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大人はよくわかんねぇ・・・。
山下は目の前の光景を見ては、眉を寄せつつそう思っていた。

栄光荘は、酒盛りの真っ最中だった。
昨日、いかにも険悪です〜というような雰囲気を駐車場で醸し出していた筈のエリーとその友人小野田泪(エリーに紹介された)は、今は仲良く肩を並べて日本酒の飲み比べをしていた。

今日は管理人の三國さんも混ざって、栄光荘のオールメンバーが集っている。
勿論、エリーの部屋に、だ。
怪我にヤバいから酒は止せと皆が止めるのに、エリーはガバガバとかっくらっている。
本人曰く、日本酒がすっごく好き、なのだという・・・。

面倒看させられのは俺なんだから・・・と山下は思うが、既に出来あがった酔っ払いには、そんなこと言っても通じはしない。
「いやー。みんな、ごめんねぇ。いきなり連れてきちゃって。こんなロクデナシ」
ギャハハハとエリーは笑いながら、泪を指差した。
「いやー、そんな。たった1度の酒の席で、普段小野田さんがどんなにロクデナシかなんてわかりませんから、平気っすよ」
幸田が、チャラチャラと言い返す。
「おぅ。こーだッ。俺は客だぞ。少しはフォローしやがれ」
さすがにエリーのダチだけあって、小野田泪は顔に似合ずやたらと人懐っこく気取らない男だった。
今日初めて会った栄光荘のメンバー達とは、まるで10年も前から知り合いのような馴れ馴れしさだった。
「コイツ、俺が目を離すととんでもねーことばっかすっから。なら、俺のところ連れてきちゃえ〜って。えへへ」
エリーは、鼻の頭を掻いていた。
「男ばっかりでつまんねーぞぉー」
泪が突然喚いた。
「いいじゃん、男も好きでしょ。アンタ」
エリーが即座に言い返す。
「すっきだけどー。好っきだけどー」
泪は、ヘラヘラと笑う。
「こいつら、好みじゃねーもん」
幸田や田村や村井を指差して泪はキッパリという。
「ひっでー。田村とか村井とか俺とかだってよくみりゃ可愛いんですよ」
「可愛くねー、可愛くねーって」
「なんだよー。泪さん、ひでーよ」
ジタバタと田村が暴れ出す。
「いーらないの。泪さんに好みらと言われたらヤバイらーん。男好きっらっつーからホモれひょー」
幸田は、ろれつが回ってない。
「おー。俺が好みっったらやっばいぜ〜。押し倒しちゃからなー」
楽しそうに泪は言った。
「きゃーっ★」
村井達は、負けずに楽しそうに悲鳴をあげていた。

アホらしい騒ぎだ・・・と心の中で溜め息をつきつつ山下は、既にぶっ倒れている三國さんと丸山先輩の横に腰掛けて、ちびちびと日本酒を舐めた。
「お。好み発見!」
泪が叫んだ。
「あそこの目付きの悪いヤツ。よく見れば可愛いっ。好み、俺」
そう言って泪は、山下を指差した。
「ぶっ」
山下は、日本酒をデロッと唇から漏らした。
「山ちゃんはだーめっ」
フラフラッとエリーは立ちあがって、山下の横にドスンと腰掛けた。
「山ちゃんは、俺のモン。ルイにゃあーげないっ」
「くれよ〜。なーんかいっかにも、世をすねてまーすっつー感じがじっつに俺の好みだね。山ちゃん?ああ、山下くんだっけ。そーいえば、君とは昨日会ったっけね。ねえ、俺とどう?」
どうって、なにがだよ?山下は、白けた目で泪を見た。
「いいっ。いいよっ。その冷た〜い目。あーん。そそるなあ」
泪はブルブルと体を揺する仕草をした。
本格的に危ないヤツらしい。山下はゾーッと背筋を震わせた。
「山ちゃんは俺のだっつってんだろ。てめえの毒牙なんぞ近寄らせないぜ」
そう言って、エリーはガバツと山下に抱きついた。
「うっ」
一瞬薫る、外人独特の匂い。体臭・・・!?
日本が長いエリーには、きつい体臭はないけれど、それでも日本人が持たないどこか独特の異国の匂いが、鼻先を掠めた。その匂いが、金髪青い瞳とダブって彼女のイメージと重なる。
「・・・」
バッと山下の顔が赤くなった。う、わ。なに赤くなってんだ、俺ッ。
「ねー。山ちゃーん」
山下のそんな反応に、まったく気づいてないエリーは、ニャゴニャゴと、山下に纏わりついてきた。ほとんど、山下の頭にエリーの顔が埋まっているような状態だ。
「山ちゃん先輩、顔赤いぞー」
「うっせー。さ、酒のせいだっ」
「いいなー。栄光荘の天使に、ごろにゃんされてるぅ〜」
村井が、指をくわえて、羨ましそうにエリーと山下を見ていた。
「ちぇっ。地の利がおまえを有利にしているが、俺は執念深い。いつしか山ちゃんをいただく」
悔しそうに泪が言った。
「やらねーよ」
ベーッとエリーは舌を出して、泪をシッシッと追い払うポーズ。
人を無視して話を進めるな・・と山下は思った。
すちゃらか外人も、デルモのよーなホモ青年にも、俺は興味なんかねえっ!
「離せっ」
ブンッとエリーを振り払い、山下は立ちあがった。
「どこ行くんだよ」
エリーが山下を見上げた。
「トイレっ」
ちなみに、栄光荘のトイレは共同である。
「早く戻ってこいよ〜」
泪が、投げキッスをしてきた。


明日の朝まで、友達の家に避難する為に、山下はジーンズの尻ポケットに財布が入ってることを確認して、栄光荘をそそくさと脱出した。

*******************************************************

山下は連日暇だ。

馴染みの居酒屋のマスターに「職がない」と愚痴をこぼしながら昼飯を食っていた山下だったが、マスターが「×××会社の人が昼間ここにメシ食いに来てアルバイト募集してるって言ってたぞ。山ちゃん、面接受けてみたら?」と言った。


×××会社っつていえば、超有名な企業だ。
この街に支店があるのは知っていたが、就職なんて大抵はコネで一般人にはチャンスはない。

バイトか。なるほど。とにかく今は暇だし、金は欲しい。
それに有名企業の裏側を覗けるというのは、中々楽しいかもしれない。
「ふーん。いいね。けど、×××会社の人がこんな所までメシ食いに来るのかよ。確かにオヤジさんとこのメシはこの街じゃ1番美味いと思うけどさ。あそこらからだったらここ結構遠いだろうに」
「おっ。山ちゃん可愛いこと言うねぇ。ハハハ。ま、なんでも知人の紹介らしく遥々来てくれたっつーことだ。美味い美味いって言って帰ってくれたよ。また来るって言ってたから、紹介しようか?」
「ああ。是非。もし間に合うようだったらお願いしておいてもらえる?」
「おっしゃ。任せな」
マスターはドンッと胸を叩いた。


とは言うものの、自分と同じことを考えている人間は多いだろう。
バイト募集のポスターでも貼ったら、あの会社の知名度を考えればすぐに人手は足りるだろう。
「ま。期待しねえで待っとくか」
山下はそう思いつつ、ペロリと定食を平らげて、金を払って店を出た。
安くて、美味い店だ。海が近いから、食材も鮮度がいい。いいものは、大抵東京とかに流れていってしまうようだが、この店は、どういう経路だか知らないが、新鮮で美味い食事を安く提供してくれていた。地元民想いの店だと山下はいつも思っていた。


あれから、居酒屋のオヤジが本気で話してくれたらしく、2日後には×××会社からの連絡が、栄光荘の共通電話に入った。「すぐに面接に来てくれ」と勝手な言い草だったが、山下はとりあえずスーツに着替え、面接に飛び出した。
面接に行く寸前、玄関脇で出勤前のエリーが猫と戯れながら「頑張ってこい」と言ってくれた。その時、この前のエリーの抱擁は思い出し、山下は思いっきりエリーを意識してしまい、そして思いっきり無視してしまった。
「やーまちゃーん」
エリーの寂しそうな声が背中に聞こえた。


担当者と面接する為に、山下は応接室に通された。
事務員の子が、お茶を出してくれつつ「もう少しで担当が参ります」と言った。
思っていたより、全然規模が小さい感じだった。××会社の支店といえど、場所が場所だ。
こんな田舎町だもん、当然だよな・・・と、勝手に裏切られたような気分になった山下だった。
「よ。この前はよくも逃げたな。子猫ちゃん」
書類を片手に、小野田泪が応接室に入ってきたのだ。
「な、なんで、アンタがここに・・・」
「アンタ?俺は君の面接をする為に、仕事の合間をぬってきたのだが」
「げっ。ここの社員?」
「じゃなきゃ、ここにいねえだろうが。社員だよ。半月前からだけどね」
山下は、目を見開いた。
「・・・」
なんとなくからくりが読めた気がした。
「エリーか」
「まあな」
「アイツ。余計なこと・・・!余計なことしやがって」
「余計なこと?なーにが。立派に大学卒業したくせに、職がなくてフラフラしていたんだろーが。親をこれ以上泣かせたくなかったら、とりあえずはなんでもいいから働いておけよ」
「っつ・・・」
山下はグッと詰まった。言い返す言葉が見つからない。泪は、ニヤニヤしてこちらを見ている。
「これ履歴書です」
山下はとりあえず封筒に入れてきた履歴書を泪に押しつけた。
「ふんふん。山下・・・透くんか。透。いい名だね。字も綺麗だ」
泪は、サラサラと履歴書に目を通している。
「質問があったら・・・聞いてください」
チッと心の中で舌打ちしつつも、先ほど泪が言った言葉に言い返せない
山下は、態度を改めるしかなかった。
泪は、自分を雇う側の人間なのだ。
「質問はある」
「なんですか?」
「君、彼氏いる?もしくは彼女」
「はあ!?」
フフフと笑いながら、泪は履歴書を山下に返した。
明かに面白がっている・・・と思ったものの、「ふざけた質問してんな!」とは言い返せるはずもなく山下は「どっちもいません」と、ぶっきらぼうに答えた。
「よし、オッケー。採用しましょう」
「ええっ!?」
「採用っつったの。時給は、居酒屋のオヤジに話した通り。とりあえずスーツは着てこい。けど、肉体労働が多いから覚悟しろ。この事務所。狭そうに見えて結構広いんだぜ。あちこちの倉庫に、資料が山積み。前任者がいかに楽しくサボッていたかがよーくわかる。真面目に働けば、正社員採用もありえるかもな。んじゃ、そーゆーことで。今日、そっち行くわ。おまえのバイト決定おめでとうパーティーでもやろうと、お祭り好き外人に伝えておけ」
「ああ?ま、また酒盛りかよ・・・」
「この前、おまえはとんづらしたろ。栄光荘の地獄の酒盛り大会を、今度は主役となって思い知れ」
泪はニヤニヤしながらそう言うと、「じゃあな」と言ってさっさと出ていった。
なんだかな・・・。
山下はボリボリと頭を掻いた。
そして、事務の女性にペコッと挨拶をして会社を出た。

小野田泪に、エリーか。
妙な組み合わせと関わり合いになっちまった、と山下は思った。
エリー・・・。
頭の中に、ボンッとエリーの顔が浮かんだ。
やべえ。無視して出てきちまった・・・。
山下は、ウーッと眉を顰めた。アイツのおかげで、とりあえず働き口が決まったっつーに。


なんとか、今回の御礼とそして夕方無視してしまったことをエリーに詫びようと、山下は試みたが・・・。
「全然無理でやんの・・・」
今夜も地獄の飲み会だった。
長丁場を懸念?して、今宵の宴会場所は主役である山下の部屋だった。だが、とっくの昔に主役という立場は彼方に飛んでいってしまって、今は単なる飲み会に成り下がっていた。
酒に弱い者達は潰れ、そして強い者達は完璧にイッてしまっていた。フラリと突然やってきた余所者二人に、栄光荘は乗っ取られてしまった。
「うりゃー。酒足りねーぞ。幸田、近くの酒屋に行って、買ってこーいっ」
泪が叫んでいる。
「酒屋は、車に乗らなきゃ行けない距離でーす。ここは東京じゃあーりませんっ」
幸田は、キャハキャハと笑っている。
「あ、俺、丸山ちゃんの部屋に酒があったの知ってるー。もってきちゃおーっと」
エリーは、ヨレヨレと立ちあがりながらそう言った。
「なんで知ってるんだよー」
田村が不審な目でジトッとエリーを見た。
「え?だって、前に教えてもらったんだもん。隠し場所」
ヘラヘラ笑いながら、エリーはそのままドタッと倒れた。
「足が〜。足が痛いのー♪」
全然痛そうでなくエリーが言った。
「バーカ。てめえはもう退場だ、退場」
ちょうど自分の目の前に倒れたエリーを泪はヒョイと抱き上げた。
「わーい。お姫様抱っこ」
泪の腕の中でエリーは無邪気に喜んでいる。
何故だかその光景を見て、山下は明かにムッとしていた。
「あー。泪さん、いけないんだ。そのままエリーを部屋に送っていって、布団の上に倒れこむ気でしょー」
村井が、ヒューヒューと口笛を吹いてはひやかしていた。
「興味あるなら、実演してやってもいいぞ。見学に来るか?」
泪はニッと笑った。腕の中のエリーも、泪を見上げては笑っている。
「お、俺がっ」
山下はバッと立ちあがった。
「え?」
泪とエリーが山下を見た。
「俺が連れて行く。小野田さん、酒でもう足元ヤバそうだし。エリー、また落っこちたら今度こそ大怪我になっちまうし」
「俺は大丈夫だが。・・・でも、コイツ、結構重いよ」
泪は山下を見ながら、口の端をつりあげた。
「いいです。重くても」
つかつかと泪の側に行くと、山下は泪の腕からエリーを抱き上げた。
「わーい。今度は山ちゃん♪」
エリーは山下を見上げて、楽しそうに笑う。
「実演するならば、皆で酒持って見に行くぜ」
泪がからかう。
「しねえよっ」
腕の中のエリーが、ドアノブに手をかけてドアを開けた。
潜り抜け、バンッ★と山下は足で蹴っ飛ばしてドアを閉めた。


シーンとしている栄光荘の古びた廊下。歩くたびに、ギシギシと不気味な音を立てる。
「ありがとね、山ちゃん」
「エリー。今日は・・・。夕方無視してゴメン。それから、小野田さんとこの会社、口きいてくれてサンキュ」
「いいってことさ。世の中もちつもたれつ。って感じだからね」
思ったより腕の中のエリーは軽い。
ただでさえ白い肌が、酒のせいで赤く染まっている。
山下は、そんなエリーをまじまじと見てから、バッと顔を反らした。
「ねえ、山ちゃん。俺はそんなにフラれた彼女に似てる?」
「フラれたは余計だ。似てねえよ。似てるのは、髪の色と目の色だけだ」
「切ない瞳で見ないでよ。俺、その気になっちゃうよ」
クスクスとエリーは笑っては、痛い筈の足をブラブラとさせている。
「エリー。この前言ってたよな。小野田さんのこと、追いかけてきたって。なあ、エリー。アンタ、アイツのことが好きなの?」
「スキだよ」
あっさりエリーは言った。
「アイツとそういう関係なの?」
「直球だね」
「なあ。どうなんだよ」
「どうしてそんなこと聞くんだよ。俺に興味があるの?それとも、ルイに?」
山下は、唇を噛んだ。
「忠告しておくよ。ルイに惚れるな。ルイは、今ある君の負の部分に刺激されている。アイツは人のそういうところを見抜くのは天才的だからね。おまけにマズイことに、彼は人を見る目がある。つまらないヤツに惚れないんだ。でもね。ルイに惚れたら、不幸になるよ。彼は、確実にそういう方向に恋愛を持っていくんだ。マゾだね、あれは」
「・・・じゃあ、エリー。アンタに惚れたら?」
山下は問う。そして、エリーは答える。
「俺に惚れたら、幸せになる。きっと、とても幸せになれるよ。ルイは、いつまでたってもそれに気づこうとはしないけどさ」
ニコッとエリーは微笑む。
「・・・」
「片思いなんだ、もうずっと」
「・・・」
「ここでいいよ。ありがと」
エリーに言われ、山下はエリーを降ろした。
「おやすみ、山ちゃん」
そう言ってエリーは、山下の頬に、自然にキスしてきた。
「飲み過ぎに気をつけてな」
パタンと、山下の目の前でドアが閉まる。
山下は、酒のせいでもあるがそれとはまた少し違う熱を、頬に感じていた。
疼くような頬に、山下はソッと指で触れてみる。
「・・・くそっ」
まだ夏の匂いが残る風が、足元を通り抜けて行くのを感じて山下は舌打ちする。
悲しい台詞を言う時ぐらい悲しい顔しやがれよ・・・と山下は思った。
生ぬるい空気が足元から這いあがり、まるで全身を包んでいくかのような不快さを感じて山下は、目の前の閉じたドアを睨みつけていた。


バイト決まっておめでとう酒盛り大会?の次の日、とんでもない二日酔いで初日をいきなり休んで以来、山下は1日たりとも会社を休んだことはなかった。土日出勤を命じられて、イヤな顔を見せても、だからといってばっくれたりはしなかった。
元々そう不真面目な方でもないがとりあえずは気楽なバイトの身なのだから、幾らでも融通が利くというのに、山下はその立場に甘んじたりはしなかった。それは、小野田泪という男のせいかもしれなかった。

小野田泪は、とにかくよく働く男だった。エリーに聞かされているような、まともな恋愛出来ない症候群に陥ってる男だとは、仕事を一緒にする限りでは全然みえない。
些細な仕事もいやな顔1つせずにするし、人の使い方もうまい。(下を使うのは勿論だが、上を使うのもうまい。所長はなんだかんだいって、泪に使われているのでは?と思うことも多々ある)
勿論、人を使うばかりでなく、自分も働く。本人に聞いたところによると、「体を動かすのがスキなんだ」との答えが返ってきた。「ちなみにセックスもね」という余計な答えも。更に「今夜どう?」というお誘いも。飽きれるヤツだが、仕事に関しては、ほとんど自分の理想ともいえる上司だった。

泪はよく笑い、食べて、飲んで、同僚達とのつきあいもいい。だが、山下は気づいていた。月曜日だけは、泪は必ずと言っていいほど早く帰る。どうしてか?とあまり考えることもなかった。毎週の月曜日は、所長は会議で本社へ行ってしまう。大抵はそのまま東京に泊ってくるからだ。
マズイことに、それを阻止しようにも、エリーは月曜日だけは夜の9時始まりの英語の授業を持っていた。
だから、エリーは泪の暴走を止めることが出来ないのだ。山下がそれを話すと、エリーは小さく笑った。
「神様っつーのは、よほどルイの味方らしいね」と言った。だが、それきりなにも言わずに、山下を見ては、ニコッと笑った。山下は、もうそれ以上なにも言うことが出来なかった。


夏が去り、秋がやってきた。短い秋が終われば、ここには厳しい冬がやってくる。
秋晴れのいい天気だった。オフィスのガラス越しに見える通りを行き交う人々を、書類を整理する手を止めて、山下はボーっとただ見つめていた。山下の横には、泪もいる。泪は、だらしなく両足を目の前の机にのっけって、本社から送られてきた社内報を飽きることなく読み耽っている。
外はいい天気だな・・・となんとなく思っていた。そこへ、わらわらと小さな子供達の集団が通りかかった。
ん?と山下は目をこらした。子供達の集団の中央には、エリーがいた。英語教室の幼児クラスの課外授業といったところか。エリーは自分より遥かに小さな背丈の子供達の列を、纏めるためにチョコチョコ動いている。車が危ないよ、とか、そっちへは行かないでとか。色々注意しながら歩いているんだろう。勿論声は聞こえないから山下の想像だ。子供達は皆楽しそうだ。そして、エリーも楽しそうに笑っている。

秋晴れの零れるような陽の光は、エリーの金色の髪に反射してチカリと光る。
と、ちょうど会社の前を通りかかったエリーが、不意にこちらを振り返った。
「!」
山下はドキリとした。
偶然ではない。ここに、会社があることを、エリーは前から知っていた。
だからと言って、見られている視線に気づいたから振り返ったのではないようだった。
何故なら、エリーはガラス越しのすぐ側にあった山下の視線を素通りして、山下の向こうの泪を見つめていたからだった。
泪は、気づかずにうつむいては書類を見ている。
エリーは、泪の横顔を見ては、微笑んでいた。
山下が合図するまでもなく、ふと泪は顔を上げた。エリーの視線を感じたからかもしれない。
つ、とガラス越しのエリーを見ては、泪を目を細めた。陽の光を浴びているエリーが眩しかったのかもしれない。
パッとエリーが掌を開いては、ヒラヒラと振った。山下は傍らの泪を見上げた。すると、泪もヒラヒラと手を振り返す。苦笑のような、小さな笑み。
そして、エリーの視線は、やっと山下に移り、明らかに山下に向かってまた手を振った。
山下も渋々手を振り返す。
ガラスの向こうのエリーは、子供達の一人に、ぐいぐいと手を引っ張られては、走るように去って行った。
「真面目に働いてるようだな、アイツ」
「ですね」
「なんか怒ってる?おまえ」
「別に」
泪を見る、エリーの視線がいつになく優しかったような気がして、山下は実に面白くなかった。エリーは大抵笑っている。山下がどれだけ素っ気無い態度をとってもエリーは気にしないで笑っている。山下だけでなく、誰に対してもそうだ。皆が気のいい外人サンと呼ぶのは、わかる気がする。
けれど。泪にだけは違う。誰に対しても平等なはずのエリーの笑みが、泪にだけは違う。
「アイツが俺に向ける視線が特別だと気づく程度に、おまえはエリーを見てるってことか」
「!」
山下はギクリとして、泪を振り返った。
「昔な。エリーをスキだったヤツから言われたことがあんだよな。おまえはズルイってな」
「・・・」
「エリーなんか好きになっても無駄だぞ。アイツは俺のことだけが好きなんだからな」
「うるさいっすよ。誰が、そんな・・・」
山下は唇を噛んだ。
エリー。青い瞳に金の髪。人懐っこい笑顔に、人見知りしない性格。
いつでも明るくて、俺みたいな拗ねた感情なんかにゃ程遠い外人。
振られた彼女に、似てる、似てない・・・。・・・似てねえ。
けど。近く暮らしてきた1ヶ月以上の生活の中で、俺は大抵エリーのことを考えている。
山下は覚悟を決めた。隠しとおせることでは、ない。隠す理由も、泪の前では不要だ。
「どうせ。あと少ししかいないヤツなんか好きになったって仕方ねえでしょう」
「なんだって?あと少し?」
泪が、首を傾げた。
「なにを白々しいこと言ってんですか。エリーのことなら大抵知ってるでしょう」
「知ってるというより、知らされるんだがな。アイツは俺にはなんでも言うからな」
「いちいち、特別みたいな言い方しねえでください。腹立つ」
泪は、笑っては、山下の頭をグシャッと掻き混ぜた。
「素直な子は好きだぜ。で、エリーがあと少ししかココにいないってことで透クンは拗ねている訳だ」
「拗ねてるっつーか・・・。まあ、そうかもしれないですけど」
顎に手を当てて、泪はなにごとか考えこんでいた。そしてそのままクルリと踵を返す。
「あ、どこ行くんですか?まだ書類整理終わってませんよ」
「休憩。煙草吸いに行く。おまえも来るか?」
「行きます」
ガタンと山下は椅子から立ちあがった。そそくさと泪の後を追いかけた。
「エリー。東京に戻るんですかね?」
「ちょい違うな。戻るとしたら、本国だ」
「イギリス?」
「たぶんな」
煙草に火を点けながら、泪は天井を見上げた。
喫煙室は、既に煙草のヤニで壁も天井もまっ黄色だった。そんな汚い天井を見上げては、泪は目を閉じた。いつもはお喋りな男だったが、今日に限っては黙りこんでいた。
しばらくの沈黙のあと、泪はパッと目を開けて、山下を見つめた。
「山ちゃん。今日、飲みに行くか。栄光荘じゃなくって、オヤジの居酒屋」
「あ、ええ。いいっすけど」
「たまにはいいよな」
そう言って笑う泪は、もういつもの泪だった。

続く

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