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一軒家を購入した時に、不動産会社に、身の回りの世話をしてくれる人を探しているから、心当たりが当たったら教えて欲しいと絢は頼んでおいた。
すると、3日後に返事があった。父親に伴われてやってきたのは、少年だった。
絢は、身の回りを世話してくれる人を、「男性で」と付け加えておいたのだ。
「伊藤と申します。うちは、ここから車で15分のところで小さなレストランやってます。これは息子で。隆文と申します。18歳です。高校を中退して、フラフラしとりましたが、小さい頃から家事には慣れてます。是非、使ってやってもらえませんでしょうか?」
おずおずと、気の弱そうな父親が、自分より遥かに背の高い絢を見上げて言った。
構わなかった。絢はうなづいた。
「こちらは別に構いません。ただ、後からトラブルがあっては困るので申し上げておきますが、俺はゲイですので」
きっぱりと絢は言った。すると、父親は目をキョトッとさせて、息子を振り返った。
「た、隆文。げい・・・ってなんだろうか」
その、聞きなれぬものを発音する父親の様子がおかしくて、絢は、くっと唇の端を吊り上げた。
「同性愛者」
息子は、ピクリとも表情を変えずに父親の質問に答えた。
「同性愛者」
さすがにピンと来たようで、父親は絢をまじまじと見つめている。
絢はうなづき、今度は息子の方に視線をずらした。気の強そうな目をした少年だった。
背が、高い。絢と並んでも、たぶん5cmも変わらないだろう。ゲイと聞いても、平然とした顔をしている。
今時の子っぽい・・・と絢は思った。
「あの。お手伝いと聞いとりましたが、なんか、そっちの方も面倒見る契約なんでしょうか」
相変わらずキョトンとした顔で、父親はボソリと言った。
「・・・その予定はありません。けど。どうなるかはわからないことですから」
本気か?と思いつつ、一応絢も真面目に答えた。
「はあ・・・」
コクッと父親はうなづき、息子をチラリと見た。
「隆文。どーする?いい話だと思ったが、なんだか結構複雑そうだ」
「あのさ。アンタ、俺のこと好みだったりすんの?」
父親を押しのけて、少年が直接絢に話かけた。
目の前に立った少年の背は、やはり自分とは少ししか違わないと絢は思った。
「いや。まったく。年下興味ねーし」
少年をジッとみつめたまま、絢は率直に答えてやった。
「ならいいよ。引き受けた」
「ほいじゃ・・・。うちの隆文でよろしいでしょうか?えと。石塚さんでしたっけ」
「ええ。石塚と申します。では、契約成立ということで。これからよろしく。伊藤さん・・・っていうのもなんか面倒くさいので、隆文でいい?」
「いきなり呼び捨てかよ」
少年、隆文の眉がぴくぴくと動いた。
「十歳以上も歳の離れているコに、クンとかサンなんて面倒くさいだろ」
絢がそう言うと、少年はフンッと鼻を鳴らし、それからゆっくりと笑った。
不敵なツラだと絢は思った。だが、こういう子は嫌いじゃない・・・とも思った。
「了解しました。ご主人様」
ニヤリと笑いながら、隆文は絢に向かって手を差し伸べた。絢はその手を受けて、握り返した。
「さっそくだけどさ。なんかメシ作ってくれない?今朝からなんも食ってねーんだ。死にそう」
絢は親指で、キッチンを指差した。
「では、初回は親子で、なんか作りましょう」
いそいそと伊藤親子は肩を並べて、キッチンへと歩いていった。
数十分後。絢は、久し振りに美味しいメシにありつけていた。


くるぶしまで、水に浸かる。さああ・・・と波が引いていく。
その感覚を楽しんでから、絢は今度は砂浜に座り、どっさりと買い込んできてもらった雑誌に手を伸ばした。
しばらく夢中で読んでいると、名を呼ばれた。隆文がこちらに走ってくる。
「メシー。絢、また帽子忘れていったろ。熱中症になっても知らねーぞ。ったく」
ハアハアと息を荒げながら、隆文はバフッと、絢の頭に帽子を被せた。
「ったくよー。オイルもなんもつけんと、ギラギラ太陽の中でのほほんとしてやがって。アンタ、モデルだったんだろ。少しは気を使えよ」
「別に。今更もう気を使うこともねえ。今まで体大事にしすぎたんだ。これぐらいしなきゃバランス取れねーよ。俺はな。体酷使することに、快感感じてるんだよ、邪魔すんな」
無理やり被せられた帽子を取り、絢はそれを隆文の頭に乗せた。
「やっぱり。アンタって変わってるよな」
隆文は唇を尖らせながら、絢を見た。
「俺は今でも、アンタが有名なモデルだったなんて信じられねーよ」
「尊敬するな」
「してねーよ」
ププッ、と隆文は笑った。絢は、そんな隆文を見て、フッと小さく笑った。
あれは、隆文が「お手伝いさん」として絢の家に通うようになって、しばらくしてからのことだった。
絢は無理やり市内に買い物につきあわされた。
1日中、人気のない海辺でダラダラ、広い家でゴロゴロじゃ、体にも心にもよくない!と隆文に連れ出されたのだ。
隆文は、最初に父親の言った通り、見てくれからは想像も出来ない程の家事に長けた少年だった。
きちんと掃除もするし、料理も上手い。なによりよく働く少年だった。
唯一のスーパーで買い物を済ませ、隆文がハンドルを握り車を走らせていた。
もう少しで、右側に海が見え、絢の家だという付近で、ふと隆文が車を停めた。
「この看板さ。もうずっと前から変わってねーんだけどさ。俺、ここ通る度に、なんか絢に似ているって思ってるんだよな。なあ、似てねえ?」
国道沿いの大きな看板。だが、隆文が言うように今は使われていないのだろう。
あちこちが剥がれて無残な状態の看板ではあった。絢は、言われてその看板を見上げた。
「・・・確かに、似てるな。つーか、俺じゃん」
数年前。自分にとって一番絶頂期の頃に引き受けた仕事の一つだった。清涼飲料水の広告だった。
「え?俺って・・・」
「うん。俺。懐かしいな。あ、そか。不動産会社には、素性明かさないでくれって言っていたんだな。俺さ。モデルだったんだ。まあ、知る人ぞ知るってぐらい程度のモデルだな。知ってる人は知ってるだろーし、知らない人はまるっきり知らない」
「へ、へえ。そか。だから、俺が知らなかったのか」
隆文は驚いていた。平静を装いたいらしいが、素直な子なので、バレバレだった。
「まー、そーだろ」
こういうとこが可愛いんだよな、と絢は心の中でクスッと笑った。
「ふ、ふーん。モデルか。あ、だから、ゲイなのか。納得。俺とオヤジで話していたんだ。なんか訳ありのようなヤツだよなって。こんな寂れた町の、あんな汚い家買ってさ。そりゃ目の前は海でロケーション抜群だけどさ。今時のヤツが住みたいと思うような家じゃねーもんな。やっぱり変わってるよな、都会のモデルはさ」
隆文は遠慮という言葉を知らない。
だが、絢も似たようなものなので、別に隆文の言葉にカチンときたりする筈もなかった。
「モデルだからゲイな訳じゃねえぞ。元々その気があっただけのことで。あの家はな。まーな。目の前が海ってだけでろくなもんじゃねーよな。確かに。雨漏りするは、この前なんか床板抜けたぞ。ひでー家だよ。でも、俺が若いころ住んでたアパートはもっとボロだった」
「呑気なヤツ。しょーがねーな。修理したるよ」
苦笑しつつ、隆文は車を発進させた。
「サンキュ」
助手席のシートに深く横たわり、絢は呟いた。
いつの間にか、ヤツ呼ばわり。挙句に呼び捨て。でも、そんなこと、やはり絢は構わなかった。
隆文とはたぶん、気が合うのだ。隆文は、人の呼吸が無意識に読める男だ。
同じような性格の男を、絢はよく知っていた。出会った頃の北斗と同じぐらいの背の少年。
そして、北斗と同じように、人の呼吸の読める少年。
絢は、モデルをやっていたのが信じられないぐらいに、人と接触するのが苦手な方なのだが、
隆文が傍にいることはちっとも苦痛ではなかった。
まるで、あの頃の北斗が傍にいるかのような錯覚を覚えたりもする。

次の日。隆文は、山ほどの雑誌を抱えて、出勤してきた。
開口一番に「絢の嘘つき!すげー有名だったんじゃん。俺のダチ、皆知ってた」と言われた。
隆文が抱えてきた雑誌には、すべて絢が載っていた。
「てめーが知らなかっただけだろうがよ」
アリーを胸に抱き、絢はテラスでゴロゴロと横になっていた。
なのに。なんで俺、嘘つき呼ばわりなのよ・・・と絢はボソボソと言った。
「知ってる人は知ってるが、知らない人は知らないって言ったじゃん・・・」
と口にすると、隆文は「よくよく考えてみりゃ、そんなの当たり前のことじゃねーかよ」とキーキーと怒った。
有名だったからって、それがどうかした?と訊いてやりたくなったが絢は黙った。
まだ隆文がキーキーとなんか文句を言っていたが、「うるさい」と怒鳴ると、ピタリとおとなしくなった。
「メシ作ってくる」ふて腐れながらも隆文は、仕事に就く。
怒鳴っちまった・・・と絢は少し反省したが、どうせすぐに隆文は忘れる。
しばらく接しているうちに、隆文は単純な子だとすぐにわかった。
ホントに、北斗とそっくり・・・。絢はコッソリと笑った。


「毎日、毎日。海でダラダラ、家でゴロゴロ。絢、飽きねえの?」
昼食は、ソーメン。夏真っ盛りの今。食欲などあろう筈もない。
ズルズルと麺を啜りながら、絢は隆文の問いに首を振った。
「飽きねー」
短く答えると隆文は肩を竦めた。
「まだ若いのに、隠居したジジーみてー」
「結構だね。俺の20代は音速で過ぎた。ダラダラしてる暇なんざなかった。だから、その分、30代はダラダラして過ごす。それで人生ちょうどいい。バランス取れるだろ。俺は、ダラダラ過ごして、ヘラヘラとジジーになりてーんだ。それが人生の夢だ。いいだろ?」
「どこが。なんつー夢だよ・・・」
明らかに呆れた顔で、隆文は絢を見つめた。
「んとに、真っ黒になっちまったな。出会った頃は、肌なんか生っちろかったのに」
「肌焼くとマネージャーがうるせーの。鬼のような女でサ。やれ食事をちゃんと取れだの、睡眠取れだの、タバコは止めろだの、過度のセックスは厳禁だの、やかましーったらなかったね」
脳裏によぎるのは、同志だった、アイコ。
今頃は、こんな俺などあっさり見限って、新人を発掘してバリバリ働いているだろう。
そういうのがアイコであり、絢はそういうアイコが好きだった。
「プロだったんだろ。当たり前じゃねーか。・・・ってさ。そーいや、絢。恋人いねーの?」
隆文の疑問に、絢はハッとした。
「なんだよ、いきなり」
「だって。セックスとか言うから。もうここ来て半年だろ。アンタの周り、誰もいねーじゃん。訪ねてくるやつもいなけりゃ、電話もねー」
華やかな世界で生きてきた人間なのに、ありえなくね?と隆文は言った。
「んなの、右手があれば、十分だろ」
「そのツラでよく言うな」
「るせーな。心配ならば、おまえが俺の相手すれば?」
チラッと絢は隆文を見た。
「や、やだねっ。なに言ってやがる。心配なんかしてねーよ。つーか、心配してんのは、自分の身。溜め込まれて、いきなり襲われたら困るし」
ギョッとしたように、隆文は慌てて絢から目を反らした。
「最初に言ったろ。ガキ興味ねーんだよ。それに、俺はちゃんと好きな男がいる」
「あ、そ、そうなんだ。なら、安心」
現金なもので、隆文はパッと顔を元に戻し、絢を覗きこんだ。
「なあ。ソイツどんな男?なんで連絡してこないの?喧嘩中とか。会いにくる予定は?」
ニヤニヤと隆文は絢を見ながら、さぐりを入れてくる。絢は、無視して、ズルズルと勢いよくソーメンを啜った。
ついでに碗の中の汁をズズーッと飲み干した。
「汁、美味い」
絢の言葉に、隆文がパッと顔を輝かせた。
「だろ。特製よ、伊藤家の。おふくろ直伝」
「うめーよ。すっごく」
褒めると、隆文は、本当に嬉しそうに笑う。
「へへっ。そっか。美味いか。へへへ。へ?」
と、隆文の唇に、絢の舌が触れた。
「わわわっ!」
驚いて、隆文が椅子からずり落ちた。
「あにすんだ、いきなりぃっ!」
「本城北斗。長身美形。連絡場所教えてねー。喧嘩はしてない。けど、会いに来る予定はナシ」
「あ?ああ、さっきの俺の質問か・・・」
僅かに顔を赤くしながら、隆文は、絢の舌が触れた自分の唇に指を伸ばした。
「大人をからかった罰。なに顔赤くしてんの。ときめいた?」
「ばっ、バカ言うなよ!」
隆文の反応は、絢にとってはとても可愛らしいと思えた。なんとも言えずに可愛らしい。だが。
「ときめいたって、それ以上はしてやんねーよ。じゃ、後片付けよろしく。俺は寝る」
「さっきも砂浜で寝てただろっ」
「人生、寝る時間はだいたい決まっている。俺はこの十年間、あまりにも眠らなすぎた。今、帳尻を合わせているんだ。やかましーことは言うな」
アリーを従えて、絢は、居間のゆったりとしたふかふかのソファにバフッと身を横たえた。
「食ったばかりで寝ると牛になんぞ!」
「もし俺が牛になったら、焼いて食ってくれ。ま、味の保証はしねえけどさ」
懲りない絢の返事が、光溢れる海辺の部屋に響いた。

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