連橋優(レンバシ・ユウ)・・・某都立高校3年
流充(ナガレ・ミツル)・・・・・同上・連橋の親友
川藤亜沙子(カワトウ・アサコ)・・・連橋の隣室の住人
志摩怜治(シマ・レイジ)・・・暴走族・ジレンの頭
志摩睦美(シマ・ムツミ)・・・レイジの妹で、連橋のクラスメート
町田久人(マチダヒサト)・・・連橋の恩師の遺児。
*****************第2部1話**************
四畳半の部屋を久人が走り回っていた。狭い部屋なので、壁に体をぶつけては、コロンと床に転がるものの、めげない久人はむくりと起きあがり笑いながら再び走り回っている。
「めげねえヤツだな、おまえ」
連橋はそんな久人を見ては、苦笑した。笑いながら、主のいない部屋を見渡す。それだけは立派な机だけが、ポツンと残っている。大林がここから居なくなってもう1年以上が経った。柱に貼り付けられた、似顔絵。連橋はそれをジッと見つめた。金色の髪の男が、どこか遠くを見ているような。そんな顔が描かれている。いつか見たへのへのもへじではない。きちんと、目と鼻と唇が描かれていた。
「バッカじゃねえの。俺、こんなに美形じゃねえっつーの」
鼻で笑ってやる。
「それに、まだ死んでねえっつーのよ。ったく」
似顔絵に手を伸ばしかけて、連橋は下を見た。足首に久人がくっついていた。
「どうした?もう走るの飽きたか?」
「おなかへった」
「へ?」
連橋が眉を寄せたのと、廊下で亜沙子の声が聞こえたのは、同時だった。
「ひーちゃん、ご飯だよお」
「ナイスタイミング」
連橋は、ニッと笑った。
「わあい。ごはん、ごはんだーっ♪」
久人は、万歳しながらその言葉を喜んでいるようだった。
「いくぞ、久人」
連橋は久人を抱き上げた。
「ひさとちがうの。ひーちゃんなの」
「・・・ああ、わかった。ひーちゃん」
すると、久人はニコニコして、
「ゆーにーちゃあん」
と言っては連橋に甘えて頬を寄せた。それなのに連橋は、久人を軽く睨んだ。
「久人、じゃねえ。ひーちゃん。あのな。俺は、ゆーにーちゃんじゃねえの!にーちゃんでいいんだ、にーちゃんでっ」
「・・・にーちゃん」
連橋を見て、久人はビクッとして、小さく言い直した。
「それでいい」
「なにムキになってんのよ。大人気ないわね」
亜沙子がドアにもたれながら、呆れたように言った。
「亜沙子も知ってるだろ。俺は、自分の名前が嫌いなんだよ。コイツに将来、優兄ちゃ〜んなんて言われた日には、吐くぜ俺は」
「大袈裟だっつーのよ。もう」
亜沙子の部屋にいくと、ちゃっかり流もいた。
「よお。邪魔してるぜ。先に食っていたりする。亜沙ちゃんのメシ美味いんだもん」
流は箸をチョキチョキと動かしては、ニッと笑っていた。
「流。俺の分まで食ってねえだろうな」
ふとそんな不安に襲われ、連橋は流を睨んだ。
「なぎゃれ」
久人は連橋の腕から流に向かって、手を伸ばした。
「おー。ひーちゃん。よお、元気そうだな」
連橋は、これ幸いとばかりに流に久人を押しつけた。
「コイツ抱いてると、ろくにメシも食えねえ」
「ちょっとぉ。連。俺も食ってる最中なんだけど」
文句を言う流を無視して、連橋は食卓につくと、一気に食い出した。
「なぎゃれ、なぎゃれ」
久人は流の腕の中で大暴れだった。
「くぅ。さすがに男の子だよなぁ。コイツ、ちびっこギャングみてえ」
流は、ハハハと笑っては、箸でおかずを摘んで、久人の口に入れてやる。
「おいち」
久人は、流の顔を覗きこんで嬉しそうに笑った。流も思わず笑顔になる。
「そーか、そーか。亜沙子ママのメシは天下一品だかんなァ」
「流くんはいつもそう言ってくれるのに!最近、連ちゃんは一言もないんだよ。昔は可愛く言ってくれたのにな〜」
亜沙子はしゃもじを持っては、チラリと連橋を見た。
「俺、食いなれてるもん」
「そういう問題じゃないのよ!女の子はね、そこんとこ微妙なのよ」
バシ、バシッと、亜沙子は連橋をしゃもじで叩いた。
「イテテっ。ほんと、女って面倒くせえよな」
なあ、と連橋は流に同意を求めた。流れは、うむ、とうなづいた。
「俺のカノジョもさー。誕生日にはやれあれこれくれだの。うるせえったらねえよ」
と、そんな会話をしていると、ドアにノックの音がした。返事をする間もなく、無遠慮にドアが開いた。
「いよお。家族団欒の最中に悪いな。お邪魔」
「お邪魔しまーす」
志摩兄妹が、ドタドタと乱入してきた。
「連橋。勉強ちゃんとしてる?春休み中だからって、怠けちゃダメよ。今年1年で卒業なんだから、卒業したかったら、きちんとやるのよ」
部屋にあがりこむなり、睦美はいつもの口調だ。
「放っておけよ。てめえは俺の教師かっつーの。よお、志摩さん。アンタの妹、なんでこんなにアンタと正反対なの?」
ちゃっかり亜沙子の横に腰かけた志摩は、連橋の質問に首を竦めた。
「俺みてえなバカ兄貴を持って、自分はこうはなりたくねえっていうアレじゃねえの?なあ、睦美」
「そうよ。お兄ちゃんみたく体中に傷つくっては男の勲章、なんて言ってるアホに興味はないわ」
フンッと睦美は言った。
「きっつー・・・」
流は、ボソリと言った。
「志摩さんと睦美ちゃん、ご飯は?」
亜沙子が聞く。
「亜沙子ちゃんのメシなら食いたいけど・・・。俺と睦美さっき済ませてきた。ごめん」
デレッと志摩は面相を崩して、言った。志摩は、亜沙子を気に入っていた。
「そうなの。ごめんなさいね、亜沙子さん」
睦美も亜沙子に謝った。
「いいのよ。実は、結構お米ヤバかったの。連ちゃんと流くん、人一倍食べるんだもん」
「体がデカくなる前兆だ。育てよ、少年」
アハハハと志摩が豪快に笑った。顔は繊細なのに、性格ときたらまったく飾り気のない男だった。
「ひーちゃん、おむつ取れたんだぁ。あのドナルドダックみたいなお尻可愛かったのに」
睦美が、流から久人を受けとり、そう言った。
「むーちゃん」
久人は睦美を見て、言った。
「そうよ。覚えててくれたのね。頭いいなあ、久人くん。お兄ちゃんとは大違いね」
睦美は、チラッと連橋を見た。
「るっせ」
連橋がすかさず言い返した。
「ひーちゃん、俺は、俺は?」
志摩が言った。久人は志摩を見ては、ブルブルと首を振った。
「しらないひと」
とボソッと呟いた。
「なんで睦美だけ覚えてて、俺は知らないんだよ〜!!コイツ、男にはつれねえなぁ」
志摩は、複雑な顔で言った。
「それより、志摩先輩。なにしに来たン?」
流の問いに、志摩はハッとした。
「そうそう。俺、おまえらに頼みたいことがあってよ。最近、俺のジレンにやったらと構ってくる集団がいてよ。シェルアっつーグループ。俺ら一触即発状態で。で、まあ単刀直入に言うと、俺を助けろ」
連橋と流は顔を見合わせた。
「おいおい。嫌とは言わせねえぜ。1年前。あの埠頭で、小田島らから、てめえら助けたのはジレンだっつーことを忘れてねえだろうな」
流はハッとした。連橋を振り返る。連橋は、無表情だった。
「恩にきせきせっつーことよ。世の中もちつもたれつ。なあ、そうだろ」
志摩は、無反応の二人に、更に言った。
「幾ら小田島達が留学中で日本からいなくなっちまったって、いずれは戻ってくる。いつかは、やらなきゃいけねえ相手だろ。それなのに、その間に体なまらせていていいのかよ?現場に戻ってこいよ、連橋、流」
亜沙子はその話を聞いて、目を伏せた。睦美は黙って久人と遊んでいた。
「いいぜ」
連橋はうなづいた。
「その話、のってやる」
「連」
流は、連橋を心配そうに見た。
「そうこなきゃ。さすがは連橋」
志摩は、連橋をギュッと抱き締めた。
「うえ。気持ちワリー。よしてくれよ、志摩さん」
バッと連橋は志摩を押しのけた。志摩は、一向にめげずに体制を戻すと、
「流は?」
と、流に聞いてきた。
「俺は連と一緒。連がいくなら、俺も行く」
「よっしゃ」
志摩は、グッと拳を握った。
「そうと決まれば、手下どもに連絡しなきゃな。やつらにも色々と心当たりをあたらせているからよぉ。じゃあ、邪魔したな。また近いうちに詳しいこと連絡するぜ。亜沙子ちゃん、今度デートしてな」
チャッと、指で合図して、志摩は出て行った。
「ちょっと待ちなさいよ。お兄ちゃんっ!これから私を塾まで送ってくれる約束よ」
睦美は、「バイバイ、ひーちゃん」と言って、久人を亜沙子に預けて、ペコリと御辞儀をした。
「どうもバタバタとお邪魔しました」
「お構いしませんで」
亜沙子はニッコリと微笑んだ。
「連橋」
呼ばれて、連橋は箸を止めて、睦美を振り返った。
「無理はしないでね」
「ああ」
そう言って、睦美は志摩のあとを追いかけて行ってしまった。二人が階段を降りていく足音が響いた。
「連ちゃん。睦美ちゃんってカノジョ?しっかりした子だから、連ちゃんにはお似合いね」
亜沙子が、どこかからかうような顔で、連橋を覗きこんだ。
「違ぇよ」
そう言う連橋は、僅かに顔を赤くしながら、瞬きを繰り返した。
「顔赤いぜ、連っ!」
「うっせえな、流っ!」
「連ちゃんってさあ。あのね、嘘ついていると、瞬きがすごく多くなるの。睫長いから、バサバサ音聞こえるぐらいだから。音でわかるの」
「マジ?」
流が箸をくわえたまま、聞き返す。
「そうよ。私達よく喧嘩してさ。ブスだの、アホだの連ちゃんは私に言うの。だから、私ムカッとして、無視して台所で料理作ってるのよ。連ちゃんに背中向けて。そーすると、テーブルの方から連ちゃんが、まだなんか色々言ってるんだけどさ。バサッ、バサッっていう睫の音も一緒に聞こえるの。嘘ついてるのよ。ブスだの、アホだの、デブだのっつー言葉。だから、私許しちゃったのよね〜、当時はネ」
流は、ジーッと連橋を見た。
「音なんか聞こえるかよっ!亜沙子の嘘吐き女!デマこき野郎!」
ムキになって連橋は言い返す。
「野郎じゃないもん」
アハハハと、流は笑い出す。
「つーか、亜沙ちゃん。コイツ、わかりやすいよ。顔に出るもん。赤いじゃん」
「違うって言ってんだろ、流てめえ。ぶっ殺すぞ」
「こえー、こえー」
「私と別れて、すぐに新しい彼女?男なんてこんなもんよねぇ」
亜沙子は、包丁を手に持って、ニッコリと連橋を見つめた。
「やかましいっ!カノジョじゃねえっつってんだろっ!!うるせえ、てめえら」
ギャーギャーと亜沙子と連橋と流が騒いでいる間、久人は再び亜沙子の部屋で走り回っていた。アパートは、どこの部屋も同じ作りだから、当然狭くて勿論あちこちにぶつかる。起きあがっては、久人は笑いながら走り回っている。
「な、なにがそんなに楽しいんだ。ひーちゃんよ・・・。怖いぜ・・・」
流がそんな久人を見て、ボソッと言う。
「俺も怖い。コイツの将来がすっごく不安だ」
連橋は、肩を竦めた。
「さくらァ〜♪」
久人が桜の花弁の降る木の下で、無邪気にはしゃいでいた。
町田康司の命日。時が過ぎれば、必ずこの日はやってくる。避けては通れない、自分にとっての運命の日だ、と連橋は思う。連橋は、久人を連れて、公園に来ていた。久人は、ここで父が死んだことを勿論知らない。ただ、キラキラと陽の光と共に降り注ぐ白い桜の花弁に小さな体をジタバタさせて喜んでいた。
一瞬連橋は、戸惑った。ここに来ることを。勿論、訪ねないつもりはなかった。だが、それでも戸惑った。2年続けて、この木の下で会った男の存在をどうしても思い出してしまうからだ。町田の命日であると同時に、あの男の誕生日。また今年も・・・と思いながら、それでもそんな筈はないから・・・と、明るいうちに久人を連れてきた。城田は、あのあとすぐに外国に留学してしまったと流から聞いた。小田島の忠実な犬は、主人と共に遠い外国に行ってしまったのだ。1年が過ぎても、まだ帰らないと聞く。一生帰ってくるな・・・と、思いながら、それでもどうしてか、ここに来ると城田の瞳を思い出す。いまだに思い出せない、記憶。過去。遭ったことがある。アイツとは、絶対に。それがいつだか思い出せないのだ。そして、そんなことはどうでもいいではないか・・・とすぐに思うのだ。だが。ここに立つと、どうしてかざわめく。なぜなのか。どうしてなのか?俺はそれを、思い出さなくてはいけないのではないか・・・!?と。
「にーちゃん!」
久人が、クイッと連橋のジーンズの裾を引っ張った。
「あ、ああ。どうした、久人」
ヒョイッと、連橋は屈んで、久人の顔を覗きこんだ。
「!?」
フッと、連橋は違和感を覚えて、久人の顔をまじまじと覗きこんだ。
「・・・」
今、一瞬、なにかが過った気がする・・・。そう思った時に、名前を呼ばれて顔をあげた。
「ながれが来たの」
久人が言った。考え込んでいた連橋のジーンズを久人が引っ張ったのは、そのせいらしい。
「連」
流が、こちらに向かって手を振りながら走ってきていた。
「よお。亜沙ちゃんに聞いたら、ここだって聞いたから」
「墓参りみてえなもんだ」
「そっか。ここで、町田先生が」
「・・・」
一瞬の沈黙の後、流は大木を見つめてから、連橋を振り返った。
「で、先生と話は済んだのか?」
「ああ」
「じゃあ、帰ろうぜ。行こうか、ひーちゃん」
「うんっ」
流は、久人の手をギュッと握って歩き出す。連橋は二人について歩き出して、ふと木を振り返った。さわさわと、風に揺れている木を見つめて、連橋は「先生・・・」と小さく呟いた。
「連」
流が連橋の名前を呼ぶ。連橋は、きつく目を閉じると、今度こそ木に背を向けて二人の方へと走っていった。
「流。いつか。久人に、いつか。先生のことを話さなきゃいけねえよな」
追いついた流に、連橋は言った。流は、どこか悲しそうな連橋の瞳を見ては、
「ああ。いつか、な。でもそれは今じゃなく。ずっと遠い先のことさ」
と答えた。すると、連橋は、すぐに明るい顔になった。
「そ・・・、そうだな。そうだよな」
「そうさ」
流は、そんな連橋を見て、微笑みながらうなづいた。
公園をあとにし、連橋達はアパートのすぐ近くの川に来ていた。久人は、1年前まで海の側で育っていた為、水辺リをとても喜ぶ。
川の水で、久人は一人でバシャバシャと遊んでいた。
「まだ水、冷たいだろ。いいのか、連?」
流は草の上に腰かけながら、遊ぶ久人を眺めて、連橋に問いかけた。
「いいんじゃねえの。ガキって体温高いから」
隣に腰かけた連橋は、そう答えた。
「関係あんの?」
「知るかよ」
無意味な会話だった。流は、いきなりニヤニヤして、連橋の横顔を見た。
「いきなり、子持ちになった感想は?」
「悪くねえな」
連橋は即答だった。連橋は横顔で笑っていた。流は肩を竦めた。
「・・・久人は幸せもんだな」
「久人が町田先生に似たら、背が高くなる。ガタイ良くなる筈だ。今のうちに、ビシッと躾ておかねえと、喧嘩した時に俺がやられちまうからな。厳しく躾るぜ、俺は」
そう言って、連橋は腕を振り上げて、空気をビシッと叩いた。
「・・・やっぱり不幸せかもな、久人は。おまえに厳しくやられちゃたまんねえよ」
ブルッと流は体を震わせた。
「にーちゃん」
久人が、川遊びに飽きたのか、こちらに向かって走ってきた。まだたどたどしいが、ちゃんと自分の脚で走っているのだ。
「こっち来い、ひーちゃん」
連橋は両手で久人を手招いた。バフッ、と久人は連橋の腕に飛び込んできた。
「かわのみずがねー。つめたいんだよ。でも、きちもいいの」
「よかったな」
「とってもきちもいいんだ」
言いながら、久人はごろごろと連橋の腕の中で甘えた。
「懐かれてるなぁ、おまえ」
流は、そんな光景を見て、照れたように言った。なんだか久人が羨ましい流だった。複雑な気分なのだ。
「当たり前だろ。可愛がってるンだから」
「厳しく躾るって言ってなかったか?」
「場合によるんだよ。なあ、久人」
そう言って、連橋は久人の唇に、軽くキスした。久人も無邪気に、連橋にキスを返す。
「おまえ・・・。久人が女の子だったら、それ犯罪だぜ・・・」
流は、とうとう不貞腐れたように言った。
「なんで?」
「血が繋がってねえんだから、そしたら結婚出来るじゃん。おまえら」
「バカじゃねえの」
連橋はすぐにそう言って、苦笑した。
「そういう考えにすぐ至るてめえは、どうかしてるぜ」
「だって。おまえ、簡単にキスするからよ」
「ガキにキスしてなにが悪い。俺は可愛ければ、猫にだって犬にだってするぜ。この前そこらを歩いていた猫にだって無理矢理しちまったぜ。可愛かったからな」
そう言って、連橋は笑った。流は、ズキンッと胸が疼くのを感じた。
「流?」
黙りこんでしまった流に、連橋はキョトンとした。
「どーした」
「なんでもねえよっ」
プイッと、流は連橋から目を反らした。
封じた筈の想い。こうして、ちょっとしたところで、制御できなくなる。流は、時々自分がどうしようもなく怖くなる。あの時。小田島に強姦される連橋を見た時。はっきりと自覚した自分の気持ち。俺は、おまえを抱きたい。小田島みたく。むちゃくちゃに体を繋げて、おまえを泣かせてみたい。そんなどうしようもないくらいに救いようのない想いを、無理矢理流は、封印した。側に居る為に。連橋の側に居る為には、そんな想いは蹴散らかさなければなかった。約束したんだ、俺は。連と。側に居ると。おまえの走り抜ける道程を、この目で見ていてやると。そして、絶対に支えてみせると。だから・・・。
苦しかった。ただひたすら苦しかった。だが、これは越えなければならない痛みだった。やっと普通に連橋の瞳を正面から見られるようになるまでどれだけの夜を越えたか。だが。連橋は、待っていてくれた。なにも聞かずに、ただ待っていてくれた。嬉しかった。そんな連橋を裏切ることは出来ない。だから、苦しくても我慢する。側に居るために。ただ、側に居て、おまえを支える為に。
「どうしたんだよ」
連橋は、流を覗きこんだ。間近で見る連橋の顔に、流はハッとした。
「流?」
連橋の赤い唇が、流の瞳にくっきりと映った。その瞬間、流は連橋を抱き締めていた。そして。
「!」
形のいい連橋の2つの瞳が驚きに見開かれる。
「・・・って。ちょっと、俺もおまえにキスなんかしてみたりして。久人の真似〜♪」
慌てて唇を離して、流は早口で言った。
「冗談だぜ、連。ごめん、ごめん。マジでごめん。怒るなって」
心臓を高鳴らせながら、流は謝りの言葉を口にした。
押さえ切れなかった。咄嗟の衝動を・・・。あれだけ苦しい想いをして、やっと通過出来たと思ったのに。
流は、自分の心臓が口から飛び出してしまうかのような錯覚を覚えていた。この場を、なんとか誤魔化さなければ。なんとしてでも、誤魔化さなければ。嫌われたくない。連橋に、嫌われたくない。拒絶されたくない!!流は必死に次の言葉を探した。だが、言葉は舌に絡まり、思うように形にならない。そんな流を見つめていた連橋は、スッと目を伏せた。
「・・・なんでだよ。てめえらは、いきなり・・・。なんで、そうやって・・・。俺なんかにキスして、なにが楽しいんだよ。俺をからかうのもいい加減にしろよ・・・」
呟く連橋に、流はハッとした。
「てめえらは・・・って。他にも誰かにされたのかよ」
「おまえには、関係ねえだろ」
連橋のその言い方に、流はムッとした。
「誰だよ。連」
「なんでそんなにムキになんだよ。どうでもいいだろ」
「言えよ、連。誰だよっ。言えよッ」
「けんかはだめなの」
連橋の腕の中にいた久人が吃驚して、流を見上げて言った。だが、流は久人を無視して、ギュッと連橋の右手首を掴んだ。連橋は眉を顰めた。
「いてっ。し、城田だよ。城田」
「城田・・・」
流は目を見開いた。その隙に連橋は、流の腕を思いっきり振り払った。
「いつだよ。アイツ帰ってきたのかよっ」
「いつって。去年だよ。去年の今日、あの公園で偶然アイツに遭って。あいつもおまえみてえにいきなり、ガバッと来やがった。てめえら、訳わかんねえよ!今度やったら殺すぞ、流。幾らてめえでもな。許せねえことはあんだよッ」
怒鳴る連橋の声を耳に聞きながら、流は自分の顔色が青褪めていくのを感じていた。
城田。流の脳裏に城田の姿が過った。
『壊してやる』
『おまえ達の、関係』
あの日、城田はそう言った。確かにそう言った。
流の心の中で、色々な想いが、そして様々な今までの出来事が、逆巻いて破裂する。
「!」
もしかしたら・・・・。もしかしたら・・・。
城田、おまえも・・・。
おまえも、もしかしたら・・・!!!
流は、自分の考えにゾッとした。思わず体が小さく震えるのを感じた。
「ながれ?」
久人の暖かい指が、流の頬に触れた。
「いっしょにおうち、かえろう。あさこねーちゃんがまってるの。けんかはだめなの」
連橋の腕から、身を乗り出して、久人は流の頬に触れてはニッコリと笑った。
「あ、ああ。そうだな」
流は久人の指に自分の指を絡ませて、笑った。そして、連橋を見た。
「連、ごめん。俺が悪かった。ふざけ過ぎた」
「2度はナシだぜ。気をつけな」
プイッと言って、連橋は久人を抱えて立ちあがった。
夕日を背に、久人を抱いて連橋が土手を歩いていく。
その背中を見ながら、流はゆっくりと息を整えた。
連。
おまえを中心に、俺の運命は廻る。・・・そう思っていた。
だが。おまえは、もしかしたら、その背に、もう一人の男の運命をも背負っているのかもしれない。
俺だけでなく。もしかしたら、あの男も。
おまえの運命の中で廻っていく男なのかもしれない。
だとしたら・・・。
俺達は、いつか必ずどこかで、戦わなければならない・・・。
流は、そう思って、唾を飲み込んだ。
確証はない。勘だ。だがその勘も、外れている気がしない流だった。
連。
おまえが小田島と戦うように。俺は、城田と戦わなければならないかもしれない・・・。
いつかそんな日が来るかもしれない!
連橋は、ふっ、と流を振り返った。流は、そんな連橋に気づいて、やはり連橋を見た。
視線が交差する。
連橋はなにも言わない。流もなにも言わなかった。
互いの胸に在るものを、言葉にせずに探り合うような、そんな視線を二人は交差させていた。
2話に続く
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