連橋優(レンバシ・ユウ)・・・某都立高校3年
川藤亜沙子(カワトウ・アサコ)・・・連橋の隣室の住人
城田優(シロタユウ)・・・・海外からの帰国高校3年生
緑川歩(ミドリカワ・アユミ)・・・同上
町田久人(マチダヒサト)・・・連橋の恩師の遺児。
*****************第2部6話**************
カチャッ。
亜沙子は、連橋の部屋を覗きこんだ。連橋は、スヤスヤと眠っていた。亜沙子は、クスクスと笑いながら、睦美を振り返った。
「寝ちゃってるみたい」
「ですね。もう。せっかく、今日はデートの予定だったのに」
「ここで待ってなよ。そのうち起きてくるわ。私は、ひーちゃん連れて、散歩行ってくるから」
「私も行きます。ここで連橋の寝顔見てても、つまんない」
少し拗ねたように睦美が言った。
「ダーメ。ここで連ちゃん待ってて。連ちゃん、ずっと教習所通いで忙しかったでしょ。二人、全然デート出来てないじゃない。たまの休みぐらい、二人でゆっくりしなさいよ。連ちゃんはね。女心を理解出来ない鈍感だからさ。我侭言わないとヤツのペースにのせられてしまうわよ」
パチンと亜沙子はウィンクして、睦美を部屋の隅に座らせた。
「んじゃ、連ちゃん、よろしくねー」
亜沙子は、睦美を残して、連橋の部屋を出た。つっかけの音を響かせながら、自分の部屋に戻った。
「ひーちゃん。亜沙子ねーちゃんとお散歩行こうよ」
すると、亜沙子の部屋で、ハグハグとクッキーを食べていた久人がうなづいた。
「うん。にーちゃんは?」
「にーちゃんは行かないの。ねーちゃんだけじゃ、ダメ?」
すると、久人はブンブンと首を振った。
「ねーちゃんだけでいい。行こ、行こ」
久人は、自分の小さなリュックと帽子を、亜沙子のタンスから取り出した。
「じゅんびかんりょう」
「偉いねー、ひーちゃん。よっしゃ。行こ、行こ」
亜沙子は、バッグを片手に持ちながら鍵を閉めて、久人の手をひいて散歩に出かけた。

良い天気の日曜日だった。久人はご機嫌で、亜沙子の手を握りしめながら、スキップしている。亜沙子は、小さな久人の手を握りしめながら、空を見上げた。本当だったら、自分の子供とこうして歩いていたんだな・・・と亜沙子は思った。あの時、お腹の子を堕ろしていなければ。ふと、亜沙子は空から視線を戻して、自分の腹を撫でた。あの子は、男の子だったのかな?女の子だったのかな?考えて、ハッとする。どっちであっても、父親があの男である限り、愛することは出来なかっただろう。どうしようもなかったのだ。けれど、連ちゃんの子供だったらな・・・と何度も思った。あの時、あの子供の父親が連橋であったならば、迷わず産んでいた。ズキッと亜沙子の胸が痛む。でももうその連橋も、もう自分のものではなかった。志摩睦美という、あの娘のものだ。連橋は、新しい道を歩いている。引き換え自分は・・・と、亜沙子は溜息をついた。

ある日、ふと気づいたこと。
胸の底で、静かにたゆたう感情。それは、決して、表には出せない。

私を犯した男。憎んでいる筈なのに。あの男は、私の中絶手術に、自分の女を付き添わせた。あの女は、「城ちゃんは、貴方が心配だから、私をここに呼びつけたのよ。彼女を看ててくださいってね」そう言った。そして。小田島の別荘に行った時。あの凶暴な男から、全身で庇ってくれた。自分自身がが傷ついていたのに、なおも殴られながら。あの時の、自分に覆い被さったあの男の体の熱さを、時々思い出しては、亜沙子は自分の体が火照るのを何度も感じた。

不思議な男。城田優。優しさと、凶暴さが混在する男。連橋と同じ名前を持つ男。だが、敵だ。わかっている。どうしようもなく敵なのだ、と。
それなのに、あの男の面影は、亜沙子の胸をゆっくりと、ゆっくりと浸してゆく。外国に行ってしまったと聞いた。そして、つい最近、とうとう戻ってきた、とも。

「ひーちゃん。ちょっと、遠くまで散歩行こうか。歩くよ」
「うん。歩こう」
コクッと久人はうなづいた。亜沙子は、日差しから久人の頭を守る為に、帽子の位置を直してやりながら、ニッコリと微笑んだ。


城田は、小田島邸の近くにある小さな公園に、緑川晴海の手をひいてやってきた。暇こいていた城田は、ここ幸いとばかりに緑川に、晴海の子守りを押しつけられたのだ。
「晴海。おまえのパパは、ママとデートするためにおまえをおいてけぼりにしたヒドイ男だ。なあ、おまえのママってそんなに美人なのか?」
「ブス」
容赦のない晴海の答えだった。城田は、くわえていた煙草を吹き出しそうになったが、寸でのところで堪えた。
「ハハ。ブスか。なるほどね。んで、なにして遊ぶか?」
再び煙草を口に突っ込みながら、城田は晴海をうかがった。
「砂場」
タッと、晴海は駆け出した。
「砂場で、山を作る」
「あ、そう。んじゃ、砂場行くか」
「うん」
とてとてと、晴海が砂場に向かって走って行く。確かに、緑川の言うとおり、晴海は他の子供達に比べてほとんど表情のない子だった。だが、何故か城田にはやたらと懐いていた。父親にすら見せない笑顔を、城田には惜しみなく披露してくれるのだ。
「シャベルとかいるか?って、持ってねえけどよ」
「いらない」
砂場にしゃがみこみ、晴海はせっせと砂で山を作っていく。そんな様子を、晴海の横に腰掛けてジッと見ていた城田は、突如としてプッと笑い出した。
『緑川に激ソックリ・・・』
まるでミニチュアだ。将来は可愛い子に育つだろうよ、と城田は思った。女好きにならなきゃいいけどな〜とも。城田は、タバコに火を点けようとして、ハッとした。
「煙、いや?」
晴海に聞いた。
「いやじゃない。とーちゃんも吸ってる」
「そーか」
尻が砂だらけになってしまうのも構わずに、城田は晴海の手元を覗きこんだ。
「おまえ、器用だなあ。ちゃんと山になってる」
前日の雨のせいか、少し砂がしめっていたのがちょうど良かったらしい。晴海は、中々立派な砂の山を作り上げていた。
「うまいぞ、晴海」
と、城田が晴海の頭を撫でると、晴海はニコッと笑った。本当に可愛らしい顔だった。
「なあなあ、晴海。山だったらさ、トンネル作ろうぜ、トンネル」
城田は、こんもりとした砂の山を見て、提案した。
「ここにな。穴開けるの。トンネルだぜ、トンネル開通」
「とんねる?」
晴海はキョトンとしていたが、コクッとうなづいた。
「いいよ」
「そうか。んじゃ、穴掘るぞー」
城田は腕まくりをしながら、
「・・・なんか。卑猥な感じがするのは気のせいか?」
などと一人呟きつつ、晴海の作った山の中央に、拳をユルユルとめりこませた。緩急つけて、穴を掘っていく。サラサラと頂上の砂が落ちていった。
「ほら見てみろ、晴海。穴開いたぜ。トンネル!」
と城田が晴海を振り返った瞬間、ザアアアーと砂の山があっという間に崩れた。
「げっ」
城田はギョッとした。たった今までそこにあった砂の山は、完全に崩壊していた。
「・・・晴海・・・。ゴメン」
晴海は、一瞬、フニャンと悲しそうな顔をしたが、プルプルと首を振った。そして、城田を押しのけて、また砂の山を作り出した。
「ごめんな、晴海」
「いい」
晴海は、せっせと手を動かしていた。
「強いな、おまえ。泣かれるかと思ったぜ」
城田は胸に手を当てながら、ホッとして呟いた。やっぱり俺って、ガキと遊ぶのって上手くねえんだな・・・と空を見上げながら、城田はちょっと落ち込んだ。
「おにーちゃん。怒ってないから、こっち見て」
晴海の声。城田は、振り返った。少し不安気な顔をして、ジッとこちらを見ている晴海を目にして、城田は微笑んだ。
「ああ。見ててやるよ。また上手に作れよ。今度は邪魔しねえから」
ウンとうなづいて、晴海はニッコリ笑った。


「亜沙子。亜沙子じゃない。やだあ、どーしたの?」
突然声をかけられて、亜沙子は、キョロキョロと辺りを見回した。
向こう側の道路に立っている人物を見て、亜沙子は驚いた。
「早苗ちゃん!うわあ。久し振り」
久人の手を握ると、亜沙子は向こう側の道路に駆け出した。
「ご無沙汰だよね。卒業して以来?」
「うん、そうだよ。わあ。懐かしい」
早苗は、亜沙子と同じ高校で、3年間同じクラスだった子だ。
「やだあ、可愛い。この子、まさか、亜沙子の子じゃないでしょうね」
亜沙子が連れていた久人を見て、早苗はヒョイと屈んで、久人の頭を撫でた。久人は、嬉しそうに笑う。
「まさか。知り合いの子よ。可愛いでしょ」
「うーん。かーいい。それよか、どったの?散歩にしては、亜沙子の家、ここからかなり遠いじゃないのさ」
早苗の言葉に、亜沙子はギクッとした。だが、別に早苗の前で慌てることもないのだ・・・と思って、うなづいた。
「そうそう。遠いんだけどね。前ここら辺に来たことがあってね。確か公園とかあったな〜と思って」
「ああ、公園ね。小さい公園よ。亜沙子も物好きだこと。でも嬉しい。そのおかげで亜沙子に会えたんだもの」
「私もよ。早苗、ちゃんとOLやってんの?」
「やってるわよ。退屈だけどさ。亜沙子は、相変わらず家事手伝い?いいよね。亜沙子は嫁入り先決まってるしさ。連ちゃんのお嫁さん。可愛い年下の彼氏は元気?」
ドンッと、早苗が笑いながら、亜沙子をどついた。
「よく覚えてるわねぇ、早苗」
「そりゃ。あんな美形、忘れる筈ないじゃーん」
と、道端で始まる女同士の会話は、ダラダラと長い。最初のうちは、おとなしくしていた久人だったが、そのうち飽きてきてしまった。ツツツ・・・と、亜沙子の手から自分の手をソッと離した。いつもだったら、亜沙子はそれに気づいて、ギュッと握り直してくるが、今の亜沙子はお喋りに夢中で気づかなかった。自由になった両手をブラブラさせながら、久人は亜沙子の足元に
蹲った。
「ねえねえ、亜沙子。これ、見て。一応私の彼氏」
早苗が鞄から手帳を出して、亜沙子に見せた。亜沙子は、早苗の手元の手帳をヒョイッと覗きこんだ。
「やだー。結構カッコイイじゃない。すっごい、早苗」
早苗から手帳を受け取り、亜沙子は写真をまじまじと見た。
「へへ。年上なんだけどね。会社の友達の紹介でさ。いい感じでしょ」
「うんうん」
「これから彼とデートなんだけど、ちょっと早くてさ。時間どうしようかなと思ってたところだったのよ。亜沙子と会えて嬉しい」
「やだ。それって、私、単なる時間潰しに使われているの?」
亜沙子は、わざとむくれた顔をして見せた。
「いやん。我等がマドンナ亜沙子ちゃんに、そんな顔は似合わないわよ」
「相変わらず、早苗は調子いいんだから!」
二人は、そんな調子で、懐かしいクラスメイト達の近況などを互いに知ってる範囲で教えあった。時々、二人で爆笑することもあった。
「あ。じゃあ、そろそろ行くね」
早苗は時計を見て、ハッとしたかのように言った。
「うん。じゃあ、気をつけてね」
亜沙子はバイバイと早苗に手を振った。
「また今度、ゆっくり会おうね〜」
そう言いながら、早苗は手を振って、駅への道を慌しく走っていった。
「デートか。いいな。って、ひーちゃん、ごめんね。お待たせしました」
と、亜沙子は足元を見て、ギョッとした。久人がいない。
「ひーちゃん?」
驚いて、亜沙子は自分の空いた両手を見つめた。
「やだ。いつの間に。ど、どうしよう。全然気づかなかった・・・」
ドキンッと心臓が鳴った。亜沙子は、辺りを見回した。だが、久人の姿はどこにもない。
「車とか・・・。やだあ、どうしよう。ひーちゃん!ひーちゃん!」
胸の鼓動が早まるのが怖くて、亜沙子は自分の胸に手をやりながら、走った。久人がどこへ行ったかわからない。一体どっちの方向に行ったのかも。わからないが、勘で辺りを探した。
「ひーちゃん。出てきて。お願い、ひーちゃん!」
早くも自分の目に涙が浮かんでしまったのに気づいて、亜沙子は掌で涙を拭った。角を曲がろうとして、飛び出してきた車に、亜沙子はハッとした。クラクションを鳴らされて、亜沙子は飛び退いた。
「すみません」
頭を下げた。すると、車の窓が開いた。
「亜沙子ちゃんだっけ?」
女の声。亜沙子は、顔を上げた。
「あ・・・。ゆ、夕実さん?」
「あら。覚えててくれたのね」
助手席の女は、ニッコリと微笑んだ。忘れることはない。城田の彼女。水商売の女。じゃあ、運転席にいる男は・・・と、亜沙子は目を凝らした。その瞬間に、亜沙子は背筋がゾーッとした。
「よお。ねーちゃん。久し振りだな。覚えてるぜ、その綺麗な顔。相変わらず美人だな。今度ヤらせろよな」
小田島の別荘であった、背に刺青のある男だった。城田が、恒彦と呼んだ、キチガイ男だ・・・と亜沙子は、男を睨んだ。
「バカじゃないの」
亜沙子は冷やかに言い返した。
「けっ。相変わらず気の強い女。なに、夕実。おまえら知り合い?」
刺青の男、大堀は、助手席の夕実を見た。
「っていうか、アンタこそなんで彼女を知ってるのよ」
夕実が聞き返す。
「俺はな。まあ、義政絡みでよ」
「私は城ちゃん絡みよ。城ちゃんが、結構この娘をお気に入りでさ」
フフフと夕実は、亜沙子を見て、笑う。
「夕実さん。あ、あの。ここらで子供見ませんでしたか?3〜4歳ぐらいの。
男の子で、一人で歩いていたと思うのですが」
「こっちの道にはいなかったわ。なに、子供捜してるの?今度は生んだの?」
赤いマニキュアが目立つ指を、窓枠にひっかけて、夕実は亜沙子を見つめた。亜沙子は、夕実の言葉を無視した。
「探してるんです。迷子になっちゃって」
「女の子ならば、いるぜ。ほれ。どうだ。その子の代わりに、コイツいらねえか?よけりゃ、アンタにあげるぜ」
大堀が、自分の膝に抱いていた女の子を、亜沙子の目の前に差し出した。亜沙子は、まったくその娘の存在に気づいていなかった。大きな目をした、可愛い女の子だった。歳は久人と同じぐらいのようだ。
「アホなこと言わないでよ」
夕実が、慌てて女の子を抱き締めた。
「とにかく。こっちにはいなかった。見なかったわ。あんたも探すならば、気をつけなさい。ここらの道は、割合交通量が多いのよ。用心しながら探すことね。じゃあ」
軽く手を挙げ、夕実は窓を閉めた。
「バイバイ、ねーちゃん。今度、マジでやろうな。連橋によろしく」
サングラスを持ち上げ、大堀はニッコリと笑った。亜沙子は、ありったけの憎しみを込めて、大堀を睨みつけた。車が、ゆっくりと発進していく。亜沙子は、その車をボーッと眺めていたが、すぐに頭を振って、踵を返した。
「こっちじゃない。じゃあ、ひーちゃんは、まっすぐに歩いたのかしら」
さっきの夕実の言葉が甦る。『ここらの道は、割合交通量が多いのよ』亜沙子はブルッと震えた。ひーちゃん、きっと迷子になってしまって、泣いてるかも。いや、それよりも。もしも、ひーちゃんが事故に遭ったら。
「ひーちゃん。ひーちゃん」
亜沙子は、久人の名を呼びながら、再び走った。


久人は、グシグシと泣いていた。
さっき、亜沙子の手を離し、しばらくしゃがんでいたが、それも飽きて、一人でフラフラと道路を歩き出した。歩いているうちに、可愛い犬を連れて散歩している人をみかけ、久人はその犬に向かって走って行った。足の早い飼い主に連れられている犬は、どんどんと久人をおいていってしまう。久人は、どうしてもその犬に触りたくて、必死で追いかけた。ハアハア言って、やっと追いつき、満足するまで犬を撫でさせてもらった。飼い主は、ニッコリ笑って「じゃあね」と犬を連れて再び歩いて行ってしまった。嬉しくて、久人はバイバイと手を振った。そして、元来た道を引き返そうとして、迷ってしまったのだ。幾ら歩いても、亜沙子ねーちゃんの姿が見えないのだ。そのうちに、不安になって、久人は泣き出したのだった。


「よし、完成!」
結局、晴海は砂場で3回山を作った。なにが楽しいのか、とにかく必死で、山を作り上げるのだ。そんな必死な晴海を、城田も飽きることなく眺めていた。城田の視線に気づいた晴海は、最後の山の時に
「とんねる」
とボソリと呟いて、山を指差した。どうやら、「トンネルを掘っていいよ」と言いたいらしい。
「いいよ。また壊れちまうかもしれねえし」
というと、晴海はブンブンと首を振った。
「そうか?んじゃ。掘らせてもらおーかな」
最後の山が、一番高い。晴海の堂々たる自信作だ。そんなもんをまた崩してしまったりしたら・・・。マジ怖いかも・・・と、城田は普段滅多にしない緊張というものをしていた。
「い、いいか?」
「いいよ」
城田の気持ちを知らずに晴海はのんびりと言った。そして、おそるおそる城田は、山の中腹に穴をあけた。今度は、砂の山は崩れなかった。
「おーしっ!」
「良かったね。おにーちゃん」
ニコニコッと晴海は城田を見上げた。城田は、ムキになってしまった自分に照れながら、晴海を抱き上げた。
「遊ばせてくれてサンキューな。完成したところで、そろそろ時間だし行くか。でも、途中で、デパートでプリンでも食うか?」
城田の提案に、晴海はパアッと顔を輝かせた。
「うん。さくらんぼがのってるのが好き」
「わかった。食っていこうな」
「わあい」
晴海は、城田の頬に自分の頬を摺り寄せた。城田は、それに気づいて、晴海の頭をフワリと撫でた。晴海を抱きかかえて、城田は、入口兼出口の付近にある小さな柵をヒョイッと長い脚で跨いで、公園を出た。腕の晴海を降ろし、城田は晴海の手を握り締め、左に折れて歩き出した。その時だった。
「にーちゃん!」
そんな声が聞こえて、城田は咄嗟に振り返った。向こう側の道路に、小さな男の子が立っていた。帽子を被って、小さなリュックを背負っていた。
「!?」
城田は目を細めた。
「にーちゃん、ゆーにーちゃん!」
その子は、明かに城田を見て叫んでいた。そして。タッとこちらに向かって駆け出したのだった。
「!」
マジかよ、と城田は硬直した。ハッと右を見た。今まさに、車がこちらに向かって、走ってきている。


久人は泣きながら、とぼとぼと歩いていた。歩き続け、狭い道がぽっかりと終わり、目の前に緑の木々がたくさんの公園らしきところが目の前に現れた。
亜沙子ねーちゃんの言ってたこうえん!そう思って、久人はポテッと足を踏み出した。その瞬間だった。目に飛び込んできた、背の高い男。金色の髪をした男。それは、兄・連橋優に、久人には見えたのだ。兄と同じように背が高く、そして、他の人達とは違う金色の綺麗な髪。久人は夢中で叫んだ。
「にーちゃん!」と。そして、無我夢中で、兄に向かって走り出したのだった。


亜沙子は、片足を引き摺りながらも、走っていた。思った以上に複雑に入り組んだ道を、無我夢中で走っていた。夕実の忠告があったというのに、興奮していた亜沙子は、あっさりその忠告を途中で忘れ、そしてその結果が、原チャリと衝突という情けない事態だった。ひたすら謝る原チャリの男に、「大丈夫です」とそっけなく言って、走り出した亜沙子だったが、衝突の瞬間に跳ね飛ばされたせいで、亜沙子は足を捻っていた。ぶつけた膝からは、ダラダラと血が流れていたし、足を動かすたびに、ズキン、ズキンと太股まで痛んだ。何度も立ち止まりながら、亜沙子は歯を食いしばって走っていた。
やっと道が終わり、亜沙子は大きな道路につきあたった。目の前には、木々が見えた。公園。そう。私は、この公園にひーちゃんと来たかったのよ・・・と、亜沙子は思いながら、ヨロリと歩いた。そして、僅かに歩いた時。同じ線上の、少し先の小さな道路から、久人が飛び出してきたのだった。
「!」
亜沙子は久人の名を呼ぼうとしたが、久人の方が先に叫んだのだ。「にーちゃん!」と。久人が、兄と呼ぶのは一人しかいない。連ちゃん?と、亜沙子は道路の向こう側に立つ男を見た。
「・・・!」
確かに金色の髪をした、背の高い男だ。だが。だが、あれは・・・。亜沙子が、驚きにその場に立ち尽くしてしまったほんの一瞬。久人は、兄と勘違いした、金髪の男に向かって一目散に飛び出していったのだ。それを目で追いかけて、亜沙子は悲鳴をあげた。車が。久人のすぐ側まで車が走り込んできていたからだ。


「にーちゃん!」
「あぶねえっ」
「ひーちゃん。いやあっ!車がっ」
3人の悲鳴が入り乱れた。


城田は、自分に向かって走ってくる男の子に向かって、走った。腕を伸ばす。
キキキキッ、と車の急ブレーキの音が響いた。だが、間に合わない。

「いやよ。助けてっ」
亜沙子の悲鳴が響いた。

スピードを落とした車が、ヘナヘナと、亜沙子の前を通り過ぎていった。
「ひーちゃん!城田っ!」
亜沙子は、叫びながら、走った。
城田は、久人を抱えこみ、体の下に庇っては、道路のこちら側に間一髪で避難していた。
「し、死んだかと思ったぜ・・・」
ポトッと、汗が城田の顎を伝って、流れ落ちた。ゼエゼエと激しい息使いで、城田は呟いた。
「うわああああああん!にーちゃんっ」
城田の腕の中で、久人は猛烈に泣き出した。怖かったのだろう。
「もう大丈夫だって。おい、痛えって」
久人は城田のシャツを力いっぱい掴んで、ギャアギャアと泣き喚いていた。
そこへ亜沙子が合流した。
「・・・なんで、アンタが、こんなところに?」
城田は、亜沙子を見ては、目を見開いた。
亜沙子は、フラッとその場にしゃがみこむと、掌で顔を覆って泣き出した。
「わ、私が悪いのよ。私が目を離したから。ごめんね、ひーちゃん。ごめんね。ごめんなさいっ!」
うわああん、と亜沙子も子供のように泣き出した。
「ちょっと待てよ、オイ。いい加減にしろよ。二人で泣くなよ。俺がなんか悪さでもして泣かせたみてーじゃんかよ・・・」
城田は、目の前で、女に泣かれ、子供に泣かれて、呆然としてしまった。晴海が、慎重に右左を確かめて、こちらの道路に渡ってきた。
「にーちゃん。大丈夫?」
そう言って、晴海は城田の肘に手で触れた。アスファルトで擦ったのか、城田の肘からは血が流れていた。
「あ、ああ。大丈夫だ。おい、いーかげんにしろ、亜沙子ちゃん。てめえだけでも泣き止め」
城田は叫んだ。亜沙子は、ビクッとして、ヒックとしゃくりあげた。
「コイツ、ひーちゃん?ひーちゃん。おまえも泣き止め。男ならば、ぐしゃぐしゃ泣いてんじゃねえ」
城田は、痛む肘に顔を歪めながら、ジーンズのポケットに手を突っ込んだ。
「ほれ。この飴やっから」
うっく、うっくと泣いている久人の小さな掌に、城田は飴玉を握らせた。久人は、キョトンとしながらも、その飴の包み紙をむいて、パクッと口に放り込んだ。
「甘いだろ」
城田は、久人を覗きこんで、笑った。
「甘くて、おいしい」
久人は、笑う城田をオズッと見上げては、自分も泣き止み、笑ってうなづいた。


「降ろしてよっ」
亜沙子は、バタバタと城田の腕の中で暴れた。
「暴れるなって。ったく。車に轢かれそうになった俺らが軽傷で、何で突っ立って見ていたあんたが、一番重症なんだよ」
「ひーちゃんを探してるときに、途中で原チャリと衝突したのよ」
「衝突?よく死ななかったな。にしても、どんくせー女だ」
「うるさいわね。降ろしてよ、歩けるわよ!」
城田は、亜沙子を腕に抱いてさっさと歩いていた。子供達二人は、仲良く手を繋いで城田と亜沙子の後をくっついてきていた。
「じき降ろしてやるよ。あ、タクシー。晴海、手挙げろ」
城田に言われて、晴海はサッと手を挙げた。タクシーが目の前に滑りこんできた。

タクシーは、緑川邸に着き、晴海を下ろした。
「またな、晴海。今度、ちゃんとプリン食わせてやっからな」
お手伝いさんが玄関まで迎えに来ていた。城田は、窓から手を振った。晴海は手を振り返し「また遊んでね、にーちゃん」と小さく呟いた。そして、タクシーはここから少し距離のある亜沙子達の家に向かった。
「なんで、アンタがうちまで来るのよ」
「ついでだろ。おまえの家のボロ階段。あんなとこ、その足で昇れるか」
「根性で昇るわよ。だいたいね。アンタ、私の家に来て、連ちゃんと鉢合わせしたら、どうするの。喧嘩なんかしたらぶっ殺すわよ」
「こえーな。連橋はおまえが押さえておけ。なにもアンタをまた強姦しようとしている訳じゃねえしよ。殴られてたまるか」
「や、やめてよっ」
亜沙子は、顔を青くして、運転手の方をチラリと見た。城田は、そんな亜沙子の反応を見てアハハと笑った。亜沙子・城田・久人と並んで後部座席に腰かけていた。久人は、城田に寄りかかってスヤスヤと眠っていた。
「このチビ。もう少し小さかったら、おまえと連橋の子供か?と疑ったんだけどな。どういう関係?」
「アンタには、関係ないでしょ」
亜沙子は胸をドキドキさせながら、平静を努めて言った。久人は、小田島が殺した、町田康司の息子だ。そんなことがバレたら、城田はきっと平静でいてくれないだろう。バレてはいけない。亜沙子は話題を変えた。
「それより。城田、その髪、なに?連ちゃんの真似だわ」
言われて、城田は自分の短い髪を摘んだ。
「似合うだろ」
「連ちゃんのが似合うわ」
「そうか?俺も中々だと思うけどな。よく見ろよ」
ニッと城田は笑いながら、亜沙子を覗きこんだ。間近に迫った城田の整った顔に、亜沙子は慌てた。
「かっ、顔を近づけないでっ」
亜沙子は、グイッと城田の顔を押し戻した。
「顔赤いぜ、亜沙子チャン。連橋に言いつけてやろっと」
横目で亜沙子を見て、城田は楽しそうに言う。
「うるさいわね」
心臓が跳ねあがったのを、亜沙子は自覚していた。顔が赤くなっていくのも、自分でわかった。早く車が家に着いて欲しいと心から願った。
側にいる。私の心の奥を疼かせる男が。こうして側にいる。2年ぶり以上の再会だった。狭い車内では、肩が触れ合ってしまうぐらいだったのだ。
「なんであんな所にいたの?」
城田は、前を見ながら、横顔で亜沙子に聞いた。
「散歩よ。あそこらへんには公園があるもの」
亜沙子も、窓の外に視線を投げながら、言った。
「随分遠くまで散歩に来やがったんだな。公園なんて、アンタの家の近所にもあるだろーが」
「なにが言いたいのよっ!」
亜沙子は、城田を振り返った。城田も亜沙子を見ていた。
「別に。随分遠くまで来たんだな・・・って言っただけだぜ。過剰反応すんなよ。バレるぜ」
「なにがバレるの?」
「さあてな」
フンッと城田は鼻で笑った。亜沙子は、唇を噛み締めた。
「着きましたよ」
運転手の声に、亜沙子はハッとした。
「着いたとさ。降りるぜ」
城田は「少しここで待っててください」と運転手に告げて、車を降りた。亜沙子が一番最後に出てくると、城田は有無も言わさずに亜沙子を抱きあげた。
「止めてよ。私は大丈夫よ。離してっ」
「おとなしくしてろって。ひーちゃん、先あがれ」
「うん」
目の前の階段を、久人はタカタカと駆け上がっていった。
「あのね。亜沙子ねーちゃんと飴のにーちゃん。足と腕をケガしてるの。ほーたいとしょうどくするんだよ。お薬は、にーちゃんのおへやにあるんだ。いつも、にーちゃんはケガしてるから、お薬はにーちゃんの部屋なの」
久人は、2階に辿り付くと、階段を上がってくる城田に向かって説明した。
「にーちゃん?あ、そっか。おまえ、俺を連橋と間違えたのか。なるほどな。同じ金髪だしな。そうか」
今更なことに思い当たり、城田はうなづいた。ケガばかりしてるにーちゃん。久人の言い方がおかしくて、城田は笑った。その怪我させてんのほとんど俺じゃん、とか思いながら。
「ひーちゃん。連ちゃんは、きっといないわよ。睦美ちゃんと出かけている筈よ。鍵閉まってるって」
亜沙子が言った。
「あくもん」
久人はつまさきを伸ばして、ドアノブに触れて、連橋の部屋らしきドアを開けた。
「連橋、いるの?やべえな。俺、マジに殴られそうだな」
「睦美ちゃんとデートで出かけている筈なんだけど」
亜沙子は、城田の腕の中で、呟いた。
「え。デート?あんたら、別れたの?」
「そうよ。それより、もう降ろして。私の家は隣だし。アンタもここに突っ立っていると、連ちゃんにマジに殴り倒されるわよ。私の家で手当てするから、あがりなさい」
「いや。別に手当てはいらねえ。タクシー待たせてるし。このまま帰る」
城田は亜沙子を降ろした。
「そうはいかないわ」
亜沙子は、グイッと城田の右腕を引っ張った。
「おっと」
よろめいた城田の、今度は左腕を久人が引っ張った。グイッと反対側に城田は引っ張られた。
「にーちゃん、むーちゃんと寝んねしてるの。お薬の箱、高いところにあって届かない。飴のにーちゃん、取って」
「え?やだよ、俺。連橋の部屋にあがるなんて。亜沙子ちゃん取ってやれよ」
城田は亜沙子を見た。だが、亜沙子は首を振った。
「私もいやよ。だって睦美ちゃんと連ちゃん、一緒なんでしょ。城田、アンタが行きなさいよ。殴られたら、ちゃんとその薬箱で手当てしてやるわよ」
複雑な顔をして、亜沙子は言うと、さっさと自分の部屋に入っていってしまう。
「とってぇ」
ブンブンと久人は城田の腕を振り回して、泣きべそになる。
「・・・殺されるっつーの・・・。ちっ」
泣く子に弱い城田は、舌打ちしながら、ソロッと連橋の部屋を覗きこんだ。
「!」
これは、本気でヤバイぜ・・・と城田は思った。連橋は、裸でシーツの上に転がっていた。その胸に抱えるようにしている女の体には、肩から毛布がかかっていたので、あまりショッキングな光景ではなかったが。明かに、セックス行為のあと。よほど激しいプレイでもしたかのか、二人はさっきから部屋の外の物音に、ピクリともしないで眠っている。
「あそこ」
久人は小さな声で、棚を指差した。確かに、久人には取れない高さの棚だ。仕方ねえ。俺だけならまだしも、あの女もケガしてるんだしな、と思い、城田は、靴を脱ぎ、足音を忍ばせ、部屋にあがった。薬箱を取って、さっと踵を返す。瞬間、連橋が、ピクリと寝返りをうった。城田は、ギクッとして連橋を見下ろした。かなり、マヌケな光景だった。全裸の連橋だ。コイツの裸は見慣れているけどよ・・・。それにしても・・・。城田は、口を掌で押さえながら、まじまじと見下ろしてしまう。連橋の寝顔を見るのは、初めてだった。思わず、衝動的に、城田は屈んで、その顔を覗きこんでいた。この前、置かれた状況を忘れて、見惚れた連橋の綺麗な瞳が今は閉じている。普段見慣れている連橋からは、想像もつかない程のあどけない寝顔だった。その寝顔を見つめながら、ふと視線をずらすと、連橋の首筋には小さな鬱血の跡が幾つかあった。思わず、その首筋に触れようとして、城田は思い留まった。城田は、連橋がさっきまで抱いていたであろう女を、チラリと横目で見た。

その、瞬間だった。
城田は、自分の心がチリッと焼け焦げるような感覚を訴えたことに気づいた。
「!?」
その疼きは、一瞬にして、心の全域を覆った。瞬く間に覆い尽くされてしまった、というような感じだった。城田は慌てて、自分の胸元を掴んだ。
「・・・」
城田は、スッと立ちあがり、部屋を出た。そして、久人に薬箱を渡した。
「じゃあな」
「え?にーちゃん?これから包帯まくんだよ」
「いらねえよ。亜沙子ねーちゃんに、よろしくな」
「待ってよ、にーちゃん」
久人の声を聞かずに、城田は階段を駆け下りた。
「亜沙子ねーちゃん。飴のにーちゃんが行っちゃった」
久人がバタバタと亜沙子の部屋に駆け込んでいく。
「え。帰ったの?あいつ・・・」
亜沙子は、テーブルの上にちょうど、3個目のコーヒーカップを置こうとしてたところだった。
「うん。帰っちゃった。手、ケガしてて。まだ血が出ていたよ」
亜沙子は、うなづいた。
「そう。いいんだよ。アイツは強い男だから。帰っちゃったならば、仕方ないよ。諦めようね、ひーちゃん」
それでも、亜沙子は用意したコーヒーカップをすぐにしまう気になれずに、コトンとテーブルに置いた。
「おれい、あんまり言ってない」
久人はしょんぼりしてしまった。
「また今度言えば、いいわよ」
ニコッと亜沙子は笑った。
「なんの騒ぎだよ」
上半身裸で、ジーンズを着けた連橋が、目を擦りながら亜沙子の部屋へやってきた。
「なんでもないの、連ちゃん。それより、邪魔しちゃってごめんね」
亜沙子の言葉に、連橋は僅かに顔を赤くした。
「あー?わりい。なんか、ついそういう雰囲気になっちまって」
「恋人同士だもん。当然でしょ」
「・・・怒ってねえ?おまえ」
「怒ってなんかないわ」
連橋は、頭をかきながら、テーブルの上を見た。
「コーヒーカップ?誰か来てたのか?」
すると、久人が連橋のジーンズの脚に纏わりつきながら、言った。
「あのね。にーちゃんより背が高い、にーちゃんと同じ色の髪をしたにーちゃんが来たの。飴玉くれたから、飴のにーちゃんって呼ぶの。その飴のにーちゃんが、今までいたんだけどね。帰っちゃったの。ぶーって車で。ひーちゃんね、車にひかれそうになって、そのにーちゃんが助けてくれたの。すっごくカッコイイにーちゃんだったんだよ」
「はあ?」
連橋はキョトンとした。
「なに言ってんだ、コイツ。俺と同じ金髪って誰?」
連橋は、久人の頭に手を置きながら、亜沙子に向かって聞いた。一瞬、あの男の顔が浮かんだが、まさか!と連橋は打ち消した。そんな筈はない。
「さあ。私もよく知らない人。だって初めて会った人だもん。散歩してたら、私がひーちゃん迷子にしちゃって。そしたらひーちゃん、その人と連ちゃんを勘違いして、助けを求める為に、車の前に飛び出しちゃったの。それを体張って助けてくれた人。とってもいい人だったわ。確かにカッコ良かった」
「ふーん・・・。んじゃ、今度礼に行かねえとな。久人、てめえ。俺と他人を間違えるなんて、ダメだろ。それに車にはあれほど気をつけろって言ったじゃねえか。バカたれ」
「ごめん。にーちゃん。ごめんなさい」
久人はシュンとしてしまった。
「連ちゃん。ひーちゃんを怒らないで。私が悪いんだから。それから、御礼は私があとでちゃんとしとくわ。家を聞いておいたし、なんかお菓子でも買ってちゃんと御礼するから」
「家って・・・。なんだよ、おまえ。さては、ソイツに一目惚れとか?」
連橋は、ニヤッと笑った。亜沙子は、ムッとした。
「悪い?惚れちゃ。連ちゃんだって、睦美ちゃんとイチャイチャしてるじゃない。私だって、誰か好きな人作って楽しくやりたいわよ!」
キッと亜沙子は言い返した。
「・・・おまえ。なにムキになってんだよ。怖いって」
連橋は亜沙子の迫力にたじろいだ。亜沙子はハッとした。
「・・・ご、ごめん。私、どうかしてる・・・」

行かなければ、良かった。あんなところまで、散歩なんて。そうよ。私は。もしかしたら、アイツに会えるかもしれない、と。外国から帰ってきたというあの男に、もしかしたら会えるかもしれないという小さな期待を抱いて、あの公園を目指していた。近所だから。城田の住む小田島邸の近くだったから。そう思って、あんな遠くまでひーちゃんを連れて出かけたのよ!!

もう自分の気持ちを誤魔化せない。私は、城田に、惚れてしまった。
私を犯し、そして、連ちゃんの敵である、あの男に。
私は、心を奪われて、しまったのだ・・・。

「亜沙子?どうした、おまえ。亜沙子?」
呼びかける連橋の声が、亜沙子には、遥か遠くから聞こえてきていた。

7話に続く

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