連橋優(レンバシ・ユウ)・・・某都立高校3年
川藤亜沙子(カワトウ・アサコ)・・・連橋の隣室の住人
城田優(シロタユウ)・・・・海外からの帰国高校3年生
緑川歩(ミドリカワ・アユミ)・・・同上
町田久人(マチダヒサト)・・・連橋の恩師の遺児。
*****************第2部7話**************


亜沙子の部屋では、今や色々なものが飛び交っていた。
「うわあああん」
「うるせえっ、わめくな!」
空のペットボトル・リモコン・タオル・雑誌。亜沙子のTシャツなどなど。
軽いものは連橋が投げて、重いものは久人が投げている。二人は大喧嘩の真っ最中だった。
「いっ。いい加減にしなさい!連ちゃん。貴方が悪いわ。大人気ない。同じレベルでやりあうなんて」
二人を眺めていた亜沙子が堪えきれずに両手を振り上げて、叫んだ。
「やかましいっ。コイツが聞き分けがねえのが悪い」
「にーちゃんのいじわる」
「新しいのを買ってやるって言ってんだろ。なくしたものは仕方ねえんだよ。ガタガタ泣いてんじゃねえ。男のくせに」
「あれじゃなきゃイヤだ。あれじゃなきゃいやだー」
ポイッと、久人は近くにティッシュケースを両手で掴んでは、連橋目掛けてえいっと放り投げた。
「おっと。あぶねえ」
ヒョイッと連橋がそれを避けると、台所に立って二人の様子を見ていた亜沙子の顔面にそれがヒットした。
「いたっ」
亜沙子は、顔を押さえてその場にうずくまった。
「いたぁ〜い・・・・。うー。頭来たっ。もう二人とも許さないわよっ」
うめきながら、亜沙子は近くにあったフライパンをグッと握り締めて、振り返った。すると、連橋と久人の姿は忽然と消えていた。バターンッとドアが風に揺れて全開になって大きな音を立てていた。
「逃げ足の速い兄弟め・・・」
チッと亜沙子は舌打ちして、フライパンを元に戻す。
「はあ。やれやれ。新しいのをひーちゃんに買ってあげなきゃね。いつまでも喧嘩ばっかりされちゃたまらないわ」
呟きながら、亜沙子はまな板の上で作りかけだった粉をこね始める。
「あとで睦美ちゃんの家にオーブン借りに行かなきゃ」
あまり甘くするのは止そう・・・と、砂糖の入った壷を手にしながら、ぼんやりと亜沙子は思った。


結局。夕方になって、すっかり仲直りした二人は泥だらけになって帰ってきた。
「あー。砂で体中ジャリジャリだ。風呂入ろっと。久人、来い。風呂入るぞ」
「うん。おっふろ、おっふろ♪」
亜沙子の部屋で素っ裸になった久人を腕に抱えて、連橋は自分の部屋に戻りかけて、亜沙子に話かけた。
「さっきから、おまえなに作ってたんだよ」
「この前のお礼をと思って。助けてくれた金髪さんに、パウンドケーキ」
「手作りか。なーんか、やらしいな、おまえ。魂胆見え見え」
ニヤッと連橋が笑った。
「どこがよ。羨ましいならば、素直におっしゃい。あげないけどね」
ベエッと亜沙子は舌を出した。
「ソイツの家、これから行くのか?俺も出かけるんだけどよ。久人どうしようか。一人にさせられねえけど、俺の飲み会には連れていけねえし」
「うん。志摩さん達に、卒業おめでとう祝いをしてもらえるんだよね。知ってるよ。だから、ひーちゃんと夕涼みに散歩がてら行ってくるから、心配しないで」
ホッとしたように連橋はうなづいた。
「そっか。気をつけて行けよ。また事故るなよ」
「今度は気をつけるよ。連ちゃんも飲みすぎないように気をつけなね。ただでさえお酒弱いんだから」
「うるせえよ。亜沙子が強すぎるんだよ。女のくせに」
唇を尖らせ、連橋はぼやいた。過去に二人で飲み比べをしたことが何度もあるが、亜沙子がろくに酔わないうちに、連橋はいつもコロリと酔ってしまうのだ。亜沙子は、泥だらけの久人の頭を撫でながら、「お風呂からあがったら、今度は亜沙子ねーちゃんとデートよ。ひーちゃん」と言った。すると、久人は顔を真っ赤にして「ねーちゃんとデエト」と、エヘヘと嬉しそうに笑った。


ジレンの幹部メンバー達が集まって、連橋と流の【卒業おめでとうパーティー】なるものが決行されていた居酒屋。一応名目はあるものの、単なる飲み会に成り果てることは、誰でも始まる前から簡単に想像出来ていた。幹部の一人国山の両親が経営する居酒屋は、小奇麗で広くて、そしてそれなりに盛況だった。そんな中、奥まった一番良い場所をジレンのメンバー達が独占していた。
「んでは。俺、志摩怜治が乾杯の音頭を取らせてもらうぜ。連と流。卒業おめでとサン。お。忘れていたが、オマケにうちの睦美も卒業だ。コイツは予想どーりに大学進学。連は、これから社会人。恐ろしく似合わねえが、ま、ガンバレ。流、俺と同じ大学生。これまた恐ろしく似合わねえが、せいぜい留年しねえように勉学に励め。とにかく、これからもよろしく頼むっつーことで!」
志摩はグラスを高々と持ち上げた。
「カンパイ」
「うぃーっす」
ガツーンと、あちこちでグラスがぶつかる音がして、最初の一杯を皆グイグイと飲み干していく。
「とにかく、てめえらよく卒業出来たよ。えらいぞ」
志摩は、自分の両脇にいた連橋と流の肩をグイッと掴んで、楽しそうに笑った。
「は、離せ」
連橋は、即座に志摩の腕を振り払って、すぐ隣に座っていた睦美の方へと体を寄せた。
「つれねえな」
「俺も離してくれよ、志摩先輩。むさい男に肩抱かれても嬉しくねえ」
流もバシンッと志摩の腕を振り払った。
「お兄ちゃん、嫌われてるわ。ざまあみろ。私のことオマケ扱いしたからよ」
睦美は、手酌でビールを自分のグラスに注いでいる。
「うるせえ。睦美、てめえ。いつのまにか、連とくっつきやがって。言っておくがな。俺のが先にコイツに目をつけたんだぞ。それを横から掻っ攫いやがって」
「そんなに連橋が好きならば、今すぐ死んで、根性で女に生まれ変わってきなさいよ。そうしたら、連橋に好きになってもらえるかもしれないわよ。やれるもんならやってみなさい」
「こ、この野郎。なんて可愛くねえ女だ。連、女の趣味悪いぞ」
自分を無視した状態で、志摩兄妹に、目の前でバチバチと火花が散るようなやり取りをされて、連橋は溜め息をついた。
「席移ろっと」
スイッと連橋は立ちあがった。グラスを持ったまま、連橋は流の横に腰掛けた。
「よ。モテるヤツは大変だな」
流は、隣に腰かけた連橋を見て、ニヤニヤと笑いながら、グラスに口をつけた。
「同じよーな顔のヤツらに取り合われたって、嬉しくもなんともねえよ」
「ちょっと、連橋。私は、こんなゴツい顔してないわよっ」
すぐさま睦美の文句が飛んできた。兄怜治を指差して抗議する。
「俺だって、こんな気の強い顔してねえよ」
怜治も言い返してきた。
「なによ。バカ兄貴」
「うるせえ。はねっかえり」
ギャイギャイと横でやりあう兄妹に、流はクスクスと笑う。
「連。睦美ちゃんとちゃんとつきあうことになったんだってな。おめでとう」
「おめでとうか。どうかな。俺は、亜沙子の時のことを考えると、女と付き合うのは、ヤバイって今でも思ってる。少し後悔してる部分もあるな」
兄妹のバトルが続いているのを横目で見ながら、連橋はヒソッと流に呟いた。
「それでもおまえは女ナシじゃいられねえだろうが」
流の言葉に、連橋はムッとした。
「人をまるで、色キチガイみたく言うなよ」
「俺が傍にいるだけじゃ、満足しねえんだからよ」
「・・・なんだよ、それ」
「なんでもねえよ、気にすンな」
流はにっこりと笑って、連橋のグラスにビールを注いだ。
「流。それよか、おまえ。いつの間に大学なんて受かっていたんだよ。ノートも取ってなかったっつーに」
「行くつもりはなかったけど、親がうるさくってよ。ちゃんと冬から勉強してたぜ。彼女にカテキョしてもらってよ。したら、無理だと思ってたところになんかテキトーに受かっちまってよ。人生なんて軽いな」
「おまえの人生は楽そうでいいな」
ククッと連橋が笑った。笑う連橋を見ながら、流は
「連、おまえさ。楽に生きていいんじゃねえの?俺はこの頃そう思う。おまえと久人を見ていると、つくづくそう思うよ」
「・・・」
グイッと連橋はグラスの中身を飲み干した。
「適当に生きていきたいならば、おまえはそうしな。俺は引き止めるつもりはねえよ」
「なんだと?連・・・」
言いかけた流に、「ながれぇ〜」と甲高い声と共に、ドサアッと飛びついてきた女がいた。由美子だった。
「なに、連ちゃんとイチャイチャしてるのよお。連ちゃんは睦美に任せて、アタシとお話しよっ」
「由美子サン。もう酔ってんの?イテテ。重いよ」
ぐてぇ〜と由美子は流の背におぶさってきている。
「あっちにいる金森と依田と、カンパイ終わってからすぐに飲み比べしたの〜。あいつら木刀勝負はすっごいくせに、酒はてんで駄目ねぇ」
ウフフと由美子は流の耳元で笑う。
「連橋。おう。初めまして、だな。俺、グラスハートの増山だ。今日は志摩公にお呼ばれして合同させてもらったぜ。一度おまえとちゃんと話してみたかったんだ」
流と由美子の横にちんまりと座っていた連橋は、突然肩を叩かれて振り返ったところに、増山からの自己紹介を受けた。
「アンタが増山・・・」
連橋は、増山を見上げた。志摩と同じ歳の、大柄でスキンヘッドの増山は、ハッハッと豪快に笑った。志摩と同じタイプらしい。
「オイオイ。俺はおまえより年上だぜ。せめて、サン付けぐれえしろよ。うわさ通りに無礼なやっちゃな」
言葉と裏腹に、増山はかなり楽しそうな顔で、連橋の横に腰掛けた。
「うちのやつらも、うわさに高いおまえのツラ見たくて、今日はあとからいっぱい合流する予定だぜぇ。この店、大丈夫かな。って、仏頂面してねえで、愛想よく頼むぜ」
増山は、ごく自然に、連橋の肩に腕を回した。
「なんで俺が愛想よくしなきゃなんねえよ。俺はマスコットじゃねえぞ」
「いやいや、どーして。こーんな可愛いツラして、それはナイでしょ。あとから来るうちのマスコットちゃんも可愛いけど、おまえには適わないな」
言いながら、空いた手で増山は、連橋のグラスに酒を注ごうとしてハッとした。
「殺気を感じる・・・」
「え?」
増山が振り返った方を連橋もつられて、見た。
「な、なんで俺、睨まれてるの?」
隣では流が。その向こうでは、志摩兄妹が。馴れ馴れしく連橋の肩に手を回した増山をジトッ〜と睨んでいた。
「知るかよ」
フンッと連橋は鼻を鳴らして、増山からビール瓶を奪い取って、自分のグラスに勢いよく注いだ。

結局、ジレンのメンバーだけでもかなりいたというのに、後から合流してきたグラスハートのメンバー達をくわえると、かなりの大人数になってしまった。大量に消費される食事と酒に、店の厨房の中では、国山の両親達が嬉しいような悲しいような悲鳴をあげていた。時間が経つにつれ、飲み会独特の、なにがなんだかわからないモードに突入していく。連橋は、自分の酒量が限界を迎えたことを知ると、席を立った。もう誰と、なにを喋っているかも全然わからなくなっていたからだ。ヨロヨロと店の中を横切り、トイレを探す。トイレのすぐ傍の公衆電話の所には流が立っていた。流は、受話器を顎に挟んで、耳元に手をやりながらなにか必死に喋っていたが、連橋が横切ったことに気づいて連橋に目をやる。連橋も、チラリと流を見たが、勿論話しかけることなくトイレに消えた。店にいる人数を考えると、激コミを予想したトイレの中は、意外にもシンとしていた。用を済ませ、連橋は蛇口を捻り、手を洗った。そして、すぐ目の前にある鏡を見て、自分の赤い顔をまじまじと見つめた。見つめながら・・・。鏡に、流が映ったのに気づいて、連橋はゆっくりと瞬きをした。バタンと、流がドアを閉めた音が室内に響いた。
「嘘つき」
いきなり唐突に、流は言った。
「なにがだよ」
振り返らずに、連橋は鏡に映った流を見て、言った。
「おまえは嘘つきだ」
「酔ってんのか?突然、なんだよ」
「楽な人生を生きろ、だと?なに言ってんだよ・・・。俺は引き止めるつもりはねえ、だと?ふざけんなよ・・・。連」
スニーカーに包まれた流の足が、スッと前に進み出る。
「俺を手放さないって、おまえ言ったろ。目を反らさないで見ていてくれって、おまえ言ったじゃねえか。忘れたのかよっ!」
バンッと、流は、鏡に両手をついた。連橋の体は、流の両手によって、挟まれてしまった。
「今更、ふざけたこと言ってんじゃねえよ。俺は、おまえにとって、その程度なのかよ。俺は傷ついた。傷ついたぜ、連」
「悪い・・・。そんなつもりじゃなかった」
「じゃあ、どういうつもりなんだよ。あんなこと言いやがって」
「怒るなよ、流。わるかったよ」
連橋は、鏡に映る、珍しく怒った顔の流に向かって、素直に謝った。
「おまえが楽に生きるならば、俺もそれに倣う。だが。おまえが、そうは生きられないならば、俺一人楽になんか生きねえぞ。わかってんだろうな、連」
「ああ・・・。けど、俺は・・・。おまえだけでも・・・って一瞬」
言いかけて、連橋はギョッとした。流が、連橋の左手首をグッと掴んだからだ。連橋の手首を掴んだまま、流はその手を鏡に押しつけた。連橋の掌がペタリと鏡に触れた。そして。鏡には、ハッキリと連橋の左手首の傷が映った。
「本当に、傷があるんだな。知らなかったよ」
「離せ」
連橋は左手を激しく動かした。しかし、流の力は強く、振りほどけない。
「おまえを傷つけるヤツは許さない。それが志摩さんでも小田島でも城田でも。たとえ、おまえ自身であっても」
連橋の耳元に囁いて、流はゆっくりと連橋の手首を掴んだまま、左手を持ち上げた。
「!」
ビクッと、連橋は目を瞑った。左手首が熱い。左手首の傷を、流の舌がなぞったからだ。バンッと連橋は、右手で鏡を叩いた。鏡の中で、流と連橋の視線が交差する。
「もう一度言う。離せッ」
ゆっくりと連橋は言った。流は、スッと連橋の手首から手を離した。
「気が済んだか?」
連橋は鏡の中の流を睨みつけながら、言った。
「ああ。済んだ」
流はうなづいた。
「俺の傍にいたかったら・・・。おまえは・・・。おまえだけは。バカな男にはなるなよ」
「残酷なことを言うなよ、連」
流は、フッと泣きそうな顔で、連橋を見つめた。
「残酷?どこが。おまえがバカな男になったら、俺は傷つくぞ。俺を傷つけたくないんだろ?男ならば、一度言った言葉はきちんと守れよ」
連橋は、いつになく真剣な顔だった。強張った顔、とも言うのかもしれない。
「自分が棚にあがってるぞ、連」
前髪をかきあげながら、流は笑った。
「っせえ。謝っただろうが。俺はもう帰る。志摩達には適当に言っておけ」
パッと連橋は踵を返した。
「うん。その方がいいな。俺もこれ以上この場におまえを置いていくのは、不安でたまらねえ。とっとと帰れ。足元に気をつけてな」
流は、さっさとトイレを出て行ってしまった連橋の背に手を振った。バンッと、まるで怒ってるかのような乱暴なドアが閉まる音を聞きながら、口腔内に残る連橋の皮膚の感覚を思い出して、流は思わず口に指を当てた。今更ながらに心臓が激しい音を立てている。酔ってはいなかった。自分は、酔っていなかった。連橋が、僅かでも酔っていてくれたことに、流は感謝したい気分だった。


部屋の電話が鳴る音に、亜沙子はラッピングの手を止めた。
「もしもし」
受話器を持ち上げて応対した途端、亜沙子は心臓がビクンと跳ね上がるのがわかった。
『城田。今近くまで来ている。川辺りの公衆電話。遅くに悪いが、近くまで出てきてくれねえか?』
受話器から聞こえた声に、亜沙子はしばらく言葉が出なかった。
『おい。聞こえてる?』
「聞こえてるわ。いますぐ行くから。待ってて」
ガシャンッと受話器を投げるようにして置いて、亜沙子は慌ててラッピングの続きを始めた。しばらくして、パウンドケーキを収めた綺麗な箱が完成した。支度はもうとっくに出来ていた。このラッピングを終えたら、今まさに電話をくれた城田のところへ行こうと思っていたのだ。
「ひーちゃん。起きて。待たせてごめんね。飴のにーちゃんのところに行くわよ」
「は、はあいっ」
部屋の中央で、小さな体をデンッと大の字にして眠っていた久人は、亜沙子の言葉にビクッと飛び起きた。片手に久人の手を握り、片手に小さな、綺麗にラッピングされた箱を抱えて、亜沙子はアパートを出た。思いがけずに手間取ってしまったおかげで、夕方というよりかもうすっかり夜だった。久人を連れて行くのは無理だと思っていたので、連橋が戻ってきたら、一人で行こうと思っていたところだった。それなのに、どういう訳か、城田が家の近くまで来ているという電話をよこした。偶然にしては出来すぎている感じだった。
城田は、公衆電話のすぐ脇のガードレールに腰かけていた。
「よお」
亜沙子を見ると、城田は手を挙げた。
「脚はもうすっかりいいみてえだな」
「ええ。それより、どうしたのよ。なんなの?」
胸をドキドキさせながら、亜沙子は城田の傍に駆け寄った。
「渡したいもんがあってよ。アパートに行けば、連橋と鉢合わせしちまうと思って」
「連ちゃんは、今日は飲み会に行ってていないわ」
「飴のにーちゃん!このまえは、ひーちゃんを助けてくれてありがとう」
二人の会話を遮り、亜沙子を押しのけて、久人が元気よく城田に向かって礼を言った。
「おお。すっかり元気そーだな。よかったな、ひーちゃん」
城田は、ニコッと笑った。その顔を見て、亜沙子は不思議な気持ちになった。
「飴のにーちゃんは、手大丈夫なの?」
「手?ああ。ほれ、もう平気」
城田は両手を久人の前に突き出した。
「本当だ。良かったね」
嬉しそうに久人は、城田の手を両手で掴んだ。
「忘れ物だ」
そんな久人の頭に、ポンッと城田は帽子を乗せた。
「あっ」
久人が声をあげた。
「これ。これ探していたの。なくなっちゃって。どーして飴のにーちゃんが持ってるの」
「・・・どうでもいいが、飴のにーちゃんってなんだよ」
城田が怪訝な顔で、亜沙子を見た。
「城田。この前ひーちゃんに飴あげたでしょ。ただのにーちゃんは、連ちゃんだから、飴をつけてアンタと連ちゃんを区別してるのよ」
「へえ。ガキっつーのは、よくわからんな。なんで俺がこれ持ってるかって?あのあと横断歩道の側を通ったらこの帽子が落ちてたんだよ。踏まれて汚かったけど、ちゃんと洗っておいたぜ」
前半は亜沙子に、そして後半は久人に、城田は言った。
「ありがとう。飴のにーちゃん!これね。にーちゃんが買ってくれたの。にーちゃんはなくしたものは知らないっていうけど、ひーちゃんはどうしてもこれが良かったんだ。あたらしいものをかってくれるってにーちゃんは言ったけど、それじゃやなの」
久人は自分の頭に乗っている帽子を両手で引っ張りながら、えへへと照れたように笑った。
「おかげで、毎日連ちゃんとひーちゃんは、新しいのを買ってやる、いらない!の大喧嘩だったわ。ありがとう。これで、騒ぎもおさまるわ」
亜沙子が、そんな久人を眩しそうに眺めながら、嬉しそうに呟いた。
「ガキと一緒になって喧嘩してんのかよ。バカじゃん、連橋」
ケッと城田は肩を竦めた。そして、もう一つ手に持っていたものを久人に手渡す。
「ついでだから、これやるよ。食いすぎて、腹壊すなよ」
「なに、これ」
「アイス。さっきそこらの店で適当に買ってきた」
「あ、ありがとう。飴のにーちゃん」
久人は、渡された包みを覗きこんで、ペコッと頭を下げた。
「溶けないようにな」
「ウン」
コクッと久人はうなづきながら、亜沙子の手を引っ張った。
「亜沙子ねーちゃん。れいぞうこにアイスいれるから、帰ろうよ」
「ひーちゃん。近いから、一人で帰れるよね。それ、冷蔵庫に入れておいて。
ねーちゃんも、すぐ行くから」
「うん。じゃあ、先に行ってる。早く戻ってきて、一緒にアイス食べようね」
久人は、キョロキョロと左の道路を見て、車が来ないことを確認して、トテテと道路を横断していった。
「なんで?アンタも一緒に帰れよ」
城田は、久人を見送りながら、すぐ脇に立つ亜沙子に向かって言った。
「こんなところ、帰ってきた連橋に見られたら、まずいだろ」
「すぐ帰るわよ。ただ。これ、渡そうと思って」
言いながら、亜沙子はラッピングされた箱を城田に押しつけた。
「なに?」
キョトンとしながら、城田は箱を受け取った。
「ひーちゃんを助けてくれたでしょ。その時のお礼よ。カステラみたいなちょっとしたスポンジケーキ。甘くしなかったから、パンみたく食べれる筈よ」
「ひょっとして、これって手作りかよ」
「悪い?」
「毒入ってねえだろうな・・・」
失礼きわまりない城田の言葉に、亜沙子はプッと笑い出した。
「あら。残念ね。そういえば、入れ忘れたわ。すっごいチャンスだったのにね。もう一回作りなおすから、返してよ」
アハハハと亜沙子は笑いながら、城田に向かって手を伸ばした。そんな亜沙子をジッと見つめながら、城田は片手でその箱を持ち、なにげなく目の前に伸ばされた亜沙子の手を、グイッと引き寄せた。
「きゃっ」
亜沙子は、小さく悲鳴をあげて、ドサッと城田の腕に倒れた。
「な、なにするのよ」
「アンタ、可愛いね。俺、年上好きだし、アンタみたいな美人な女は好きだよ。なあ。連橋と別れたンだろ。だったら、俺の女になってみるか?今度は合意でセックスしようよ。亜沙子チャン」
フッと、城田は亜沙子の耳元に囁いた。
「!」
バッと亜沙子は城田の腕を払いのけた。
「かっ、彼女いるくせにっ。ゆ、夕実さん。あんな綺麗な人いるくせにっ。軽く言わないでよ、そんなこと」
「フラれたよ。あの人は、俺の留学中に、別の男と寝て孕んじまったよ。イイ女だったけどな・・・」
「私に代わりをやれっていうの?」
亜沙子は眉をつりあげた。
「今度は義政のガキじゃなくて、俺のガキ産ませてやるよ」
城田は鼻で笑っていた。
「・・・最低・・・」
バシッと、亜沙子は城田の頬を叩いた。
「やっぱりアンタって最低よ」
「惚れてるくせに」
「・・・え?」
「俺に惚れてるんだろ、亜沙子ちゃん」
城田は、手首を掴みながら、ガードレールから腰を浮かせ、クルリと反転し、亜沙子をドサッとガードレールに座らせた。
「離してっ」
手首を掴まれたまま、亜沙子は城田を見上げて叫んだ。逃れようと、亜沙子は必死だった。城田は、そんな亜沙子を見下ろしながら、ふと、スッと目を細めて、亜沙子の後ろの空間を見た。黒い川。土手に生えっぱなしになっている背の高い雑草が、風のせいでサワサワと揺れていた。見上げると、月は空に在る。
「城田、離しなさい!」
「やだね」
グイッと城田は亜沙子の顎を持ち上げると、有無を言わせずにその唇に口付けた。
「んっ」
突然に重なった唇に、亜沙子は目を見開いた。無理やりこじ開けられた口の中に、城田の舌が進入してきた。亜沙子は首を振りかけて、諦めてその舌を受けた。絡まる舌が濡れた音を立てた。
「アンタなんか・・・嫌いよっ」
亜沙子は、城田の唇が離れると、そう叫んだ。
「連ちゃんのキスのが優しいわ。アンタなんか、嫌いよ」
ぽろぽろと涙をこぼして、亜沙子は口元を拭った。
「嫌いでもいいぜ。好きにさせれば、いいだけの話だからな」
城田は亜沙子の唇に指で触れながら、笑った。
「マジに口説けば、アンタはその気になってくれるだろ。ならば、本気で口説いちまうぜ。亜沙子ちゃん」
「いいかげんにしてっ。二度とそのツラ、私の前に出さないで!」
バッと城田を押しのけて、亜沙子はその場を駆け出した。甲高いサンダルの音が、道路の向こうに消えていく。城田は、そのまま、ガードレールの向こうの空間を睨みつけた。
「・・・」
ヒョイッと、白いガードレールに足をかけて、その頼りげない上に立ち、それからゆっくりと、ガードレールの向こう側に降り立ちながらうつむきつつ、城田は笑った。
「堂々と、デバガメしてんなよ・・・」
呟き、城田は顔をあげた。
「連橋」
背の高い雑草の向こうに、月の光を浴びて、連橋が立っていた。
城田は気づいていた。亜沙子をガードレールに座らせた、その瞬間に。川の方から、連橋が土手を上がって歩いてきていたことに。もっと早くに邪魔が入ると思っていたが、予想外に連橋からの邪魔は入らなかった。そして、亜沙子はとうとう背後の連橋の存在に気づくことなく去った。
「おまえだったのか・・・」
連橋は、城田を睨みながら、呟いた。
「なに?」
「久人を助けた金髪の男というのは。やっぱり、おまえだったのか!」
城田が片手に持っている、綺麗にラッピングされた包みには、心当たりがある。
足元から襲ってくる驚愕に、連橋は息を飲んだ。

亜沙子の楽しそうな。そして、嬉しそうな顔が連橋の脳裏をよぎった。よりによって、この男に渡すものを、亜沙子はあんなに楽しそうに作っていやがったのか・・・。そして。イヤでも耳に入ってきてしまった二人の会話を聞きながら、城田が亜沙子にしようとしていたことを理解っていたのに、どうしてか脚が凍りついて動かなかった。止めることは十分に出来たというのに、城田が亜沙子にキスするのを、連橋は止めることが出来なかった。

城田を睨みながら、連橋は、自分の心臓の音を聞いていた。ドクッ、ドクッとその音は、自分の体を駆け巡ってゆく。その音に、耳を塞ぎたい衝動にかられる。

今目の前で見たものが。その高い音ともに、心臓を貫いた。連橋は、思わず小さく喘いだ。流の舌に舐められた左手首が、熱を持ち疼き始める。

この感情は、なんだ!?一体、これはなんだよ・・・。
再び連橋の目の前に、さっきの光景がフラッシュバックした。
「!」

城田は、なにも言わずにただ黙って、目の前の連橋を、見つめていた。


8話に続く

BACK      TOP        NEXT