連橋優(レンバシ・ユウ)・・・近所の会社に就職。社会人一年目。18歳
城田優(シロタユウ)・・・・某大学一年
小田島義政(オダジマ・ヨシマサ)・・・・某大学一年
大堀恒彦(オオホリツネヒコ)・・・城田の育ての親代わりの男。
櫻田夕実(サクラダユミ)・・・城田と大堀の元彼女。

*****************第2部14話**************
雨が降り出してきた。ポツリ、ポツリと。目の前の川面がさざめくほどではない、小さな降りだ。
そのうち遠くからバイクの排気音が聞こえてくる。連橋は、顔を上げた。バイクの音が止み、こらちに向かって男が走ってくる。
「連橋さーん」
「佐田」
連橋は手を挙げた。
「悪いな。いつも色々と」
「いいっすよぉ!憧れの連橋さんの頼みなら、どんなことでもきいちゃいますから!」
ジレンの仲間の一人、最近やっと高校にあがったばかりの佐多洋介は、テヘヘと笑った。
「なんもでねえぞ、んなこと言っても。で、どうだった?」
「はい。無事退院しやがりましたぜ。あのクソヤロー。傍にはしっかり城田と緑川がへばりついてやがって、迎えの車に乗り込んでサーッと帰っていきやがりました」
「そうか」
連橋はうなづいた。
「しっかし。あの小田島っつーのは、ホント、何様でしょうかね。俺、アイツが一人で歩いているところ今まで見たことねえっすよ。どこ行くのも、城田か、ボディガードみてえな男が何人かくっついてるっす」
「小田島はキチガイだからな。一人にしておくとなにするかわかんねーから見張ってねえと・・・ってヤツじゃん」
連橋が言うと、佐田は鼻を鳴らした。
「確かに、それは言えてるかもしれませんね。ホント、隙のねえ家っつーか。家も警備万全で、門番とかいやがるんですよ。そうそう。この前初めて見かけましたよ、門の前で。大堀恒彦。ほら、組長だっていう・・・」
「ああ」
連橋は髪をかきあげた。自分を犯したあの刺青の男が、小田島家お抱えの大堀組というヤクザの一員であることを大分後になってから連橋は知った。それから、誰かが大堀恒彦は、組長だという噂があるとも言っていた。
「まあ、あんなヤツがウロウロしてるんですからね。家の方に押し入るのは無理ですよ」
「んなこと最初から考えてねえよ」
連橋は、ポケットからタバコを出した。
「吸う?」
「あ、すんません」
まだ雨はひどくない。とりあえず二人でタバコに火を点け、一服した。
「いずれにしても、あのキチガイが退院してきたってことは、頭に入れておかねえと」
「そうっすね。亜沙子さんとかひーちゃんとかにきちんと見張りつけておかねえと」
佐田はウンウンとうなづいた。
「佐田。うちでメシ食ってく?」
「え。マジっすか・・・。すげえよばれてえけど、俺これから志摩さんに呼び出しくらってて」
「そっか。なら、また今度な。おまえには色々と動いてもらってるし、今度ちゃんと礼するからよ」
「礼ならば、手合わせでお願いしますよ。俺、強くなりてえし」
パンッと佐田は右の拳を左の掌にぶつけた。
「いいぜ。つきあってやる」
連橋はニヤッと笑った。
「絶対ですよ。約束ですからね。んじゃ、俺行きますから」
「このことは志摩と流には内緒で頼むぜ」
「了解ッス」
ちゃらけて敬礼などして、佐田はクルッと踵を返して土手を駆け上がっていった。その後姿を見送ってから、連橋は再び川面に視線を落とした。タバコはふかさずに、口にくわえたまま、ボーッと水面を眺めていた。

小田島への憎しみを忘れていた訳ではない。この前犯され、そしてあの時自分の体を支配した憎悪は本物だ。自分の中には、いまだに消える筈のない憎しみの火種がある。『時を待て。必ずその時は訪れる』そう思って、日常を過ごした。あせることはないのだ、と。自分の傍には、久人という慈しむべき存在もあったから。過ぎていく時間は、決してもどかしいものではなかった。城田に邪魔されたあの夜。小田島を、堂々と、そして確実に仕留めることが出来ると思ったあの夜の為に、自分は1年も潜んだのだから・・・。いつか再び、あの夜と同じ状況が来るのだ、と信じていた。けれど。もう時間がない・・・と連橋は思った。このままでいたならば、被害は自分だけでは留まらなくなってくる。久人、亜沙子、志摩兄妹、流。小田島達の牙は、自分以外にも向けられる。小田島の参謀、城田がハッキリと宣言したからだ。城田は知っているのだ。自分に向けられる攻撃よりも、周りに向けられる攻撃の方がより効果があることを。自分が退くことが出来ない以上、周囲を巻き込むのは必至だ。
「ちきしょう」
時間がない。連橋はギリッと唇を噛み締めた。だが、たった一人で踏み込んでいくには、小田島という敵は大きすぎる。密かに佐田に集めてもらっている小田島の周辺の情報は、連橋を落胆させる。やはり。あの夜を逃したことは大きかった。今更悔いても仕方ないが、それでもやはりあの夜だったのだ。たった一本の木刀に邪魔されたあの夜。だが、その後に、どうして自分の体は動かなかったのか。木刀に突き刺さったナイフを抜き、小田島の体に突き刺さなかったのか・・・。答えはこの体が知っている。小田島の首にコードを巻きつけ、絞めた時。力を込めて絞めた時。人を殺すという恐怖が全身を濡らしたのに気づいた。怖い。罪だ。引き返せ。ありとあらゆる感情が一瞬のうち交錯した。その時のことを思い出すと、今でも足が震える。こうやって・・・。連橋は自分の足を見下ろし、膝がガクガクいっているのを見て、思わず笑った。
「情けねえな・・・」
その場にへたりと座りこみ、連橋はタバコを揉み消した。
「早く・・・。なんとかアイツを、またあの状況に追い込まなきゃいけねえ」
目の前に小田島の腹がある。そこへナイフを突き立てれば終わる。そんな場面。想像して、連橋はハッとした。あまりに唐突な考えが頭を過ぎって、しばし呆然とした。一番てっとり早いのは・・・。考えて、連橋は笑った。その作戦はあまりに滑稽すぎる。
「てめえの体使えばいいってことかよ」
誰にも迷惑をかけない。そんな状況を作り出すことは確実に出来る。それには、小田島とセックスすればいいだけだ。簡単なことだ。誰も巻き込まない。人質を取られて、ではなく。合意の上でセックスしてやるって誘えば、小田島は喜ぶに違いねえ。どこが気に入ったのか知らないが、あのバカは男同士でのセックスを楽しんでやがるのだから。
「それで、オシマイ・・・」
連橋は呟いた。この体が、溺れる前に。今ならまだ間に合う。男にぶち込まれるセックスという行為が快感になってしまっていない今ならば。痛みが勝る今ならば。
「・・・」
だが。前回、あんなふうに小田島を傷つけた以上、城田が黙っているかどうかわからない。幾らセックスの間だけ、と言っても二人っきりにはさせてもらえないかもしれない。いや、きっとそうだ。城田が傍にいたら、絶対に邪魔されてしまう。小田島をやる前に、自分が殺されてしまうかもしれない。けれど・・・。小田島が城田に命令すれば・・・。「二人っきりにしろ」と、アイツが城田に命令すれば・・・。命令するように仕向けることが出来れば・・・。小田島に命令させるようにするには、俺が小田島に・・・。
「吐きそうだぜ」
本当に吐き気が込み上げてきて、連橋は掌で顔を覆った。こんなことでしか、小田島と向き合えない自分の立場が悔しかった。終わりよければ全てヨシで片付けるにしては、あまりに屈辱的だった。他に方法はないか・・・。連橋は虚ろな目で再び水面を見た。いつのまにか、水面がさざめている。
「・・・」
顔をあげて空を見上げた。すると、顔の上に雨粒が容赦なくボタボタと落ちてきた。思わずビクッと目を伏せた。
「つめてえ・・・」
雨が酷くなっていた。それすら気づかずに自分はずっと考えこんでいたのだ。服ももうかなり濡れていた。いきなり襲ってきた寒さに連橋は堪えきれずにブルリと体を震わせたが、その体の震えは寒さだけではないことに気づいていた。体がブルブルと震える。
「アハハハ。バカみてー、俺」
泣きたい、と思った。泣いて、泣いて、泣いて、しまいたい。流。気づいているんだ、俺、本当は・・・。俺は、本当に、本当に、バカだってこと。
「連ちゃーん!」
土手の上の方で、亜沙子の声。
「にーちゃん。かさあ。かさもってきたよー」
久人の声。
二人の声を聞いた瞬間に、連橋の体の震えがピタリとおさまった。
「ああ。今行く」
松葉杖をついて、連橋は立ち上がった。遠くに霞む、二人の姿。亜沙子と久人。この二人だけは、なにがなんでも守らなければならない・・・と連橋は思った。亜沙子がさす赤い傘と、久人がさす黄色い小さな傘。その色を瞳に捕らえながら、連橋は掌で目を拭った。空から瞳に落ちてきた、雨、を拭う為に・・・。


「ええ?Wホテル??俺、場所知らないけど」
「いいから、いいから。適当に行けば着くわよ。だから、よろしくね」
「匡子さん。適当って、そんな」
「今日はよろしくね、連橋くん」
「はあ」
業務用のバン。その白い車に、和服姿の楚々とした恵美子が乗り込んできた。
「リクライニングとか出来ませんよ」
「いいわよ。気を使わないで」
ニコニコと恵美子は微笑む。
「んじゃ、適当に行きます。迷ったら、すんません」
連橋はアクセルを踏んだ。足は、もう、かなりいい。
「適当によろしくね」
なにがどうなったのか。連橋にはよくわからない。ただ、仕事中に雇い主の匡子に呼び出され、「私のお友達をWホテルまで連れていってあげて」と言われたのだ。雇い主には逆らえないものの、連橋は地理に疎い。だが、それでもいいと言うので、とりあえず車を発進させた。
「なんの用なんですか?その格好だと結婚式とか・・・」
連橋は、恵美子の横顔に訊いた。
「あら、やあね。結婚式だったら、もっと綺麗な格好していくわよ」
うふふと恵美子は笑う。だが、連橋の目には、十分綺麗な恵美子が映っている。清潔に結い上げられた髪、高価そうな着物。和服美人って、こういう人のこと言うんだろうなあ・・・と連橋は思っていた。大人の女に有りがちな、香水の匂いが車内をふんわりと流れた。
「あの。タバコいいっすか?」
連橋がことわると、恵美子はうなづいた。
「私にも頂戴」
「吸うんですか?」
「女のタバコは嫌い?」
「いや、別に。どうでもいいけど、恵美子さんは吸わない気がして」
恵美子は、一本手にして、口にくわえた。連橋が右手でハンドルを握り、左手でライターを持ち恵美子に火を分けた。
「苛々した時はすいたくなるのよ」
「あ、俺も」
「連橋くんも苛々してるの?」
「最近はね。ずっと苛々してる」
恵美子は、そう、とうなづいて小さく笑った。
「私もね。お父様のお使いで今日はWホテルに行くんだけど・・・」
お父様ときたもんだ、と連橋の心の中で口笛を吹いた。恵美子は、匡子の知り合いだ。なんでもすごい金持ちのお嬢様だという話だ。ボランティア活動で知り合ったという。駅前の土地は、すべて恵美子の家の持ち物だというようなことも聞いたことがある。外見からして、もう確実にお嬢様だとは思っていたけれど、こうして話してみると、間違いなくお嬢様だと思った連橋であった。
「連橋くん、聞いてる?」
「あ、すみません。全然聞いちゃいなかった」
へへっ、と連橋は笑った。
「やあね、もう。まあ、いいわ。それにしても、本当にすごい髪の色ねぇ。匡子ちゃんのところの充くんは、ちょっと不良だって聞いたけどあの子の髪の毛は真っ黒なのに」
「流と一緒にしないでくださいよ。あっちは完全に不良・・・。つーか、不良って・・・。まあ、いいや。不良だけどさ。俺は別に不良じゃないから」
「あら、違うの?」
「そう見えるんだ」
「見えるけど。でも、違うわね。貴方はいい子よね。仕事中にいきなり呼び出されて、知りもしないところへこんなオバサン乗せてけって言われてもやな顔一つしないで」
ピクッと連橋の片眉があがり、どこかからかうように、恵美子に聞いた。
「・・・フォローしておくべき?そのオバサンってとこ」
「幾つよ、連橋くん」
恵美子が連橋の横顔をジッと見ていた。
「もうすぐ19」
「じゃあ、言われても仕方ないわね。私、もう35だもの。いいわ、フォローしなくて」
拗ねたように恵美子は言いながら前を向いてしまい、バックの中から出した扇でパタパタと顔を仰いだ。
「見えないっすよ。35なんて」
すると、恵美子はパッと連橋を振り返った。
「いい子ね、連橋くん。ホテルについたら、ご飯奢ってあげるわ♪」
「すげえ嬉しいッス」
ハハハと連橋は笑った。恵美子は話しやすい女性だった。お嬢様独特のポヤンとしたところがありながらも粋な感じもする。それに、あまり人見知りしないのだ。
「俺ってすげー!一発で来ちまった」
一度も迷わず、連橋はWホテルに無事恵美子を連れてきていた。
「タクシーの運転手になればいいのよ。すごいわ。おかげで時間が余ったぐらいよ」
恵美子も喜んでいる。腕時計を見てそう言ったので、待ち合わせの時間までには、十分余裕があるようだった。
「私ね。一度このホテルでお茶したかったのよ。お友達に噂を聞いていて。時間があるから、連橋くん、つきあって頂戴よ」
グイッと恵美子が連橋の腕を引いた。
「うわっ。ちょっと待ってくださいよ。俺、普段着。こんな高級ホテルなんて」
「気にしない、気にしない」
まるで少女のようにはしゃぎながら、恵美子は連橋をホテルのロビーに連れ込んでしまった。


「うっ」
見てて吐きそう・・・と連橋は思った。
「あれもこれもって欲張っちゃったわ」
恵美子は、目の前にズラリと並んだ小さなケーキ達を見て、目を輝かせている。
「私ね。こう見えてもあんまり体が強くなくて。外出禁止令が出ちゃうぐらいなの。だから、久し振りの外で、しかもおいしそうなケーキがたくさん。傍には若くて可愛い男の子もいるし。幸せ〜」
パクパクと恵美子は、ケーキを食べ出した。ここは、ホテル内のケーキ食べ放題の喫茶店なのである。甘いものが苦手な連橋は、さっきからずっとコーヒーで頑張っていた。恵美子は、あっという間に平らげると、また席を立ち、ケーキを取りに行ってしまう。「お嬢様のくせに、欲張りな人だよな」と呟いてしまったが、睦美に言わせると、女にとって甘いものは別腹なんだそうで、そーゆーもんなのかもな、と連橋は一人納得した。
「ちょっと待ってよ。またそんなに持ってきたの?」
恵美子は両手に皿を持っている。
「そうよ。だって、たくさんあるんだもん。迷ったから全部持ってきたの」
「食べきれないだろ、恵美子さん」
「余ったら連橋くんが食べればいいのよ」
ケロッと恵美子は言う。そして、再びパクパクと食べ出した。
「うえ〜」
連橋は思わず自分の喉を擦ってしまう。と、恵美子がフォークを口にしながら、腕の時計を見た。
「あら、やだ。もう時間だわ。行かなきゃ」
「え゛!?」
「いやーん。遅刻したら、先方に悪いイメージだものね。お父様に怒られてしまうわ」
ナプキンでそそくさと口を拭き、恵美子は立ち上がった。
「ちょっと待ってよ、恵美子さん。このケーキどーすんだよっ」
「連橋くんが食べて頂戴」
「む、無理言わないでくださいよ。俺、甘いもの苦手なんですから」
「まあ・・・。じゃあ、どうしましょう」
恵美子は頬に手をやり、考えこんでしまう。
「残したら罰金かしらねぇ」
「か、金持ってねえよ、俺」
「お金はあるけど。でも勿体無いわあ」
恵美子の呟きに、連橋はハッとした。頭に久人が浮かんだ。
「持って帰っていいならば、俺・・・。このちっこいケーキとか、プリンとか。弟に持っていってやりてえな・・・って」
「まあ。ナイスアイディアね」
パンッと恵美子は両手を合わせた。
「今係の人に言って、なにかいれるものを持ってきてもらうから。詰めて帰りなさいな」
「で、出来るのかな、でも・・・」
「お金払うんだもの、平気よ。じゃあ、連橋くん。もう少し待っててね」
「ま、マジ!?」
パタパタと恵美子は行ってしまう。
「無理だろ・・・」
連橋は一人呟いた。だが。しばらくして、ウェイターがしずしずとやってきて、連橋の前に箱を置いた。
「こちらお詰めくださいませ」
「え!い、いいんですか?」
「はい。どうぞ。ただし、この箱におさまる程度でお願い致しますね。あと、あまりおおっぴらにはしないでくださいませ。幸いこのお席は、人目につきにくいお席でございますけれど」
「わかった。サンキュー」
思わず連橋は、ニコッとウェイターに向かって微笑んでいた。久人に持っていってやれるのが嬉しかったからだ。
「どういたしまして」
ウェイターも、満面の笑顔でうなづいた。
連橋は、フォークで小さなケーキを箱に詰めていった。さすがに食べ放題というぐらいで、ケーキは小さく出来ている。普通サイズのケーキじゃ1個か2個で腹いっぱいになるから、こうやって小さいんだよな・・・と思いながら、丁寧にケーキを詰めていく。久人の喜ぶ顔を想像したら嬉しくなり、連橋は鼻歌を歌っていた。
「いらっしゃいませー」と店の係の声に、連橋はビクッとした。いけねー、コソコソやんなきゃいけねえんだよな・・・と思って、連橋は箱をテーブルの壁に押しつけて、ポソポソと作業を続けた。見る人が見れば、そんなやり方の方がよっぽど怪しかった。
「あ。熊じゃん」
プリンの上に小さな熊の形をしたチョコの飾りが乗っていた。
「アイツ熊好きだからなー。喜ぶだろ」
クススと連橋は笑った。よし、完成!と、綺麗にびっしり詰められた箱の中を見て、連橋は満足した。俺って、手先器用かも・・・と自画自賛しながら、まじまじと箱の中のケーキを見つめていた。
「こんなとこでコソコソなにやってんの?」
と、いう背中からの声と共に、目の前にあった箱がグシャッと潰れた。
「!」
連橋はビクッと振り返った。自分の顔のすぐ上には、城田の顔があった。連橋は、慌ててまたテーブルを見た。ケーキの入った箱は、城田の拳で、無残にも破壊されていた。
「やっぱりおまえかよ・・・」
城田は、潰してしまった箱の中にはいっていたケーキのクリームが、拳についてしまったので、それを舌で舐めながら、さっきまで恵美子の座っていた連橋の正面の席に腰かけた。
「よお。ビンボー人。余ったケーキを箱詰めかよ」
城田は、拳を舐めながら、ニヤニヤ笑っていた。
「なんでてめえがこんなところにいるんだよ」
連橋は、キッと城田を正面から睨んだ。
「それはこっちの台詞」
テーブルの下にいれるにはあまるほどの長い脚だったので、城田は脚を横に出した。
やや斜めを向きながら、城田も連橋を正面から見た。城田のその射抜くような視線に、連橋は思わず目を反らしていた。城田は、また、拳を長い舌で舐めはじめる。ピチャピチャと小さな音が響いた。その音が耳に響き、連橋は舌打ちした。城田は目を細めながら、顔を背けてしまった連橋を見つめていた。その口の端が笑っていた。
「ああ。なんか甘ったるくて気持ち悪くなっちまう。連橋、舐めてくんねえ?」
城田は、濡れた拳を連橋に突きつけた。
「ふざけんな」
パンッと連橋はその拳を弾いた。クククッと城田は笑って、手を引っ込めた。
「おまえさ。入り口から丸見えだぜ。コソコソやってたの」
「嘘だね。見えなかった筈だ」
「そ、嘘。見えなかったよ、確かに。けど、俺にはわかった。なんか、おまえの匂いしたからな」
城田は肩を竦めた。
「犬だからな。鼻きくんだろ」
フンッと連橋も負けずに笑った。
「奇遇だな」
連橋の言葉を無視して、城田はそう言った。
「てめえ一人かよ。ご主人様も一緒か」
「気になる?んなこと言ったら、義政が喜んじゃうぜ。今度は連発でお願いします♪なんて、おまえのことまた拉致っちゃうかもね」
「くだんねーことヘラヘラ言ってんじゃねえよ。さっきからなに笑ってんだよ、てめえ」
「おまえに会えたから」
「あ?」
「思いがけないところで、おまえに会えたから。舞い上がってるんだよ、俺」
城田の台詞に、連橋は唖然としてしまう。
「知ってたけど、バカだな。てめえはよ」
ヘッと連橋は鼻で笑ってやった。城田は椅子を軋ませながら上半身を折って、連橋を覗きこんだ。
「この席の相手は誰?女の子?今、トレイかなんかか?」
「うっせえな。てめえにゃ関係ねえだろ」
城田は、連橋の指が、チョコレートの小さな熊の形をした飾りを拾い上げたのに気づいた。それだけは、城田の拳に崩壊される前に飛んでいったらしく無事だったのだ。連橋は、ジッとその飾りを見ていたが、やがて目を伏せた。
「箱の中身はひーちゃんへのおみやげだってことか」
城田の言葉に、連橋はあからさまにムッとした。
「気安くひーちゃんなんて呼ぶな」
「そりゃ悪かったな」
そう言うと、城田は席を立ってスイッと行ってしまった。
「・・・なんなんだよ、いきなり・・・」
チッと連橋は舌打ちした。熊の飾りを掴んだ指が、いきなりガクガク震えた。
「なんでアイツが、んなとこにっ!」
バンッと連橋は拳で、テーブルを叩いた。せっかく綺麗に詰めた箱が粉々だ。ちきしょう・・・。せっかく久人へのみやげだったのに・・・。連橋はうつむいた。だが、フッと気配を感じて顔をあげた。
「なんで戻ってくんだよっ」
「もらってきてやったんだろ」
城田は、片手に箱を、片手にケーキの入った皿を持っていた。
「てめえが食う為の箱詰めならばぶっ壊しても気持ちいーけど、ひーちゃん用だったら、可哀相だもんな。アイツ、食い意地張ってるようだしさ」
言いながら、城田はスイスイとケーキを箱詰めしていく。あまり時間をかけずに、さっき連橋がやったように、箱にはキッチリと綺麗に色とりどりのケーキがおさまった。
「どう?」
「うるせえ」
バッ、と連橋は城田から箱を奪った。
「さっさと消えろよ」
「つれねえことを言うなよ」
城田は手を伸ばし、連橋が飲みかけのコーヒーカップを持ち上げた。
「それは俺のだ」
「だから飲むんだろ」
まだ半分は残っていたコーヒーを、城田はグイッと飲み干してしまった。
「間接キスになったかな。おまえがどの辺に口つけていたか知らねえけど」
「気色わりーこと言うな」
「なんでここにいるんだ」
「てめえに話す必要はねえよ」
「相手、どこ行った」
「うるせえ。とっとと消えろ」
「どこへ行ったんだよ。誰と来た」
城田が横にずらしていた長い脚をゆっくりとテーブルの下に差し入れた。そして、開いていた連橋の脚の間に、右足を滑りこませた。それに気づいた連橋は、慌てて脚を閉じようとしたが、遅かった。両脚で城田の右足を挟んでしまい、ギョッとして、慌てて開く。
「脚どけろ。邪魔だ」
「脚でごめんな。もっと別のモンだったらよかったろ。どうせ脚の間に挟むなら」
「ざけたこと言ってンじゃねえよ」
右膝で連橋は城田の脚を蹴った。
「あのさ、おまえよ」
グイッと城田はまた上半身を折ってテーブルに乗り出し、連橋の顔に自分の顔を近づけた。
「明るいとこで見ても、おまえってなんかみょーにエッチな雰囲気醸し出してるよな。そのばっさばっさの睫とかさ、唇とかもうまい具合にマッチしちゃってるんだよな。だから、ついついエロい悪戯したくなっちまうんだよな」
城田は、とても楽しそうに言った。からかわれているのがわかるので、連橋は、怒りをグッと飲み込んだ。
「てめえはチンポに脳味噌くっついてるんだろ。女だけじゃ足らずに、男の脚の間に脚突っ込んでヘラヘラしてやがって。変態セクハラホモヤロー」
「他の男にこんなことしねえよ。おまえだからするんじゃん。おまえって、セックスアピールすげえのな。なんか今すぐ剥きてえよ」
「てめえの目、腐ってるんじゃねえのか。んなおかしなこと言うヤローはてめえだけだ」
「嘘だね。他のヤツにも言われたことあんだろ。気づくヤツは、絶対に気づく。だって、デロデロにでまくってるもん、フェロモンみてーなの。なんなんだよ、それ。とっとと消しな」
「!」
連橋は顔が引き攣るのをかろうじて堪えた。
「義政にゃ、それ毒なんだよ。勘弁してほしいんだよ。消せよ、てめえ」
「っ」
連橋はバッと近くにあったフォークを振り上げ、城田のテーブルに載せてある掌めがけてふりおろした。
「!」
ダンッとフォークが遠慮なくテーブルにブッ刺さった。
「残念でした。おまえってホント、顔の割にゃクソ短気な。おっかねえよ」
城田が舌を出した。フォークは、城田の人差し指と中指の大きく開いた隙間に、きっちりと突き立っていた。
「城ちゃん」
女の声が聞こえ、城田はハッと顔をあげた。
「やべ。時間切れだ。遊んでる時間なくなっちまった」
「せいせいするぜ」
連橋は、フォークを持ち上げ、立ち上がった城田を見もせずに呟いた。
「もう。どこへ行っていたのよ。まったく」
女は、城田の姿を見つけて、こちらへ歩いてきた。
「ごめん、ごめん。夕実さん。もう用終わったの?」
「うん。今ね。あら、お友達?」
夕実は、城田の前に座っていた連橋をチラリと見た。連橋も女を見た。連橋の目に映った女は、恵美子と同じぐらいの歳に見えたが、恵美子とは異なる綺麗な女だった。妖艶というべきか。城田と並んでひけを取らない色っぽい女だった。
「友達じゃないさ。思わずナンパ。あんまり綺麗な子だったからサ」
城田が連橋を見下ろしながら笑って言った。
「へえ・・・」
じろじろと夕実は連橋を見た。連橋は露骨に嫌な顔で夕実を見た。
「あーら・・・。この子、もしかして、連橋くんね」
連橋は、見知らぬ女に自分の名前を呼ばれて、驚いた。
「当たりでしょ。まあ、本当に綺麗な子だわね。坊ちゃんが血迷うのもわかるわ」
「でも、すげえ乱暴モンだぜ。義政なんか半殺しにされちまったしさ」
城田が笑いながらつけくわえた。
「うるせえな、城田。さっさと行けって言ってんだろ」
「名残惜しくてな。おまえと別れるにはよ」
夕実は、楽しそうに二人のやりとりを見ていたが、
「連橋くん。恒彦がよろしく言ってたわよ。また今度やろうなって。今度は亜沙子ちゃんも一緒にって」
「なに、この女・・・」
連橋は思わず夕実を睨みつけた。夕実は笑いながら、城田の背にヒョイッと隠れた。
「この前おまえをブリブリに犯した刺青のオッサンのカノジョだよ。まあ、俺のイイ人でもあったけどさ。という訳で、連橋頼むな。次に会うときまでは、そのデロデロしたヤツすっぱり消しておいてくれよな。俺までイカれちゃ洒落になんねーだろ。バイバイ」
城田は夕実の肩にさりげなく手を回して、去って行った。
「・・・なんだよ。一体・・・。なんでこんなところでアイツに会って、あんなことまで言われなきゃなんねえんだよっ!なんでだよっ!!」
ガアンッと連橋は、脚で城田の座っていた椅子を蹴飛ばした。椅子が派手な音を立てて倒れた。
「どうしました!?」
係のウェイターがこちらに向かって走ってくる。倒れた椅子を起こした。
「大丈夫ですか?」
「すんません。平気っす」
連橋は溜め息をついて、テーブルに突っ伏した。
アイツは本当に苦手だ。先生と良く似た目で、先生とまるで違うことを言いやがる。アイツの目をまともに見れねえ。ちくしょう・・・!!


そのうちに恵美子が戻ってきて、連橋は恵美子を自宅まで送って行った。噂どおり、恵美子の家はすごかった。駅前の土地が恵美子の家のものだというのも、たぶん真実だろう。
「ありがとう、連橋くん。今度、家に招待するわ。うちのコックが作る料理は美味しいんだから。弟さんとカノジョも一緒に是非」
「ありがとうございます。そん時はよろしくお願いします。それじゃあ」
ペコリと挨拶をして、連橋は恵美子の家を後にした。


連橋が家に戻ると、亜沙子が玄関で待ち構えていた。泣きそうな顔をしている。
「連ちゃん。大変よ。さっき流くんから連絡が入ったの。ジレンとソウマがとうとう交戦状態に入ったって。志摩さんのカノジョが、ソウマのやつらに・・・レイプされたって。輪姦されたって言って。志摩さん血相変えて殴りこみに行っちゃったの。流くん達も飛び出していったわ」
「ソウマと?だって、あそこは・・・」
「バックは大堀組だって話よ。まさかとは思うけど・・・」
亜沙子の顔色が白くなっていく。
「小田島!?ヤツは昨日退院してきたばっかりだぜ。それに・・・」
連橋は、さっき会ったばかりの城田を思い出した。あの様子では関わっているとは思えない。だが城田という男を、常識の範疇で計るには、危険すぎた。
「たとえ関係なくても、いずれは出てくるわ。だって、相手はソウマだもの!」
連橋はうなづいた。関係ねえで済ます筈はないのは百も承知だ。ソウマの頭は、小田島の舎弟だ。
「亜沙子。久人を頼む。誰が来ても、俺達が戻ってくるまでこのドア開けるなよ」
「うん。わかった。場所は、A町の公園よ。あの大きい公園」
「了解」
動き出した、と連橋は思った。この波は来るかも、しれない。小田島が出てくる。やつは、きっと出てくる。なにが起こったのかはわからない。けれど!小田島と城田は、この戦いにきっと、出てくる・・・!!連橋は、木刀を握りしめ、夜の町へと走り出していた。

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