連橋優(レンバシ・ユウ)・・・近所の会社に就職。社会人一年目。18歳
城田優(シロタユウ)・・・・某大学一年
小田島義政(オダジマ・ヨシマサ)・・・・某大学一年
流充(ナガレミツル)・・・連橋の親友。某大学一年。
志摩怜治(シマレイジ)・・・暴走族ジレンの頭
増山(マスヤマ)・・・暴走族グラスハートの頭。怜治の親友。
*****************第2部15話**************
電話がなった。たまたま近くに子機があったので、小田島が取り上げた。
「もしもし。ああ。ちょい待ってな」
城田は、ソファに寝転がりながら雑誌を読んでいたが、開いていた雑誌の上に子機が飛んできた。
「女」
うなづき城田は電話に出た。今夜のデートの誘いだったが、城田は丁重に断って電話を切った。
「行かねえのか?」
「今日はヤりたい気分じゃねえから」
あっさり城田は言った。すると、すぐにまた電話が鳴った。
「義政出てくれ」
「面倒くせえな。きちんと断れよ!」
舌打ちしながら、小田島は再び電話に出た。
「中井。ああ、俺だ。え、なんだって・・・。マジかよ。わかった。環にかけてみる」
ブツッと電話を切って、小田島は城田に向かって叫んだ。
「ソウマの環の車内電話に繋げ」
「どうしたっていうんだよ」
「環が、志摩とぶつかった。ジレン対ソウマだ。おっぱじめやがった」
小田島はソファから立ち上がった。
「環・・・。誰だっけ。ああ。アイツか」
城田は、近くにあった手帳をめくり、そこに書いてある番号を押した。
「ヤツ・・・。志摩の女に横恋慕していたことは知っていたが」
「大したもんだよ。女拉致って、思うようにいかなかったからって、輪姦しちまったってさ。やるじゃん」
小田島はヘッと笑った。
「どっかの誰かさんみてえだな」
回線が繋がったのを確認して、城田は子機を小田島に投げた。
「環か!?ああ、俺だ。てめえ、なにやってやがる!」
小田島は受話器に向かって、低く叫んだ。
連橋が、亜沙子の言った公園に辿りつくと、そこにはもう誰もいなかった。場所を変えたのだ。
「ちっ」
連橋は、すぐに踵を返した。公園の入り口で、ばったりグラスハートの増山と会った。
「よお、連橋。てめえも遅刻組か」
「ああ。ちょいとな」
「家にいなかったのか?流は出てるって聞いたけど」
「知り合いとメシ食ってたら遅くなっちまって。家帰った途端亜沙子に事態聞いてさ」
「そっか。まあ、俺の車乗りな。今舎弟どもに状況探らせてる」
親指で、増山は自分の車を指差した。連橋はうなづき、増山の車の助手席に飛び乗った。
次から次へと増山に入ってくる情報で、志摩達が今移動中だということがわかった。
『連中すげえ勢いで、飛ばしてる。切符切られそうな勢いだぜ。つーか、ソウマの環が逃げまくってるな』
「逃げられるかよ。女が絡んだ志摩公からなんてさ」
増山は、笑いながら受話器を置いて、連橋の横顔を見た。
「今日は別に計画的な戦争じゃねえよ。たまたまだったらしい。志摩達がいつもん所で飲んでたら、店に連絡入って。志摩の女の一人の、山田恵子っつーむちゃ美人のオンナ、取りに来いって。A公園だな。行ったら、恵子は裸で転がされていたってよ。むちゃくちゃ殴られていたらしくてな。見なくて良かったぜ、俺」
「その女。前から環がしつこく口説いていた女だろ」
「そうさ。志摩も目光らせていたけどよ。ちょい目離した隙にもっていかれたようだ」
増山が、バンッとハンドルを手で叩いた。
「そんでその場で即志摩がぶちきれて、環とおっぱじめたっつーことよ。どっちにも多少は兵隊いたからな。まあ、今回は規模小さいが、環がアレ呼び出したら大変なことになんだろ」
増山はタバコに火を点けながら、ゆっくりと連橋を振り返った。
「出てくるかな・・・」
「どうかな。理由が理由だろ。てめえの尻はてめえで拭いなってクールに決めてくれりゃこっちも助かるんだが」
連橋は、黙り込んだ。増山からタバコを一本もらって、火を点けた。コール音がした。
「なに?寺島・・・。ああ、あの廃工場跡か。おお、読めたぜ。あそこは、小田島家の土地だかんなあ。やっぱり、許可もらって逃げやがったな。わかった、追いつくぜ」
増山は、アクセルを踏み込んだ。
「やつらは、寺島工場の跡地に逃げ込んだ。寺島工場は、今は無人の廃工場だが、あそこは小田島の土地だ。勝手に入れないが、ご主人から許可もらえれば入れる。環は、間違いなく親玉に泣きついたな。まあ、やつらが出てくるかはわかんねえけどな。だが事態は親玉も知ったことになる。捕まってな。ヤツらが来ちまう前に、環をやんねえとえれえことになっちまう」
連橋はうなづいた。
「好きなだけ飛ばせ。俺も早く追いつきてえからな」
腕を伸ばし、連橋は手摺に捕まった。脚も踏ん張った。ギャギャギャと車体が派手に傾く。
「いきますぜーっ!」
増山が楽しそうに叫んだ。
「どこへ行く、義政」
「決まってるだろ。寺島だ」
城田が、小田島の前に立ちふさがった。
「てめえが行く必要がどこにある。あとは環に任せろ。たとえアイツが志摩にやられても、知ったことか。女絡みでおっぱじめたヤツなんざ誰も同情なんかしねえよ」
小田島は、城田の腕をバッと振り払った。
「相手はジレンだぞ」
「わかってる。それがどうした」
「だから行くんじゃねえかよ」
城田は溜め息をついた。
「連橋か。アイツが出てくるかもしれねえから、行くんだな」
「そうだ」
「余計行かせる訳にゃいかねえだろ」
グッと城田は小田島の腕を握りこんだ。
「いい加減にしろっ!連橋が出てきたところでなんだって言うんだ。今回は俺らの戦いじゃねえっ。関係ねえだろうが。関係ねえことに首突っ込んで、アイツを挑発すんじゃねえよ。またこの前みてえなことになりてえか」
「離せよ」
「いやだね」
力では、小田島は城田に適わない。両腕を押さえられ、小田島は身を捩った。そして、膝で城田の腹を蹴った。
「っく!」
城田の力が緩んだ。
「邪魔してんじゃねえよ、クソ犬っ!」
ドカッと城田を蹴っ飛ばし、小田島は部屋を飛び出した。
「義政っ」
振り返り、城田は腹を押さえながら、小田島の後を追った。
「義政、待て。義政」
長い廊下を走り抜けていく。
「来たくなきゃてめえはここにいやがれ。俺は。俺はアイツに会って確かめてえことがあんだよっ」
走りながら小田島は叫んだ。
「邪魔すんじゃ、ねえよっ!!」
城田は立ち止まった。廊下の途中で、不意に立ち止まった。離れていく小田島の背中。階段を駆け降りていく。城田は手摺にもたれて、階下を見下ろした。必死な顔をして、小田島は広間を通り過ぎていった。
「火に油を注いだか・・・」
呟き、城田は前髪をかきあげた。もう手遅れだ、と思った。確かめるまでもない。小田島は、堕ちた・・・と城田は思った。連橋、という存在が自分に近づくだけで、あれほど興奮してしまうのだ。体だけが目当てならば、どうにもならない事態に動きはしない。だが。あれは、違う。連橋という存在に対して、無意識に反応してしまってる。小田島は、連橋の存在に近づきたいのだ。会いたいのだ。とにかく、その匂いに触れたいのだ。それはまったくもって、単なる恋心と変わらない。会いたい、会いたい、会いたい。その姿を一目でもいいから、見たい。理由は?・・・恋だろ、それって。城田は笑った。
「冗談じゃねえっつーの・・・」
笑いながら、城田は階段を降りた。ゆっくりと玄関を通り過ぎ、車庫に向かう。だが、車庫はガランとしている。車が全て出払っていたのを知っていた。今日は、信彦が外出しているからだ。城田は、もう一つの車庫に向かう。バイクが置いてある。案の定、そこに小田島がいた。
「俺も行く。おまえは後ろ乗れ」
城田は、バイクを引き摺ってきた小田島に向かって、言った。
「俺はおまえの傍を離れる訳にはいかねえんだよ」
小田島はうなづいた。城田がヒラリとシートを跨いだ。
「寺島までは距離あっから。飛ばすけどさ。俺の腰、掴んで離すなよ。可愛い子ちゃんに会う前に死んじゃうからな」
後ろの座席に小田島も跨った。
「白バイに捕まるヘマしたら、ぶっ殺すぞ」
「じゃあ、オービィス壊してくれよ」
苦笑しつつ、ガンッと城田はバイクを発進させた。
廃工場は不気味な光に包まれていた。川よりも低い位置に立つその工場は、土手から見下ろせる。門は開きっぱなしになっていて、そこからやや離れたところに車やバイクが雑然と並んで、あちこちで人が動いている。
「これ、怖いぜ。入ったが最後、出られねえかもしんねえな」
増山は、自分の車を土手に止めた。入り口は、一つしかない。入る時も出るときも、そのなだらかな坂を通らなければならないからだ。
「こっからは走って中行くぜ」
「ああ」
増山と連橋は車を降りて、坂道を走った。門を潜り抜け、乱闘の場へと足を踏みいれた。
「いつ遭遇しても、こーゆー場面ってゾクゾクするよな」
増山が、言った。
「女にはぜってーわかんねえよな」
連橋も同意した。タッと二人は、ジレンとソウマの連中が入り乱れるその乱闘の渦の中に飛び込んでいった。ソウマの頭の環はまだ健在らしい。
「どけ、どけー。加勢にきたぜ、志摩公っ」
「増山。連っ!」
中央は、素手の殴り合いになっている。
「連っ!」
流の声も聞こえた。ドカッ、バキッと物騒な音があちこちから聞こえてくる。
「増山だ。連橋もきやがった」
ソウマの連中のひそめいた声が聞こえた。
「環はどこだっ!」
連橋は志摩に聞いた。
「知るかよ。びびって、そこらでチビってんじゃねえの。いずれにしても、雑魚ぶっ倒したら引き摺りだしてやる。尻洗って待っていやがれってんだっ!」
さすがに志摩の目も血走っていた。
「ちっ」
向かってくる敵に、連橋はガアンッと肘鉄を決めて、走った。流がやりあってる場所まで走り、合流する。背中合わせで、二人は応戦した。
「流。環見つけねえと話になんねえっ」
「って言ったってよぉ。わかんねえんだよ。途中で、手勢増やしたからよ、ソウマのやつら」
ガシッと流が、敵を蹴り上げて大地に沈めた。
「おらあ。てめえら、アタマどこへ隠しやがった。吐けよ、このヤロオッ!」
沈んだ相手の頭を掴んで振り回し、流が叫んだ。
「どっかにいるに決まってるだろ。俺だって知るかよっ」
「役立たずっ!」
バンッと流は男の頭を地面に叩きつけると、立ち上がった。流は羽織っていたシャツをバサッと脱いだ。額からは汗が零れ落ちていた。
「あぶり出してやっか」
連橋は、クイッと親指で雑然と並んでいる車を差した。
「はん・・・。隠れてるっつーのかよ」
「試してみる価値はあんだろ」
連橋はニヤッと笑った。
「おうさ。行こうか」
流は転がっていた木刀を拾いあげ、連橋に投げた。そして、もう一本拾いあげる。
「ステッカー貼ってあっからな。間違えたら、殺されるぞ、志摩先輩に」
「よし。最初のあの車は!?」
走りながら、流は、目を凝らした。
「ソウマ」
「おっしゃあっ」
連橋は叫んで、バッと大地を蹴った。ドンッと車のボンネットに飛び乗ると、木刀で思いっきり、フロントガラスを叩き割った。
「次は」
「次もソウマだよ」
言いながら、ヒョイッと二人は車から車へと飛び移った。
「今度は俺がやる」
ガッシャアンッと音がして、流の木刀がガラスを叩き割った。
「腕痺れた」
「骨折しちまうよ」
二人は笑いながら、次から次へと車を飛び移っていく。
志摩が殴り合いながら、豪快に笑っていた。
「俺のをやったら、てめえらぶっ殺すからなっ!アハハハハ」
笑いながら、まとわりついてくる敵を次から次へと殴り倒していく。
「死ねや、志摩」
「やだね」
背後で振り上げられた木刀を、志摩はクルリと振り返って右腕で受けとめた。鈍い音がした。ウッと志摩は顔をしかめたが、そのまま木刀を持った男ごと投げ飛ばした。倒れた男の背を足で踏みつけながら、志摩は額から流れてきた血を掌で拭った。
「俺の可愛い女を、てめえらで寄ってたかって虐めやがって。欲しいならば、正々堂々と俺から奪えばよかったんだ。それもできねー肝っ玉のちいせえ環よ!ぜってえ許さねえぞ!てめえ、出てこいや、おらあっ」
男から木刀を奪い、ブウンッと振り回して、志摩は吠えた。
「環は、なんでこんなことをしやがったんだ?欲しいならば抱いて。てめえ一人で抱き殺しちまえばよかったんだ。輪姦すなんてよ・・・」
城田はまとわりつくうるさい空気を振り払いながら、背後の小田島に訊いた。
「可愛さあまって憎さ百倍だって言ってたぜ」
「なんだって?」
風の音がうるさい。城田は訊き返した。
「可愛さあまって憎さ百倍。頑として言うことを訊かなかった女を殺したくなったが、殺せねえから、それに代わって輪姦させたって言っていた」
途切れ途切れに聞こえた小田島の台詞に、城田はうなづいた。
「だからおまえは、環に寺島工場を開放してやったんだな。おまえらは同志ってことか」
「なんだ?なんて言った、今」
「なんでもねえよ。そら、もう少しで着くぞ。連橋いなくっても、文句垂れるなよっ」
「うるせえ。アイツは絶対に来てる!」
その小田島の、どこか上擦った興奮した声は、城田の耳にしっかりと響いた。苦笑せざるをえない城田だった。
車の中に隠れていた環は、しばらくして流と連橋によって捕獲された。あとは、志摩が料理するだけだ。連橋は、ホッと息をついて、木刀を投げ捨てた。
「見ていかねえのかよ」
増山は、中央を指差した。環とソウマの連中らが纏めて大地に転がっていて、それを志摩や流達がゾロリと取り囲んでいた。
「興味ねえよ。あんなの」
「儀式みてえなもんだよ。まあ、流も渋々つきあってるみてえだけど」
「流は次期アタマだから仕方ねえだろ。けど、俺は興味ねえったら、ねえ。戻ってるぜ」
「わかった。気をつけろよ。もしかしたら、ソウマのやつらの応援が来るかもしんねえし」
「もう終わったんだ。今更来たって遅いぜ」
連橋は、背を向け歩き出した。背中では、環の絶叫が聞こえた。連橋は舌打ちした。のろのろと坂道をあがっていく。ただひたすら、静かな場所で、環や環以外の男達の悲鳴が聞こえる。坂道をあがりきると、土手にはさっきと同じように増山の車がぽつねんと置いてある。こんな真夜中もいい時間だ。土手には人など歩いていない。連橋は、増山の鍵のかかっていない車に乗り込み、後部座席に寝転んだ。目を閉じる。たった今まで暴れていたせいで、体の中の興奮が抜けていない。ドクン、ドクンと心臓が高鳴っていた。ざわざわと胸が鳴る。喧嘩の高揚のせいではない。それとは違う別のもの・・・。思わず握り締めていた拳をギュッと胸の上に置いた。
その時だった。前方から光線が来て、車の中を一瞬眩しく照らし出した。
「!」
驚いたが、連橋はすぐに体を起こさなかった。増山の言った通り、ソウマのやつらかもしれないからだ。連橋は、息を潜め、車の天井を見上げたままジッとしていた。
「一台、ある。誰かいるか?」
城田は目を細めた。
「誰もいねえ」
小田島は、城田の肩越しから、遠くにある車を目をこらしてみたが、車の中に人の気配はなかった。
「よし。おりろ」
「ああ」
小田島がシートから降りた。城田もバイクを停めた。そして二人は、土手から工場を見下ろした。
「あーあ・・・。勝負ついちまってるな」
「ジレンの勝ちだ」
「うわ、最悪」
城田は掌で目を覆って、停めたバイクに寄りかかった。
「志摩のオンナにだけはなりたくねえぜ・・・」
ここから、中央でなにが行われているかは丸見えだ。目がちょっとよければ、よく見える。
小田島は、ポケットからタバコを取り出し、火を点けた。
「連橋はいるか?」
「見えねえな・・・」
城田もタバコに火を点けて、身を乗り出して、工場を見下ろしていた。
「おりねえといけねえぞ」
「負け勝負の中にのこのこ行ったら、こっちが犯されちまう」
小田島は眉を潜めた。
「諦めて帰るか?それとも、どっかに潜んで、一目その麗しい姿でも見ていくか」
ひやかすように城田は小田島に言った。
「むかつくな、てめえはよ」
「なんも考えずに、ただ会いたいなんて気持ちだけで行動しやがるからだ、バカ」
「そんなつもりじゃなかった」
「じゃあ、どういうつもりだったんだ?」
と笑いかけて、城田はギクリとした。小さな音が、耳に飛び込んできたからだ。くわえていたタバコがポロリと落ちた。
そして、ハッと右を振り返った。
「!!」
連橋は、後部シートで身を潜めていた。だが、ゆっくりと体を捻り、シートの隙間から、光線の来た理由を探った。バイクだ。デカいバイクが前方に停まった。ライトが落ちた。
「!?」
まさか・・・と思った。ノーヘルの二人乗りのようだった。後ろに乗っていた男が降りて、運転していた男もシートから降りた。二人は揃ってバイクに身をもたれかけては、工場を見下ろしていた。連橋は、その時はもうすっかり体を起こしていた。シートに手をかけ、フロントガラス正面やや遠くに映る二人の男の姿を睨んでいた。そのうちに、男達がタバコに火を点けたようだった。ライターの灯り。照らし出された灯りの中には金色の髪が見えた。見覚えのある整った横顔。城田。そして、その横にいるのは・・・!!!
連橋は息を整えた。信じられなかった。二人、だ。たった二人。それも車ではなく、バイクで来た。やはり、来た。小田島はやって来た。くると思っていたのだ。諦めてはいなかった。絶対に来ると思っていた。だから・・・。だから、この胸は鳴っていたのだ。警鐘だったのだ。連橋は、いつも持ち歩いているナイフを確認した。確かにある。取り出し、右手に握り締めた。気づかれてはいけない。二人は、この車の中にいる俺に気づいていない。気づかれてはいけない。思ったよりも手は震えずに、ドアは滑らかに開いた。連橋は這うようにして車の外に出た。こめかみから一気に汗が吹き出した。心臓の音が凄まじい。連橋は思わず喉を喘がせた。
この夜。再び、この夜がやってきた。こんなチャンスはもうないだろう。誰も邪魔するヤツはいない。城田さえ!城田さえ抜ければっ!地面に片膝ついていた膝を、連橋は起こした。ゆっくりと立ち上がる。立ち上がった瞬間、砂利が音を立てた。気づかれてもよかった。今、この瞬間ならば。もう、走れる!そして、案の定城田は、この微かな音に気づいた。タバコが足元に落ちていく。そして。ヤツが・・・。ヤツが振り返る!!!
「!」
「!」
「!」
ドンッ!連橋と城田は同時に走り出していた。
城田。連橋。小田島。
無言だった。その瞬間に、この土手から音が消えた。
走ってくる城田。走ってくる連橋。一瞬のうちに体がぶつかりあう・・・筈だった。
ヒラリ。
連橋は、ヒラリと城田の拳を避けて、シャッとナイフを振り上げた。連橋は笑っていた。その横顔が、確かに笑っている。城田は避けた。避けて、反転して連橋を追った。
「義政、逃げろっ!」
だが、小田島は、その場から動かなかった。僅かな距離の筈だった。連橋の背。あの時と同じだ。そう。あの勝負の夜の時と同じ。熱に浮かされたような連橋の横顔。脇を走り抜けていく連橋。追う城田。
城田は思った。そうあの日の夜も、おまえは俺より先に走った。俺はおまえの背を見ていた。
なんの為に、ここにいるのか。なにがしたくて、ここにいるのか?
その答えを。
おまえと俺だけは、持っていた。そして。今また、その答えの為だけに、俺達は対峙する。
城田は歯を食いしばって大地を蹴り飛ばして、走った。連橋を追い抜く。小田島の前に両手を広げて立ち塞がる。
『アンタなんか、産まなきゃ良かった・・・』
『ざけてんな!てめえなんか・・・。生まれてこなきゃよかったんだ・・・』
『優ちゃん。僕は、優ちゃんが大好きだよ。僕がお母さんの代わりになって傍にいるから・・・。二度とこんなことしちゃダメだ。優ちゃんは僕と一緒に生きていくんだっ。一人ぽっちなんかじゃないよ』
『連橋。僕は教師になってよかったよ。もっと、もっと色々な生徒と出会いたい。僕は本当に教師になってよかった。これからも、ずっとずっと。教師でいたいと思っているんだ』
『君のお父さんよりお母さんより、僕は君を愛しているよ。だから、泣くな・・・、連橋。先生は君を愛してるよ』
俺達は、二人の男に生かされてきた。その男の為だけに、今まで生きてきた。
激しい連橋。一途な連橋。その瞳で、おまえはいつも小田島を見ていたのか。
堕ちる筈だぜ。なんて瞳だ。ああ、なんて色なんだ。なんて瞳だ。おまえは、強い。
城田。おまえのその瞳には見覚えがある。見つめて欲しくて、いつも見つめていた瞳。
そんな瞳で俺を見るな。ああ、どうしてその瞳なんだ。なんて瞳だ。おまえは、悲しい。
ズブリと音を立てて、ナイフが城田の腹に突き刺さった。
「どうして、いつも、おまえは、俺の邪魔をするんだあっ!」
連橋の瞳から、涙が溢れた。
「これが俺達の運命なんだよ。仕方ねえだろ・・・」
掠れながらも笑いを含んだ城田の声。
「城田アッ!」
小田島の絶叫が静かな土手に響き、辺りに音が戻ってきた。
夜は、まだ明けない。
第2部完・3部へ続く