BACK        TOP       NEXT



*****************************************************

山下は、エリーと丸山の姿をあの街で見かけ、そしてなす術もなく見送った。
その後に飲んだ酒はまずく、悪いことに酔えなかった。酔えない事実は、山下を強烈にうちのめした。2人の姿を見送った瞬間から、猛烈に自分の心に沸いた感情が、嫉妬だということに気づき、山下はもうエリーへの自分の気持ちから目を背ける訳にはいかなった。

あの2人は、愛し合っている筈がない。山下は確信している。
エリーが好きなのは、小野田泪だ。間違いない。
それは、あのガラス越しの、エリーの視線で痛いほど感じた。自分でないことは仕方ない。それはなんとか堪えることが出来る。けれど。どうして丸山なのか?何故丸山でなければならない・・・。そんな疑問が山下の頭でグルグルと巡る。仕事をしている間もそんなことをずっと考えていた。時々ボーッとしてしまうので、敢えて人目に触れない倉庫で書類の整理をしていた時だった。

誰かが倉庫に入ってきた。
「はー。やれやれ。今日は小野田主任が休みで助かったね。今頃は所長の奥さんとイチャイチャしてんじゃないの?」
クスクスと笑い声。女子社員だった。何人かいるようだった。
「うそ。あの噂、マジだったの?だって小野田さんホモだって噂じゃん。私、本社の同期の子に聞いたけど」
「ああ。両刀らしいよ、彼。私も同期の子に聞いた」
「やだあ。本当にそういう人いるんだ」
「ここに来たのだって、前回のあの事件のせいで飛ばされたンでしょ」
「衝撃的だったよねー。自分の上司のダンナを寝取っちゃったなんて」
「大堀課長だっけ?すげえデキる東大卒の女管理職って一時社内報で紹介されていたもんね。彼女、美人だったわよね。そんな女を振り切って小野田主任に走ったダンナの方もどうかと思うけど。世の中わかんないわねぇ」
「まあね。よりによってそんなプライドの高い女のダンナとデキちゃうんだもん。まずかったわよね。確かに小野田主任、顔めちゃくちゃ綺麗だから仕方ないかもしれないけどね」
「ホモでなければ、いい獲物なんだけどね」
「けどさ。よくクビにならなかったよね。普通はあれだけの醜聞だったら、クビでしょ。ただの不倫じゃないよ。ホモの不倫だし」
「そこなんだよねー。本社の子達も言ってた。人事の子の話によると、どこかから圧力がかかったって話。主任のお父さん、これまたどっかの商社の結構おエライさんらしいって噂だしね。わかんないけど」
「ふーん。で、そんな迷惑なヤツをうちは押しつけられたんだ。なんか情けなくない?」
「しゃーないじゃん。うちの所長、東京に女学生囲ってるようなロリコン男だもん。女房に逆らえないような情けない男が、上からの命令に逆らえる筈ないじゃない」
「ろくな男いないじゃん、うちの会社。せっかく有名な会社入ったのにさー。まあ、こんな田舎だから仕方ないかもしんないけどさ」
「でも、こんな田舎は田舎なりに長閑だったのにさ。ホモの主任が来たせいで、最近やたらと忙しくてたまんないわよねー。今更どんなに頑張ったって、本社なんか戻れないわよ。あの醜聞は、支店まで流れているんだから。見苦しいぞ、小野田!って言ってやりたい」
「先輩ったら。それ、本人の前で言える?」
「言える訳ないじゃーん。両刀でもいいわよ。1度寝てみたいよ。ああいう男と」
「同感ですぅ〜」
「ねー。って、そろそろ戻るか。電話鳴ってたらヤバイし」
お喋りが終わると、パタパタと足音が響き、女子社員達は倉庫を出ていった。
ソッと、山下は倉庫の奥から入口の方へ向かって歩いた。
ヒョイと覗くと、煙草の煙が、彼女達の去った空間に、静かに流れていた。
今聞いた話は、事実なのだろうか・・・。山下は、ギュッと唇を噛み締めた。


泪は珍しく、会社をサボッて家にいた。
玲からの、結果報告の電話を昨夜に受けてから、なんとなく全てのやる気がうせていた。
もう、どうでもいいや・・・という感じだった。
『やっと聞き出したぜ。経緯説明しても面倒くせえだけだから、結果だけ言うぜ。ヴィアス伯爵は、後継ぎが戻ってくるとあちこちに言いまくってはご機嫌らしい』
玲はズバリとそう言った。
ヴィアス伯爵とは、エリーの義父だ。貴族の末裔であるエリーの母と再婚したおかげで、ヴィアスというそれなりの名前を名乗れるようになったやり手の実業家だ。
エリーは本来エリー・ヴィアスなのだ。だが、彼は義父を嫌い、実の父の苗字を使用している。どっちの名でも、日本で生活するには問題はない。母国に帰れば、勿論多いに問題はあるのだが。
『おまえ。エリーとなんかあったのか?あんなに嫌っていた実家に、エリーが戻るなんて、絶対におかしいぜ』
「だから。その理由を調べろと言ったんだ、俺は」
『だったら、てめえで本人に聞けよっ!知るかっつーの。オヤジ通さずに、エリーのことなんてアレコレ調べられる筈ねえだろうが。これだって野瀬っちのコネ使ってやっと聞き出したんだぞ。理由はわかんねえ。だが、エリーは間違いなくイギリスに戻る。それももうすぐだ。12月の頭にある誰だか侯爵の主催するなんとかっつー結構なパーティーの招待客リストにヴィアス伯とエリーの名が挙がっているって聞いた。そこで、エリーを正式に後継ぎに発表するつもりらしいってさ」
「もうすぐ帰るって言うのは、わかってたさ」
『なんでだよ』
「こっちは雪が降るからさ。アイツは雪が嫌いだ」
『そうだったな。雪が降る日は、一歩も家から出なかった。あれだけは凄かったよな。さすがのおまえでも、雪の日にエリーを動かすことは出来なかった』
「なにか・・・。あるんだろうなとは思っていたが」
『でも、興味はなかった。そう言いたいんだろ』
「そんなところだ」
『ま。だったら、今更ジタバタするこっちゃねえだろ』
「人のことなら、冷静に言えるんだな。つい最近まで、ジタバタもがいていたくせに。なあ、玲兄」
『・・・。っせえ。とにかく。エリーが帰るならば、見送るから日付け聞き出しておけ。潤にも召集かけとくからな。エリーの問題はおまえだけの問題じゃねえ。アイツは、俺らのほとんど家族っつってもいいんだからな。一人で勝手に判断すんなよ。じゃあな』


雪。結局は、思惑通りにエリーを母国に強制送還。
なにをするにも、あれこれ口やかましくつきまとってきたあの金髪ヤローとも、とうとうお別れだ。泪はそう思いながら、ソファに深く腰かけた。寂しくはないが、疑問は残る。本当に雪のせいなのだろうか。
雪に絡む過去をエリーが持っているのはも勿論気づいていた。玲の言う通り、知ってはいたが興味はなかった。追求したこともない。結局は自分にとってエリーはその程度のことなのか・・・と思う。

思えば、高校卒業と同時に大学進学を放りだし、エリーは日本にやってきた。
会いに来た。エリーはそう言った。
「ハリセンボン、ノミタクナイカラ」まだぎこちない日本語で、エリーはそう言った。

幼い頃に誰でも1つは交わす小さく無邪気な約束。だが、そんな小さな約束は、時を経るにつれ、些細なこととして忘れられていくものだ。
異国の地で過ごした幼少時代は、確かにそれなりに深い思い出にもなるかもしれない。
けれど。本当に、その約束1つを果たす為に、エリーがこの地にやってきたとは思えない。
いつも心のどこかにそんなことを思いながら、エリーと肩を並べて過ごしてきてしまった。
泣いたところなんて見たことない。明るい、明るい、エリー。
祖国を振り返ることなく、日本という特殊な国に、見事に解け込んでしまったガイジン。
「・・・」
雪が降るからじゃない。
約束されていた帰国なのか?それとも他になにか理由が・・・。
ふとそう考えて、思ったより拘ってるじゃん俺、今更さ・・・、と泪は思い、それから更にハッとした。
ま、さか・・・。
疑問が心に過った。
まさか。エリーは・・・。と、思った時に、インターフォンが鳴った。
「・・・」
泪はのろのろと立ちあがり、玄関に向かう。
ドアを開けると、山下が立っていた。
「聞きたいことがあるんだ。小野田さん」
山下は、そう言った。いつもと違う、なんだか思いつめたような、それでいて素直な瞳で、山下は泪を見上げた。
泪はうなづいた。
「入れよ」
泪は、山下を部屋に招き入れた。

************************************************************

エリーは、いつものように栄光荘の屋根に昇っては、ボーッと遠くに霞む海を眺めていた。
たてかけた梯子がギシッと軋み、誰かが上がってくる気配がした。
エリーは、梯子の方を振り返る。思った通り、山下が現れた。
近いうちに、山下が接触してくるだろうとは、想像していた。
「山ちゃん」
ヒラヒラとエリーは手を振った。
山下は、そんなエリーを見下ろしては、プイッと視線を反らし、だがエリーの横に腰かけた。
「最近は部屋とかにいねえと、いつもここだな」
「そうだねぇ。いつもここ。海が見えるから」
「こっから、アンタの故郷の島は見えないぜ」
「見えたって嬉しくもなんともねえよ」
クククとエリーは笑う。
「丸山先輩とホテル行ったよな」
やっぱり。思った通りのことを、遠回りすることなく、山下は聞いてきた。
「うん」
エリーは普通にうなづいた。
「俺が居たの、知ってた?」
「丸ちゃんに言われて気づいた。慌てて隠れようとしたけど、もう遅いってか」
「アンタ・・・。なにやってんの?」
ギロッと山下はエリーを睨んだ。
「君こそ。昨日、部屋に戻ってこなかった。どこに泊っていたの?」
「ふんっ。気になる?」
山下は鼻を鳴らして、エリーを覗きこんできた。
「ああ」
素直にエリーはうなづいた。
「俺のことじゃなくて、俺が泊ったところが気になるんだよな」
「ルイ?」
「そう。あのさ。まあ、色々あって・・・。俺、寝ちゃった。あの人と」
山下の言葉に、エリーを目を見開いて、それから小さく溜め息をついた。
「悪い予感は当たるもんなんだよね。なんとなく、そう思ってた」
「好きで寝たんじゃないよ。だから、別に楽しくなかった。悪くもなかったけど。でもさ。セックスって、やっぱり好きなヤツとやるのが1番だな・・・って思った」
「そうなんだ」
エリーはフウンとうなづいた。
「そうだろ?」
「知らないよ。俺は、好きなヤツとは寝たことないんだ。この歳になっても1度もね」
「それは。小野田さんと寝てないってこと?」
「当たり前だろ。片思いって言ったじゃん」
どこか他人ごとのようにエリーは言った。山下はそんなエリーにムッとした。
「好きじゃなくても、寝れるだろ。アンタも小野田さんも。好きじゃない相手と、気軽に寝れるじゃん。なあ、エリー。アンタだって丸山先輩と寝てるじゃんかっ」
「山ちゃん・・・」
落ち着いて、とエリーは山下の肩を叩く。
「落ち着けねえよ、俺は。アンタ、気づいてるだろ。俺、アンタが好きなんだ。好きになっちまったんだよ。よりにもよって、また金髪青い瞳だぜ。またかよって思うけど・・・。けど、好きになっちまったんだから・・・。しょーがねえよ」
「よりにもよって、じゃないよ。君は、俺が金髪青い瞳だから好きになったんだよ。君は好きなんだよ。そういう色彩が」
山下は目を剥いた。
「・・・本気で言ってるのかよ」
「半分は本気で、半分は嘘だよ」
エリーは空を見上げた。
「会社は?」
いきなりどうでもいいことをエリーが言う。山下は渋々答えた。
「今日はいいって、小野田さんが言ったからサボリ」
「処女には優しいね、あの男は」
フフフとエリーは笑いながら、空から山下に視線を戻す。
「・・・山ちゃん。俺ねぇ・・・。寂しかったんだあ。本当はね。とっても寂しかったんだ。とっても、とっても寂しくて。あの日もこうやって栄光荘の屋根の上でボーッとしてたら急に寂しくなって、一人でわあわあ泣いていたんだ。したらね。なにごとか?って、丸ちゃんが慌てて梯子を駆け昇って来てくれたんだ。丸ちゃんは、普通に慰めてくれたよ。けどね。それじゃ満足出来なくて、俺から丸ちゃんを誘ったんだ。丸ちゃんはビックリしてたけど、まあやってやれねーことはねえって感じで。君だって、そうだろ。ルイと寝ることに、抵抗はあっても、出来ないことではなかったろ。そういうことだよ。ルイのことロクデナシって言えないかなぁ。ノーマルな人を誘ってしまう俺もサ」
「なんでそんなに寂しいんだよッ・・・」
山下は、ほとんど叫ぶようにエリーに聞いた。
「故郷に帰るからだよ。帰ればルイのそばにはいられないから。自分で決めたくせに、寂しくて仕方ねえんだよ。情けないよな・・・」
独り言のようにエリーはボソリと言った。
「山ちゃん。ルイに言ったでしょ。俺が、ここからもう居なくなるって。アイツに話しただろ」
「それは。話した。別に口止めされていなかったし、てっきりあの人は知ってるかと。もしかして、話してないのかよ・・・」
コクッとエリーはうなづいた。
「だよねぇ。俺、まさかルイと君達がこんなに近い関係になるって想像もしてなかったからさあ。あのバカが、所長の奥さんに悪さをしかけなければ、こんなことにならなかったのにさ。うっかり君らに口止めするのを忘れちまったんだよな・・・」
ガシガシとエリーは頭を掻いた。
「でもまあ、知っててもルイは一言も口にしないし、とっとと帰れぐらい思ってるんだよね〜。それが悔しくて、辛くて、寂しい。片思いってそんなモンだって頭ではわかってるけどさ。なんつーか、今更ながらにこんなに惚れていたのかってまるで他人ごとのように思ったり」
「帰る理由は?」
「君には関係ないよ」
ビシッとエリーは言った。そう言われると思っていたので、山下は追及しなかった。
「じゃあ聞かない。あのさ、エリー。帰るなら、俺一緒に行っていい?」
「ええ!?」
さすがにエリーはビックリしたようだった。声が半分裏返った。
「ほら、俺って、今自由の身だろ。バイトだし。イギリス一緒に行く。だって、エリー言ったよな。俺に惚れれば、幸せになれるって。俺、エリーを好きになったよ。幸せにしてくれよ」
目を丸くしていたエリーだが、アハハハと笑い出す。
「山ちゃん。君は思った通り、素直で可愛い子だね。ちょっと観察しただけで、すぐにわかったよ。捻くれているようで、その実、純粋でまっすぐ。とても俺の好みのタイプだよ」
「ホントかよ」
「もっと早く、出会いたかったよ」
「・・・」
その言葉の意味がわからないほど、山下は無論子供ではない。
「ルイはね。君と正反対だ。素直なようで、その実腹の中は真っ黒。けどね。根っこの部分は、君と同じだよ。純粋でまっすぐ。あのさ・・・。君に、どうして俺がルイと知り合って、どうして俺が日本に来たかって前に説明したことあるよね」
「知ってる。あんたらが、約束しあったこともね」
聞いたことがあったのを山下は勿論正確に覚えている。
「ルイと再会した頃、俺はもうほとんど国を捨てる覚悟でいたくらいにボロボロになって日本にやって来た。誰かに救ってもらいたかった。誰かに縋りたかった。けどね。ルイと再会して一緒にいたら、救ってもらいたいどころじゃない。俺が、ヤツを救いたいという気持ちになっていた。山ちゃん。俺はね。イギリスにいた頃、ろくでもない生活を強制されていたんだ。貴族という称号が欲しい為に、今の義理の父は俺の本当の父と母の仲を裂いた。金の力で、愛し合っていた2人を別れさせたんだ。だが、父は母を諦め切れない。嫌いあって別れたんじゃない。当たり前だろ。そしてある時、父は母を呼び出した。一緒に父の祖国であるアメリカに逃げようとしたんだ。勿論俺も連れてね。だけど、約束の場所に母は現れなかった。その事実に、父は耐えられなくて、俺の目の前で銃で自分を撃ち抜いたんだ。俺は泣きながら母と義父のところへ戻ったよ。母は父のことを知ると、ショックで心を手放してしまった。今では病院に入院したきりさ。家名を汚したと散々義父には殴られ蹴られ挙句には母の代わりに性奉仕までさせられてさ。耐えられない生活だった。だから、日本に逃げてきたのさ。幼い頃ルイとしたたわいもない約束だけを頼りにね。ごめん。話長い、俺」
「いいよ。エリーのことならば、知りたい」
山下はブンブンと首を振った。
「ルイと約束を交わした頃の俺は、幸せだった。父がいて、母がいて。父は小さな会社を経営していたけれど中々軌道に乗らなくて貧乏だったけど夫婦仲良く、仕事の為ならばあちこちの国へ行ったよ。そんな生活の中でルイと会ったんだ。俺の幸せの象徴の1つだったんだ。ルイと、あの時の約束は。だから・・・。幸せにしてもらいたくて、なりたくて、日本に行けばそうなれる・・・と、あの頃のような気持ちに戻れるってどこか盲目的に信じてこの国にやってきた。祈るような想いで。誰かに救ってもらいたかった。でも、実際の俺は、いつのまにかルイを救うことに必死になっていた。支えたかった、ルイを。ルイはルイで、抱えた心の闇ゆえにフラフラしているルイを。最初は恋愛感情なんてなかった。事情は違うが、ルイも悩んでいる。俺のように悲しい思いをさせてはならない。間違った道を進ませて、俺のように捻くれさせてはダメだ・・・と。それだけだったのに、何時の間にか惚れちゃってさ。でもね。今思うと、これで良かったと思うんだ。ほとんど夢中で、ルイを追いかけていたからこそ、俺はこの国で生きてこれたんだって。捨てた過去を思い出してる暇もなく。寂しい思いもしたよ。辛い時も勿論あったさ。でも、基本的には笑って生きてこられた。自由に生きれた。これで良かったんだって。本当はずっとこのままでいたかった。けれど・・・」
言いかけて、エリーはニコッと笑った。
「そろそろ退き時かなって思ったんだ。君も知ってるだろう。ルイが本社を追われた事件。結局はルイを止めきれなかった自分に嫌気が差してさ。それに、ルイはいつまでたっても、俺のことなんか愛してはくれない。疲れたんだな、俺も」
灰皿持参で屋根にあがってきていたエリーは、煙草を手にした。
「んでもって、今度のことで、ルイにも自覚が出た。だから、俺は戻る決心をしたんだ。ルイが新しく生きるならば、俺も逃げてばかりいないで、ルイみたく真正面からぶつかって、自分の生きる目的探さないと・・・ってね」
言いながら、エリーは煙草の煙を空に向かってはいた。
「小野田さんの自覚って?あの人は、どんなふうに新しく生きるってんだよ。相変わらず所長の奥さんと不倫続けてるぜ」
山下は、エリーの横顔を見つめながら、聞いた。
「不倫。あれは、まあ、残り火のようなもんだよ。本気ならば、もっと早いうちに所長さんを巻き込んでもっとひどいことになってるよ。あのね、仕事。ルイは・・・。恋愛より仕事に向いている。ああいう恋愛で使うエネルギーを、仕事に活用するんだ。ねえ、山ちゃん。君は、彼と一緒に仕事をしていてどうだい?いいなって思うだろ。俺が気づくくらいだ。本人はとっくに気づいている」
エリーに聞かれて、山下はうなづいた。
「そうだな。小野田さんの仕事ぶりはみていて気持ちいい。楽しそうだしな。で、エリーは自分の役目を終えたから帰るつもりなんだ・・・」
「そう偉そうな理由じゃなくて・・・。役目って言ったって、結局俺はルイを救ってあげることは出来なかったって言ったろ。ルイは自分で過ちを犯してみて初めて知ったんだよ。抜け出せる方法を。ルイが自分の道を見つけたならば、そろそろ俺もってさ。ルイってヤツは、いい意味で悪い意味でも、本当に俺にとっては人生のターニングポイントにいるヤツなんだよ」
エリーの言っている意味はわかった。
確かに仕事は、小野田という男を救うのかもしれない。男にとって、仕事とは、人生を賭けてもいいぐらいの目標に成り得るだろう。でも・・・と、山下は思う。女子社員の言う通り、そして小野田本人から聞き出した通り。本当にやりたい仕事をするには、泪の今いるこの場所は険し過ぎる。やりたいことは、本社でしか出来ない。本社ですら難しいことだ。ここにいたって泪はなにも出来ない。中央に戻らない限り、ストレスは溜まる一方だろう。エリーはそんな状況を知っているのか?知ってて、敢えてそう言っているのか?
「ありがとう。山ちゃん。聞いてくれて・・・。不思議だね。5年、いやもっとだけど、日本にいても、俺はこんな話誰にも出来なかった。ルイにすら出来なかった。君に会えて良かったよ。ありがとう」
ふわふわとエリーは笑う。山下はハッとした。
唐突に込み上げる、怒り。
今は、ヘラヘラ笑ってる場面かよ。なんで、コイツは泣かねえんだ!!
日本に来た理由はなんだ?その理由を振り返り、今帰る状況。
来た時と帰る時。なにも変わってねえじゃんか!と山下は思った。
そんなの、1番てめえがわかってんだろう。なのに、なんでコイツは笑うんだ!なんでコイツは泣かねえんだ。
一人で泣いて。丸山先輩の時だって、結局コイツは一人で泣いていただけじゃねえか。
なんで誰かの前で泣いたりしねえんだよっ。
「笑うなよっ」
「!」
「本当は泣きたいんだろ!いいよ、もう。無理して笑ってんじゃないよ。見てて疲れるよ。なあ、エリー」
山下は腕を伸ばして、エリーを思わず抱き寄せていた。
「俺の前で泣けよ。一人で泣いてたって、寂しくなるだけじゃんか」
「山ちゃん、ダメだって。た、煙草っ」
エリーは山下の腕を振り払う。慌てて煙草を灰皿に押しつけた。
「山ちゃんってば。わっ」
山下はエリーの手首を掴んだ。そして強引にその唇に自分の唇を押し当てた。
エリーは、じたばたともがいた。
「なんで!?丸山先輩とは、抱き合ってキスしてセックスするだろう。」
唇を離し、山下は言った。
「彼とは割り切っているからさ。お互いに納得しあってるからだよ。君とは違う」
「いいんだ。俺は、エリーが好きだ」
「俺が好きなのは、ルイだ」
「それでもいいから。好きだ、エリー」
「よくない」
「いいんだよ。アンタだって、そうだろ・・・。小野田さんが誰を愛しても、アンタはあの人が好きじゃないか・・・」
「!」
「俺の気持ち、アンタが1番よくわかるだろう」
「バカだね、山ちゃん」
「アンタもね」
エリーは顔を上げると、山下を見上げた。
「そんな愛し方は、辛いだけだよ」
「じゃあ、エリーも辛いんだろ?」
山下が言った瞬間、エリーの青い瞳が潤んで、爆発した。ポタポタとエリーが涙を零した。
山下は再び、エリーを抱き締めた。今度はエリーも抵抗しなかった。散々泣いたエリーは山下の腕の中でジッとしている。山下は、ふと顔を上げ空を眺めた。エリーを抱きしめたまま、山下はボソリと言った。
「近いうちに雪が降るよ、きっと・・・」
そんな山下の呟きを聞きながら、エリーは目を閉じた。

雪が、嫌い。というより、恐い。雪は、恐怖の思い出を連れて来る。
待って、待って。待ちつづけて。とうとう恋する人が現れなかったことに失望して、銃で自分を撃ち抜いた愚かな男の思い出。
真っ白な雪の中に咲いた赤い染みは、強烈な匂いを放つ死の花だった。
雪は嫌い。雪が怖い。雪が悲しい。雪が憎い。
そして。
愛なんて、愚か。
けれど。その愚かなものに囚われて初めて知る。死した父の気持ち。来なかった母の気持ち。

笑って生きろと息子に言いながら、泣きながら死んだ父。
自由に生きろと息子に言いながら、自由を捨てた母。

矛盾に満ちた言葉を心に刻み、新しい地ではそれを実行しようと心に誓った。
それなのに。
俺の誤算は、愛という感情を知ってしまったこと。それがどれだけ儚いものかを知りながらも、絶対に好きになるべきではない男を好きになった。
そうしてみて、初めて知るのだ。彼等は、息子に、自分がしたくて出来なかったことを託したのだということを。だが、その息子も、今同じ道を辿ろうとしている。
笑ってだけは生きられない。自由気侭に生きられない。そこに、囚われているものがある限り。
愛した人が、いる限り。


続く

*******************************************************

BACK      TOP         NEXT