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****3部6話***
連橋は時計を見た。同じ部屋にいた佐田が、読んでいた雑誌から顔をあげた。
「時間ですか?」
佐田の言葉に、連橋はうなづいた。
「心配すんな。おまえは、ただ、亜沙子とひーちゃんの様子だけを気にしてくれていればいい」
「け、けど・・・」
佐田はそう言っては、隣の部屋へと続く薄い壁を見た。
「志摩さんにも流さんにも内緒なんて・・・。俺・・・」
「心配すんなって言ったろ。すぐに帰ってくっから。もし亜沙子に気づかれたら、ジレンの奴らと会ってるって言っとけよ」
「は、はい」
コクッと佐田はうなづいた。連橋は、皮ジャンを羽織りながら立ち上がった。
「あとを頼む。じゃあな」
そう言うと連橋は、静かに部屋を出て行った。佐田は、そんな連橋の背を見送ってから、雑誌をパタンと閉じた。溜息をひとつ。なんの説明もなく連橋に呼び出され、深夜の外出をするから、その間亜沙子と久人の様子を見守っていてくれ、とのことだった。ジレンの次期頭の流が抱える問題が、仲間内でまだ混乱をきたしている最中の、連橋の単独行動。勿論、怪しい、というか、不安である。だが、佐田が、連橋の申し出を断れる筈はない。自分にとって、連橋の、あの薄茶の瞳の強い視線は抗えぬ一種の魔力のようなものを秘めているのだ。
頼むからなにごともなく戻ってきて欲しい・・・と、佐田はただ祈ることしか出来なかった。
月夜の晩だった。連橋はゆっくりと、目的の場所へと歩いていく。あの場所へ行くのは、いつも桜咲く四月だった。それ以外は、足を向けることはなかった。なのに、自分は、どこでも良かった場所に、なぜあの場所を指定してしまったのか。ただでさえ、感情的になってはいけない状況である筈の今なのに、どうして・・・。幾ら考えてもそれは謎だった。だが、城田と会う。そう考えた時に、それでもあの場以外は思い浮かばなかった。
「わかんねえよ・・・」
連橋は夜道を歩きながら、呟いた。
城田は、連橋の指定した場所へは車で移動した。アタッシュケースを後部座席に無造作に放り投げて、運転席に乗り込んだ。そろそろ深夜だという時間なので、門は自分で開けた。門番には、「義政のところに行く」と説明して邸を出た。邸を出て、少し走った所で対向車と擦れ違った。
「!」
城田は素早く対向車の車内を見ては、舌打ちした。よりによって、大堀兄弟が揃って乗っていた。恒彦は気づかなかったようだが、清人の、冷たい視線が城田に飛んできた。城田は、あえてそれを無視してそのまま車を走らせた。一瞬、状況を考えた。アタッシュケースを持った男が訪ねてきたことは、邸の一部の使用人達は知っている。それ故に「義政に会いに行く」と言う嘘を言ったつもりだったが、それは調べればすぐにわかる。義政のところに自分が姿を現さなければ、疑問を抱かれる。マズイな・・・と思った。だが、今更引き返すことは出来ない。連橋は約束の場所に来る筈だ。深夜の外出は、別に自分にとっても誰にとっても珍しいことではない。大抵は「女」で片がつくからだ。だが、今夜は。あの二人がそう思ってくれるかどうかは五分五分というところだろうと思った。
「ちっ。ったく・・・」
運が悪いとしか言えなかった。恒彦は誤魔化せても、決して清人は誤魔化せないだろうから。
先に公園に着いたのは、連橋が先だった。時間は確かに少し早い。約束の大木の場を避けて、連橋は公園をブラブラと歩いた。そして、そこで思いがけない人物に遭った。
「恵美子さん・・・」
恵美子だった。
「あら、コンバンハ。連橋くん」
快活な声と裏腹に、恵美子はいつもと違う様相だった。
「ど、どうしたんすか。こんな時間に、こんな場所で・・・。それにその格好・・・」
いつもすっきりと纏められた長い黒髪が、ダラリと伸び、服装もどこか着崩れている。こんな時間のせいか、それとも月夜の青い光線のせいか、恵美子の顔色は悪い。視線も虚ろだった。幽霊みたい・・・と言ったら、間違いなく引っぱたかれるだろうと思って連橋は黙っていた。
「私ねぇ。不眠症なのよ。だから、時々こうして深夜のお散歩するのよ」
呑気な恵美子の言葉に、連橋は唖然とした。
「なに言ってんですか。物騒だっつーの。こんな時間に、人気のない公園フラフラして」
連橋は、頼りなげな恵美子の右腕を掴んだ。なにげなく掴んだつもりだったが、バシッと恵美子に振り払われた。
「あ、ごめん」
思わず詫びた。すると、恵美子もギョッとしたような顔になって、すぐに泣きそうな顔になる。
「私こそ、ごめんなさい・・・。大丈夫なのよ、連橋くん。ほら、あそこにうちの使用人がいるから。付き添ってきてくれているの」
恵美子が指差す方角には、スーツ姿の身なりのいい男がひっそりと立っていた。
「ボディガードっすか。なら、いいけど」
「連橋くんこそ、どうしたの。彼女とデート?」
クスッと恵美子は微笑む。
「んな訳ねえっすよ。俺は・・・。まあ、ちょい人と待ち合わせっていうか」
彼女とデートなんて、冗談じゃねえよ!と連橋は心の中で叫んだ。
「そう。でも、本当に偶然ね・・・。今度また、ひーちゃんと亜沙子ちゃん連れて食事にいらっしゃいな」
「え、ああ。ありがとうございます」
「それじゃあね。ああ、今日は本当に月が綺麗ねぇ・・・。私、こういう夜は、本当に駄目なのよ。眠っていられないの・・・。月が綺麗だわ。本当に、綺麗」
そう言いながら恵美子は、もう目の前の連橋すら目に入っていないかのように、フラフラと歩き出した。慌ててスーツ姿の男が恵美子の後を追いかけていく。二人のそんな姿を見送ってから、連橋はふと思った。恵美子は、近頃婚約したと言う。匡子から聞いた。「きっと盛大な結婚式になるんでしょうね」と匡子は言っていた。恵美子のあの様子は、ウェディングブルーか?というぐらいしか連橋には想像がつかなかった。なんだか不思議な感じだった。誰にとっても、特別な月というものがあるのだろうか。自分にとっても、恵美子にとっても・・。連橋は、空を見上げた。頭上の月は、そこで視ている。自分を見上げる人々を、冷たく輝きながら、ただ見下ろしているだけなのだ。
いつも。いつでも。どんな時も・・・!
大木の根元に腰を下ろし、連橋がタバコに火を点けた瞬間、足音が聞こえて、城田が姿を現した。
くわえタバコで、片手には少しも重そうには見えないアタッシュケース。
「ほぼ時間通り」
連橋が言うと、城田は
「3時間は長かったぜ。一刻も早くお前に会いたかったからな。時間通りは当たり前さ」
そう言って、ニヤリと笑った。
ドサッ。城田は、アタッシュケースを連橋に向かって放り投げた。
「!」
正確に投げられたそれは、連橋の腕に乱暴におさまった。
「確認してみろ」
「俺は銀行員じゃねえぞ。数えろっていうのか?」
「とりあえずは中ぐらい見ろっつーの」
クスッと城田は笑う。連橋は、城田の言う通りにアタッシュケースを開けようと手を動かした。一瞬、タバコを気にしたのだが、それは近寄ってきた城田がスイッと口元から抜き取って、足で揉み消す。
「・・・」
アタッシュケースの中身を見て、連橋はフンッと鼻を鳴らした。
「どうでもいい。それらしく見えるならばな」
「まーな。一万円でも足りなかったら、俺はおまえを買えねえからな」
そう言って城田は、自分が吸っていたタバコを、連橋の口に押し込んだ。ドサリと連橋の正面に城田は座りこむ。
「吸い終わるまでに、考えな。この金受け取って、俺のモノになるか。それともこれを跳ね返して、義政のモノになるか」
連橋は、真正面の城田を睨みながらも、無理やり押し込まれたタバコを吸った。城田は、そんな連橋をジッと見つめながらも、タバコの先を気にしている。オレンジ色の炎が、一瞬大きく光った。フッ、と連橋がタバコを口から吹き飛ばした。ポトリとタバコが大地に落ちた。火は既に消えていた。
「おまえは俺を買ってどうするつもりなんだ?」
連橋が訊いた。
「どうするつもり・・・じゃなくってさ。おまえは俺のモノになるんだ」
城田が答えた。
「はぐらかすな」
キッ、と連橋が声を荒げた。
「決まってるだろ。「おまえが可愛くて買うんだ。でも、おまえはお人形さんじゃないからな。飾っとくだけじゃ勿体無い。このまま、二人で義政のところから逃げ出して、どこぞの国で結婚でもしよーか?んでもって南の島にでも住んで、やることなくって朝から晩までセックス三昧。子供は出来なくてもいいじゃん。二人で仲良く愛し合って、そして死んでいこうぜ」
城田はケラケラと楽しそうに笑う。
「そりゃ楽しそうだな」
連橋も笑いながら、言った。
「だろ」
城田は肩を竦めながら、うなづいた。そして、二人の視線が交差する。
「1000万も出して、やりてーことがそれだなんて、バカすぎて楽しすぎるぜ、城田」
「1000万も引き合いに出させるほど、男を狂わすなんて、おまえの方が楽しすぎる。連橋」
連橋は、持っていたアタッシュケースを振り回して、城田を攻撃した。
「おっと」
城田は、それを素早く避けた。
「本音を言えよっ!てめえの狙いはなんだっ」
拳を握り締めながら、連橋は叫んだ。叫びながら、立ち上がった。城田も立ち上がった。
「本音を言いやがれっ」
もう一度連橋が叫んだ。激昂する連橋を見つめながら、城田は静かに言った。
「犯したい」
「!?」
「おまえを犯して、狂わせたい」
「・・・」
「義政を狂わせた、おまえの体が知りたい。俺は、おまえのほとんどを知っているが、実は体だけは知らない。だから、それが知りたい。おまえとSEXしたいんだ。そして、おまえを狂わせてしまいたい。俺の義政を狂わせたように、俺に。おまえを、俺に狂わせたい。それが本音だ。大して変わンねえだろ。南の島へ行こうっつーのとさ」
それに対する連橋の返事はなかった。代わりに拳が城田に向かって飛んできた。
「俺のほとんどを知ってる?またお得意の調査で、勝手に俺のことを調べたのかよ。気色わりーこと、してんじゃねえよっ」
「またこれかよ。素直に金を受け取れば、ただ俺の下で喘いでいりゃいいんだぜ。気持ちよくさせてやる自信はあんだからさ」
受け、城田は拳を返す。連橋は左手にアタッシュケースを持っている。
「っせえ!この変態っ。主人が主人なら、犬も犬だ。てめえらの脳味噌いっぺん調べてもらえよ」
足元にケースを置き、連橋は城田を一瞥した。
「調べてもらっても、どーせ俺達の脳味噌なんて、今のところおまえのことばっかりさ。光栄だろ」
「うるせえ、うるせえっ!!!」
こうなることはわかっていた。互いに顔を合わせれば、言い合いの末に、殴りあう。
「てめえのこの金はなんだっ!いったい、どこから出てきた金なんだっ」
ビッ、と連橋の拳が城田の頬をかすった。城田の右拳が連橋の腹を狙う。連橋は体を捩って避け、城田の頬に、今度こそ完全に拳を打ちつけた。ドサッと、城田の背が大木の幹にぶつかった。連橋は、間髪を入れずにその腹めがけて拳を叩き込もうとした。だが、城田は背を幹に預けながら、右膝を持ち上げて、間合いに入ってきた連橋の腹にすかさず膝を打ち込んだ。痛みに連橋の体が前屈みになったところを、城田の手が連橋の金色の髪を無造作に掴んだ。グイッ、と髪を掴まれたまま、連橋の顔が持ち上がる。数年の間に完全に追い越された背丈のせいで、連橋は城田の顔を見上げる格好になった。
「金が欲しいか?おまえこそ本音を言えよ。この金が欲しいんだろう」
城田は足元のアタッシュケースを軽く蹴飛ばした。
「・・・欲しい」
僅かな間をおいてから、連橋は城田を見上げて、呟いた。
「俺はっ。金が、欲しい。欲しい、欲しい、欲しいっ!!」
「誰の為に?」
城田はニッコリと微笑んだ。
「・・・」
答えない連橋に、城田はその髪を強く引いた。
「誰の為に金が欲しい?自分の為にじゃねえことは勿論わかっている。おまえは、その為に、その身を義政に差し出そうとしたんだからな・・・」
「答える必要はねえ」
きっぱりと連橋は言った。
「いいさ。知ってるからな」
城田は、連橋の髪を掴んでいる手とは逆の手で、連橋の頬をスウッと撫でた。
「おまえが本音を言ったから、俺も本音を言おう。この金で、おまえが買いたいと言ったのは」
連橋の指が、自分の頬を撫でる指を振り払おうと動いた時、城田の足がそれより速く動いた。
「おまえが、俺にとって、いったいどういう存在なのかを知りたかったからだ。その為の、きっかけが欲しいだけだった」
城田の足が連橋の足を蹴った。バランスを崩した連橋の体に覆い被さるように、城田の体が動いた。
「連橋」
城田が連橋の耳元に囁いた。
「連橋優」
もう一度、城田はゆっくりと連橋の耳元に囁いた。
「俺にとっておまえがどういう存在なのか、確かめさせてもらうぜ」
見下ろしてくる城田の目に、連橋は体が金縛りになったかのように動かなかった。
連橋と呼んだ声が。連橋優と囁いた声が。そして、なにより、見下ろしてくる視線が。
連橋が、大事に、大事に、心の片隅に抱えている優しい思い出と重なっていく。
『連橋』
先生が自分を呼ぶ声。背の高かった先生が、自分を見下ろす視線。
フワフワと桜の花弁が舞う景色。夏の暑い光線の降り注ぐ景色。冷たい雨が落ちてくる景色。巡る季節の中で、両親の代わりに傍らにいてくれた男。そして、今まさに、この場で、その命を落とした男の顔が、城田とだぶる。
城田が、連橋の首筋に歯を立てた。その痛みに、連橋は、覚醒する。
「てめえは・・・」
自分の体の上に跨っている城田に向かって、連橋は叫んだ。
「てめえはいったい、なんなんだよ!鬱陶しいンだよ!てめえを見てると、得体が知れねえぐれえにイライラするんだよっ」
足のつま先から頭のてっぺんまで、一気に冷たくなった感じがして、連橋は言葉を詰まらせた。連橋の体が、急にガクガクと震え出したのを感じて、城田は連橋の唇に自分の唇を重ねた。
「!」
絡ませようとした舌を拒否されて城田は、連橋の顔を間近に見下ろしながら、
「俺の母親は、未婚で俺を産んだ。孕ませた男は、俺の母親を捨てたんだ。自業自得で、その男もとっくの昔に哀れな末路で死にやがったがな。俺を抱えて途方に暮れた母親は、小田島の前の当主の愛人に納まったが、自分を捨てた男を忘れきれずに自殺しやがった。俺がまだ幼い頃だ。後を追おうとして俺も自殺未遂をした。なあ、連橋。おまえにもあるんだろう。ほら、これだ」
城田は、連橋の右手首をギュッと握り締めた。
「なあ、見ろよ。ほら、俺にもあるんだよ」
連橋の右手首の傷と、城田の左手首の傷が、ややずれて重なり合う。
「・・・」
状況を忘れて、連橋は城田の傷をまじまじと見つめた。左利きでもある城田は、幼い頃右腕を傷つけたのだ。
「俺達は、両親に見捨てられ、同じように死を選んだ。だが、死にきれなかった。おまえは町田に救われ、俺は義政に救われた。俺達は、それぞれ運命の相手に生かされた。だが、おまえの運命の相手は死に、俺の運命の相手は俺の為には生きてくれない。それでも。俺達は生きる理由を得て、生きている。おまえが俺を冷静に見れないのは、本能で俺が自分に近い生き物だって知ってるからなのさ。それは俺も同じ。だから、俺はおまえを無視出来ない。俺は、俺にとっておまえが、ただそれだけの存在だ、と納得したいのさ」
語尾はほとんど掠れるように言って、城田は連橋の股間に手を伸ばした。
「一度でいい。おとなしく、俺に抱かれな。そしたら、あの金はおまえのものだ」
「離せ、ふざけるなっ。勝手に自分の意見を押しつけるな!俺達が近い生き物だって?冗談じゃねえよ。そんな理由で俺がおまえを鬱陶しく思っている筈がねえだろ。離せよ」
「じゃあ、どんな理由でおまえは俺を鬱陶しく思っているんだよ。言ってみろよ。ところでなんだよ、この抵抗。本気で抵抗してねえだろ。義政の頭をかち割ったぐれえに抵抗してみろよ。ほら」
城田は連橋の体をギリギリと押さえこんだ。
「してるっ」
むきになって連橋は叫んだ。が、実際どんなに体を捻っても、城田を跳ね除けられない。護身用のナイフは、ジーンズの尻ポケットに収まっているが、両腕を大地に押さえつけられてしまっている状態ではどうすることも出来ない。自由な脚で、城田の体を蹴飛ばすが、城田は体制を決定的に崩すまでには至らない。
「ちきしょうっ。てめえに犯されるなんて、冗談じゃねえよ。いやだっ」
連橋は首を激しく振って、拒否を表した。
「今までおまえを犯した男達の誰よりも、気持ちよくおまえを泣かせてやるよ」
「やかましいっ」
「可愛く泣きな」
連橋の上着をまくりあげ、その素肌に指を散らし、目的の乳首を城田は指でグリッと押し潰した。
「っ」
ピクッ、と連橋の腰が浮いた。城田が離した左手が自由になり、連橋はすばやく尻ポケットに手を回した。それに気づいた城田は、連橋の手を捻った。
「うっ」
連橋が悲鳴をあげた。
「ナイフよりイイもん突っ込んでやるから、おとなしくしてろよ。このじゃじゃ馬」
スッと、連橋のナイフを城田は取り上げると、城田は大木の向こうの草むらにそれを投げてしまった。
「くそっ」
ドカッ、と抵抗した連橋の脚が、城田の腹を蹴り上げた。
「っく。怒らせるなよ、俺を」
うめきながら、城田は連橋の体を再び押さえつけた。ハアハア、と互いの荒い息が夜の空気に響いた。見下ろす城田に、見上げる連橋。せりあげてくる息を制御することが出来ないくらい、二人は興奮していた。
「はい。イチャイチャはそこまで」
もみあう二人に、どこかちゃらけた制止の言葉が、突然割って入ってきた。その声に、弾かれたように反応したのは城田だった。
「恒彦さん・・・」
大堀恒彦だった。恒彦は、二人の傍らに無造作に放り投げられていたアタッシュケースを拾い上げては、ニヤニヤしていた。
「こんな大金放り出して、ナニやってんだ。城田」
フーッと、タバコの白い煙を吐き出しながら、恒彦は二人を見下ろしていた。
「連橋を車に連れてけ」
恒彦は、グイッと顎で示す。
「一人で楽しもうたってそうはいかねえぜ」
「なんでここが・・・」
言って、城田はハッとした。清人だ。あの人は、この場所を知っている・・・。
「ボヤッとしてんじゃねえ。金が用意されちまった今、この勝負は義政の負けだ。その前に、協力した費用ぐらいはいただいておかねえとな。なあ、城田。おまえの気持ちはよくわかるさ。俺もだからな」
また、信彦となんかあったな・・・と思いつつ、城田は軽く溜息をついて、今度は自分のジーンズの尻からナイフを取り出した。それを連橋の頬に当てた。
「立てよ。カーセックスだ。さすがに俺の師匠は気が利いてる。俺みたく、外でヤろうとはしねえところが粋だよな」
皮肉が通じる相手ではないことは知っていても、城田は言わずにはいられなかった。こんなことならば、さっさと事を進めておけば良かった・・・と悔いた。
「てめえら・・・」
連橋は、キッと二人を睨みつけた。だが、悔しいが、抵抗はそれぐらいしか出来ない。城田のナイフの切っ先が、連橋を脅かしている。
「そういうことさ。泥だらけになっちまったら、可哀想だろ。可愛いオンナなんだからさ。気を利かせてやれよ、城田」
フッ、と恒彦は城田の言葉に動じることもなく薄ら笑い、そのままさっさと先を歩いていった。
一体何度こういう場面を自分は見てきたことだろう・・・。城田はタバコをくわえながらぼんやりとしていた。スモークの張られた窓。外からは、車の中でなにが起こってるかは見えない。後部座席に押し込まれるなり、連橋は下半身を覆っていたジーンズを恒彦に剥ぎ取られていた。
背中から押さえこまれて、尻を高くあげさせられて、連橋は恒彦の指を、体の中心の奥深くに突っ込まれていた。
「うっ、くぅ。いっつ・・・」
恒彦の太い指を、奥まで無理やり含まされて、苦痛の為に連橋の背が震えた。
「おい、連橋。この淫乱な穴、使ってなかったのかよ?こんぐれえで痛がりやがって」
グチュリ、と淫らな音が車内に響く。ちゅく、ちゅくとあらゆる角度を突くような音だった。
自然に、連橋のペニスが勃起しつつある。恒彦は、根気よく連橋の秘穴を弄り続けた。
「あ、あっ。う、ああっ」
グリッと恒彦が抉った一角が、連橋の一番弱い部分だったので、連橋は激しく反応した。
「そっか。ここがイイのか」
捲り上げたセーターの素肌の背に、恒彦はキスをした。指は、相変わらず秘穴を弄っていたが、いきなりそこから指を引き抜くと、恒彦はグッと連橋の双丘を左右に開いた。散々に弄られて、真っ赤になった連橋の秘穴が更に大きく開いた。伸ばした舌で、恒彦は連橋の穴をペロリと舐めた。
「ぐっ」
ゾクッとした感覚が体中を走り、連橋はもがいた。だが、恒彦が左手で握ったままのナイフが、連橋の首筋に吸い付いている。少しでも動けば、そのナイフは連橋の首筋を傷つける。ナイフの刃を避けるように連橋は首を振って抵抗した。気を抜けば、無理やり与えられる快感に我を忘れ、そのナイフの刃の上に首を落としてしまいそうになるのだ。恐怖と、そして、淫らな快感。体の奥深くに、すぼませた舌を差し入れられ、ねちょねちょと舐め回される感覚に、連橋は眉を寄せた。
「いっ。いやだ、そ、それ」
うっと連橋は言葉を詰まらせた。いっそのこと、とっとと突っ込んで欲しいと連橋は思った。この空回りするようなじれったい攻めのせいで、声を抑えることが出来なかった。運転席には、城田がいる。城田は、先刻からただ黙って、フロントガラスを見つめたままタバコを吸っていた。自分のこの声をその耳に捕らえている筈なのに、ひたすら静かな城田の存在が、連橋にとっては忌々しかった。
「よしよし。蕩けてきたぞ。もうパクパク穴が開いてきやがった。素直で可愛いぜ」
連橋の秘穴から唇を離し、恒彦は右手で橋の穴の周りを、グルリとゆっくりと撫でた。
「んっ」
指の動きに合わせて、引き攣れるように連橋の秘穴が震えた。
「前ももうそろそろだし。けど、まだ、後ろだけではイけねえんだな。こんな淫乱な体の癖して、意外にストイックなんだな、連橋。これなら義政も開発のし甲斐があるだろうさ。将来的にいい買い物だ。なあ、城田」
「そうですね」
城田のほとんど抑揚のない声が後部座席に返ってきた。
「前回は義政に邪魔されたが、今回はじっくりと味あわせてもらうぜ、連橋」
恒彦は、シャツをスボンから引っ張り出し、スボンのファスナーを下ろした。恒彦のペニスは、当然の如く勃起していた。恒彦自慢の一物は、自慢するだけあった。処女などは、ソレを見るだけで泣き出してしまうこともあったのだ。恒彦は、連橋の髪を引っ張り上げて体を起こした。連橋は、息を大きく乱して、視線は虚ろだった。連橋の体を膝の上に抱えなおして、恒彦は改めてその首筋にナイフを当てた。
「!」
ナイフの刃の冷たさもさることながら、背に当たった恒彦のペニスに、連橋の虚ろだった視線がカッと見開かれた。
「て、てめえ。ふざけんなっ」
「大真面目だっつーの。ほれ、腰をあげろ。可愛いその尻を、俺の上に落とせ。ぶっ刺してやる」
「いやだ。いやだっ。絶対にイヤだ」
連橋は、ナイフの刃の存在を忘れたかのように首を振った。
「ちっ」と舌打ちしながら、恒彦はナイフを引いた。これ以上動かれると、本当に連橋の首を切ってしまう。脅しにはならない。恒彦の引きに気づいた連橋が、激しく暴れ出した。
「この後に及んで、往生際の悪いオンナだぜ。こんなにヒクヒク穴開いてるっつーによ」
グッと、恒彦はペニスを連橋の秘穴に押しつけた。ビクンッ、と連橋の体が跳ねた。
「城田」
そう言うと、恒彦はナイフを城田に放り投げた。
「アシストしろ」
運転席で、城田はナイフを受け取りながら、初めて後部座席を振り返った。その目に映ったのは、恒彦の膝の上に抱かれて、ペニスを勃起させては、潤んだ目をした連橋だった。自由になった両手で、恒彦は連橋の太腿に手をかけて、大きく開いた。反り返った自分のペニスを、連橋の太腿で挟んで、閉じさせる。
「!」
「すげえだろ。熱いだろ。おまえに入れたくてたまんねえんだよ。力抜いていろよ」
城田は、右手のナイフを連橋の目の前に突き立てて見せた。連橋は、その刃の鋭さに、ゴクリと喉を鳴らした。さすがに、緊張で顔が引き攣っている。
「いくぜ」
恒彦は、言葉と共に連橋の細い腰を両手で支えて、いきり立った自分のペニスに、連橋の小さく引き締まった尻を落とした。
「ん、ん、あっーっ!」
車内に連橋の悲鳴が響いた。
「うっく。きっつー・・・。でも、イイ・・・ぜ」
うっとりとしたように恒彦は連橋の耳元に囁いた。城田は、注意深くナイフを連橋に向かって突きつけながら、視線をゆっくりと下に動かした。
「あぅ。あ、あ、ああっ」
連橋の小さな秘穴は、恒彦の大きなペニスを含まされて、はちきれんばかりにヒクヒクしていた。その律動が、中に入り込んでいる恒彦のペニスに大きな悦びを与えていることを、城田は知った。
「思った通り、いいケツの穴してるぜ。吸い付いてきやがる」
城田の視線に気づいたのか、恒彦は連橋の脚を更に大きく開いて、結合部分を城田に見せ付けながら、せせら笑った。そうしながら、快感を搾り出すように、恒彦は連橋の秘穴を激しく攻めた。下から、容赦なくグイグイと腰を突き上げる。その度に、連橋が悲鳴をあげた。連橋の赤い穴がグイグイと無情なまでに、恒彦のペニスによって広がっていく。城田の視線に気づいたのか、連橋の体が跳ね上がる。慌てて城田は、ナイフを手前に引いた。
「み、見る・・・な」
連橋は城田を見つめながら、掠れた声で言った。
「見・・・てるんじゃねえ・・・。見るなよ、見るなあァっ」
快感のせいか、羞恥のせいか、それとも別の感情のせいなのか。叫びながら、連橋の顔に朱が散った。
「いやだ。い、やだ。ああ。んんん。あ、見る・・・なぁっ」
恒彦が深々と連橋の秘穴を貫いた。その瞬間、連橋は射精した。白濁した液が、宙に散った。
「くぅ」
連橋の背後の恒彦も、どこか切ない声を漏らした。
「すげえ。今の、キやがったぜ。思わず俺もイッちまった」
満足したように恒彦は呟いた。
連橋が散らした精液は、目の前に乗り出してナイフを構えていた城田の胸元にも、散った。
射精の快感に、連橋は息を荒げたまま、ガックリと項垂れていた。だが、その息もおさまらぬうちに、その快感から立ち直ったのか連橋は顔を上げた。
「!」
城田は、思わず息を呑んだ。顔をあげた連橋の薄茶の瞳からは、涙が零れ落ちた。連橋は、零れ落ちる涙を拭うことすらしないで、城田を見つめていた。城田も連橋を見つめていた。連橋の、体の奥におさまったままの恒彦が、再び動き出す。
「泣くほど良かったか?連橋。さあ、もう一回。今度はゆっくり楽しもうぜ」
恒彦は腰を突き上げた。
「ん、あ」
ポロポロと涙を零しながら甘い声をあげ、それでも連橋は城田を見つめていた。
「!?」
城田は眉を潜めた。ゆっくりと連橋の体が前のめりになってきたからだ。城田をまっすぐ見つめながら、ナイフに近づけていく。連橋の首筋が、ナイフの刃に向かって、自主的に進んでくる。城田は、慌ててスッとナイフを引くと、視線を二人からずらしてフロントガラスを見た。そして、ハンドルに顔を埋めた。
パァアアアアアアーーーーーーーーーーーー!
クラクションが激しく鳴った。城田が片手でクラクションを押し込んだ。グイグイと押し込んだ。
「城田っ。なにしやがる。うるせえ。城田!城田ッツ!」
恒彦が驚き、怒鳴った。
公園の脇にひっそりと停まっている、スモークの張られた高級な車から、やかましく迷惑な音が周囲に鳴り響いた。近隣の家々から苦情が出るのは、今すぐにでも、である。城田の手がクラクションから離れると、城田は運転席から飛び出すと、後部座席のドアを開けた。
「降りろ!」
城田は、持っていたナイフを恒彦の首筋に突きたてた。
「今すぐ車を降りろって言ってんだよ。師匠」
「し、城田」
その迫力に、恒彦は驚いた。連橋の体を押さえつけていた力が僅かに緩んだ。
「とっとと降りろ。でなきゃ、この首掻っ切るぜ」
ピタリと首筋に寄せられたナイフに、恒彦は目を細めた。
「なに考えてる、城田」
「うるせえっ!」
グッ、と城田はナイフの刃を恒彦の首筋に深く押し当てた。
「次はおまえに回してやるんだぜ。なにを慌ててやがる。がっついてンじゃねえよ」
「るっせえ。てめえは、信彦にだけ、さかってな。これ以上、俺のモンに手を出すな」
その言葉に、恒彦は目を見開いた。
「おまえ・・・。自分がなに言ってるのかわかってるのか」
呆れたように恒彦は、言った。
「わかってるよ」
あっさりと城田は言い返した。
「・・・惚れたのか?てめえ、コイツに惚れたのか。アハハハ。こりゃ傑作だ」
シャッ、と城田のナイフの刃が閃いた。朱色の筋が恒彦の首筋を走った。
「俺に、人の殺し方を教えたのはてめえだ。次はどうなるかわかるだろ。恒彦サン」
城田の冷たい瞳が、恒彦をジッと見つめている。長いつきあいだ。恒彦は知っている。城田の正気も狂気も。
「くそっ」
恒彦は、正しく城田の瞳から狂気を読み取り、連橋から自分自身を引き抜いた。
「とっととてめえの車に逃げ込んで、護衛のヤツに後始末してもらえよ」
城田は、恒彦の体を車内に蹴り飛ばした。
「余計な世話だ。それより、てめえ。育ての親代わりのこの俺に、こんなことしてどうなるか覚えてろよ」
振り返り、恒彦は城田の尻を蹴り返した。
「やかましいんだよ。てめえこそ。てめえが殺した女の恨みを忘れるな。そして、その女の息子の恨みもな・・・」
恒彦がギョッとしたように顔を引き攣らせた。城田は、そんな恒彦を一瞥すると、城田は運転席に戻った。案の定、苦情を言いに出てきたのか、幾人かの人々が車を遠巻きに眺めていたが、城田は無視して車を発進させた。発進させてすぐに、城田は視線を前方に固定したまま、連橋に向かってポイッ、とタオルを投げつけた。連橋は後部座席に、グッタリと倒れこんだままだった。そして、車はいつまでも、走り続けた。どこにも停まる気配がない。
「どこへ行くつもりだ・・・」
連橋が後部座席から、小さく呟いた。
「わかんねえ」
城田が答えた。
連橋はのろのろと起き上がった。城田のよこしたタオルで、濡れた自分の下半身を拭いた。惨めだった。零れ落ちそうになる涙をぐっと堪えて、ジーンズを履いた。
「ごほっ」
運転席から流れてくる紫煙に、連橋は少し咽せた。バックミラーに視線をやる。タバコをくわえた城田と目が合った。城田がいきなりブレーキを踏んで、車を路肩に寄せた。突然の急ブレーキに、連橋の体がグラリと揺れて、慌てて運転席のシートに手をついて体を支えた。城田は運転席から振り返り、体を乗り出し後部座席の連橋にいきなりキスをした。その行為に、連橋から城田に返されたのは、平手打ちだった。あまりに激しい平手打ちに、城田は唇を切った。それでも、城田は満足そうだった。満足そうに唇を掌で拭った。
「俺は金を受け取ってねえっ!おまえのモンなんかじゃねえ。気安く、こんなことすんな」
振り上げた手をそのままに、連橋は叫んだ。
「金はやるよ。てゆーか、その金俺のじゃねえから。たまたま金を手にしたから、おまえと遊んでみたくなっただけだ。その金はな。おまえのオヤジからだ。縁切り金らしいぜ。おまえにとってろくでもねえ金だろうが、俺はこれを義政に渡す。そして、今回の件は白紙に戻させる。文句は受け付けない」
連橋は目を見開いた。
「金なんかなくなっても、俺はおまえをモノにすることが出来るから、別に構わねえんだよ」
「出来るかっ!」
ドカッ、と連橋は運転席のシートを蹴飛ばした。
「恒彦さんのデカブツ頂戴した割にゃ元気だよな。俺は、次の日は結構キちまうんだけど」
クククと城田は笑いながら、ハンドルを操っていた。
「惚れたら、落とす。これ常識だろ」
「俺を無視するな」
「違うな。おまえが、俺を無視出来てねえんだろ」
バックミラーに映った城田が、目を細めた。
「ああ。無視は出来ねえ。てめえは、小田島をやる前に、俺の前にたちはだかるクソヤローだからな」
「俺に言わせてみりゃ、てめえが義政の前をチョロチョロすっから、こんなややこしいことになっちまったんだと言いたいね。もっとも、惚れたら地獄なのは、最初から知っていたけどな」
とうとう来たか、と城田は思った。いつか必ず知りえる日が来るとはわかっていて、それが今日だとはわかっていたが、それでも。自分が抱いて知るのではなく、連橋が他の男に抱かれている時に知るとは思わなかった。クラクションを鳴らした時に、自分の胸の中に、すごい勢いで、嫉妬という感情が逆巻いていたのに気づいた。時々感じていたソレとは比較にならないほどの、ある意味それは激情だった。そして、それを煽ったのは、連橋の視線だった。無意識ではないあの視線の意味を、誰より強く知っている筈の連橋は、それでもまだ、真実を言わない。自分達は似ていて、でも違うところもある。そして、こだわる部分も違う。それが、今の状況だ。
「まあ、いいさ」
城田は呟いた。
「なにがいいんだっ?勝手に納得してるんじゃねえよっ」
すぐさま連橋が追求してきた。
「なに言ってんだ。追求してくんじゃねえよ。今言っても、困るのはおまえだぜ。わかってんだろ」
「わかんねえよ、全然。てめえの頭の中が、俺にわかる筈ねえだろ。いい加減に車を停めろ」
ヒステリックな連橋に、城田は肩を竦めた。
「そうだな。まだ地獄に行くには早すぎるからな。戻してやるよ。おまえを亜沙子ちゃんとひーちゃんのところに」
城田はハンドルを切って、ユーターンした。それから、無言の走行が続いた。一時間以上の沈黙の最中、二人はとうとう言葉も視線も交わさなかった。車がアパートの前に辿りつくと、連橋は即座に後部座席を飛び出した。
「連橋」
城田は、その背に向かって声をかけた。
「恒彦さんから守ってやったことならば、感謝しなくていいからな」
からかうような城田の声。
「はなから、してねーから安心しろよ。第一、元はといえば、てめえのせいだっ」
フンッ、と連橋は鼻を鳴らした。
「待て、連橋。もうひとつ聞いていけ。重要なことだ」
「うっせえな。なんだよ。一度に言えよ」
気だるげに連橋は、城田を振り返った。
「おまえが隠すならば、俺は暴く。いつか必ずな。おまえの口から言わせてみせる。もうひとつの戦いが始まったと思いな」
城田の言葉に、連橋は眉をつりあげた。
「意味不明だっつーんだよ。脳味噌解体しやがれ」
高級車なのを構わずに、連橋は、後部座席のドアを思いっきり蹴飛ばした。そのあまりの勢いに、ドアは、無残にも凹んでしまった。
「威勢いいな。惚れ直したぜ。それでこそ口説き甲斐があるってもんだぜ。これからが楽しみだ。じゃーな」
そう言って、城田はさっさと車を発進させていった。
連橋は時間も考えずに、アパートの鉄製の階段を勢いよく駆け上がった。カンカンッ、と金属の音が夜明けの空気に響いた。だが、残す数段に至って、その勢いが消えた。パタリと連橋は足を止めた。そして、振り返った。もう川べりの道に、城田の車は見えない。
ダラリと連橋は手摺に体をもたれかけさせて、俯いた。体の数箇所がギシギシと痛んだ。もうほとんど慣れたと言っていい痛みだったが、それとは別に、痛みがある。ガッ、と連橋は首筋を押さえた。愛撫のような噛み傷。
「くそっ」
思わず呟く。
隠さなければ、ならない。一度は互いの了承で消した気持ちだった。だが、今度はもう違う。消そうとするどころか、相手は火を大きくしようとしている。なぜそんなことが出来るのか。面白がっているのか。連橋には理解出来ない。絶対に相容れない道を行こうとしているのは、互いにわかりきっているのに。なぜ、そんなにややこしいことをあえてしようとするのか。連橋には城田の気持ちがわからなかった。受け入れてしまえば、簡単に崩れてしまうものを、連橋は絶対に認めたくなかった。隠さねば。この先も、ずっと。俺だけは隠さなければならない。
それでも、ひとつ。隠しても自分が知っておかなければならないもの。あの男に抱かれながら、城田に向けて放った視線の真実を、城田は一瞬で理解した。別の道を歩きながら、その気持ちだけはどうすることもなく、どれだけ反発しようと、城田と一つの道になってしまう。
間違えるな。
連橋は小さく何度も繰り返した。俺は、間違えるな。アイツは、先生ではない。似てるだけだ。似てる、だけ。先生に似てる故の、これは間違った感情だ。切り離せ。
間違えるな・・・。
何度も繰り返しては、心を落ち着かせようと努力した。そして、残る数段の階段を昇った時。ガチャッとドアが開いた。
「にーちゃん?どったのぉ。こんな朝早く・・・」
目を擦りながら、亜沙子の部屋から久人が出てきた。どうやら、物音に気づいて出てきたらしい。
「ひーちゃん」
久人の姿を目にした時。
連橋は、城田の言った通り、これはもう一つの戦いが始まった、と思った。
続く
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