連橋優(レンバシ・ユウ)・・・近所の会社に就職。社会人一年目。18歳
流充(ナガレミツル)・・・連橋の親友。某大学一年。
城田優(シロタユウ)・・・・某大学一年
小田島義政(オダジマ・ヨシマサ)・・・・某大学一年
大堀恒彦(オオホリツネヒコ)・・・城田の育ての親代わりの男。
大堀清人(オオホリキヨヒト)・・・恒彦の弟。大堀組・組長。またの名を川村清人(別れた妻の苗字)
櫻田夕実(サクラダユミ)・・・城田と大堀の元彼女。
志摩睦美(シマムツミ)・・・連橋の彼女
井上香澄(イノウエカスミ)・・・流の彼女
*****************第2部13話**************
「よ。具合はどうだ」
「いい筈ねえだろ」
そう言いながら、小田島は寝ていた上半身を起こした。城田は、見舞いの果物が入った籠をドサッとベッドに放り投げた。
「間に合わなくて、ごめんな。ひでえ怪我させちまった」
小田島の頭に巻かれている包帯を見て、城田は微かに眉を寄せた。
「・・・いいさ。おまえが間に合っていたら、連橋が死んでいたかもしんねえからな」
小田島は、籠からコロリと落ちたいびつな形をしたオレンジを手にした。
「殺しちゃだめか?」
「ダメだ。殺すンならば、俺が殺す」
きっぱりと言った小田島に、城田は苦笑した。前髪をかきあげる。
「連橋に惚れたンだろ。わりーけど、聞いてたぜ。盗聴するのってあんま気分よくねえけどな」
城田は、ベッドサイドに生けられている花瓶の花を人差し指で触れながら、鼻を鳴らした。
「熱に浮かされながらコクッてたな。たぶんアイツ、聞いちゃいねー」
小田島は、渇いた笑いを添えて、言った。
「聞いてても無視されるに決まってるだろ」
「そりゃ言えてるな」
「そんだけの目に遭わされても、まだ惚れてる?」
城田は小田島の手からオレンジを奪って、カシッと歯を立てた。
「・・・たぶんな。なんせ、寝ても覚めても、考えてることは一つだ。あんなに苦労して拉致ったのに、俺はアイツに一回しかぶちこめなかった、ちきしょう!だ」
小田島の言葉に、城田は吹き出した。
「殺されかけたのにな。おまえも大概、下半身でしか生きてねえヤツだよ」
「人のこと言えるか」
「なあ、義政。おまえ、連橋に惚れたってサ・・・。どこに惚れたの?まさか、アイツ自身、アイツの全てとか、くそあまっちょろいことぬかすんじゃねえよな」
城田の言葉に、小田島は目を見開いた。
「・・・」
答えない小田島に、城田は更に言った。
「体だけにしとけよ。穴だけにしとけや。おまえが連橋の体に惚れたっていうならば、幾らでもおまえがアイツ犯せるように手伝ってやるから。それ以上は望むな」
きつく、だが冷やかな城田の瞳を見て、小田島は舌打ちした。長いつきあいだが、城田のこういう瞳は、いつ見てもムカツク・・・と小田島は心の中で思った。なんでも見透かしたような嫌な目なのだ。
「それ以上ってなんだよ。俺が惚れてンのは、アイツの体だぜ。それ以外どこに惚れるってんだ。アイツのことなんて、体以外はなんも知らねえんだからな」
ムキになって小田島は言い返した。城田は、うなづいた。
「その言葉、忘れるなよ」
と、半分齧ったオレンジを小田島に放り投げた。小田島は、パシッとそれを受け取った。
「それ以上知りたいと思った時から、おまえは堕ちていくんだぜ」
グサリと城田の言葉が小田島の心に突き刺さった。
「うるせえ。知った口聞きやがって。俺に命令すんな」
「命令じゃねえよ。忠告だよ。俺は、おまえを愛してるんだからな。心配してんだよ」
「嘘つきヤロウ」
「なんで!?」
「おまえはおまえしか愛さない。俺は知ってる」
城田は、小田島の言葉にキョトンとした。そして、腕を伸ばし小田島の頭を撫でた。勿論、包帯の巻かれていない無事な部分を撫でたのだ。
「バカ言うなよ。俺は、自分が一番嫌いだぜ」
そう言って、その髪の毛にキスすると、城田は背を向けた。
「せいぜい、夢の中で連橋とイチャイチャしてんだな。また当分会えないだろうしな」
「やかましいっ」
バシッと、小田島は城田の背に向かってオレンジを投げた。ボンッと、オレンジが城田の背に跳ね返り、床に転がった。
「義政。忘れるなよ、俺の言葉」
振り返り、城田は低くそう言うと、小田島の返事を待たずに病室を出て行った。小田島は、静かに閉まるドアの音を聞きながら、無意識に親指の爪をギリリと噛んでいた。
夕実の店。
狭い店だ。いつ来ても。けれど、店のあちこちに飾られた花よりも綺麗な夕実がそこにいる。彼女は本当に綺麗だ。城田はいつもそう思う。自分らの年代の性欲の対象にしては、彼女は歳をとりすぎている。けれど、夕実の中にある『雌』の部分は、確実にいつも自分を刺激する・・・と城田は思っていた。
「こんばんは。久し振りね。けど、今日は日が悪かったみたいね」
夕実がグラスを片手に、城田の横に腰掛けた。
「引き返そうにも、目が合っちゃったから」
店の一番奥のソファには、恒彦が腰かけていた。客は彼一人だ。そのせいで、夕実の店で使っている僅かばかりの女の子達を独り占めしている。大好きな女どもに囲まれているくせに、恒彦はなんだか浮かない顔をしている。
「なんか、すげえぶすっくれたツラしてっけど」
コソリと城田は夕実に聞いた。
「大荒れよ。あのアホは・・・。まったくどうしようもないわ。これから清人さんも来るわよ。城ちゃん、可哀相に。兄弟喧嘩に巻き込まれるわ」
「嘘。してるの見たことねえよ。仲良し兄弟じゃん」
「あら?初めてなの?まあ、それは気の毒に。あの二人は本当はとっても仲悪いのよ」
フフフと夕実は笑って、城田のグラスに酒を注いだ。
「未成年の癖に、こういう店に違和感のない城ちゃんが怖いわよ」
「老け顔って、この前清人さんに言われた」
「まあね。そうよね。でも、私はアンタの顔好きよ。大好き」
夕実は、クイッと城田の顎を指ですくった。
「よく言うぜ、浮気女。俺がいねえ間に、あんなロクデナシの種植え付けたくせに」
すると、夕実はニッコリ笑った。
「罪な子ねぇ。城ちゃんって。私は何度も子供が欲しいって言ったじゃない。拒否したのは、貴方よ。いっつもきっちりゴムつけてサ。私はね。最高の男の子供が生めなければ、最低の男の子供が欲しかったのよ」
「・・・」
城田は夕実の横顔をチラリと見た。
「最高の男って、もしかして、俺?」
「愛してる、って何度も言ったわ」
「そんなの信じてなかったよ」
「だから罪だっていうのよ、アンタは」
クシャッと夕実は城田の髪を撫でた。その時、店のドアが開いた。夕実がハッとして、椅子から腰を浮かせた。城田もドアを振り返った。清人だった。舎弟を何人か引き連れていたが、その顔は見るからに不機嫌そうだった。上等なスーツに身を包んでいるが、相変わらずヤクザには見えない。そこらのエリートサラリーマンのようだった。だが、ポケットに手を突っ込んだままの、無気力な歩き方。城田は、眉を寄せた。『やべえ。清人さん、機嫌悪い・・・』そう思って、ゾッとした。清人は立派な二重人格者なのだ。
「なんの用だよ、兄貴」
清人は、一番奥のソファには行かず、手前のソファに腰掛けた。ズラリとその背後に、舎弟達が並ぶ。すぐに夕実がおしぼりを持っていく。清人は、それを受け取り、目で夕実に挨拶した。そして、チラリとカウンターにいる城田を見たが、城田の会釈を清人はきっちり無視した。
「こっち、来い。清」
「やだね。てめえが来いよ」
「なんだ、その不機嫌なツラと声は。そんなに呼び出されたのが不服か」
恒彦の大きい声が店の中に響いた。
「当たり前だろ。俺は、女の腹の上にいたんだよ」
清人の言葉に、城田はなるほどと心でうなづいた。清人は、女との情事を邪魔されて機嫌が悪いのだ。女が絡むと厄介なのは、男の性だ。
「それがどーした。兄上の呼び出しだぞ。それ以上重要なモン、てめえにゃねーだろ」
そう言っているものの、恒彦は奥のソファから立ち上がり、清人の前のソファに移動してきた。張り詰めた空気が流れる。夕実は、手際よくテーブルに酒のセットをすると、逃げるようにテーブルから離れて、城田の横に戻ってきた。
「なんの用だよ」
清人がタバコを咥えると、ホステスよりも素早く舎弟がタバコに火を点けた。
「俺はな。今日、どっかの知らねー女に腹刺されそうになったぜ」
恒彦は、自分の腹を叩きながら、低い声で言った。片方の手で水割りのグラスを掴んだ。
「自業自得だろ」
清人は、タバコの煙をスーッと吐き出した。
「俺が女に腹刺されるよーなドジ踏む筈ねえだろ」
恒彦も、タバコを咥えた。恒彦と一緒にソファに移動してきたホステスがすかさず火を点ける。
「その昔。夕実ちゃんの足に鉛玉ぶちこまれた事件。ありゃ、てめえの女絡みの事件だろうが。忘れたか、タコ頭」
清人の言葉が終わると同時に、恒彦は持っていたグラスの中身を清人にぶちまけた。
「生意気な口叩いてンじゃねえよ。ああ!?あげ足とって、話進まねえだろ、コンニャクヤロウが」
夕実は、「まるでガキの喧嘩ね」とクスクスと笑いながら城田に囁いた。城田もうなづく。
ポタポタと頭から雫をたらした清人は、恒彦を見て、ニッと笑った。舎弟達が慌ててホステスから受け取ったおしぼりで清人の頭を拭いている。
「だから、なんだよ。その女がなんだっつーの?」
笑いながら、清人は、長い足をテーブルにドカッと乗せた。恒彦が、その足を思いっきり、手で払った。ガタッと清人の体がソファから崩れ落ちそうになり、舎弟がギョッとしながら清人を支えた。
「ふん。やっと吐かせたらな。例のだよ、例の。カナモリ。直接は関わってねえみたいだが、裏で手を回してやがる。おい。また金森だぜ。これはどーゆーこったよ。信彦は金森とは関わってねえって言う。したら、てめえんとこしか考えられねえだろうが」
バアンッと恒彦はテーブルを拳で叩いた。ホステス達がヒッと小さく悲鳴をあげた。
「だから。何度も言うように、うちは関係ねえって言ってんだろ。どこ叩いたって、金森とぶつかりあうよーなシロモン出てこねえんだよ。末端弾いたって、出てきやしねえよ。徹底的に調べたんだ。タマかけたってイイんだぜ、兄貴」
「はん。てめえのちっせえタマなんざいるか!」
「悪かったな」
バシャッと清人も、水割りを恒彦にひっかけた。ホステス達が今度こそ大きな悲鳴をあげた。彼女は、夕実を縋るような目で見た。夕実は立ち上がり、タオルを手にして恒彦の傍に行った。
「勘弁してよ、恒彦。兄弟喧嘩ならよそでやって。他のお客様が帰っちゃうわ」
濡れた恒彦の髪を、夕実はゆっくりと拭いてやっている。
「客?客なんて、そこにいるマヌケなクソガキしかいねえだろ」
バッと恒彦は夕実の手をも振り払った。ポタポタと頭から雫を垂らしながら、グイッと体を前のめりにし、清人の顔を覗きこむ。
「清。それは本当なのか?本当にうちは、金森に関係してねえんだな」
「してねえって言ってんだろ。くどいな。俺はな。兄貴のがヤバイと思うぜ。俺と信彦さんが関係してねえんだったら、即ちアンタだよ。いいか。保は、アンタのせいで、あんな目に遭ったんだ!腹刺されたって、自業自得だぜ」
言い返す清人の目は、暗い。城田は、息を呑んで二人のやりとりを聞いていた。かつて、この兄弟がこんなに激しく言い争うのは見たことない。今日は清人が、完全におかしい。
「清。どうした。おまえ、もしかして、泣いてたのか?」
突然声を潜め、恒彦は立ち上がった。清人の横に移動して乱暴に隣に腰掛けた。
「おまえが泣くと、俺はすぐにわかるぜ。おまえは昔から、よく泣いた。飼っていた犬が死んだら泣き、雷が怖いっていってもよく泣いた。メソメソメソメソ。男の腐ったよーなヤツだった。けどな。そんなおまえはすげえ可愛かったよ・・・」
恒彦は、清人の顎を指で持ち上げた。
「なんで泣いてる?」
清人は黙ったままだ。
「清」
フッと恒彦が清人の耳に息を吹きかけた。
「恒彦。アンタ、知らないのね。麻耶ちゃんが死んだこと」
助け舟を出すかのように、夕実がボソリと言った。
「麻耶?アイツ、死んだのか?」
「昨日ね。私と清人さんは、お葬式に行ったけど、入れてもらえなかったわ。あの子のおうち、ああいう家でしょ・・・。だから・・・」
麻耶とは、保の母で、清人の別れた妻だった。恒彦はハッと笑った。
「そうか。別れた女が死んで、おまえは泣いていたのか。にしちゃ、別れた女の魂がまだこの世でフラフラしているよーな時期におまえは別の女の腹の上か。大した悲しみ方もあったもんだな」
ヘラヘラと恒彦は笑う。
「るせえな。もういいだろ。俺は、ベッドに戻りたい。とにかく。金森のことは、うちにはなんの関係もねえ。これでもうこの話は済んだ。帰るぜ、俺は」
ガタンッと清人が立ち上がった。恒彦も立ち上がる。
「いいぜ。ベッドに帰りな。ただし、ベッドはベッドでも、俺のマンションのベッドだ。おまえとはもう少し話したいことがある。てめえら。コイツ、俺のマンションに放りこんでおけ」
清人の舎弟なのに、恒彦が命令する。舎弟達は困惑した。
「なに戸惑ってんだ?てめえらの親分は、俺のモンなんだよ。コイツはなあ。昔から、俺にゃ懐いているんだよ。俺のことが大好きでたまらねえんだ。だから、俺の言うことに従ってりゃてめえらを怒ったりなんかしねえよ。見ろよ、こいつだって黙ったままだ」
恒彦は清人をキュッと抱きしめた。舎弟達は、見てはいけないというかのように、一斉にうつむいた。
「おとなしくベッドで待ってな」
清人の耳元で囁き、恒彦はその耳を舐めた。清人は、バッと恒彦を押しのけると、背を向けて、店を横切っていく。一瞬清人と城田の視線が交差した。その時。清人は、ニヤリと横顔で笑った。さすがに城田は引き攣った。恒彦は奥のソファに置きっぱなしだった荷物を手にし、「ボーヤと浮気すんなよ」と夕実の尻を撫でながら、清人達一向を追って出て行った。いきなり店がシーンとなった。若いホステス達は、ヘナヘナと腰がぬけようにソファに座りこんでしまった。
「やれやれ」
夕実は髪をかきあげて、フーッと息をついた。
「ここでおっぱじめられちゃうかと思ったわ」
「夕実さん。俺。初めて知ったんだけどさ。あの二人ってそーゆー関係なの?」
城田が夕実に聞いた。長いつきあいではあるが、あの二人が、こういうやりとりをするのを、城田は初めて目の当たりにしたのだった。
「有名な話よ。恒彦は、清人さんにゾッコンだったんだから。だけどねぇ。清人さんが恒彦を全然相手にしなくって。気持ちよかったわ、当時。けどね。アイツもあんなアホだけど、愛されたかったのよね。清人さんに見切りつけて、さっさと信彦さんに鞍替えよ。おかげでバカみたいにラブラブの主従の出来上がり」
夕実はタバコの煙を気持ちよさそうに吐き出した。
「恒彦さんも、鬼畜の道まっしぐらだな。男犯し女犯し挙句に近親相姦かよ・・・。しかも信彦さんに相手にされねえからって、片っ端から食ってやがるぜ。ホンモノだな、あの色キチガイ」
城田は呆れたように呟き、タバコに火を点けた。
「アイツは遥か昔から、鬼畜道まっしぐらよ。次に生まれ変わったら、きっとゴキブリよ」
「まあね。それに今だって、そんなもんじゃん」
「そうね。うまいこと言うわ」
けらけらと夕実は笑った。
「けど、金森か。今度は恒彦さん。一体なんだよ、あの組。なんだって絡んできやがるんだ・・・。あそこを怒らすようなことを、うちがなにしたって言うんだ・・・」
金森組。その件については、城田は清人に既に忠告されていた。
「それを今夜清人さんが見つけるンでしょ。恒彦とアンアンやりながらさ」
「そんな顔してたな。恒彦さんを全部ひん剥いてやるっていう顔してた。俺、ホントあの人怖いぜ」
肩を竦めながら、城田が言った。ギュッとタバコを揉み消す。
「城ちゃんは、あの人によく似てるわ。私、アンタは恒彦に似ていると思ったけど。でも、間違いだったわ。アンタは清人さんのミニチュアね・・・。まあいいわ。胡桃ちゃん」
夕実が手招いたので、ソファでグッタリしていたホステスの一人が、ササッと城田の横にやってきた。
「君の今夜の相手はこの子よ。私は葉子のところへ帰らなきゃいけないし」
タバコを灰皿に押し付けて潰し、夕実はニッコリと微笑んだ。
「なら、俺も行く。葉子、見たい」
「ダメよ。あの子にはね。最近恒彦も近寄らせないの。血の匂いのする男はパス。あの子は、真っ白に育てるんだから」
「へえ・・・」
クスッと城田は笑った。その、どこか人をバカにしたような笑いに、夕実はムッとした。
「可愛くない、子」
呟いて、夕実はさっさとカウンターの奥へと消えていく。
「私、胡桃。よろしくね」
傍にいた女の子が自己紹介してきた。城田はその声にハッとして女の子を振り返った。
「よろしく。俺、城田」
すると、女の子はニッコリ笑った。よく見ると、顔が小さくとても可愛い子だった。
「知ってるよ。ママからよく噂聞いていたから。でもこんなにカッコイイ人だとは思わなかった。胡桃、嬉しいな」
ニコニコしながら、彼女は城田の横に腰掛けた。
「俺も嬉しいかも・・・」
城田はそう言いながら、視線をずらした。異様に可愛い顔立ちよりも、更にスゴイ、そのバスト。服の上から見てもはちきれんばかりだった。あからさまな視線を胸に注いでいた城田だったが、胡桃は全然気にしているふうもなく、城田の顔をまじまじと見つめている。『牛みてえな胸・・・』が、城田の素直な感想だった。そういや、最近女抱いてねぇと思った。欲しいとも思わなかった。けど、こんな可愛くて胸のデカい女ならば、そっこーいたせそうだぜ・・・と城田は不埒な考えに思わずヘッと笑ってしまっていた。胡桃も訳がわからないのになぜか城田と一緒になって笑い出していた。
連橋は、自分の部屋の畳の上でゴロゴロしていた。久人と亜沙子は、隣の部屋で眠っている。二人とも風邪気味なのだ。よって、久人と遊ぶことが出来ずに、連橋は退屈していた。
「あー、海見に行きてえな」
と、その呟きを聞いていた流と志摩が即座に反応した。大男達が狭い部屋で、なにをすることもなくダラダラしていたのだ。
「海!?まだ海には早いぜ」
と流は言ったが、志摩は読んでいた雑誌を放り投げて、立ち上がった。
「行こう。連れていってやる。今すぐ行こうぜ」
グイグイッと志摩は連橋の右腕を引っ張った。
「いてっ。よ、よせよっ」
まだ足の傷は治っていない。連橋は志摩に引っ張られたせいで、足を畳で擦ってしまい、顔を顰めた。
「悪い。悪い。ごめんな」
と言いながら、志摩はヒョイッと連橋を抱き上げた。体が浮くその感覚。
「!」
脳裏に一瞬、つい最近、こうやって体を抱かれたことを思い出して、連橋はビクッとした。
「なにしやがる、志摩先輩っ」
連橋が叫ぶよりも早く流は叫んで、志摩の腕から連橋を強引に取り返した。
「う、わっ」
だが、連橋を腕にした途端、流はヨロッと体制を崩して、そのままドサアッと畳に倒れた。
「いてえっ!」
「ご、ごめん、連っ」
「いてえよっ。なんだよ、てめえらっ」
流の体が自分の上に乗っかっていて、連橋は押しつぶされたように畳に転がっていた。
「俺を殺す気かっ!いてて。顔打ったぞっ!」
「わ、わりー、わりー、連」
えへへと流は笑いながら、連橋の腕を掴んで起こした。
「流。おまえじゃ連を抱くには、ちょいまだ足りねえよ。あと数センチは体伸びねえとな」
ニヤニヤと志摩は顎をなでながら、笑っていた。
「手が早いぜ、オッサン!」
流は、中指を立てて志摩に向かって怒鳴った。
「お、やる気か、このヤロー。こいよ、相手したる」
志摩は、ベエッと流に向かって舌を出した。
「ちきしょー。アンタとはいっぺん勝負つけなきゃなんねーと思ってたんだよっ」
バッと流が中腰の構えから立ち上がった途端、連橋が叫んだ。
「やるんなら、てめえら外行ってやれっ!床抜けるだろっ」
その声に、二人はピクッとして、すごすごと拳を引っ込めた。
「わかった、わかった。ごめんな。けど、海は行こうぜ、連。連れていってやっから」
志摩が、のそのそと起き上がっている連橋を覗きこんで、ニコッと誘いかける。
「もしかして、アンタのあのせめー車でか?第一二人しか乗れねえじゃん」
あからさまに連橋は嫌な顔をした。
「ちょい勘弁してくれよ。狭いってなあ。あの車はよ。ま、んなことはどうでもいい。つか、二人だからいいんだろ」
と、志摩はご機嫌なツラだった。
「流はどーすんだよ」
連橋は、チラッと流を見た。
「流なんかいらねえよ。二人っきりでドライブに決まってるだろ」
カカカカと志摩は豪快に笑った。流が、志摩の背中を蹴飛ばした。
「やだね。なんで、てめえと二人っきりで海見に行かなきゃなんねえんだよ。ぜったいやだね。おまえとなんか行かない!」
プイッと連橋は顔を背けた。
「つれねえこと言うなよ・・・。どこでもおまえの行きたいとこ連れていってやっからよ。なあ、連」
志摩と連橋の間に、流がニョッと割り込んだ。
「俺の四駆。4人で。俺と香澄と連と睦美ちゃん」
スラスラと流は、連橋に提案する。
「のった!」
コクッと連橋はうなづいた。
「いぇい♪ヴィクトリー!」
流は、両手の指を重ねて、頭の上で振って見せた。
「ちぇー。いまどきWデートなんてはやんねえっつーの」
志摩がぼやいた。
「いいんだよ。んじゃ、明日。そっこーで明日。な、いいだろ、連」
「ああ。どーせ睦美も暇してんだろうからな」
連橋はうなづいた。
「ちょい待てよ。んじゃ、俺は?」
仲間はずれの志摩が、キッと流を睨んだ。
「志摩先輩は、久人と亜沙子ちゃんとお留守番。二人とも今風邪ひいてダウンしてっからな。せいぜいボディガード頼むぜ」
流が、フフンッと勝ち誇ったように言う。志摩が頬を膨らませて、むくれた。歳の割には、本当に子供のような男だった。
「マジで。二人のこと、頼む。志摩さん」
連橋が、どこか不安気な顔で志摩を見つめて言った。その顔を見て、
「ふ、ふんっ。任せろって。んな不安そーな顔しやがって。ちきしょうめ、可愛いぞ、連。安心して行って来い」
志摩は、ニヤニヤとからかうようにうなづいた。
「な、てめえ。誰が可愛いって!気色わりーことぬかすんじゃねえ」
途端にムッとしてしまった連橋を見て、ますます志摩は大笑いしたのだった。
翌日は快晴だった。あと数ヶ月したら、ここもきっと人でいっぱいになるのだろうが、今はまだ季節でないせいか、砂浜には連橋達以外の姿がない。
「うおー。海だ、海だー」
運転疲れのせいか、流がグイーッと背中を反らして、太陽に向かって伸びをした。
「お疲れ、充。結構遠くまで来ちゃったから、疲れたでしょ」
パフッと流に、香澄が缶コーヒーを手渡した。
「んー。おまえ、酔わなかった?」
「アタシは平気だよ、慣れてるから。でも、睦美ちゃんがヤバイ。充の運転手荒なんだよ」
睦美が砂浜に座ったまま、ゲッソリとした顔をしている。傍には、連橋が座っていた。
「大丈夫か?おまえ」
「んー。結構キてる」
連橋は、睦美の背をさすってやっていた。
「軟弱なヤツだ。てめえの兄貴は、すげえ頑丈なのに」
「一緒にしないでよ、あんな体力バカと。それに流くん。見かけを裏切ってスピード狂なんだもん。も、イヤ。帰りは私が運転するわよ」
睦美が恨みがましい目で、流を見上げた。
「や、わりー。だって、やっぱりスピードは男のロマンじゃん」
「スポーツカーじゃあるめえし」
ケッと連橋は肩を竦めた。
「はい、連ちゃん」
香澄が、連橋にも缶コーヒーを手渡した。
「あ、サンキュ」
「あのさ。睦美ちゃん、ちょい借りるよ。トイレで吐かせてくるよ。吐いちゃえばスッキリするし。いこ、睦美ちゃん」
香澄の手に縋るようにして、睦美が立ち上がった。
「うん。ごめんね」
「いいのよ。んじゃ、二人とも待っててね。トイレ探すから、時間かかると思うけど」
サクサクと砂浜を、香澄と睦美が歩いていく。二人の男は、それを心配そうに見ていたが、流の方が先に視線を海に戻した。つられて、連橋も海を見た。
「海、はいりてえな」
「まだ冷てえだろ」
「まーな。今度は夏だな。水着でさ」
へへへと流は笑う。楽しそうな流の横顔を見て、連橋は眉を寄せた。
「言っておくけど、睦美の水着姿は期待すんなよ。アイツ胸ちょーねーから」
「あ、そ。脱いだらすごくねえの」
「全然。それより、俺は香澄ちゃんのが気になる」
「アイツは胸デカイよ。でも、ダメ。俺にゾッコンだから」
「けっ。何年経ってもラブラブだよな、てめえら」
つまんねーとばかりに連橋は唇を尖らせた。
「香澄みたいなのタイプ?」
「可愛いじゃん。好きだよ。好み」
「連のが可愛いよ」
「は?」
「俺、おまえのが好き」
流は照れたように、小さく呟いた。連橋は、キョトンとした。そして・・・。
ドカッ★
連橋の肘鉄が流の腹に決まった。
「うおっ!」
「てめえな。そーゆーの冗談でも止めろっていうんだよ。気色わりいんだよ。ゾクゾクすらあ。ったく」
「だって。おまえ、なんだか拗ねてるようだったから」
「誰が拗ねてる。おまえの彼女は可愛くていいなあって。羨ましかっただけだ」
「睦美ちゃんだって可愛いじゃん」
「まあ、そうだけど。ないものねだりだろ」
「そーゆーことかな」
フフッと笑って、流は髪をかきあげた。僅かに風がある。フワッと髪が風に揺れる。
「足、もうだいぶいいのか?」
「まあな。匡子さんには本当に感謝してるよ。クビにされなくてって良かった」
「ねーちゃん、連のことが好きなんだよ。可愛いっていつも言ってる。連、パートさん達に大人気なんだってな。あとお客さんにもさ」
からかうような流の言葉に、連橋は肩を竦めた。
「大人気って。パートはババアばっかだし、客はガキだぜ。金色のおにーちゃんいる?っていつも訊くんだってさ。珍しいんだよな、きっと」
カハハハと連橋は自分の前髪を摘んで笑った。笑ったせいで体が揺れて、タンクトップの上に羽織っている白いシャツが動いた。流は、チラリと揺れるシャツをなにげなく横目で見た。するとフワッと風がきて、バサッと音がして、空気を含んで連橋のシャツが膨らんだ。シャツとタンクトップに包まれた連橋の肌がチラリと見えて、流はドキリとした。思わず立てた膝に、流は顔を埋めた。香澄達はまだ戻ってこない。トイレが見つからないんだろう。連橋は黙ったまま、日の光を受けて輝く海をジッと見つめていた。
「連」
顔を伏せたまま、流は連橋の名を呼んだ。
「ん?」
連橋は、両足を砂浜に投げ出している。
「その足。本当のところは、どうしたんだ。なんでそんな怪我した?」
誰も訊けなかった。連橋は、「ひーちゃんと遊んでて、ちょっとドジった」と、そんな一言で怪我の説明を片付けてしまった。亜沙子も志摩も流も心の中では誰もが疑問を持っていた。だが、誰もあえて連橋に追及はしなかった。聞くな、と連橋の目は言っていたし、聞くのも怖いと思ったことも事実だ。怪我はしているが、連橋はとりあえず無事だ。無事に、目の前にいる・・・。きっと誰もがそう思って疑問を封じたに違いないのだ。
「説明しただろ」
「あんなん説明したうちに入るかよ」
「るせーな」
チッと連橋が舌打ちした。
「小田島だろ」
流は相変わらず顔を伏せたままだった。
「うるせえって言ってんだろ」
「小田島なんだな」
「流。もういい加減にしろよ。なんで、せっかく海来て、気持ちいいっつーに、あんなヤツのことなんて思い出さなきゃなんねえんだよ」
「俺にだけはハッキリ言えよ。小田島だろ、連」
流は、連橋の言葉を無視して、更に問い詰めた。ゆっくりと、流は顔を上げた。連橋も、流の顔を見ていた。
「違うって言ってんだろ」
パサッと連橋の長い睫が音を立てた。
「俺に嘘はつけねーぜ」
「嘘ついてどーすんだよ」
「どうにもなんね。だから、本当のことを言え」
連橋は腕を伸ばした。そして、グシャッと流の髪をかき混ぜた。
「腹減った。流。俺はここから、動けねえ。足痛えもんな。なんか買ってこい」
ふっと、連橋は笑う。その笑みに、その笑みだからこそ。流は、カッと頭に血が昇った。
「連。どうして俺には本当のことを言わない!てめえ、ずるいぞ」
流は連橋の腕を振り払った。
「言えよ、俺には。どんなことでも!ちゃんと話せ。話せ、話せ、話せっ」
「流」
「話さなきゃ・・・犯すぞ」
ピクッと連橋の眉が潜んだ。
「てめえ、今、なんつった?」
「話さなきゃ、犯す」
流は繰り返した。その言葉を聞いて、連橋の唇が震えた。バッと振り上げた手で、流の頬を叩いた。
「ざけたことぬかしてんじゃねえ」
流は叩かれた頬を押さえながら、連橋の襟を掴んだ。
「ふざけてねえだろ。話せって言ってんだよ。正直に。なんでもねえならば、ちゃんと言え。言えねえのが証拠だろ。小田島や城田はおまえを殴り怪我させて、そして犯したんだっ!あいつらは、またおまえを」
「やめろよっ。いやだ。思い出したくねえっ」
ドンッと連橋は流の体を払いのけた。
「なんで・・・いちいち言わせるんだよ・・・。ひでえのはてめえだ、流」
連橋は頭を抱えながら、砂浜に横倒れた。連橋の声がかすれた。
「そうだよ。俺は犯されたよ。また。また、だ。小田島のヤロウ。アイツは変態だ。俺を女扱いしやがってっ」
小田島の行動は、もはや尋常ではない。憎い相手を傷つけ殴るだけでは足りずに、犯すのだ。一体、その感情はどこから来るのか・・・。流には、悲しいことになんとなく理解出来る気がした。
「連」
流は、砂浜に両手をついて体を捻り、寝転んだ連橋の顔を覗きこんだ。
「もう止めろ」
吐息をつくように、流は囁いた。連橋は横顔のまま、一点をジッと見つめている。
「おまえはもう止めろ。誰かを憎むのは、おまえには似合わない。小田島を追うのを止めろ。小田島を、おまえの心の中で殺せ。心の中で、だけ。そうしないと、おまえは・・・」
流は一瞬、躊躇った。口にするだけでも、怖い。だが・・・。
「いつか、おまえは小田島に殺される・・・」
「のぞむところだ。だが、ただでは死なねえぜ。ぜってえ道連れだ」
「行き着くところまで行けば、小田島にはそれだって幸せなんだろうさ」
「幸せ・・・!?」
連橋は目を見開いた。
「復讐してなんになる。町田先生はそんなことをして本当に喜ぶのか?それより先生は、おまえが幸せに生きることを望む筈だ。連、もう。頼むから、止めてくれ。こんなこと、おまえは続けていける筈がねえ・・・」
流は、砂浜についた手に力を込めた。掌に、砂が入り込んでくる。
「何度も考えたさ。きっと先生は俺のしようとしてることを許さない。喜んではくれねえだろう。それはわかってる。けれどな・・・」
連橋は体をずらして、仰向いた。そうすると、ちょうどすぐ真上に流の顔があった。だが、連橋は反らすことなく、流を見上げた。
「それが俺の人生だ。誰に祝福されなくても、誰にも認められなくても。これが、俺の生き方だ。俺は・・・。小田島を憎まなきゃ生きていられないっ。アイツの息の根を止めることが、俺の全てだ」
連橋の語気の荒さと対照的に、流は静かに言葉を続けた。
「連橋優として生まれ。この世に生まれてきて、おまえの生きる意味はあんなヤツにしかねえのか?あんな薄汚いヤツを追いかけていくことしか。憎むことしか。愛することはおまえの救いにはなんねえのか?皆、おまえを愛してる。亜沙子ちゃんだって睦美ちゃんだって志摩先輩だって久人だって。そして、俺も。俺も・・・おまえを愛してるよ、連」
「・・・」
「誰の愛も、おまえには届かないのか?」
流のまっすぐな視線が、連橋を射抜く。連橋は、流のあまりのその強い視線に、一瞬息を呑んだ。言葉を返そう、と思った瞬間に、先に体が動いていた。連橋は、腕を伸ばし、流の頭を引き寄せた。
「流。俺は、この前小田島に犯された時。また一つ、自分の中のなにかを失くした気がする。俺はこれからきっと、もっと。たくさん失っていくだろう。最後には、俺ではなくなっているかもしれねえ。でもな。おまえには覚えていてほしいんだ。俺が、こんなふうに俺だったってことを。俺自身が忘れても、おまえには覚えていて欲しい。俺はどうしようもねえ意地っぱりだ。楽な道を選べねえ。おまえが言うことはよくわかるよ。けどな。退けねえんだ。先生が死んだ夜に俺は自分に誓った。男は一度決めたことは、やり遂げるべきだろ。いや、男って言い方はつまんねえかもしんねえな。俺は、だ。俺っつー人間はよ。融通がきかねえ。ダメなんだ。これしか俺には方法がねえんだよ。だから、おまえも」
「・・・」
「まったくてめえはしょうがねえなあって、いつものように笑って俺の傍にいてくれよ」
そう言って連橋は笑った。流は歯を食いしばった。だが、堪え切れなかった。涙が溢れた。
連橋の頬に、流の涙が落ちた。
「泣き虫ヤロー」
連橋がからかうように言う。
「てめえの代わりに、俺がいつも泣いてやってんだろ」
流はグイッと砂だらけの掌で目を擦った。そして、再び連橋の顔を見下ろした。
「意地っ張り。本当におまえは融通がきかねえ。最低だぜ、連」
流は言った。
「ああ。そうだよ。俺は意地っ張りで、融通きかなくて、最低だ」
「我侭。唯我独尊。誰の意見も聞きやしねえ」
「そうだ。誰の意見もきかねえよ」
「こんなに、こんなに、皆がおまえを心配して愛してるのに。おまえはそれを無視して一人で突っ走る。冷血漢だ。ロクデナシだ。なんてヤツだ」
「ひでえヤツだな、俺って」
「でも、俺はそんなおまえに惚れた。仕方ねえよな。俺は、おまえに惚れてる。悪女に惚れた気分だぜ。おまえのやることなすことむかつくのに。間違っているってわかっていても。それでも、止めることすら出来ずに。自分の不甲斐なさを笑いながら、それでも。俺は、おまえが言うことをのむしか出来ねえんだよな。だって、仕方ねえよな。それこそ。俺も融通きかねえんだ。おまえに惚れることを止められねえんだよ、連」
「・・・」
「人を殺すということが、一体どれだけのことか知ってるか、連。ガキの喧嘩とは訳が違うんだぜ。待っているのは、確実に塀の中という運命か、死だ。そんなモンしかねえ未来をおまえを本当に望んでいるのか・・・」
連橋はうなづいた。色素の薄い瞳が、小さく輝く。
「俺は、欲しい。俺の誓いが果たせるならば、塀の中でも死でも。そんな未来でもいい。俺は、欲しい。誓いが果たせるその瞬間を。その時に初めて・・・。初めて、俺は、町田先生からもらったものを返せる。もらいっぱなしはやなんだよ、俺」
「俺だってイヤだ。おまえが死ぬのはイヤだ。離れていくのもイヤだ。俺はなんて不幸な役回りなんだ。見ていろなんて、考えてみれば最悪だ。惚れてるヤツが破滅していくのを見ていなければなんねえなんて」
「未来は2つしかねえことはねえよ。生き残れば、また始まる」
小さく連橋は笑った。ひとしきりの沈黙が落ちる。
「連」
流は、連橋を呼んだ。
「なんだよ」
「そのまま、その腕引いて。俺にキスしてくんねえか?」
ピクッと、流の髪を掴んでいた連橋の腕が揺れた。
「!?」
「勇気、出るから」
「流」
「頼むから。俺が無理矢理すれば、おまえはまた怒るだろう。二度はねえって、この前怒ったし。だから、俺からは出来ねえけど・・・。でも、俺はおまえとキスしてえんだ」
「・・・」
「お願い、連」
「なんかのまじないかよ。勇気出るって」
「おまえは最悪なことを、自分に惚れてる人間に頼んでいるんだぜ。少しぐれえはサービスしろよ」
僅かに頬を紅潮させて、流はむくれたように言った。
「頼んでいる?最初に言い出したのはおまえだ。勝手におまえが俺に宣言したんだろ。俺は頼んじゃ・・・」
言いかけて、連橋は黙った。もう既に。そんなことは無効だ。どっちが先か後かなんて。互いに、きっと、離れられない。連橋はそう思った。さっき流が言ったように、泣けない自分の代わりに流はいつも泣いてくれる。苦しい時は、傍にいてくれる。流に自分が必要ならば自分にも流が必要なのだ・・・。
「睦美達、戻ってきてねえだろうな」
連橋は、ふっと、辺りを見回した。まだ人影はどこにもない。
「大丈夫」
流がうなづいたと同時に、連橋はグイッと流の頭を引き寄せた。連橋は、唇を流の唇に寄せた。軽く触れた唇。
「・・・」
舌を伸ばせば、連橋は応えてくれるだろうか?ただ触れているだけの唇に、流は躊躇う。息苦しく熱い感覚に、体ごと持っていかれる。体中が、まるで子供のようなキスに反応している。
「っ」
バッと流は、連橋から唇を離した。荒々しく流は、連橋の体の上から飛びのいた。バクバクと心臓が跳ね上がっている。
「!?」
驚いたように連橋は目を見開いた。
「流・・・」
「やべえよ、連。いきなり後悔しちまった。おまえのキス、やっぱりやばかった。してもらわなきゃ良かった」
耳まで赤くして、流は再び立てた膝に顔を埋めてしまう。
「なんだよ・・・。てめえがしろって言ったくせに。俺だってな。マジにヤローとキスなんかして・・・。恥ずかしいに決まってんだろ!」
流の熱が、自分にまで伝わってきてしまって、連橋はカアッと顔を赤くした。
「もうしねえから、安心しろよ」
プイッと拗ねたように連橋は言った。
「ああ。しねえでくれ。次は自信ねえ。俺は小田島になっちまう。おまえを押し倒しちまうかもしんねえから」
「勘弁だね」
バッと、連橋は掌に掴んだ砂を、流に向かって投げつけた。
「やめろって。なんだよ、いきなり」
「うるせえ、バカヤロウ。くそっ、やたらとハズカシー!くそおっ!」
バシッ、バシッと連橋は砂を流に投げつけている。自分に向かってくる砂を腕で避けながら、流は笑った。連橋は、変わることを望んでいない。それがわかった。初めてまともに交わしたキスを理由に、連橋の動き次第で確実に今までとは違う方向へ行けた筈なのに。連橋はそれを望まなかったのだ。心の冷えは確実にあるが、連橋の望みならば仕方ない。流はそう思った。いつもと変わらないように。おまえが変わらずにいたいならば・・・。
「舌入れてやんなかったこと、怒ってンの?」
「ぶっ殺すぞっ」
「可愛いな、連」
クスクスと流は笑っていた。連橋は、片眉をつりあげた。
「可愛いって言うな。俺はその言葉がダイッキライだっ」
「可愛いな、連。おまえは可愛い。すげえ可愛い。ああ、マジに可愛い。ホント可愛い」
「いい度胸してんな、流」
バキッと連橋が指を鳴らした。流はそれを横目で見て、舌を出した。
「そんな足で俺に勝てると思ってんのかよ。松葉杖取り上げるぞ。したら、おまえは俺に抱っこされなきゃいけねえぞ。かっけわりーな、連」
流は、砂浜にポンッと転がっていた松葉杖を取り上げて、振り回した。
「やかましい。おまえなんか、俺を抱っこ出来るか。貧弱なくせしてっ。俺はまた落とされて、今度は骨折だ。冗談じゃねえの。そんなら睦美に抱っこしてもらうからな。返せよ、杖」
連橋が体を捻って、松葉杖を掴もうと腰を浮かせた。
「やーだね、だ」
流は、ヒョイッと体をずらして連橋から逃げた。連橋はズリズリと砂を這いながら、流を追いかけた。
「返せったら」
ドタバタとやりあっていたら、睦美と香澄が戻ってきた。
「あーあ。なに、暴れてんの、二人とも。砂だらけじゃん」
香澄がクスクスと笑って、じゃれあう二人を見下ろしている。
「睦美、もう平気か?」
連橋は、松葉杖を流から取り返すことを諦めて、睦美を見上げて聞いた。
「もうバリバリ元気よ。ゲロゲロ吐いたら、超スッキリ」
本当に睦美はスッキリとした顔をしている。
「きったねえな、てめえはよ」
笑いながら、連橋は睦美に向かって手を伸ばした。
「ま、いいや。元気になったんだったら、ちょい頼む。俺を抱っこしてくれ」
「はあ?」
睦美が素っ頓狂な声をあげた。
「流がな。俺の松葉杖を取り上げちまった。そんで俺を抱っこしてやるって脅すんだ。そんな格好悪いことされんならば、俺はおまえに抱っこされた方がいい。おまえはデケーから大丈夫だろ。よろしく頼む」
なぜか連橋は偉そうな物言いだった。
「女に抱っこされる方がよっぽどカッコ悪いじゃないのさ。それにね。デカイっていうの、止めてくんない?気にしてるのにっ!」
睦美は、手を伸ばしてくる連橋の腕をパンッと払った。
「どうせ抱かれるならば、おまえのがいい」
すると、香澄は
「連ちゃん、その言い方エッチだよ」
とキャハハハと笑った。睦美は赤くなってしまうし、流は不満顔だ。
「あ、そう。いいわよ。そこまで言うならば、抱いてあげる。怪我しても知らないから」
そう言って睦美は、グイーッと連橋の腕を引き寄せた。
「うわ。待て。冗談だ。やめろ、睦美」
「私に冗談は通じないわよ。デカイ女の怪力見せてやるわ」
睦美と連橋は、互いの体を引っ張り合った。見ようによっては、単なるじゃれあい、カップルのイチャイチャにしか見えない。
「待てってば。やめろ。流、助けろ」
連橋が叫んだ瞬間、ゴンッと連橋の頭に松葉杖がぶつかった。
「いてえな」
「さっさとそれ使って歩け。カノジョからかって遊んでるんじゃねえよ」
流は、ポイッと松葉杖を放り投げると、体の砂を払いながら立ち上がった。
「な、なんだよ。てめえ、なに怒ってんだよ」
連橋は頭を押さえながら、流を見上げた。
「怒ってなんかねえって。腹減った。なんか食いにいこうぜ」
流はさっさと歩き出す。
「怒ってるよね」
睦美が言う。
「ああ、怒ってる。睦美、マジで手貸して」
連橋はうなづいた。睦美の手を借りて連橋は砂浜から立ち上がって、松葉杖をついた。
「まったくよー。アイツはわからん」
「なんか怒らすことしたんでしょ。あんたらって本当によく喧嘩してるよね」
睦美と連橋が肩を並べて、先を歩く流の後に従って歩いていく。
香澄は、チラリと連橋の背を見ながら、「私、やっぱり連ちゃん嫌いだわ」と溜め息と共に呟き、二人を追い越し、流に追いついた。
香澄は伸ばした手で、流の腕に自分の腕を絡めた。
「充。さっきね、睦美ちゃんと歩いてていい店見つけたの。そこでご飯食べようよ」
「そう。んじゃ、そこにしようか」
香澄の腕をそっと解いて、流は香澄の肩を抱き寄せた。
「連。睦美ちゃん。店見つけたってさー。そこで食おうぜ」
流は、二人を振り返って叫んだ。不自由な歩行のせいで、だいぶ歩くペースが遅い連橋達は遥か後方にいたが、「ああ」という返事が風に乗って返って来た。
降り注ぐ太陽の光に、連橋の金色の髪がチカッと光った。流は、思わず目を細めた。
この想いは、いつか堰を切って流れ出す。軽いキスで体中が沸騰するように熱くなったのだから、押して知るべしだ。この先のことなんか、簡単に予想出来る。
誰もが。おまえに対して、強い想いを抱いている。愛情、友情、憎悪。様々に。ゆっくりと、変化しながら。小田島にしても、城田にしても、志摩にしても、亜沙子にしても、睦美にしても。そして、間違いようもなく俺も。
なのに。おまえは一人しかいない。一人でしかない。
たった一人、連橋優として、おまえは一人。おまえの体も、おまえの心も一つ。
欲しい、と思った。強く思った。それは、願い。たった一つの、おまえの心と体を独占したい。叶わぬ願いと知りながら、それでも求めてやまない。この肩を抱きながら、あの体を求める。不実な俺。泣きたくなるほど、好きで愛してる。誰か止めてくれ、と叫ぶのに、この想いは止まらない。ますます激しくなっていく。
「カノジョの肩抱きながら、別のヤツのことなんか考えてるアンタが最低」
香澄の声にハッとした。流は、思わず香澄の肩から手を離した。
「悪いけど。私、連ちゃんってマジきらいだわ。本当は顔も見たくなかったのに」
「香澄、悪い。俺が悪かった。だから、それ、連の前で言うなよ。頼むから」
「アンタなんか、嫌いになりたいのに!出来ないから悔しいっ」
バッと香澄は流から離れて、さっさと店に入っていってしまった。
「追いてかれたのたか?おさきにー」
店の前でぼんやり佇んでいた流の横を、連橋達が笑いながら追い越して店に入っていく。
心も体もたった一つ・・・。香澄は香澄でしかなく、俺は俺で、連橋は連橋だ。辛い、と流は思った。なんで、一つしかねえんだよ・・・。そんな埒もあかないことを呟き、流は溜め息をついた。辛い。この道は辛い。けれど・・・。進んでいくしかないんだ。そう思って息をつき、流は店のドアを肩で押した。奥の席で、連橋と睦美がメニューを取り合っている。二人の前に座っていた香澄がチラリとこちらを見た。目が合う。
「充。早く来なさいよ。私、もうお腹ペコペコよ。なにグズグズしてたのよ。もーっ!」
いつもどおりの、香澄の声が心に染みた。
「ああ。わりー」
席に向かう途中、連橋がフッと振り返り、流を見た。やはり目が合う。連橋が笑った。
「なに?」
「いや。おまえ、尻にしかれてんなあ、って」
「人のこと言えるか」
ポンッと流は連橋の後頭部を叩いて、香澄の横に腰掛けた。
「流。おまえなに食う?俺さ。こっちとこっち迷ってんだよな。どっちも美味そうじゃねえか?どっちがいいだろ」
流にメニューを見せながら、連橋はウーンと考えこんでいる。日常生活では、連橋はわりと優柔不断だ。結構色々迷ってる。服を買う時、靴を買う時。その他もろもろ。
「じゃあ、俺がこっち食う。だから、おまえこっち食え。半分こしよう」
流が言うと、連橋はうなづいた。
「ああ。そうしよう。流、ぜってー半分よこせよ。おまえ食うのが早いんだから」
「わかってるよ。ちゃんとおまえの分残してやっから」
「約束だかんな」
「しつけーんだよ。おまえだってちゃんと残しておけよ」
流の言葉が終わると同時に、クスクスと睦美が笑った。
「二人とも子供みたい。半分こだってぇ」
「ガキだよね、こいつら」
香澄も睦美と一緒になって笑っている。
「うるせーな。べ、別にいいじゃん」
女二人に笑われて、連橋はちょっと照れたのか、唇を尖らせた。
「なあ、流」
そして、連橋は笑った。流はテーブルに肩肘つきながら、そんな連橋を見つめつつ、
「そーだよ。俺らラブラブなんだからな。うらやましかろー、君達」と、女二人に言ってやった。すると、女二人からは、「べーつーにー。気色わるーい」と白けた言葉が戻ってきた。
「はずしたな、流」
連橋が、アハハと笑った。
「ふん。おまえが笑ってるから、あながちはずしてねえだろ」
「かもな」
クスクスと連橋は笑っている。
おまえが笑うなら。こんな時間がずっと続けばいいと思う。ずっと、ずっと、続けばいいな、と流は思った。穏やかな、穏やかな時間。ずっと、続けば・・・。切実にそう思った。
今、目の前で笑っている連橋を見て、不意にまた涙が零れそうになって、流は慌てて手を挙げて店員を呼んだ。
続く
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ちょっと平凡な一日を書いてみたりした。
砂浜でイチャイチャしてる二人。丸見え!?(笑)
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