海外滞在を終えて、北斗はやっと日本に帰ってきた。
気の毒な相手先は、すっかり南の策にはまり、尻の毛まで毟り取られる羽目になった。
勝利だった。完璧に、兄南の、そして本城グループ本家の勝利だった。
兄の、ビジネスに挑む姿勢は恐らくは北斗には真似が出来ない。
どんなに本人が嫌がろうと、トップの資質があることは間違いがない。
兄がいる限り、グループは揺らぐことはないだろう。
途中、妻に子供が生まれた。男の子だった。次代の本城家の跡取だ。
気の毒に・・・と思う反面、なに不自由なく幸せに育ててやる、とも思った。
いつか、逃れられぬ運命に嘆く時が来るまでは、健やかに育て、と。


日本に戻ってきた時。心配するまでもなく、守山に任せた会社は、滞りなく運営されていた。
あれ以来。守山の態度は、変わりない。
「必要ない。おまえは絢のことに口出すな」と釘を差した。
それに対して、守山は珍しくうなづかなかったが、必要以上に守山を刺激することになる、と思って北斗は絢のことについて、守山の前で言うのを止めた。
言うのを止めるということは、考えるのを止める、ということだ。
そうしていけば、一石二鳥だと思った。自分ひとりであるならば、とりとめもなく絢のことを考えてしまうから・・・。
妻と、生まれた子供へとおみやげをいっぱい抱えて戻ってきた北斗を見て、守山は満足そうに微笑んだ。
忙しいのは、幸いだった。
やはり、任せていたとは言え、北斗にしかわからないことも多々あり、次から次へと容赦なく守山がデスクに積んでいく書類に目を通すだけで、北斗は貧血を起こしそうになった。
きっと、兄南も今頃は同じ目に遭っているだろうと思うと、ざまあみろ、と少しは頑張れる北斗だった。
一休み、とばかりに、北斗は書類から顔をあげ、窓をチラリと見た。いつもと変わらぬ風景であるにも関わらず、どこか厳粛な気分になるのは、時が新年を迎えたばかりだからだろうか。
「あちらのクリスマスはいかがでしたか?」
守山が聞いてきた。
「聖なる夜とは思えない、乱れた夜を過ごしてきたよ。兄貴のおかげでね」
「それは、それは。羨ましい限りですね」
守山も、北斗が返した書類に目を通しながら、笑った。
「でも、峻が来てくれてさ・・・。ステキなハッピーニューイヤーを過ごしたよ」
「峻様がいらしたのですか?それは、それは。南様も喜ばれたことでしょうね」
峻とは、兄南の長年の元恋人であって、北斗と南の兄弟には馴染み深い男だった。
北斗は、彼には全面的な信頼を寄せている。
兄南の元を去り、峻に新しい恋人が出来、本城との関係を断ったにも関わらず、彼に寄せる信頼は今も変わることはない。
ふと、北斗はその時のことを思い出した。


新年を迎えるところ、あと1日。そんな日だった。
ドアをノックする音に、一人で部屋でボーッとしていた北斗は、「どうぞ」と声を返した。
ドアが開いて、そこに立っていたのは、兄南と、そして大川峻だった。
「峻」
北斗はソファから立ち上がって、峻に走り寄った。
「こんにちは。北斗様。お久し振りです」
「峻、峻」
ガバッ、と北斗は峻に抱きついた。
「うわ」
北斗より、数センチは背の高い峻だったが、さすがによろめいた。
「北斗は、おまえのことを、僕より慕っているんだ。妬けるね。ハハハ。まあ、ごゆっくり。僕はジェイを案内してくるから」
南はそう言うと、峻を北斗の部屋に残して出て行った。
「なに。兄貴に呼び出された?恋人とハッピーニューイヤー、しっぽり迎える予定だったんだろ」
「祝杯につきあえ、と呼び出されましてね。私の食い意地の張った恋人は、南様の甘い誘惑にすっかりと堕ちまして。私と二人っきりの新年よりも、食べ物に囲まれた新年を選んだようですよ」
穏やかに微笑みながら、峻はそう言った。
「ざまあねえな。峻」
北斗がからかう。
「まったくです。でもまあ、手料理を食べさせられるよりかはマシですね」
「なに、それ」
「こっちのことです。それより、北斗様。いつまでも抱きついていられると、その気になってしまうので、あちらでゆっくりとお話しましょう」
「俺でもその気になれるの?趣味悪いぜ、峻」
当然のことながら、兄南と恋人であった峻も、ゲイだった。
たぶん、こんな環境に生きていたから、あの時、絢の誘いをそれほど嫌悪なく受け入れられたのだ・・・と北斗は自分を分析した。
南と峻は、昔から、仲むつまじさを遠慮なく北斗に見せびらかしていたのだから。
しばらく他愛もない話をして、話が絢に移った。
「別れられたと聞きましたが」
「元々、つきあってねーもん。そりゃセックスはしてたけど、大人の関係じゃん。んなもん」
ぶすっくれて北斗は答えた。既に、酒が入っている。
「よく言いますよ。未成年で出会って、すぐに大人の関係になってしまわれたくせに」
峻がクスッと笑う。珍しいことだ。軍人である峻は、中々表情を崩さない。
「あのな。最初からアイツは、俺に魂胆があって近づいたの。何度も言ってるだろ」
「ええ。それは私も何度も聞きましたけどね。でも私には、あの坂井さん達が貴方の為に石塚さんを用意したとはどうしても思えなくて。一度ちゃんと確認したらいかがです?」
「別にっ。確認する必要ねえよ」
第一、なんの確認だよと聞くと、峻は真面目な顔で言った。
「聞きかじりを鵜呑みにするのはよくありません。惑わされて、後退するだけです。本当は本人に聞くのが一番なんですが、それが出来ないのならば、近い情報を得ることです」
「軍人っぽい冷静な意見だな」
「軍人ですから」
にっこりと峻は微笑んだ。
「北斗様。作られた出会いや作為のあった思いは許せませんか?それがもし、時と共に変化して真実の思いになってもまだ許せませんか?」
峻の言葉は、北斗を驚かせた。
峻自身が、作為のあった思いに翻弄されて死にかけたというのに、この男はそれを許せたのだ。
結果として、だから、いまだ兄南とのつきあいは続いている。
自分は、まだその域には行けないと北斗は思った。
「許せないね。作られた出会い、ましてや本城の作ったシナリオ通りに動かされるは、まっぴらごめんだ」
「貴方も南様もよく似ていますね。まごうことなき本城の男達のくせに、本城を嫌うとは」
峻が言うと、迫力がある。確かにこの峻は、本城の被害者であるから。
だが、譲れない。北斗は、フンッとその言葉を無視した。
「北斗様。ひとつ言えるのは、貴方がいつまでも石塚さんにこだわる理由は、たった一つしかないんですよ・・・と言うことです」
「それは?」
「愛してる、ということです」
短く峻が言った。北斗は、否定も肯定もしなかった。それ以上、峻もなにも言わなかった。
ただ、黙って、二人でグラスを空けた。
目の前に堂々と開けた大きな窓の外には黒い夜景が横たわっていた。
時折、早々と新年を祝う花火のせいで、辺りが色彩豊かに照らし出される以外は、静かな夜更けだった。


ハッ、と我に返り、北斗は慌てて目の前の書類に目を通しだす。
経営する子会社、最近好業績をたたき出している飲食店が、新しい地に店舗を出す。
それの許可を求める書類だった。
すべては北斗が出張中に守山の一存でGOサインが出ている。
事後報告なので、否と言える筈もないし、整然と整えられた書類の中のひとつであったそれを、北斗が訝しく思う筈もなく、事務的にOKの印鑑を押す。
それは、伊藤家のすぐ傍に建設される予定の店舗だった。
北斗は、その事実を知る由もなく、書類を守山に渡した。守山は、ゆっくりとそれを受け取ると、うなづいた。