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今日は仕事も休みで、大安吉日、おまけに晴天!告白するには、もってこいの日だ。
春樹は朝も早よから起きだし、洗面台の前で髪を整えていた。
親からもらったそれなりに整った自分の面。
この顔で、学生時代はカノジョに困ることはおかげさまでまったくなかった。
天国の父ちゃん・母ちゃんありがとう・・・などとナルシストな御礼を心の中で呟きながら、春樹は鏡に映る自分の姿を整えることに夢中になっていた。
「えーと。確か、前にカノジョからもらった香水がここらへんのどっかに」
呟きながら、ゴソゴソと春樹は洗面台を荒らしていた。
「よ。ハンサムくん。おめかしして、今日デート?」
フッといきなり耳元に囁かれて、春樹は「ぎゃあっ」と醜い悲鳴をあげた。
「あ、綾瀬さん」
「ん。オハヨ」
背後には綾瀬が立っていた。
なんだよ。まだ心の準備出来てねえっつーの!と春樹は胸に手をやった。
「デートっつーか・・・。た、たまには、自分の身なりを整える余裕もいっかなって」
と、しどろもどろに春樹は、早朝から鏡にへばりついていた自分を説明した。
「いいことだね。春樹はハンサムなんだからさ」
フフッと綾瀬は笑った。
「い、いや。綾瀬さんほど」
と、春樹は鏡に映る綾瀬を見ては、黙り込んだ。
今朝の綾瀬も、相当酷かった。髪はボサボサ。無精ひげ。着ているTシャツ・短パンははよれよれ。
「や。今は俺のが間違いなくハンサムだな、やっぱ」
ゲソッと春樹は呟いた。ゲソッとはするのだが。
綾瀬の顔の中央にチョコンと配置されているアーモンド形の綺麗な瞳だけは、キラキラと輝いている。
やはり。どんな格好をしていても、綾瀬さんの美しさは色褪せることはないッ!春樹はまじまじと綾瀬を見ては、ボッと顔を赤くした。
「・・・どいてくれ。顔洗いたい」
春樹の妙な視線を感じたのか、綾瀬は春樹をドンッとどついた。
「綾瀬さん。今日は早いね。いつもはぎりぎりまで寝てるくせに」
バシャバシャと綾瀬は顔を洗っていた。キュッと綾瀬が蛇口をひねったのをみると、春樹はすぐさま綾瀬にタオルを手渡した。
「そうね。今日は早いよ。なんだかさ。あきらから電話もらって。これからうちに来るっていうから。久しぶりに俺も家へ帰るんだ」
なに?と春樹は眉を寄せた。家に帰る・・・!?
「あ、あきらさんって。あ、綾瀬さんの・・・」
逃げられた花嫁さん?奥さんになる筈だった女?どっちを言っても、綾瀬を不愉快にしそうで春樹は迷った。
「金髪の、でっけーヤツ。おまえ顔見知りだろ?」
「ああ、あっちか」
ケッと春樹は、金髪の男を思い出した。綾瀬さんの奥さんになる筈だった人の弟だ。
「逃げた女がうちなんか来るかよ」
クシャッと綾瀬は髪をかきあげては、不愉快そうに呟いた。
「ご、ごめん。そうだよ・・・な」
春樹は、シュンッとしてしまった。
「あ、わり。ちょい今のは俺、嫌味だったな。すまん」
ポンッと綾瀬は春樹の頭を撫でた。
「ま。そんな感じで、家戻るから」
「い、いつまで?」
「そーだな。ま、適当。今日は泊まるかもしんねえし」
「ええっ!?」
やだやだ。そんなの、困る。今日は大安吉日・告白日和だ〜。春樹は、クッと唇を噛み締めた。
「なんだよ。そんな拗ねた顔しやがって。一応、自分の家なんだぜ。女の家にしけこむんじゃねえだから。あ。おまえ。もしかしてデートで遅くなるんだったら、時間調整して帰ってくるけど。
留守番してて欲しいんだろ!?」
ニッコリと綾瀬は微笑む。
「なんなら泊まりでもいいぜぇ」
更に微笑む綾瀬。春樹はムーッとした。
「デートじゃねえから。遅くも泊まりもしねえよ」
「そ。んなにめかしこんでるのに、デートじゃねえんだ。たまには遊ばないと、おまえヤバイことになっぞ。まだ若いんだからな」
まるで他人ごとのような綾瀬の台詞に、春樹はますますムッとした。もうなってるよと、心の中で叫ぶに留めた。
「おっと。行かねえと。んじゃな。また電話するから」
綾瀬は、バッと身を翻すと、春樹にタオルをポイッと投げ返して出て行った。
「あ、綾瀬さんっ。泊まらないで帰ってきてよ。メシ。用意してるからな。帰ってきてくれよ」
春樹は叫びながら綾瀬のあとを追って廊下に飛び出した。
だが、綾瀬はそのまま玄関に直行したらしく、アッと言う間に愛用の下駄の音を響かせて行ってしまったようだった。
「聞こえたかな?いや、ちょっと待てよ。今日は大安吉日。晴天。告白日和。ぜってー、今日は決めよう!って思ってたのに。あ、綾瀬さんのアホーッ」
ウウウウと嘆いて、春樹は持っていたタオルにガバッと顔を埋めた。
「・・・」
そうだ、これ。綾瀬さんの使ったタオル・・・。
春樹の悲しい気分は、突如として邪な気分に変換されてしまった。
えへへへと春樹はタオルに顔を擦りつけた。間接キスしてるような気分!?
「つーか。俺って変態!?」
タオルにゴロゴロと顔を摺り寄せながら、廊下でヘラヘラしていた自分に気づいて、春樹は慌ててタオルから顔をあげた。
「かもね」
春樹の横を、弟の勇樹がそんなふうにシラッと呟きながら、スタスタと廊下を歩いていった。


「んあー。今日も、いい天気」
綾瀬は、ベランダの窓を全開にして、フーッと体を伸ばした。
「綾ちゃん。ホントに家、全然帰ってきてねえんだな」
あきらは、タバコを口に放り込みながら呆れた声で言った。
「だから、電話でそう言ったろ」
「まあね。聞いたけどさ」
カチッとライターでタバコに火を点けながら、あきらは苦笑した。
「マジに今回は姉貴のヤツ、とんでもねえことしたよ。俺だって本来ならば綾ちゃんに合わせる顔ねえっつーか。すみません、綾瀬さん」
あきらは、ペコッと綾瀬に謝った。
「過ぎちまったことは、仕方ねえだろ。言ってもさ」
ベランダの手すりに背をもたれかけさせ、綾瀬はぬけるような晴天を見上げながら呟いた。
「そう言ってもらえると助かる・。それでさ。今日の呼び出しはさ。姉貴から預かってきてるモンがあんだよ。金。全然足りねえけど、
綾ちゃんに使わせちまった家具とかの代金。アイツ、俺に借金してまで金作って。50万。預かってきてる」
スッとあきらは、スーツの背広から封筒を取り出した。
「こんなんで勘弁しろって片腹痛えけど。姉貴の気持ちも汲んでくれると弟の俺としても嬉しい」
綾瀬は、あきらの差し出した封筒を見つめて、首を振った。
「いらねえよ。そんなの」
「けど」
「俺にだってプライドあんだよ・・・。受け取れるか、そんなの」
「だって、綾ちゃん」
「いらねえ!」
綾瀬のきつい拒否に、あきらはフッと溜息をついた。
「・・・そっか。だよな・・・」
「ああ。とにかくいらねえ。ここの新しい家具は。そうだな。春樹の家にでも恵んでやるさ。とくにアイツの家の家電製品。旧石器時代並み」
そう言って、綾瀬はクククッと笑った。
「春樹って、あの酒屋のヤツか!?」
あきらは目を剥いた。
「そ。マジで春樹にあげよっと。あきら、今度若いの何人か連れてうち来い。運ぶから」
「おいおい。綾ちゃん。マジで、あの家にそんなに入れ込んでんのかよ。そりゃ今はつれえかもしんねけど、そのうちこの家具にもなれるさ。したら、
次の女とこれ使えばいいじゃん。他人にやるなんて、もったいねえことすんなよ。高かったんだろ。姉貴、ブランド女だしよ」
あきらは、部屋の中をグルリと見回しながら言った。高級そうな家具に、最新式の家電製品。まだピカピカのまま、放置されている。
「響子の選んだものだ。俺の好みじゃねえし。それに、前の女が選んだベッドとかで新しい女と寝る気になんねえよ」
ヒョイッとあきらの手からタバコをとりあげ、綾瀬は口にくわえた。
「でも。本当はそうだな。家具とかはまあ別にして。俺もいい加減、ちゃんとした生活しねえとな。いつまでも春樹の家に厄介になってる訳にはいかねえし」
プカプカと煙を空に向かって吐き出しながら、綾瀬はぼんやりと呟く。その言葉に、あきらは鋭く反応した。
「そうだよ。綾ちゃん、ホスト復活しろよ。俺、また二番手になってもいいよ。綾ちゃんにならば負けても悔しくねえよ!いまだに客の中では、綾ちゃんを
惜しむやつらもいるんだぜ。店長なんか、綾ちゃんのパーソナルデータ流出しちまうの、大変な勢いで遮断してんだからさ。ほら。アジップの繁美ママなんか、
すげえ札束積んで店長に詰め寄ったらしいぜ。綾瀬の居所教えろって。さすがの店長もあの時は青褪めていたよ。笑えたな」
「繁美さんか。そーいや、結婚するって言ったら、ぶん殴られた記憶が」
と笑いながら、綾瀬は頬を押さえた。
「ずいぶん泣いた女いたんだぜ。でもな。綾ちゃんが復活すればすぐにまたみんな戻ってくるさ」
たぶん俺の客もなとあきらは、少々がっかりした顔で言った。綾瀬は肩をすくめた。
「ホストはもういいや。俺、むいてねえよ。すぐ惚れちまうし。なんかいい仕事ねえかなあ」
「働く気あるんならば、色々ツテきくぜ。綾ちゃんは、あんな酒屋のボロ一軒家に生息して終わっちまうような器じゃねえんだよ。もうそろそろちゃんと前向きに
人生再開してくれよ。俺、アンタのことすっげえ尊敬してるんだから。実の姉貴なんかよりよっぽど綾ちゃんが好きだよ。本当に尊敬してる。カッコイイ、好き」
「なに興奮してるんだよ。でも、まあ。そっか。サンキュな。俺って、男もいけるんかな?」
あきらに好きと言われ、春樹に好きと言われ。
ハハハとタバコの煙を口の中に残しながら、綾瀬は俯いて、小さく苦笑する。
って、苦笑してる場合じゃねえかもな。そろそろさと、綾瀬はピクリと眉を寄せた。
そろそろヤバイかも。最近。春樹の視線がますますヤバくなってきているのは気のせいだろうか。
綾瀬はそんなふうに思った。職業柄、人の視線、目の動きを読むのはある意味癖のようになっている。
そのせいか女の視線のもたらす意味は、大概わかる。
視線で、口説くタイミングを読んで仕事していたのだから、これはプロのなせる業とでも言うべきものかもしれない。
だが。男は・・・。男はなぁ。手出した経験ねえから、いまいちわかんねえんだけど、でも。
それでも、経験から得た勘で、春樹の視線はそろそろヤバイと、綾瀬は思うのだ。
「面倒くせえことになんねえうちに、マジであの家出ねえとな」
「え?」
あきらは綾瀬の呟きを聞いて、聞き返す。
綾瀬は、広いバルコニーのアスファルトにタバコを捨てると、靴で踏みしめた。その吸殻をあきらに投げつけながら、
「なんでもねえ。それよか、飲むの、つきあえよ」
と、キッチンに誘った。あきらは、吸殻をゴミ箱に捨てながらウンとうなづくと、綾瀬の背を追いかけて大股でキッチンに向かって歩いていった。


綾瀬のいない内田家の夕食。
円卓は奇妙にシンとしていた。料理だけは、これでもかという具合に豪華にテーブルに並んでいるが、綾瀬はやはり戻ってこなかった。
「なんかぁ。辛気臭いっていうか」
冬子がとうとう堪えきれずにボソリと呟いた。
「そうねぇ。暗いっていうか」
たまらずに夏子も応えた。
「花がないのよ、花が。朝食と昼食は我慢したわ。でも、もう限界よっ」
「そ。お花よ。お花。春樹兄。うちの綺麗なお花はどこ行ったのよ」
夏子が春樹を睨んだ。
「自分の家」
春樹が力なく答えると、夏子と冬子は顔を見合わせた。
「なんなの、それ。もしや、綾ちゃんはとうとう自宅に戻ったの」
冬子が円卓から身を乗り出している。
「とうとうって言うか。冬子、味噌汁零れるぞ。今日、1日戻っただけだよ。大袈裟な」
夏子がそそくさと冬子の味噌汁のお椀を支えた。
「大袈裟なって。今やここに綾ちゃんがいる時間に慣れてしまった私達にとっては重要なことよ。漬物くさい兄と泥くさい弟二人じゃ、内田家の食卓は輝かないのよ」
漬物くさいといわれた兄は、心ここにあらずでボーッとしながらおしんこを箸でつまんでいた。
綾瀬が帰ってこない・・・。
やはり、自宅のが居心地がよいのだろうか。もう帰ってこないのかなと春樹は漠然とした不安に襲われていたのだった。
そして、泥くさいと言われた弟だけが姉達に反撃を試みる。
「食うだけなのに、なんで輝きが必要なんだよ。意味不明だよ、ねーちゃんズ」
言い返すと、即座にスコーンッと、勇樹の頭にしゃもじが飛んできた。
「美しいものを見ながらご飯を食べることが、どれだけ食欲をそそるものかわからないの。勇樹っ」
「春樹兄ちゃんのメシ元々美味しいもん。食欲なんかいつもあるもん、俺」
勇樹の言葉に、冬子がホウッと溜息をついた。
「デリカシーのない子ね。ああ、ヤダヤダ。だから、私達には綾ちゃんが必要なのよ」
ネーッと夏子と冬子はうなづきあっている。
「無視よ、無視。それより!いきなり帰るなんて、おかしくない?夏子姉。あんなに自宅はヤダッって言っていたのに」
「そうね。そろそろ綾ちゃんも春樹兄の料理に飽きてきた頃かしら」
「あら。綾ちゃんがここにいる理由は春樹兄の料理だけじゃないわよ。私達美貌姉妹の存在が癒しにもなっているのよ」
「きゃっ★昨日も綾ちゃんに、夏子ちゃんは肌が綺麗だね、って褒められたのよん」
「だめよ、喜んでばかりじゃ。私達がどれほど綾ちゃんにとって和みの対象になっているとしても、しょせんはまだ7歳。傷ついた綾ちゃんの心と体を慰めることは出来ないのよ」
「冬子、それって・・・」
夏子はハッと顔を強張らせた。コクッと冬子はうなづいた。
「綾ちゃんの淋しい心と体を慰められる存在が出来たのでは?と私は睨んでいるわ」
「・・・それはもしや。新しい女!?い、いつのまにっ」
夏子の台詞に、春樹は飲んでいた麦茶を噴き出した。
勇樹が無言で、ふきんを春樹に押しつけた。
「わからないわよ。でも心構えの問題だと思うの。綾ちゃんは、そろそろ新しい道を歩こうとしているんじゃないかと思うのよねぇ」
「新しい・・・道」
姉妹の会話を聞いていた春樹は、ガバッと立ち上がった。
「にーちゃん!?」
勇樹がビクッと、春樹を見上げた。ダダダダと春樹は二階に駆け上がり、スヤスヤと寝ていた洋次を抱き起こして、手際よくおんぶした。
「洋次起きろ。洋次起きろ」
二階から降りてきながら、ユサユサと春樹は背中の洋次を揺り起こす。
「春樹兄。なんで洋ちゃん起こすの。さっき私と冬子とでやっと寝かしつけたのよ」
廊下に、夏子が飛び出してきて、春樹に文句を言った。
「うぎゃあああああん」
案の定洋次は目を覚まし、けたたましく泣き叫び出した。
「あーあ」
と、夏子と冬子はゲッソリとした顔になった。勇樹は兄の行動にキョトンとしている。
「おー、よしよし。洋次。あーやがいなくて淋しいか。そうだな。淋しいな。今あーやのところに連れていってやるから」
「うっく。ひっく」
ヒクヒクと泣いている洋次をあやし、春樹は玄関に降り立ち、クルッと振り返った。
玄関のところには、春樹の行動に驚いて、食卓を離れた夏子・冬子・勇樹が勢ぞろいしていた。
「ということで。洋次がうるさいから、綾瀬さんに会いに行ってくる。ついでに連れ戻してくるから。必ず連れて帰ってくるから」
「は、はあ。よ、よろしく」
姉妹は、春樹の妙な迫力に、同時にうなづいた。
「なんて、ごーいんな・・・」
勇樹は、完全に春樹の行動に呆れていた・・・。
「行ってくるぜ」
泣き叫ぶ洋次を背に背負い、春樹は無我夢中で綾瀬の家に向かった。


職業柄酒には強い二人だが、互いに負けまいと杯を重ねているうちに、立派に酔っ払いと成り果てた綾瀬とあきら。
ピンポーンと玄関のチャイムが鳴るのは聞こえたものの、二人はだだっ広い広間の豪奢な絨毯の上にダランと寝転がっていてどっちも起きようとしなかった。
正確にはすぐには起きれないのである。
「あやちゃーん。鳴ってる」
「うっせえな。新聞の勧誘だろ〜。無視・無視」
ヘラヘラと二人は笑いながら、すぐ傍に置いてあるボトルに同時に手を伸ばした。
「もうそろそろねえな」
「春樹に配達させっかな。酒もってこーいってよ」
ドボドボと、綾瀬は二つのグラスに酒を注いだ。透明な割りと小さいグラスからは、すぐに酒が溢れて、絨毯を濡らしてしまった。
「うーん。染みになるかなあ。うーん」
と、綾瀬はまじまじと絨毯の端を指で摘んで呻いた。
と、その時。しつこいチャイムの音と共に、子供の泣き声が綾瀬の耳に届いた。
泣いている、子供の声。あの怪獣みてえな声は・・・。
「洋次?」
フラッと綾瀬は立ち上がって、ヨロヨロと廊下を歩き、ドアを開けた。
「綾瀬さんっ!いるならさっさと出てくださいよ」
春樹。そして、背中には洋次。
「洋ちんっ」
綾瀬は、洋次を抱きしめるつもりで、春樹ごとガバッと抱きしめた。
「う、うわああ」
春樹が素っ頓狂な声をあげた。
「洋ちん。んなに泣いてどーした。あーやがいなくて淋しかったか、おまえ。ごめんな〜。もう泣くな。あーやはここにいるよん」
と、綾瀬は、洋次の頬にスリスリしてるつもりらしいが、実際スリスリしてるのは春樹の頬にである。
「ひ、ひぇ〜」
自分の家とはまったく違う、豪華な作りの綾瀬宅の玄関先で、春樹は洋次を背負ったままその場にフラリとへたりこんでしまった。
「あーや」
「おう。洋ちん。なーに?」
洋次を絨毯に転がし、綾瀬はそのすぐ脇に肘をつき寝転がっては、洋次の頬をプニプニと指で突付いていた。
綾瀬の顔を見た途端に、泣き止んではご機嫌麗しくなった洋次を、綾瀬は満面の笑みで一生懸命あやしている。
「大丈夫か?あんた」
あきらから、気付け薬と称したブランデーをもらい、春樹はそれを一気にあおった。
そして、それをあまりにすごい勢いで春樹が飲んだものだから、あきらはちょっと吃驚して、思わず大丈夫か?と聞いてしまったのだ。
「ああ、平気」
だが、さすがに春樹は酒に強いので、これぐらいではビクともしなかった。
「しかしな・・・」
あきらは、椅子の背を抱くようにして、白い椅子に跨りながら、絨毯に転がる綾瀬達を眺めていた。
「一気に酔い冷めたっつーか・・・」
ハアアとあきらは深い溜息をついた。
「あ、あのさ。ここでずっと綾瀬さんと二人で飲んでいたのかよ」
溜息連発のあきらに、春樹はおそるおそる聞いた。
「あ?ああ、まあな。ずっと、二人で」
「ふーん・・・」
とりあえず女の気配はなかったようでホッとしたものの、それでも綾瀬さんはコイツとずっと二人きりだったんだ・・・と思うと春樹は、ジトッとあきらを睨んだ。
だが、あきらはそんな春樹の視線にまったく気づかずに、綾瀬を見ていた。
「プラチナの綾瀬と呼ばれたあの綾ちゃんが、ガキと戯れ。挙句に汚いTシャツに短パンに不精髭。ちょっと信じられねえ光景だな。繁美ママとか見たら腰抜かすな」
あきらは、顎に手をやりながら、ボソリと呟いた。その横顔は苦渋に満ちていた。
「なあ、酒屋のあんちゃんよお」
「なんだよ」
春樹は酒屋のあんちゃんと呼ばれる自分を悲しく思いながらも、それが事実なので言い返せない。
あきらの腰掛ける椅子のすぐ近くに、春樹はあぐらをかいて座り込んでいた。
「綾ちゃんはな。俺の憧れのホストだったんだ。うちの店の1はってて。普通だったら、怖くて近寄ることさえ出来ない存在だったんだ。でも、こーゆー世界に
ありがちなシステムをとっぱらってこの人は新人の俺にもきさくに口きいてくれて。それは自信から来る寛大だと思っていたよ。とにかくそれが最高にかっこよかった。
あとから、元々こーゆー性格だと知ってもそれはそれでカッコイイと思った。見習いたい先輩だったんだよ。プラチナの綾瀬って言えば、近所の同系列の店では
知らないヤツいねえし、いれあげる女はそれこそあと絶たなかった。今、俺、綾ちゃんと同じ立場にいるんだけど、あの時の綾ちゃんにはぜってー適わない。あれ
だけの女さばく体力も話術も技術もねえしよ。だが、それをなにげなくやっちまっていたのが綾ちゃんなんだよ。それがこの人の本来の姿なんだ。俺は、そーゆー
綾ちゃんが好きなんだ!ずっと見ていたかったんだ」
あきらの言葉を背中で聞いていた綾瀬は、
「やーめーろ。あきら。素人さんにんなこと言うの」
と、洋次をあやしながらぶっきらぼうに言った。
「いい機会だよ。言わせてもらうぜ、俺は」
あきらは、ガタッと椅子を立った。
「なあ、アンタ。アンタもそう思うだろ。この人は、普通の人とは違う。そういう艶を持って生まれてきた人なんだよ。こんなふうに小さくまとまっちまう人じゃねえ。
アンタからも言ってやってくれよ。ホストに戻れって。いや。戻らなくてもいい。綾ちゃんは、人生新しく生きなゃいけねえんだよ!幾ら綾ちゃんが最初は自分の
意思でアンタの家に居ついたからってこんなガキの面倒を押しつけて、申し訳ねえとか思わねえか?こ汚ねえ下町の小さな酒屋なんぞにこの人居候させて
おいて、なんか感じるもんねえのかよ!?綾ちゃんがニコニコしてるからって、無神経に暮らしてるんじゃねえよ」
まくしたてられて、春樹は呆然とした。
呆然として、立ち上がった金髪の大男を見上げた。
『艶を持ってる?』
そうだよ。綾瀬さんは、確かに普通の人とは違う。
『ホストに戻れ?』
やだよ。戻ってほしくねえよ。
『自分の意思で居ついた?』
そうだよ。綾瀬さんが、住みたいって言ったんだ。嬉しかったよ。
『ガキの面倒見させて?』
確かに見させてる。一任しちまってるよ。申し訳ねえとは思ったが、実際助かった。
『こ汚ねえ下町の小さな酒屋』
汚い下町は町内会会長に文句言えよ。俺の知ったことか。小さい店で悪かったな。こんな店でも、オヤジとおふくろが大事に育ててきた店なんだよ。
『居候させておいて感じるもんねえか?』
あるよ。いつも感じてる。綾瀬さんが好きだって。毎日思ってたよ。
『綾瀬さんがニコニコしてるからって無神経に暮らしてる?』
そうなの?そうだったんだ。
それだけは、俺、気づかなかった・・・。
「オイ。なにボケ面してる。俺の言ってること聞いてんのかよ!子守させて店の手伝いさせて、綾ちゃんだっていい加減、家帰るタイミング逸してるんだよ。
気づけよ。鈍感。それぐらい気づいて、ちゃんとアンタから言ってやんねえとだめだろ?気を利かせろよ。とにかくもう解放してやってくれよ、頼むから」
「あきら!」
綾瀬がガバッと起き上がった。
「てめえ、いつ俺がんなこと言った!?帰るタイミング逸してる?解放してくれ?言ってねえよ、そんなこと」
「だって、綾ちゃん」
「だってもクソもねえよ、バカヤロウ。勝手なこと言うな」
綾瀬は叫んで、あきらを睨んでから、春樹を見た。
「春樹。コイツ、酔ってるからさ。なんか訳わかんねえこと言ってるけど」
と言いかけて、綾瀬は途中で言葉を飲み込んだ。春樹の顔が強張ったのを見てしまったからだ。
春樹はスクッと立ち上がると、絨毯に転がってる洋次を抱き上げた。
洋次は、幸い状況がまったくわからないので機嫌よく笑っている。
「綾瀬さん。今日ね。綾瀬さんの好きなメニュー作って待ってたんだけど。綾瀬さん帰ってこねえし。だから、洋次連れて迎えに来たんだけどさ。帰ろうって。
帰ってきてってさ。お願いしに来たんだけど。無理させていたんならば、もういいや。ごめんな。俺、確かに無神経だから。綾瀬さんの気持ちわかんなかった。
自分のことばっかりで。洋次の面倒毎日見させて悪かったよ。ごめんな。綾瀬さん。家に、帰りたかったんだ」
春樹の言葉に、綾瀬は頭を抱えた。しっかり誤解されてしまって、綾瀬は動揺した。
「な、なに言ってんだよ、春樹。俺はそんなことねえよ!?おまえ達と一緒にいて楽しかったし、これからも」
だが、春樹は綾瀬の言葉を最後まで聞かずにクルッと背を向けた。つかつかと洋次を抱いて廊下を歩いていく。
「春樹。待てよ」
綾瀬の言葉にピクッと肩を揺らし、春樹はリビングを振り返った。
「あのな、春樹。違うって。誤解だって。俺はおまえの家好きだよ」
綾瀬は春樹の前まで走ってくると、僅かに背の高い春樹を見上げた。
綾瀬の唇から漏れた、「好きだよ」という言葉に春樹は瞬時反応した。
「俺だって。好きだ。綾瀬さんが好きだ。俺、綾瀬さんが好きなんだ。本気で好き。そこの金髪がどれだけ綾瀬さんを尊敬していて、綾瀬さんを好きなのか知らない。
けど。俺のが絶対綾瀬さん尊敬してるし、好きだ。だって、俺。綾瀬さんを愛してるんだから!」
「え・・・」
ギョッとした顔で、綾瀬は春樹を見つめた。
綾瀬の綺麗なアーモンド形の瞳に、まっすぐに見つめられて、春樹はすぐさまクラッとした。
そして、急にこみ上げてきた恥ずかしさにブルブルと体を震わせた。
「っ」
バンッと、春樹は廊下を遮るガラスの扉を思いっきり閉めた。洋次を抱えなおして春樹は走った。


「って、オイ」
鼻先で、いきなり扉が閉まって綾瀬はハッとした。。バタバタと廊下を走る音がして、バタンッと玄関のドアの音。
「は、春樹。待てよ」
綾瀬は、ガラスの扉を開けて、短い廊下を走った。
「綾ちゃん。なんで追いかけるんだよっ」
あきらが追いかけてきて、綾瀬の腕を掴んだ。
「あきら、てめえ、このヤロウ。俺になんのうらみがある。姉弟揃ってッ」
ガアンッと綾瀬は、あきらをぶん殴って、腕を振り解いた。
「春樹、春樹」
綾瀬は春樹の名を呼んで、やはり玄関を飛び出した。エレベーターは、9階に停まったままだった。
綾瀬は非常階段に向かって走った。だが、先を走る足音はもうしない。
学生時代陸上部だった春樹には足の早さは適わないようだった。
川べりに立つこのマンションは、すぐ下が土手になっている。春樹は、この道を洋次と一緒に歩いてきた筈。そして、帰る時も。
綾瀬は、こんな時にもついうっかり癖で履いてしまってきた下駄を疎ましく思った。
いっそ裸足で走ろうかと思った。ガランガランと派手な音を響かせて、綾瀬はマンションのロビーを駆け抜けて、アスファルトの道路を走った。
「綾瀬さん」
しばらく走っていたら、擦れ違う人に名を呼ばれて、綾瀬は息を切らしながら振り返った。
「久人。春樹見かけなかったか?」
綾瀬を呼んだのは、近所に住む春樹の友人・町田久人だった。
「春樹?見てねえよ。んなに急いで、どうした?」
「探してる。この道通っていったと思うんだけど。洋次連れている筈なんだ」
「会わなかったぜ。洋次いたならば、すぐにわかるし」
久人は首を傾げた。
「そうか。じゃあ、逆の道行ったのかな」
綾瀬は、がっかりした声で呟いた。
「町田。泣き声」
町田の傍に立っていた、背の高い切れ長の目をした男が、ボソリと呟いた。
「あ?どーした、緑川」
「ガキの泣き声がどっかから聞こえるぜ」
「んん?」
言われて、久人と綾瀬は耳を澄ました。
遠くを走る電車の音に混ざって、確かに。
「あ。聞こえた」
久人は笑って、土手の下を指差した。綾瀬もうなづいた。
「あっちの方だな。春樹のヤツ、隠れんぼしてやがるな」
「サンキュ。助かった」
「って。なんもしてねえけどな。また今度3人で飲み比べしようぜ、綾瀬さん」
「おう」
手を振る久人に、手を振り返しながら綾瀬は土手を駆け降りていった。
下駄のせいで足元がおぼつかない。慎重に、ガサガサと背の高い草を掻き分けながら、綾瀬は土手を歩いていく。
すると。しばらくして、草むらの中に春樹を発見した。
「春樹」
綾瀬はホッとして、春樹を見つめた。
「見つかっちまったか」
春樹は、洋次の口を手で押さえていたが、言いながら手を離す。
すると、洋次は勢いよく泣き出した。
「うえええん。あーや」
泣きながら、綾瀬に向かって手を伸ばした。
「可哀想なことすんなよ」
綾瀬は、春樹から洋次を奪い取って、春樹の横にドサッと腰掛けた。
「だって。洋次は泣くんだ。綾瀬さんが傍にいないと。俺もだけどさ」
春樹が付け足した言葉に、綾瀬は顔を赤くした。
「なんだよ、それ」
「言葉通りだけど?」
春樹はあっさりと言った。
「てめえな。ホストの俺にそういう口説き文句は通用しねえぞ」
「・・・でも。綾瀬さん、顔赤いよ」
言われて、綾瀬はウッと詰まった。
「そりゃな。好きとか愛してるとか言われれば、一応は顔赤くするように訓練してるからな」
「訓練?なんで」
「その方が、女騙しやすいだろ」
綾瀬の言葉に、春樹は顔を顰めた。
「訓練で顔の色変えられるの?プロだね」
「当たり前だろ。俺は」
「プラチナの綾瀬、ここに在り!?」
「そーゆーことだよ。元、だけどな」
「俺はっ」
「!?」
春樹は、綾瀬の腕から強引に洋次を取り上げると、洋次をポンッと草むらの上においた。
突然綾瀬の腕から引っこ抜かれた洋次はキョトンとし、それからすぐにフニャッと顔を歪めた。
「あうううっ」
洋次はぐずりはじめた。
「うっせー。泣くな、洋次」
「う?」
兄の声に、ビクッと洋次は体を竦ませた。
「おまえがいると、また綾瀬さんはキス誤魔化すんだからっ」
「えっ?キスって」
綾瀬は、両腕から洋次をすっぽぬかれたままの状態で呆然としていたが、春樹の言葉にハッと我に返った。
「綾瀬さんが好きだ。愛してるんだ」
「ちょっと待て」
言葉と共に春樹は綾瀬をガバッと抱きしめた。
「や、やめろ、春樹。てめえはどうしていつも」
「俺は。プラチナの綾瀬じゃなく。俺は、単なる、俺の目の前にいるいつもの普通の、例え不精髭生やしていてもヨレT着てても。とにかくまんまの、綾瀬さんが好きなんだ!」
「んぐっ」
ガバッときて、ワッと唇を持っていかれて綾瀬は目を見開いた。無理やりこじ開けられた口に、春樹の舌が侵入してくる。
綾瀬は拒んだが、春樹の強引さに勝てなかった。結局は、舌まで持っていかれて、深く唇を合わる羽目になった。
「んんっ」
貪欲なまでに口腔を舐めつくす春樹の勢いに、綾瀬は開いていた目を思わずきつく閉じた。
「っ」
巧みではないが、それを補って余りある情熱的な強引さ。
口の中を犯されている、というような恐怖が一瞬綾瀬の脳裏に過ぎった。
もういい。わかった。おまえがマジなのは、わかったと綾瀬は、心の中で叫んだ。
「うっ」
突如、春樹が呻いて、パカッと唇が離れた。
「んんっ」
綾瀬は、顎を反らしてドッと両腕を草むらについて、体が崩れ落ちるのを支えた。一気に空気を吸い込んだ。
「いてえっ。いてえっつーの!洋次っ」
春樹がわめいている。
「っ・・・。は、あ」
綾瀬は、息を荒げながら春樹を見た。春樹のジーンズに包まれた太腿には、洋次がガブリと噛み付いていた。
やっと歯が生えてきたような洋次だが、手加減なしで噛まれているようなので痛いらしい。
春樹は、目にうっすらと涙を浮かべていた。
「洋次、てめえ〜」
春樹は、洋次の服を摘んで、ヒョイッとその体を持ち上げた。洋次の小さな体は、空中にプランと浮かんでいる。
「びぇえええん」
洋次は、アウアウと泣きながら腕を振り回して春樹をポコポコと殴っている。
「あーや。あーや」
と、洋次は綾瀬の名を呼んでいる。
「洋次」
綾瀬は腕を伸ばし、洋次を抱きしめた。
「うっくうっく」
洋次はヒクヒクと泣いていた。
「春樹。てめえ、弟虐めるなっ」
すると、春樹は唇を尖らせて、拗ねた。
「だって。邪魔なんだもん、ソイツ。俺は、俺は。今日この大安吉日に、ちゃんと綾瀬さんに告白したかったんだよ!」
「大安吉日に告白!?」
春樹の言葉に、綾瀬はヒクッと頬を引き攣らせた。
「なのに。洋次が綾瀬さんにひっついていたら、俺ちゃんと告れねえじゃんか」
「大安吉日に告白?けっ、結婚式じゃあるめーし」
ギャハハハと綾瀬は前屈みになって、笑い出した。
めちゃくちゃ可愛いこと言ってんな、コイツと思いながら。
「な、なに笑ってんだよ。ちきしょー。お、俺はマジなんだからな。綾瀬さん」
笑いながら、綾瀬は春樹を振り返った。
「あはは。いや、おまえがマジなのはわかったよ。あんなぶっちぎりのキスされちゃな」
「うっ」
綾瀬の言葉に、今更春樹は顔をカーッと赤くした。確かに、ものすごく強引なキスをしたから。
「・・・わ、わかってもらえれば・・・」
モゴッと歯切れ悪く春樹は呟く。
「わかりはしたけど、だからと言って別に。それだけだ」
綾瀬はそんな春樹を見つめながら、キッパリと言った。
「えっ?」
「あのな、春樹。俺は男で、おまえも男。俺はおまえ好きだけど、そーゆー対象じゃねえし。どうにもなんねえだろ。これから先」
困ったように言う綾瀬に、春樹は反論した。
「男と男でなにが悪い。愛がありゃ、んなのいーじゃん。どーにでもなるよ」
春樹の、ぽよよん発言に、綾瀬はアッ!?と口を開けた。
「突き抜けるなっ。俺達に愛なんかあるかよ。ねえだろうが」
「俺にはあるんだよ。それに、嘘つき」
「嘘つき?俺がかい?」
「そうだ。綾瀬さん、ちゃんとキス受けてたくせにっ。俺の舌に絡みついてきたぞ」
「そ、それは。その」
確かに。舌をバッチリ絡めた。つーか、絡めなければ、どうにもならなかったっつーか・・・と、綾瀬が言い返す言葉を迷っている間に春樹は再び主張する。
「嫌いなやつのキスに、そんな反応するかよ」
綾瀬はムッとした。なんて自己中発言。無理矢理キスしてきやがったくせにー!
「てめえな。俺は今、傷心中で仕方なく禁欲中なんだぞ。そんな最中にあんなぶっちぎりのキスされりゃ感じるの当たり前だろうが。条件反射だ」
へっと綾瀬は言い返した。
「それでいいんだよ。最初はな。初めからラブラブなキスなんか期待してねえもん。だけどさ。愛がないなんて言うなよ。これから。これから、愛が生まれるかもしれないじゃん」
「う、生まれるって・・・」
春樹の迫力に、さすがの綾瀬もたじたじとなった。
「俺、綾瀬さん好きだもん。愛してるもん。愛して、幸せにする自信あるもん。だから。だからさ。俺のこと、ちゃんと対象にしてよ。好きになってよ。ねえ、綾瀬さん」
更なる春樹の爆弾発言に、綾瀬は唖然呆然を通り越して、呆れた。
「めっ、滅茶苦茶言うなよ。好きになれって言われてそう簡単に好きになれるかよっ」
って、惚れっぽい俺が言う台詞じゃねえかも・・・と思いながらも、それでも言わずにはいられない綾瀬であった。
「簡単じゃなくてもいい。難しくてもいいよ。俺待つから。いつまでも、待つから。綾瀬さんが、俺のこと好きになってくれるまで」
「はあ?」
「好きなんだよ。もう、とにかくアンタが好きで好きでたまらないっ」
猛烈激烈な愛の連続攻め言葉に、綾瀬は頭の中が白くなりかけた。
ガキみたいに言葉飾らないで、むっちゃストレート。
似たような台詞は、何度も女に言った記憶はあるが、それでもこんなに飾らずに言ったことはない。
つーか、言えん。まんま、ストレートっていうのは、言うのも照れるし・・・聞かされるのも照れる。
「ずっと。ずっと愛してたんだよ。綾瀬さん」
「ちょっと待てって」
「待たない。ねえ。絶対幸せにするから。俺のこと。好きに、なって」
「さっき、いつまでも待つって言ったじゃねえかよっ」
「その待つとこの待つは違う。とにかく。俺は、綾瀬さんが好きだよ」
「どう違うんだよ。春樹、あのさ」
「愛してる。だから、俺のことも愛してよ」
「いや、春樹。あのね」
「幸せにする。絶対」
次から次へと、よくもまあ・・・。綾瀬は呆れつつ、でも段々と頬が熱を持つのを感じて、我ながら驚いた。
春樹の態度にゃ呆れるが。嬉しくもある。ここまで言われれば正直ぐらつく。
知らなかった。言葉を飾らない告白って、結構クるもんなんだな・・・と綾瀬は呑気にふとそんなことを考えていた。
ぐらつく。春樹のこと、もちろん嫌いじゃない、から。
「お、おまえのしてることってな。傷心してるヤツにこれ幸いとつけこんでる結婚詐欺みてえなもんだぞ」
だが、しかし。心と言葉は裏腹なことが多々ある。綾瀬は、春樹に思わず言い返していた。
「冗談じゃねえよ。俺は本気だ。詐欺師と一緒にしないでくれよ」
綾瀬の言葉に憤慨した春樹は、ズイッと距離を縮めて近づいてきた。
「た、たとえだっつーの・・・。ったくよ」
グイグイと春樹の顔が間近に迫ってきて、綾瀬は洋次を抱えたまま、後ずさった。
「俺が本気だってこと、まだわかってないの?あのキスでわかってくれなかったのかよ」
膝で草を擦りながらも、春樹は近寄ってくる。再びキスの距離になってしまって、綾瀬はバッと俯いた。
「わ、わかった。わかったから!お、おまえのこと、真面目に考える。春樹の気持ちはわかった。おまえの気持ちは嬉しい。俺も前向きに考えるから。
だから、もう。キスしないでくれ」
「・・・ほんと?」
春樹の顔が、喜びに綻んだ。
「真面目に考えてくれる?しかも前向き?本当に!?」
「う、ああ。そ、そうね。そんな感じで」
「ありがとう、綾瀬さん」
ガバーッと春樹は、洋次ごと綾瀬を抱きしめた。さっきと逆のパターンだった。
「嬉しい。やったあ。やっぱり今日告って良かった。大安吉日バンザイっ」
耳元で無邪気に喜ぶ春樹の声を聞いて、綾瀬はフーッと体の力を緩めた。脱力というヤツだ。
「・・・やった。やった♪すげえ嬉しい。あ、そだ。んじゃ、綾瀬さん。うちに戻ってくるよね。これからもずっと居てくれるんだろ?迷惑とか・・・じゃねえよな?」
「初めからそのつもりだったんだけどね。おまえの家に居ることが、どうして迷惑なんだ。俺は自分の意思で居候させてもらってるんだよ。なのにあきらの
バカが余計なこと言ったから、なんだかこんな展開に」
ハアと綾瀬は春樹の腕の中で溜息をついた。
「俺はあの金髪にチュウしたいぐらいだぜ。余計なこと言ってくれてサンキューってね」
「しろよ、勝手に」
ハアアと綾瀬は再度溜息をついた。と、グイッと腕を引っ張られて、綾瀬はビクッと顔をあげた。
「は、春樹」
「あ。もうなんもしねえよ。さっきのキスでおなかいっぱいだし。でもさ。綾瀬さんは腹減ってるだろ。うちにさ。料理いっぱいあっから。綾瀬さんの好きなストロガノフ作ってあるし。
帰って食おうよ。な」
本気で嬉しそうな春樹を見て、綾瀬は苦笑した。うんっとうなづき、立ち上がる。
「そうだな。なんだか急に腹減ってきた」
「だろだろ。綾瀬さんがこれかもうちに居てくれるならば、俺ますます料理頑張るから。綾瀬さんの為に美味いモンいっぱい作るからね。楽しみにしてろよ」
「サンキュ」
かなり複雑な思いで綾瀬は、とりあえず礼を言ってみた。
「うん。頑張る、俺」
嬉しそうな春樹に、綾瀬もつられて笑顔になった。
「か、帰るか」
「そーしよ。帰ろう。帰ったら、スープも作ってやるよ」
春樹の言葉に、綾瀬は即座に反応してしまう。いつもの癖だ。
「え?マジ。んじゃ、俺。あの冷たいじゃがいものスープがいいかも。えと、名前」
「ヴィシソワアズ」
と、春樹はアクセントをつけて大袈裟に言いながら、歩き出した。
「そう、それ」
「言うと思った。綾瀬さんの好物だから。へへへ。了解しました」
今にもスキップしだしそうな春樹の後姿を眺めながら、綾瀬は歩き出した。
「やべえ。俺って、もしかして餌付けされてる?」
ボソリと呟きながら、綾瀬はチッと舌打ちした。
今まで口説く立場であったこの俺が、2歳も年下のガキみてえな男に口説かれて、なんだかウキウキしちまって。情けねえぜっ!と、綾瀬は悔しく思った。
ホストを辞めてまだたったの2ヶ月ぐらいだっつーによ。甘い言葉や態度にクラクラしちまって。逆だっつーのよ。ちぇっ。もうナマッちまってんの、俺!?と思いつつ。
「綾瀬さん、早くしろよ〜」
と、先を歩きこちらを振り返った春樹の笑顔をみたら・・・。
急に心臓がバクバクしはじめて。
「くそっ。なんなんだよ、いったい」
これは危険だ、と綾瀬はもう一度舌打ちをしてしまうのだった。


つづく

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