけどな。わかったよ。肝に命じとく。じゃあな」
大林の言葉を待たずに、連橋は受話器をフックに戻した。電話ボックスの中は、ガラスを通して差し込んでくる夕日の光線で真っ赤になっていた。連橋は思わず目を細めて、川原に目をやった。
あの川原を、大林と亜沙子との三人でよく散歩した。大林は、亜沙子と自分の肩を抱きながら、「いつかでっかい賞を取るぜ〜」と吠えていた。亜沙子と自分は「あんなヘボエロ小説ででっかい賞なんて取れる訳ないじゃん」と笑いながら大林をからかった。大林は、亜沙子と自分の頭をあのでかい掌でポンポンと叩いては、「ふんっ」と拗ねた。今となっては、三人揃ってあの川原を歩くことも、もうないだろう。すべては、あの夜を境に狂っていったのだから・・・。


天気予報は大当たりだった。よく晴れた日だった。連橋は、亜沙子と久人を連れて、あちこちを歩き回った。車は使わなかった。電車を使い、三人で遊園地に行った。久人が行きたい、と言ったからだ。
「にーちゃん!疲れたね」
久人は小さな体をぜえぜえと喘がせていた。あの広い園内を、はしゃいで走り回っていたのだから、当然だろう。肩からかけた水筒がブラブラと揺れている。
「満足か?ひーちゃん」
「うん。すっげえ楽しかったよ。乗り物いっぱい乗れたし、亜沙子ねーちゃんのお弁当も美味しかった」
「そりゃ良かったな。けど、俺は疲れた」
「アタシもよ、連ちゃん」
まだ二十代前半の亜沙子と連橋は、顔を見合わせて笑った。
「俺ら、運動不足だな」
「だよね。明日から、ジョギングしよーかなあ」
そんな会話をしながら、遊園地を後にして、電車に乗り込む。亜沙子と連橋の間にちょこんと座った久人はスヤスヤと眠り始めた。
「ねえねえ、連ちゃん。周りの人から見ると、私達ってきっと夫婦とか思われてるよね」
「んー?ああ、そうかもな」
車窓に目をやりながら、連橋は答えた。
「睦美ちゃんがこんな場面見たら、嫉妬しちゃうだろうな。怒られちゃうかも」
「大丈夫だよ。怒られるのは、俺だから。ってゆーか、今日のこと知ってるし」
「そうだけどさ。なんかさ。なんかね。ちょっと切なくなったりしてるのよ。だって、こういうことって現実に有り得たことでしょ。嫉妬してるのは私ね。睦美ちゃんに、ちょっと嫉妬してるんだ。あんなことさえなければ、私はきっと連ちゃんの子供産んでいたと思うし」
亜沙子は声を潜めて、言った。
「・・・そうだな。俺もおまえを孕ませていただろーな」
一方の連橋は、遠慮もなく普通の声で返した。
「止めてよ、でかい声で。それにその言い方。H」
「なんだよ。今更」
笑いながら、二人は視線を合わせた。ふと、絡まった視線をそのままに、亜沙子の眉が小さく潜められた。
「連ちゃん・・・」
ジッと、亜沙子は連橋の顔を覗きこんだ。
「なに」
「おかしなこと考えてないよね」
「おかしなことって・・・。復縁?」
「ちゃかさないでよ!もうっ」
「おかしなことはいつも考えてる。でも、おまえの言いたいことはよくわかんねえよ」
首をかしげる連橋を見て、亜沙子は僅かにホッとしたようだった。
「・・・そうだよね。連ちゃん、バカだからね」
「そう。って、てめえ」
小さな言い合いが続き、久人がパチッと目を覚ました。
「喧嘩、駄目」
そう言って、久人は二人を睨んだのだった。


電車を降り、亜沙子はスーパーに買い物に行くと言った。荷物持ちをする為に、連橋は付いていこうとしたら断られた。「一人で平気。洋服とかも見たいし。邪魔よ」と言われて、仕方なく久人と二人で帰途に着く。小田島の目的が一点に絞られている今、余計な手出しはしてこないだろう・・・と、判断した連橋だった。実際ここ数日は、なんの動きもない。
「ひーちゃん。ちょい寄り道してこーぜ」
家とは逆の方向の道を指差して、連橋は久人に提案した。久人はコクッとうなづいた。


立ち寄ったのは、小さな神社だ。久人は初めて来た場所をキョロキョロと見回している。だが、境内脇のお守り売り場に、可愛らしい巫女さんを目ざとく見つけた久人は、そっちに走り出した。
「ったく、コイツは。そっちにはあとで行くから」
走り出す久人の首根っこをひっ捕まえ、連橋は賽銭箱の前まで久人を引きずってきた。
ポンッとお賽銭を放り投げると、手を合わせる。
「なにやってんの?にーちゃん」
久人はきょとんとしている。
「神様に願いごと。将来久人が大人になったら、俺みたく頭がよくなりますよーにって。かっこよくなりますよーにって。幸せになれますようにって。お願いごとしてやってんの」
「ふーん。じゃあ、もうひとつ。にーちゃんみたく強くなりたいから、強くなれますようにって、お願いして。ひーちゃんは、にーちゃんが幸せになれるようにお願いする」
小さな手を合わせて、久人は連橋の真似をした。その様子を見て、連橋は笑った。お参りを済ませ、連橋は久人にお守りを買ってやった。可愛い巫女さんからお守りを手渡れ、挙句に頭を撫でてもらい、久人は上機嫌だった。
「なくさずに大事に持ってろよ。それはおまえを守ってくれるんだからな。もしにーちゃんがいなくなっても、それを俺と思って大事にするんだぜ。俺がちゃんと守ってやるからな」
「うん、大事にする。でも、なんでにーちゃんがいなくなるの?お守りと関係ないでしょ。お守りはお守り。にーちゃんは、にーちゃんだよ。変なの」
気に入ったのか、久人はお守りを両手で握り締めていた。
「変か。確かにな。まだおまえには、わかんねえよな。ま、俺にはこんなことぐれーしかしてやれねえけど、ごめんな」
思わず、連橋は呟いた。
「?」
久人は明らかにキョトンとしていたが、なにも言い返さなかった。その久人の顔を見つめながら、
俺は、コイツの大人になった姿を見れないかもしれない・・・と、漠然と連橋は思った。神社を抱えるように鬱蒼と茂った木々の暗さが、連橋の心の暗さを触発したのかもしれない。


帰途に着く。
「ひーちゃん。先に行ってろ。俺、電話してくるから」
電話ボックスを指差して、連橋は言った。
「はぁい。じゃあ、鍵ちょうだい」
連橋から鍵を手渡され、久人はうなづいた。最近の久人は、やけに鍵を開けたがる。背伸びをして、ドアノブに鍵を差し込んでは、ガチャッという音と共に開くドアを確認すると、楽しそうなのだ。大人になった気分なのかもしれない。久人の後姿を見送ってから、連橋は受話器を持ち上げながら、番号をプッシュした。亜沙子のアドレス帳から、知り得た小田島の家の電話番号。この前大林にかける時に、同じ「お」の欄にその番号を見つけた。あの頃の亜沙子は、どういう気持ちで、この番号を調べたのか。そう思うと、連橋の胸は痛んだ。そして「し」の欄を確認した時に、案の定とばかりに城田の番号が記載されていたが、小田島の家の番号とは違っていた。

電話が繋がった。誰が出ようと構わなかった。
「小田島はいるか?」
そうぶっきらぼうに言った。返ってきた声は戸惑いなく、
『連橋か?』
と、城田の声だった。その声に、連橋は一瞬体を強張らせた。

この感覚はなんなのか?城田という男の持つなにかが、自分の感覚を刺激する。瞳も。声も。先生に似ている。納得していることでは、あるのだが。それでも、それだけでは説明のつかないなにかがあることを連橋は改めて感じた。目の前にいるわけでもないのに。回線という頼りないものを通じて繋がっているだけなのに。連橋は、自分の体が震えていることに気づいた。

『会いたいんだ。場所を教えろよ』
城田は、やりとりの後に、いきなりそう言った。
「いいぜ。じゃあ、今から3時間後に、例の場所で」
そう言うと、受話器の向こうの城田は、小さく笑ったようだった。
『わかった。それじゃあ、そこで待っている。必ず来いよ』
「ああ。仕方ねえから行ってやるぜ」

受話器を置き、連橋は瞬きをした。聞き返されなかった。例の場所とやらを。すんなりと城田は了解したようだった。

例の場所。あの公園の、あの大木の下。

あそこから、なにもかもが始まり、たぶん、あそこですべてが終わる・・・。


続く
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電話かけまくりの連橋であった(笑)