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てか、てか。なんでこんなことに・・・。
春樹は白のタキシードに身を包み、鏡の前で顔を引き攣らせていた。
「兄ちゃん、ステキっ♪私、自分の兄がこんなに綺麗だったなんて知らなかった」
ウルウルと目を潤ませ、夏子が鏡を覗き込み、マジ顔で言う。
「ホントよね、ホントよね。なんてゆーの。まごにもいしょうってヤツですか?」
冬子も夏子に同調して、ウルウルと瞳を潤ませている。
「明らかにドタバタ劇だけど、これはもう乗りかかった船だから、このまま花嫁ゲットでいっちゃおうね、春樹兄」
「そうよ、そうよ。結婚なんてどーせ勢いなんだから」
双子の台詞に、うん、そーだよねっ♪とうなづける程の能天気さが自分にあったら・・・と春樹は思う。
「あああっ。うなづけない常識人な自分が憎いっっ」
のたまう春樹に、勇樹がボソリ。
「てか、フツーうなづけないっつーの」
冷静な勇樹であった。
「って、まあさ、春樹兄ちゃんはどーでもいいとして、阿子ねーちゃん、すげー綺麗だったなぁあ」
デレッと言う勇樹に春樹は拳骨をくれながらも、ハアアと溜息をついた。
「問題はそこだよ。阿子さんは、マジ綺麗だから。俺、一緒にいたら、絶対惚れる」
「いいじゃん。奥さんになる人に惚れてなにが悪いのよ」
「ねえ」
「そりゃ、そうだ。そうなんだけどよ」
妹達の言うことは最もだ。阿子さんは俺の嫁さんになる。
俺は阿子さんとキスして、そしてセックスもして。
それがフツーの夫婦。夫婦の日常。キスしてセックスして。
「きゃあああ。兄貴、鼻血っ。なに想像してんのよ、スケベ」
「タキシードがっ。白のタキシードがっ。衣装代2万円がっっ」
確かに俺の鼻からは血が出た。
阿子さんとキスするところまでは脳内で想像出来たが、セックスとなったら、いきなり相手が綾瀬さんに変わってしまった。
俺は綾瀬さんとセックスする想像で鼻血を出した。しかも、僅か数秒で。すげー早撃ち、いやいや違う。そうじゃなくて。
春樹は鼻に手を当てていたが、その手でグワッと頭を抱え込んだ。
「だーめだっ。だめだ、だめだ。俺は綾瀬さんが好きだ。綾瀬さんを愛してるっ」
ああ、こんなにもまだ好きだ。想像で鼻血を噴くほど。いや、そうじゃない。
「愛してる。ああ、こんなにも」
手が震えている。指が震えている。
あの人から離れる道を選択し、今まさに離れていこうしている自分に。
この体の一部、指が。先陣を切って震えだしたのだ。
「愛されなかったからって、諦める必要がどこにある?死ぬまであの人愛すぐれーの根性見せろや、自分」
好きだ、好きだ、好きだ。ああ、キスもセックスも、やっぱり貴方とじゃなきゃ出来ねー。綾瀬さんっ!
春樹が心の中で叫んだ時だった。
バアンッと控え室のドアが乱暴に開いた。
「春樹っ」
入ってきたのは、久人だった。声でわかった春樹はチッと舌打ちした。
「るせーっ。今取り込み中だ、久人っ」
「るせーもクソもあっか。阿子さん、逃げたぞ」
「ああ?阿子さんが逃げた?そんなの今どうでもイイっ。・・・って、え?」
一瞬、内田家の控え室がシーンとした。
「すんげ、ドラマみてーだったぞ。阿子さん、ドレスの裾翻して、私、やっぱりダメって。教会から飛び出していったんだよ。いやーえらいこっちゃなぁ、春樹よ」
久人は、金髪を掻きあげながら、興奮気味に言った。
「・・・ほんとにね・・・」
ハハハと春樹は引きつった笑いで久人に応えた。


商店街のお祭りの日。
それは、即ち春樹と阿子の結婚式だった。
居酒屋ギンジでのパーティーは、披露宴である。
式は、町にある小さな教会で行われる予定だった。
「なんで?なんでだっつーの!」
綾瀬は走っていた。
小さな教会に向かってダッシュ、ダッシュだった。
「なんで寝坊する、俺!?」
よりによって今日。春樹が新しい人生を踏み出すその日。
俺の計画では、某映画のワンシーンみたく(古い?悪かったな!)、式の最中に扉をバーンッと開けて・・・。
そして・・・花嫁を残して逃走(阿子ちゃんゴメン)になる予定だったのに、このざまだよ。
「ぐわぁああ〜。もう式終わってるのに、なんで走ってる、俺」
も、マジで、最近の俺って、ホントだめ。人生終わってる。てか、終わる。春樹を逃した。春樹を繋ぎとめられなかった。
いずれ餓死。人生終わるじゃん。
髪をセットする暇もなかった。スーツを着たのがやっとだ。でもね。でも。スーツ着たまでは良かったけど、足は下駄。
なにやってもダメな時はダメ。ダメなのに・・・なんで、まだ走ってる、俺。
自問自答しながら、綾瀬はハアハアと息を切らし、町の小さな教会に到着した。洒落たレンガの道を歩くと下駄の音が、滑稽なまでに響いた。
式は終わってる筈だ。
銀治手製の可愛らしい結婚式招待状に記された開始時間は二時間も前だった。
辺りには人の気配がないのがなによりの証拠だ。
「・・・涙も出やしねぇ」
もはや。自分自身に呆れるしかない綾瀬は、一旦は歩みを止めたが、ふと考え直したかのようにまた歩き出した。
やがてレンガの道は終わり、すぐ目の前が教会の扉だった。綾瀬は一瞬躊躇したが、扉をギッと開いた。
室内は天井のステンドガラスから、真昼の光が零れていて眩しかった。
綾瀬は目を細めた。
正面に祭壇。真っ赤な絨毯。左右には縁に可愛らしい真っ白い花が飾られた長い木の座席。
「そういや、俺も結婚の予定だったんだよな、少し前」
見覚えのある光景に綾瀬はボソッと呟いた。
「見事に逃げられたけどよ」
それから、本当に色んなことがあったせいで、悲しんでいる暇など、思い返せばほとんどなかったような気がする。
「全部アイツのせいだ」
それは無論春樹のことである。
綾瀬の結婚がぶっ壊れ、それから春樹が動き出して、なんだか滅茶苦茶なことになって、そして・・・。
「てか。俺がちゃんと結婚出来てたら、アイツどーしてた訳?」
どんな想いで春樹は自分の結婚話を聞いていたのだろう。どんな想いで式に参加してくれたんだろう。
そう考えると綾瀬の胸はズキズキと疼いた。
今。ようやく、後悔の念が押し寄せてくる。
なんだってこんな大切な日に俺は寝坊する。俺は逃してしまった。俺を本当に愛してくれた男を。もしかしたら、家族、になれたかもしれない大切な、大切な存在を・・・。
「・・・ちきしょうっ」
綾瀬は祭壇を拳で叩いた。
「ちきしょーっ!春樹のバカヤロー!根性ナシッ。好きにさせられたのにっ。好きになってやったのにっ。好きになったのにっ。謝る時間すらくれねーで、勝手に人の物になりやがって。
根性ナシのバカヤロウ・・・」
ポロリと瞳から涙が零れた。張り詰めた糸がプツンと切れたとはこのことで、一度涙が出たら、もう止まらない。
子供のようにしゃくりあげて綾瀬は祭壇に突っ伏そうとしたが、ガタッという音に驚いて、振り返った。
「あ、あの〜。お取り込み中すみませんが」
後ろの方の座席から、ヒョコッと春樹が現れた。
「ひっ。な・・・んだ、おま、おまっ・・・」
ヒックヒックとしゃくりあげてしまい、綾瀬はうまく言葉が操れない。
「いえ、その。ふて腐れて、ここでちょっと寝ていたんですけど。俗にいうふて寝っつーヤツでありまして」
春樹は顔を赤くしながら、ボソボソと言った。
「な、なん・・・で。なんでてめーは教会でふて寝なんかしてんだよ」
ゴシゴシッと綾瀬は目を擦りながら、春樹を見つめた。
「あ。実は、俺。阿子さんに逃げられまして・・・」
春樹の言葉に、綾瀬は擦っていた目が、取れるかと思ったぐらい驚いた。
「な、なにいっ!?」
綾瀬の驚愕の声が教会に響いた。驚きで、しゃくりあげが吹っ飛ぶ。
「俺、結婚出来ませんでした。まるでどっかの誰かさんみたいに」
春樹はそう言って、クスッと笑った。
「・・・」
ポカンと綾瀬の口が開いたままだ。
「ねえ、綾瀬さん。神様って、いるんだね。俺は今、猛烈にそう思う。アンタが新婦に逃げられた時にも思ったもんだけど、あの時より更に。今。強烈にそう思うよ。
少なくとも、アンタと俺の間には神様はいるんだよ」
カツン、と春樹が歩き出す。綺麗に磨かれた靴が、教会の床を蹴り、その音が静かな教会の天井に響く。
「神は神でも、貧乏神かもよ。女に捨てれらた惨めな男2人だもんな」
綾瀬は祭壇に寄りかかり、赤絨毯を踏みこちらに向かってくる春樹に、言った。
「そしたら、残り物にゃ福があるよ、と俺は返すよ」
そう言いながら春樹は、バージンロードをとうとう走り出した。
綾瀬は自分に向かって走ってくる春樹を見つめていた。
「好きだ、好きだ。愛してるッ。この教会で、さっきからずっと思っていたんだ。一瞬でもアンタを諦めた自分を、呪い殺してやりたいって!」
その声が、教会に高らかに響いた。答えない代りに、走ってくる春樹を綾瀬はしっかりと抱きとめた。
「春樹」
綾瀬は春樹の背に腕を回す。
「綾瀬さん、ずっと愛してきた。これからも愛していく。俺のこと、好きになってくれて、ありがとう」
「春樹。はるき。はる・・・きっ。ちょい待てっ」
即効で唇を奪おうとした春樹を綾瀬は、ギギギッと押しとどめた。
「ざけんなっ。こんなところで、誓いのキスとかぬかして、キスしたら殺す」
「こんなところで、って。誓いのキスは、こんなところでしかしないよ」
「そりゃそうだけど。ベタすぎるっつーの。あ、いやだっ」
「いやよいやよも好きのうち。とくにアンタはっ」
ハグッとまるで美味しいものにでもかぶりつく子供のように、春樹は綾瀬の唇を覆った。
「んんんっ」
ちょうど2人の真上のステンドガラスから、光が降り注いでくる。教会に舞う僅かな埃ですらその降り注ぐ光のせいで小さな星屑のように見えた。
幸せな2人の周りを祝福するかのようにクルクルと回っていた。
「綾瀬さん、これから先。俺と妹や弟の家族になってくれませんか?」
春樹の言葉に、綾瀬は目を見開いた。遠い昔の記憶が甦る。
『渚先生。ほら、見て〜。楽しそうだね。皆でお食事しているよ』
『綾瀬くんってば。人様のお家のお庭を覗き込んではダメよ。失礼じゃない』
『だって。見えるんだもん。ほら、木の間から。お父さんとお母さんと女の子と男の子。ああいうのが、かぞく、って言うんでしょ。渚先生』
『そうだよ。いつか、綾瀬くんも大人になったら、パパになって、ママと子供達に囲まれて。あんなふうに、皆でご飯食べれるよ。だから、もう悪戯しちゃ駄目よ。
悪い子はいいパパになれないんだから。ね。京ちゃんのお家に行ったら、ちゃんと謝るんだからね』
『はあい』
『もう。綾瀬くんは、いつも返事だけはいいんだから』
アアイウノガ、カゾク、ッテイウンデショ。
羨ましかった。小学生の頃のとある夕方。施設の先生に連れられて、昼間喧嘩した京ちゃんの家に謝りに行く途中見かけた、光景。
美味しそうな食事に、皆が揃って、楽しそうに笑っていた。家族。生まれた時から、施設で育った俺には、縁のないものだった。
居間から零れる光が、ガラスを通して、その家族の幸せっぷりを小学生の俺に見せつけた。
とても、とても、羨ましかった。そんな思い出が残っているのか、この町に引っ越してきた時、通りかかった酒屋の前で立ち止まった。
店舗と自宅を共有しているその酒屋の店の奥から、見えた光景。丸いテーブルを囲んで、父親と母親と子供達が、楽しそうに食事をしていた。
小学校の頃見た家族の光景とダブッた。
思わず買う気もない癖にそんな場面を眩し気に見つめていて立ち止まっていたら、気配に気づいたのか、「らっしゃい。どうぞ」と、まだ健在だった春樹の父親が
慌てて食卓から離れて店におりてきた。
それが、内田家との出会いだった。
『いいね。いいね。こんな家族。俺の理想。羨ましいなぁ・・・』
ウラヤマシイナァ・・・。
あの日。思わず立ち止まった酒屋の家族の光景に、魅入られたのは自分だった。
そして、幸せそうな家庭から、父親と母親が去り、子供達は残されたまま、丸い食卓を囲む。
丸い食卓は、淋しそうだった。

「春樹。一応もう一度言っておく。まっとうな道に戻って、女探せ。そして、てめえは内田家の主になるんだ。俺なんかに構ってるより、よっぽどそっちのが健全だろう。
俺が前に見たおまえの家の食卓には、おじさんがいておばさんがいておまえらがいて、俺には眩しいぐらい幸せそうだった。俺なんかが入ったら、家族の輪が壊れるぞ」
「今更、なに言ってんの?健全不健全関係ねえって言ってるじゃねえか。俺は綾瀬さんが好きなんだ。それに、綾瀬さんは親父らが死んでからは、もう家族だよ。
アンタがいないと、うちらの食卓は輝かない。双子らに訊いてみなよ。俺だけじゃ、あいつらには足りないんだよ。アンタの歯ブラシ、コップ、茶碗、箸、タオル。全部
揃っている。家族じゃん。アンタは俺達の家族なんだよ」
「!」
欲しくて、欲しくて、たまらなかったもの。
作れると思った矢先に女に逃げられ、また遠のいた。家族。
俺の、家族。
綾瀬の瞳から、再びポロポロと涙が零れた。
「春樹。俺ね。物心ついた時にはもう両親がいなくて。施設の前に捨てられていた捨て子だったんだ。だから、俺は、家族が羨ましかった。欲しかったんだ。
だから、だから。結婚したかった。欲しかったんだよ、ずっと。おまえの家みたく幸せそうな家族の光景」
「うん・・・」
「俺は、ずっと自分の居場所が欲しかったんだ。ここに居ていいよ、と言ってくれる人がいなかったから。自分で作ろうと思ったんだ。家族が欲しいのは、
自分の居場所を確保することだったのかもしれない」
春樹は、綾瀬の濡れた瞳に、指で触れた。長い睫に涙が絡まっていた。
「俺でいいのかよ?」
綾瀬はうつむいたまま、言った。
春樹は、綾瀬の言葉に目をパチクリさせてから、大きくうなづいた。
「うん。綾瀬さんがいい。綾瀬さんじゃなきゃイヤだ」
「俺は、男だぞ。我儘だし、よく食うし、殴る蹴る有りだぜ」
「なんの問題もありません」
ブンブンと春樹は何度もうなづいた。
綾瀬は顔をあげた。
「わかった。おまえの傍にいる」
春樹はその言葉を聞き終えると同時に、綾瀬をガバッと抱きしめた。
「飯。段々食えなくなった。おまえの飯じゃなきゃ。どんなに豪勢なモン食っても、おまえの飯じゃなきゃ、もう駄目だった。双子らに、もう来ないでと言われたことがショックだった。
だって、おまえに会えなくなるから。おまえを泣かせてしまったこと、ショックだった。冷静に考えると、俺はおまえにとっくに惚れてたのかもしれない。だから、おまえの飯しか食えない
のかも。でも、自惚れるなよ。絶対に飯が先だ。おまえの飯に惚れて、それからおまえに惚れたんだからな!」
春樹はニッコリと微笑んで、うなづいた。
「どっちでもいいよ、んなの。惚れてくれれば。愛してるよ」
綾瀬は、スウッと目を閉じ、そして、ゆっくりと開いた。
春樹を見上げる。
「ああ。俺も、おまえを・・・愛してる」
言葉と共に綾瀬はニッと笑っていた。それを受けて、春樹の瞳も輝いた。
「ありがとう」
コチラコソ、アリガトウ。
春樹にきつく抱きしめられながら、綾瀬は心の中で呟いた。
オレノ、カゾクニ、ナッテクレテ・・・。

続く


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