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綾瀬は、朝っぱらから豪華な食卓に眉を寄せた。
「なんだよ。朝から、この無駄に豪華な食卓は・・・」
ズラリと丸卓に並ぶ、食材。
「おーほほほ。綾瀬さんのお好きなスパゲテーでございます。海の幸をふんだんに取り入れた、ペスカトーレでございます。野菜たっぷり野菜スープに、
その黄色いのは、サラダ。カボチャのサラダ。デザートはミルクプリン」
「だから!なんで、朝っぱらからこんなに派手な料理なんだよ」
「綾瀬さんの振られて万歳・・・・じゃねー、振られても落ち込むな!激励メニュー」
春樹は、嫌味を込めて、きっぱりと言った。
「くっ」
綾瀬は、右手に持ったフォークをプルプルと震わせた。
「やだあ。綾ちゃんを振る女なんているんだ〜」
夏子がクルクルとナイフを器用に操りながら、スパゲッティーを頬ばろうとしていた。
「もったいないわー。私だったら即オッケーなのに」
冬子はミネラルウォーターを手にしながら、何度も瞬きを繰り返している。
「綾ちゃん、ホストじゃなかったっけ?」
勇樹が、トドメの一撃を放つ。
「どーせ。どーせね。最近の俺は、フェロモンねえよ」
うううっと嗚咽をこらえながら、綾瀬はキッと目の前のペスカトーレにフォークを突き刺した。
「ヤケだ。食ったるー!くそっ。うめーよ、春樹。おまえ、天才っ」
うぉおおおおと、綾瀬は朝から食欲旺盛だった。そんな綾瀬を、春樹は機嫌よく見つめている。
「兄ちゃん。びみょーに嬉しそうだな」
勇樹が、チラッと春樹を見てボソッと言った。
「微妙じゃなく、かなり嬉しい」
「変態道まっしぐら」
「・・・」
微笑みながら、春樹は勇樹の頭をポコッと叩いたのであった。


和やかに?朝食を終え、双子と勇樹を学校に送り出し、また二人っきりの時間が訪れる。
開店までにはまだ時間がある。綾瀬は、いつものように洋二をあやしている。
春樹は、台所での後片付けを終えて、居間に戻ってきた。
「綾瀬さん・・・。あの・・・」
「昨日のことなら、口にすんじゃねーぞ」
先手を打って、綾瀬は言った。
「ちゃうって。昨日のことは、まあ、そのなんだ。お気の毒さまってことでさ。綾瀬さんが悪かったんじゃなくって、相手が悪かったんだよ。胡桃さん、気の毒な女だよね」
綾瀬の隣に腰かけながら、春樹はしみじみと言った。
「口にしてんじゃねーかよっ」
ボコッと綾瀬の鉄拳が炸裂した。
「いてっ。き、昨日のことって。ああ、そっちのことだったんだ。俺はてっきり」
そう言って、春樹の顔が赤らんだ。それに気づいて、綾瀬もハッとした。顔が赤くなる。
「そ、そっちはもっと言及不可だ。バカヤロー」
「あのさ。それだけど」
春樹は、キッと、綾瀬を見つめた。
「綾瀬さん言ったよね。俺のこと前向きに考えてくれるって。でもさ、それって嘘じゃん。女にちゃんと惚れちゃってさ」
ウッ、と綾瀬は言葉に詰まった。
「仕方ねーだろー。本能なんだよ」
クシャッと綾瀬は前髪を掻き混ぜながら、呟いた。
「穏やかじゃねえよ」
むくれたように春樹は言った。
「んあっ」
「俺。穏やかじゃない。そりゃわかってるけど。綾瀬さんの言いたいこと、わかるけど。でもさ。なんつーか、その」
もごもごと春樹が口の中で呟いていると、玄関のインターフォンが鳴った。
「なんだ?誰だよ」
こんな朝っぱらから・・・と思いつつ、春樹は玄関に走った。
「オハヨー。春樹」
「うお。山科。どーした、おまえ」
玄関には、かつての恋人山科鮎子が立っていた。ちなみに同じ大学の学生だった。
両親が他界しなければ、今でもきっとつきあっていただろう。
さっぱりした性格に、ナイスボディの綺麗な女だった。
「アンタん家のガキ大将連れてきたわよ」
鮎子がそう言いながら、グイッと右手を引いた。すると、つんのめるように勇樹の体が鮎子の背後から飛び出してきた。
「勇樹!?」
泥だらけ・痣だらけの勇樹の姿だった。涙を堪えているのか、唇をかみ締めて俯いている。
「んもー。勇樹ったら、私の通学路の土手で大勢相手に立ち回りしてんだもん。吃驚したわよ。慌てて喧嘩止めて引きずってきたわ」
春樹は、つきあう女をよく家に連れてきていたので、鮎子も春樹の妹弟達をよく知っているのだ。
「山科。おまえ方角違うんじゃ・・・。いや、ともかくありがと。勇樹、おまえどーした」
すると、勇樹は「うああああん」と泣き出した。
「きょ、今日のお遊戯、パパとママと一緒に遊びましょうなの。み、皆知ってるくせに、勇樹の家のパパとママは今日来るんだろって。一緒に勇樹と遊ぶんだろって」
ポロポロと勇樹は泣きながら、言った。
「なんだって?おまえ、んなこと一言も言ってなかったじゃねえかよっ。そんなイベントがあるならば、にーちゃん店休んで行ってやるのにっ」
「言えないよ。お店休んだら、うちお金なくなっちゃうじゃんか。せんせえもいるし、平気だよって思ったけど、皆がそう言うから僕、我慢出来なくなっちゃって」
勇樹の言葉は、少なくとも春樹にはショックだった。
一生懸命やっているつもりだったが、こんな小さな弟が気を使うぐらいに、心配をかけているのだと思ったら、やりきれない気持ちになった。
「最近の幼稚園児って、残酷ね。ひどいわ」
鮎子が、ヨシヨシと勇樹の頭を撫でた。
「よし。勇樹。私が今日幼稚園に行ってやるわ。春樹も店休みなよ」
鮎子は春樹を見上げて言った。
「お、おう。けど、山科、おまえ学校は?」
「一日ぐらい休んだってどーってことないわよ」
「そ、そっか。すまんな」
春樹は、エプロンを脱ぎながら鮎子に向かって、拝みのポーズだった。
「乗りかかった船よ。ね、勇樹。いいよね。おねーちゃんとおにーちゃんが一緒にお遊戯するから」
「鮎ねーちゃん、いいの?」
グスンとしゃくりあげながら、勇樹は鮎子を見上げた。
「まかせんしゃい!」
ドンッと、鮎子は自分の胸を叩いた。下町っ子の鮎子らしい。
「そ、それじゃ、俺も今支度してくっから。うわっ」
慌てて春樹が踵を返そうとしたが、ドンッとなにかにぶつかってよろめいた。
「話はすべて聞かせてもらった!」
綾瀬である。春樹がぶつかったのは、綾瀬であった。
「イテテ。ま、真後ろにいたんならば、そりゃ聞こえるよな。それにしても、どっかで聞いたことのあるよーな台詞。あ、吃驚した」
「春樹。おまえの役目は、俺に任せろ」
「へ」
グイッと、綾瀬は腕に抱いていた洋次を、春樹に押しつけた。
「背中におぶって店番してろや」
「え?」
春樹が、キョトンとしている。綾瀬は春樹を押しのけて、鮎子の前に立った。
「ちょっと。春樹ってば。誰なの、この綺麗なおにーさんは??」
口元に手をやりながら、鮎子は綾瀬の美貌を見上げている。
「初めまして。中村綾瀬と申します。事情があり、今春樹と暮らしてます。えっと、山科さん?」
「は、はい。山科鮎子です」
名前を呼ばれ、鮎子はペコッと挨拶をした。
「可愛い名前だね。じゃあ、鮎ちゃんって呼んでいい?って、俺。馴れ馴れしいかな」
綾瀬は、ちょっと照れたように微笑む。
春樹は、その様子を見ては、ケッと肩を竦めていた。
「い、いえ。むしろ、こ、光栄ですけど・・・」
その綾瀬の微笑みに、鮎子の頬がパーッと赤くなっていく。
「春樹はこの通り店番で忙しいから、俺が代わりで勇樹のパパに。そして、鮎ちゃんが勇樹のママ。そんな感じでどう?」
「は、はあ」
鮎子は、綾瀬の迫力に、明らかに押されていた。
「ちょい待ってよ。なに、それ。なんで、そーなる!!」
春樹が叫んだ。
「はい、落ち着いて。今日も金儲けしてね。春樹くん」
ニコニコッと微笑みながら、綾瀬は春樹の耳元に囁いた。
「うお」
吹きかけられた息に、春樹の膝がカクンと揺れた。
「でわ。行ってきまーす」
右手で鮎子の肩を抱き、左手で勇樹の右手を握り締め、綾瀬はさっさと玄関を出て行った。
「春樹にーちゃん、ごめん」
勇樹が、ヘナヘナと玄関前に座りこむ春樹を振り返りながら、申し訳なさそうに呟いて出て行った。
「くそおっ!またしても、女にデレデレしやがって〜!!」
春樹は、スリッパを脱いでは、ドア目掛けて思いっきり投げつけた。
「ああ。俺って、なんて不幸〜。なんで、あんな女好きなんか好きになったんだろ〜」
ワッ、と春樹は床に伏せては、シクシクと泣いた。
傍では、なにも知らない洋次が、春樹の背中を小さな手でパタパタと叩いては、楽しそうに笑っていた。


爽やかな風が、川面を揺らしていった。
行事を終え、二人は園児達より先に幼稚園を後にしていた。
「楽しかったですね、綾瀬さんっ」
「踊って歌って、幼稚園って結構ハードだよなぁ。でも俺、ガキ好きなの。楽しかった」
「うん。楽しかった」
鮎子は、バフッと草の上に座りこんだ。ジーンズに包まれた長い脚も魅力的だが、座った瞬間に軽く胸が揺れたのを綾瀬は見逃さなかった。
『Dカップ』と、心の中で呟いて綾瀬はフッと笑った。
「綾瀬さん。美人な奥様方のあつ〜い視線を浴びまくっていましたね」
綾瀬の怪しげな視線にはまったく気づかずに、鮎子がからかうように言った。
「鮎ちゃんこそ。疲れた中年オヤジのあつ〜い視線を浴びてたよ」
「疲れたオヤジのあつ〜い視線浴びてもね」
アハハハと、鮎子が引き攣った笑いを浮かべた。
「いや、俺も。人妻のあつ〜い視線浴びてもさ。人のモンには興味ねえし」
さっき自動販売機で買ってきた飲み物を、綾瀬は鮎子に手渡した。
「あれ、いつの間に。気が利くぅ。ありがとうございマス」
「ん。どういたしまして」
鮎子の横顔を、綾瀬はジッと見つめた。
こういう健康美人って、今まで縁がなかったタイプ。
でも、子供好きだし、明るいし、胸あるし。顔も可愛いよなァ。
って、やっぱり、胸って大事だよな〜・・・。うん、この娘、イイ。
「え?え?なんですか。なんか、視線感じるんですけど」
鮎子は、綾瀬の視線に気づいて、ポッと頬を染めた。
顔の割には、すれてないところもたまんね〜と思いつつ、綾瀬は心の中の邪さを見事に消し去り、爽やかな笑顔を作り上げていた。
「やっぱ可愛いなぁと思って。鮎ちゃん。モテるでしょ。すっげえ可愛いヨ」
ズバッ!
照れもなく綾瀬は言った。
「う・・・。い、いえ。あんまりモテないっすよ」
歯切れ悪く、鮎子は言った。そして、ニコッと笑うと、話題転換を図る。
「綾瀬さんこそ。すっごい顔綺麗。モデルみたい。モテまくりでしょ」
百回ぐれー聞いたな、この台詞・・・と思いながらも綾瀬は、
「うん。モテるけど、今彼女いないんだ」
と、切り返す。いつもの手だ。
「あら。そーなんですか」
「そ。だから、鮎ちゃん。俺なんかどう?」
ズバズバッ!
「はあ?」
「や。すっげえいきなりで、ゴメン。もしかして、俺のことすげえナンパ師とか思った?」
「もしかしなくても、フツーは思うよ。今日会ったばかりじゃないですか」
「時間あんまり関係ないよ。好きになるのに。一目惚れってあるっしょ」
鮎子はパチパチと瞬きをして、綾瀬を見つめている。
「やっぱり春樹と暮らしてるだけあるね。二人ともよく似てる」
クスッと鮎子は笑った。
「ああ?」
「私も合コンで、春樹にそう口説かれたよ。一目惚れだって。私、そんなに軽く見えるのかな」
「え?」
「H目的でしょ、綾瀬さん。春樹は明らかにそうだったもの」
アイツめと思いつつ、綾瀬はゴホンと咳払いをした。春樹が、鮎子の元彼なのは、さっき鮎子から聞いて知っていた。
「・・・あ、いや。そーじゃなくって。むろん、それもありますが、俺は女の子とちゃんとつきあいたいくて」
「女の子とって。普通は女の子でしょ。綾瀬さん、ひょっとしてホモ?」
ホモはてめえの元彼じゃ!と言いたくなるのを、綾瀬は堪えた。
「話すと長くなるから。でも、ホモは止めてね。違うから」
綾瀬は肩を竦めた。
「ふーん!?なんかせっぱつまった事情とかがあるんだ。ありそうだよね。その顔じゃ」
ケラケラと鮎子は笑う。その顔って、どーゆー意味?とは怖くて訊けない綾瀬だった。
「事情っつーか。ひとつ言えるのは、俺ってかなり惚れっぽくて。気に入った子は必ず口説かないと気が済まないっていうか。ま、ハンターなんだよね」
「大抵はゲット?」
「大抵は」
最近は駄目だけどね・・・と言うのを綾瀬はやめた。
「じゃあ、別に、私じゃなくても平気だよね。綾瀬さん、私、春樹が好きなんです」
「え」
綾瀬は耳を疑った。鮎子は、今、なんて言ったのだろうか・・・。
ハルキがスキ・・・。
「別れてもう大分経つけど。今でも春樹が好きなんですよ。こうやって、時々は家の周りをウロウロしちゃうくらい。無駄だってわかっているんだけどね」
エヘッと、鮎子は笑った。だが、その笑顔は痛々しい。綾瀬は目を細めた。
春樹か・・・。くそっ。今度は春樹に負けたのかよ。昨日は、死人で、今日は春樹。
最近の俺ってば、マジにどーなっちまったのよと、綾瀬はフーッと溜息をついた。だが、ハッとした。
「鮎ちゃん!なら、春樹ともう一回くっつけよ。別れたのって、アイツが両親の不幸でバタバタしてて、今は家族のことしか考えられないって言ったからだろ」
「う、うん。そう。つきあう余裕がないって言われて」
「あるよ。今ならば、ある!」
「え?」
鮎子はキョトンとしている。
この俺に。好きだ、好きだって喚くぐらいの余裕が、今の春樹にはあるではないか。
恋愛出来るエネルギーが復活してるってことだ。
これは、チャンスだと綾瀬は思った。千載一遇のチャーンス!
「わかった。俺も春樹の為ならば、諦めて失恋するよ。ってことで、鮎ちゃん。応援する。春樹との復縁」
ガシッと、綾瀬は鮎子の手を握り締めた。
「あ、綾瀬さん」
「俺に任せろって。鮎ちゃんは可愛い。春樹がイヤと言う筈ねえ。つーか、言わせない。善は急げ。夕飯、家で食ってけ。な」
「な、なんか、目が輝いてますけど、綾瀬さん」
「え?そ、そう??」
ポリポリと綾瀬は指で鼻の頭を掻いた。
だが、しかし。輝かずにはいられない。このまま、春樹を鮎ちゃんに押し付けて、俺はまたまともな恋愛に返り咲きだ。
春樹の、なんだかよくわからない残留思念つーか、怨念つーか、そんなけったくそわりーもんが、俺にまとわりついているから、俺はまともに女を落とせなくなってしまったに違いない。
自分勝手に綾瀬はそう決め込んだ。
春樹さえ、真っ当な気持ちになってくれれば、俺も安心して恋愛出来て、行く末は再び結婚。家庭持ちだ。
ああ、憧れの家族の食卓。うっとりだぜ。
「頑張れよっ。鮎ちゃん」
「は、はい」
綾瀬の迫力に、ほとんど押されたかのように鮎子がうなづいた。
「よし。家帰るぞー。メシが待ってる。美味いメシが。春樹のメシが〜♪」
その瞬間。綾瀬の心の奥が、チクチクッと断続的に小さく痛んだ。
春樹、と口にした瞬間、春樹の顔が脳裏に過ぎったせいだった。
「・・・」
だが、綾瀬はその痛みをやり過ごし、鮎子を見下ろしては、ニッコリと微笑んだのだった。

続く



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