泣いている男って苦手だなぁ・・・と自分を棚にあげて、絢は思った。
チラリと隆文に目をやり、それから小さく溜め息をついて、絢は髪をかきあげた。
「ああ、もういいよ。隆文。いつまで泣いてんだよ」
「だって・・・。だって、俺。絢になんて言えば」
「おまえからなにか言ってもらおうと思ってない。ああ、もう。泣くなっ!」
ボコッ、と絢が投げたクッションが隆文の頭にあたった。
隆文は、床に伏せてはメソメソ泣いていたが、頭にぶつかったクッションのせいで顔をあげた。
「俺の家のせいで、絢が・・・。絢が・・・」
「何度も言うように、俺は自業自得なの!いいか。一度しか言わないから、聞け。俺はな」
絢は、ソファの上にあぐらをかいて、床に座り込んでいる隆文を見つめた。
「身の程知らずな男を愛して、そのツケが回ってきているだけなんだ。前に言ったろ、本城北斗。本城グループの次男で、おまえのオヤジが任された店もソイツの店。俺ら一般人には想像もつかねー金持ちなんだよ。んでもって、超我侭」
「・・・そうなんだ」
「そうなんだよ。所有欲バリバリのやな男」
「・・・でも。好きだったんだろ?」
「俺はね」
憎まなきゃ、やってらんねーと絢は思った。
あれから、北斗からはなんの連絡もない。まさか、なにも知らずにいる筈もない。
守山がいかに有能といえど、書類にはちゃんと目を通している筈なのだ。
守山は、独断と言ったが、ありえない。
なにも疑わないでいるほど、北斗はボンクラじゃない。
ということは。すべてを知っていて、見て見ぬふりをしている。無視している。
そうとしか、絢には思えなかった。いや、そう思うことで、自分の立場を楽にしたかったのかもしれない。
いずれにしても。そうであるならば、尚のこと。守山の言うことは理解出来た。

本能での、所有欲。
北斗が、隠すことなく振りかざした感情も、それならば理解出来るのだ。
俺は、嫉妬と間違えたけれど。
北斗は、一度手にした【俺】が、自由に振舞うことを許せないでいたのだ。
だって、俺は北斗の物だったんだから・・・。
守山が言いたかったのは、まさにそこだったのだ。
不意に悲しみに襲われ、絢は思わず黙り込んだ。
そんな絢を、隆文が気づかうように、「大丈夫?」と訊いてきた。
絢はハッとした。
「とにかく。まあ、俺も悪い男にひっかかちまったってこと。だから、俺に関わったおまえらのが被害者なんだから。気にするな。それに、あながち俺は不幸じゃねーんだ。待ってる未来を考えるとな」
「絢。オヤジから聞いたぜ。ここ離れるって。どっかへ行くって」
「ああ。日本を離れる。こんな俺でも、傍に居て欲しいって言ってくれる奇特な外人がいてな。嫁に行こうと思ってる」
「・・・なんだよ、それっ。それって、自分の意思なの?」
隆文が、眉を寄せた。絢はそれを知りながら、あえて隆文の言葉を無視した。
「ソイツな。プリンスブラインって言われているフリーのカメラマンなんだ。小さな国の王子様なんだけどさ。そんな環境嫌って国飛び出してさ。あちこちフラフラしながらカメラいじってたら、才能認められて、あっと言う間に売れっ子カメラマンになったらしい。よく知らねーけどな。とにかくヤツに撮られることは名誉なことらしくてさ。ブラインが日本の寺に興味を持って来日してきたのをうちのマネージャーが目をつけて。お願いですから、うちの絢を撮ってくださいって。自分じゃなくて、俺の体を差し出しやがってさ。枕営業ってヤツ?ひでえよな。でも、ま。ちょいセックスしたらアッという間に、イカれてくれてさ。実に簡単な取引だった。よーするに、俺ってヤツの好みのストライクゾーンど真ん中だったらしくてさ。それ以来、熱烈に口説かれていた。ヤツにはちゃんと奥さんいるんだけどさ。何人も囲ってる愛人の一人になってくれってさ。笑っちゃうだろ。当時は、冗談じゃねーよと思っていたけどな」
絢が、こんな風にペラペラと自分のことを流暢に喋るのを聴くのは、隆文にとって初めてのことだった。
一年近く傍にいたけど、考えてみれば隆文は絢のことをほとんど知らなかったのだ。
「でもな・・・。俺もこの一年、色々な本や雑誌読んでさ。ちょっとは考えることもあったんだよ。やっぱりな。愛してるより、愛されている方が幸せかなってさ。俺は少なくとも、本城北斗よりは、ブラインに愛されている。愛されるのって究極の幸せだろ?」
「それは女の人がよく言う台詞だ」
「俺は女だよ。たぶん、俺は。体は男だけど、心は女に近い。だから、愛された方が幸せ」
澱みなく言う絢の言葉に、反論しようと言いかけて、隆文は止めた。
確かに。絢は、ここにいる間は、いつも淋しそうだった。
どこが?と訊かれると困るが、隆文は、絢のことを淋しい男だと思っていた。
海を見る視線。空を見る視線。
いつも、いつも。なにかを探しているような、そんな目をしていた。
追い求めるよりも、追われる方が絢は幸せなのかもしれない。愛されているならば、無論。
「ブラインは、北斗ほどじゃねーけど、金持ちだし。まあ、俺も生活に困ることはないだろうし。俺は、ブラインはキライじゃねーんだ。ただ、当時は北斗のが好きだった・・・って言うだけでな。ただひとつ。エロいのが難だけどさ。俺は、セックスキライじゃねーけど、ヤツはしつこくて。もう50近いくせに、すげえんだぜ。それ考えると、憂鬱だけどな」
「50?年の差ありすぎ。なんだよ、その外人」
そんな男のところに、絢は行こうとしているのか・・・。隆文は、目を伏せた。
「うん。けど、青い目が綺麗だぜ。おまえが今想像したよりかは、美形なオッサンだぜ」
絢は、そう言って、ニッコリと笑った。その笑顔に、隆文は目を見開いた。
「俺。絢が、そんなふうに笑うの、初めて見た・・・」
「今のは営業スマイルだ」
「モデル時代に培った技?」
ヘッと、隆文は笑った。
「滅多に出さなかった技だけどな。需要もなかったしな」
「笑った顔・・・可愛いね」
思わず言ってしまって、隆文は自分で自分に驚いた。絢と目が合う。
「・・・記念に、セックスしとく?」
ニコッ、と絢はまた笑う。
「うん。いいよ。絢とならば、出来そうな気がする」
隆文の返事に、今度は絢が驚いた。
「冗談だぜ。ガキ、好みじゃないって言ったでしょ」
「だったら言わないで。罪作りな真似すんなよ」
「ごめん」
そう言いながら、絢はボスッ、とまたクッションを隆文に投げた。
「痛えな。なにすんだよ」
「おまえが可愛いからな。白状しておくとな。俺、すげー人見知りなの。けど、おまえとは何故だか気が合った。おまえに会えて良かったよ。この家、おまえにやるよ。キャメもおまえに頼む。本当はキャメだけは連れていきたいけど、北斗から貰ったものは、全部日本に置いていくつもりなんだ。そうじゃないと、俺はいつまで経ってもアイツを忘れないだろうから」
「絢」
「愛してるよ。うん。たぶん、今でも愛してる。この一年、なにをしていても、北斗のことを考えていた。追いかけてきてほしかった。抱きしめてほしかった。愛してるって言ってほしかった。でも、そう考えていながら、本当はそれがムリだということもわかっていたんだ」
ふっ、と絢は窓の外に視線を移した。
「隆文。ひとつだけ、了承してくれ。おまえのおふくろさんの病院を移すぞ。いい病院があるんだ。名医がいる。入院費とかの支払いは全部本城に行くように手配済みだ。つーか、そこは本城の病院だからな。どうせならば、本城を徹底的に利用したるぜ、俺は。隆文、おふくろさんは必ず目を覚ます。諦めちゃいけねえぜ」
「・・・ありがとう。絢・・・。お、俺の方こそ、アンタと会えて良かったよ」
また、隆文の目に涙が溢れた。
絢は、すべて包み隠さず経緯を隆文に話した。どうしてこうなったかを。
すべては俺が原因、と言ってみても、伊藤親子がなにも感じない筈はない。
隠しておけるところは隠すべきだったのかもしれない、と思った。
けれど、いつか知る事実であるならば、他人という余計な媒体が入る前に、自分の口から話しておくべきだと思った。
なにも知らされないことは辛いこと。絢は、それを知っていたからだ。
「俺は。俺の意思で、ブラインのところへ行く。だから、おまえはこの家とキャメを頼むな。もし俺がブラインに追い出されたら、また戻ってくるからよ」
ハハハ、と絢は苦笑した。その絢は、いつもの絢だった。
「わかった。任せてくれ。とっとと追い出されること、祈ってるぜ。待ってるから。あ、でも。その前にさ。絢。いつ。出て行くんだよ」
出発の日。絢からは、聞いていない隆文だった。
「もう少し、先。荷物も置いていく。全部売り捌いて、金になったら、キャメに上等な餌いっぱい買って食わせてやってくれよ」
「もう少し先って、いつ!?」
絢のことだ。もう少しと言いつつ、明日とか言い出しかねない、と隆文は不安になった。
「桜が咲いたら・・・かな。ブラインが今あちこち忙しくて、落ち着くのがその頃だからって」
隆文は、ホッとした。
まだ、あと一ヶ月以上は余裕がある。少しでも絢と一緒にいたかったので、嬉しかった。
「もう少し、俺につきあってもらうぜ」
隆文がホッとしたのを見て、絢はニヤリと笑いながら、からかう。
「あ、当たり前だろっ。本当はずっと。もっとずっと一緒にいる予定だったんだから。ちきしょう」
ゴシゴシと涙を拭きながら、隆文は照れたようにぶっきらぼうに言い返した。
「ハイハイ。泣くのはもう止めろ。ほら。キャメと散歩行くぞ。つきあえよ」
ヒョイッ、と絢はソファから降りた。その長い脚を見つめながら、隆文はうなづいた。
綺麗な脚。細い体。小さく整った顔。モデルとしての絢は、確かにとっても綺麗だったんだろうと隆文は思う。
だが、隆文は、過去の雑誌の着飾った絢を見ても、ドキドキしたりはしなかった。
こうして。よれよれのTシャツを着て、ボロボロのジーンズを穿いて、素足の絢。こんな絢のが、よっぽど綺麗だと思った。
改めてそう考えると、やはり、絢は素から綺麗な人間なんだな、と隆文は思った。
本当に、本城北斗と言う男は、こんなにも全てが綺麗な男を、愛さなかったのだろうか?と思った。
何故?こんなにも、愛されながら、愛してはあげなかったのだろう・・・。
もし、俺が、本城北斗だったら、きっと迷わずに愛しただろうにと思った。
さっきの、絢の誘い文句を、もっと粘ってみれば良かったかもと思い、隆文は、カッと顔が赤くなったのを感じて、一人で慌てた。

絢は、キャメロンを連れて、もうとっくに部屋を出て行ってしまっていた。