4月4日。絢は、いつものように、隆文の作った朝食を食べて、ゴロゴロとしていた。
6日の東京でのショーの為に、明日にはここを隆文の車で出発する。
隆文が一緒に行きたい、と言ったので、二人でドライブを兼ねて東京へ行くのだ。
ブラインとの連絡はもうちゃんと取れていて、あとは、この身一つで東京でブラインと合流するだけのことだ。
「さーてと。散歩いこっと」
覚悟を決めてしまえば、絢にはもうすることもなかった。
ただひたすら、好きな海を眺めているだけの時間を堪能するだけである。
「絢。写真撮るんだろ。ほれ」
出て行く寸前に、隆文にポイッと、カメラを渡された。
そうだ。ささやかな家ではあるが、ここは一年暮らした俺の城。
この家を撮って、海も撮って。思い出に持っていくつもりだったのだ。
絢は写真がキライだった。けれど、それは自分が写っている場合だ。
景色ならば、なんの問題もない。家の裏手の道路まで駆け上がり、絢はカメラを構えた。
「改めて見ると、マジでボロイな・・・」
ふっかけられたかな、あの不動産屋め・・・と思いつつ、それでも絢はシャッターを切った。
大切な時間を過ごした家。忘れない、と思った。
あとは、海。絢は、ガードレールに腰掛けて、目の前に広がる海をファインダー越しに覗いた。
シャッターを切り、それから改めて海を見つめた。
大きい海。
昔から海を前にすると、人は自分の小ささを自覚するのだが、こんだけデカイのと比較する方がおかしいんじゃねえの?と思う。
クスッと絢は笑った。
さあ、俺も覚悟を決めて、ここを出発しなきゃな・・・。


「ねえ。本当なの?今日のショーにkenが来るって」
「本当らしいわよ。だって、田宮くんが言っていたもの」
「すごいわ。だから、こんなに取材の人達が多いのね」
ショーの会場であるRビルのロビーは、ざわめていた。
たくさんの花束と、その存在自体が華やかな今日のショーのモデル達が開場前のロビーに集っている。
「そろそろ一般の人達も入場らしいわ。kenはまだなの?」
「今、裏の入り口とかにバイトのやつら回してる。どこから来るかわからんし、ホントに来るのかもわからんしな」
雑誌の取材陣達も、一年ぶりに公の場に現われるというkenの噂を聞きつけて、ソワソワしていた。
アイコは、そんな様子を、ロビーの喫煙所で楽しそうに眺めていた。
「ねえ、アイコさん。本当にkenは来るのかしら?」
「来るわよ。絢は、田宮をすごく可愛がっていたからね。アイツは出来ない約束はしないわよ。来ると言ったら来るわ。いつか知らないけど」
「そんなぁ。もうすぐ私、ショーの支度に入らなきゃいけないのにー。来たら、教えてくださいね」
「わかったわよ」
社員の子に泣きつかれて、アイコはクスクスと笑った。
「裏口に気配ナシ。本城の社長さんと合流してるってことない?」
「本城の社長は、今会議が終わって、こっち向ってるってさー。合流はねえだろ」
「んじゃ、kenは一人で来るのか」
「まさか。車だろ、誰かと一緒に違いねえ」
そんな騒ぎを見て、アイコは、一年も経つのに、やはりまだ皆、kenの存在は忘れ去られていないのだ、と思った。
仕事をキャンセルし、突然消えたプロ意識欠如のモデルだったというのに・・・と。
「アイコさん。ケンはまだ?」
「プリンスブライン!いらっしゃい。ようこそ」
「お招きありがとう」
ニッコリと、ブラインが正装で、アイコの傍へと歩いてきた。
「ブラインさん。今日、本当に絢が来るのかしら」
「間違いないですね。私と約束してますから。久し振りに会うから、オシャレしてきました。いかが?」
「相変わらずステキですよ。きっと絢も惚れ直すわ」
「ありがとう」
ブラインが照れたように笑いながら、アイコと同じようにタバコに火を点けた。
二人とも、視線がそわそわと入り口に飛んでいた。
「車来たぞ。って、なんだ弁当屋か?」
「誰だ、んなの頼んだのー」
アハハと取材陣が笑っていた。
アイコもドキリとしたが、おどかすなよと思った。
「ブラインさん。今日のショーはね」
と言いかけた時に、ブラインの視線が、ジッと入り口に注がれているのに、アイコはハッとした。
シュンッと、入り口の自動ドアが開いた。
背の高い男が入ってきた。
なんでもない白いTシャツに、洗いざらしのジーンズに、白いズック。
柔らかそうな黒髪の上には、茶色のサングラスが乗っかっている。
片手には、大きな花束を持った男が、背筋を伸ばして、ゆっくりと歩いてきた。
受付の女の子達は、呆然とその男を見上げていた。
ポイッ、と見ようによっては、かなりぞんざいに招待状を受付のテーブルに放り投げて、男は歩いてゆく。
その場が、シーンッと静まり返った。
誰もが、その男に視線を奪われていた。
一瞬のうちに人々の視線を吸い寄せる、大輪の華のような雰囲気を持つ男だった。
「久し振り、アイコ。ブライン」
声はそう言った。
「絢!」
アイコは、タバコを放り投げて、走り出した。
「絢。絢!」
アイコは、白いTシャツの男、絢に抱きついた。
「このバカヤロウ!一年近くも、連絡一つせんと。バカ、バカ、バカ!」
わぁぁあんとアイコは絢に縋りついて、大声で泣いた。
「ごめんね、アイコ」
「ケン」
アイコを抱きしめながら、絢は名を呼ばれて、顔をあげた。
「ブライン。お待たせ」
絢が言うと、ブラインはうなづいた。そして、微笑む。
「待っていたよ。会いたかった」
アイコを抱きしめている絢の左手をブラインは、ゆっくりと掴んだ。
絢の左手の薬指には、ブラインが贈った指輪がはめられていた。
「愛してるよ、ダーリン」
ブラインはそう言って、アイコごと絢を抱きしめた。
「ハニー。俺も愛してる」
絢はそう返し、つま先を僅かに伸ばして、アイコを抱きしめたまま、ブラインの唇にキスをした。

そして、その時。
自動ドアが開き、守山を伴った北斗が、ロビーに到着した。