連橋優(レンバシ・ユウ)・・・某都立高校3年
川藤亜沙子(カワトウ・アサコ)・・・連橋の隣室の住人
流充(ナガレ・ミツル)・・・某都立高校3年
城田優(シロタユウ)・・・・海外からの帰国高校3年生
小田島義政(オダジマ・ヨシマサ)・・・・海外からの帰国高校3年生
町田久人(マチダヒサト)・・・連橋の恩師の遺児。
川村親子(カワムラオヤコ)・・・久人の入院先で知り合った親子
大林次郎(オオバヤシジロウ)・・・作家。元々は連橋のアパートの住人。

*****************第2部10話**************
嘘だ・・・と言って欲しくても。事実は、事実なのだ。
大林の口から零れる更なる事実を聞きながら、亜沙子と流はそれぞれに「今この場にいるのが、自分一人ではなくて良かった」と思っていた。亜沙子がいたから。流がいたから。不意に告げられた逃げ場のない真実を、やりきれない事実を。とりあえずは落ち着いて聞くことが出来たのだ・・・と。大林が去った後も、流と亜沙子はただぼんやりと座っていた。

それは、長い、長い沈黙だった。あまりの静けさにいつしか、空気がささくれだつような音が聞こえ始める。そうなってみて、やっと流と亜沙子は視線を合わせた。
初めに流の唇が、僅かに動いたが、すぐにギュッと引き締まってしまった。思うように言葉にならなかったようだった。亜沙子は、そんな流を見つめて、そして小さく笑った。
「驚いたね」
ポツリと亜沙子は言った。
「アイツがひーちゃんの兄貴でさ。そして、町田さんの実の息子だったなんて・・・ね」
「・・・」
「なんか頭痛くなってきちゃったよ」
そう言って、亜沙子は本当に頭を押さえた。
「亜沙子ちゃん。俺は・・・。先生の言った事実、認めねえ」
流は首を振った。
「ぜってえ。ぜってえ!認めねえよっ。久人の兄は連だけだっ!連だけでいいんだ」
「・・・そうよ。連ちゃんだけでいい。でも、流くん。肝心なところから目を反らさないで。一番の問題は、アイツが町田さんの息子なことなのよ・・・」
亜沙子の言葉に、流はテーブルを叩いた。今までの恐ろしいぐらいの静寂がぶち破られた。
「てめえの父親を・・・。てめえの父親を殺した男にのうのうと付き従っているのが城田だぜ!?普通の神経じゃ出来ねえだろ。自分の父親殺されて・・・。憎むのが当然じゃんか。なのに、なのに、城田は・・・。小田島を・・・。あんなヤツ、町田先生の息子じゃねえよっ!絶対に違うっっ」
「流くん。気づいてるよね。連ちゃんは・・・。連ちゃんの行動は、よくもわるくも、全て町田先生に繋がっているのよ。ひーちゃんを可愛がる連ちゃんも。小田島を憎む連ちゃんも。全ては町田先生との繋がりから生まれている感情だわ。そして今度は、城田。城田が連ちゃんの前に立ちはだかるのよ・・・。連ちゃんは・・・城田という存在をどう受け止めるのかしら。小田島のように憎むのか。それともひーちゃんのように愛するのか。そのどちらも出来ずに苦しむのか。・・・連ちゃんが決めることだわ」

断ちがたい町田と連橋の絆。その絆ゆえに、連橋は苦しむのだ。愛し、憎み。憎み、愛し。

「なんで・・・。なんでこんなことに・・・」
流は掌で顔を覆った。
「俺は、今から見えるよ、亜沙子ちゃん。アイツが苦しむ姿が・・・。立ち止まってしまうほどに困惑する連の姿が。アイツは、そんな単純な男じゃねえんだよ。アイツの中には常に葛藤があるんだ。ダチと喧嘩して泣いてしまったような男だったんだから。本当は今だって、殴りあうことに痛みを感じている筈なんだ。拳より、きっと心のが痛い筈なんだ。そんな連が小田島に復讐することを考えたのは町田先生故だ。亜沙子ちゃんの言う通りだよ。連は町田先生を基準に生きている。どうして出来るよっ!町田先生の実の子である城田とやりあうなんて!例えあの男がどんな男であろうとも・・・。連には出来ない。ましてやあんなに久人を可愛がっているのに・・・。出来ねえよっ。城田と・・・戦うことなんて・・・っ。連がこの事実を知ったら、城田を憎むことは出来ねえだろさっ!あの男が・・・。どんなに鬼畜な男でもっ」
ちきしょうっ!と流はテーブルに突っ伏した。もし。憎悪と愛情どちらかを選べといわれれば、こんな人生を選択しなければ、連橋は間違いなく後者を選ぶ人間なのだ。流は、連橋をそういう人間だと思っている。
「私もそう思うわ。流くん」
亜沙子はゆっくりと目を閉じた。そして浮かぶあの日の光景。横断歩道。知らぬことだったとは言え、兄弟の対面だったあの場。優と名づけられた優しい男。連橋ともう一人。私は知っている。亜沙子は流の頭に手を伸ばして、そして撫でた。

「城田は。ひーちゃんが弟と知っていたのかしら?その事実に気づいてるのかしら?私はたぶん、あの人は知らないと思うの。そんな気がするわ。でもね。たとえ知っていたとしても。城田は、助けてくれたのよ。あの時の彼の立場でいえば、見ず知らずの子供の、もしくは自分達の家庭を壊した一端でもある弟の為に。彼は横断歩道に飛び出したわ。咄嗟のことだったけど、躊躇いはなかったように思い切り飛び出したんだもの。・・・私に対する優しさは、彼の策略でもあったのかもしれないけど。あの時見せた彼の態度には、きっと偽りはないと思うの。城田もきっと、優しい男なのよ。慈悲の心を秘めた男なんだと思うわ。決してそれを表には出さないヤツだけれどね・・・。もし。城田が小田島を捨ててこっちに来てくれれば。なんの問題もないのにね・・・。連ちゃんと城田は、ひーちゃんを挟んで笑いあえたかもしれないのに」
流は、顔をあげた。
「城田の味方をするのか?亜沙子ちゃん。アイツをこっちに引き入れてしまえば、連は苦しまなくて済むっていうのか!?んなこと。出来るはずねえだろっ。アイツが連にしてきたことを忘れたのか?アンタ自身にしたことを忘れたのか?そんなこと、出来る筈ねえ!したくもねえよっ」
亜沙子は首を振った。違う、と呟いた。
「流くん。違うわ。そんな可能性もあったのねと思っただけ。私達は・・・。連ちゃんを守るって決めたじゃない。連ちゃんが、アイツは俺の敵といえば彼は私達の敵になる。全ては連ちゃん次第だわ。私達は、連ちゃんを守っていくのよ。私達、連ちゃんという人間に魅かれた者同志だもの。連ちゃんのあとをついていくしかないんだよ。事実を知って連ちゃんが泣いたら慰めよう。連ちゃんが怒ったら一緒に怒ろう。連ちゃんが笑ったら一緒に笑おう。そう思って、二人で頑張ろうよ。今を乗り切ろうよ。だって。どう考えたって一番辛い思いをするのは連ちゃんなんだもの・・・」

町田を愛した連橋は果たして幸せだったのか?亜沙子は不意にそんなことを思った。幸せな時間は短かった筈だ。あの残酷な事件の夜から、連橋は修羅の道を自ら選択した。あんなに溺愛している久人の存在ですら、連橋の道を曲げることが出来ない。だったら・・・。もう一人の町田の息子、城田優。その存在は、連橋の道を曲げることが出来るのか?憎しみを越えて、平凡で穏やかな道に進むことを薦めてくれるのか。それとも、更なる修羅に導くのか?亜沙子は、城田の冷たい瞳を思い浮かべた。冷やかな、冷やかな光。あの男にも、ある意味、どこか生きることを放棄したような、それでいてなにか一つのことに突き動かされている執念を感じる。連橋と同じなのだ。二人は似ている。
「連ちゃん・・・。可哀想な子・・・」
亜沙子は俯き、涙を浮かべた。
きっと。二人が進むのは、更なる修羅の道だ。誰も。たぶん、止めることは出来ないだろう。優しい男達は、己の心を曲げることなく、ぶつかりあう。そして、それゆえにきっと苦しみあうだろう。流の言う通りだ。連橋は苦しむだろう。立ち止まるだろう。何度も、何度も。
『運ってモンが、ヤツに味方をするならば、あいつはやり遂げるだろう。時間が、ヤツに憎しみを忘れさせなければあいつは必ずやり遂げるだろう』
かつての大林の言葉が甦る。
そうよ。連ちゃんはやり遂げるだろう。必ず。でも・・・。私は!!その時、私は・・・。一体どちらの傍にいるのだろう・・・?そして、私のこの動揺は、長引けば長引くほど、更に連橋を傷つけていくことになるのだ。
「亜沙子ちゃん」
泣いている亜沙子を見て、流はうろたえた。
「なんでもないのよ。大丈夫。今のうちに泣いておかないと。私は連ちゃんと一緒に泣いてしまってはいけないんだから」
神様。私を連ちゃんの傍にいさせてね・・・。お願いだから。お願い、だから・・・。亜沙子は声なく心の中で呟き続けた。
「・・・」
泣き続ける亜沙子を見つめて、流は意を決したように、亜沙子の手をギュッと握った。
「亜沙子ちゃん!俺。たとえどんなことになろうと、連の傍にいるから。亜沙子ちゃんも知ってるよな。俺、惚れてるんだよ、アイツに。よほどのことがねえ限り、とても嫌いになれそうにねえぐらい盲目的に惚れているんだ。邪魔だと言われても、傍にいるからよ。その為に、強くなっから。亜沙子ちゃんは、連と一緒に泣いていいぜ。俺がまとめて、二人慰めるから。亜沙子ちゃんはそんなに強くなるこたあねえ。もっともさ。連が泣いている姿なんて、想像出来ねえし・・・。今辛いけど。必ず乗り越えられる。俺達も。連も!俺は自分を信じているし、同じくらい連を信じているんだ」
流の明るく前向きな言葉を聞いて、亜沙子はハッと顔をあげた。流はもう笑っていた。
「流くん・・・。ありがとう。連ちゃんの傍にいてくれて、ありがとう。私ひとりじゃ、きっと絶対にダメだったと思うの。連ちゃんに惚れてくれて、ありがとう」
片手で涙を拭いながら、亜沙子も微笑んだ。空いた手で流の手を握り返す。
「って。こんな光景。今連が帰ってきて見られたら、怒鳴られそうだよな」
手を重ねあっている亜沙子と流。流は慌てて、亜沙子から手を離した。照れているようだった。
「あらそう?連ちゃんと私はもう別れたもの。怒られる筋合いはないわよ。ねえ、流くん。私と寝てみる?香澄ちゃんには内緒でさ」
亜沙子はそんなふうに流をからかった。
「あ、亜沙子ちゃん・・・。亜沙子ちゃんがそんなはしたないこと言うなんて・・・」
カアッ〜と流は顔を赤くした。
「冗談だよ。やだな、もう。なんでそんなに赤くなるのよ。連ちゃんといい、流くんといい。見かけによらずに結構純情だよね。可愛いわ」
「か、からかうなよ〜。亜沙子ちゃんがやると、洒落になんねえんだからなっ!」
亜沙子は笑った。流も笑う。
「乗り越えようね、流くん」
「ああ」
互いに顔を見合わせ、自分自身に言いきかせるように、二人はうなづきあっていた。



「ひーちゃん」
連橋が病室に行くと、久人はベッドの上で起きていた。だが、しょんぼりと俯いている。
「ひーちゃん。どうした!」
その久人を見て、連橋は顔色を変えた。
「あ。にーちゃん」
連橋の声に反応して顔をあげた久人は、いつのまにか、満面の笑顔だった。
「どうした。痛いのか?痛くねえか?ぼんやりしててどうした。大丈夫か?痛くねえのか?久人」
おろおろと連橋は、久人に向かって聞いた。
「痛かったら言えよ。にーちゃん看護婦さん呼んでくるから」
「うん。へーきだよ」
「本当か?嘘ついてんじゃねえんだろうな。本当か?」
「う、うん・・・」
連橋の迫力に、久人はちょっと怯えたようにうなづいた。すると、隣のベッドの方からクスクスと笑い声がした。
「大丈夫ですよ、そんなに心配しなくても。ねえ、ひーちゃん」
「うんっ。平気だよ。にーちゃん」
「あ。ハヨございます。すんません。朝っぱらからうるさくて」
連橋は、隣のベッドの脇の椅子に腰掛けている川村にペコリと謝った。
「いやいや。よっぽど心配なんだろうね」
川村は読んでいた本から顔をあげて、連橋と久人を見てはニコニコと微笑んでいる。
「ひーちゃんはいい子だよ。うちの保とはえらい違いだよ」
そう言って川村は、ベッドに今はスヤスヤと眠っている我が子保を見て、苦笑した。
「あのね。たもつくんはね。こうつうじこなんだって。くるまにぶつかったの。それでね。すっごく痛いみたいで、いつもないてるの。可哀想」
久人は保を見て、悲しそうな顔をした。
「その点、ひーちゃんは偉いぞ。ちっとも泣かない。看護婦さんも褒めてたぞ」
川村の言葉に、久人は嬉しそうだった。
「ほんと?ひーちゃん、偉い?」
「ああ、えらいぞ」
「ありがとう。かわむらのおじちゃん」
えへへへと久人は嬉しそうに笑って、連橋を見上げた。
「よし。さすが久人。俺の弟だ」
嬉しそうな久人を見て、連橋もニッコリ笑う。すると、久人はますます喜んだ。
「うん。ひーちゃんはにーちゃんの弟だもん。つよいんだからねっ」
コクッと久人は満足気にうなづいた。
「ほれ。ジュース買ってきたぞ」
ストローを差してやりながら、連橋は久人に手渡す。
「わあい」
受け取り、久人はすぐさまそれを飲み始めた。
「可愛いね、久人くんは。昨日は、ちょっと夜中にぐずったみたいだけど、今朝はいい子だった。ただ、君が来るのを待っていたんだろうね。ずっとドアの方ばかり気にしていた」
川村の言葉に、連橋は、久人をチラリと見た。だが、久人は夢中でジュースを飲んでいた。
「お、俺。待合室のソファで寝過ごしちまって・・・。朝一番に部屋に行こうと思っていたんだけど」
「朝一番は私だったよ。そうしたら保のヤツ。いきなり飛びついてきた。普段は、私より母親の方に懐いている子なんだけどね。やっぱり親と引き離されているのは淋しいみたいだよ」
「そうっすか。んじゃ、明日は俺も朝一番に来なきゃ」
「そうだね。そうすればひーちゃんも喜ぶだろう」
川村はそう言って、再び本に目をおとした。息子はまだ眠っているからだ。連橋は、整った川村の横顔をチラリと盗み見た。年齢は三十代の半分ぐらい・・・だろうか。いや、もっと若いかもしれない。だが、穏やかな喋り口調と醸し出す学者風の雰囲気が、そんな年齢を彷彿させた。家庭の良き父という言葉がピッタリな男だった。
「にーちゃん。ひーちゃん、おかわりです」
空になったジュースのパックを、久人は連橋に押しつけた。
「んだと。おかわりだって?てめえな。虫歯になるぞ。ダメ」
久人から空のジュースパックを受け取り、連橋はゴミ箱に放り投げた。
「いやー。おかわりっ。だって美味しいんだもん」
バフバフと久人は連橋の腹を、無事な方の手で叩いた。
「いてっ。いてっ。こら」
小さな久人の手を連橋は掴んだ。
「ったく。おまえは・・・。虫歯になるって言ってんだろ。ダメ」
と、連橋は久人の手を見、そして包帯だらけの、もう片方の手をも見た。
「飲みたいーっ。虫歯になってもいいもん」
バタバタと久人はベッドの上で暴れた。川村が、また本から顔をあげて、連橋達を見た。
「仕方ねえな。買って来る」
舌打ちしながら、連橋は踵を返した。久人の手を改めて見たら、怪我をさせたという罪の意識が、連橋を襲ったからだ。
「君も甘いおにいちゃんだね。躾は最初が肝心だよ」
擦れ違う連橋に、川村は横顔のまま言った。
「しばらくは仕方ねえんです」
そう答えながら、連橋は病室を出て行った。


幸いなことに、久人の病室には入れ替わり立ち替わり見舞い客が来たので久人はちっとも退屈しないで済んでいた。流、志摩、睦美、亜沙子、それとジレンの舎弟達。隣のベッドの保や川村も、久人の見舞い客の層の厚さ?に驚いていた。
「すごいお友達がいっぱいいるねー。ひーちゃん」
保が、羨ましそうに言った。久人のベッドには、所狭しと玩具が並んでいた。
「ぜんぶねー。にーちゃんのともだちなんだよ。たもつくん、これで遊ぼうよ」
「うん。遊ぼう。あのねー。俺、あの人、すきー。茶色の髪の背の高い人。カッコイイんだもん。俺のね。おじさんに似てるんだよお。なんかカッコイイ。あ、この玩具、欲しかったんだ」
久人のベッドに移動してきて、保は興奮したように玩具をいじりながら叫んだ。
「しーま?しーまはねぇ。声大きいの。すっごく」
子供二人は、すっかり打ち解けて、ベッドで仲良く玩具で遊んでいた。
「わ。なんだ、このベッド」
アパートで仮眠を取って戻ってきた連橋は、あっと言う間に久人のベッドの上が玩具だらけになっていたのを見て、驚いた。
「いやはや。君の交友関係はすごいね、連橋くん」
川村は、今朝のまま、椅子に腰掛けていた。もう夕方だというのに、ずっと付き添っていたようだった。
「あ。やつら、来たんですか・・・」
連橋は、来たであろうメンバーを思い浮かべて苦い顔をした。あいつら、皆、激しくヤンキーだからな・・・と、連橋は内心あせった。すっかり自分は棚にあがっていた。
「悪いやつらじゃねえんですけど・・・。うるさくしてたらすんません」
先に連橋は謝ってしまった。川村は、とんでもないよ、と言った。
「いやいや。にぎやかで良かったよ。保も遊んでもらえたし。私もちょっとお昼には席をはずしてね。君の仲間に面倒をみててもらったよ。ありがとう」
ニコッと川村は微笑む。
「役になったなら、良かったッス」
「あれだね。亜沙子ちゃん。私はファンになったよ。綺麗な子だね。君のカノジョの睦美ちゃんも綺麗だけど、彼女は君のモノだしねぇ」
フムと顎を撫でながら、のんびりとした口調で川村は言った。
「やつら、んなことまで川村さんに喋っていったんですか・・・」
呆れた連橋だった。
「流くんがね。私は彼も気に入ったよ。明るくていい子だ。また明日も来るって言ってたよ。亜沙子ちゃんも来るらしいし、私も明日はもっとお洒落してこなくては」
「・・・」
どこか茫洋としている感じの川村だったが、中々達者らしい。確かに顔は綺麗な男だ。女には不自由しそうにない。
「川村さん。意外と女好き?」
連橋はコソッと呟いた。
「女は好きだよ。かなりね」
フフフと川村は連橋を見て悪戯っぽく笑った。
「奥さんに言いつけますよ」
「別れた女さ。文句言われる筋合いはないんでね」
「・・・そーゆーことっすか。亜沙子に気をつけろって言っておかなきゃな」
あぶねえなァ・・・と連橋は川村を睨みつけたが、川村は澄ました顔をしていた。


次の日。さすがにもうジレンのメンバー達は来なかったが、志摩兄妹、流、亜沙子と見舞いにやってきた。川村は、言葉どおり本当に中々洒落こいてやって来た。そして、真面目に亜沙子を口説いたのだった。
「見かけによらねえな、あの人。すげえ手が早い」
流は、連橋の耳元にコソッと囁いた。
「亜沙子が困ったら、助けてやんなきゃなんねえな」
連橋は、楽しげに談笑してる二人を、ジイッと眺めては腕をバキバキ鳴らしていた。
「なによ。連橋ったら。そんなに亜沙子さんが心配なの!?」
ギュッと睦美は連橋の耳朶を引っ張った。
「いててっ。当たり前だろ。亜沙子は俺の姉貴のようなもんなんだからな。滅多な男にゃやれねえんだよ」
「それって、父親の台詞じゃないの!シスコン!」
「なんだって。っせえな、てめえ」
バチッと睦美と連橋の間に、小さな火花が弾けると、志摩が乱入してきた。
「お。喧嘩か?よしよし。やれやれ。思いっきり派手に喧嘩してとっとと別れろ。したら、連。俺がおまえを嫁にもらってやろう」
ニコニコと志摩がとんでもないことを言った。
「「「アホ」」」
志摩は、流・連橋・睦美と3人に同時にパンチを食らったのだった。そんな大人?達を無視して、久人と保は二人で玩具に囲まれて無邪気に遊んでいた。
「皆。そろそろ、ご飯食べに行こうよ」
亜沙子がじゃれあってる4人に声をかけた。
「川村さんに誘われたけど、今日は皆と食べる約束だしね」
パチッと亜沙子は右目でウィンクした。
「振られてしまったよ」
川村は、両手を広げては苦笑していた。連橋は、ホッとしたような顔をして、先頭を切って歩き出した。
「よし、行こう。川村さん、すみませんが久人頼みます」
「ハイハイ。頼まれましたよ。またね、亜沙子ちゃん」
淋しそうに川村は亜沙子に手を振った。
「ふふふ。ごめんね、川村さん。それじゃ。ひーちゃんまたね」
亜沙子達は、ベッドの久人にバイバイするとゾロゾロと病室を出て行った。
「パパ。あさこおねーちゃんにふられたの?」
保がキョトンとした顔で父親の川村に聞いていた。
「ふられちゃったよ。亜沙子おねえちゃんには、好きな人がいるんだってさ」
ヒョイッと川村は保を抱き上げた。
「へへへ。ざまあみろ。パパ、ママにも振られてあさこおねーちゃんにもふられた。モテないんだなあ。なさけないぞ」
「いいんだよ。パパには保さえいれば。ふんだ。いいんだよ」
そういいながら、やけくそ気味に川村は保に頬擦りした。
「ぶっぶー」
玩具の車を、ベッドのシーツの上に走らせていた久人だったが、不意に横からいなくなってしまった保を見上げた。すると、保は、父親に抱っこされて、頬擦りされていた。
「・・・」
久人はジッと二人を見上げていた。
「保はパパが好きだろ」
「しようがないじゃん。パパ、モテないから。僕が好きになってあげないとね」
「保〜。ありがとな。パパ嬉しいよ」
楽しそうな二人の姿が、久人の目に飛び込んでくる。
「ひーちゃんのパパは・・・。どおしていないの?」
久人は一人、ポソリと呟いた。
「なんでおみまいにきてくれないの?」
川村は、自分達を見上げている久人の視線に気づいて、ハッとした。慌てて保を腕から降ろすと、今度は久人を抱き上げた。
「ひーちゃんも抱っこ。よしよし。にーちゃんがいなくて淋しいか。すぐに帰ってくるぞ」
川村はギュッと久人を抱きしめた。久人は、最初はおずおずしていたが、そのうちギュッと川村にしがみついた。
「パパ」
ボソッと久人が一言洩らした言葉に、川村はギクリとした。それきり黙りこんでしまった久人の頭を川村はポンポンと撫でてやった。


そして翌日に騒動が起きた。
連橋が朝一でお見舞いに行くと、久人は泣きじゃくっていた。
「ど、どうした。ひーちゃん」
聞いても、久人は答えない。ただブンブンと首を振って泣くだけだ。
「保くん。ひーちゃん、どうして泣いてるかわかるか?」
連橋は慌てて隣のベッドの保に声をかけた。
保は、ぬいぐるみを両手で抱きかかえながら、
「パパがこないって・・・。さっきから言ってた」
と小さな声で言った。
「でも。そうだよ。連にーちゃん。どうしてひーちゃんのパパはおみまいに来ないの?うちのパパみたく。なんでこないの?ひーちゃん可哀相だよ」
保の言葉に、連橋は目を見開いた。

両親の不在。
度々その疑問を久人に訊かれたが、その度に亜沙子と二人がかりで誤魔化した。幼い久人には言えない。両親は死んだ、とは。母親は自殺し、父親は殺されたなどと。第一、そんなことは言ってもわからない。なんとか誤魔化してきたが、この状況ではどうすることも出来そうになかった。
「・・・」
そうだ。淋しい筈なのだ。川村と保という親子をすぐ傍で見てきた久人には。
「久人。パパがいなくて泣いてるのか?」
連橋が声をかけると、久人はピクッと反応して、うなづいた。
「にーちゃん。ひーちゃんには、どうしてパパもママもいないの?なんで?」
グシグシと久人は泣きはらした顔で連橋を見上げた。
「かわむらのおじちゃんはたもつくんのおみまいに毎日くるよ。なのに、ひーちゃんのパパはどうして一度も来てくれないの?とおいところにいるってどこ?ひーちゃんはパパに会いたいです。にーちゃん」
「久人・・・」
「パパとママ、連れてきて。にーちゃん」
「・・・」
連橋はどう答えていいかわからなかった。いつか必ずこの日が来るとはわかっていた。
だけど。今、だとは思わなかった。どう説明すればいいんだ。両親は死んだのだ、と。もう久人には会えないのだ、と。
「ひーちゃんが悪い子だから。パパとママはひーちゃんに会いに来てくれないの?ジュースいっぱい飲んだり。にーちゃんとけんかするから。二人は怒ってるの?だったらひーちゃん、いい子にするから。ジュースも飲まないし、これからにーちゃんの言うことも守るから。パパとママを連れてきてよ!」
うわああんと久人は泣いた。
「久人。久人。あのな。にーちゃんじゃダメか?パパとママじゃなきゃダメか?にーちゃんが毎日ひーちゃんに会いに来るから」
泣きじゃくる久人を抱き上げようとして、連橋はきっぱりと久人に拒まれた。バシッと、腕を払われたのだ。
「にーちゃんじゃ、イヤ。パパとママ、つれてきてよ。パパとママがいいっ」
久人の言葉に、連橋は目の前が真っ暗になった。やはり・・・。自分ではダメなのだ。
「聞け、久人。おまえのパパとママはな」
「うん」
久人は涙の浮いた目で、連橋を見上げた。その目を見ては、連橋は思わず唇を噛み締めた。
事実は事実。二人にはもう会えないんだ。死んだのだ。そう告げれば、どれだけ幼い久人でも、なんとなくはわかるだろう。だが。だが・・・。
「おまえのパパとママは・・・」
もう一度言いかけて、連橋は目を伏せた。息を吸い込み、連橋は久人を真っ直ぐに見つめた。
「おまえとはもう会えないんだ。おまえはパパとママに会えない。絶対に会えない。どんなに会いたくても二人はもうおまえと会うことは出来ないんだっ。遠い、遠いところに二人は行ってしまったんだから!」
すると、久人の瞳には、新たな涙が見る見る間に浮かんだ。
「うそつき。にーちゃんのうそつき。いつか絶対に会えるって。約束したじゃないか。うそつき。ぜったいにいつかあえるって。にーちゃんそう言ったのに!」
「ごめん・・・。久人」
「うそつき。うそつきいっ!」
久人はそこらにあった玩具を掴んで、連橋に向かって投げつけた。
「ひーちゃん」
保が吃驚して、ベッドから降りてきた。そして、久人を止めようとした。
「ひーちゃん、だめだよ。そんなのぶつけたら、連にーちゃん、痛いよ」
「うそついたにーちゃんがわるいんだ。にーちゃんのうそつき」
泣きながら久人は連橋に玩具を投げ続けた。小さなミニカーが、連橋の額にぶつかり、連橋は小さく呻いた。
「なにやってる。やめなさい」
川村が病室に入ってきて、声をあげた。
「パパ。ひーちゃんを止めて」
保は、川村に向かって叫んだ。
「ひーちゃん。にーちゃんにむかってなにしてるんだ」
川村は病室を横切り、久人を抱き上げた。すると、久人は更に激しく泣いた。
「パパ。パパ。パパ〜」
川村に抱きついて、久人は泣き喚いた。
「・・・」
久人をあやしながら、川村は連橋を振り返った。連橋は、その場に黙って立ち尽くしている。
「連橋くん」
川村が連橋の名を呼んだ。川村の声に連橋は、ハッと顔をあげた。こちらを見ている川村と、連橋の目が合った。川村は、眉を潜めた。
「切れてるよ。血が出てる」
そう言って、顎をしゃくった。連橋は自分の額に手をやった。ヌルリと血が指についた。
「大丈夫かい・・・」
優しい川村の声を聞いた瞬間に、連橋はギュッと目を瞑った。
「どれだけ・・・。どれだけ俺が久人を愛しても。やっぱり、父親の代わりにはなれねえ。俺には、やっぱり無理なんだ。町田先生じゃねえと・・・。先生じゃなきゃ!」
「連橋くん」
「ちきしょう!」
「そんなことはない。君は」
カッと目を開いた連橋の目を見て、川村は思わず言いかけた言葉を止めてしまった。
「ちきしょうっ」
もう一度叫ぶと、連橋は病室を飛び出して行った。
「連にーちゃん!」
保の声が、病室に響いた。久人は、川村に抱きつきながら、病室を飛び出して行ってしまった連橋の背中を、涙の浮いた目で見つめていた。


雑踏の中で、流は振り返った。また連橋がいない。
「やれやれ」
なにがあったのかは知らないが、突然呼び出されてパチンコにつきあわされた。大負けした連橋に、多少は勝った流がメシをご馳走した。ここ最近は滅多にお目にかかれない連橋のハイテンションに、流はほとんど戸惑っていた。明るい雰囲気は大好きだ。だが。元々そういうキャラではない連橋のハイテンションは、時々妙に浮く。それが流には、どうにも違和感でたまらなかった。なにかあったのか?と聞いても、連橋は頑固にも答えなかった。仕方なく次の娯楽カラオケボックスに向かう為に、こうして人ごみに紛れ歩きながら、たわいのない会話をしていたのに、何度か連橋は人の流れに巻き込まれて、姿が見えなくなってしまう。気づくと、隣にいないのだ。それでも、しばらくすると目立つ金髪が、流に向かって歩いてくる。それを見ると、流はホッとした。そして、今。また連橋がいなくなってしまっていた。やがて追いついてくるだろう・・・と流は連橋が合流するのを振り返りながら待った。もう少しで目の前の信号が変わる。青になるから、人が動く。早くしねえと迷惑になっちまう。どこだ、連?と流は、辺りをキョロキョロした。
「ねえ。あの人カッコイイ。見て見て」
「え?あ、本当だ。うわあ。背高い。目立つ」
「えー。どこどこ」
「ほら。あの金髪の人だよ」
女の子達の会話が耳に入ってきて、流は彼女らの方を見た。金髪と聞こえて、一瞬連橋のことかと思ったのだ。
「もう一人の子もカッコイイよ。茶髪の」
「あ、本当だ。逆ナンパする?」
「4対2で?あぶれちゃうよ〜」
だが、彼女達の指し示している方は、反対側の横断歩道だ。流は、人違いか・・・と視線を戻しかけて、ギョッとした。人ごみの中に、明らかに頭一つ高い二人組。彼女達が指差していたのは、その二人のことだった。
信号が青に変わった。
「小田島。城田・・・」
嘘だろ、と流はその場に一瞬固まってしまった。見間違う筈もない。間違いなく小田島と城田が向こう側の横断歩道から歩いてくる。偶然だが、有り得ぬ出会いではない。ここは都心で、誰もが一度は遊びに来るような場所なのだから。
「流。わり。ちょい、店覗いてて」
連橋は、そう言いながら人ごみの中から、バッと飛び出してきた。
「!」
流はギクリとした。その声は、かなり大きく辺りに響いた。先を歩く何人かが振り返ったほどだった。流は慌てて、小田島達の方を見た。案の定、その声に気づいたらしい城田がこちらを見つめていた。なにも知らない連橋は、タタタと軽やかに、流の傍に走ってきた。
「行こうぜ。信号赤になっちまう」
先に連橋が歩き出した。
「連・・・」
二人の存在に、まったく気づいていない連橋に、流は腕を伸ばした。
「そっちに行くな。こっちへ来い」
と言って腕を引っ張ったが、遅かった。城田は小田島を伴い、すぐ傍まで来ていたのだった。擦れ違う瞬間まで、連橋は二人の存在に気づかなかった。
スッと、肩が触れ合うほどの距離になった時、連橋がギョッとしたような顔をした。
ドンッと城田と連橋の肩がぶつかりあった。
「淫乱ヤロウ。流とデートでこれからラブホかよ?今度俺にもつきあいな」
小田島が、城田の肩越しに、下卑た言葉と共に中指を突きたて、笑いながら通り過ぎていく。
「・・・」
連橋は、弾かれたように右足を踏み出していた。
「連。よせっ」
慌てて流は、連橋を羽交い絞めにしてそれを遮った。一方の城田は、連橋をただジッと横目で見つめたまま、口を開かなかった。擦れ違いきる最後の瞬間に、フッと城田は連橋を見ては、小さく笑って通り過ぎていった。
「!」
連橋は、そんな城田を見ては、眉を寄せた。
横断歩道中央で、4人は完全に擦れ違って、それぞれの方向に歩いていった。
「連」
流は連橋の背に声をかけた。横断歩道を渡りきり、連橋は人の流れの及ばぬ、シャッターの降りた店の前に避難していた。
「大丈夫か、連」
「なにが」
「い、いや・・・。だってよ。小田島なんぞにこんなところで会うなんてよ」
「・・・」
黙りこんでしまった連橋を流は見つめた。
「連、おい」
連橋は舌打ちした。
「聞こえてる。大丈夫だ。けどな。小田島。やっぱりアイツは、俺にとっての災厄だぜ」
ギュッと連橋は拳を握りしめた。
「そして。アイツに付き従う城田も、な」
連橋の言葉に、流は目を伏せた。
「ああ。そうだな」
「くそっ。あいつが。あいつが町田先生を殺しさえしなければ!久人にはちゃんと父親がいたのに。立派な父親が・・・いたっていうのに!アイツのせいで。アイツのせいで・・・。久人がなんで泣かなきゃなんねえんだよっ。小田島のクソヤロウ。ぜってえに許さねえ」
「連。久人になにかあったのか?久人が泣くってなんだよ。それで今日のおまえはおかしいのか?なにがあったか話せ。俺に話せよ。連」
流は、連橋に詰め寄った。その勢いに、連橋の背がシャッターにぶつかり派手な音をたてた。
「ひーちゃんがな。パパがいねえって泣くんだ。パパに会わせてくれって泣かれて。俺はうまく説明出来なくて。もう二度と会えないんだって言っちまったら。泣いて癇癪起こして。玩具投げたりして興奮して手がつけられなくて。俺は川村さんに久人を預けて逃げ出してきちまったんだ」
「・・・」
そういうことか・・・と、流は連橋の体から手を離した。フウッと息をついた。
「その時。俺は確信したよ。俺はどんなに久人を愛しても、先生の代わりにはなれねえって。したら、小田島が憎くくてどうしようもなくって。殴りこみかけようとしたが、さすがに思いとどまってよ。おまえに連絡した。よかったよ。おまえがいてくれて助かった。俺は、おまえがいなければ、さっきあいつに飛び掛っていたかもしんねえよ」
「無茶言うな」
流は、連橋の肩を叩いた。
「こんなところで行動したって、こっちが痛い目見るだけだ。横断歩道脇には交番もあるしな。頼むよ、連。無茶だけはするな・・・」
「わかってる」
すっと流は連橋の額に指で触れた。
「さっきから気になっていたんだけど。この傷。久人のせいか。玩具ぶつけられたのか?」
「まあな」
「手当てしろよ。血が固まってる。消毒ぐらいしろっつーの。今日はもう家帰れ。明日、久人のところに行けよ。その頃には久人ももう落ち着いているだろうからな」
傷に触らぬように、だが、流の指は連橋の額をクルリと撫でた。連橋は、その流の指をやんわりと避けた。
「気分がそがれたな。確かにカラオケどこじゃねえや。帰ろう、流」
「ん。そうだな」
再び二人は、人ごみに紛れて、駅への道を歩き出した。


連橋は重い気持ちのまま、病室に向かった。いつもは朝一番に行く病室だったが、今日はもう昼過ぎだった。昨夜、ほとんど眠れなかったので、明け方近くにやっとやって来た睡魔のせいで寝過ごしたのだ。いつものように川村は椅子に腰かけていた。保と久人は、二人でベッドの上で遊んでいたが、保は連橋を見ると、そそくさと自分のベッドに戻っていった。
「川村さん。昨日はすいませんでした」
すると、川村は微笑んだ。
「いいんだよ。気にしなくて」
久人はまだ拗ねているようで、連橋の方を見ようともしなかった。包帯をしていない手には、ぼろぼろの熊のぬいぐるみがしっかりと握られていた。久人のお気に入りのぬいぐるみだった。
「ひーちゃん。にーちゃんが来たよ。さあ、それじゃあ、お話してやるからね」
そう言って川村は立ち上がり、久人のベッドの端に腰掛けて、久人を膝に抱き上げた。
「連橋くん。君も聞いていてくれ」
「なんですか?」
連橋は、川村と久人のすぐ横に立った。
「ひーちゃん。あのな。昨日お話したろ。ひーちゃんのパパとママのこと」
「うん。川村のおじちゃん言った。パパとママに会わせてくれるって。探してくれるって」
「そうだよ。おじちゃんはな。これでもとっても友達が多くて。どんなにひーちゃんのパパとママが遠くにいようと、ぜったいに探し出せる自信があるよ」
「ありがとう。おじちゃん」
「ひーちゃん。これからおじちゃんと約束しよう。にーちゃんの前で誓いなさい。おじちゃんはひーちゃんのパパとママを探そう。そして必ず連れてくる。けれどな。そうしたら、この連橋のにーちゃんとは永久にバイバイだよ」
「!」
久人は吃驚したような目で、川村を見上げた。
「なんでえ?どうしてにーちゃんとバイバイするの!?」
「パパとママの代わりを連にーちゃんがしなきゃならないからだよ。二人がひーちゃんのところに来てしまったら、連にーちゃんはその代わりに二人のいた場所にいかなければならない。とおい、とおいところへね。だから、ひーちゃんとはもう二度と会えない。いいかい、ひーちゃん。連にーちゃんとは二度と会わない。会えないんだよ。それでも、ひーちゃんはパパとママに今、会いたいかい?いつか必ず会えるのに。今会いたいならば、にーちゃんとはバイバイだよ。おじさんの言ってること、わかるだろう!?」
連橋は、川村の腕の中に納まっている久人の顔を見つめた。
「いや」
僅かな沈黙のあと、久人は首を振った。
「いや。にーちゃんににどと会えなくなるの、絶対にいや。ひーちゃんは、イヤだ。にーちゃんとバイバイしたくない。ぜったいにイヤ〜」
持っていたぼろぼろの熊のぬいぐるみを久人は抱きしめた。
「にーちゃんとバイバイするのは、イヤ。だっ、だったら、おじちゃん。パパとママ、探してくれなくていい。ひーちゃん我慢する。いつか必ず会えるならば、ひーちゃんが会いにいくから。パパとママ来てくれなくていい。にーちゃんとバイバイするの、ぜったいイヤ。にーちゃんごめんなさぁい」
川村の腕を跳ね除けてベッドを滑り降り、久人は連橋の足元に立った。そして、クイッと連橋のジーンズを引っ張った。熊のぬいぐるみがポトリと床に落っこちた。
「ごめんなさい。にーちゃん。おもちゃぶつけてごめんね。にーちゃん。ごめんなさい」
言いながら、久人はウルッと目を潤ませて、そのうち泣き出した。
「久人・・・」
連橋は久人を抱き上げた。
「にーちゃん。ごめんねえ。ひーちゃん、にーちゃんが大好き。にどと会えなくなるのは、いや。にーちゃん大好き」
耳元で爆発的に泣き出した久人の頭を撫でながら、連橋は言葉なく久人を抱きしめた。
昨日、あれほど葛藤した想いが、嘘のように消えていく。腕の中の、久人の重みを感じて、自然に浮かびそうになってしまった涙を、グッと唇を噛み締めることによって連橋は堪えた。

泣いてはいけない。一度泣いたら。たぶん、とりとめもなく、どんなことにでも簡単に泣いてしまうだろうから・・・。
嬉しさの涙も、悲しさの涙も、憎しみの涙も。今は、まだ。流せない・・・。

泣きじゃくる久人をベッドに降ろしてやっている時に、川村と目があった。
「ありがとう。川村さん」
そう言って、連橋は笑った。はにかむような笑みだった。
「君の愛情は、ひーちゃんにはちゃんと伝わっていたね。良かったな」
うっくうっくと泣く久人の髪の毛を撫でてやりながら、川村の言葉に連橋はうなづいた。
「うん。嬉しい・・・」
素直に呟いた連橋に、川村は微笑んでみせた。


保に、どっさりと玩具を譲り渡し、久人は連橋と亜沙子に手をひかれて退院していった。
病室には、保と川村の二人きりになった。保は、まだ窓の外をずっと眺めていた。
「行っちゃったな」
「うん」
「淋しいか、保」
「んなことないよ。パパがいるから。でも、ひーちゃんにはまた会いたいな」
窓から離れて、保は川村に抱きついた。
「よしよし。おまえが退院したら、いつかひーちゃんとこに遊びに行こうな」
「パパ。あさこおねーちゃんが目当てでしょ」
ベッドに戻りながら、保はズバリと父の本意を見抜いてみせた。
「うっ。我が子ながら鋭いな」
川村はアハハと笑って、椅子に腰掛けた。ぽつんと空いてしまったベッドを眺めていたら、病室のドアに人影を感じて振り返った。花束を持った男が、ドアの影に立っていた。
「遅くなりまして」
「本当に随分遅かったな。保もそろそろ退院なんだが」
「来たくても来れない理由があったことはご存知でしょう」
「ご存知だったとも」
川村は、椅子から立った。
「連橋達と同室だったんですね。偶然ですか?清人さん」
「偶然に決まってるだろ」
「そうですか」
「それにしても。本当に楽しい偶然だったよ。おかげで楽しかった」
「・・・」
「連橋。あれはイイ目をしてる。敵になるのは惜しい。実に気に入ったね。出来れば手元において育ててみたいね。俺の手で」
「まさか。んなこと出来ねえっすよ」
「まあな。それよか、ひーちゃん。あれがおまえの弟か。・・・城田」
「そうみたいですね」
城田はあっさりと言った。その声にはなんの感情もこもっていなかった。
「可愛い子だった。連橋が育てているからかな。兄貴に育てられたおまえは、兄貴のせいかちっとも可愛くないガキだったからな」
「すみませんね。可愛くなくって。文句ならば恒彦さんに言ってくださいよ」
ひとしきり笑ってから、川村はゆっくりと城田を振り返った。城田は、なにかいいたげな川村の視線を受けて、眉を寄せた。
「なんですか?」
「城田。気をつけろ。おまえには言っておく。金森が動いている。保の怪我は、俺への警告なんだ。信彦さんは、金森に関わってないというが、間違いなくどこかで関わっているはずだ。金森は仕掛けてくるぞ。派手にではないがな。じっくり、じわじわと。今後、小田島の出方をおまえはちゃんと見定めねばならない」
「わかりました」
城田は慎重にうなづいた。組の頂点に立つこの男は、不用意なことは決して言わない。。誰もがこの男の見た目に騙されて、この男の持つ毒と鋭さに気づかない。
「城田のあんちゃん、こんちはー」
保が会話に割り込み、元気よく城田に挨拶した。
「こんちは。保くん。元気そうでなによりだぜ。退院したら、晴海と一緒にまた遊ぼうな」
「えー。晴海って、無愛想だからヤダ。それより、僕。新しい友達が出来たんだ。ひーちゃん。今度、その子と一緒に遊ぶから城田のあんちゃんも一緒に遊ぼうよ」
「ハハハ。そうだな。いつかな」
城田が笑って答えているのを聞いて、川村はからかうような目で城田を見た。
「子供に嘘は言わん方がいいぜ、城田。あとで後悔するぞ。それとも本気で、ひーちゃんと遊ぶか?なんなら、連橋混ぜてな。きっと楽しい遊びになるだろうなぁ」
「・・・洒落になってねえっすよ。清人さん」
珍しくも城田が引き攣った顔をしたので、川村は満足気に笑っては、城田から花束を受け取った。

11話に続く
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