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「ただいまー。春樹メシー」
と、元気いっぱいに言って、綾瀬は家に戻ったが、内田家の食卓にはなにも用意されていなかった。
「え?」
と綾瀬が首を傾げると、勇樹がテケテケと綾瀬の傍に走り寄ってきた。
「春樹にーちゃん。綾ちゃんが鮎ねーちゃんと楽しそうに出かけていったのを見て落ち込んじゃって、なにも手につかないって。今2階で洋次と一緒に寝てる」
「んだと?」
綾瀬は眉を寄せた。鮎子は、あら・・・と呟いて口に手をあてては、チラッと綾瀬を見た。
綾瀬はその視線に気づき、慌てて「そーか。そんなに鮎ねーちゃんが気になるのか。春樹のヤツめ。ったくよー。俺が鮎ちゃんを押し倒すとでも思っているのか。
んなに節操なくねーっつーの。会ったばっかりで」アハハハと無理やり笑って、綾瀬は鮎子の背中を叩いた。
会ったばかりで鮎子に告白したことなど、綾瀬にとっては既に遥か彼方の出来事であった。
「じゃあ、双子ちゃんも勇樹もお腹すいてるよね。んじゃ、鮎ねーちゃんが作ってあげる」
鮎子はニコッと微笑み、いそいそと台所へ行った。


数十分後。ありあわせのもので、鮎子は見事な料理を作り上げていた。
内田家の食卓が、途端にきらびやかになる。
腹をすかせた双子と勇樹は無言でバクバクと目の前のご飯を平らげていった。
「鮎ちゃん、サイコー。いい嫁さんになるよ。ほんと美人だし、料理上手いなんてイイよなぁ」
綾瀬はご機嫌だった。
「そんな・・・」
照れつつも、鮎子は隣の春樹を振り返った。
「春樹、どう?」
「うん。うまい」
そう言いながらも、春樹の周囲はどんよりと暗かった。
とても美味しい飯を食っているような雰囲気ではなかった。
「辛気くせーツラで飯食ってンじゃねえよ、春樹」
「どんなツラで飯食おうと俺の勝手だ」
綾瀬に春樹はムッとして言い返した。
「あ、あの。じゃあ、私はそろそろお暇しようかな」
「え?だって、飯途中じゃねえか」
綾瀬は箸を止めて鮎子を見た。
「友達と約束してるから」
「そ、そうなの?あ、じゃあ、俺送るよ」
「大丈夫ですよ。慣れた道ですし」
「いや、送るって」
立ち上がると、綾瀬は鮎子の背を押した。
「じゃあね、春樹」
「今日はありがとな、鮎子。また改めて御礼する。連絡すっから」
春樹も立ち上がって、鮎子に言った。すると、鮎子は嬉しそうにうなづいた。
「ん。待ってる」
そんなやりとりを眺めながら綾瀬は心の中で溜め息をついていた。


鮎子を送っていく道中で、鮎子は綾瀬に言った。
「なんだ。春樹の好きな人って綾瀬さんなんだ」
バレたとは思っていたが、こうもストレートに言われるとは思ってなくて、綾瀬はリアクションに困って頭を掻いた。
「そ、そうみたい」
渋々うなづいた。
「だとしたら、とても勝てないなぁ〜」
そう言いながら、鮎子は道端の石ころをコンッと足で蹴飛ばした。
「あのね。男同士なんだよ、俺ら」
「んなの今時、気にすることでもないじゃないの。気持ちさえあれば、男同士だって、キス出来るしセックス出来るし。やっぱり綾瀬さんってホモだったんだぁ〜」
鮎子は苦笑した。
「ちゃうって。一方的にホモは春樹。俺は別に、アイツのことなんて・・・」
綾瀬の語尾が濁る。嫌いじゃない。決して嫌いではないのだ。
「ホスト相手じゃ絶対に勝ち目ナシだぁ。ああ、もう私。本当に諦めなきゃ」
フウッと鮎子は溜め息をついた。
「ちょい待ち、鮎ちゃん。俺、春樹のこと、よくわかんねーんだ。アイツのことは嫌いじゃないけど、でもキスとかセックスとか。そこまでの気持ち全然ねーし。
俺には夢があるんだ。家庭持つこと。毎日美味しい料理に可愛い子供達。そんなん、相手女じゃなきゃ出来ないじゃんか!」
鮎子の肩をグイッと掴みながら、綾瀬は力説した。
「でも。もし奥さんが料理下手だったら?もし奥さんが不妊症だったら?そう考えると、綾瀬さんが選んだ女の人相手でも、望んだ環境は手に入れることは
出来ないじゃない。その点春樹相手だったら、最初からあるじゃない。春樹は料理上手だし、まだ小さい可愛い弟や妹達がいる。春樹のこと好きになったら、
綾瀬さん。春樹の家族がそのまま綾瀬さんの家族だよ」
言われて、綾瀬は目をぱちくりと見開いた。
『確かにそーかも。つーか、そうだ』
「って、綾瀬さん、納得させてどーすんのよ、自分って感じ。ライバルなのにね」
ハハハと鮎子は笑ったが、すぐに笑いを引っ込めて綾瀬を見上げた。その視線の強さに、綾瀬は僅かにたじろいだ。
「ごめんなさい。送ってもらうの、辛い。もうここでいい。さよなら、綾瀬さん」
ペコッとお辞儀をして、鮎子は足早に去って行った。
「鮎ちゃん・・・」
もう本当にいい加減になんとかしなきゃなんねーな・・・と綾瀬は今更ながらに真剣に思った。
川ベリの道を戻り、内田家に戻る。弟や妹達は食事を済ませて部屋に引っ込んでいた。
丸テーブルの前には、春樹がぽつねんと座っている。
綾瀬はチッと舌打ちしながらも、食いかけだった鮎子の手料理に手をつけた。
冷めてしまったからなのか、それとも隣に春樹の暗い顔があるからだろうか。
こう言っちゃ鮎子に失礼な気がするが、普通程度にしか美味しくない気がした。
「食ったならば、部屋へ行けよ。暗い顔、鬱陶しい」
「綾瀬さん、鮎子、口説いたンだろ」
「悪いか?」
「悪いに決まってンだろ。俺は。俺のことは、どーなったんだよ、一体!」
春樹は顔をあげて、綾瀬を見た。
「おまえのことなんて、どーにもならない」
「ウソツキ。前向きに考えるって言った癖に」
「てめーな。元ホストの俺の言葉なんて信じるなよ。胡桃さんも言ってただろ。簡単に信じてもらっちゃ困るんだよ」
「偉そうに言うな。俺に商売っ気出して、どーするつもりだったんだよ」
「飯食わせてもらいたかっただけだ」
「!」
「おまえの飯は、俺の口に合う。だから・・・。でも、もういいや。こーして鮎ちゃんみたく料理の上手い子いっぱい、いる。なにもおまえじゃなくっても良かった。
身近で手を打とうとした俺が悪かった。ややこしくしちまった。ごめんな、春樹。俺はおまえのことそういう対象としては今後も考えられ」
言いかけて、パーンッと頬を叩かれて、綾瀬はビックリした。
と言っても、別れ話の修羅場で殴られ蹴られは、初めてじゃない。
しかし、それはしょせん、女のか弱き力だ。痛くてもやり過ごせた。
だが、男の力で思いっきり叩かれた綾瀬は、その痛みに驚いたのだ。
「悪徳ホスト。てめえなんか、サイテー。出てけ、バカヤロウ」
ポロポロと春樹に泣かれて、綾瀬はギョッとした。
春樹は、両親の葬式の席ですら、泣かなかったのだ。
妹や弟達が散々泣いているのを見て、どうしても自分が泣く訳にはいかなかったと後から聞いた。
毅然とした態度で、葬式を取り仕切る春樹を見て、綾瀬の方が泣いていたぐらいだったのだ。
それなのに。そんな春樹が今、目の前で泣いている。
綾瀬は、殴られた頬よりも、心のが痛かった。
真剣だった春樹に、最低なことを自分は言ってしまったのだ。
別れを切り出すにしたって、もっとスマートな方法だってあっただろうに。俺、マジにホスト失格、と思った。
「ごめ。ごめんな、春樹」
綾瀬の言葉を振り切るように、春樹は立ち上がると、バタバタと2階に駆け上がっていってしまった。
追いかけようとしたところに、バッと何時の間にか双子と勇樹が立ちはだかった。
「私達、綾ちゃん好きよ」
夏子が言った。
「そうよ。私達、綾ちゃんが大好き。でもね。あんなぬかみそ臭い兄貴でも、春樹兄はもっと好きなの」
冬子が言った。
「春樹にーちゃんは、一生懸命僕達の面倒見てくれてる。そんなにーちゃんを苛めるの、綾ちゃんでも許さない
勇樹が言った。
「夏子、冬子、勇樹」
綾瀬は3人の言葉に戸惑った。すると、3人は綾瀬を見上げて、声を揃えて言った。
「もう、うちに来ないで!」
「!」
ガーンッ。
綾瀬は、ショックでその場に立ち尽くした。
打たれた頬の痛さと、春樹の涙にショックを受けていたところへ、3人からのトドメ。
「わ、悪い。俺。ご、ごめんな。おまえらのにーちゃん、泣かせちゃって。でも、俺も自分で自分がわからなく」
言いかけて、綾瀬も自分の目に涙が浮かぶのを感じた。ヤバイ、と思ったが止まらなかった。
「う・・・」
ボロボロと零れ落ちた涙に、綾瀬は唇を噛んだ。
ガキの前でなにみっともなく泣いてんだよ、と思ったが制御出来なかった。
「あ、綾ちゃん」
3人は、綾瀬の涙を見て、一斉にオロオロしだした。
そのうちに「勇樹、アンタの言葉きつすぎ」と、夏子と冬子がバシバシと勇樹の頭を叩いていた。
「そんな。ねーちゃん達、一番やな部分を僕に押し付けて〜」と勇樹が反論した。
「わり。もう二度と来ないから。ごめんな」
バッ、と3人を避けて、綾瀬は飯も途中に内田家を飛び出した。
「綾ちゃんッ」
3人の声が背中に突き刺さったが、綾瀬は振り返らずに、走って自宅へ逃げて行った。


あーあ・・・。
自分はなんてことを言ってしまったんだろう。そう思っても、今更言った言葉は取り戻せない。
もうあの人は俺のところには戻ってこない。元々は高嶺の花だった人。
あの距離感は、元々が異常だった。そう思えば・・・。いやだがしかし。
店を終え、春樹は自宅の縁側に座り込んでいた。
「悲しいわね〜。ビール飲みながら夜空見上げて、涙ポロポロ」
ホウッと夏子が溜息をついた。
「でもさ。生まれついたが酒屋の息子。幾ら飲んでも酔えないしね〜」
冬子もうんうんとうなづく。
「嗚呼。あの美しい人はもう帰らない」
2人はハモッて言った。
「って、おまえら、うっせー」
いつのまにか自分の背中にもたれかかっている双子を振り返り、春樹は怒鳴った。
「人が傷ついているのに、ちったぁ慰めたらどーだっ」
「でしょっ。そう言うと思ったの。だから、これっ!」
夏子は、パッと身を起こし目を輝かせては、ビロンと手に持っていたチラシを春樹の眼前につきつけた。
「んだ、こりゃ?」
春樹は、訝しげにチラシを見た。
「商店街のお祭りのチラシ。ほら、ここ。ここに、出会いを求める人達へって書いてあるでしょ」
「確かに」
「商店街がお手伝いします、って。主催は銀さん。居酒屋・ギンジでお見合いパーティーですって。参加しなよ」
「はああ?」
春樹は素っ頓狂な声をあげ、それから、フゥゥと溜息をついた。
「ありがと、双子。しかしな、しかし。失恋して、すぐに新しい恋を探せるほど俺は今元気じゃねえよ。気持ちはありがとう。受け取ったよ」
ますます落ち込んでしまう春樹であった。
「なに言ってんのよ。もう申し込んできたもんっ。頑張って元気になって、参加して。春兄」
「な、なにぃぃい?もっ、申し込んできた、だと?」
「うんっ。銀さん、とおおおっても喜んでいたよ」
銀さんとは、居酒屋ギンジの経営者だ。春樹はガックリと項垂れた。
「兄貴、ファイトっ♪」
双子の高らかな声が春樹の背にグサリッと突き刺さるのであった。


あ〜。腹減った。
綾瀬はグルグル鳴る腹を押さえながら、帰宅の道をトボトボと歩いていた。
こんなに腹が減るのに、どうしてか食うと吐く。食っちゃ吐き、食っちゃ吐き。
今では、綾瀬は立派に病人だった。
「よーお。ホスト。なんだかゲッソリしてんなぁ」
「・・・ちは・・・」
居酒屋ギンジの前を通りかかった綾瀬は、店主の銀治に頭を下げた。
「飲んでくか?てか、食ってくか?今日はお祝いなんだよ」
ウキウキと銀治は綾瀬の背をバァンッと叩いた。
「・・・なんかあったの?」
よろめきながら、綾瀬は聞いた。
「家出してた娘が帰ってきたんだよ。一週間前にさ。店継いでくれるってよ。挙句に一緒に店やってくれる男も見つかりそうでさ。
ったく、いいことってーのは、続くもんなんだなぁ」
銀治は本当に嬉しそうに顔をクシャリとさせ喜んでいる。
「へーえ。景気よさそうだな。そーか。うん、その波いただこぉかなぁ。俺、今、絶不調バリバリだからさ。銀さんにあやかるよ」
「そーか。じゃ、入りな。娘は美人で料理も美味いさなぁ」
カッカッと銀治が笑った。綾瀬は銀治のあとに続いてのれんをくぐった。
そして、数十分後。綾瀬はいつもの綾瀬だった。
トークだけは。
「マジで、銀さんの娘とは思えないよ。阿子ちゃん、超カワイイっ」
「アハハ。ありがとう、綾瀬さん」
「料理も美味いしねぇ。阿子ちゃん、俺の嫁さんにならない?」
「綾瀬さん、食べてないのに、私の料理美味しいの?」
クスッとカウンターの向こうで阿子が笑う。
「あー・・・。アハハ。ごめんねぇ。俺、今、ちょっと腹の調子が悪くて」
食べて、目の前で吐かれたら、阿子もショックだろう。並べられた料理は本当に美味しそうなのだが、綾瀬はどうしても食べることが出来なかった。
「でも、すげー美味しそうだもん。絶対美味しいってわかるさ」
「綾瀬さんって面白いのねぇ」
クスクスと阿子が笑い続ける。
「阿子。確かにそのホストは気さくないいヤツだがな。惚れたらいかんぞ。ホストなんて、幾らでも女弄ぶことが出来るんだから。結婚するんだったら堅実な男を選ばないと」
すかさず銀治が注意を促す。
「わかってるわよ。今度は間違わないわ。父さんの目を信じる。もう男で間違うのはコリゴリよ」
「よく言った」
銀治は満足そうだった。綾瀬は、阿子をジッと見つめた。
「阿子ちゃん、色々あったんだね」
「まあね。でもこんなアタシでも父さんは帰りを待っててくれた。感謝してるの。これからは頑張って父さん孝行しないと。母さんが早くに亡くなって苦労してるしね」
「そっか。いい子だな、阿子ちゃん。ますます俺の嫁に欲しいなぁ」
「私の料理を食べてくれないと、嫁には行かないわよ」
「腹が治ればぺロリと食うさ」
「お医者さんに行けばいいのに」
「そうね。てか、とっくに行ってるし。薬も飲んでるんだけどねぇ。イマイチよくわからんのよ」
「悪い病気じゃねーのか、ホスト。きちんと検査しろよ」
銀治が横から心配気に言った。
「了解ッス」
「よし出来た」
銀治が店の隅でコソコソとしていたのは、パネルのPOPを描いていたのだ。
彼は若い頃、デザイン会社に就職していたらしくこの手のことは顔に似合わずとてもうまい。
「ああ?居酒屋ギンジ・お見合いパーティー?」
カラフルなパネルの文字を読み上げて、綾瀬は素っ頓狂な声をあげた。
「そうだ。商店街の祭りを使ってな。うちでパーティーを開くのさ。ちょうど阿子も帰ってきたし、阿子の結婚相手を見つける為にと思って企画したんだが。
だがよぉ。こんなん開くのもばからしくなっちまってなぁ」
コンッと銀治がパネルをグーで軽く叩いた。
「なんで?こんな美人ならば、阿子ちゃん目当てに客集まるよ」
「そりゃあ、わかってるが・・・。俺の好みのヤツがこのパーティーに立候補してきてなぁ。阿子はもうソイツに嫁がせる気100%なんだよ」
「へ?」
「なんせソイツは、俺がもうかなり前から目をつけていた好青年だ。ヤツがガキの頃から知ってるしさ。まあ、ハンサムだからよぉ。色々浮いた話があったみてーだが、
ヤツは今フリーらしくてなぁ。ならば、阿子を頼むといいたくなるのは仕方ねえよ」
「へー。銀さんがそんなに見込んでる相手ならばねぇ。タイミングのいい時は、ホント、よく出来ているんだなぁ」
「おうよ。なんせ相手は酒屋だ。こちとら居酒屋だし、なんの問題もねえ」
「酒屋?」
綾瀬はピクッと眉を寄せた。
「おう。おまえんちの近くにある酒屋の春坊。春樹だよ。そうだ。そういや、仲いいよな、おまえら」
ブーッ。綾瀬は飲んでいたビールを吹き出した。
「春樹ぃ?」
「ああ。背も高くてハンサムだし仕事熱心。俺は好きなんだよ、ああいうヤツ。なぁ、阿子」
「ええ?春ちゃんのことだったの。確かにカワイイけど。でも、私より大分年下じゃない」
「かまわねぇ。おまえ程の美人なら、男は絶対に歳なんかどうでもいい筈だ。おまえは母ちゃん似の美人だ。自信もて」
「って、父さん。身内びいきにもほどが」
阿子は助けを求めるかのようにチラリと綾瀬を見た。だが、綾瀬の顔はヒクヒクと引き攣っている。
「綾瀬さん、どーしたの?真っ青よ、顔色」
「なにぃ?ホストがビール飲んで顔青くしてんなよ」
銀治と阿子が同時にヒョイッと綾瀬を覗きこんだ。
「立候補って。立ち直りはえーな・・・アイツ。って、ウェッ」
綾瀬はそう呟いては、テーブルに突っ伏した。
「ホスト、トイレは向こうだっ」
異変を察した銀治は、バッとトイレを指差した。
「・・・っ」
綾瀬は、一目散にトイレに逃げ込んだ。
盛大に綾瀬は吐いては、その気持ち悪さに涙しながら、ヨロリと壁にもたれかかった。。
『ツイてねー時は、んとにツイてねー』
春樹は、もう新しい出会いを求めているんだ、と思った。
そして、綾瀬は泣いている自分に気づいた。
これは、気持ち悪さからくる涙じゃねえよな。俺は悲しいんだ。悲しくて、泣いている。
そして、この涙は自業自得。


綾瀬が帰ったあと、居酒屋ギンジは新しい客を迎えていた。春樹である。
春樹は、双子達が勝手に盛り上がって銀治の主催する出会いパーティーに参加申し込みをしたことを訂正しにきたのだった。
「らっしゃいっ。おう。春坊」
銀治の声が驚きから、喜びに変わった。
「ちはっス」
「なんだ、なんだ。辛気くせーツラして。阿子、ほれ、なんか作ってやれ」
いそいそと銀治は、春樹に席を勧めた。阿子のドまん前である。
「ええっ!阿子さん。帰ってきてたの?」
春樹はびっくりして、カウンターの向こうの阿子を見つめた。
「ご無沙汰ね、春樹くん」
阿子はニッコリと微笑む。
「うわ。なんか、テンションちょい上がった。阿子さん帰ってたんだぁ。おっちゃん、良かったなぁ」
今までドヨドヨンと暗かった春樹の声が明るくなっていく。
「なんだおめー。阿子が帰ってきてそんなに嬉しいか」
銀治はニヤニヤしている。
「そりゃあ、嬉しいよ。ギンジが繁盛すんじゃん。したら、うちも儲かる。今まできったねー親父一人でやってた店だぜ。美人の阿子ちゃんがいるといないじゃ大違いだぜ」
「ふんっ。言ってくれるぜ」
とは言いつつ、銀治は喜んでいた。
「はい、春樹くん」
座ると同時に出てきた料理に、春樹はキョトンとした。
「まるで俺が来ることを察したかのように出来ている料理」
「アハハ。それね。前のお客さんに出そうと用意してたんだけど、その人全然食べなくて。お酒は飲むんだけど、食べてくれないのよね」
「へえ。もったいねーな。ん。美味しいぜ。あ、すげえ美味いっ。これどう作るのかなぁ」
「簡単よ」
「あとでレシピ教えて」
「春樹くん、料理するの?」
「作ってくれる人いねーもんで」
「?」
キョトンとする阿子に
「ああ、阿子。春樹ンとこ、親父とお袋さん事故でな・・・。亡くなったんだ」
と銀治が説明した。
「ええ?」
「双子と弟2人抱えて、主婦やってます」
テヘヘと春樹が頭をかいた。
「まあ、そうなの・・・。大変だわね」
「料理は好きだからいいんですけどね。掃除洗濯が中々大変ですよ」
「そうよね」
「部屋の中とっちらかってて・・・。なんとかしなきゃ、とは常に思ってンですけどね」
「なら、阿子。おまえが掃除してやれや。ちょうどいい」
鼻息荒く銀治が会話に突っ込んでくる。
「ふふふ」
阿子はそんな父親の気持ちを察して、思わず笑ってしまうのだった。
「いえ、そんな。大丈夫ですよ。え?ちょうどいい?」
春樹が首を傾げて銀治を振り返ると、銀治は真面目な顔で、ズイッと春樹ににじりよると、
「春坊。うちの阿子を嫁にもらってやってくれっ」
と言った。
春樹は飲んでいたビールを盛大に吹き出した。
「な、な、ええ?」
「祭りの最中に、阿子の旦那候補の選出する為に出会いパーティを設定したが、春坊がフリーならば話は別だ。俺は、おまえにうちの娘もらってもらいたいんだ」
「はああ?な、な、銀さん、あまりに話が唐突すぎて」
「全然唐突じゃない。俺は、春坊がうちの婿に来てくれたら、と常々、昔から、考えていた」
勿論銀治は唐突である。
「それはアンタが勝手に。てか阿子さんの気持ちは」
すると、阿子はニッコリと微笑んだ。
「私は春ちゃんさえよければ」
「って、マジ?」
「うん。マジ」
「・・・」
春樹がウッと詰まっていると、銀治が追い討ちをかけた。
「迷ってる場合か。うちの阿子はな。さっきもほれ、よくおまえさんちに入り浸っているあのホストに求婚されていたぐらいなんだぞ。嫁に欲しいって。
おまえが阿子をいらねぇ言うならば、あいつに阿子をやっちまうぞ」
その言葉にピクリと春樹の眉が寄った。
「綾瀬さんに?あん人、もう阿子さんの存在をかぎつけて?」
「おうよ。さっきまで、今のおめえの席に座っていたんだぞ。あのホストが阿子の美貌を褒めていてなぁ。うちの阿子だってまんざらじゃねえはず」
前の客とは、なんと綾瀬のことだったのか。春樹は唖然とした。
「嫁に欲しいと。綾瀬さんが阿子さんを。こっちが悩んでいるのに、なんて相変わらずな」
春樹は呟き、ギュッと唇を噛んだ。
「お父さん、綾瀬さんはあくまでもからかっていただけよ。あの人は、仕事柄ああいうのが日常茶飯事なんだから。あんまり誇張して言うのもフェアじゃないわ」
阿子は困ったような顔で春樹を見ながら言った。
「なーに言っとる。ワシはちゃんと見ていた。あいつは立派におまえにデレデレしとったわ」
銀治の言葉が、傷心の春樹の心臓を一突きにした。
「・・・結婚する」
「「は?」」
親子が同時に聞き返す。
「俺、阿子さんと結婚するっ。あんな薄情で女好きのことなんか、もう知るか」
ドオンッと春樹は拳でテーブルを叩きながら、叫んだ。
「よっしゃ。そうとなったら話は早いっ」
銀治は、傍らに置いておいたパネルをバキッと折って、「出会いパーティー改め、祝・結婚パーティーだな」と嬉しそうに言った。


「話を断る!」と意気まいて出て行った春樹が、ひどく酔っ払って銀治親子に運ばれてきたのを、内田家では妹弟達が呆れながら迎え入れた。
「おめぇら。これからこのお姉ちゃんのことをお母さんと呼ぶんだぞ。おめぇらも小さいうちから色々苦労もあったろうと思うが、これからはこのおねえちゃんに
甘えていいんだからな。遠慮すんな」
ウキウキと銀治が言った。
「どういうこと、銀さん」
夏子が聞くと、銀治はブイサインだった。
「聞いて驚けっ。俺の娘阿子とおまえらの兄ちゃん春樹は結婚することになったんだ」
「えええっ?」
洋次を除く妹弟は、同時に叫んだ。本当に聞いて驚いた。
「兄ちゃん・・・断りに行くって言ってなかった?」
勇樹が言うと、冬子もうなづきながら呟いた。
「断るどころか、なんでまとまってんの?しかもまだパーティーも始まっていないのに」
夏子と冬子と勇樹は、顔を見合わせては、首を傾げた。


その日は星の綺麗な夜だった。
銀治から、春樹と阿子の婚約の話を聞いた。挙句に結婚式は、来週末だという。
「今週末か・・・」
今更驚いたりはしなかった。銀治のあの勢いならば、来週末だって遅いくらいだ。
綾瀬は帰り道の土手っぷちを歩きながら、満天の星空を眺める為に歩を止めた。
本当は全部気づいていた。
自分の体がどうしてこんな風になってしまったか。
医者に言われた。
『料理のうまい彼女と別れたあとにね。その子の作った料理じゃなけゃ食べれないって、拒食症になっちゃった彼がいたよ。可哀想にね。
よっぽどその彼女のこと好きだったんだよね・・・。あなた、彼女とそんな風に別れたりしてないよね?』と。
医者のその例え話で気づいた。
俺は、春樹の料理を求めているんだ、と。春樹が俺の為に作った料理。それが食べたい。でも、もう二度と食べることが出来ない。
食べたい<でも食べれない>食べた<違う、これじゃない>
体は正直で、腹が減って食うものの、春樹の料理じゃないから、と吐き出してしまうのだ。
これが、俺の、体調不良の理由。
春樹が作った料理を食べたい。なぜそんなに?上手いから?美味しいから?それもあるけど、それだけじゃない。
春樹が俺の為に作ってくれるからだ。俺のことを思って作ってくれるからだ。俺のことを好きだから。俺のことを愛してるから。
すべては。
俺を愛してくれていた春樹に繋がり、そんな春樹を俺は求めている。ということは。
俺も春樹を愛している、ということ。
「やっぱ、俺って惚れっぽいんかなぁ。相手男なのによぉ」
結局は惚れてる。なんだかんだで愛してしまっていたってことだ。
今となっては素直に認められても、あの時はまだまだ葛藤していた。
相手は男・年下・愛されている分優位な気持ち、その他もろもろ。
でも、仕方ない、と綾瀬は気持ちを切り替えた。
綾瀬は、自分が今心に決めたことに、自分でも驚いている。
勇気をくれよ。
綾瀬は瞳を閉じて空に向かって深呼吸した。
勇気をくれよ、あの時の春樹。
胡桃さんのお店で、おまえが言ったあの言葉。
『諦めは、恋愛の敵だっ。諦めちゃイカーン』
脳裏にその声が甦って綾瀬はクスクスと笑った。
そうだ。おまえは諦めなかった。諦めなかったんだよな。
「ああ。諦めねぇよ。俺も諦めない」
パッと目を開き、綾瀬は天を仰いだ。
そして、静かに歩き出し、土手を後にした。

続く

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