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太陽の光の下をこんな風に飛べたら、どんなに美しいであろう。しかし、ここはティガン。決して自然の美しい光が降り注ぐことはない。闇に霞む白い北条の翼を横目に見て、陽は黙っていた。
こうやって北条に抱かれながら、空を飛ぶことは初めてではないから、別に緊張してる訳でもない。怖い訳でもない。
ただ、気まずい沈黙をかみ締めているだけだった。僅か前のあの瞬間。まるで待っていたかのように、北条の腕に飛び込んでいってしまった自分を陽は恥じていた。北条の言う通り、あんなふうに・・・いや、そもそも自ら抱きついたことなど皆無だった。なのに、俺は・・・。そう思うと陽は、カアッと頬が火照るのを感じた。
『うぉー。俺のアホ。バカ。いつもの冷静な俺は、あの時どこに行ってしまっていたのだ!!』
心の中の叫びだった筈だが、いつの間にかジタバタと陽は足と手を動かしてしまっていた。
チラリ、と北条が陽を見た。
「バカ・・・。動くな」
そう言って北条は目を細めた。その表情は、台詞とは裏腹に、どこか優しげだった。まったくおまえはしょうがないな・・・とでも言いたげだ。陽はそんな北条をまじまじと見つめ返す。
しかし、次の瞬間。
「って!ええ?ほ、北条、おまえ失速してねーか?」
「間違いなくしてるさ。ついでに、じょじょに下降気味」
「ぬえっ!」
確かに。失速も下降もしている。と、いうことは・・・。
オチル!?
ゴクリと陽は喉を鳴らした。
「安心しろ。死んでもおまえを離したりしないから」
ギュッと北条は陽をますます抱きしめた。
「なに言ってんだ。いっそのこと離してくれっ!てめえと一緒にくっついてたら、このまま落ちて死ぬ〜!!巻き添えはごめんだ。ひいぃぃぃ」
陽は叫んだ。体が落下のスピードに包まれて、ビシビシと悲鳴をあげる。
「薄情なやつめ」
それでも愛しげに北条は呟いた。
「俺だって。まだ死にたくない」
「ぎゃあ、地面が見えた。ひえええー!わあああ、死ぬ。死ぬぅぅぅぅ!!」
空中より、地上にまっさかさま。恐ろしいほどの落下スピードに陽は、目を瞑った。そして、ギュッと北条の体を抱きしめた。
「おとうさーん、おかーさん。今いきまーすっ」
目を閉じたまま、陽は最後の台詞とばかりに勢いよく叫んでいた。
頭から地面に突っ込む!とばかり思っていた瞬間に、ものすごい勢いで体が浮いた。そして、クルリと回転したのだった。
「ひえええっ」
なにが起こったのか陽にはわからなかった。だが、自分は地面に激突しなかったことは確かだ。
ドドドッと勢いよく地面に転がった。
「私はレコーダー。選ばれた人種。地面に叩きつけられて、スイカのごとく頭を割って死ぬのはごめんだ」
ぜえぜえと息を吐きながらの北条の強気の声が陽の耳元に聞こえた。
「ほ、北条・・・」
北条の右腕はしっかり陽の頭を抱え込んでいた。北条は陽を背中から抱くようにして、地面に座り込んでいた。落下を止められなかった北条だが、それでも激突の寸前に、体の位置を回転させて、難を逃れたのだ。かろうじて降り立ったここは、ティガンのどの辺りなのか。見当もつかなかった。湿った薄暗い森の入り口のような場所だった。勿論、人の気配などしない。
「なんで、こんなことに・・・」
言いかけて陽は、ギョッとした。地面についた手の傍を流れる夜目にも鮮やかな赤い血・・・。
「!!」
陽は目を見開いて、体を捻り北条と向かい合った。思わず北条の胸に手を伸ばす。上着は真っ赤に染まっていた。
「てめっ。まだ傷が・・・」
こんな場面は、陽は前にも経験していた。
「俺の体は、心ともども繊細でね・・・。そう簡単には治らん」
痛むのかそう言いながら北条は眉を歪ませた。
「バ、バカヤロウッ。こんな体で、男の俺を抱えて飛んで・・・。傷が開くに決まってるだろっ」
すると、北条はキッと陽を睨みつけた。陽はギョッとする。
「飛ばねば、おまえはあいつらに抱かれていただろう。俺は、おまえが、俺以外の男に抱かれるのは我慢ならん。絶対にイヤだ。もう二度とイヤだ。あんな思いはっ!」
「ほ、北条・・・」
その北条の迫力に陽は息を飲んだ。驚く陽を見ては、北条は我に返ったかのように唇を噛みしめてから、やがてチッと小さく舌打ちした。
「俺は・・・嫉妬したんだ。おまえがリスローに抱かれたから・・・。俺はたまらなく、どうしようもなく嫉妬した。おまえの姿を瞳に捕らえるのが、辛くなるほどに。かつてないほどの感情に、あやうく飲み込まれそうになった。いや、なったままになっていたかもしれぬ。おまえが、清掃局と騒いで脱走しなければな・・・」
そして、クッと北条は笑った。強張っていた肩の力が緩やかにぬけていくのが陽にもわかった。
「俺はおまえを殺してしまうところだった。己の嫉妬という感情でな・・・」
「北条・・・」
北条の切れ長の瞳は、まっすぐに陽を見つめていた。
「愛してる。おまえを愛してるよ。どうしようもなく自分勝手な愛だとは思うが、愛さずには、いられない」
きっぱりと言い終えては、北条の瞼がゆるゆると閉じようとしていた。体がヒクリッと痙攣する。
「おいっ。てめえ。し、しっかりしろっ!」
動いた北条の体から、今まで留まっていたおびただしい血が、地面を流れていく。
「し、死ぬな、北条!!てめえ、目を開けろっ!!一方的に告白してんじゃねえよっ!俺の言葉は聞きたくねえのか?ああ?目を開けて、耳の穴かっぽじいてよく聞けや、おらぁ!!」
だが、北条の瞳はぱたりと閉じてしまった。
「!」
こらえきれずに陽の瞳から涙が溢れた。
「愛なんてなぁ、自分勝手なモンでいいんだよっ!俺だって・・・。おまえなんか・・・。おまえなんか、ダイッキライだったのに。ダイキライだったのにぃ!!理由なんかなく、いつのまにか、いつのまにか、気づいたら・・・」
その先は言葉にならず、陽は北条の体を支えながら、泣いた。
「助けてくれよ・・・。誰か、コイツを助けてくれよ。まだ暖かいんだ。暖かいんだっ!」
泣きながら、陽は暗く煌くティガンの空に向かって絶叫した。


「相変わらずですわねぇ」
ルゼがホウッと溜息をついた。
「死ぬまで、治ンねえだろ、ありゃどっちも」
リスローが呆れたように呟きながら、丸まった包帯を掌で弄ぶ。
ギャアギャアとやりあう二人の間に、リスローが割って入る。
「はい、そこまで。サーシャ。おまえも大概懲りないね。せっかくぎりぎりで助かったのに。ったく、傷増やしてよぉ」
持っていた包帯でリスローは器用に北条の頭を巻いていく。たった今、陽が放り投げた洗面器が北条の額に確実にヒットして、そこから流血したのであった。
「なにが。俺はただキスしてくれ、と言っただけだ」
「てめっ。目を覚ました途端の第一声がソレだなんて、ふざけてるとしか思えネー」
「さすがに今回は生きているとは思わなかったからな。あの世だと思ったからこそ欲望に忠実に口にしただけだ」
「あの世でも色ボケかよっ。あの世に行った時ぐれー、ちったあ、キレーな人間になったらどうだっ」
「そんなの俺の勝手だ」
「そんなんじゃ地獄に落ちるぞ。閻魔様に舌ぬかれるかんなっ」
ブリブリ怒りまくる陽の肩をポンッと叩き、リスローは
「いいじゃねえかよ。いきなり、やらせろとか言われなかった分だけさ」
と、ヘラヘラと笑った。それに陽が眉を顰めると同時に、
「リスロー!馴れ馴れしく陽に触るなっ」
と北条がヒステリックに叫んだ。
「へいへい。おー、こえ・・・」
リスローはすごすごと引き下がった。と、そこへ。
「サーシャ様。カウマイン様より、処分の連絡が入りました」
北条より、リスローのがギョッとして、顔面を蒼白にしてしまった。そんなリスローがチラリと北条を見た。
北条は落ち着いていた。少しも表情を崩してはおらず、冷静だった。
「随分早いな。で、どんな処分だ?」
ルゼの手から、書類がハラリと落ちた。
「ルゼ?」
「・・・思ったより厳しい処分です。サーシャ様におかれましては、レコーダーの身分を一時剥奪。ステロトにおいて、必要期間謹慎処分」
「ステロト?あの、岩しかない、ものすっごい殺風景なところでか?てか、あそこって、人住めンのか?」
リスローが目を見開いた。
「まだ続きがあるのだろ、ルゼ」
北条はルゼを促す。ルゼはうなづいた。
「愛人については、没収。ただし、ステロトには、たった一人。愛人の中のたった一人。連れていって良いと。残りの愛人の今後については、当局で判断するとのことです」
「たった一人?」
そう呟き、さすがに北条は唇を噛んだ。
「はい。たった一人です。サーシャ様がステロトにお連れしてよい愛人は・・・」
ルゼは、そう呟きながら陽を振り返った。陽も、ルゼを見ていた。

続く

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