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夜中、散々山下と飲んでは泪は帰宅した。飲んだが酔えない。そういう状況だった。
ドサッとソファに腰かけながら、受話器を持ち上げた。呼び出し音がいつまでも響いている。
だが、泪は諦めずにジッと待った。
『もしもし』
明かに不機嫌な声が聞こえた。
「よお。俺だ」
『なにが、俺だ、だっ!時間考えて電話してこいッ』
受話器の向こうの玲が怒鳴った。
「わるい、わるい。時差を考えていなかった」
『面白くねーこと言ってんじゃねえよ。この真夜中に』
「不機嫌な声だな〜。さては、おまえ。光とイイところのまっ最中だとか?」
泪は、クククと笑う。
『・・・』
だが、向こう側の玲は黙りこんでしまう。図星だったらしい。
「マジかよ。おまえ・・・。今、本気で平気か?あんまり待たせると光が泣いちゃうかな」
『楽しそうに言うな!ったく。まだ平気だよ。しばらくは、キスの余韻でボーッとしてるだろうから。イテテ』
バシッと音がしたので、玲は側にいた光に殴られたようだ。
「俺達の留守をエンジョイしてるようだな。んじゃ、手短に話す。エリーを調べろ」
『エリーならおまえ追いかけてそっちだろうが』
「そうじゃない。本国の方だ。わからなければ親父使って聞き出せ。俺の名は出すなよ」
『探偵じゃねえぞ、俺は。直接聞けばいいじゃんか』
「無理だ。父上は俺を怒ってらっしゃるからな」
全然懲りてない感じで、泪は言う。
『そうだよな。上司の夫に手を出して、挙句に会社に露見して左遷されたという息子を持つ父上は、ひどくご立腹中だったっけ』
「やかましい。余計なこと言ってねえで調べろ」
『お願いごとする時ぐらい素直に言えよ』
「長男命令だ。黙って従え」
『横暴なヤツ。わかったよ。あ、それとな。1つ気になることがある。最近、電話がかかってきた。男の声で、おまえの居場所を聞いてきた』
「俺の居場所?」
『名乗らないヤツに教える義理はねえから教えてねえけど、そっちも気をつけろよ』
「わかった。サンキュ。エリーのことよろしくな。じゃあ続きをどうぞ」
『ああ。調べておく。それに、言われなくてもこっちは続きをやらなきゃおさまんねえよ。アバヨ』
ブツッと通話が切れた。
男の声で俺の居場所・・。泪は煙草に火を点けた。
高野昇は浮気がバレてのあれ以来、妻の大堀里美にほとんど軟禁状態にされていると知人から聞いていた。
まさか、昇が・・・!?と泪は思った。
でもまさか・・・。昇は、ハッキリと選んだ筈だ。俺よりも、大堀里美を。俺の上司であるあの女を・・・。今更、一体どういう訳で、俺なんかを探す・・・。だが泪は首を振った。昇ではない。きっと違うヤツだ。昔の知り合いとかそう言った類だろう。気にしないことに決めて、泪はソファから立ちあがった。そろそろ寝る為に。


快晴。
目の前の海は穏やかにそこに在る。
いつものように堤防に腰かけ本を読んでいると、エリーが自転車でやってきた。
「ルーイッ」
遠くからでも、ブンブンと手を振ってエリーは走ってくる。
「足、気をつけろ」
と言った瞬間、つまづいてよろけていた。
「うわお。吃驚した」
言いながら、エリーはストンと泪の横に腰掛けた。
「昨日山ちゃんと飲みに行ったろ。山ちゃん怒ってたぜ。もう2度とルイとは二人っきりで飲みに行かないってね。セクハラで訴えてやるってブリブリ怒ってた」
「あの程度でセクハラかよ」
「ルイの程度は、常識とはかけ離れているからね」
楽しそうにエリーは笑う。
「それよか、いい天気だよね〜」
エリーは、そう言って空に目をやった。
「いつまでもこんな平和が続けばいいのにね。俺、ここ気に入っちゃった。人は優しいし、食べ物美味いし、景色は綺麗だし。ルイはあんまり悪さしてないし」
「うるせえっつの。こーんな長閑なところじゃ俺は腐るね。早いところおサラバしたい」
「なに言ってんだよ。ここで性格洗い直しな。その薄汚れた性格」
「薄汚れた性格だと!?このヤロウ!俺はな。別に自分の今までの人生を後悔したことなんざねえんだよ」
パコンッと泪は、エリーの頭を閉じた本で、軽く叩いた。
「いや・・・。けどあるな。1つだけ・・・。幸田課長には悪いことしたって思ってる」
「幸田のオッチャン!?そうだね・・・。うん。彼は気の毒だった」
「俺の企画したプロジェクトに唯一賛同してくれて、その為に走り回ってくれた人だ」
「そうだよね。よくルイの部屋に来ては、二人で夜遅くまで資料読んだり作ったり」
エリーはうなづいた。
「そうそう。俺達は真面目にやってたのに、側でいつもおまえが邪魔した」
「邪魔してねえよ。手伝っていたんじゃんか」
「結局あの企画も、俺の不祥事で全てがパアになった。この前人事報を読んだら、幸田さんは出向になっていた」
「そうか・・・」
泪の横顔を見て、エリーも目を伏せた。
「あの企画だけは、なんとか幸田さん一人に頑張ってもらいたかったけど、結局は潰されちまったな・・・。恋愛にゃ後悔はねえけど、仕事にはな。俺は後悔している」
エリーは、泪を覗きこんだ。
「ルイは、恋愛は最低だけど、仕事は最高だよね。仕事のこと、とても好きだよな」
まじまじとエリーの青い瞳に見つめられ、泪は目を反らした。
「恋愛は最低、は余計だ」
拗ねたように泪は言い返す。
「アハハ」
エリーは笑いながら、パンッと膝を叩いた。
「さ。俺ももう仕事行かなきゃ」
よいしょっ、とエリーは立ちあがった。
「行くのか?」
「うん。仕事行く途中に、ちょいルイの顔が見たかったからな」
「なに行ってんだ」
ケッと泪は肩を竦めた。
「じゃあな」
ヒラッとエリーは手を挙げた。
「エリー」
「ん?」
「本当に行くのか?」
泪は振り返り、立ちあがっているエリーを見上げて、言った。
エリーはキョトンとしていたがうなづいた。
「行くよ」
見つめあいながら、二人の間に妙な沈黙が流れた。
「よっしゃ。日曜出勤、頑張ってこい」
ニカッと泪は笑う。
「おう。頑張るよ。バイバイ、ルイ」
軽やかにエリーは走り去る。


それから2週間が過ぎた。平凡な、なにごともない日々だった。なにもなくても季節は確実に巡っていく。
雨の日が続き、気温が下がる。時に、ブルリと背筋を震わすような寒さが体を襲うことがある。
やってくる。当然のごとく、確実に。冬がこの地にやってくる。


山下は休日を利用して、町へ出た。大学のある、今住んでいる町よりかなり賑やかな町だ。
その代わり、かなりの時間電車に乗らねばならなかったが・・・。駅前にはデパートもあり、なんでもある。とりあえずここに来ればなんでも揃う。人口も、ずっと多い。どうしても読みたい本があり、この町には幾つもある本屋の、その中でも1番大きな本屋に行っては、目的のものをゲットした。満足しつつ、店を出て、フッと辺りを見回す。バスターミナル。行き交う人々。華やかなブティックに、洒落た喫茶店。よくここらを彼女と一緒に歩いたっけ・・・などと懐かしく思い出していた。

レンガの道を歩きながら、ふと人々が行列している店の前を通りかかる。美味しそうなパンが売っている。店員が、「県内でもここでだけしか手に入りません」と、騒がしく宣伝している。珍しい、そして美味しいパンでもあるのだろうか。ならば、買って帰ってエリーとでも食うか。そう思って、列に並びかけた時、山下は声をかけられた。大学時代の同級生の内山だった。懐かしさに、山下は列に並ぶのを止めて、内山とそのまま飲みに行った。小野田と飲んだ時と違い、穏やかな時間だった。

すっかりいい気分になって、山下は内山と店を出た。内山も気軽な独身なので、このまま遅くなったら内山の部屋へなだれこめばいい。山下はそう思って2件目に内山を誘う。内山は2つ返事でうなづいた。二人は2件目の店を物色していた。学生時代には散々たむろしていた場所だ。
「あの店まだあっかな〜」
「あるだろ。いこ、いこ」
2人ともフラフラしながら、かつての馴染みの店だった飲み屋に向かって歩いていた。
辺りはもうすっかり真っ暗だった。だが、地元と違い、この町はまだまだ明るく活気がある。
最終のバスが、2人の横を通り過ぎて、ターミナルを発車していった。そのバスの巻き起こす小さな風に山下は僅かに目を瞑った。

そして、目を開いてバスを見送ろうとした時。
向こう側の道路に、エリーと丸山の姿を発見した。
2人は肩を並べて、細い路地に消えて行った。
「ちょっと待てよ。嘘だろ・・・」
山下は何度も目を擦った。だが、丸山の姿は見間違えても、エリーの姿を間違えることはない。目立つ金色の髪。2人が消えていったのは、山下も学生時代彼女とよく利用したホテルがある、ホテル街への入口だった。

続く

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