連橋優(レンバシ・ユウ)・・・某都立高校3年
川藤亜沙子(カワトウ・アサコ)・・・連橋の隣室の住人
城田優(シロタユウ)・・・・海外からの帰国高校3年生
緑川歩(ミドリカワ・アユミ)・・・同上
町田久人(マチダヒサト)・・・連橋の恩師の遺児。
大堀恒彦(オオホリツネヒコ)・・・小田島信彦のボディーガード
小田島信彦(オダジマノブヒコ)・・・小田島家の当主。義政の兄
*****************第2部9話**************
「ちきしょう。うざってえっ」
バンッとドアを勢いよく開けて、そんな乱暴な言葉と共に大堀恒彦が部屋に入ってきた。
「大堀。足でドアを開けるな」
「吉田。てめえいたのかよ」
チッと大堀は舌を鳴らし、後ろ手でドアを閉めた。
秘書の吉田は、ジロジロと大堀を眺めながら、
「なんの用だ」
と言った。
「てめえに用はねえよ。信彦に用がある」
回転椅子に座って、書類に目をおとしていた小田島信彦は、顔を上げた。
「なんだ。ご機嫌の悪い顔で、一体俺になんの用だ」
大きなデスクの隅に、ドカッと腰かけて大堀は胸元からタバコを取り出した。
「この部屋は禁煙だ」
信彦は言ったが、大堀はその言葉を無視してタバコに火を点けた。フーッと、白い煙を部屋に撒き散らして、大堀は信彦を振り返った。
「最近。金森組と揉めるような仕事に手を出したか?」
「なんだって。金森組だと!?」
信彦ではなく、吉田が声をあげた。
「いや。してない」
信彦は、大堀の横顔を見つめながら答えた。
「清人のヤツが、金森組と接触しやがった。まあ、まだシマ荒らしまでの騒ぎには至ってねえようだが、金森がそこらでコソコソ動いてるようだ」
信彦は、スッと目を細めたが、無言だった。
「金森といえば、中央しめてるやつらじゃないか。ここらにゃ目もくれていなかった筈だぞ。それがどうして」
吉田は、僅かに青褪めながら大堀に問い掛ける。
「訳がわかんねえから聞いてるンだろ。頭わりーな。吉田」
ブワッと吉田目掛けて煙を吐き出した大堀だった。
「信彦様」
吉田は、その煙を手で払いながら、信彦を見た。
「金森と絡むような仕事はしていない。断言出来る。たまたま、出くわしただけではないかと思うが」
パンッと書類を指で払いながら、信彦は答えた。
「だといいがな。おまえに振りかかる火の粉ならば、大火事になる前にとっと消火しておきてえと思っただけだから」
大堀は前髪をかきあげながら、伸ばした手で信彦の頬に触れた。
「ヤバイ仕事に手を出す予定があるならば、必ず言え。出来る限りの防御をするからな。信彦。金森組のバックは本城だ。いいか。あの本城だぞ。舐めてかかれる相手じゃねえことを覚えておけよ」
「わかった」
緩やかに大堀の手を避けて、信彦は微笑んだ。
「おまえには心配はかけない。俺はうまくやる自信がある。ヘマはしない」
「そうこなきゃな。愛してるぜ、信彦」
大堀がいうと、信彦は即座に眉をキュッと寄せて咎めるような視線を、大堀に送る。その反応に満足したように薄く笑うと、大堀はデスクをヒョイッと降りた。
「吉田。てめえ、信彦の足手まといになってんじゃねえぞ。せいぜい励め」
「やかましい、チンピラ。おまえに言われなくてもわかっている」
バチッと二人の間に険悪な雰囲気が流れたが、大堀はフンッと鼻で笑うと部屋を出て行った。その後姿を見送った後、信彦は視線を吉田に移した。
「清人に連絡を入れろ。恒彦は、俺が組に関わることを好まない。だが。あれだけの大きな組である金森組が、不用意に仕掛けてくるとは思えない。なにか理由があるはずだ。だから。清人から、情報を引き出せ」
「かしこまりました、信彦様」
吉田は恭しくうなづいた。信彦は、細い指を優雅に組みながら、空中をキッと睨みつけた。
「本城だと?冗談じゃない。あんな化け物にノコノコとここらを徘徊されちゃ仕事の邪魔だ」
血を流すと狂う城田。それは小田島から聞いて、知っていた。でも。構うことはなかった。正常であろうが、なかろうが。城田という男に魅せられた自分にとっては、城田の全てが、甘美な毒なのだ。緑川はそう思っていた。例え。真昼間のこの部屋で。唐突に城田が自分を求めてきても。理由なんて聞かない。そんなのどうでもいい。城田。おまえが、おまえである限り。おまえが生きてそばにいる限り。正義であろうが、悪であろうが。おまえに、俺はついていく。
「連橋とは4回目のキスでやっと勃ったぜ。緑川。おまえは俺を何回目で勃たせてくれるよ?」
城田の誘い文句は、最初から煽り口調だった。いつ。なぜ連橋と4回もキスしたのか。そっちのがよほど気になったが、負けずギライな緑川は勿論退かなかった。
「1回。いや、2回で必ず」
「なら、来いよ」
手招いて誘う城田。ほとんどタックルするかのように、城田に抱きついて、緑川は城田の唇に夢中で口付けた。出会って、数年。緑川は、自分の気持ちをきちんと知っていたが、それをいつから城田に気づかれていたのはわからなかった。ただ。自分はいつも、城田が抱く女達に嫉妬していた。いつか、あの腕に抱かれたい、と。女のように浅ましく城田を求めていた。強い男、城田。おまえの完璧なまでの強さは、俺のプライドを粉々にしてくれた。適当に生きてきたことは否定はしないが、それでもささやかなプライドというものは存在していたのだ。なのに!もはや再起不可能というばかりに、おまえは俺を壊した。どうしても勝てない。おまえだけには勝てない。焦れた心は、いつしか城田を負かすことを諦めて、沿うことを求め始めた。それは、本当にごく自然に、だった。男という存在が、まさか自分の人生の全てを占める日が来ようとは緑川は思ってもいなかった。自分が身を滅ぼす時に在るものは、女という存在だと信じていたからだった。
本来生真面目な性格だというのは知ってた。城田という男は。コイツは、セックスまで真面目にやるのか?とちょっと緑川は不満に思っていた。キス。愛撫。きっちりこなしていく。抱いてる女の数は、たぶん同じぐらいだろうが、それにしても城田のセックスは面白味に欠けるかも・・・などと思っていたのは、一度目の最初の時だった。不満は、二度目でぶっ飛んだ。
「初めてだから、反応見させてもらったぜ」
そう言って、一度目の放出を外に出した城田は、ニヤリと笑った。そこまでは覚えている。そこからは。脚を強引に開かされて、ズブリと音を立てて城田のペニスが自分の内側にめりこんだ。「痛いッ!」という叫び声すら掻き消された。城田の唇に塞がれて。腹が破れる・・・と何度も思った。それほど城田の腰使いは、容赦無かった。餓えてる筈もない男だというのに、なぜこれほどまでに貪欲なのか。緑川の股間は、城田と自分の精液でドロドロに溶けていた。アナルは、閉じることすら許されずに、城田のペニスで長い時間塞がれ続けた。
「あ、ああっ。ん、ん・・・っ」
後ろから貫かれて、抱え上げられては貫かれ、もう一体自分がどんな格好をしているかわからずに、ただひたすら城田の脈打つペニスを腹の中にドクドクと抱えながら緑川は心を竦みあがらせた。孕んじまう・・・。そんな、有り得もしないことを頭の中で叫び続けた。城田の吐息を耳の近くで感じて、緑川は思わず呟いた。
「愛してる。おまえを・・・。愛して、る」
自分が、今までにどんな喘ぎを城田に聞かせていたかなど、既に意識出来ていなかった緑川だったが、朦朧とした頭でこれだけは確かに言った。そして。この瞬間から、唐突に城田が冷めたのだった。そこからは、緑川も城田との行為の記憶がハッキリとあった。
「愛してるだと・・・?俺を、愛してる?」
城田は、愕然としたように聞き返す。
これほど交わっておきながら、ただ一つもない愛の言葉。そうだ。これは愛の行為ではない。城田にとって。だが。俺にとっては愛の行為だ。俺は城田を愛してるのだから。そう思って緑川は呟いたのだ。どんな言葉を返されても退かねえぞ!と、緑川はうなづいた。
ズッと、城田は乱暴にペニスを緑川のアナルから引き抜いた。
「マジかよ。緑川」
フッと城田は緑川の耳に囁いた。濡れた吐息。それだけで、緑川のペニスは射精した。
「うっく。うっ・・・」
喘ぎながら、緑川は何度もうなづいた。
「愛してる。おまえを。愛してるッッ!」
無意識に、緑川の瞳から涙が落ちて、ポタッとシーツに落ちた。それは、吐いた精液と交じり合ってゆく。
ゆっくりと城田の指が、緑川の顎の下に差し入れられた。城田は、緑川を覗きこみ、笑った。
「愛してるならば、俺イカせろ。口でな」
城田の言葉が終わるか終わらぬかで、緑川の口に城田の充血したペニスが乱暴に侵入してきた。緑川は、城田のペニスに舌を絡め、舐め、必死に射精を促す。城田は、緑川の髪を掴みながら、緑川の動きに身を任せていた。中々城田を終わらせることが出来なくて、緑川は途中で咽せた。城田は笑いながら、強引に再び緑川にペニスを咥えさせた。口にあまる大きさのソレに、緑川は肩を震わながら奉仕する。
「萎えること、いきなり言うんじゃねえよ。てめえも連橋も。つまんねえヤツらだな」
「!?」
緑川は城田を見上げた。
「男はやっぱり、俺には合わねえな」
これだけ、男の体の中で暴れても、城田はそう言うのだ。緑川は、自分が城田の地雷を踏んだことに今更ながらに気づいて、唇を引き剥がした。
「ん。城田。おまえ」
「町田は俺が殺した」
「!」
その瞬間、城田のペニスから飛び散った精液は、緑川の顔面を濡らした。
「な、んだと?」
「俺が殺したんだよ、緑川。義政じゃねえよ。俺が殺した。俺は実の父親をこの手で殺したんだ。助けを呼べば町田は助かった筈だ。連橋は、本当は間に合った筈なんだよ。俺がとどめを刺さなければな。けどな。俺は助けを呼ばずに、笑いながらアイツを殺した。俺は殺人者だ。そんな俺を愛してるだと?てめえ、どこに目をつけてやがる!」
吐き捨てるように城田は言って、緑川を睨んだ。その迫力に、緑川は、自分の歯がガチガチと鳴り出したのに気づいた。そんな緑川をジッと見つめてから、城田は舌を鳴らし、ベッドを降りて部屋を出て行った。
城田。さっきのあの一瞬は。告げられた事実に驚いて言えなかったけれど。おまえは俺の毒だから。その事実で、俺を殺そうとしても無駄だぜ。俺はおまえへの気持ちを自覚した最初の時から。覚悟していたんだ。おまえという毒にやられてしまうのを・・・。そう思うことで、取り残された緑川の体はまた熱を持っていく。既に腰はヤバく、もう一歩も動けない。だが。体だけは、どんどんと熱くなり小さく震え出す。城田の毒に殺されるという感覚を心に思い浮かべるだけで、緑川の体は、ペニスに貫かれるよりも強烈な快感を得ていた。
「連」
流は、連橋の姿を病院の裏庭に見つけて、声をかけた。
「ひーちゃんはもう大丈夫だ。ここは完全看護だから、平気だぜ。それに看護婦サン優しいし美人揃い。なんせ俺が入院してリサーチした事実。ばっちり安心しろ」
流の明るい声に、連橋は笑った。
「バカじゃねえの。てめえじゃあるまいし。美人だからってなんだよ。久人にゃ関係ねえだろ」
「や。大有りだって。男は小さい頃から、目をこやしておかねえとな。将来の為にも」
真面目な顔で流は言った。
「ちゃれー」
ケッと連橋は肩を竦めた。
「るせえよ。おまえだって、亜沙子ちゃんから睦美ちゃんに乗り換えて。立派に美人狙いじゃねえか!」
「おまえの彼女の香澄ちゃんだって、むかつくぐれえ可愛いだろーが!」
「あれは、いいんだよ。どーでも」
「いつかぜってえ振られるな、おまえ」
トンッと、連橋は木の幹に背中を預けた。
「久人。痛そうだったか?」
「いや。寝てるからな。けど骨折れてるから、起きたら泣くだろうな」
流の言葉に、連橋は唇を噛み締めた。
「・・・城田をやるつもりだったのに・・・」
その言葉に、ピクリと流は眉を寄せた。
「連。なんであそこに城田がいたんだ?アイツはなにしに来たんだ。おまえに会いに来たのか?」
連橋は痣だらけの顔を流に向けた。
「なんでかは城田に聞きな。アイツの目的なんか俺が知るか。けどよ。偶然ばったり会って、よおってなもんで手を振ってじゃあなって擦れ違えるよーな仲じゃねえだろ。接触すりゃ、殴り合うようになってんだよ、俺達は」
「殴り合っただけかよ」
「なんだって?」
「おまえ。いつか俺に言ったよな。偶然城田に会った時・・・。アイツがいきなりキスしてきたって」
「言ったか?」
「言った。とぼけてンじゃねーぞ。だから、今度もまた。アイツ・・・」
「バカ言ってんじゃねえよ」
はっ、と連橋は笑った。苦笑という笑いの種類だ。
「なんで俺が会うたびにアイツとキスしなきゃなんねえんだよ。気色わりいな。だいたいてめえも気色わりーぞ。んなこといちいち聞いてくんな」
バシッと、近くにあった枝を叩いて、連橋は流から顔を背けた。
「俺の目、見て言えよ」
グイッと流に腕を引っ張られて、連橋は振り返った。
「城田となにもなかったって俺の目見て言えるか?」
覗きこんでくる流の目を見て、連橋は眉を潜めた。
「てめえは俺のカノジョか?」
「いいや。出来れば、カレシになりてえかな?」
ビクッと、連橋の顔が強張った。その顔を見て、流は目を見開いた。そして、ゆっくりと笑う。
「冗談だぜ?どうせなら、俺はもっと可愛いカノジョのがいいかんな。おまえなんかカノジョにしたら、毎日殴られそうだぜ。楚々としたタイプが好みだからな、俺は」
ポンッと、流は連橋の頭を叩いた。
「グラスハートのマスコットちゃんみてえな?」
ニッと連橋の口の端がつりあがった。
「だな。あの子は可愛かったなあ。男にしとくのはもったいない」
「増山と出来てるって噂だぜ」
「それ、きしょいぜ」
ククククと流は横顔で笑った。そんな流の横顔を見ながら、
「城田とキスした」
いきなり連橋が言った。
「・・・やっぱな」
流は笑いながら、連橋を見つめた。
「やっぱりな・・・。そうだと思ったぜッ!なんで城田はおまえにっ」
叫びかけた流を連橋が一喝した。
「やかましいっ。黙れ。アイツと何回キスしようが、そこからは、なにも生まれねえっ。生まれる筈がねえんだよ。俺とアイツが馴れ合うことなんて永遠にねえっ。けどよ、けど」
「けど、なんだよっ。なんなんだ、連ッ!」
ガッと流は連橋の肩を掴んだ。
「城田なんか、全然怖くねえよ。アイツが俺を殴るならばその倍殴り返してやる。アイツが俺を刺すならば、絶対に刺し返してやる。けど。流。俺は、アイツの目が。アイツの目だけが・・・。むしょうに怖くてたまらなくなる時があるんだよっ。体中がバカみてえに震えちまうぐらいにな」
「連・・・」
バッと連橋は逆に流の襟元を引き寄せて、その顔を覗きこんで必死に言った。
「どうしてだよっ。おまえにわかるか?なんで、俺はこんなふうになっちまうんだよっ。教えてくれよ、流。町田先生の仇を討つと決めたあの夜から。俺には怖いものなんてなにひとつなかったのにっ」
連橋の困惑と、自分の動揺が重なって、流は言うべき言葉を失った。だが。一つだけ、わかったことがある。城田は、あえて言葉にせずに、なにかを連橋に訴えているのだ。なにかを気づかせようとしている。それが一体なんなのか・・・。自分には計り知れない。けれど!
「連。おまえには、その理由が本当にわからねえのか?」
流の言葉に、連橋は目を見開いた。スルリ、と連橋の腕が流の襟元から離れた。
「俺は・・・」
目を伏せ、連橋が言いかけたところへ、亜沙子がやってきた。
「連ちゃん。流くん。こんな所にいたのね。ひーちゃんもう大丈夫だよ。看護婦さんが帰っていいって。大勢でついていても困るからって。だから、帰って明日の朝一番でまた来よう」
ハアハアと息を切らして、亜沙子が走ってきた。
「おまえと流は帰れ。流、亜沙子を送ってやってくれ。俺は、待合室のソファで寝る。久人が夜中とかに目を覚ましたら。誰も知らねえやつらばっかりじゃきっと不安で泣くだろうし。可哀想だから」
そう言って、連橋はスッと歩き出した。
「連ちゃん。じゃあ、私も残るわ」
「俺も残る」
「おまえら、帰れ。病院側に迷惑だって言われるだろ。久人の傍にいるのは俺だけでいいんだ。色々と助かった。サンキュ。けどこれ以上は俺の責任なんだから、俺が始末つける。じゃあな」
連橋はさっさと行ってしまう。亜沙子は溜め息をついた。
「こーなると、連ちゃんはきかないわよ。てんで頑固なんだから」
「そう・・・だな」
流と亜沙子は、お互いによく連橋の性格を知っているのだ。
「流くん?どーしたの?連ちゃんと喧嘩した」
亜沙子が、様子のおかしい流を見て、首を傾げた。
「あ、いや。なんでもねえよ。ちょい連とマジな話しててさ。まあ、いつか片つけるさ」
「物騒な話はいやよ。私はもう、誰かが怪我したりするの、イヤ。今回のひーちゃんだって、本当は私の責任なんだけど・・・」
言いかけて亜沙子は黙った。これ以上言うと、流に問われ、城田とのことを話さなければならないだろう。連橋にだって、まだきちんと説明をしていないし、ましてやどう説明していいかわからない。いや、本当のことは、誰にも話せない。幸いに流は聞き返してはこないし、今は、連ちゃんの好意に甘えようと思って、亜沙子は流を見上げて笑った。
「帰ろっか。流くん」
「ん。そうだな」
亜沙子につられて、流も笑う。笑いながら。改めてさっきの話をすることはなくても・・・。いつかは必ず、判明する時が来るだろうと思った。いつぞやに確信したあの、予感。連橋の運命に、城田は必ず深く関わってくるだろうと。わかっていたことだ。これ以上、動揺するな!と流は自分を戒めた。自分のすべきことは、あの日からもうちゃんとわかっているのだから・・・・。
亜沙子をアパートの前まで送って行った流は、近くに停まっていた不審な車に気づいて、警戒した。
「亜沙子ちゃん。あの車、見たことあるか?」
「え?ううん。なにかしら」
二人が、車に訝しげな視線を送っていると、すぐに車が動き出した。
「なに?」
流は亜沙子を背に庇いながら、近づいてくる車を凝視していた。すると。
「流。亜沙子」
と聞き覚えのある声が、車の中から聞こえた。
「せ、先生!?」
亜沙子が流の背から飛び出して、車に近寄った。車から降りてきたのは、大林次郎だった。
「って。ええ?ほ、本当に大林先生かよ」
流は、ジロジロと大林を見ては、眉を寄せた。
「なんだ、流。久しぶりだというのに、その素っ頓狂な顔は」
大林は、流を見て苦笑する。
「だっ、だってよお。いつもの髭ねえし・・・。そのせいか、なんかむっちゃ男前に見えるし。バリッとしたスーツなんか着ちゃってよお。どこのご子息かと思ったぜえ。なんだよ、その格好」
すると、大林はガハハハと笑いながら、
「出版社の記念パーティーがあってな。そこにもぐりこんで、ただ飯食ってきた帰りさ。それにな。男前は生まれつきなんだよ」
「へえへえ。ま、なんにせよ、無事でいたんだな、先生」
大林が失踪した理由を知らない流は、ただ亜沙子に「先生は修行の旅に出たのよ。煩悩を磨くってさ」と面白そうに言われて、それをそのまま信じていた。亜沙子は、ちょっと複雑そうな顔をしながら、それでも懐かしげに大林を見つめていた。
「元気そうで良かったわ。でも、連ちゃんは今いないのよ」
「ああ。連は、今はいなくていいんだ。おまえら二人にちょっと話しておきたいことがあって。連はいつ帰ってくるんだ?」
「今日は帰らないわ。ひーちゃんが病院に入院してるから。付き添いなの」
亜沙子の言葉を聞いて、大林は驚いた。
「久人が。なぜ?具合は?」
聞かれて、亜沙子と流は黙った。
「先生。立ち話もなんだから、私の部屋へ。私達に話しがあるんでしょ」
とりあえず亜沙子はそう言い、大林と流を部屋に招き入れた。
結局、亜沙子は流に話さずに済んだことを、大林に説明する為に話さなければならなかった。
迷子になった久人を助けてくれたのが城田で、城田はその久人の落し物を届けに来たのだ、と。だが、むろん。自分にとって肝心な部分は、はしょっていた。自分でも自分の気持ちが、亜沙子にはわからなかったからだ。そして、その後は流が引き継いだ。城田と志摩達が小競り合っている間に、流は連橋に事情を聞いていたからだ。亜沙子と別れた城田に偶然接触した連橋は、当然のように殴り合いになり、止めに入った久人を誤って蹴り上げてしまったこと。色々と突っ込めば「?」というところはあるにしても、とりあえずだいたいの事情を、亜沙子と流は繋ぎ合わせて大林に説明した。大林は二人の話を聞きながら、見る見る間に顔色を青くしていった。
「だいたいはわかった。久人はとりあえず大丈夫ならば、それでいい。そして、ここからは俺の用件だ。二人とも。どうか落ち着いて聞いてくれ。そして、これは絶対に連橋には告げないでくれ」
亜沙子と流は顔を見合わせた。
「せんせ。マジなツラして、なんだよ。連への内緒事なんて」
「そうよ。一体なんなの!?」
「重要なことなんだ。これを見ろ」
大林は、スッと胸元から写真を取り出した。テーブルに置かれた写真を見て、二人の顔色も変わる。
「城田」
「城田だわ。先生、なんで城田の写真なんか!」
二人は同時に、城田の名前をあげた。写真は、学ラン姿の少年のものだった。大林は首を振った。
「これは城田じゃない。町田康司。町田康司の高校在学の時の写真だ。知り合いに頼んで入手してもらった」
「町田康司・・・?」
流が呟いた。亜沙子は、ジッとその写真を覗きこんだままだった。
「それって、連の恩師の町田先生の名前じゃん・・・」
きょと、っと流は首を傾げた。だが、亜沙子は、「まさか・・・」と口に手を当てた。
「優って。・・・優って、まさか」
大林は、バッと亜沙子を見た。
「亜沙子。おまえは城田の名前を知っているのか!?」
「き、聞いたことがあるわ」
「本人からか?」
「本人からよ!あ、あの時は・・・。連ちゃんと同じ名前だって。偶然だわって。でも、まさか!!」
亜沙子は目の前がグラグラと揺れたような錯覚を覚えて、ドンッと壁にもたれかかった。
「え!?なんだよ、それ。城田って。まさか、優って。アイツ城田優って名前なのか!?連と同じ名前」
さすがの流も気づいたようだった。城田の名前など興味もなかったから、知ろうとも思わなかったのだ。
大林は二人の様子を見つめながら、テーブルに置いた写真を再び指に挟んだ。
「俺は・・・。ここを離れてから、色々とあの事件のことを調べていたんだ。そうしたら。一つの事実が浮かびあがってきた。この町田康司はかつて過ちをおかした。不倫という、過ちだ。妻以外の女に子供を産ませていた。城田幸恵という女だ。生まれたのは、流。おまえと同じ歳の男の子だった。町田は、その子供に、優と名付けている。おまえ達は、この話を、連から聞いて知っている筈だ。久人には、兄がいると。優という名前の兄がいる・・・と」
「嘘だっ」
バンッと流はテーブルを叩いた。打ちつけた拳がぶるぶると震えていた。
「せ、先生よお。まさか。城田が・・・。城田が。城田が久人の兄だって言うんじゃねえんだろうなあっ」
大林は、うなづいた。
「興信所を使って、調べてもらった。間違いない。城田優は、町田康司と城田幸恵の間に生まれた子供だ。つまりは。久人の異母兄ということになり・・・。連が、敵と憎む城田は、町田の実子だということだ」
大林が告げた事実。唐突に目の前に告げられた事実に、亜沙子と流は言葉もなかった。
「この事実は、恐らく本人も知っている。調べた形跡もあったからな。城田優は、自分が町田康司の息子だということを知っている筈だ。だが。城田達親子は、徹底的に町田、いや町田というよりその妻に疎まれて、とうとう認知されずに終わった。町田の本音は別としても、表面上はこの親子は町田に見捨てられたんだ。そして傷心ゆえか、その母親は城田がまだ幼い頃に、自殺している。恐らく城田は、町田を、実の父親をひどく怨んでいるだろうと思う・・・」
大林は目を伏せた。
「連に。この事実を素直に知らせてやる必要は、今はない。しかし、いつどんなタイミングでこれがアイツの耳に入るかわからんだろう。城田本人が、告げるかもしれん。遅かれ早かれ連が知る時は来るだろう。そして、その時に先に事実を知っている者がいれば、動揺したアイツを支えてやることが出来るだろう。俺は、おまえ達二人に、いざとなったらアイツを支えてやってくれと頼みに来たんだ・・・。亜沙子、流、頼む。連橋を・・・。連をこの事実から守ってやってくれ!」
10話に続く
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