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「うーん。世界は一面灰色・・・」
釘をくわえながら、山下がトントンと屋根を打っている。
「エリー。傘。ちゃんと俺の上に差せよ。冷てえよ」
「あ、はーい。ごめんね、山ちゃん」
「ああ」

オンボロアパートの屋根の上から見る、雨の景色。
雨で煙った視界の向こうにはやはり灰色をした海が見える。
小さな船のマストが風にユラユラ揺れるのも、確認出来た。

「山ちゃんさ。ずっとこの土地に住んでいるの?」
「そう。なんか文句あっか?」
「またー。もう、すぐ喧嘩口調になんだから〜」
「すぐ、じゃねえっ!俺は、失恋したばっかりで傷ついて寝ていたんだぞ。その俺を無理矢理叩き起こして、いきなり屋根の修理しろと命令する外人に、俺は腹を立てているんじゃ。てめえで修理しやがれっ」
「だってー。俺新参者だろ。釘とかトンカチとかある場所知らなかったし」
「管理人の三國さんに聞けば良かっただろーが」
「みっくんは、今日は外出中」
「じゃあ1号室の田村とか、2号室の幸田とか、5号室の丸山先輩とか!」
「みーんな外出中。たぶんデートでしょう」
「くっ。ほんまにてめえはやな外人だな」
「そんなこと言うのは、山ちゃんぐらいだよ。皆俺のことを気のいい外人さんって呼ぶさ」
「てめえで言うなよ。ほい、終わり」
ガアンッと、山下は最後の釘を打ちつけ終えて立ちあがった。
「山ちゃん。海だよ、海。すげえな。灰色」
「見慣れてるから、珍しくもなんともないね」
と言いながらも山下はエリーの横に立ち、海を眺めた。
「まあね。俺も実は見慣れている。灰色。俺の生まれた国の空の色」
「・・・イギリスだっけ?」
「ま、ね。でもただ生まれた国ってだけで、俺的には日本が好き」
「聞いてねえよ」
「そっか。修理ご苦労サン。お兄さんが、うどんを奢ってあげましょー」
「マジ?」
「うんうん。マジ。近くの涼風屋で、ズルズルいこっか」
「ふん。修理代、うどん一杯じゃ足りねえけどな」
「ま、ま。いいじゃん、いいじゃん。いいことしたんだよ。君は」
そう言いながら、エリはー傘をクルクル回しながら、梯子に手をかけた。
「エリー。その梯子、ボロいから気をつけなよ」
と山下が声をかけたと同時に、エリーはものすごい音を立てて、梯子から落っこちていった。
「エ、エリーッ!」
驚いて、山下は梯子を駆け下りた。まるで猿のように器用な光景だった。単なる慣れの問題だったのだが。
山下は屋根の修理など、このアパートに住んでからの5年、死ぬ程やり慣れていたのだから。

オンボロ下宿アパート「栄光荘」の住人は、6号室のエリーの部屋に勢ぞろいしていた。
「エリー。梯子から落ちたんだって」
7号室の村井が心配そうな声で言った。
「ったくよー。屋根の修理をしていたのは俺だぜ。この外人は、ただ横で傘差していただけなのに。役に立たない挙句に、うどん奢ってくれるどころか、病院費まで俺が立て替えたんだぜー」
山下は煙草に火を点けながらブウブウと文句を言った。
「まあまあ。山下先輩。怒っちゃダメっすよ。なんでもなかったんだから、良かったよ。捻挫ぐらいでさ」
2号室の幸田が、苦笑を混じえてフォローした。
「きっとエリーも目を覚ましたら、泣いて山ちゃん先輩に御礼を言うよ」
1号室の田村は、おちゃらけたように言った。

エリーは、足に負った怪我のせいで発熱していて、今はスヤスヤとせんべい布団に包まれて眠っていた。
このオンボロアパートの屋根を突き破って地上に落っこちてきた、天使のごとくの寝顔だった。

「ったくよー」
まだぶうぶう言ってる山下に、5号室の丸山が同じく煙草に火を点けながら言った。
「山下。しつこいぞ。いいじゃないか。遠い国からはるばる日本にやってきた異人サンには、親切にしておくもんだぞ」
「はるばるやって来たって。コイツ、日本語ペラペラだし・・・。そんな気がしねえんだよな」
「そーいえば、なんでこんな小さな町に来たんだろねー。エリーは」
田村がふと言った。
「誰も聞いてねえのかよ」
村井が首を傾げる。
「そういえば聞いてねえな」
「いきなり管理人さんが、連れて来たんだもんなー。春には、取り壊されてしまうのにな」
「あ。それは聞いたことあるよ。エリーはね。冬までいないんだって。3ヶ月ぐらいの契約で、どうしても住むところ探しているって泣きつかれたらしいよ」
「へー・・・」
皆顔を見合わせた。
「なんかよくわかんねえな。複雑な事情でもあるんかいな」
「でも、英語の勉強にゃなるだろ、てめえら」
丸山がニヤニヤと笑っている。
「そーそー。俺なんか、毎晩見てもらってるもん」
幸田はえへへと頭を掻いた。
「よっ。来年こそは卒業出来るか?」
「バッチシねん。エリー様のおかげよ〜ん」
山下は、チラッとエリーの寝顔を見た。
「も、部屋移動しようぜ。幾らこの無神経外人でも、ここでベラベラやってたら、そのうち起きちまう」
「だな。んじゃ、丸山先輩の部屋で飲もうか」
「おい、こら。勝手に決めるなよ」
ただ一人社会人である丸山は、そう言いながらも面倒見がよいので、あまり嫌そうではなかった。

栄光荘は、ここよりちょっと大きい町にある某大学が、斡旋してくれている安いアパートだった。
だが、来年春には取り壊しが決まっていて、新しい学生はいない。
たぶん取り壊しが決まっていなくても、今の贅沢な学生は、こんな所には住まないであろうというような、ボロいアパートだった。
今現在は、かつて学生だった丸山が就職してもそのまま居ついているほか、山下が就職浪人中で、あとは現役大学生の男ばかりだった。
そんなところへ、エリーがヒョコッと乱入してきたのであった。
「でもさ。エリーって、なんか憎めない外人だよなー」
「そうそう。今日の屋根だって、最初はこんな小さな穴だったのを、はりきってエリーが修理したら、もっとひどくなったんだよな」
田村の言葉に、山下はブッと飲んでいたビールを噴き出した。
「あの穴。そ、そうだったのか?どうりで妙にでっかい穴だと・・・」
「そうですよ。山ちゃん先輩」
「まだあるぜー。2階への階段の手摺。前からグラグラしてたろ。放っておけっつーに、エリーが直すって言って、もっとひどくしちまって〜」
山下は更にあきれた。
「あの手摺、壊したのエリーか」
「そうそう。俺じゃないっすよ」
幸田はギャハハハと笑った。
「もう一つ。管理人の三國さんが大切にしてた玄関のところのあの花瓶。割ったのはエリーだ。おかげで花が牛乳瓶に生けられている」
「ええっ。あの花瓶・・・。確か数十万するって、三國さんが・・・」
「天使のよーな顔で、ソーリーを連発されて泣く泣く三國さんが諦めたらしい」
「栄光荘唯一のお宝を割るなんて、つわものっ!エリー」
皆、ヘラヘラと笑っていた。
「不思議だよなー。ま、あの髪の毛の色とかもあるんだろうけど、エリーがここ来て、このボロいアパートも明るくなったよな」
「人見知りしない外人なんて、俺初めてだよ」
「まったくだ」
山下はエリーの話題に舌打ちした。
「エリー、エリーって。可愛い女の外人だったら噂するのもわかっけど、俺らより年上の男だぜ。よせよ、もう」
山下は、鬱陶し気に言った。皆、山下の言葉に、キョトンとしている。
「山下。イライラしてんな」
「丸山先輩」
「青い目の彼女に振られたんだって?けどエリーはその娘じゃないんだから、あたるのは止せよ」
「ち、違いますよ。そんなんじゃ」
と言いながらも、山下は丸山の言葉は当たっている・・と思った。
留学生だった金髪青い瞳の年下の彼女と、2年つきあった。
彼女の国へ一緒に行く為に、定職につかずに彼女の卒業を待った。

だが。彼女は国へは一人で帰ると言った。俺が一緒に行くことを、彼女は望まなかった。

女に振り回された俺の人生。いい歳こいて、定職につきそこねた。これからどうしよう・・・と思ってるところに、よりによって青い瞳の金髪の男が半月前から、このアパートに住みつきやがった。

しかも!その青い瞳の男は、やたらと俺に構いやがる。
放っておいてくれ、と言っても放っておいてくれない。うざってー・・・。山下はそう思っていたのだった。
「山下。明日エリーをもう1度病院に連れていってやれ」
「なんで俺がっ」
「暇なのは、おまえだけだ。エリーの勤め先には、俺が連絡しておく。確か駅前の英語塾だったよな」
「そうですけど・・・」
「なに不満そうな顔してる。エリーはなんも知らないんだ。おまえの事情だけであたるなんて、可哀相なことしてんじゃねえぞ」
「丸山先輩。やっけにエリーに親切ですよね」
山下は言い返す。
すると、丸山はニヤッと笑いながら煙草の煙を吐き出した。
「大人の事情ってヤツさ」
「なんか弱みでも握られてるンじゃねえの」
「かもな」
「・・・」
追求しないでおこうと山下は思った。エリーには深く関わりたくない。
金髪の青い瞳。俺を捨てたあの女と同じ色彩の、あんな外人・・・。

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小さなこの町には、医者が1つしかない。
総合病院で、とにかくここならなんでも、診てくれる。
管理人の三國から借りたオンボロ車で、山下はエリーを病院に運んできた。
「あのボロアパートの2階の屋根から落っこちて捻挫と打ち身だけなんて、奇跡だよ。外人さん」
カッカッと、医者は笑っていた。
エリーも同様「そーっすね。俺ってラッキー」とカッカッと笑っていた。

ったく。平和なやつらだぜ・・・。
山下は、呑気に笑いあう二人を見て、心の中で舌打ちした。
今の俺にゃ、笑う気力すらねえ・・・。
「山ちゃん、悪かったね。わざわざ連れて来てもらって」
「あー。本当に悪いね」
煙草をふかしつつ、エリーが精算を済ませ駐車場に来るのを待っていた山下は、そっけなく言った。
「他に人がいたら他の人に連れてきてもらったんだけど、暇そうなのは君だけだし」
「・・・喧嘩売ってる?」
「さりげなくね」
「堂々とだろ。連れて来てもらって、その偉そうな態度はなんだよ」
「そりゃ感謝はしてるさ。けど、俺を見る目が険し過ぎるんだもん。山ちゃん」
「っ」
「そんなに俺が嫌い?」
エリーがヒョコヒョコと足を引き摺りながら、山下に向かって歩いてくる。
「馴れ馴れしいヤツは嫌いだよ」
「俺って馴れ馴れしい?」
「うるせーな。とっとと乗れよ」
言いながら山下は、駐車場に一台の車が入ってきたことに気づいた。
「エリー。後ろ気をつけろよ。車入ってきたぞ」
「ありがと」
山下の言葉に、エリーは立ち止まり後ろを振り返ったが、再び歩き出す。
病院は小さいくせに、土地があまってるせいかやたらと広い駐車場だった。
平日の昼間だから、駐車スペースはガラガラなのに、先ほど入ってきた車は、わざわざ山下の車の近くに停まった。
「うわっ」
脇をすりぬける車に、エリーはちょっと驚いたらしく、バランスを崩した。
「あぶねっ」
山下は慌ててエリーの体を支えた。
「なんだよ、この車・・・」
いやがらせとしか思えねー・・・と思いつつ、山下はエリーを抱えたまま、隣に停まった車を睨んだ。
「大丈夫か、エリー」
「うん。ったく、足が思うとおりに動かないのは不便だな」
「つか、今のは車が悪い。おまえの横、すごいスピードですりぬけた」
パタンと音がして、先ほどの車の運転手が降りてきた。
「よっ。どーした。丈夫が取り柄のおまえが病院なんて。カレシと一緒のところを見ると、とうとう孕んだか?」
「げっ・・・」
エリーが声をあげた。
「!?」
山下は運転手を見た。
長身の、日本人離れした整った顔を持つモデルのような男だった。明かに異国の血が混じってる顔だ。
「エリー。友達?」
山下は即座に聞いた。
「まーね」
にこやかだったエリーの顔が、途端にムッとしたような顔になる。
「小野田くん。どーしたの?」
連れがいたらしい。連れも、整った顔の妖艶な美女だった。
「そっちこそ。正真証明、カノジョでも孕ませて病院じゃねえの?」
珍しくエリーが、棘のある声で言った。
「まさか。うちの所長の奥様さ。所長が手を離せない用事があったから、俺が代理でお供してきたんだよ。カノジョなんて、勿体ない」
フフフと男は笑った。
「やあね、小野田くんったら。ところで、お友達?」
妖艶な美女が、エリーと山下をチラリと見て言った。
「ええ、まあ。切りたくても切れない腐れ縁のお友達っすよ。そこの金髪の方ですが」
男の言葉も、エリーに負けずに刺々しかった。
「可愛い子達ね。今度うちに一緒に連れてらっしゃい。歓迎するわよ」
すると、エリーが急に、にこやかになった。
「はい、奥様。喜んで。是非遊びに行かせていただきますっ」
「まあ、うふふ。どうぞいらして頂戴」
「本当にお邪魔しますよっ」
エリーはにこやかに、しかしキッパリと、初対面の女の社交辞令に、返事をした。
この調子なら、本当に行きかねねえな・・・と山下は思っていた。
「奥さん。ちょっと先に行っててください。あとからすぐに行きます」
「わかったわ」
女は、アスファルトにヒールを響かせて、病院の入口に向かって歩き出す。
男は、エリーをギロッと睨んでから、山下を見てはニッコリ笑って言った。
「可愛がってやってね。俺のお人形サンを」
言って、クルリと踵を返し、女の後を追って歩き出した。
「はあ?」
山下は思わず素っ頓狂な声を出した。
エリーは、自分の足のことも忘れて、走りだそうとした。
「ルイ、待て、てめえっ。また悪い癖出してやがんなっ」
「エリー、走るな。足がっ」
山下が叫んだ。同時に、ドサッとエリーが、案の定すっ転んだ。
「ルイっ」
エリーがルイと呼んだ男が振り返る。
「足。おまえ・・・。どうしたんだ」
「俺のこたあどーでもいいっ」
「じゃあ。おまえも俺がしてることに口出すな」
「ルイ・・・。こんな小さな町で・・・。不倫とか、ダメだからな」
「うるせーよ」
「いい加減にしろっ」
「でっけー声で言うな。カノジョに聞こえちまうだろ」
男は、人差し指を口に当てるしぐさをした。
「ルイ。なにやってんだよ、おまえはっ。また繰り返す気か?」
エリーは、アスファルトから上半身を起こしながら怒鳴った。
「俺は懲りねー性格なんだよ。足、挫いたのか?大事にしろよ」
そう言って、泪はさっさと行ってしまった。
「バカだっ。ったく、俺が目を離すといつだって・・・」
「・・・大丈夫か?エリー」
山下はエリーに手を貸し、起こしてやった。
「ありがと」
エリーはしょぼくれた声で言った。
「見かけねー顔だけど、最近この町に来たヤツだよな。あんな派手な顔、ここじゃ目立つ。おまえと同じくらい」
山下が言うと、エリーはうなづいた。
「そ。新顔だよ。俺と同じ。っていうか、俺が追いかけてきたんだけどね。アイツのこと」
「追いかけてきた?」
「バカなヤツなんだ。ホントにバカなヤツでさ・・・。危なっかしくて見てらんねーの。けど、もう俺には時間が・・・」
そう言って目を伏せたエリーは、いつもアパートで見せている明るい顔じゃなかった。
山下は、エリーの横顔を、なんとなくボンヤリ見つめていた。

続く
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