BACK        TOP     

人は海を目にすると、なぜか走りたくなるようだ。
それは、5歳の繭も例外ではなかった。
かぶっていた麦藁帽子が風に飛んでいった。
それにも構わずに繭はタタタと走っていく。
「じゅんにー!」
「おお、繭。繭ちゃあーん。会いたかったよ〜」
ガシッと兄妹は、抱擁を交す。
「俺は無視かい」
光はブーッと頬を膨らませたもの、隣に立つ須貝にペコリと頭を下げた。
「須貝さん、どーも、スミマセン。2人でくつろいでるときに」
携帯で連絡をとったら、海辺にいるから勝手に来いと潤がぬかしたのである。
言われた通りに来たら、二人はボーッと、大きな岩に並んで腰掛けていたのだった。
「くつろいでいないので、だいじょーぶです」
潤の恋人、須貝は、あっさりと言った。
「もー、秋也ってば。素直じゃないんだよねー。言葉もなく俺らくつろいでいたんじゃん!」
繭を片手に抱いて、潤は、須貝と光の側へ走ってきた。
「っせえな。俺は、ただボーッとしてただけだよ。そこへてめえが合流しただけじゃんか」
「なんだよ、その言い方〜!」
当の本人達は本気で言い合ってるのかもしれないが、光にしてみれば単なるじゃれあいにしか見えない。
ハハハと光は苦笑しつつ、二人を見ていた。
潤は光の白けた視線に気づき、慌てて咳払いをした。
「聞いたよ、光兄。泪兄、左遷だってねー。気の毒に。光兄は繭ちんと玲兄の2人の間に挟まれて。気苦労が耐えないねぇ」
「おまえが逃げ出したからな」
「人聞きの悪い。俺は愛に走ったのでございます」
うっとりと潤は言った。ガシッと須貝が潤を蹴飛ばす。
「だから東京に帰れって言ってんじゃねえか」
はいはい、と潤はそっぽをむいた。
「この人、まだこーゆーこと言ってんだよ、どー思う光兄」
「どー思うって。まあ、仲がよろしくて結構ねって思う」
聞くなよ・・・と光は、内心ケッと思ったりしていた。
「だよねぇ」
わかっているらしく、潤はてへへと笑う。
「誤解しないでください」
須貝は、光を振り返って真面目な顔で言う。
「してます、思いっきり」
光も真面目な顔で答えた。
「・・・」
光と須貝は、ジッとみつめあった。
「うちのノーマルな弟を恋に走らせただけでもすごいです。誤解してます。思いっきり。潤のこと、よろしくです」
須貝は、ヒクッと頬を引き攣らせた。
「真面目な顔して言わないでくれませんか?」
「真面目ですから」
ウッと須貝は困った顔をした。
光はクスッと笑った。
「須貝さん。おもろい人っすねー。からかってると飽きなさそう」
「そーそー。秋也面白いの。けど、やらんよ、光兄」
「ふーんだ」
繭は、潤の肩をよじ登っては、嬉しそうにはしゃいでいる。
「で。どーしたの?いきなり来て」
海風になびく髪を押さえながら、潤は光に聞いた。
「やっぱりお邪魔だったの?」
光は、おどけて聞き返す。
「そーじゃなくてさ。なんで玲兄も一緒じゃないの」
「一緒に来なきゃいけない義務はない」
きっぱりと光は言った。
「けど。光兄は玲兄と仲良しだから」
「たまには喧嘩もする」
と、潤はププッと笑った。
「喧嘩中か。ふーん。まあ、いいんじゃないの」
「いいさ。たまには」
「深刻じゃなければね」
「うん」
「ほいじゃ、繭ちゃん。砂浜に下りてみましょーか」
「わあい」
潤は、バタバタと繭を連れて砂浜に降りて行った。
崖っぷちの岩には、光と須貝が取り残された。
「2人っきりですね、須貝さん」
光は爽やかに言ったが、須貝は、ツツツと光から身を離した。
「おや、どうかされました?」
白々しく光は聞いてみせた。
須貝は僅かに顔を青くしつつ、
「玲くんとは昔会ったことがあるんですが。貴方には初めてですね」
誤魔化す為かなんだか知らないが、そう言った。
「そうですねぇ。あ、自己紹介が遅れました。小野田光です」
「いえ。もう存じてますが。ただ、小野田に似てませんねと・・・」
光は、海風に髪をまかせっぱなしのまま、笑った。
「俺も小野田なんですが。って、まあ、潤とは血が繋がっていないので」
すると、須貝は少し驚いたような顔をしたが、うなづいた。
「そうですか。それは幸いでしょう」
「え?」
「だって、アレ、変人じゃないですか。激しいっていうか、なんか」
「というと。それはベッドの中でのことで!?」
ニヤッと光は笑って、言った。
「・・・本当に血が繋がってないんですか」
呆れたように須貝は首を竦めて見せた。
「朱に交われば赤くなるもんです。十何年以上も一緒にいたりすると」
「というと。いつか俺もあんなふうに」
といって、須貝はハッとしたようだった。
「そうですね。いつかはそうなるでしょう。ずっと側にいてあげてくださいね。いつまでも弟と仲良くしたってください」
「言葉が滑りました」
須貝は冷や汗を拭っていた。
ニヒヒと光は笑って、須貝を振り返って、海を指差した。
「須貝さん。海っていいですねえ。なんか、大きい。すごく大きい。悩んでいたことなんか忘れるな〜。来て良かった」
「なにか悩みでも!?」
「人間だから。須貝さんだってあるでしょう」
「そうですね」
「いいなあ。俺もここに引越して来ようかなー」
「え」
「もし。家を出るようなことになったら」
須貝は、ジッと光の横顔を見た。
光は、なにか聞かれる、と思って僅かに身構えたものの、須貝はなにも言わずに小さくうなづいた。
「そうですか。なにもないところでは、ありますが良いところですよ。歓迎します」
「ありがとうございます。あ、でも、2人の邪魔はしませんからネ」
「出来ればして欲しいっすけど。赤くなりたくねえから」
須貝は即座にそう言った。
2人は顔を見合わせて、笑った。

********************************************

「おおっ。海の幸、堪能!」
「光兄、食い過ぎー!」
「へっへっ。だって美味しいんだもんさ。ゴチソウ様です」
深々と光は、須貝に向かって頭を下げた。
「海の幸。目の前にはお美しい二人。これで満腹にならんはずはない」
光は、さっ、さっ、と須貝と小夜子さんを指差した。
「げっ」
須貝は眉を寄せ、小夜子さんは「まっ」と言って、嬉しそうに笑った。
「お上手ね〜。さすが潤ちゃんのお兄さん♪」
「本気ですよ。俺も潤も正直ものですから!」
「そ。俺達、正直者の兄弟だもんね〜♪」
ねーっと兄弟は肩を並べて、ニコニコ。
「あら。繭ちゃんは?」
小夜子さんは、ハッとして辺りをキョロキョロした。
「ベランダに居るよ」
「危ないじゃん。繭ちゃん一人にさせるなよ」
光は、潤をどついた。
「大丈夫だよ」
「心配だ」
光は立ちあがって、ベランダに出た。
繭はベランダのぶっとい柵に、小さな体をペタンとくっつけて、夕日を見ていたようである。
眼前に炸裂する夕日は、尋常じゃないくらい綺麗だった。
「うっわー」
光は、思わず声を上げてしまった。
「ん?」
光の叫びに、潤は首を傾げてベランダを見た。
「すげー。すげー夕日!」
「でっしょー。ココから見る夕日は最高だよ」
「ねえ、潤。俺、ちょっと海に行って来る〜」
「今から?」
「そー。なんかもっと、近くでみたい感じ」
「行ってくれば。俺らも後から行くよ」
光は繭を潤に預けた。
「うん。んじゃ、小夜子さん、秋也さん、ちょっと行ってきますねー」
バタバタと光は飛び出していった。
「無邪気で、ほんっと可愛い子ねぇ」
小夜子さんが、光の後姿を見送っては、言った。
「そうそう。うちの光兄は、すげえ可愛いんですよ。なー、繭。自慢の兄貴ですよ、アレ」
と、潤の膝で繭はうなづいた。
「まゆは、ひかりにーとけっこんします」
「ええっ!?そうなの〜?じゅんにーとじゃないんだ」
潤はププッと笑った。小夜子さんも、クスクスと笑っていた。
「兄妹じゃ、無理ねぇ。けど、本当に潤ちゃんとか光ちゃんとか、繭ちゃんって良く似ているわね。美形だわ。繭ちゃんなんて、
この子は美人になるわよー。こうなると、小野田兄妹全部見たい気がするわねー」
小夜子さんは、ウンウンと一人うなづいている。
「あ。一人は完全に無理だと思うけど、もう一人なら見れるかも」
「え」
「玲兄が来るよ、きっと」
「小野田くんが?」
須貝が、ほう、とうなづいた。
「そうだよ。うちの玲兄は、光兄が大好きだから。片時も離れられないのです。だから、きっと来るって」
「やだあ。なんか、危ない。玲さんって、ブラコンってヤツ?」
小夜子さんは、ビール片手にケラケラ。
「ブラコンっていうか。純粋っつかー。例えていえば、純情な恋情って感じかな〜?」
「じゅんじょーなレンジョー?」
須貝が怪訝な顔をして、潤を見た。
「そー。なんだかもっともな理屈をこねているんですが、その実。俺から見れば、単なる本命には手を出せない臆病者」
潤は、繭の小さな手を取って、万歳させたりして遊んでいる。
「???」
「あのね。うちの光兄は、血が繋がってないのですよ。俺らと」
「あら。そうなの?」
小夜子さんは、吃驚している。
「ですから。そーゆーことなんですよ」
須貝は、麦茶を飲みながら
「おまえの家系は、本当にホモの狂い咲きな」
須貝の言葉に、潤は、ハハハと苦笑いである。
「秋ちゃん。そういう身も蓋もない言い方、止めなさいよ。ったく、綺麗な顔して、下世話なヤツ」
小夜子さんが、ドンッと肘で須貝を突ついた。
「うるせーな」
須貝はブスッとした顔で言い返す。
「俺。光兄のとこ、行ってくる〜」
潤は立ちあがった。
「玲兄が来たら、連れて来て、秋也」
「本当に来るのか?」
「来るよ。絶対に来る。血が繋がってる分、あいつの行動パターンは把握出来る」
「わかった。じゃあ、もし来たら、連れて行く」
「よろしく〜。あ、小夜子さん、繭ちゃんよろしく」
「まかせて〜♪」
バタバタと潤は出て行った。


光は、岩場に立ちつくして、目の前の真っ赤な夕焼けを眺めていた。
遮るものがなにもないこの海の夕日は、怖いくらいに綺麗だった。
「光兄。大丈夫!?」
潤が背後から声をかけた。
「んー。なんとか」
「喧嘩って、深刻なのか?」
光は、潤を振り返った。
「おまえサ。俺が玲兄好きなの、ひょっとして知ってた?」
「あー。うん。知ってたよ」
あっさりと潤はうなづいた。言いながら、潤は光の横に立って、光と同じように夕焼けを見た。
「そか。じゃあ、本人にもバレバレだったってことだよなぁ」
「うん。たぶん、知ってたと思うよ。玲兄は」
「なんだよ。それじゃ、全員知ってたってことじゃねえか。一生懸命隠してる振りして、俺、バカだったぜ」
「光兄、素直だからさー。隠しごとに向かないヨ。うちの兄達と違って。そこは俺と似ているっていうか。違うよね。
俺がきっと、光兄に影響されたんだ」
「上2人。訳わかんねーからな」
光はそう言って、クスッと笑った。
「潤。ごめんな」
「なんで謝るの?」
「バランス。崩しちまって」
「俺も。謝らなきゃいけないかも。俺、勝手に家出したから」
「うん。正直言って、おまえのこと。すげえ羨ましかった。好きになりました。だから、恋人のところへ行きますって。
たったか走っていっちまってよ〜。振り返りもしねえで」
「ごめんね」
「いつかは来る亀裂だったんだ。早い方が良かったかも」
「亀裂ってさ。いいじゃん。血が繋がってないんだもの。好きになったって。どうせ、家中普通じゃないんだもんさ」
あっさり言って、潤は足元の石をコンッと蹴飛ばした。
飛び跳ねた石を見つめながら、光は
「そりゃ、ま、そうだけど。なあ、ここ、イイな。海があって、食べ物美味くて、夕日が綺麗で。さっき須貝さんに言ったんだけど、
俺家出たら、ここに来ようかな」
「家出るの?」
「うん。だって、もう。居られないだろ。俺がこんな邪な気持ち抱いて傍にいるってわかったら、玲兄だって落ち着かないだろうし、
なんせ自分が辛いからさ」
「玲兄は、昔から光兄の気持ち知ってたよ」
「知ってても・・・。漠然とならばいいんだよ。俺、今回大告白しちまってさー。もう取り消しきかないもん」
「お見事。告白。で、玲兄は?なんて答えたの?」
潤の言葉に、光はハッとした。
「・・・。そういえば、聞いてなかったな。俺、むちゃくちゃ泣いてそのままばっくれたから」
「あのね」
がっくしと潤は項垂れた。
「でも。聞かなくてもわかるよ・・・」
バサバサと海風が光の髪を揺らしている。
「一人ぼっちになりたくない・・・。だから、とりあえず頭冷えるまで逃げて。そうしてまた、小野田の家に戻りたいんだ。
家族として。いいよな?その頃までには、玲兄だって俺のこと、許してくれるよね」
「無理だと思うよ〜」
「!」
「それは、無理」
きっぱりと潤は言った。
「なんで・・・。1度壊したバランス。もう戻れないってこと?やっぱり。家族を好きになった俺なんか、おまえも気持ち悪い?潤」
光は、泣きそうな顔をしていた。
潤は、そんな光の顔を見て、苦笑する。
「そうじゃなくてさ。玲兄が、光兄を一人ぼっちになんかさせないよ。逃げさせてなんて、くれないと思う」
「そんなことねえよ。頭冷やして欲しいって思ってるさ」
「なあ、光兄。それよか、玲兄の気持ち、ちゃんと聞きなよ。まずはそれから、だろ」
「だから、そんなの聞かなくても」
と、2人は、名を呼ばれて、振り返った。
須貝が繭を抱っこして、こちらにやって来た。
「あれ?秋也。玲兄は?」
「来てねえよ。けど、繭ちゃんが、おまえらのところに連れてけって」
秋也に抱かれて、繭は嬉しそうだった。
「ったくぅ。繭ちゃんは、甘えん坊なんだから」
潤は、須貝から繭を受け取った。
「小夜子さんに残ってもらった。たぶん、玲くんが来たらここ案内してくれる」
「そっかー。玲兄、早く来いっつーのにね」
「来ないよ。なんで、玲兄が来るんだよ」
光がブスッとした顔で言い返す。
「えー、来るって。ぜってー来る」
「来ねえよ」
プイッといって、光は岩場に腰かけた。潤もそうする。須貝も、一瞬戸惑ったが、腰を下ろす。
4人は、それぞれ無言で夕日を見ていた。波の音だけが、辺りに響いている。
光は、目を閉じて、うつむこうとしたが、ハッとして振り返った。
「!?」
光よりやや後ろにいた、潤と須貝も、つられて振り返る。
「やっぱりな。玲兄登場!」
潤が、笑いを含んだ声で、そう言った。
確かに玲だった。
眩しそうに目を細めながら、こちらへ歩いてくる。
「なんでわかった?光兄」
潤は、不思議そうだった。玲は、別に誰の名も呼んでいなかった。
「なんとなく」
そうしか言いようがない光だった。
光は目を見開いて、こちらへ向かって歩いてくる玲を見つめていた。
1番最初に、須貝が立ちあがった。
玲は、須貝の前に立つと、僅かに首を傾けて微笑んだ。
「お宅に寄ったら、すぐ下の岩場に居るからと、お美しいご婦人に言われてね。来たよ。ところで、ご無沙汰してたね、須貝くん。
そうだね、18歳の時以来だから、5年振りぐらいだ」
玲は手を差し伸べた。
「ああ、そうだね。久し振りだ」
「うちの弟がお世話になってます」
「いや・・・。でも、そうだな。世話してるかも」
「ハハハ」
須貝は、玲の手に自分の手を重ねて、握手した。
「!?」
しかし、玲はいつまで経っても、手を離そうとはしなかった。
「あの。小野田くん?」
玲はそのまま、両手で須貝の手を包み込むと、
「お子ちゃま潤なんか止めて、俺とつきあわない?幸せにするよ。君の美貌は、5年前と全然変わらない。あの夕日よりも綺麗だ」
そう言って、玲はニッコリと笑った。
潤相手ならば、速攻殴り倒す筈の須貝だが、相手がなまじに迫力な美貌の玲だけあって、須貝は硬直してしまう。
「なにしにきやがった」
潤が、バッと2人の間に入り、玲の手から須貝の手を引き剥がす。
光は、毎度のことに呆れつつ、その光景を見ていた。
「玲兄っ。弟の恋人口説いて、どーすんだ」
潤の叫び声に、ハッと覚醒した須貝が、叫び返す。
「誰が恋人だ!」
「秋也は黙ってろよ」
「フン・・・。俺は、美人を前にすると口説かずにはいられん」
玲は、風に乱れた髪を掻きあげながら、ぬけぬけと言った。
「本命口説け、アホタレ!」
と、ごちゃごちゃやっている時に、腕の中の繭が暴れ出した。
「繭ちゃん?」
「おろして、じゅんにー」
「え?」
と、潤は繭を地面に下ろした。
繭はトテトテと危なっかしく、岩場に腰掛けている光の側へ走って行った。
「れいにー、ひかりにーいじめる。ダメ、ぜったいにだめよ」
繭は、光の前に立って、通せんぼした。
「相変わらず嫌われてるじゃん」
ほほお、と潤は感心?しながら玲をチラリと見た。
「まーな」
「エバッてンなよ。情けねえな。女タラシがさ」
潤は言った。
「ガキにゃ、俺の魅力なんざわかりゃしねえよ」
しれっと玲は言い返す。
「け〜ッ」
次男と末弟のやりとりを見ていた光だったが、バチッと玲と目が合うと「なにしにきやがったよ。ちゃんと書置き残したぜ」
と、素っ気無く言った。
「心配でな」
玲は、光を見下ろして、そう言った。
「なにが心配なんだよ」
「おまえが帰ってこない気がしてさ」
「・・・」
玲の言葉に、光は沈黙した。
「繭ちゃん、そこどきな。玲兄は、光兄に話があるんだよ」
玲は、繭の頭を撫でて、そう言った。
「いやッ。れいにーは、ひかりにーをいじめるもの」
「それは、そこに愛があるからだよ」
「あい!?」
繭は、キョトンとしている。
「どいて、繭ちゃん」
「いや。いやったら、いや!絶対にどかない」
「玲兄は、光兄を苛めないから。大丈夫」
「うそよ。いつも、いじめてるもん。ひかりにー、ないてるもん。ひかりにーいじめるの、だめ。まゆはひかりにーとケッコンするんだから!」
その言葉に、玲は目を見開いた。
「え?え?繭ちゃん、俺とケッコンするの?じゅんにーじゃないの?」
光が、ビックリしたように繭に聞き返す。
「じゅんにーは、おにーちゃんなの。ひかりにーは、おむこさんなの」
繭はスラスラと言った。潤がアッハハハと笑った。
「繭ちゃん。光兄とケッコン出来るんだよねー。この子、わかって言ってるのかな〜。玲兄、ライバル出現」
「てめー、うるせえよ、潤」
玲は、チッと舌打ちする。
「繭ちゃん。潤兄のところに行きな。俺は、光と大事な話があるんだ」
「いや!」
繭は、ビトッと光にくっついた。
「潤」
玲は、潤を振り返って顎をしゃくってみせた。
「繭を連れていけ」
「了解」
潤は、繭を光から引き剥がした。
「いやーッ。じゅんにー、どうしてじゃますんの〜!」
繭は、潤の髪の毛を引っ張ってまで抵抗した。
「いて、いててっ。繭ちゃん、2人は喧嘩なんかしないから。大事なお話があるんだよ。だから、向こうで遊んでいよう」
「うそ。うそだよ。れいにーは、ひかりにーをいじめるぅ」
ビエエエと繭は泣き出した。
「痛ててっ!秋也、交代して」
「あ、ああ」
潤から、繭を渡されて、須貝はぎこちなく繭を抱っこした。
さすがに繭も、他人に手をあげられなくって、おとなしくなった。
「繭ちゃん・・・」
光は、潤に無理矢理連れていかれようとしている繭を見て、僅かに表情を崩す。
「れいにー。ひかりにーをいじめたら、ゆるさないからーッ」
繭の声が、風に乗って聞こえてくる。
玲は、溜め息をついた。
光は、遠ざかっていく繭達をぼんやり眺めていた。
3人が去って行くのを見届けてから、玲がボソッと言った。
「おーい。この女殺し。5歳の童女を惑わしやがって」
「うるせーよ」
と、まともに正面から、視線が交差してしまい、光は慌てて目を反らした。
玲はそんな光を見て、小さく笑う。
「繭ちゃんと、結婚か。それもいいかも。だって、そしたら、俺、本当に小野田家の一員になれるもんね」
光はそう言った。
玲はピクッと眉を寄せたが、そんな玲に気づくことなく、光は続けた。
「歳の差だって、たったの16歳。全然許容範囲だよな」
さっき潤がそうしたように、足元の小石を蹴飛ばしながら、光は言った。
「犯罪だろ、おまえ。16歳の差なんてよ」
玲は、光のすぐ脇に立って、そう言った。
「そうかな?玲兄。意外と」
言いながら顔を上げた光は、最後まで言葉を紡げなかった。降りてきた玲の唇に、唇を塞がれたからだ。
「な、にすんだよッ!」
ドンッと、光は玲の体を押しのけた。
「おまえはキスも知らねえのか?」
玲は、よろけた体制を立て直しつつ、言い返す。
「な、なんで、キスなんかするんだよッ」
カアアッと顔が赤くなっていく光だった。
「愛してるから」
「え?」
「おまえのこと、愛してる」
その時。
波の音が一際一層辺りに響いた。・・・気がした光だった。
「なんで?」
間の抜けた質問である。
「なんでと言われても。愛することに理由なんかねえだろ。気づいたら好きだったんだもん。おまえのこと」
玲は掌で唇を覆いながら、ボソリと言った。
「嘘だろ?」
「だったら、楽だったかもしんねえな。俺の人生」
玲はあっけらかんと言った。
「今ここで、冗談言う必要性あんの?玲兄」
「ねえだろ」
「だったらさッ!なんで冗談言うんだよ」
「冗談じゃねえよ」
「冗談以外のなにもんでもねーじゃん!俺が告った時、全然そーゆー反応なかったじゃんか。なんで今更」
「俺だって。迷ってたんだよ。色々とな」
「信じない」
「あのな・・・」
玲は、ふぅと溜め息をついた。光の目が潤んだ。
「わ、わざわざ追っかけてきてまでさ!書置き残したじゃん。遊びに行ってくるって。なんでだよ、なんでわざわざ来て、蒸し返すんだよ」
「おまえ。帰ってこねー気がしてさ」
「帰るよ。繭ちゃん一緒だもん」
「うん。体は帰ってきても、さ。おまえの心。帰ってこねー気がして」
「なに・・・それ」
玲は、光を見て、ニコッと笑う。
その笑顔をまともに見て、光は目を潤ませながら、更に顔を赤くした。
「だからさ。俺は来たんだ。おまえが。このでっけー海を見て、ろくなこと考えねえうちに。俺のトコ、戻ってくるようにって。
連れ戻しに来たんだ」
「・・・」
「小野田という家族という単位じゃなくて、俺ンとこ」
「戻るってさ。戻るって・・・。だって、俺、弟なんだぜ。玲兄。それなのに、玲兄のこと、好きなんだぜ」
「もう、いいよ。それ。兄とか弟とかさ。仕方ねえじゃん。お互い好きなんだからさ。どうしようもねえじゃん。
好きあってるんだから・・・」
「好きあってる?」
光は目を見開いた。
「玲兄、俺のこと好きなの?嘘だろ」
「だから。冗談でも嘘でもねえって。いい加減にしやがれよ。何度言わせんだよ。いい加減恥かしいんだよ、てめえ」
「いつから?」
光は、玲を見上げて、ボンヤリと聞き返す。
玲は、つと夕日に視線を移した。
「おまえより。おまえが自分の気持ちに気づく前より、ずっと前。おまえが、家出したあの時から。事実を聞いて、俺は正直ホッとしたよ。
おまえと血が繋がってなくて良かったって。でもさ。たぶん、俺達は、きっと同じことを考えて、気持ちに封印したんだな。家族。そう、俺達は、
家族なんだってさ。でもな。でもさ。必死に守ってきたもの、壊れたじゃん。壊れたもんは、もう戻せないぜ。だったらさ・・・」
「だったら?」
「新しく作ろうぜ。俺とおまえで」
「どうやって?」
「さあ、わかんね。俺もどうなるか、わかんねえな。こんなことさえなければ、ずっと封印しようと思ってた気持ちだ。
でも・・・。こうなってみて良かったと今は思う。俺、おまえに、礼を言わなきゃならねえと思うんだ。おまえは、俺より
よっぽど勇気があったよな。告るって・・・すげえ、パワー使うよな・・・」
玲は、光の目の前に掌を広げて見せた。
「わかるか?」
「ああ・・・」
玲の掌が微かに震えているのだ。
常に皮肉家で、どこか冷めているように見えた玲が。
その玲が、震えているのだ。
その瞬間、光はハッキリと理解した。
自分達は。
同じように想いながら、同じように怖がり、同じように言い出せなかったのだということを。
光は、玲の横顔を見つめた。
いつでも眺めてきたのは、この兄の、横顔だった気がする。
気持ちを自覚してからは、その気持ちを抱えて、玲の顔を正面から見つめることが苦しかった。いつでも、言ってしまいそうになったから。
好きだ、好きだ、好きだ。
貴方が好きだ。玲兄が、好き!
「俺はいつだって、おまえに愛してるって言いたくて。キスしたくて、抱き締めたくて、セックスしたかった。おまえと気軽に互いの恋人の話とかしてて、
それでいて、俺は真っ黒焦げになるほどてめえの恋人に嫉妬していた。だから、俺は誰とも続かなかったんだ」
言いながら玲は、夕日から視線を、光に戻す。
正面から2人は向かい合う。
光は、目を細めた。
眩しいのは、夕日のせいじゃ、ない。
今にも溢れそうになる涙を堪えて光は、玲の顔をまっすぐに見つめた。
「呆れるだろ。呆れる兄貴だろ、俺」
光は、ブンブンと首を振った。
「お互いさまだよ。俺だって、玲兄の恋人のこと、すげえ気になっていたから。俺だって、誰と寝ていても、いつも玲兄のこと気にしていた。
だから、俺だって、誰とも続いてねえじゃん。気持ち、相手にねえのがバレちまってんだよ」
「サイテー兄弟だな、俺達」
フンッと玲は鼻で笑う。
だが、すぐに真顔になって、言った。
「光。俺の側に居ろよ。苦しくても、俺の側に居ろ。なんとかなるよ。なんとかしてみせる。おまえを一人にはさせねえから。俺の側に居てくれ」
「居ていいの?俺で、いいのかよ?」
「居てくれなきゃ、困る。おまえじゃなきゃ、嫌だ」
「玲兄」
光が玲に抱きつこうとするより早く、玲の腕が伸びてきて、光をギュッと抱き締めた。
堪えてきた涙が、ドッと光の瞳から溢れた。
「玲兄、玲兄・・・」
玲は、光の耳元に囁いた。
「とりあえず、愛し合いながら、家族とかも演じてみねえか?なんとかなるさ。当分は2人きりだしさ」
「繭ちゃんがいる・・・」
「俺の最大のライバルだな。あの娘が光に惚れていたとは、俺は気づかなかった。女はすげーな。だから俺は、異常に嫌われていたんだ」
「なんで?」
光は、涙を拭いながら、玲を見上げた。
「ニブーッ。彼女にとっても、俺が最大のライバルだから、だろ」
「そうか。そうなのか?でも・・・。ああ、そうかもしんねえ」
光は、泣き笑いだった。泣きながら、笑う。
「好きなだけ、笑えよ」
玲は拗ねたように言い返す。
「もしダメだったら、そん時は二人で家出ようぜ。一緒に、な」
玲の言葉に、光は目を見開いた。そして、ゆっくりと目を閉じる。
「玲兄」
「ん?」
「玲兄が好き。大好き。愛してる。言いたかった。ずっと言いたかった」
夕日の光が眩しいのか、照れているのか、玲は目を細めた。
光は背伸びをして、玲の唇に自らの唇を押し当て、口付ける。
玲は、光の唇を受けながら、舌を差し出す。
光も、それに応える。
「泪兄から昔聞いた。玲兄、俺が赤ちゃんの時一緒に泣いてくれて、ありがとう。俺、小野田の家に拾われて、すっごく幸せだから」
「礼ならば、ニ歳の俺に言え」
「言えないし、しかもそれ、洒落?」
「こんな状況で洒落なんぞ言う余裕があるか」
玲は、光を抱き締めて、その耳朶に唇を寄せ、再びキスをする。
「新しい棚を作ろうぜ」
光の耳元に、玲は囁いた。
「うん」
光はうなづく。
「・・・潤のところに戻るか」
「そうだね」
玲が手を差し伸べる。
光は、一瞬躊躇して、その手に自分の手を重ねた。
「そうだ。玲兄」
「んー?」
「俺は嫉妬深いから、気をつけろよ」
光は、涙を拭いつつ、いきなり言った。
「なんだよ、いきなり。ああ・・・」
思い当たったのか、フフンと玲は鼻で笑いながら、
「嫉妬されるのダイスキ。とくにおまえからなんて超ウレシ」
軽々しい口調はいつもの玲の口調だ。
光は不安になる。
「ちゃらけてねーでさ。さっきの須貝さんみたく、美人見て口説くなんて、俺は許さねえぞ、絶対!」
そう言って、光は重なりあった掌に力をこめた。
「もういいんだよ。美人は口説いた。おまえは一生俺のモン。繭にだって、やらんもんね」
玲の言葉に、光はあんぐりと口を開いてしまう。
「・・・ハッキリ言ってさ、玲兄の口説き文句、寒いぜッ!」
「なに言ってんだ。顔真っ赤にして言ったって、説得力ねえんだよ」
グイッと頭を引っ張られて、光は玲にキスされた。
唇が離れると、玲は
「言っておくが、俺だって超嫉妬深い。今まで誰も縛らなかった分、そっくりてめえを縛ってやるから、覚悟しやがれ」
と、光に宣戦布告?をしてみせた。
「いいよ。俺は、嬉しいもん。玲兄を独占出来るから」
光は、ニヤリと笑ってみせた。
「うっ」
今度は逆に玲が赤くなる番だった。
「へっ。赤くなってやんの。いつも澄ましたツラが。いい気味だぜ。俺ばっかりじゃ、不公平だもんな」
機嫌よく、光は声をあげて笑う。
「ちっ。俺としたことが、一瞬腰に来たぜ」
ガバッと玲は、光を抱き締めた。
「玲兄。前に進まないぜ。もう!皆待ってるからさ」
「このまま、どっか行っちまおうぜ。国道沿いにゃ、いい所いっぱいあるから」
玲はニヤニヤして光を覗きこんだ。
「やだね。玲兄がくれた割引券がいっぱい余ってるんだから、勿体ないじゃん」
「光。てめえ、色気ねえな」
「その時には、あるよ。たぶん・・・だけど」
多いに照れつつ、光はボソリと言った。
「楽しみにしとくぜ」
玲は、ククッと笑った。
「信用してねえだろ」
「この目で見ねえと、なんとも・・・だな」
「ちっ」
光は舌打ちしながら、耳を赤くした。
もう1度2人は、唇を重ねた。

夕日は、たった今、目の前の海に落ちて行ってしまった。
見てらんねぇぜ・・・と言いたいところだったのかもしれない。

「行こうか」
「うん」
もう一組の水辺の恋人達の待つ所へ、2人は肩を並べて歩き出した。



**********************************************************

BACK       
TOP